夕方7時のニュースを見ながら、夕ご飯を食べる自分自身に
「後ろめたさ」が付きまといます。
ガザ地区に押し込められた市民たちの苦悩が映し出されるからです。
さりげない当たり前の日常生活が送れない苦しみ、
死との隣り合わせの残虐な毎日を暮すパレスチナ一般市民たち。
上記の過去記事は2年前のことです。
あれから、さらに深刻な事態になっています。
『世界文学への招待』 より抜粋します。
東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、そしてガザ地区は
1967年以来、半世紀にわたりイスラエルの占領下に置かれている。
占領の暴力について西岸出身の映画監督ブサイナ・ホーリーは
次のように語ります。
(1966年生まれの彼女は、占領された故郷しか知らない)。
占領は私たちから刻一刻と尊厳をうばい、私たちの人間性を失わせます。
一生涯、辱められながら生きるのです。人生のあらゆる瞬間を支配され
て、何をするにも占領者の許しを請わなければならないのです。
占領とは恥ずべきものであり、卑劣であり、占領に正義はありません。
それは人を破壊する苦しみです。私たちはその苦しみと闘い続けて
いるのです。
さらに『世界文学への招待』から抜粋します。
ニーチェに「怪物と戦う時は心せよ、自らが怪物と化さぬように」という
言葉がある。人間は気を付けないといつの間にか、敵の似姿となってしまうのだ。
ナチス・ドイツによって人間性を否定され、虐殺されたユダヤ人の祖国を
標榜するイスラエルのユダヤ人たちが、いま、パレスチナ人という他者の
人間性を否定し、虐殺を繰り返しているように・・・
ヨーロッパ・ユダヤ人の悲劇が「ホロコースト」として世界的に知られ、
普遍的な共感の対象となっているのと対照的に、
「ナクバ」という言葉を知るものは少ない。
言葉を知らないということは、その悲劇を生きた、あるいは今なお
生きている人間たちの経験を知らないということだ。
「ナクバ」とはアラビア語で大いなる破局という意味です。
「ナクバの悲劇」とは、イスラエル建国に伴い、祖国を失い難民と
なって「民族浄化」にさらされたパレスチナ人の悲劇です。
・・・・・・・・・・・・・・
今朝の日本のどこかの、わが町の夜明けの空