2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■再び、ありがとうございます

2007-08-31 | ■エッセイ


  7月1日にはじまった「東京1975→∞」、本日で丸二ヶ月が経ちました。この間、毎日の更新にお付き合いいただき、ありがとうございました。

  9月からは、誌面(画面)のリニューアルに取り組みたいと思います。一番簡単な方法はブログに写真をアップすること。当初、私は文章だけで考えを表明しようと思っていましたが、写真が入ることでその幅が広がると思います。

  2ヶ月の間、日曜日と夏休み以外は毎日書き続けましたが、9月からは「ほぼ毎日」ということになるかもしれません。ご容赦ください。

  これからも戯言書き続けますので、変わらずご愛顧のほどお願いいたします。

  筆主敬白
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■茶

2007-08-30 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  一昨日は天然水のことを書いた。今日はお茶の話。ペットボトルに入っているお茶が売れているらしい。「おーいお茶」(伊藤園)、伊右衛門(サントリー)あたりが売れ筋らしいが、今度JTから「辻利」という新製品が出る。

  創業萬延元年(1860年)、京都宇治の老舗「辻利」とJTの提携で発売されるもの。商品のラベルに刷り込まれているコピーによると、『初代「辻利右衛門」は幕末の専売品であった宇治茶が存亡の危機にある中、玉露を細仲(さいしん)・鮮緑(せんりょく)に仕上げ、今日の玉露製法を確立しました』。このコピーは、ここまでで4行半、そのあと7行半も続く! ペットボトルのラベルに記されているコピーとてつもなく長いのだが、何となく良いものであるような気にさせられる。

  ところで、お茶をテーマにしたオペラがある。タイトルは文字どおり「TEA」。中国を代表する現代音楽の作曲家(TAN DUN)の作品で、サントリー・ホールが委嘱したもの。

  物語の背景となる時代は唐。茶の心を伝える「茶経」をめぐる悲恋の物語で、中国(唐)の皇女と日本(倭国)の皇子が主人公という設定。

  私はこの公演をテレビ放映で見たが、打楽器を中心とした音楽が効果的で、とても面白かった。

  タン・ドゥンには他に「始皇帝」「マルコ・ポーロ」といったオペラ作品があるが、「グリーン・ディスティニー」「HERO」といった映画音楽のスコアも書いている。

  武満徹も映画音楽の名手だったが、ついにオペラを完成することなく逝ってしまった。そういえば、中世末期の茶聖・千利休を描いた映画「利休」の音楽は武満だった。監督は勅使河原宏、俳優陣は三國連太郎、松本幸四郎、中村吉右衛門…、考えてみると、グランドオペラを彷彿とさせる物凄いスタッフとキャストだった。

  (写真は、タン・ドゥン「TEA」の公演ポスター)
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■シンフォニア

2007-08-29 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)

  

  2007年9月から翌年6月までのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートスケジュールが届いた。   

  9月はバレンボイムと共にイギリスのプロムスに出演、ロンドン(2回)、ダブリン(1回)と公演をこなした翌々日には、スイスのルツェルン音楽祭で4日間の公演を行う。その後もEU圏内はもとより、ニューヨークのカーネギー・ホールでの演奏会が組まれるなど、相変わらずの東奔西走ぶりである。   

  日本人も大挙して押しかける正月のニュー・イヤー・コンサートの指揮は、ジョルジュ・プレートル。いよいよ御大登場である。   

  このスケジュール表で目を引いたのは、来年の3月29日と30日の定期演奏会プログラム、スウィングル・シンガーズとの共演で、ルチアーノ・ベリオの「8つの声と管弦楽のためのシンフォニア」が取り上げられている。   

  ベリオはイタリアを代表する現代音楽の作曲家。1925年に生まれ、2003年に没した。「シンフォニア」は1968年の作品。第2次世界大戦の後、世界が混沌に向かう頃に書かれた。初演のときから、声楽部はスウィングル・シンガーズだったと思う。1969年、私はスウィングル・シンガーズの来日公演を聞いているので(「シンフォニア」の演奏ではなく、彼らが本職とするジャズのコンサート)、その1年前に書かれた作品だと思うと、感慨深いものがある。   

  学生時代、イタリア文化会館に入り浸っていたおかげで、ベリオの作品はよく聞いていた。とくに、様々な楽器(声楽も含めて)のために書かれた「セクエンツァ」は、何度も聞くことになった。   

  ベリオの奥さんで、アルメニア系アメリカ人のキャシー・バーベリアンが来日したときも、西武劇場(いまのパルコ劇場)に駆けつけた。ここでも多くのベリオ作品が歌われたが、レノン=マッカートニーの「イエスタデイ」「ミッシェル」「涙の乗車券」の斬新な発想?にはたまげた。編曲はベリオだったと思う。   

  「シンフォニア」の第三章は、マーラーの「復活」のほかに、様々な音楽(バッハ、ベートーベン、ドビュッシー、ストラビンスキーなど)がコラージュされている。とりわけ、声部にはキング牧師の言葉や、パリの5月革命のときの学生の落書きなどが書き込まれている。   

  音楽は混沌を表明しながら、とてつもなく美しい。この美しさの意味が、未だに分からない。カオスを浄化する音楽の力とは? 

  (写真は、スウィングル・シンガーズ 現在のメンバー)

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■美しき天然

2007-08-28 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)

  「天然水」が流行している。天然水そのものをボトルに入れたもの、天然水を使用したビールなど、要するに、自然の水というだけの話なのだが、天然水市場は熱く燃えている。今日のコラムは、「天然水でいれた緑茶」というタイトルのお茶を飲みながら書いている。普通の味である。

  この天然という言葉、2007年の現在、どのくらい人の日常で使われているのだろう。まず、ピンと来るのは、「あの人は天然だよね」という使われ方。これは、あまり良い意味ではない。たいていの場合、天然の後には呆けということばがつく。さらに「あの人は天然記念物だよね」。これも良くない。

  昔はカラー映画のことを総天然色と読んだのだが、まさか、今どきはそんな表示見たことがない。天然ガス、天然ゴムなどというものもあるが、日常的に飛び交う言葉でもない。

  パチンコ屋の店頭、商店街の売り出し…、ちんどん屋さんの最も有名なテーマソングは「美しき天然」というタイトルである。このテーマ曲は、たいていの場合、サックスやクラリネットで退廃的な感情移入をもって吹奏される。私は子供のころから、この曲を聞くのが嫌で嫌で仕方なかった。今でも嫌いだ。自分の音楽的な感性とは、もっとも合わない類の曲である。気持ちが暗くなってしまい、思わず耳をふさぎたくなる。

  「空にさえずる 鳥の声 峯より落つる 滝の音…」という詩も陳腐。この曲が作られたのは1905年(明治38年)。いったい何故この曲が、明治~大正~昭和~平成と70年以上もの間歌い継がれ、ちんどん屋さんテーマ曲ナンバー1として君臨しているのだろう。多くの日本人は、本当にこの「美しき天然」という曲が好きなのだろうか?

  天然水でいれたお茶を飲みながら、少々、苦々しい話を書いてしまいました。「美しき天然」ファンの皆さん、失礼いたしました。

  

  

  

  

  

  
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■炎のランナー

2007-08-27 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  世界陸上の男子100メートル決勝を見た。アサファ・パウエルとタイソン・ゲイの一騎打ち!軍配はゲイに上がった。向かい風9秒85という記録。

  1964年東京オリンピックのとき、ボブ・ヘイズというアメリカの選手が、100メートルを10秒00という世界記録で走破した。それがどれほど早いものか? 当時、子供だった私たちには想像すらできなかったが、43年経った世界陸上の優勝タイムが9秒58だったことを考えると、やはりヘイズの記録は驚異的なものだったのだろう。

  玉木正之のこどもスポーツ研究室(http://www.spopara.com/sp/tamaki_child/008.html)では、このことについて、面白い解説をしている。1964年当時は、審判がスタートとゴールを彼自身の目で判断してストップウォッチを押していたので、現在のような機械に頼る判定とは、誤差があるというのだ。いわく、ヘイズの10秒00という記録にしても、今の技術基準に照らすと、9秒95から10秒44までの範囲での判定ということになるらしい。いずれにしても、1着とビリの差は、肉眼で見る限り「あっという間」である。

  ヒュー・ハドソンの映画「炎のランナー」では、限りなく美しく陸上競技が描かれている。さすがCM界の出身だけあって、映像のインパクトは抜群、しかもヴァンゲリスを音楽担当に迎えたことによって、この映画は世界的な成功を勝ち得た。「日曜は神の安息日。したがって神に仕える者は、日曜の競技で走ることはできない」。映画に登場するのは実在の人物だから、本当にこんなストイックな話があったのだろう。

  映画の冒頭、若者たちが無心に海辺を走るシーン。ヴァンゲリスの名曲に乗って、私たちの脳裏に一生焼きついている映像である。

  (写真は、亀倉雄策がデザインした東京オリンピックのポスター)

  
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■神亀

2007-08-25 | ■エッセイ
  
  ブルゴーニュを代表する二種類の白ワイン、ムルソーとモンラッシェ。共に私の好物だが、ギィ・ボカール ムルソー1996年を知人から頂いたので、早速飲んでみた。フランス・ワインにとっては黄金の1990年代、その代表格といえる1996年物も、今年で11才ということになる。

  当然、充分な飲み頃であるはずなのだが、それでもまだ、なんだか若い感じがする。ムルソーが醸しだすハニー香、その奥にある芳醇なバターのような香りが希薄だ。まさか、熟成にはもっと時間が必要なのだろうか? それとも、なんらかの作用で劣化があったのだろうか?

  欧州のワインは、船に積まれ、赤道を越えて日本に到着するかどうかで質の劣化が違うそうだが、日本で作られ日本で飲まれる日本酒にはそんな心配がない。

  日本酒とは純米酒のことである、というのが私の本音だが、専門家の立場からそれを援護してくれるのは、酒造界の生き字引・上原浩さん(「カラー版 極上の純米酒ガイド」光文社新書)。

  この本に、神亀・純米大古酒という物々しい名称の酒が出ている。上原さんの解説によると、「蔵内で20年以上熟成させた古酒。ハチミツ、アンズ、シェリー、ウィスキーなど、さまざまな香味を一瞬で連想させ、それでいて後味は澄んでいる。純米大古酒でしかあり得ない稠密で奥深い世界」というもの。

  この解説は、そのままブルゴーニュのムルソーを表す言葉として使えそうである。共に時間を経て熟成される酒。樽の中で長い間生きて来た水は、この世で人が長い間生きるための水である。

  神亀・純米大古酒を堪能できる店が東京にある。その詳細を知りたい方は、このブログに、その旨コメントを入れてください。折り返しお知らせします。

  

  
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■ラジカルな意志のスタイル

2007-08-24 | ■政治、社会
  
  「スーザン・ソンタグから始まる/ラジカルな意志の彼方へ」(光村推古書院)を読んでいて、興味深い箇所にぶち当たった。   

  この本は、2004年に世を去った作家/評論家、スーザン・ソンタグを追悼して、京都造形芸術大学RCES芸術編集研究センター(長いタイトル!)が開催したシンポジュウムの記録なのだが、その中にこういう件(くだり)があったのだ。これは知の連鎖に役立つ記述だった。   

  (浅田彰の発言)「ソンタグは旧ユーゴスラヴィア紛争の時に包囲下のサラエヴォに滞在し、本当は看護師かなにかで役に立ちたかったのを、お前は文化人だから文化をやれと言われて、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』の演出をした(中略)。その件で、フランスでフィリップ・ソレルスがちょっと嫌味なことを書いているんです。アメリカの高名な作家が、サラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を演出したようだけれども、あそこではもう日常がベケット的なんだから、むしろマリヴォーの『愛の勝利』でもやったらよかったんだ、と。   

  この件を読んで、すぐにフィリップ・ソレルスの「神秘のモーツァルト」のことを思い出した。   

  「いまのところ、部屋の窓から、もし雨さえ許せば外へ食事に行こうと待機しながら、ぼくは動きのある平らな水を、ドナウ河の黄金に変えられた泥を見ている。ドナウ河、またはライン河を、モーツァルト対ワグナーの対戦と名づけることができるだろう。蛇行する動きか防波堤か、予測できない田舎か、伯爵夫人かワルキューレか、『ドン・ジョバンニ』か『パルジファル』か、『コジ・ファン・トゥッテ』か『トリスタンとイゾルデ』か、ザルツブルクかバイロイトか(中略)。ヒトラーはウィーンが好きでなかった。ヒステリックな人間たちは、ウィーンを警戒する。なぜなら、そういう人の存在が、ひとりの催眠術の専門家、おおいなる性の眠りから最初に目覚めた男によってとうとう明るみに出されてしまったのが、ほかならぬウィーンだからである。ああ、フロイトは音楽を好まなかった。レーニンもまた。ならばどうして、あのすばらしいモーツァルト演奏家であるダニエル・バレンボイムは、エルサレムでワグナーを演奏することにこだわってイスラエル人を困らせたのか?なぜ彼らにモーツァルトを、なおもモーツァルトを捧げなかったのだろう?」   

  この叙述は、東京1975→∞の7月16日付けコラム、バレンボイム/サイード「音楽と社会」の中のエピソードに行き着く。そこからまたサイードの「戦争とプロパガンダ(9.11を読む)の連想がはじまる。   

  その連想は、ついにまた、スーザン・ソンタグに戻るのである。それはこういうこと。9.11の後、私はこの出来事の「解釈」に苦しんで、(悪い癖ながら)書物の中に解答(回答)を見つけ出そうとした。サイードの「戦争とプロパガンダ」、ジャン・ボードリャールの「パワー・インフェルノ」(この本の中で語られる『あれは、ツィンタワーの自殺だ』という言葉には震えた)、ノーマン・メイラーの「なぜわれわれは戦争をしているのか」、ジャック・デリダの「フィシュ」。そして、9.11の後、パリにいながら、誰よりも早く発言したスーザン・ソンタグ。健在なり、“ラジカルな意志のスタイル”。そうなのだ!右顧左眄なしに、即座に自らの意見を提示したソンタグのスタイル。   

  学生時代、ソンタグの「ラジカルな意志のスタイル」にあこがれたのは、書かれている中身のことばかりではなく、ある意味、このタイトルのインパクトの強さだったように思う。   

  ラジカルな意志のスタイル、やっぱりいいなあ。

  (写真はスーザン・ソンタグ)        
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■審判

2007-08-23 | ■文学
  
  高校野球の事は何も知らない。昨日、決勝試合が行われ、佐賀北高校という学校が優勝したらしい。毎年夏になると、高校生が必死になって野球をしている姿がテレビに映るので、これが高校野球というものか…と思いながら、漠然と画面を見ていることが多かった。

  今回の決勝戦では、相手チームの監督が、審判の判定に抗議するという出来事があったらしい。また、これは、高校野球では珍しいことなのだという。

  これだけ技術が進歩しているのに、スポーツの判定は、ほとんどの場合、相変わらず人の判定にゆだねられる場合が多い。フィギア・スケートの芸術点というものが最たる世界だが、野球のストライクやボールの判定も、そろそろ機械化したらどうかと思うことがある。

  サッカーもしかり。要するに、人の目と手による判定が行われるスポーツは、常に不平等を伴い、八百長を誘発する恐れがある。それほどに、我々が日ごろ目にするスポーツには、納得できない判定が多い。

  2000年10月、私はポーランドのワルシャワで、ショパン・コンクールの全貌を見た。音楽コンクールこそ、実体を掴むことが難しい芸術の評価を、(経験豊富といわれる)人間が下すものだ。

  私が投宿したのはビクトリア・ホテル。ワルシャワでは第一級の宿で、ショパンコンクールの審査員が全員泊まっていた。コンクールの受験者は、このホテルに寄りつくことさえ許されていなかったにもかかわらず、日本人の受験者の女性が、ビクトリア・ホテルの朝食ビュッフェにいる光景を何度も目撃した。

  あの時は、毛皮に身を包んだ金持ち風中国人がワルシャワの町を闊歩しており、結局のところ、ショパン・コンクールそのものが、中国と日本の学生に占拠されたような印象があった。実際、一位と三位は中国の学生だった。

  野球もピアノも、スケートも文学も、人が人を評価(検定)するものは、なかなか胡散臭い。生涯、とうとう芥川賞をとることができなかった太宰治の手紙(佐藤春夫、井伏鱒二宛)は、このことを胸が詰まるほどに訴えかけてくる。

  太宰を芥川賞に選ぶことがなかった川端康成は、選評にこう書いた。「この二作は一件別人の如く、そこに才華も見られ、なるほど『道化の華』の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みがあった…」

  これに対して、太宰は文藝春秋に次のように反論した。「お互いに下手な嘘はつかないことにしよう。私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であった。これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたように思われます」。

  スポーツの場合、審判員の判定は反論の余地がないらしい。だから、わたしは、スポーツより文学の方が好きだ。文学の判定も覆られないものなのかもしれないが、少なくとも審判を受ける人間と判定する人間の位置は水平である。『あなたの文章を本屋の店頭で読み…』、川端の書いたものなど、立ち読みで十分!なんとカッコいい反撃!

  

  
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■私の好きな歌ー2 「オンブラ・マイ・フ」

2007-08-22 | ■私の好きな歌
  
  昨日のコラム「夏の歌」の中で、イギリスに有名な作曲家は数少ないと書いてしまったが、ヘンデルのことを忘れていたことに気づいた。

  ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年、ドイツのハレに生まれた。ヨハン・セバスチャン・バッハと同じ年、しかもバッハより1ヶ月年長である。2人ともドイツ・バロックを代表する作曲家だが、生涯ドイツを出ることがなかったバッハに比べ、21歳でイタリアに渡り、後半生はイギリスに帰化したヘンデルの方が活躍の軌跡は派手だ。

  バッハがドイツのライプツィヒで、10数人編成の合唱団の増員に関して、何度も市議会に陳情しなければならなかったのに対し、ヘンデルはイギリスの地で、良くトレーニングされたコーラス数百人を自由に使うことができた。

  有名なヘンデルのオラトリオ「メサイア」の中の「ハレルヤ・コーラス」は万人が知っている曲。ハーレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!ハレールヤ!という発声はワクワクするような高揚感にあふれている。

  ヘンデルの作品の中で、よくテレビのコマーシャルなどに使われるのは、「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」など。とりわけ、オペラ「クセルクセス」からのアリア「オンブラ・マイ・フ」は、ニッカ・ウィスキーのCFで話題になった。純白のドレスに身を包んだソプラノ歌手、キャスリン・バトルが、見事なライト・ワークに輝く緑地でこの歌を歌う。音楽作品、歌手、映像が三位一体となって、商品の透明感を演出する。バロック音楽は、300年経ってなお、何故これほど易々と現代の空気にマッチしてしまうのだろう。

  ドイツに生まれ、イギリスに帰化したゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルの墓は、ロンドン・ウェストミンスター寺院の中にある。墓碑銘は英語読みでジョージ・フレデリク・ハンデルである。

  (写真は「オンブラ・マイ・フ」を歌うキャスリン・バトル)  
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■夏の歌

2007-08-21 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  昨日は虫の声に誘われて、ついつい秋の話を書いてしまったが、今日はまた何という暑さ! 「九月の雨」「枯葉」などという詩情に思いを寄せている余裕はなくなった。

  夏休みに入る前のコラムで、中田喜直の「夏の思い出」について書いた。今日は、イギリスの作曲家の話。

  西洋音楽の世界では、ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどの国が有名な作曲家を輩出しているが、イギリス生まれの作曲家となると、なかなか名前が浮かんでこないだろう。とりあえずは「青少年のための管弦楽入門」のブリテン、「威風堂々」で有名なエルガーあたりだろうか。他にはティペット、ウォルトンなどという作曲家もいるが、日本で有名とは言いがたい。もっとも、イギリスには、ポール・マッカートニーとジョン・レノンという稀代の旋律作家(メロディー・メーカー)がいるのも事実。モーツァルトやベートーベンに比肩できる大作曲家たちである。

  フレデリック・ディーリアスという作曲家をご存知だろうか? 1862年イギリスはヨークシャー州、ブラッドフォードの生まれ。裕福な羊毛業者の子でありながら、父に反発して音楽の道を志し、ドイツ・ライプツィヒに渡る。1897年、パリで女流画家と結婚したのち、近郊の村、グレ=シュール=ロワンに移り、広い庭園つきの家で隠遁生活を送った。

  この人の作品には何故か夏をテーマにしたものが多い。狂詩曲「夏の庭園にて」、「川の上の夏の夜」「夏の歌」…。これらの音楽は、それぞれが一幅の絵画を思わせる色彩感にとんだ仕上がりで、とりわけ同じイギリスの画家、ターナーの作品を連想させる。

  私はとくに「夏の歌」が好きだ。ディーリアスの作品の多くは、グレ=シュール=ロワンで書かれている。グレ=シュール=ロワンとはロワン河畔のグレという意味。行ったことも見たこともない場所ながら、その辺りの大気の香りまでがはっきりと感じとれるような楽曲である。

  おそらく、それほどに音楽が自然に包まれた、たおやかな時の流れに寄り添って書かれているのだろう。やがて、行ったことも見たこともないロワン河畔への連想は、彼の国イギリスの、われわれがよく知る田園風景へと変化していく。

  「夏の歌」を書いたころ、ディーリアスはすでに失明と四肢の麻痺に襲われていた。絶望に沈む作曲家の目となり手となって作品を完成させたのは、イギリスの音楽青年エリック・フェンビーだった。

  フェンビーに対して、ディーリアスは「夏の歌」が描く映像の世界を次のように説明したのだという。

  「われわれは、ヒースの生い茂る断崖の上に腰を下ろして、海を遠望するとしよう。高弦が持続している和音は、青く澄んだ空とその情景を暗示している…曲が活気を帯びてくると、君はバイオリン群に現れる、あの音型を思い出すだろう。わたしは、波のおだやかな起伏を表すため、その音型を導入しておいたのだから。フルートが、滑るように海の上を飛んでゆくカモメを暗示する…冒頭のテーマは、曲の最後にも現れて、やがて静謐のうちに終結に向かってゆく」(三浦淳史さん訳=一部改ざん)

  ディーリアスには他に、「春初めてのカッコウを聞いて」という美しい題名をもつ曲もある。機会があったら、ぜひディーリアスに親しんでみてください。

  (写真はロワン河畔)

  

  
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■枯葉

2007-08-20 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  夏祭りの喧騒が去り、いつの間にか朝夕には虫の声が聞こえるようになった。少し早いが、今日は秋の話。

  秋をテーマにした歌には名曲が多い。特に「オータム・イン・ニューヨーク」や「セプテンバー・イン・ザ・レイン」はジャズの名曲中の名曲である。後者は、「九月の雨」と日本語で呼んだほうが、詩的な奥行きが出て、私は好きだ。

  ジャズの名演奏で知られる秋の名曲の中では、なんといっても「枯葉」が一番だろう。ビル・エバンスの歴史的アルバム「ポートレート・イン・ジャズ」の中での「枯葉」は、夭折したベーシスト、スコット・ラファロとのインタープレイが出色で、ジャズの名盤選には必ず登場する逸品である。

  「枯葉」は、もとはといえばシャンソンの名曲。ジョゼフ・コスマ作曲、ジャック・プレヴェール作詩という豪華な布陣だが、私は、この二人の名をスクリーンの上に見つけて驚いたことがある。

  今から30年くらい前のこと、アテネ・フランセで映画会があった。上映された作品は、フランスを代表する名画「天井桟敷の人々」である。マルセル・カルネが1945年ドイツ占領下のフランスで撮影を敢行した大作。この映画の脚本がプレヴェール、音楽がコスマという「枯葉」コンビだった。

  コスマの音楽もさることながら、プレヴェールの脚本は全編にわたって彼の詩人魂が横溢している素晴らしいもの。ジャン・ルイ・バローやアルレッティ、ピエール・ブラッスールら、フランスを代表する俳優の口をついてほとばしる台詞は、名優による詩の朗読を聞くようで、まさに娯楽性と芸術性が完璧に共存している稀有の映像作品といえる。

  「枯葉」といえばイブ・モンタンやコラ・ボケールの名唱が有名だが、同じシャンソンの中に、「枯葉によせて」という作品がある。今でいうチョイ悪オヤジの元祖のような男、セルジュ・ゲンズブールが詩と曲を書いたもので、原題は「Chanson de Prevert」。枯葉の作詩者、ジャック・プレヴェールへの哀惜を切々と歌う名曲である。自作自演も素晴らしいが、ジュリエット・グレコ、コラ・ボケールの名唱も忘れがたい。やはり、美しく発音されるフランス語の響きは、何よりも詩と歌に向いているのだろう。特に愛を歌う言葉に…。

  (写真はセルジュ・ゲンズブール)

  
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■夏休み

2007-08-13 | ■エッセイ
  
  平素からお読みいただき、ありがとうございます。本日より、夏休みをいただきます。20日(月)には復帰する予定です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

しばらくの間、画面をご覧ください。皆さまに花火のプレゼントがあります。
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■望郷

2007-08-11 | ■エッセイ
  
  お盆の帰省ラッシュがはじまった。各地の高速道路は車であふれ、新幹線や飛行機もほぼ満席という状態だ。毎年くりかえされる風景。

  東京で生まれて東京で育った私には帰る故郷というものがない。もちろん東京が故郷であると言えば言えるのだが、いわゆる望郷の念がわきおこるのは海外にいるときだけ。故郷の山河を懐かしむという経験もない。

  「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川…」この詩ではじまる「故郷」という歌、『兎追いし』の部分を『兎美味しい』に聞き間違えるといけないので、学校で児童に歌わせないようになった、という冗談のような話を聞いたことがある。

  今もそんな馬鹿げた事態が続いているのかどうかは分からないが、これほどの名曲が、それほどにくだらない事情で、子供たちの唇から消えてしまうのは許しがたいことだ。

  「故郷の 訛なつかし停車場の 人ごみの中に そを聞きにゆく」石川啄木である。昔、オーディオドラマを制作していた頃、NHKの演出家に面白い話を聞いた。ざわざわしている人ごみを表現する効果音(これを専門用語で “ガヤ” という)、日本人が出演する海外作品のドラマ化の場合、登場人物たちの台詞は日本語であっても、ガヤに関してはその作品の舞台となる国の言語でないと様にならないということだ。ドストエフスキーであればロシア語、モーパッサンであればフランス語、ディケンズであれば英語といった具合。これは、実践してみてそのとおりだと感心した。

  望郷の歌と呼べるかどうかはともかく、私は次に記す寺山修司の作品が好きだ。コートの襟を立てた寺山が、漆黒の闇の中、彼方に霞む漁り火に向けて呟いた歌だと勝手に解釈している。

  マッチ擦る つかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

  (本文とは何の関係も無いが、今回のタイトルにあわせて、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演のフランス映画「望郷」のDVDフロント・カバーを載せた。1937年の映画だが、原題は「ペペ・ル・モコ」。ジャン・ギャバン演じるペペはフランスの大泥棒。アルジェのカスバに逃げ込み、フランス警察も手が出せない。ペペをカスバの迷路から外へ出すために、フランス警察は一計を案じる。それは、ペペにフランスへの強い望郷の念を抱かせることだった…)。

  

  

  
  

  
  
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■夏の思い出

2007-08-10 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  この頃、会う人毎にくり返される挨拶。「暑いですねえ!」。

  冷房を効かせた部屋から出たくない毎日が続くが、これは健康にもエコにもよくない。それを聴くと涼しくなるような音楽はないものか?

  中田喜直の「夏の思い出」には、炎天下から木陰に入ったとたん、さぁーっと風を感じるような涼感がある。

  とくに中間部、「水芭蕉の花が…、咲いている…、夢見て咲いている水のほとり」という詩が、絶妙の間をもって歌われると、そこには涼しげな一陣の風が吹きわたるようだ。

  この歌からは、どうみても、真っ黒に日焼けして、汗だくになったひとの姿は想像できない。西洋音楽の文法を基にしながら、日本人の感性を静かに歌った名曲である。

  中田喜直には、この歌のほかに、「小さい秋みつけた」「雪の降る街を」といった傑作がある。しかし、最後まで春の歌は書かなかった。

  喜直は、父・中田章の代表作「早春賦」に敬意を表して、春の歌を書くことはなかったのだという。これもまた、清々しく、涼しげな話題ではある。

  (写真は水芭蕉の花)
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■自転車旅行

2007-08-09 | ■エッセイ
  
  昨日は、敬愛する先輩と新橋に行った。今日は、敬愛する友人と行った。2日続けての新橋、昨日はブログに書いたとおり日本酒のソムリエが居る高級和食店、今日は、友人との割り勘が似合う居酒屋だった。

  夏休みの話題。君はいつ夏休みをとるの?という私の問いかけに、彼は、9月に入ってからかなあ?と答えた。何でも、彼の次男坊が自転車旅行に出て、彼の故郷、九州に到着するのが9月初旬、これに合わせて,息子の九州到着を迎えようというもの。

  次男坊の道程は、さぞかし、サイクリング姿に身を固めてのものと思いきや、なんと「ママ・ちゃり」での走行。これは、造語だが、まさしく走行ではなく、凄行と呼びたい驚きであった。

  次男坊は、すでに京都への往復自転車旅行を、ママ・ちゃりで実現したツワモノだが、何分にも友人の息子のやること、今回も、旅の無事を祈るのみだ。

  自転車といえば、天安門広場を駆け抜ける車軸の列、それを活写した映像が忘れられない。民衆の、無限のエネルギーを表出する風景。堤清二(辻井喬)は、天安門広場を走る自転車の駆動力を、デンマーク・ルイジアナ美術館に展示されているオルデンバーグの車輪のオブジェに同化させて、見事なエッセイに昇華させていた(70年代の日経新聞)。

  そして、ビットリオ・デジーカの「自転車泥棒」。自転車が主人公であると言えるような映画だが、自転車一台が人生をも変えてしまうほどの「格差社会」を目の当たりにすると、ついつい、我々も昭和時代を思い出してしまう。

  天安門広場の自転車、デシーカの自転車、ともに民衆の潜在的なエネルギーを担うオブジェとしての存在だったが、これとは逆に、ツール・ド・フランスに登場する自転車は商業主義を標榜する走る広告塔として、私たちの前に現れる。

  私は、ツール・ド・フランスに夢中になっていた時期がある。ベルナール・イノー、グレッグ・レモン、ローラン・フィニヨン、ベドロ・デルガドらが活躍した80年代である。

  ピレネー山脈を疾駆するロード・レーサーの姿にあこがれた私は、イタリアの自転車記録保持者、フランチェスコ・モゼールの名を冠した自転車を購入し、休日のたび、大井埠頭を駆け回っていた。もちろん、スピードメーターも設置して…。

  今も、その自転車は家にある。しかし、私にはそれを駆動させる勇気がない。フレームが一般的なサイズより一回り大きいもので、駆動するにはかなりの体力を必要とする。

  ふと、思い出して書棚に目をやると、「ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく」という本が目についた。マイヨ・ジョーヌとは、ツール・ド・フランスで与えられる最高の勝者の称号、黄色いジャージのことである。

  この本は、単なるレース本、自転車本ではなく、かなり重い読み物だ。この話は、別の機会に譲ろう。今年のツール・ド・フランス、相変わらず薬物疑惑(ドーピング)が、試合結果を不透明なものにしているらしい。

  やはり、ママちゃりで、900キロをこえる地平を駆け抜ける青年の純粋な精神こそが、根源的な銀輪のロマンである。自転車少年だった私にはそれが良く理解できる。友人の次男坊が無事に九州に到着したときの話で、私たちはまた新橋で出会い、つかの間、今日のように幸せになれるのだろう。

  (写真はツール・ド・フランス2007風景)

  
コメント
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