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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

サザンで行こう! その2

2021年01月22日 | Southern Rock

The Black Crowesが少し重すぎって感じるお方はこのバンドは如何?

1970年ジョージア州の州都アトランタから北東にちょいといたところにある街、ドーラビルで結成。

1972年デッカと契約しメジャー・デビューしたAtlanta Rhythm Section (通称ARS)。

その彼等の7枚目のスタジオ・アルバム且つ最大のヒット・アルバム、Champagne Jam。(全米7位でミリオン・セラー)

シングル・カットされたImaginary LoverやI'm Not Gonna Let It Bother Me Tonightも大ヒット。少々 軽めでポップ度満載非常に聴き易い。

それ以外の注目曲は一曲目Large Time。1977年飛行機墜落事故で主要メンバーを失った当時人気絶調だったLynyard Skynyrdに対する追悼の曲。

ARSは彼等と一緒に公演を行なったらしい。

 

俺たちゃレイナード・スキナードとジョージアのメイコンで一緒に演ったのさ

奴らはイカしたロックン・ローラーだった

ロニー・ヴァン・ザントはフリーバード飛ばしてたっけ

奴らは決して手は抜かねえ

俺たちゃイカした時間を過ごしたのさ

唸るギターの掛け合い聴いたはず!

みんなほんと楽しかった

確かに

 

なんて歌ってる。

スキナード・ファンなら涙無しには聴けない。

助手:博士どうしました? ARS聴いている途中に目に涙を溜めて!

博士:イヤ〜 ドライ・アイでチョット目がカサカサして今先目薬入れたところじゃ。

日頃から大ファンと言っているが、このおっさん口だけ。

偽スキナード・ファン一名ここに発見!


サザンで行こう!

2021年01月22日 | Southern Rock

サザンといってもサザン・オールスターズでも南海電鉄、和歌山港行き特急サザンの事でもない。

このブログの性格からして、サザンもしくはサザ〜ンとくれば当然サザン・ロックを意味する。

サザン・ロックとは何ぞや?とネットを検索すれば、カントリーやブギー、ブルースにR&Bなどアメリカ南部の土(泥)臭い音楽を全面に押し出したロックとある。さらにその雰囲気は醸し出しているもののカリフォルニア出身のCCRやカナディアンであるザ・バンドなんかは南部出身でないためしばしばそのカテゴリーからは外される事も。

世の中スカイ・ハイのごとく大空高くすっきり爽やか、且つスマートに立ち回る才覚があればそれに越したことは無いが、一般的には泥臭さの積み重ねによる下積みを経てようやく日の目をみる場合が多く、夢見物語では無く現実的な歌詞と地に足を付けたアーシーなサウンドは庶民にとっては必需品ですかね。

と訳のわかないことを口走りながら取り出しましたるはロビンソン兄弟率いるThe Black Crowesの1992年のセカンド・アルバム、The Southern Harmony And Musical Companion。

90年代といえばニルバーナ、グリーン・ディ、パール・ジャムやイギリスからはオアシスなどオルタナ・ロック若しくはグランジ・ロックなどと呼称された新進バンドが表舞台で隆盛を極めた時期だったが、Crowes達は彼らとは少々切り口が違って時代に逆行するかの様な70年代サザン・ロックに活路を求めた。

時代に即したモダンなプロデュースを加味したノスタルジー戦略が当ってアルバムは全米1位獲得の大ヒット。

彼らが意識して逆張りをしたのかどうか定かでは無いが、少なくとも幼少の頃から慣れ親しんだこの路線が大好きだったのは間違いない。

90年代のロックはオルタナやグランジの類も聴くが、おじんの私にとっては古きサザ〜ンの様式美を備えた曲調が心地良くてしっくりくる。

ただ英語力のなさで彼等が何を歌っているのか歌詞カード無しには直接理解できないのは残念。

まあ、その雰囲気さえ感じる事が出来れば良し!としましょう。

これが90年代の野性味溢れるサザ〜ンの雰囲気ですかね? 一人だけちょっと違う様な?


レイナードのOne More For From The Road

2020年12月18日 | Southern Rock

昨日のニールのAmerican Stars N Barsに触発されて本日は南部軍旗(Battle Flag)御用達のレイナード・スキナードでも。

レイナードといえばニールのSouthern ManやOhioなどで南部に対する政治的な歌詞に反発する Sweet Home Alabamaが有名でライブの定番となっている。

でかいトラック走らせ

俺の仲間に会うため故郷にむかう

南部の歌を歌ってると、奴らを恋しく思わせる

これは罪ってもんだぜ。

 

ヤングさんの歌をよく聴いた

老いぼれのニールの書いたやつさ

奴には俺が言ったこと思い出して欲しいね

奴なんて必要ね〜ってことを

と超訳してみた。

そのニールさん余裕かまして、俺のこと歌ってくれてありがとさ〜ん、実のところ俺もその歌気に入ってライブで歌ってるぜ〜。

てなことで両者そう悪い関係ではない様な気がする。

1976年に出た彼ら初のライブ盤、One More For From The Roadは彼らの魅力を十二分に発揮したアルバムで聴き応え抜群。

(One More For The Roadと言えば慣用句で最後のもう一杯を意味する、そのForをFromに置き換えてOne More From The Roadとしたのは、多分同年の2月にスタジオ・アルバム、Gimme Back My Bulletsを出したから、今度はThe Road、即ちライブ盤からもう一枚てな意味ではないか?)

(1976年のアトランタのフォックス・シアターでのライブ)

上記のSweet Home Alabamaもなかなかよろしいが、やっぱりこのアルバムの売りはトリプル・ギター炸裂のFree Bird。

11分を超える長尺の曲もあっと言う間に聴き終えるほどの熱演で、レコードが擦り切れる程とは言わないが結構この曲リピートして聴いた。

今日は週末の夜、時間が余裕があるので久々に全編堪能してみようと思う。

レコードが擦り切れるってことはないと思うけど。

南部軍旗(Battle Flag)発見!

ライブ盤に付属していた歌詞カード。

誰かが聴いたものを文字におこしたものだが、スタジオ盤とはちょっと歌詞が違う。

ただこのライブ盤を聴いていると,大したリスニング能力を持ちわせていない私が言うのもなんだが、この歌詞カード通りには歌っていない様な...

 


のんびり行こう、Laid Back

2020年11月02日 | Southern Rock

数年前に病気で亡くなったグレッグ・オールマンの1973年に出たファースト・ソロ・アルバム、Laid Back。

ちょうどオールマンが大ヒット・アルバム、Brothers & Sistersをだし一区切りついたところでのソロ活動。

ゴスペル調のコーラスやストリングスが加えられていて、ここにはオールマン・ブラザーズ・バンドでのデュアンとディッキーの緊張感溢れる何時ものギター・バトルはない。

アルバム・タイトル通り、Laid Back、リラックスしてのんびり行こうではないかって感じのアレンジを施した曲がてんこ盛り。

ここではオールマンの南部の泥臭いブルースとは一味違う、西海岸のバンドの様なスッキリ爽やかなアレンジで展開される。

自作曲、オールマンの曲、さらにジャクソン・ブラウンやCowboyのカバー、そしてゴスペル・ソング、Will The Circle Be Unbrokenで最後を締める。

あまりに心地いいので何度でもリピートしたくなるアルバムだ。

ちなみにジャケのペインティングが独特なので調べてみれば、マイルスのアルバムのデザインと同じ作者との事。


Greeeee〜n の Vinyl!

2020年09月23日 | Southern Rock

音楽メディアのCDがレコードをマーケットから駆逐したのも束の間、ネットからのダウン・ロードや聴き放題のサブスクなど新たなビジネスモデルが登場するとCDも売れ行きが落ち始め出して久しい今日この頃。

ネット配信が主流となると形ある物を販売する実店舗での営業は厳しさを増す。

テコ入れとして過去の名盤をリマスターとかリミックスとか銘打って再発することになるが、何度も同じものを買ってしまう人もそうはいない。てなことで限定盤商法でデラックス・セットとかピクチャー盤やカラー盤などが頻繁に登場するようになった。

いつの世もコレクターと称する人種は限定って言葉に弱い。あたかも真夜中の闇にポツンと光り輝く捕虫灯に群がる虫のごとく見事に策略に引っ掛かってしまう。

もちろん私のような4流コレクターも例外ではない。

ネットのサイトで限定カラー・レコード販売の広告に引き寄せられ、つい購入に至ってしまう。

本日はGreeeee〜n Colored Vinyl仕様のオールマン・ブラザーズ・バンドの1973年発売の通算5枚目のアルバム、Brothers & Sisters。

(70年代末キャプリコーン・レコードは倒産。その後ポリグラム系ポリードール・レーベルから再発、現在はユニバーサル系マーキュリー・レーベルとなっている)

兄のデュアン・アールマンを交通事故で亡くし、さらにこのアルバムの制作時ベースのベリー・オークリーもバイクの事故で物故。

かなりヘコんでいたバンド・メンバーを引っ張るがごとくリーダー・シップを発揮したのがディッキー・ベッツ。

特に彼の作曲面での頑張りと新メンバーの専任ピアニスト、チャック・リーヴェルがもたらしたサウンド面での新たなフレイバーはキャッチーでバンドにとって最大の商業的成功を収めたのはご存知の通り。

(すでに持っているレコードなのに爽やかなGreeeee〜nに幻惑されてしまったようだ。)

せっかく買ったので旧盤と比べてみようではないか。

(初回日本盤はワーナーから発売、Jelly Jelly最高!)

あれ〜? 旧盤と比べると音圧が低いね。

旧盤は結構コードの内周いっぱいまでカットされているが、緑のリマスター盤は旧盤と比べるとラン・アウトのスペースが大きく残っている。

すなわち、内周の歪みを低減させるため全体的にカッティング・グルーブの左右の蛇行を小さくしたコンパクトなカッティング施した。それ故旧盤と比べて音圧が低く聞こえるって事ですな。

まあシビアな再生装置も耳も持ち合わせていないので、特にロックの場合は単に音が全面にドォ〜ンと出てくる派手なサウンドを良しとする個人的嗜好から音圧の高い旧盤の方が印象がいいんだけどね。

でもね、Greeeee〜n の Vinylがクルクル回転しているのをじっと見ているのも悪くない。

むむ〜 あたかも捕虫灯に引き寄せられた虫のような...


モノ・トーンの世界 その4

2020年07月30日 | Southern Rock

デュアン・オールマンのスライドがうなりをあげてStatesboro Bluesが始まるともうそこはオールマン・ブラザーズの世界。

1971年の2枚組アルバム、AT The Fillmore East。日本に上陸したのはその2年後の1973年で当時はアトランティック・レーベルから発売。

彼らの存在を認識したのは、翌年1972年のアルバム、Eat A Peachからで、デュアン・オールマンはすでにこの世に別れを告げていた。当時はパープル、ツェッペリンやイエスなど英国のロック・バンドを追いかけてEat A Peachまでは手が回らなかった。

(1976年の再発盤。日本ではビクターがキャプリコーン・レーベルと新たにライセンス契約を結んでいた。)

彼らのアルバムを手にしたのは、次作Brothers & Sistersからで、FMでRumblin’ Manがよくオン・エヤーされていて、そのギター演奏のかっこよさに惹かれて購入と相成り、さらにグレッグ・オールマンのサザーン・ブルースの虜となる。

てな事で、彼らの古いアルバムを遡って聴いていったことから AT The Fillmore Eastに遭遇。

ジャケはクールなモノ・トーン。

しかしその内側には熱気にあふれた演奏でオレンジ色に染まっている。

当然、タブロイド判の“オレンジ色のニクい奴ら”のことではない。


オールマンがドゥービーに改名?

2020年03月01日 | Southern Rock

メンバー間の意見の相違あるいは対立により1976年解散に追い込まれたオールマン・ブラザーズ・バンドは、1978年に再結成を果たし翌年のオリジナル・スタジオ・アルバム、Enlightened Rougeを出すも所属レコード会社だったキャプリコーン・レコードが倒産。

そこで新たにアリスタ・レコードと契約を交わし活動を続行。そして1980年にアルバム、Reach For The Skyをそのアリスタから発売。 

(オン・タイムでレコードは購入しなかった。2008年に紙ジャケ化された時に即お買い上げ)

アリスタと言えば、70年代コロンビア・レコードの社長として大成功を収めたクラウス・ディビスが背任の疑いで解任され、その後彼はコロンビア映画の傘下だったベル・レコードのコンサルタントに就任し、それを土台に設立された新興レーベル。

ベルは、オズモンズ、デビッド・キャシディーやトニー・オーランド・アンド・ドーンなどらお茶の間ポップ・アーティストらが在籍、そして新レーベル設立後もバリー・マニロウ、メリサ・マンチェスターやベイシティー・ローラーズなど同様にポップ路線のアーティストが数多く在籍。

そこでコロンビア時代の昔取った杵柄とでも言えば良いのか、レーベルの間口を広げるためロック路線も拡充。アウトローズ、キンクス、アラン・パーソンやルー・リードらと契約を結んだ。

オールマン・ブラザーズとの契約もその路線に沿ったものかと….

芸風は初期の泥臭いブルース色は薄らぎ、大ヒット・アルバム、Brothers And Sistersあたりのポップ路線を狙ったものですかな? 

ただキャプリコーンのような南部のレーベルと違って、ニューヨークを拠点とするアリスタの垢抜けたイメージから全体的に売れ筋ポップ路線での制作が不問律となっていたのか、演奏や歌唱にやや軽さを感じ、聴きようによってはドゥビー・ブラザーズのような雰囲気が。

もちろんこの業界売れてなんぼの世界なので、頑なに己のスタイルを通そうとしても結果が伴わなければ契約は切れる。

このアルバムからシングル・カットされたオールマンらしさが無い軽快なロックンロール・ナンバー、Angeline。

ディッキー・ベッツとこのアルバムの共同プロデューサーであるマイク・ローラーとジョニー・コッブが曲作りに加わっていて、なんとしてもヒットに繋げたいレーベルの意向が見え隠れしないでも無い。

しかし私としては、このアルバムがオールマン・ブラザーズにそぐわないなどと言う否定的な見解は持たない。

この過渡期の時代があってその後のバンド活動に繋がって行くわけだから、これはこれで彼らにとって必要なアクトだと。

それに先入観なしでこのアルバム実際聴いてみてれば、オールマンードゥービーなかなかよろし〜と思うのであります。


2020年もレコードを聴く

2020年01月05日 | Southern Rock

楽しいひと時はアッと言う間に過ぎ去ってしまう。 

明日からまた仕事。 

でもよくよく考えてみると、平日仕事に縛られていてストレスの連続だから余計に休日により有り難みを感じる訳で、毎日が日曜日状態になってしまうとこれはこれで退屈してしまう。 

それに労働の代償としてお金を多少なりとも頂けるのも無視出来ない。世の中お金で買えない大切なものもあると言うけど、やっぱり日々の生活を平穏に送るためにはある程度の額は必要不可欠。 

そんな訳で、明日からの勤労生活は素直に受け入れ、今日この時はリラックスしようと取り出したる一枚はこれ! 

1969年に出たデラニー・アンド・ボニーのアルバム、The Original Delaney & BonnieもしくはAccept No Substituteと言うタイトルが付いた彼らのデビュー・アルバム。

実際はそれより前にメンフィスのスタックス・スタジオでブッカー・TとMG’sやアイザック・ヘイズのバック・アップでHomeというアルバムが制作されたがお蔵入り。 

南部の黒人アーティストが得意とするところのR&Bやゴスペルなんかがベースになっている音楽志向で、はっきりいってヒット・チャートの頭を取るようなポップさはなくはっきりいって地味! 

でも黒人アーティストらが奏でるそれらとは違い、悲壮感が感じられなくむしろ明るい雰囲気があるような… 

親しい仲間内のミュージシャンらと一丁楽しくやりましょうか? てな感じを受ける。だから、Accept No Substituteすなわち“代わりはいらね〜”というアルバム・タイトルになっているのかも。 

お仲間は、ジム・プライス、ボビー・ウイットロック、ボビー・キー、ジム・ケルトナー、カール・レイドゥル、リタ・クーリッジとレオン・ラッセルらおなじみの面々。そして知る人ぞ知るギターのジェリー・マッギーもね。 

ジェリーといえばのちにベンチャーズにノーキー・エドワーズの交代要員としてバンドに加わり活躍というまさかのSubstituteつながり。 

彼はベンチャーズ時代に当時日本で大ヒットした京都の恋、京都慕情とか雨の御堂筋の作曲に加わっていて、その少し前にThe Original Delaney & Bonnieで南部のロック・サウンドを奏でていたとは! 

まあ、声を大にするほど大げさなものでも無いのですが… 

おヒマなら是非ご一聴を。

日本盤はワーナー系のエレクトラ・レーベルから発売。但し、発売は4年後の1973年だった。日本で著名だったエリック・クラプトンでも参加していればもう少し早かったかも?


年末に聴いてみるレコード 、最終回はこれダァ〜

2019年12月31日 | Southern Rock

年末シリーズ最終日はコレだ〜 と取り出したのがオールマン・ブラザース・バンドの1969年のファースト・アルバム。

1979年のキャプリコーン・レーベルからの再発日本盤です。

 

デビューといっても各メンバー既に別バンドにてプロ活動していたので、最初からエンジン全開の迫力ある演奏がわずか2週間で録音された。 

デュアン・オールマンはナッシュビルで5年間の契約でスタジオ・アーティストとしていろいろなアーティストのレコード収録に参加し、当然プロデューサーの指示によりコマーシャルな演奏を続けてきたことによるフラストレーションがたまり、その反動としてこのアルバムでは彼のギターが炸裂することになる。

いい湯だな〜♪ と日本ではなるのだが、アメリカではどうかな? 

残念ながら元々芸風がラジオ・フレンドリーとはいかずアルバムは商業的な成功は収めることは出来なかったが、この手のロックが好きな人々には大きなインパクトを残した。 

そう、サザーン・ロック・ファンならこれを聴かずして年を越せるか〜! 

聴かざる者は鞭打ちの刑じゃ〜!  

Tried to the whippin' post

Good Lord! I feel like I'm dyin'

 

と声を大にするほど大げさなものでも無いのですが…  おヒマなら是非ご一聴を。

 

それでは皆様良いお年を。

 


祝日の昼下がりはこの一枚

2019年10月22日 | Southern Rock

バンド内の趣味のバンドと言うか、1975年頃からオールマン・ブラザーズ・バンドのメンバー3名、チャック・リーヴェル、ラマー・ウイリアムスにジェイモーが集まってジャム・セッションを楽しんでいた。 

翌年オールマンが解散と相成ったので、バンド内バンドがセッション・ギタリストを加えた4名でついに1977年にアルバム・デビューを果たすことに。 

バンド名の由来は、リーダ格のチャック・リーヴェル(C.Leavell)を文字ってシー・レヴェル(Sea Level)となったそうな。 

そしてサウンドは、後にストーンズ、クラプトンそれにジョン・メイヤーなどのアルバムにセッション・プレーヤーとして重宝されるチャック・リーヴェルが好んだオールマン時代のライブで繰り広げられるジャズ系長尺インプロビゼーション辺りを中心にオールマンぽいサザーン・ロックもチラホラ登場って感じですかね。 

泥臭いR&Bがサウンドが売りの一般的なサザーン・バンドとは一線を画す。 

初っ端のRain In Spainなんかは個人的にジョー・サンプルのソロアルバムなんかを思い起こさせる雰囲気が感じられ中々よろし〜

そしてサイモンとガーファンクルで有名だったスカボロ・フェヤーもピアノ・インスト・アレンジで取り上げていて興味深い。 

ただ、日本盤ライナー・ノートはちょっと大袈裟に持ち上げ過ぎでいただけない。 

まあ、レコード会社から宣伝としてお金を貰って執筆しているので仕方ないんだけどね〜

(アゲ過ぎてどうもすいません)


ご無沙汰LPでも、その5 ヒュー (パッチ〜ン)

2019年09月27日 | Southern Rock

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローハイド

ヒュー (パッチ〜ン 鞭の音)

とこの歌が流れれば、ピィーンと反応できるのは私を含めた年配の方々に限られるだろう。 

白黒テレビの時代、お茶の間の西部劇ブームでお馴染みのローハイド(Rawhideとは生皮の鞭で、この番組ではカウ・ボーイのスボンの上から着用する革製保護カバーの意味らしい)の主題歌で、隊長のフェーバーさんを補佐するまだマカロニ・ウエスタンに出る前の若き日のクリント・イーストウッドが出演していたっけ。 

しかし70年代のロック・ミュージックを愛する者としては、そう、サザーン・ロック・バンドの雄、マーシャル・タッカー・バンドの1976年の5枚目のアルバム、Long Hard Rideをすぐさま思いださなければならないのだ。

 

ジャケを見ただけでもRawhideの世界がそこに。 

このバンド、サザーン・ロック・バンドと言っても割とカントリー色が強く、ブルース系ナンバーを演奏しても他の南部出身のバンドの様なコテコテの仕上がりにはならない。 

これはリーダーであって、リード・ギターを担当するトイ・コルドウェルの奏法によるところが大きい。 

彼の軽やかなリード・ギターにサックスやフルートが絡みスッキリ爽やか感はさらに増す。

南部バンド特有の泥臭さは感じられないこのバンド独特の演奏が中々よろし〜。

 

 

Rawhide→ローハイド→ローハーイド→ロンーハーライド→ロンーハードライド→ロングハードライド→Long Hard Ride  バンザイ〜!! 

ヒュー (パッチ〜ン) 

(不意に床を叩いた鞭の音に) あぁ〜びっくりした。 

くだらないダジャレおやめください〜

どうもすいません。


アーシーなサウンド、ウエット・ウイリーの五枚目

2019年02月06日 | Southern Rock

アイクとターナーはアイケッツ、ウエット・ウイリーにはウィリエッツてな宣伝文句で当時売り出していた様な記憶がある。

本日はサザーン・バンド、ウエット・ウイリーのアルバム、Dixie Rock。


ブギウギ・ロック、R&B、ブルースなどルーツ・ミュージックを基調としたバンドで、1970年南部のアラバマで結成 。

本作は1975年にオールマン・ブラザーズなどが所属するキャプリコーン・レーベルから発売された通算5枚目のアルバムで、前作から正式にメンバーになった女性Duo、ウィリエッツが活躍。



(裏ジャケ、ウィリエッツのお二人様)

男臭いボーカルに、女性Duoによるブルージーもしくはファンキーなコーラスが絡むことにより他のサザーン・バンドとは一味違う個性を創り出す 。

そのリード・ボーカルのJimmy Hallはグループ以外にもソロ・アルバムを出したり、あのジェフ・ベックの1985年のアルバム、Flashにリード・ボーカルで参加など安心の実力派。(但し有名なPeople Get Readyはロッド・スチュワートがボーカルをとっている。)

ウエザー・レポートでコズミックな浮遊感覚を味わった後、ウエット・ウイリーのDown To Earthなサウンドで地上に無事御帰還って事ですね。


B B Top 誕生!

2018年03月11日 | Southern Rock

アメリカ合衆国といえば、その名称の通り複数の州が集まった単一国家を意味する。

国土が非常に広大なので、州単位でも単一国家として存在できるようなレベルである。

州によって独自の法律が施行され、また国内だけでも数種類の時差も存在することから地元民の州に対する帰属意識は結構強いものがあるのではないかと思う。

以前ヒューストンに得意先を訪問した時、工場にはアメリカの国旗とテキサスの州旗が敷地内に掲揚されていたのが印象的だった。

日本の私企業で工場の敷地内に国旗を掲揚することはあっても、都道府県の旗をその隣に掲揚しているのはまず見かけない 。デザインがダサいっていうのもあるかもしれない。

今日は、そんなアメリカ人、特に南部住民が州に対して強い地元意識を示しているようなタイトルのアルバムを紹介したい。

それはZ Z Topが1976年に出した5枚目のアルバム、Tejas。

左が70年代アルバム発売当時に買った日本盤、右は昨年リマスターされた180グラムの輸入盤。すでに昔買ったやつがあるのに、もう一枚買うなんて何を考えているやら....


当時キングレコードから出た盤は、なんとストーンズと同じロンドン・レーベル。Z Z Topらしくないと思う

今回の、リマスター盤はワーナーから出ている。旧盤と比べると今回のリマスターは音圧がやや低い上品な味付けと言うか、これもZ Z Topらしくない気がする。


三つ折りの特殊ジャケットで、レコードの出し入れはビートルズビートルズのホワイトアルバムと同じ上から入れる仕様となっている。

かってこの地がメキシコ領でスペイン語でTejas(スペイン語ではJの発音がHになるので、テハスと読む )呼ばれていて、その後アメリカ領となってTexas(テキサス)となる。

Z Z Topはヒューストン出身のバンドであるが、ここでのTejasはヒューストンやダラスのような大都会ではなく、アルバム・ジャケのデザインからして Texasの片田舎って匂いがする 。

俺たちゃTejasっ子、場末の酒場での与太話なんかを洗練された流行りの都会ロック・サウンドではなく、シンプルな3人 編成のバンドで荒削りのブギーやブルース・ロックをギンギンに聴かせやるぜ〜って感じかな。

ただ今回のアルバムは以前のものと比べて若干ポップ寄りに仕上がっていて、ちょっと都会に染まったかなと言う印象はあるが、全曲ご機嫌な楽曲でまとめられており、あっという間に聴き終える。

助手:博士、Z Z Topの名前の由来ってなんですか?

博士:本人達から、直接聞いたわけでもいないので確かかどうかはわからぬが、彼らはブルース・ギタリストのB B Kingのファンだったらしい。当初はZ Z Kingと名乗りたかったようだが、本家の名前と紛らわしい感じもするので、結局Z Z Topになったらしいようじゃ….

助手:じゃあ、我が研究所も、彼らにちなんでB B Topって名付けたいのですが….

博士:その心は?

助手:相変わらずバカみたいにレコード買い漁って、バカみたいなブログを綴って、その頂点を極めたいと思っている研究所ってことで。

博士:バッカも〜ん。

全くその通りじゃないないか!


マーシャル・タッカー・バンドのCarolina Dreams、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十九

2017年10月11日 | Southern Rock

1977年、サザーン・ロック・バンド、マーシャル・タッカー・バンドの6枚目のアルバム。


オールマン・ブラザーズ・バンドのレーベルであるキャプリコーンからオールマンに続くバンドとして1973年にセルフ・タイトルのスタジオ・アルバムでデビュー。

バンドは南部のR&B、カントリー、ジャズやゴスペルなどバラエティーに富んだ曲を演奏。

オールマンよりはどちらかと言えば、グループ・リーダーでありリード・ギタリスト兼ボーカルのトイコールド・ウェルが好むカントリー寄りの演奏。

R&B系の楽曲となると、ダグ・グレイが伸びやかで迫力のあるリード・ボーカルを披露する。 そしてジェリー・ユーバンクスのサックスやフルートの音色が、他のサザーン・ロック・バンドには無い独特の味付けを曲に施す。

このアルバムは彼らにとってもっとも売れたアルバムで全米22位となりプラチナ・アルバムに認定される。

60年代末から70年代にかけてアメリカの西海岸のカリフォルニア州を中心に、かってママズ・アンド・パパスが歌ったカリフォルニア・ドリーミンに代表される洗練された美しいハーモニー・コーラスが特徴のフォーク・ロックやカントリー・ロックが流行り、ウエストコースト・サウンドなんて呼ばれていた。

しかし時は過ぎ去り、このアルバムが出た頃といえば、ウエスト・コーストではイーグルスがホテル・カリフォルニアを出したあたり。

かってのウエストコースト・サウンドの明るいく爽やかなイメージなんて吹っ飛んでしまっていて、社会の退廃とか暗い~負のイメージが結構描かれていた。

アメリカの東海岸に位置するキャロライナ出身のバンドは、アメリカの先端を行くカリフォルニアのイメージに相対するためあえてキャロライナ・ドリームスとこのアルバムを名付けたのだろうか?

アルバムを聴けば少し田舎臭く感じるかもしれないがそれでも結構明るさに溢れていて好感が持てる。

ジャケットの内側の写真、仲良きことは美しきかな~ 実篤 って感じ

これは当時行き詰ったウエスト・コーストのミュージック・シーンに対するイースト・コーストからの回答ではないかと思えるのだが。


マンデー・ブルーズ

2017年05月28日 | Southern Rock

今日グレッグ・オールマンが亡くなったって聞いた。

オールマン・ブラザーズ・バンドを知ったのは、確か1972年の4枚目のアルバムEAT A PEACHだったと思う。


しかしながら、子供にはブルースの世界なんて到底理解できないし、30分以上に及ぶMOUNTAIN JAMのインプロビゼーションを伴う演奏を正座して聴くことに耐えられるはずも無く、結局バンドの存在を知るのみであった。

ところが翌年の1973年、アルバム、BROTHERS AND SISTERSを出したとき、大ヒットしたシングルRAMBLIN’ MANがよくFM放送でオン・エヤーされ一発でファンになってしまった。


カントリー調の楽曲で歌のパートが終わった後、ディッキー・ベッツとゲストのギタリスト、レス・デューデックのギター・バトルが延々と続きフェイド・アウトしていく普通の3分ポップ・シングルとは一線を隔す構成に新鮮味を感じた。

当時は、歌のパートは終わると締めの演奏をチョロっとしてハイ終了と言うシングルばっかりだったからね。

早速LPを買って聴いてみたら、一曲目のWASTED WORDSが本当にかっこよく聴こえてさらにいい気分。

取っ付き難いブルース・ナンバーと思われたJELLY JELLYも聴き慣れてしまうと、何回もリピート。

JESSICAはサザーン・プログレって感じでこれまた何度も繰り返し聴いた。

初期のデュアン・オールマンが在籍していたときからのファンからは、BROTHERS AND SISTERSなんて緩々だといわれるかもしれないが、当時は子供だったから仕方が無い。

深夜らラジオでかかる3分程度のポップなシングル盤を買うことはあっても、ブルース・ロックのファンでLPを買って家で聴くって言うような人はクラスにいなかったからね。

それから数十年、オールマン・ブラザーズのアルバムはグレッグやディッキーのソロを含め大体買ったし今でもそれらを聴く。

以前のように、ヘッドフォンをかけて正座して聴くことはなくなったが、音量をちょっと抑えてバック・グラウンド・ミュージックとして鳴らす。

そして楽しい一時はあっと言う間に終わってしまう。

もう彼の新譜を聴くことが出来ないのは残念。

楽しかった週末はあっという間に終わりを告げて、いつもより悲しいマンデー・ブルースを聴くことになるのか?