2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■海辺のカフカ

2008-10-08 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
■(C)Taku

  緒形拳さんが亡くなりました。ご本人を間近に見たのはシアター・コクーンで上演したベケットの「ゴトーを待ちながら」。共演は串田和美さんでした。

  去年の大河ドラマ「風林火山」では、唾を飛ばして大げさに絶叫することでしか戦国武将を表現できない俳優たちの中で、ただ一人、自然体の演技を貫き、それがとてつもない存在感に結びつく至芸を見せてくれました。

  緒形さんの訃報に接し、彼の芝居のことを考えていたとき、朝日新聞の文化欄に、シカゴで上演された「海辺のカフカ」に関するリポートが載っていました。書き手は演劇プロデューサーの仙石紀子さんです。

  記事を要約するとこのようになります。「斬新な作品をつくり出すことで有名なシカゴのステッペンウルフ劇団が村上春樹の『海辺のカフカ』を翻案して上演した。何もない舞台はブルー一色で、海底か心の奥底の深さのようで神秘的である。舞台は原作とほぼ同じく、カフカ少年とナカタ老人という2人の挿話が交互に進められていく」。

  最初で最後、本物の緒形拳さんを舞台で見た「ゴトーを待ちながら」も、ヴラジミールとエストラゴンという2人の会話が話の主体となります。彼ら2人は何故ゴトーを待ち続けるのか、いったゴトーとは何者なのか…?「海辺のカフカ」のナカタ老人を緒形さんが演じたらどんなふうだったのか?『戦中の集団疎開で事故に遭い記憶を失った』ナカタ老人を緒形拳さんが演じたら…。

  そして「海辺のカフカ」を上演したステッペンウルフ劇団!ステッペンウルフ=荒野の狼(ヘルマン・ヘッセ)。荒野の狼と緒形拳、そのイメージの不思議な符合。仙石紀子さんが書いた記事が村上春樹氏の演劇を扱っていながら、私には、その行間に緒形拳さんのイメージが浮かんできて、思わずドキッとしました。

  明日はノーベル文学賞の発表日。果たして村上春樹さんは…?。サミュエル・ベケットがノーベル文学賞を受賞したのは今から約40年前、1969年のことでした。

  

  
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神の目

2008-10-05 | ■エッセイ
■(C)Taku

  先週は仙台で一泊したあと、翌朝の飛行機で大阪へ向かいました。仙台の夜は、18年ぶりに再会した音楽仲間たちと大いに盛り上がりました。とはいえ、翌日の大阪では大きなビジネスが待っていたので、二日酔いを招く深酒だけは厳に慎みました。

  それが功を奏したのか、心も体も、さらには天候までもが絶好調の朝を迎え、飛行機は定刻どおりに大阪へ向けて離陸しました。

  シートベルト着用のサインが消えて機内サービスがはじまり、一息ついたところで、晴天の眼下には日本列島の姿がはっきりと現れました。

  秋の朝日に輝く山々の連なりをぼんやり眺めていると、ついに現れたのは威風堂々とした富士山のシルエットでした。一等群を抜いて屹立する富士の稜線のなだらかさ、滑らかさ…、その造形の美しさは自然の創造物だけに許された、いっさいの作為を超える奇跡的なフォルムとしか言いようがありませんでした。

  紺碧の空と海、天と地のはざ間に聳え立つ霊峰、そして、その周りをちぎれて飛ぶ白い鰯雲…、これが神の視点なのだろうか?もし創造主が天に棲むとしたら、これがその視点なのだろうか?

  私を乗せた飛行機は、好天の中をとてつもない速度で西へ進み、今度は杜の中にさまざまな形をした古墳や塚が現れました。古代人の手による巨大な造形物。典型的な前方後円墳とその周辺にある水場のコントラストの美しさ!これを造形した古代人は神の目を持っていたのだろうか?天からの視点、創造主の視座がなければこの造形は生まれないのではないだろうか?

  大阪~博多~大阪~仙台~大阪とつづいたこのひと月間の仕事の旅は、ようやく終わりました。昨日はついに過労で倒れ、一日寝ていました。今日も家で休んでいます。このブログを書きながら窓の外、空いっぱいに広がるいわし雲を眺めています。昔の漁師たちは、鰯雲を大漁の知らせとして空を仰いだと言います。今日もまた、高度一万メートルの彼方を、ゆっくりとした速度で、静かに、穏やかに、たくさんの鰯雲が流れていきます。

  

  

  

  

  

  
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