CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ZEP感謝祭その2、レッド・ツェッペリン  PHYSICAL GRAFFITI

2015年05月22日 | LED ZEPPELIN関連
以前に6作目のスタジオ・アルバム、PHYSICAL GRAFFITI について書いたことがあったのですが、今週 レッド・ツェッペリンの1枚目から5枚目まで連続できてきたので、その流れを汲んで再投稿したいと思います。

前作のHOUSE OF HOLYが大ヒットした後、1973年に北米を中心にコンサート・ツアーを行い大成功させました。

しかしながら、長期にわたるコンサート・ツアーからくる疲労によりジョン・ポール・ジョーンズが一時バンドから離脱したり、バンド自身のレーベル、スワン・ソングなどの立ち上げなどに諸々の時間を消費し、前作から約2年のインターバルの後ようやく1975年2月に発売となったのが、PHYSICAL GRAFFITIでした。

当時録音された新曲のみでは、長尺の曲やレコードのA面とB面の収録の限界などの理由もあり、レコード1枚分にすればバランスが取れないことから、以前のアウト・テイクだった7曲を加えて2枚組としてリリースすることとなりました。

アウト・テイクのレベルも高くそれらを加えることにより、 ツェッペリン・スタイルのハード・ロックから、アコースティック・フォーク、プログレ、ブルース、カントリーなど更にバラエティーに富んだ内容になり、ZEP感謝祭その2のような雰囲気です。

当然このアルバムも大ヒットし全米と全英で1位を獲得し、発売後の1975年5月に駄目押しの北米コンサート・ツアーを敢行し 、ハードロック・バンドとして最高峰の地位を磐石としました。

このアルバムの定番の長尺のIN MY TIME OF DYINGとKASHMIRについては前回ちらっと触れましたので、今回はサイド4に収録されているBOOGIE WITH STUについて書いてみます。

STUはローリング・ストーンズの6番目のメンバーと呼ばれている、ブルース専門のキーボード・プレイヤー、イアン・スチュワートのことです。ストーンズ結成の際プレイには問題がないが、当時のロック・バンドのメンバーの出で立ちとは異なる風貌という訳のわからない理由で、正式のメンバーになることが出来ませんでした。そのため彼はストーンズのロード・マネージャーのオファーを受け、ブルース系のキーボードが必要な時はその都度グループに参加して演奏していました。

そのため、ストーンズのマネージャーからメンバーになる事を拒否されたにもかかわらず、黙々と仕事をこなしていった事からストーンズのメンバーからは慕われていたようです。残念ながら 1985年になくなりました。

そのイアン・スチュワートが1971年ツェッペリンのメンバーとスタジオで即興のジャム・セッションを行った際の音源がこの曲です。原曲は故リッチー・バレンスという人のOOH, MY HEADという曲で、過去の歌詞の引用に対するクレイムに懲りて、今回はツェッペリン、イアン・スチュワートとバレンス夫人の共作という事でクレジットされていたのですが、バレンス夫人サイドは、共作ではないと異議を唱えていたとの事です。


ツェッペリン・クラスになると、レコードの売り上げが莫大となり、印税の額も半端ではありません。これらのクレームも有名税の一部と考えなければならないのですかね~ 

助手:博士! イアン・スチュワートの1963年頃のマーキー・クラブでの写真を見ると、オールバックの髪型でもみあげが長いのです。だけどビル・ワイマンと比べてもそんなに、ルックスがダメとは思えないんですが。

博士:そうじゃのう~ もし髪型が丸刈りであれば、当時のビート・グループのメンバーになるのは難しかったかもしれんが。わしの時代は、男子学生は全て丸刈りじゃった。文化祭でバンドを組んだ連中も全員丸刈りで、ビートルズやCCRの曲を演っていたのう~ それが普通で特に違和感はなかったが。

助手:博士も丸刈りだったのですか?

博士:当たり前じゃ! 生徒手帳に校則で男子の髪型は丸刈りと書いてあったからのう。子供が多かったから、生徒数が1000人を超える中学校なんてザラじゃった。その半分が丸刈りじゃったから、全校集会などでは、まるで甲子園の開会式のようにズラット丸刈り頭が並んでいて壮観じゃった。

私:そういえば、その昔、日本に初めて来たアメリカ人をあちこち案内した時、 “日本にはたくさんのアーミー・スクールがあるなー”と言われました。

助手:丸刈りと詰襟の制服をいく先々で見たからですね。

と本題から外れた懐かしい話は続いていくのでした。

Led Zeppelin - Black Country Woman

学生時代、アフロヘヤースタイルの友人が、ヘイ、ヘイ、ママ~ とこの曲をよく歌ってました。 但しヘイ、ヘイ、ママ~の後は 何たらかんたらと意味不明の英語でした。