2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■巨星、堕つ

2007-07-31 | ■政治、社会
  
  30日、夜半前に雨が轟々と降り出し、雷光が鋪道に反射して、一瞬、街路樹が異様なシルエットを見せる。雨水は大河のように流れ、その勢いは止むところがない。天候の激変に人々は逃げまどい、タクシーの群れは方向感覚を失ったバッファローの群れのように頭を交差点に突込んでいる。角を突き合わすように強烈な光線を交差させるヘッドライト、私はこの異様な光景の中に呆然と立ち尽くし、未明に逝った巨人のことを思っていた。

  小田実が死去した。どうあっても、この人は死ぬことがないと勝手に決めていた。しかし、75歳の若さで病死してしまった。

  1970年、高校3年生のとき、70年安保に反対するため、友人と私は清水谷公園で開催されたべ平連の集会に参加した。逮捕されれば退学であることを覚悟はしていたが、気弱なことに学生証は靴の中に隠していた。しかし逮捕などまったくの杞憂、べ平連の集会とその後のデモ行進は、機動隊などまったく介入する余地がないほど平和的なものだった。私たちは代表の小田実に会いたかったのに彼は不在で、集会の中心人物は事務局長の吉川勇一だった。黒いコートを着て、「私は今、アメリカから帰ってきた」と演説した吉川は、本当に格好よかった。

  べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、1965年、ベトナム戦争に反対する哲学者の鶴見俊輔、作家の開高健と共に小田が結成した運動体である。アメリカのワシントンポスト紙に、「殺すな」と日本語で書いた反戦広告を掲載するなど、独自の活動を展開した。

  2004年には、大江健三郎、加藤周一らと「九条の会」を結成して、徹底的に護憲の思想を貫いたが、まさに昨日、参議院選挙における改憲推進政党の歴史的敗北を見ることなく逝ってしまった。

  数年前、私は偶然、小田実に出会ったことがある。新宿のホテルのロビーで、ドイツから来たファゴット奏者との打ち合わせに出かけたとき、ラウンジの側に小田実がいた。テレビで見かけるように、アスコットタイにジャケット、首をすくめて、体を少し傾けて歩いていた。今となっては、あのとき言葉を交わすことができなかったことが悔やまれる。こんな風に話しかけるべきだったのだ。

  「あなたの“何でも見てやろう”を読んで、私は世界に興味を持ちました。その後、“殺すな”というあなたのメッセージを心に留めて生きてきました。あなたの発言と行動は、今の私の生き方にとてつもなく大きな影響を与えてくれました。ありがとうございました」。

  このコラムを書き終えると日付が変わり、豪雨は嘘のように止んだ。夜空の彼方に去った巨星に向けて、もう一度、「ありがとうございました」と語りかける。

  (写真:2005年7月30日、有明コロシアムで開催された「九条の会講演会」)

  

  
  

  

  

  
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■ひとのかたち

2007-07-30 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  行きたい展覧会がたくさんある。しかし、忙しくてなかなか行けない。東京国立近代美術館で開催されているアンリ・カルティエ・ブレッソンがそのひとつだが、今回は、とりわけ、ブレッソンと同じ場所で開かれているアンリ・ミショーの展覧会に興味がある。

  ミショーはベルギーの生まれだが、一般的にはフランスの詩人・画家として紹介されている。1899年生まれ、亡くなったのは1984年で、シュールレアリズムの運動から80年代の混迷まで、多彩なアート・シーンに棲んでいた人である。

  孤高の詩人にして、異能の画家、というのが彼を形容するフレーズだが、今回の展覧会は、画家としての存在にスポットが当てられている。テーマは、「ひとのかたち」。1930年から80年までに描かれたミショーのデッサンが60点近く展示されているのだが、それらには独自の運動感とエネルギーをもった「ひとのかたち」が描かれている。自身の作品にタイトルをつけることが少なかったミショーだが、ひとのかたちが浮かび上がるデッサンには、自らムーヴマンという表題をつけている。

  なかなか見に行くチャンスがないので、先にカタログを買った。カタログと言っても、これは立派な書物である。平凡社から出版され、一般書店に並んでいるこの本の装丁家は近藤一弥氏。クロス装の本体には紺の箔でタイトルが押されている。その上に紙が巻かれ(いかにも素材にこだわったという紙)、ひとのかたちがエンボス(空押し)で表現される。カタログと呼ぶにはあまりに豪華な装丁だが、紙質までを含めた書物としての存在が、全身でミショーへの尊敬と共感を表しているようで、なんだか爽やかささえ感じる。

  選挙の喧騒が去った後には、さまざまな人の形が残された。これから世の中はどうなるのだろうか? そんなことを考えている暇があったら、私は、この美しいカタログを携えて、ミショーの展覧会に行くだろう。

  (写真は、アンリ・ミショーの「ムーヴマン」)
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■最高のライバル

2007-07-28 | ■政治、社会
  
  今、テレビではサッカー・AFCアジアカップの3位決定戦が行われている。前半45分は0:0の引き分け。韓国と日本の試合、朝日新聞夕刊のテレビ欄に出ているコピーには「永遠の宿敵と激突 魂と誇りを懸け絶対に負けられない…運命の日韓戦!!俊輔、高原らオシム日本最後の死闘」と記されている。これを読んで私は怖くなり、テレビをつけるかどうか躊躇した。このコピーだけ読むかぎり、韓国と日本は戦争状態にあるかのようだ。

  70年近く前に大きな戦争があり、アジアにもヨーロッパにも戦火が広がった。アジアにもヨーロッパにも、酷いことがたくさん起きた。日本という国の成立の歴史の中で、中国大陸や朝鮮半島との深いつながりは無視できないのだが、第2次世界大戦のあとには憎しみだけが国と国との間を隔ててしまっていた。

  永遠の宿敵、激突、魂、誇り、運命、最後の死闘という言葉使いはただただ扇情的なだけで、日本チームの凛としたかっこよさは微塵も感じられない。どうしても韓国を永遠の宿敵と決めつけ、魂と誇りをかけて運命の一戦に臨み、最後の死闘を演じたいのなら、せめて、こんなふうに書きかえてみたらどうだろう。

  「アジア・カップ3位をかけて、俊輔が、高原が、10,000平方メートルの地平を翔ける。最高のライバル韓国との最終試合、灼熱のインドネシア・スタジアムにオシム・ジャパンの夢よ奔れ!」
 
  こういう平和なコピーでは視聴率が伸びないのかなあ。
  

  
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■天地100ミリ、左右100ミリ…

2007-07-27 | ■政治、社会
  
  一応、世の中で一流紙といわれる新聞が、時としてあまりにもくだらない報道をすることがある。しかも、天地100ミリ、左右100ミリのスペースを確保してまで。昨日付の朝日新聞・夕刊の記事。

  “「布袋さんに殴られた」町田康さんが被害届け”。2007年7月26日付朝日新聞夕刊の三面に載った記事である。ギタリストの布袋寅泰という男に、作家でパンク歌手の町田康という男が殴られた、という報道である。

  事件が起きたのは6月13日、かねてから布袋さんのライブにゲストとして出演していた町田さん、布袋さんの音楽に詞を提供するなど、活動を共にしていたらしい。ところが問題の6月13日、布袋さんが所有する千葉の別荘で今後のライブの活動方針について話あった後、東京に帰る車の中で町田さんは布袋さんに殴られ、『右目や口元など、上半身に十数か所のけがをした』ということだ。

  布袋さんも町田さんも、さすがに名前だけは知っているが、彼らが殴り合おうと何だろうと、私には何の感興も起きない話題である。ほとんどの日本国民にとって、取るに足らない話題である。彼らの記事は天地100ミリ、左右100ミリという正方形の囲みに記され、テーマとされる二人の写真まで掲載される始末。朝日新聞は、ご近所の犬の喧嘩のような話題を取り上げている。このような馬鹿げた迎合主義が嫌いで10年前に朝日新聞を拒否したはずなのに、そのブランクを経て、再び「朝日」購読者に戻った自分が恥ずかしい。

  「チョー・マイ・ヨミ」と称される三大紙。朝日、毎日、読売が面白くない。面白くないのだが、朝日だけは読まなければならない理由があった。吉田秀和氏と加藤周一氏のコラムがあるからだ。この2人のコラムが「毎日」に移れば「毎日」、「読売」に変われば「読売」、私は何のためらいもなく、読む新聞を替えるだろう。もちろん、「チョー・マイ・ヨミ」以外の紙媒体、デジタル媒体であろうと何だろうと…。

  布袋さんという男に、町田さんという男が殴られて、この世の中、何か困ることでもあるのだろうか?「大朝日」たるもの、あまりに情けない記事を真面目に載せたものだ。明日、三流紙「朝日」に三行半を突きつけよう。その後に誰か、朝日新聞と購読契約している方、吉田さんと加藤さんのコラムだけ読ませてください。

  

  
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■時よ止まれ、君は美しい

2007-07-26 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  サッカーのアジア・カップ、日本とサウジアラビアの試合が終わった。結果は残念だが、選手たちはよく戦ったと思う。とてつもない湿度のなか、全速力で疾走する選手たちは、日本もサウジアラビアも共に美しかった。

  ムービーであれ、スチールであれ、スポーツの映像は演出のない無垢な美しさを表すことが多い。とりわけそれを感じたのは、1973年ミュンヘン・オリンピックの記録映画、「時よ止まれ、君は美しい」だ。世界的な監督たちが、それぞれ一つのテーマでオリンピックを追った映像作品である。

  ご存知のとおり、このときのオリンピックでは、イスラエル選手たちを人質にとったパレスチナ・ゲリラとドイツの警察が銃撃戦を行い、人質全員が亡くなるという痛ましい事件が起きた。スティーブン・スピルバーグの映画「ミュンヘン」の主題である。

  「時よ止まれ、君は美しい」に登場した監督で記憶にあるのは、ミロシュ・フォアマン、アーサー・ペン、ジョン・シュレジンジャー、クロード・ルルーシュなどだが、とりわけ、ルルーシュの映像は忘れられない。彼の撮影テーマは「敗者」だった。勝者を寿ぎ、喜びに溢れる表情を追うよりも、うな垂れ、肩を落として去る敗者を描くことは難しい。

  映画を見てから30年以上経った今でも、ルルーシュの映像は覚えている。競技はたしか柔道だったと思う。敗者の表情は超望遠レンズでとらえられ、粒子の粗い映像として提示される。敗者と撮影者の間に横たわる圧倒的な距離。敗れた者に近づくことができず、言葉をかけることもできず、ただ遠くから見つめることしかできなかったルルーシュ。敗れ去る者に向けたルルーシュの視線は、あまりにも優しい。

  「時よ止まれ、君は美しい」は、ゲーテの「ファウスト」に出てくる台詞である。ファウストがこの言葉を発したときに、彼の魂は悪魔メフィストフェレスに奪われ命を落とすというもの。ゲーテは、脱稿した「ファウスト」に八重の封印をしたと伝えられている。そうでもしないと、どんどん新しく筆が入り、いつまでも終結しないと考えたらしい。なんという創作欲! 大ゲーテに比肩すべくもない凡人の私だが、それでも過去のブログを読み返し、気に入らない部分があると、こっそり筆を入れてしまう。現在も過去も、じつは私のブログ、少しづつ進化しているのです。

  (写真は、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」)

  
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■ウジェーヌ・アッジェの肖像

2007-07-25 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  Lumix の新製品発表会に出かけた。ご存知のとおり、Lumix とはPanasonic(松下)のデジタル・カメラ群のブランドである。早くからドイツの超名門 Leica社との提携でブランド価値を高めた。

  Lumix、秋向けの新製品、これには画期的な仕掛けが施されている。カメラのレンズが人の顔を認識すると、そこにピントが合い、周囲の光量なども調整されるというもの。これによって、撮影者はいちいち撮影モードを変えることなく、最適のポートレートを得ることができる。

  そのようなシステムを開発した技術者に伺ったところ、レンズが顔を認識する仕掛けは、頭髪=眉毛=耳=鼻=口といった典型的な人間の顔の各部分を、あらかじめプログラムされたシステムがレンズを通して読み取るということらしい。

  記者会見の席上、面白い発言をした人がいた。いわく、動物の顔も認識するのか? 横顔は認識できるのか?

  認識システムが、基本的に人間の顔の造作に依拠しているかぎり、動物は難しい(人面魚なら良いかもしれない、などという冗談も出たが…)。さらに、45度以上傾いた横顔は難しいとのこと。いわゆる、典型的な正面顔向きのシステムということが判明した。

  とはいえ、そのことが Lumix の新製品のデジカメ上での位置をおとしめるものではなく、むしろポートレートの本質をつくものであるように思った。

  いったい、絵画の世界におけるポートレートというもの、思いつくままに並べ立てたとして、そのほとんどが、傾き加減45度以下、頭髪=眉毛=耳=鼻=口という Lumix が感知するパートをきっちりクリアしているものが圧倒的に多いのではないか?

  ここに、ほとんど真横を向いているようなポートレートがある。私が大好きな写真である。写真家ウジェーヌ・アッジェの肖像。パリの街をカメラに収め続け、ユトリロやレオナルド・フジタが彼のライブラリーを訪れて、その写真を買っていたという。多くの画家たちは、アッジェの写真をベースにしてパリの街角を描いた。そのアッジェのポートレート。もちろん、モノクロである。ほぼ真横を向きながら、つんとのびた鷲鼻が彼の個性を強調する。とてつもない存在感。しかし、彼自身は、きわめて謙虚な写真家だった。

  マン・レイに認められ、その写真が「シュルレアリズム革命」に掲載されたとき、アッジェは呟いた。「私の写真は好きなように使ってください。ただし、私の名前は出さないで…」。

  (写真はアッジェの肖像)

  
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■View Suica 使ってますか?

2007-07-24 | ■エッセイ
  
  切符を切るという言葉、今の子供たちは知っているのだろうか? 鉄道の改札口に車掌さんがいて、一枚一枚の切符にはさみを入れていたことなど想像できるのだろうか? 私の子供時代には、路線バスにも車掌さんが乗っていて(たいてい女性)、鉄道のそれに比べるとはるかに薄っぺらな切符に乗車の標し=小さな穴をあけていた。大井町から北品川まで、小学生は5円で行けた時代だ。

  最近、View Suica というものを手にして、何とも世の中は便利になったものだとしみじみ考えこんでしまった。それまでの Suica ですら、私は画期的な発明だと思ったものだが、View Suica は、さらにパワーアップしている。従来の Suica だと、チャージしている金額が初乗り料金に満たなかった途端、改札を通れなくなってしまう。私の知り合いで、常に定期入れの中に小さく折りたたんだ5,000円札を入れている人がいたが (たぶん、日常生活で何かが起きたときの非常持ち出し用)、旧 Suica の場合もそんな感じで、常に初乗り分130円の準備が必要なのだ。

  この130円というハードルが意外に高い。Suica の残高が90円しかないために、終電間際の渋谷で延々と切符売り場の列に並んだことがある。

  それに比べて、View Suica には夢のような仕掛けがある。残高が1,000円を切ると、直ちに設定した金額まで残高が増えるシステムである。これによって、私たちは何時でも何処でも残高を気にすることなく快適・安心なうちに改札を通過することができる。もちろん、お金が何処かから降ってきたり、湧いてきたりするものではない。結果的にはクレジットカード決済されるのだが、View Suica の精神的な安心感は何ものにも代えがたい。

  今日も私は、View Suica を使って颯爽と改札を通り過ぎるのだが、その先がよくない。いったい、JRの駅は何故あれほどまでの騒音に満ちているのか? 電車がホームに入ってくるので白線の後ろに下がれ!という命令型のアナウンス。この電車はドコソコ行きだから間違えて乗らないように!というありがた迷惑なアナウンス。その音量は異常に大きく、電車の到着や発車を知らせるベルなどの音響は、考えられないほど音質が劣悪である。もちろん、こちらの音量も馬鹿でかい。ホームばかりでない。電車内のアナウンスもあまりにひどすぎる。

  いったい、鉄道に勤務しているひとの音に対する感覚はどうなっているのだろう? 音量を普通の人間が耐えられる程度にまで下げるばかりでなく、拡声装置(あるいは音響装置)をグレードアップして音質をよくすることで、駅の環境は飛躍的に向上するはずである。「音に対する繊細さ」という問題ではなく、これは「環境問題」であり、ノイズハラスメント( noise harassment )=ノイハラであり、ドメスティック・バイオレンスならぬ、ノイズ・バイオレンス=NVである。

  この国の音に対する感性は、あまりに鈍い。View Suica に感心してしまうように、技術の力は圧倒的に勝っているのに…。私はまた、ひとりで嘆息する。

  (写真は、いかにも効きそうな耳栓=サイレンシア)

  

  
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■ハリーズ・バー

2007-07-23 | ■エッセイ
  
  このコラムを読んでくれている友人からメールが届いた。メールの標題は「580円のおいしいファンタジー」。彼が最近読んだ文庫本の値段が580円、おいしいファンタジーとはこの本の内容を一言で表しているらしい。本のタイトルは「つむじ風食堂の夜」、作者は吉田篤弘という人である(ちくま文庫)。

  私は、この本のことも、作者のことも知らなかった。友人のメールによると、架空の町にある架空の食堂に集う風変わりな常連客の物語らしい。友人の視点にはつねに敬意を表している私のこと、昨日書店に走り、件の本を手に入れた。

  あっという間に読み終わりそうな厚さである。読み始めてみた。すぐに最後のページまで行ってしまいそうである。ただ、それが、何だか勿体無いような、そんな気持ちにさせる小説である。これは、ちょっと大切に読もうかな。

  「食堂に集う風変わりな常連客」というテーマと聞いて、最近読んだ小説を思い出した。タイトルは「モンク」。作者は藤森益弘である。つむじ風食堂が心温まる場所であるのに対し、こちらの場所は熱い。京都、河原町の四条と三条の間、その路地にある小さなジャズバーが舞台である。東京の広告代理店で、クリエイティブ・プロデューサーをしている三枝という男がモンクを訪ねるシーンから始まる。京都、広告代理店、ジャズ…個人的には身につまされる設定である。

  版元の文芸春秋社によると、「春の砦」でミドルエイジを泣かせた著者による第二作、というふれこみ。例によって、宣伝も兼ねて帯のコピーを紹介しておこう。『京都のジャズ・バー「モンク」に集まる人々の熱く響きあう人生を描く、本格ジャズ小説!』。
  
  架空の町、月舟町の十字路の角にある「つむじ風食堂」。京都の裏路地にある「モンク」。これとはまるで異なるシチュエーションながら、人々が集い、そこに数え切れない物語が生まれるのが「ハリーズ・バー」だ。アリーゴ・チプリアーニ著、訳は安西水丸である(版元は㈱にじゅうに)。

  ハリーズ・バー。もちろんヴェネツィアに実在するレストランバーの名前である。私が大好きな加藤和彦のアルバム「ヴェネツィア」にも、このバーのことが歌われている。ハリーズ・バーを語るのに最も適切な言葉は、エスクァイヤ誌の賛辞に表れる。『ハリーズ・バーには、地球上で起こるすべてのドラマがある』。

  つむじ風食堂やモンクに比べると、ハリーズ・バーに登場する人びとは、エリザベス女王やヘミングウエイなど尋常ではない。とは言え、そこを訪れた人々の言葉が、バーのカウンターや椅子や床や、棚に並べられたボトルの一本一本にまでしみ込んでいる事に、変わりはない。人びとが集まるのは、その店に自分の言葉を預ける事ができるからだ。

  昨年、十数年ぶりにヴェネツィアに行った。記憶をたどり、私にとってのハリーズ・バー、Vino Vino を訪れた。十数年前、私はこの地で写真家のデビット・ハミルトンと一週間の間、映像を撮影していた。ハミルトンに招かれて、ハリーズ・バーのオーナーが建てたホテル・チプリアーニの昼食会にも参加した。仕事はかなりハードだったが、夜には解放された。私はアシスタントの男と夜ごとバー・Vino Vino を訪れ、ヴェネツィア産のワイン、ピーノ・ビアンコを飲み干した。

  Vino Vino は、フェニーチェ劇場のすぐ近くにある。フェニーチェ劇場は、ベルディの「椿姫」が初演された場所である。ハミルトンとの仕事のとき、私たちはそこでチレアの「アドリアーナ・ルクブルール」を見た。タイトル・ロールのソプラノはカバイバンスカだった。それから少し経って、この劇場は火事で焼失してしまった。

  昨年訪れたヴェネツィアで、私たちは立派に再建されたフェニーチェ劇場に出会った。ディティールも以前のままである。これこそイタリア人の知恵と芸術性と前向きな精神の具現化。そういえば、フェニーチェとは、「不死鳥」という意味である。
  
  (写真は、ヴェネツィア「VINO VINO」のショー・ウィンドウ)

  
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■かわいそうなぞう

2007-07-21 | ■エッセイ
  
  全英オープンが始まった。今日は、そのことを書こうと思っていたのだが、とんでもないニュースが飛び込んできた。以下、ロイターが伝える記事の全文である。記事のタイトルは、「ドイツの動物園職員、動物の食肉処分で訴えられる」。

  ベルリン、18日 ロイター ) ドイツ東部のテューリンゲン州にある動物園の職員が、園内の動物を射殺し、食肉として販売していたとして、市長が同職員を提訴した。市長執務室の広報担当者によると、問題となっているエアフルト動物園では、長年にわたりシカなどの動物が職員により無許可で殺害・販売されていたという。訴えはすでに州検察当局の管理下にある。ツァイト紙は同動物園の職員の話として、園内の動物の数は減少を続けており、「何らかの対応が行われるべき時だった」としている。また、現地の動物愛護団体は、今日の事件が氷山の一角であると主張。エアフルト動物園をはじめテューリンゲン州内で動物を扱うすべての施設に対し、管理方法の見直しを求めている。

  動物園の職員が、飼育している動物を撃ち殺し、食肉業者に売り払う。にわかには信じられない光景だが、旧ユーゴ紛争、湾岸戦争のときなどには、動物園の動物を兵士の食糧に供したという話を聞いたことがある。平時であれ戦時であれ、肉食性の人々の発想は凄まじい。

  以下は孫引きである。上野動物園百年史によると、第2次世界大戦中の昭和18年8月から9月にかけて、食糧難による餌の不足、また空襲などにより檻が破壊されて動物が逃げ出すことを防止するため、ライオン、トラ、ヒョウ、インドゾウなど14種、27頭が処分されたのだと言う。

  このときの話は、「かわいそうなぞう」という題名で、小学生の教科書に載った。以下も他所の記事からの孫引きをまとめたもの 。「かわいそうなぞう」の主人公、ぞうの花子の死から2年たって、再び1頭のインドゾウが日本にやってきた。戦争は終わっていた。2度と戦争を起こさない誓いをこめて、このゾウは、再びはな子と命名された。花子が逝ったあとに現れたはな子は現在60歳。井の頭公園にある小さな動物園でひっそりと生きているそうだ。敗戦から現在まで、はな子は何を見てきたのだろうか? 孫引きはここまで。

  クヌートという名前を覚えているだろうか?去年の冬、ベルリンの動物園で生まれた白クマの名前である。母親が育児放棄をしたことから、動物園の職員が親代わりになって育てた。そのかわいい仕草が人気を呼び、日本のテレビ局も何度かクヌートの映像を流していた。

  クヌートがいるベルリンの動物園は、ヨーロッパでも最大規模を誇るもので、私もそこに行ったことがある。ベルリン国立歌劇場でハイドンの「月の世界」、ベルリン・ドイツ・オペラでワーグナーの「タンホイザー」を見るためにこの地を訪れた際、1日時間が空いたので、1人で動物園をうろついていた。海外の動物園に行ったのはこれが最初で最後。何はともあれ、スケールの大きさに驚かされた。それまで、私はベルリンに大きな動物園があることも、その近くの駅が「動物園駅」という名前であることも知らなかった。この動物園の存在を知ったのは、ホテルのベッドの中だった。

  7月11日のコラム「空港」に書いたように、悪天候の中ワルシャワからベルリンに入った私は、Hotel Palace Berlin に投宿した。現代的な五つ星のホテル。白を基調とした室内のインテリアはシンプルで清潔、私が好むドイツの美質溢れるホテルである。ワルシャワからの強行軍が疲労に拍車をかけ、私はすぐにベッドに沈んだ。

  翌朝、異様な物音が遠くから聞こえ、意識が次第に覚醒していった。目を開いてみると、白いレースのカーテンから淡い早朝の光が差し込んでいる。次の瞬間、私は完璧に覚醒し、ベッドから飛び起きた。意識の外でかすかに聞こえていた物音、それは無数の動物たちの吠え声だった。ライオン、ゾウ、トラ、カバ、サイ…、それかどうかは分からないながら、とにかく無数の猛獣たちが昇ってくる朝日に向かって吠えているのである。やがて甲高い鳥の声が聞こえ、慌てて窓の外を見ると、通りを1本隔てたところに、Berlin Zoologischer Garten ベルリン動物園があった。

  後になって調べたところによると、この動物園には約1,500種、14,000匹の動物が生息しているそうである。それがどれほどの量なのか、比較の物差しがないのだが、彼らの朝の雄叫びだけは、大自然の目覚ましアラームとして私の記憶に刻まれている。
  
  
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■私の好きな歌-1 「ゴッド」

2007-07-20 | ■私の好きな歌
  
  昨日、信じることについて書いた。否、もしかしたら、信じないことについて書いたのかもしれない。昨日一日、そのことが頭の中に渦巻いていて、いつの間にか夕方になって、そのうえ夜になってしまって、結局のところ、信じるとか信じないとかいうことをテーマにするなら、あの歌しかないという発想に到達した。

  ジョン・レノンの「ゴッド」。I don't believe in ...(私は信じない)というフレーズが延々と続く歌。I don't believe in の先にある言葉を、歌詞の順に挙げると次のようになる。

  マジック、易、バイブルの予言、タロット占い、ヒットラー、キリスト、ケネディー、ブッダ、マントラ、ギーダー、ヨガ、王室、エルビス、ディラン、ビートルズ。

  ヒットラーとキリスト、さらにケネディーやブッダを同列に歌うのも驚きだが、エルビス~ディラン~ビートルズという自身の音楽の系譜をも信じない。出自であるビートルズすら信じない。そうして、次にくるセリフは仰天ものだ。

  I just believe in me, Yoko and me...(ぼくは自分だけを信じる。ヨーコとぼくだけを信じる)。オセロがイアーゴにくどくど言われたとき、なんで「俺は俺自身とデズデーモナを信じる!」と言えなかったんだろうね。

  学生時代、友達と夜を徹して酒を飲み、「ジョンの魂」というレコードをかけたとき、その中の誰かが、I don't believe in というくだりだけを、大声で怒鳴っていたことを思い出す。肝心なのは、I just believe in から後なのに、彼は、I don't believe in のフレーズだけを繰り返していた。1971年のことだった。

  
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■信じられなーい!

2007-07-19 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  昨日、「ブリンジヌガグ」のコラムの中で、ダンボール入り肉饅頭のことを書いたが、今日の新聞に、この肉饅頭報道が中国の放送局の捏造であったという記事が載っていた。こうなると、何を信じればよいのか?

  「信じられなーい!」と叫んだのは、日本ハムファイターズのヒルマン監督だが、信じることができずに身を滅ぼしたのは、シェイクスピアの芝居に出てくるオセロである。

  自分の妻を信じられず、不貞をはたらいていると勝手に思い込み、部下の策略にまんまと乗せられる形で妻を殺してしまう。これとは別に、シェイクスピアの芝居では、信じ過ぎたことによる悲劇も用意されている。

  「リア王」は、3人の娘の中で甘言を弄する長女と次女を信用し、おとなしく口下手な三女を疎んじる。ところが、長女と次女はことごとく父を裏切り、本当に父のことを思っていたのは三女だったという悲劇。自らの不明を悔やみつつ、リアが狂ってゆく情景はすさまじいばかりだ。

  シェイクスピアの戯曲を下敷きにしたオペラを書いているベルディ、その中では「オテロ」が一番だろう。「マクベス」も有名だが、最初から最後まで、死の匂いが横溢している芝居よりも、男と女の愛が話の中心となる「オテロ」の方がオペラ的な聞かせどころが沢山ある。

  オペラでは分が悪い「マクベス」だが、映画となると俄然その持ち味を発揮する。学生のころに見たロマン・ポランスキーの「マクベス」。冒頭、魔女の予言のシーンから、ただならぬ気配が漂っていて、常に雲が低く垂れ込めているような映像の色彩が、物語の悲劇性を際立たせていた。サード・イヤ・バンドの不思議な音楽も魅力的だ。

  『マクベスは森が動き、女の腹から生まれない男が現れないかぎり、倒されることはない』、魔女の予言を信じて、マクベスはいかなる敵にも怖気づくことはない。ところがある時、森が動き、女の腹から生まれなかった男が現れる…。

  まさしく、「信じられなーい!」だ。信じないことは、信じない主体である自分を信じること。信じないことを信じるから信じられない。そう考えると、なんだか頭が混乱してきた。

  (写真:ケネス・ブラナー演出「オセロ」のポスター。ブラナーの最新作はモーツァルトの「魔笛」、先日見てきたが演出と映像の素晴らしさに比して、肝心の演奏があまりに貧弱。)
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■ブリンジ・ヌガグ

2007-07-18 | ■エッセイ
  
  中国産の食品が、大変なことになっているらしい。饅頭の中にダンボールが混ぜられていたり、西瓜に赤色のインクを注入していたり…。来年のオリンピック開催を控え、中国政府は次々に明るみに出る「中国食品危機」の火消しに必死だが、すでに米国では、China Free (中国産のものは含まれていない) という表示のある食品が出回るなど、騒動は当分収まりそうにない。

  われわれが馴れ親しんでいる衣・食・住という言葉。着ることと食べることと住むこと、日本語の語呂では、やはり衣・食・住がしっくりくるが、英語で表現すると、food, clothing and shelter という具合で、食べることがトップに位置している。

  そのせいかどうかはともかく、欧州の映画には「食べる」ことを描いた映画が少なくない。ルイス・ブニュエルの「ブルジョアジーの密かな愉しみ = le charme discret de la bourgeoisie 」は、金はあるのに、食べることができない人々の哀しさを描いたブラック・コメディー。ピーター・グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人 = The COOK, The THIEF, The WIFE and The LOVER 」の、最後に登場する格別の“ご馳走”でスクリーンを直視できなくなった人は多いはずだ。きわめつけは、ジャン=ピエール・ジュネの「デリカテッセン = DELICATESSEN 」。これがデビュー作のジュネ、後の「アメリ」からは想像もできない「食のストーリー」を描き出した。最近問題になっている北海道の精肉会社の様子を見ていると、ついついこの映画を思い出してしまう。

  「コックと泥棒、その妻と愛人」では、ゴルティエの衣装の素晴らしさと共に、マイケル・ナイマンの音楽が、ひとつひとつの情景に、はまり過ぎるほどはまっているのだが、なにより泥棒の妻を演じたヘレン・ミレンの官能が何とも言えない。食べることと性、匂いたつ官能。ヨーロッパ人が好きそうなテーマではある。

  「食べること」で強烈に思い出すのは、コリン・ターンブルの「ブリンジ・ヌガグ=食うものをくれ」だ。筑摩書房から出版されている翻訳本の解説からの抜粋。
『「ブリンジ・ヌガグ」=1964年、東アフリカの<山の民族>イク族の集落に足をふみ入れたとき、人々が著者を迎えた最初の挨拶がこれだった。野生動物保護の名目で皮肉にも狩場を追われ、圧倒的な飢えに苦しむ彼らに、かつての勇敢な狩人の面影は跡形もなかったのである。一片の食糧をめぐる争いが彼らの人間性を奪い、家族や社会を形骸とし、あとには生きのびようとする欲望のみ肥大化したばらばらな人間集団を残した。誕生は祝福されず、死ももはや悲しみではない…』。

  イク族のことは、この本を読む前から知っていた。ピーター・ホール、ジョン・バートンと並んで、英国ロイヤル・シェイクスピア劇団の演出家だったピーター・ブルックが本拠地をパリに移した後、「アセンズのタイモン」に続いてパリ・ブッフ・デュノール劇場で上演したのが「イク族」だった。ブルックのパリでの活躍を新聞で読んだ私は、居てもたってもいられなくなり、すぐさまパリへ飛んだ。22才の2月、私はまだ学生の身で、その年の卒業すら覚束ない状態での旅立ちだった。

  (ごめなさい!また長くなってしまった…)

  その時のことは、まとめて書くとして、そう言えば思い出したこと。「コックと泥棒、その妻と愛人」で、愛人役をやっていたアラン・ハワードは、たしかピーター・ブルックの大傑作舞台「真夏の夜の夢」に出演していたと思う。

  まあ、そんなことはともかく、まるで状況は違うながらも、さきほど引用した「ブリンジ・ヌガグ」の解説の一節、“誕生は祝福されず、死もまた悲しみではない”という言葉が、ひとりっ子政策をとり続ける中国の今と重なるようで、私は悲しい気持ちになった。
  
  (写真:「ブリンジ・ヌガグ」の作者、コリン・ターンブル。1994年に亡くなるまで、晩年はチベット仏教僧として活動したそうだ)

  

  
  
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■ベニシアのハーブ便り

2007-07-17 | ■エッセイ
  
  「ベニシアのハーブ便り」という本、これは良い。一見、ターシャ・チューダーの亜流のように見えるが、そうではない。英国貴族のベニシア・スタンリー・スミスが、豪奢な生活を捨てて、京都・大原の古民家に暮らす。

  絵になるひとである。この本では、京都の四季とベニシアの凛々しい姿がとらえられていて、写真も第一級の出来である。春=大原を流れる高野川の岸辺、夏は三千院極楽寺に遊ぶ。紅葉に萌える大原を自転車で走る姿=秋、冬の京都は自然の厳しさを体現しつつ、あまりに美しい。

  これほど美しく内容の詰まった本が1,900円で買えるのは嬉しい(世界文化社)。

  四季と聞いて思い出すのはビバルディのヴァイオリン協奏曲。日本ではイ・ムジチ合奏団の演奏で大ヒットした。

  ベニシアの紡ぐ京都の四季を描いたページをめくりながら、私はアンネ・ゾフィー・ムターの演奏する「四季」を思い出した。カラヤンと共演しているEMI盤ではなく、Trondheim Soloists との共演によるドイツ・グラモフォン盤である。この企画は、ジャケットが凝っていて、Lillian Birnbaum と Marco Borggreve の写真が、立体的なデザインのCDアートワークと解説書(カラー刷)に横溢している。一見、四季とは何の関係もないようなムターの写真群だが、一枚一枚の写真に見るムターの格好よさは、容易にビバルディの音楽を21世紀にワープさせてくれる。

  新しいもの、が好きだ。ビバルディの「四季」については、イ・ムジチをはじめ、ミュンヒンガー、マリナー、最近のビォンディに至るまで、たいへんな数のCDがリリースされている。私がムターのグラモフォン盤を第一に挙げる理由は、ひとえに、このアートワークの斬新さ、そして何よりもムターの音楽の新しさによる。1700年代の音楽が、こんなに新しく、美しく、何より新鮮で澄んで21世紀に甦ったのだ。

  京都・大原の四季に悠々と遊ぶベニシアの姿を追いながら、私にとっての温故知新という言葉が浮かんだ。京都の夏が暑いことは十分知りながら、学生の頃のように、古(いにしえ)の都をあちこち歩いてみたい気になっている。

  (写真は、ベニシア・スタンリー・スミスさん)

  
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■バレンボイム / サイード 「音楽と社会」

2007-07-16 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  新潟と長野で大きな地震が起きた。同じ時刻、東京でも揺れを感じた。被害が拡大しないこと、一刻も早く復旧が進むことを祈りたい。

  台風一過の快晴となるかと思いきや、午後からどんどん雲が増えて、どんよりした空模様になってしまった。散歩のついでに本屋に立ち寄り、大江健三郎の「読む人間」(集英社)と、ロッキング・オン・ジャパンの増刊号「SIGHT」を買ってきた。「SIGHT」の特集は、“反対しないと、戦争は終わらない”というもので、坂本龍一と藤原帰一の対談が面白そう。一方の「読む人間」をぱらぱらめくっていると、エドワード・サイードとダニエル・バレンボイムの対談「音楽と社会 = Parallels and Paradoxes 」のことが出ている。

  みすず書房から出ている「音楽と社会」邦訳の表4に、2人のプロフィールの概略が載っている。『かたやエルサレム生まれカイロ育ち、ニューヨークに住むパレスチナ人エドワード・サイード。かたやユダヤ人としてブエノスアイレスに生まれ、イスラエル国籍、ロンドン、パリ、シカゴ、そして現在はベルリンを中心に活躍する指揮者・ピアニスト、ダニエル・バレンボイム。つねに境界をまたいで移動しつづけている2人が、音楽と文学と社会を語りつくした6章だ』。

  サイードは、残念ながら2003年に病死したが、その著書は、みすず書房、平凡社などから出版されており、日本でも彼の思想に容易に触れる事が出来る。バレンボイムは、指揮者・ピアニストとして八面六臂の活躍をつづける才人だが、長い間、イスラエルではタブー視されていたワーグナーを演奏し、物議をかもした。時は2001年7月7日、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いてエルサレムへの演奏旅行に出かけたバレンボイムは、プログラムにワーグナーのワルキューレ第1幕を予定していた。ところが、主催者側からクレームがつき、急遽プログラムをシューマンとストラヴィスキーに変更する。

  「事件」はその後に起きた。演奏を終えたバレンボイムは聴衆に語りかけた。「これからアンコールでワーグナーのトリスタンとイゾルデからの抜粋を演奏しようと思うがどうだろうか?」会場は、賛否両論の意見が飛び交う。「ワーグナーを不快に思う人は退席してもかまわない」。すると、何人かが席を立った。結果的に、席に残ってアンコールを聞いた2,800人の聴衆は、バレンボイムとオーケストラに熱狂的な拍手をおくった。

  この出来事は、当時一般の新聞でも取り上げられたので覚えているひとも多いと思う。ワーグナーが反ユダヤ的であったかどうかはともかく、彼の音楽の中に、露骨な反ユダヤ主義の台詞、響きは聞こえてこない。エルサレムでの出来事について、サイードの意見が「音楽と社会」の巻末に載っている。「バレンボイムとワーグナーのタブー」というタイトルである。

  「音楽と社会」は原書でも持っているのだが、それはリタイアした後、辞書を片手にゆっくり読もうと思い、海外から取り寄せたものだ。大江健三郎がこの本をどう読んだのか、「読む人間」のページを開くのが楽しみだ。久しぶりに、わくわくする読書の誘惑である。
  
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■PPM am.pm PPMM

2007-07-14 | ■政治、社会
  
  PPMこと、ピーター・ポール・アンド・マリーは、現役のフォークグループである。1950年代から活躍していて、今のところ3人揃って元気なのだら、これはたいへん慶賀なことである。

  今夜は、「PPM」ならぬ「PPMM」のライブに行ってきた。曙橋のam pm のそばにあるライブハウスまで、台風の接近を気にしつつ出かけてきた。

  折からの台風襲来というのに、ライブハウスは満員札止め。熱気が渦巻く中、PPMの名曲の数々が、いつものように軽快なMCに誘われて演奏された。PPMの定番名曲をはじめ、昨日のコラムで書いたボブ・ディラン、彼の "Don't think twice it's all right = くよくよするな”や、「風に吹かれて」なども演奏されたが、珍しく、中島みゆきの「時代」も披露された。この歌の中にも『くよくよしないで』というフレーズが出てくる。ディランの歌詞にかぶる一節である。

  ディランの「くよくよするな」と中島の「時代」は、共に聞くものの心を慰め、揺らせ、昴らせるものがある。時間と場所と手段が異なっても、私たちは歌のメッセージを聞き取ることができる。

  今日のラストに歌われた「悲惨な戦争」。この歌はどうだろう。ベトナム戦争を背景に、私たちは数多くのプロテストソングに出会ったが、「風に吹かれて」や「悲惨な戦争」は、毎日毎日、自分たちでもその歌を口ずさむことで、いつの間にか、悲惨な戦争と対峙する自らの意志が形成されていった。


  アメリカに追随し、60年安保をごり押しした後に失脚した岸信介、ベトナム戦争を推進するアメリカに迎合することで余命を伸ばし続け、ついには首相の座から引きずり下ろされた佐藤栄作。我が祖国日本を他国に売り渡そうとした輩である。血は争えないもので、この二人を親族とする安倍晋三も、「美しい日本」などと耳ざわりの良い言葉で民を愚弄しつつ、岸、佐藤ですら果たせなかった憲法改悪を実践しようとしている。喜ぶのはアメリカだけである。自由民主党の中にも良識ある議員はいるはずなのに、今は誰も安倍晋三の暴走を止めることができない。さもしく、浅はかな閣僚の不祥事をかばい続け、国民に謝罪する気配すらない安倍には、事実を素直に認める潔さがなさ過ぎる。何が美しい日本だ!それでも日本人か!

  目前で出来る事は、7月29日の参議院選挙に行き、安倍晋三という、美しい日本を汚れた日本に貶めようとする内閣への反対姿勢を明確にすることである。国を愛する心があれば、あの男に日本を託すわけにはいかない。

  激しい雨に見舞われた週末、曙橋の片隅で、超満員の聴衆と共にディランやPPMの歌を聞きながら、私は勝利を確信した。わが祖国日本。美しい祖国、愛する家族、それを守りたいなら、とにかく選挙に行きましょう。
  
  
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