2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■美しき天然

2007-08-28 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)

  「天然水」が流行している。天然水そのものをボトルに入れたもの、天然水を使用したビールなど、要するに、自然の水というだけの話なのだが、天然水市場は熱く燃えている。今日のコラムは、「天然水でいれた緑茶」というタイトルのお茶を飲みながら書いている。普通の味である。

  この天然という言葉、2007年の現在、どのくらい人の日常で使われているのだろう。まず、ピンと来るのは、「あの人は天然だよね」という使われ方。これは、あまり良い意味ではない。たいていの場合、天然の後には呆けということばがつく。さらに「あの人は天然記念物だよね」。これも良くない。

  昔はカラー映画のことを総天然色と読んだのだが、まさか、今どきはそんな表示見たことがない。天然ガス、天然ゴムなどというものもあるが、日常的に飛び交う言葉でもない。

  パチンコ屋の店頭、商店街の売り出し…、ちんどん屋さんの最も有名なテーマソングは「美しき天然」というタイトルである。このテーマ曲は、たいていの場合、サックスやクラリネットで退廃的な感情移入をもって吹奏される。私は子供のころから、この曲を聞くのが嫌で嫌で仕方なかった。今でも嫌いだ。自分の音楽的な感性とは、もっとも合わない類の曲である。気持ちが暗くなってしまい、思わず耳をふさぎたくなる。

  「空にさえずる 鳥の声 峯より落つる 滝の音…」という詩も陳腐。この曲が作られたのは1905年(明治38年)。いったい何故この曲が、明治~大正~昭和~平成と70年以上もの間歌い継がれ、ちんどん屋さんテーマ曲ナンバー1として君臨しているのだろう。多くの日本人は、本当にこの「美しき天然」という曲が好きなのだろうか?

  天然水でいれたお茶を飲みながら、少々、苦々しい話を書いてしまいました。「美しき天然」ファンの皆さん、失礼いたしました。

  

  

  

  

  

  
コメント
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