2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

マリオ・ジョアン・ピリス

2009-04-28 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  NHKのスーパー・ピアノ・レッスンで素晴らしいレクチャーを披露してくれたマリオ・ジョアン・ピリスのコンサートが、すみだトリフォニーで行われました(4月22日)。

  ショパンの3番のピアノ・ソナタを軸に、晩年に書かれた、いわゆる傑作の森と称される時代の作品が並びました。グラズノフがチェロとピアノの演奏版に編曲したエチュードの19番、マズルカ ト短調 作品67-2、イ短調 作品67-4、へ短調 作品68-4、そしてチェロとピアノのためのソナタと、フランツ・リストの悲しみのゴンドラ。

  ショパン晩年の作品が並んでいるばかりでなく、リストがワグナーの死を予感して書いた悲しみのゴンドラまでが選曲されていると、演奏会全体が何か追悼の儀式のように見えてきます。

  演奏がはじまる前の会場には、曲と曲の間の拍手はしないように…とのアナウンスが流れ、当日のパンフレットには次のように書かれたチラシがはさみ込まれていました。

  マリア・ジョアン・ピリス・プロジェクト in Triphony Hall 2009 ご来場の皆様へ

  第1夜:ショパン・プログラムについて

  今晩マリア・ジョアン・ピリスとパヴエル・ゴムツィアコフは、フレデリック・ショパン(1810-1849)の亡くなる3年前に作られた作品を演奏いたします。プログラムの中では、作曲家の天性の楽器であったピアノのソロ作品と、ショパンが作曲した数少ないそして最後の室内楽作品チェロとピアノのソナタop.65などが交互に演奏されます。
   
  プログラムの中には、ポーランドの作曲家ショパンの作品でないものが一曲だけあります。あの巨匠フランツ・リスト(1811-1886)の「悲しみのゴンドラ」S.134です。19世紀後半のピアニストとして、また典型的なロマン派の作曲家として有名です。マリア・ジョアン・ピリスとパヴェル・ゴムツィアコフは、特別にこの曲をショパンへの賞賛として選びました。そのような思いで作曲されたわけではありませんが、偉大なる芸術家の死に対する遺憾の思いが確かに伝わってきます。
   
  今晩の最後の曲はマリア・ジョアン・ピリスの演奏で、ショパンが最後に書いたマズルカ op.68-4になります。この曲はまさにこの作曲家の最後の作品です。演奏家は演奏後、天才作曲家の見事な“声”に敬意を表して沈黙を致します。アンコールはありません。ショパンの音楽が私たちの記憶と心の中にいつまでも響きますように。

  (つづく)
   
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俳句の会 (拾遺)

2009-04-20 | ■俳句
  
  当日の選にもれました句は以下のようなものでした。

  木蓮を マグノリアと呼ぶ オーガスタ

  春昼の 時を測るは 水時計

  赤潮に 浅蜊も泣くや 温暖の海

  オーガスタは言うまでもなくマスターズの舞台。句会の当日早朝までテレビ放映が続いていたので、つい、この一句が出た次第です。

  水時計は砂時計の水バージョン。単に音の面白さで浮かんだのですが、調べてみると江戸時代に実在していたようで、何ともおっとりした感じが春の昼の風情にぴったりではありませんか?

  ラストの一句は環境問題を取り上げたもの。

  というわけで、私の人生初の句会は終わりました。次回は5月、またご報告いたします。

  
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俳句の会(連載第3回)

2009-04-16 | ■俳句
■アドレア海 Photo by 白龍

  この日、わたしは喉を痛めていて、ほとんど声が出ない状態でした。句会というものが、声に出して句を詠むであろうことは予想していましたが、まさか他人様の句を、しかも六句も人前で披露することになるとは思ってもいませんでした。

  潰れた声で、何とかかんとか推薦と特選の六句を詠み(人の句を披露するときは読むなのかなあ?今度、先生に聞いてみます)、特選の選評をしました。私が特選にしたのは席題の鉄を詠んだ一句ですが、他人様の句を了解も得ずに掲載するわけにもいかず、選評の骨子だけを記しておきます。

  『私は音楽を生業としていますが、この句には音楽を感じました。それと同時に、本来であれば温もりの中、まどろむような時間が流れている春の昼時に、突如として黒く錆びたシルエットをたたえ、朽ちていく途中の鉄工場が見えて、ギクリとしました。何だか昭和から平成への時代の流れのようなものも感じました』。

  そのような選評を述べたところ、先生から「よい選評である!」と褒められました。

  その後、私の左側に座っていたお二人から、残念ながら私の句は選ばれませんでした。

  最後に先生の選が披露され、特選こそ逃したものの、次の二句を取り上げてもらえました。

  砂浜で 浅蜊夢見る アドレアの海

  鉄の意志 辞職を決めた 春の朝

  二句目は意表をつく句であったらしく、皆さんにかなりウケてました。先生いわく、春の朝は春の昼(要するに季語の春昼をもってくる)の方がよいとのこと。たしかに時間の流れが感じられて、スケール感がでる気がします。

   ついでなので、せっかく用意したにもかかわらず選にもれてしまった句もご披露しておきますが、これは明日のお楽しみということで…!(つづく)

  
  

  

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俳句の会 (昨日のつづき)

2009-04-15 | ■俳句
  
  句会に集まったのは先生を入れて九名、女子三名、男子六名という構成で、私は当然のことながら末席に座を占めました。

  句会が始まり、いよいよ各自が推薦五句、特選一句を選ぶ時間となりました。静けさの中に、あちこちで独り言のようなうめき声が洩れてきて、会の緊張は一気に高まっていきます。

  昨日ブログに記した季題と席題をおさらいしておきましょう。季題とは事前に知らされているもの、席題とは当日はじめて提示され、その場で即興にて詠むものです。

  季題:木蓮(もくれん)、浅蜊(あさり)、春昼(しゅんちゅう) 席題:鉄

  「そろそろよろしいですか?」という先生の声がかかり、各自の審査は終わりました。うめき声は軽い談笑に変わり、場の緊張がほぐれかかったのもつかの間、発表がはじまると、辺りは再びおごそかな静けさに包まれていきました。発表は先生の左隣の人から時計まわりに始まりました。

  『おーっ!選ばれた!』と私は心の中で叫びました。最初の選者による推薦句の第一句は私の詠んだものでした。

  クリムトの 接吻がつづく 春の昼

  幸先よいスタートでした。しかし、その後、四名の方から私の句が挙げられることはなく、いよいよ私の選を発表する番になりました。(明日につづく)

  
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俳句の会

2009-04-14 | ■俳句
  
  今日はリー・ヘイズルウッドのつづきを書くはずでしたが、昨夜、私が体験した人生初の出来事を記します。

  人生で初めて句会というものに出ました。1社につき1名限定ということで、出版社、広告代理店、映像制作会社、アロマ・デザイナー、落語家、俳優、監督、プロデューサーなどなど、多彩な人たちがメンバーになっています。私はすでに数年前からメンバーとして名を連ねていたにも関わらず、毎月句会の案内をもらうだけで、一度も出席したことがなかったので、正式に会員として認められてはいませんでした。

  今回出席を決めたのは、この3月にフリーの身となり、社会との関係性がどんどん途絶えていく現状に直面して少々焦りを感じたことと、ストレスから解放されて精神的に余裕ができた時期に、俳句などという優雅なたしなみを身につけるのも良いのではないかと考えたからです。

  句会は大俳人のひ孫である先生を中心にとり行われるのですが、出席者には事前に季題が三つ提示されます。この季題をもとに五句用意して臨み、さらに当日、先生から提示される席題をもとに一句詠みます。

  合計ひとり当たり六句、これを短冊に筆でしたため、各自が同じ箱の中へ投じてバラバラにミックスし、誰の句かわからないようにします。つぎに箱の中からランダムに各自が六~七句程度の短冊を選び、それを半紙に筆でしたためます。これで審査の土台ができます。

  今までの作業で、各自が事前に用意してきた五句、当日詠んだ一句が、順序も脈絡もなく他の人の手によって他の句に交じって半紙に記されたことになります。この半紙を回覧しながら、今度は自分自身が気に入った句(自選は不可)を半紙に記していきます。

  この作業の次にいよいよ各自の審査結果発表となります。各自が気に入った句、この中から五句を推薦、一句を特選として発表し、特選については選評を述べます。これはスリルに満ちた瞬間で、場合によっては誰一人自分の句を選んでくれない可能性もあるのです。

  今回の季題は、「木蓮」「浅蜊」「春昼」。席題は「鉄」でした。つづきは明日のブログのお楽しみ。

  
  

  
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サマー・ワイン

2009-04-13 | ■私の好きな歌
  
  中山康樹さんの新著「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」を読みました。表題のミック・ジャガーをはじめ、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョンなど、60歳をこえたミュージシャンたちが、今なお果敢に前進しつづけている姿が描かれていて、とても面白い内容でした。

  過去のヒット曲を越えられない、全盛期の勢いはもうない…しかし、ローリング・ストーンズは2006年に新作のワールドツアーを敢行、ディランはいまだにツアーを継続中という具合に、とうに還暦を過ぎた“老ロッカー”たちのタフネスぶりには目を見張るものがあります。

  その中で、久しぶりに思い出した名前が、リー・ヘイズルウッド。この本の中では5人目、「勇気あるラストメッセージ」という章に登場します。

  フランク・シナトラの娘、ナンシー・シナトラが「サマー・ワイン」という歌をヒットさせたのは1967年のこと、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が世に出た年です。

  当時、私は中学生でしたが、毎晩聞いていたラジオの深夜放送で「サマー・ワイン」のレコード盤がくり返しかかっていて、いつの間にか曲の出だしをそらんじるほどになっていました。

  Strawberries, cherries and an angel's kiss in spring. My summer wine is really made from all these things...

  英語が分かりかけてきている年頃ですから、この歌詞には、じつに不思議な印象をもったものでした。それと同時に、若いナンシーの声にからむオッサンのダミ声が強烈なインパクトで、素直にすくすくと伸びようとしている若いアメリカ人女性を、手練手管のワル男が悪の道に引きずりこもうとしているようで、私ははらはらして聞いていたものでした。

  放送では、ナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッドのデュオという紹介があり、私は頭の中で勝手にリー・ヘイズルウッドという男を、悪役として位置づけていました。

  それから長い間、彼の名前は忘れていました。じつに40年近い間、忘れていました。今回、この本に出会い、リー・ヘイズルウッドという人が何ともカッコいいオッサンであることが分かりました。

  つづきは明日のブログにて…。
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歯を大切にしましょう!

2009-04-12 | ■エッセイ
  去る3月11日に歯を抜きました。左の上の一番奥、すでに右の下の一番奥も数年前に抜いているので、普通の人の歯の数よりも私は2本少ないということになります。

  歯石や歯垢がたまり、歯周病が誘発されて歯を抜かなければならない事態になることは皆さんご存じのとおりですが、私の場合は普通の人よりも歯並びが悪く、歯周病になる危険度がかなり高いのです。

  それはともかく、歯を抜いたついでに、今のところ何とか生き延びている他の歯も同じ運命をたどらないように、抜歯の日以来、週に一度、歯の清掃をしています。

  歯石や歯垢を清掃したことのある方はご存じでしょうが、この作業はけっこう痛みを伴います。とくに、歯石ポケットが深い場合は、専用の器具を歯本体と歯肉の間に差し込んでグリグリとエグルので、気絶しそうな痛みが走ることもままあります。

  先週の金曜日、広く美しく清潔で見晴らしがよい大崎の歯科の椅子に座りながら、私は恒例の口内清掃(校内清掃という言葉は懐かしい!)を受けていました。「今日は少し深いところをきれいにしますので、お痛みがあったら左手を挙げてください」という優しい看護師の声を聞きながら、『なぜ左手なのだろう。右手を挙げたらいけないのだろうか…?』などと思いつつ、なんとか痛みから気を紛らわせようとしていました。

  それから数分経ったでしょうか?「痛かったですか?」という声で、ふと我にかえりました。私はいつの間にか眠っていて、自分のイビキに気づき、飛び起きたところを、痛くて飛び上ったと看護師が錯覚したらしいのです。『いや、大丈夫です』と涼しくやり過ごしたものでしたが、実にその後、2回も同じ現象が起きました。

  つまり、私は口内清掃の間、ほぼずっと眠っていたのでした。こんなことは、長い歯科通院歴の中で初めてのことです。麻酔もかけられていないのに、歯科の椅子で歯と歯肉の間をほじくられているのに寝る人がいるのでしょうか?

  歯はともかく、私は自分が少しおかしいのではないかと心配しました。その日はマスターズの1stラウンドの日、朝5時からの放送が待ち切れず、4時に起きてしまったので、夕方には眠くなるのも無理ないのですが、いくらなんでもあんまりだと思いました。

  「今日は、だいぶお疲れのようですね」と看護師が言うので、『何で分かるんですか?』と聞き返すと「歯茎の色が赤くなってますから。人は疲れると歯茎の色がこんなふうになるものです」と返してきました。私が自分のイビキで飛び起きた3回ほど、そのすべてが私が痛みで飛び上がっていると思っているとしたら、何だか申し訳ないような気になりました。

  また、今週の木曜日に歯科へ行きますが、今度は寝ないようにしようと思います。

  
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マスターズ開幕

2009-04-11 | ■エッセイ
  
  いよいよ今年のマスターズが開幕しました。注目はタイガー・ウッズの復活と17歳・石川遼のメジャー初挑戦。

  マスターズは、全米、全英オープンとならぶ世界三大メジャーのひとつですが、毎年同じコースで開催されるのが特長です。

  オーガスタナショナルゴルフクラブ、このコースの景観の美しさは並ぶものがなく、特に今の季節はアゼリアの花が咲き誇り、木々は深緑の葉をつけてまばゆい輝きを見せています。選手たちにとっては大敵となる池やバンカーも、私たちギャラリーに見せる表情は優しく、フェアウェイを吹き渡る風の色までが見えるような美しさです。

  本日2日目、石川遼は残念ながら予選を通過することができませんでしたが、世界最高の舞台で、世界最高のプレーヤーと共に闘った経験は何物にも代えがたいものだと思います。

  何より驚くのは、彼が小学校の卒業文集に「将来の夢:20歳でマスターズに優勝」と書き残していること。この言葉から、たった5年で少年はマスターズへの出場を現実のものとしました。あるいは、あと3年のうちにこの優勝という言葉が現実のものとなるかもしれません。

  2日目を終えて、世界屈指のプレーヤーたちの名前がスコアボードの上位に並ぶようになってきました。上位には片山晋吾、そして今田竜二も何とか1オーバーで予選を通過してきました。テレビ放送の時間に合わせると、明日は午前4時半起き、明後日の最終日は3時半起きということになります。世界最高の夢舞台、しばらくの間、心地よい夢の中でまどろむ日々が続きそうです。
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メロディ・ガルドーの最新作

2009-04-09 | ■私の好きな歌
  Melody Gardot(メロディ・ガルドー)のニュー・アルバム、My One And Only Thrill(マイ・オンリー・スリル)を聴きました。

  メロディ・ガルドーといえば、不慮の交通事故によって一年間の寝たきり生活を送り、視覚・聴覚・記憶に障害を負いながらも、曲を作るというリハビリ=音楽療法で症状を好転させた奇跡のシンガー・ソング・ライターです。

  ひっそりと、語りかけるように始まる彼女のヴォーカルに、ビンス・メンドーサのアレンジによるストリングスが絡み合い、抑えた叙情が静かに醸し出されます。彼女が好きだというボサノバ・フィーリングの曲なども楽しく、全体的に都会的なセンスがあふれる仕上がりです。

  ただ1曲だけラインアップされたスタンダード曲は「虹の彼方に」。明るく、輝くようなスイング感をもった歌いっぷりから、どんな苦悩があっても人生は捨てたもんじゃない、というメッセージを受け取りました。

  
 

  
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ホルテンさんのはじめての冒険

2009-04-07 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  昨日は打ち合わせのついでに、文化村ル・シネマで上映されている「ホルテンさんのはじめての冒険」を見てきました。

  3時からの上映、私の整理番号は001でしたが、わざわざ一番乗りをするまでもなく、館内には10人程度の観客しかいませんでした。やはり、アカデミー作品などとは比べものにならない動員力です。

  ノルウェー鉄道の運転士・ホルテンさんは謹厳実直を地でゆく生活ぶりで、仲間からの信頼も厚い存在でした。勤続40年の大ベテランです。ところが、定年退職を迎えるその朝に、人生初の遅刻をやらかしてしまう!この日から、ホルテンさんの身の上にふりかかる摩訶不思議な出来事の数々が、氷雨と雪に凍るオスロとベルゲンの美しい景色を背景に淡々と描かれてゆきます。

  演技、演出、効果…すべてが抑制されていて、声高な叫びもなければ激情にまかせた慟哭もありません。しかし、たびたび映し出される雪の中を疾走する鉄道、クリスタルのように輝くオスロの夜景、氷雨に煙るベルゲンの町並など、映画でしか表現することのできない光景が、人生の楽しさ、美しさ、悲しさ、残酷さを表現してゆきます。

  『人生に、遅すぎることなんて何もない』登場人物によるこのセリフが、映画のテーマであるようにあちこちに書かれていますが、私にはむしろ、登場人物たちの老いの相貌の中に、どうにも立ち戻れない過ぎ去った時間への哀惜が彫りこまれているように見えて、胸がつまりました。

  監督・脚本・プロデューサーは、「キッチンストーリー」のベント・ハーメル。音響:モッテン・ソーラム、音響デザイン&ミックス:ペッテル・フラーデビー、音楽:コーダという具合に、音関係のスタッフが列挙されるほどの音に対する繊細なこだわりをもつ素晴らしい映画でした。



  
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