あの日から22年たったのですね。
あの日、
当時神戸に住んでいた娘一家がどうなったのか?
淡路島の夫の実家はどうなったか?
電話も不通。
キリキリ痛む思いをしました。
が、
事なきを得て、家の倒壊もなく怪我も無くて一先ず安堵しました。
娘のおなかに赤ちゃんがいたので、また、違った不安が押し寄せました。
緊張と恐怖のため出血があっても病院に行くすべがありません。
道路もがれきで寸断状態。
車も走ることができません。
どうにかこうにか娘だけでも・・・・避難を!
嫁ぎ先の家族の勧めもあって、
大阪の私たちの家に帰ることができました。
当時は神戸からフェリーが運行されていて
淡路島経由で関空のフェリー乗り場へとやっとの思いで着きました。
これも運がよかったのです。
でも、
自分だけ実家に帰ったということでずいぶん悩んでいました。
「自分ひとりだけ避難した」という、「後ろめたさ」みたいなのがあったのでしょう。
かわいそうに。
しかたないことでした。
お腹の赤ちゃんを守るためには、そうするしかありませんでした。
辛くて怖い思いを十分すぎるぐらい皆様が経験しました。
地獄のような思いをされました。
いずれまた来るであろう大地震。
私には乗りきれる術があるのだろうか。