2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

私の好きな歌-11 「煙が目にしみる」 / ヤン富田

2008-05-25 | ■私の好きな歌
  
  私は嫌煙家である!などと威張ってはみたものの、十数年前までは大の愛煙家だった。

  酒を止めることは出来ても煙草は無理だと思っていた。止めるキッカケは、自分が吐き出す煙が他人の健康を害しているという事実を明確に知ったときだ。殺人の片棒を担ぐのは御免だと思った。

  それともうひとつ、やはり喫煙は時代遅れだと考えた。十数年前、ニューヨークでは公の場で煙草が吸えなくなったというニュースを聞いて、なんてカッコいいのだろう!と感心したものだ。この報せも禁煙のモチベーションを高めたものだ。

  校了時期になると一日百本は吸っていたので、私の禁煙を知った友人たちは一様に驚いた。減煙ではなく、ある日突然止めたのだから、その驚きもひとしおだったと思う。煙草を止めた後の数ヶ月間は相当苦しんだものの、一年も経てば慣れた。止めた直後の禁断症状は、苦しみに耐えつつ煙草そのものの害毒を強く思い知らされる結果となった。自らの身体をボロボロにしながら、他人の健康も蝕んでいたなんて…。

  とにかく、未だに煙草が止められない人は、最低でも公の場は吸うのは止めるべきである。さらに、日本全国津々浦々、飲食店は全面禁煙にすべきである。オレは煙草の煙に殺されるのは御免だ。

  ただ、しかし、どうしても煙草を容認しなければならないことがある。またもやトム・ウェイツである。

  ウェイン・ワンの映画「スモーク」は、文字どおり煙草をモチーフにした洒落たストーリー。ブルックリンにある煙草屋の店主をハーベイ・カイテル、近くに住む作家をウィリアム・ハートが演じている。この映画は煙草を抜きにしては成立しない。この映画の中だけ、私は煙草の存在を許すことにしている。

  ストーリーは単純明快、とは言え、シンプルな話の展開の中にこそ心がホッと癒される瞬間があるものだ。まだ見ていない人には是非お薦めします。

  この映画のラストシーンは実に感動的なのだが、カラーからモノクロ画面に変わって流れるのがトム・ウェイツの " Innocent When You Dream "。彼のアルバム " FRANK WILD YEARS " の中のナンバーだ。このアルバムには、他に " Train Song" など『泣きのトム・ウェイツナンバー』が入っている。

  エンドクレジットにはジェリー・ガルシア・バンドの軽快な「煙が目にしみる」が流れて、トム・ウェイツの歌で湿るだけ湿りきったラスト・シーンを、上手い具合に中和させて観客を家路につかせるのだ。

  ところで、5月10日の朝日新聞・夕刊にヤン富田さんの記事が載っていた。記事の書き出しはこうだ。

  『スチールドラム奏者であり現代音楽家であり、ポップソングからロック、前衛音楽までのプロデューサー、そして電子楽器の研究家…経歴を書き連ねるだけで記事が終わりそうなアーティスト、ヤン富田が、自作曲やプロデュース曲の主題を変化させた作品集=Variations・変奏集を出した』。
  
  このCDのラストには「Forever Yann」という自作曲が入っていて、これは元東大全共闘議長・山本義隆氏の演説のサンプリングから始まるそうだ。私は迷わずアマゾンに「変奏集」を注文した。ヤン富田氏の年齢が私と全く同じであることが、余計に彼の音楽への興味をかき立てた。

  CDが届き、私はそれを一気に聞いた。中でも「煙が目にしみる」は出色の仕上がりである。歌うのは山本リンダ。いつ終わるとも知れない無限ビート…、この手があったか!と思わずニンマリした。煙草もしかり…毒のあるものほど美味しい。さらに、煙草もしかり…中毒からは抜けられない。

  同じ1952年生まれ、私はヤン富田さんの音楽の中に、音楽ホリックの密かな楽しみを聞いた。

  

  

  

  

  
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列車に乗った男

2008-05-24 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  夕方からの降水確率80パーセントという憂鬱な土曜日、パトリス・ルコントの映画「列車に乗った男」のサントラ盤を聞いている。

  作曲はルコント映画の常連・パスカル・エステーヴ、ライ・クーダーばりのギターがオーケストラと絡んで絶妙な効果をあげている。ライ・クーダーといえば、ベンダースの「パリ・テキサス」の印象が強い。「パリ・テキサス」は、ロード・ムービーとスライド・ギターという映画音楽の定番を確立したと言える。

  「列車に乗った男」も、一種のロード・ムービーである。退職したフランス語教師(ジャン・ロシュフォール)と流れ者(ジョニー・アリディ)がふとしたきっかけで出会い、全く異なる互いの人生を語り、相手に憧憬を抱く。ある地点を移動するロード・ムービーではなく、人が生きてきた道程をロード・ムービーとして映し出す。規則的に響き渡る列車の車輪の音が、時の流れを静かに刻みながら、心の隙間にしみ込んでくる。効果音も、音楽も、ルコントならではの洗練された使われ方である。

  パスカル・エステーヴのスコアの他に、映画の中ではシューベルトの即興曲変イ長調第二番が効果的に使われている。これこそまさしく、降水確率80パーセントの土曜日に聞く音楽である。
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タルコフスキーが撮ったポラロイド写真

2008-05-18 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  Amazon の中をうろうろしていたら、アンドレイ・タルコフスキーが撮影したポラロイド写真集が出ているのを知って、早速送ってもらった。

  序文を担当しているのは脚本家のトニーノ・グェッラ。タルコフスキーをはじめ、フェリーニ、アントニオーニ、アンゲロプロスなどの脚本を担当している巨匠である。

  この序文は、グェッラ自身の結婚式の話から始まる。1977年、モスクワで開いた披露宴にはタルコフスキーとミケランジェロ・アントニオーニが招かれ立会人をつとめていた。慣習として結婚セレモニーの音楽を決めるのは立会人だそうで、2人の大監督は「ドナウ河のさざなみ」を選んだそうだ。

  この披露宴で、タルコフスキーは当時手に入れたポラロイドカメラを持って楽しそうにしていたらしい。

  この序文には面白いエピソードが紹介されている。グェッラがアントニオーニと共に新作の現地調査のためにウズベキスタンへ赴いたときのこと、アントニオーニが得意のポラロイドで3人のイスラム教徒を撮影し彼らに写真を渡そうとしたところ、その中の年長者が頑なに拒否しこう言ったという。「あなたがたは、何故時間を止めてしまったのか」。

  Instant Light = Tarkovsky Polaroids というタイトルの本の中には、タルコフスキーが生前撮影した60点のポラロイド写真が収載されている。映し出されているのはロシアとイタリアの風景である。ロシアの撮影場所はモスクワから13キロのところにある彼の居所だそうだが、イタリアはひと目で「ノスタルジア」撮影時のものだと分かる。

  アンドレイ・タルコフスキーほどの巨匠ともなると、インスタントカメラで撮影した映像の1枚1枚が、彼自身の映像作品の一場面と変わらないほどの個性を持っていることに驚かされる。何度見ても飽きない素晴らしい写真集である。

  ところで、Amazon から送られてきたこの本は、本文に対して表紙が天地逆に貼り付けて製本されている。一瞬、返品交換をお願いしようかと思ったが、これはこれで手元に置くことにした。その作品に鏡を多用したタルコフスキーらしい装丁だと勝手に思うことにきめた。 
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私の好きな歌-10 「ワン・フロム・ザ・ハート」 / トム・ウェイツ

2008-05-13 | ■私の好きな歌
 
  あまりにもビックリしたので、ブログ更新します。と言うのも、前回のコラム「ブロークン・バイシクル」を書くときに、もう一度、「ワン・フロム・ザ・ハート」のサントラ盤について調べなおしたのですが、大昔に購入したもののデジタルリミックス盤というものが日本のソニーミュージックからリリースされているのを知りました。

  しかも、トム・ウェイツがマスタリングしたと言うもの。条件反射的にアマゾンに注文、本日届きました。

  昔買ったCDとの音の違い、もう、まったく別物です。

  このサントラの始まりはトム・ウェイツのピアノとコインが床に(あるいはテーブルに)転がる音。その、何と言うクリアさ!さらに、トム・ウェイツってこんな声だったのかと真っ青になって再認識するほどの仕上がり。

  このCDだけ聞いても分からない。もし、昔のCD(今や廃盤)を持っている人は、1700円程度の出費を惜しまずに、リマスタリング盤を買うべし。

  
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私の好きな歌-9 「ブロークン・バイシクルス」 / オッター、コステロ

2008-05-11 | ■私の好きな歌
  雨の日曜日、間違ってもダミアの「暗い日曜日」など聞かないように(この関連のコラムは“私の好きな歌-3”を見てください)。

  早朝にエヴァ・キャシディーのことを書いたばかりなのに、もうひとつ書きたくなってしまった。今まで更新を2ヶ月ほどさぼっていたのだから、キーボードを打つ手が止まらなくなるのも仕方ないかもしれない。

  1980年代前半に制作されたフランシス・フォード・コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」という映画をご存知だろうか? “最高傑作!”“独りよがりの駄作”と賛否両論を巻き起こした「地獄の黙示録」を経て、経済的な意味での起死回生を図って制作したものの、相変わらずの独善的制作姿勢がたたり、ついにコッポラは決定的な破産に追い込まれたといういわくつきの映画だ。

  CG、ミニチュアセットなど、1980年代といえば様ざまな撮影技術が使えたにちがいないのだが、あえて実物大のラスベガスを作ってしまったというから、独善的どころか、発想が稀有壮大すぎて、誰もコッポラについていけなかったのではないだろうか?

  私は当時、この映画を劇場で見て、いたく感動したものだった。ストーリーはいたって馬鹿馬鹿しい男女の恋愛コメディーだが、映像表現の斬新さには舌を巻いた。ネット上に誰かが書いていたが、「この作品なくして、果たして“ムーラン・ルージュ”はあり得ただろうか?」という意見に全面的に賛成である。

  あの頃の日本では、湯村輝彦、秋山育、永井博といったイラストレーターの作品が流行っていて、青山のワタリウムではペーパームーン・グラフィックのカードが置かれ始めていた。永井博がジャケットを手がけた大滝詠一の「ALOMG VACATION」は、いまだに音楽アートワークの傑作として語り継がれている。

  そのようなビジュアル環境にいた私にとって、コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」は、まさしく動くアメリカの80年代ポップアートだった。
 
  映像ばかりではない。この映画は一種のミュージカル仕立てになっていて、その音楽を、何とトム・ウェイツが担当していたのだ。一説によると、トム・ウェイツの歌に心を動かされたコッポラがウェイツを口説いて音楽を書かせたらしい。映画のストーリーよりも、ウェイツの音楽の方が先に出来上がっていて、これにシナリオを合わせていったという説もある(その説がうなずけるストーリーの荒唐無稽ぶりだ)。

  全編、トム・ウェイツの書き下ろしで、歌にはカントリー歌手のクリスタル・ゲイルも参加している。今回の「ブロークン・バイシクルス」はその中の1曲。しかし、ご紹介するのはトム・ウェイツとクリスタル・ゲイルによるサントラ盤ではなく、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターとエルビス・コステロによるもの。

  オッターは、すでにこのシリーズの第1回め「私はこの世に忘れられ」でご紹介したクラシックの歌手である。エルビス・コステロとのアルバムは、デュオ作品というよりは、コステロがプロデュースしたオッターのCDというイメージが強い。実際、コステロとのデュオが聞けるのは数曲で、ほとんどがオッターのソロである(だからと言って、このアルバムの価値が下がるものではなく、むしろその方が良かったと思う)。

  このアルバムの「ブロークン・バイシクルス」は、トム・ウェイツの曲の途中に、ポール・マッカートニーの1970年の作品「ジャンク」を挟み込んで歌われる。オッターによる「ブロークン・バイシクルス」の1コーラスめが終わって、ブリッジからコステロの「ジャンク」に入る部分は、何度聞いてもゾクゾクする。

  全18曲、すべてのナンバーが秀逸な仕上がりである上に、カラー46ページのブックレットがついている豪華版のCD、しかし、世の中に残る「アーティスト物」ではなく、「企画物」として片付けられ早々と廃盤になってしまっている。とはいえ、今ならまだ中古で2200円位で手に入れることができる(6000円以上の値をつけている中古屋もある!)。

  このアルバムの「ブロークン・バイシクルス」は、何とかCDを手に入れて聞くべき大傑作である。
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私の好きな歌-8 「この素晴らしき世界」 / エヴァ・キャシディー

2008-05-11 | ■私の好きな歌
  
  「グッドモーニング・ベトナム」という映画を覚えているだろうか?米軍放送のDJに扮したロビン・ウイリアムスがラジオ番組の冒頭で叫ぶのがこのセリフ、" Good Morning Vietnam ! "。

  戦闘シーンでベトナムの惨状を描いた映画とは異なり、DJの「言葉」が戦争の不条理を浮き彫りにしていく。この映画の中で効果的に使われていたのが、ルイ・アームストロングの歌う「この素晴らしき世界」。その昔、HONDAのテレビコマーシャルにも使われていたので日本人には馴染みの深い曲だ。

I see trees of green,
red roses too,
I see them bloom for me and you,
And I think to myself,
what a wonderful world.

  詩はすこぶる陳腐なものだが、曲は美しく、一度聞いたら忘れることができない。やはり、ルイ・アームストロングの独特な節回しが印象深いが、今回はエヴァ・キャシディーの歌で聞いてみる。

  エヴァ・キャシディーはワシントンDCを本拠地に活躍していた歌手だが、日本ではあまり知られていない。正直なところ、私もこの人のことを知らなかった。彼女のCDとの出会いはHMV渋谷店、もう随分と長い間、ジャズ・コーナーの推薦盤になり続けている。

  そのCDは、1996年1月2日と3日にブルース・アレイで行われたライブを収録したもので、「この素晴らしき世界」のほかに「明日にかける橋」「枯葉」などのスタンダードも聞ける。ブルース・アレイはワシントンDCにある有名なジャズ・クラブ、ライブ収録されているオーディエンスの反応を聞くと、エヴァがいかに地元で愛されてた歌手かが分かる。

  実際、エヴァはワシントンDC以外ではあまり活動していた痕跡がない。CDもメジャーレーベルからではなく、聞いたことのないレーベルからリリースされていて、その数もわずかだ。amazon UK は、アレサ・フランクリンとビリー・ホリディ、ジャニス・ジョップリンを合わせたような声質…と訳の分からないことを書いているが、要するに一言では何とも表現しがたい魅力的な声ということだろう。

  ルイ・アームストロングの印象が強く刷り込まれている曲ながら、エヴァ・キャシディーの歌で聞くと新たな側面が見えてくる。青い空に鳥が鳴き、木々は緑に輝く…といった一見能天気な詩が、結局は I think to myself, what a wonderful world. と締めくくられるポイント、つまり、何だかんだと言っても、その世界は自分の中にしか見えていないものなのだ。

  余りにも静かで美しく、そして何だか物哀しいエヴァ・キャシディーの歌でこの曲を聞くと、「世界はこんなに素晴らしいんだ!」という断定ではなく、「世界は素晴らしいというふうに自分には映るのだけれど…」というふうに聞こえてくる。

  CDに収録されているブルース・アレイでのライブは1月2日と3日だから文字通りの正月興行という感じだが、この年の暮れに、エヴァは病が悪化して他界した。1996年、享年わずか33才。

  ライブ録音の他にエヴァが遺した数枚のアルバムは、どれもワシントンDCにある小さなスタジオでレコーディングされたものだ。ブルース・アレイのライブも含めて、エヴァのCDはどれも驚くほど優れた音質である。この音質の純度はメジャーの手抜き録音が遠く及ばない世界である。
  
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私の好きな歌-7 「テネシー・ワルツ」 / トム・ジョーンズ

2008-05-10 | ■私の好きな歌
  数年前、川釣りに行くときにいつも聞いていたのは "The Long Black Veil" というチーフタンズのCDだ。アイルランドのグループ、チーフタンズが大物歌手をゲストに招いて録音したもので、その顔ぶれはそうそうたるもの。

  スティング、ミック・ジャガー、シンニード・オコーナー、ヴァン・モリソン、マーク・ノプラー、ライ・クーダー、マリアン・フェイスフル、トム・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ。

  ご覧のとおり、この顔ぶれの中で全く場違いなのがトム・ジョーンズ。全13曲中、8曲のレコーディングがアイルランドのダブリンで行われ、残りの4曲がニューヨーク、最後の1曲はロスアンゼルスという具合で、これがトム・ジョーンズのセッション、しかも、曲は「テネシー・ワルツ」とくるから思わずのけぞってしまうのである。

  最強の闘士・シンニード・オコーナーは別格として、それぞれのアーティストがきっちりとした音楽的メッセージを持っているアルバムの中で、トム・ジョーンズだけは、ロスアンゼルスの晴天の中でお気楽に歌っているようにみえる。だがしかし、この「テネシー・ワルツ」を実際に聞いたとたん、そんな考えは一度に消えて、思わずひざを乗り出してしまうのだ。

  この歌から聞こえてくるトム・ジョーンズのメッセージはこうだ。『オレは歌が好きで好きでたまらないんだ。大声をだしてシャウトしているときが無常の喜び、今日も生きていて、歌うことができることに感謝するよ』。

  考えようによってはお気楽きわまりないのだが、真の歌好きの歌を聞くことができるのは、これまた無常の喜びであるに違いない。とにかく、この「テネシー・ワルツ」を聞くと、間違いなく幸せになる。どんなに仏頂面をしていた人でも、必ず笑みを浮かべてくれるだろう。

  幸せな人間が運んでくれる音楽ほど心の安らぎとなるものはない。トム・ジョーンズの絶唱「テネシー・ワルツ」から連続するかたちで、チーフタンズのメンバー、パディ・モロニーによる「テネシー・マズルカ」が演奏される。これを聞いて、私は幸せな心持のなかで、川に向かう準備をはじめるのだ。

  
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私の好きな歌-6 「暗い日曜日」 / カーリン・クローグ

2008-05-10 | ■私の好きな歌
  
  前回に引き続き、またもやジャケ買い。とはいえ、アン・フィリップスのように得体の知れない歌手ではなく、カーリン・クローグとスティーヴ・キューン・トリオによる「ニューヨーク・モーメンツ」というアルバムである。

  カーリン・クローグとの出会いは35年くらい前のことで、FM放送で流れていたモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブで初めて聞いた。確かオーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」だったと思うが、歌い方が現代音楽のようで驚いたものだ。

  今回のジャケ買いの最大要因は、ジャケットに使われているエドワード・ホッパーの作品である。私はホッパーの絵を3枚持っているが(もちろんプリントもの)、そのうちの2枚はいつもリビングに架けてある。残りの1枚は、例の「深夜の人たち」、この絵にかぎっては、よほど精神状態が健全なときでないと飾らないことにしている。

  CDのジャケットに使われているホッパーの作品は「ホテルの部屋」というもので、1931年に制作されている。ホテルの部屋、旅行鞄のわきには脱ぎ捨てられた靴がころがっている。手紙を読んでいる女、それが良い知らせでなかったことを暗示させる空虚な気分が画面に満ちている。

  「ニューヨークを舞台にした11編の切ないラヴ・ストーリー」というのがアルバムのコピー。11番目に歌われるのは、あの「暗い日曜日」である。ダミアの歌で大ヒットした名曲だが、この曲を聞くと自殺したくなる…という風評が世間に流れ、ヨーロッパでは放送禁止になったこともある。

  この歌が世に出たのは1933年のハンガリー、ダミアのレコード・リリースが1936年、ナチスの台頭により、ヨーロッパをファシズムの嵐が吹き荒れる前夜のことである。一方、カーリン・クローグのアルバムが録音されたのは2002年11月、あの9.11から1年と少し経った後のことだ。アルバム・タイトル=ニューヨーク・モーメンツ、エドワード・ホッパー、旅行鞄、手紙…。これだけの道具立てが揃えば、「暗い日曜日」は救いようのない絶望感にあふれたものになるだろう、と誰もが想像するにちがいない。北欧の歌姫と呼ばれ、クールな印象がつきまとうカーリン・クローグのことだから、この歌はますます暗く沈うつなものになるのではないか?

  その予測は見事に外れた。過剰な思い入れは一切なく、淡々と語るように歌いながらも、優しさ、温かさといった何ともいえない温度感が漂っている。マイナーからメジャーに転調したときに差込む一瞬の光、しかしすぐに短調の旋律が光をさえぎり、ふたたび訪れるGloomyな気分。しかし、そこに絶望はなく、いつかまた再び光が差し込むのを静かに待ちつづけるように歌は終わる。ピアノは多くを語らず、ベースはアルコ(弦を弾かずに弓で弾く)のままだ。ジャズ界の大ベテラン、カーリン・クローグとスティーブ・キューンは、1930年代のヨーロッパを席巻した“自殺ソング”を恢復=再生の歌に変えてしまった。

  最近、このアルバムの続編がリリースされたが、ジャケットは本作と同じエドワード・ホッパーの作品である。

  

  


  
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私の好きな歌-5 「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」 / アン・フィリップス

2008-05-06 | ■私の好きな歌
  
  「ジャケ買い」という言葉は世の中で普通に使ってよいのだろうか?中身のことは何も知らないのに、ジャケットが素晴らしいからついついレコードを買ってしまうことを「ジャケ買い」と言い、我々が学生の頃に流行っていた言葉だ。植草甚一氏は『ジャケットのよいレコードは必ず中身もよい』と自信を持って語っていた。

  私はジャケ買いをよくする。これもそのひとつ、アン・フィリップスという歌手の「ボーン・トゥ・ビー・ブルー」というアルバムである。アン・フィリップスというシンガーのことを誰か知っていますか?私は何も知らなかった。

  それにしてもこのジャケット、素晴らしい!対岸は霧にかすむNYの摩天楼?川を隔ててひっそりとたたずむ女性、落とした目線の先に広がる限りない哀しみ。得体の知れない物体の黒いシルエットがこの情景に強烈な緊張感を与えている。

  男なら彼女を助けなきゃいかん!何があったか知らんが、俺が何とかしなければ…、ジャケ買いのモチベーションが頂点に達する一瞬である。

  名曲「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」は、恐るべきスローテンポで歌われる。1コーラスまるまるギター伴奏、2コーラスめからソフトなストリングスが入り、あっという間に歌が終わってしまう。ジャケット写真、トレンチ・コート姿のアン・フィリップスが、ハドソン川のほとりでひっそりと口ずさんでいるように聞こえて、この写真を撮影した現場のひんやりとした空気までが伝わるようだ。

  annephillips.com、謎の女性歌手、アン・フィリップスの全貌が明かされるページである。できれば見ないほうが良い。思い出は美しいままにとっておくべきなのだ。このページに見る現代のアン・フィリップスは、あのトレンチ・コート姿の女性とは似ても似つかないほどに変化している。もし、現在の彼女が同じいでたちで同じ場所に座っていたとしても、誰も「俺が何とかしなければ…」とは思わず、目を伏せてその場を立ち去るだろう。

  There Will Never Be Another You=ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー、「いろいろあったけど、でも、あなたに代わる人なんていない!」本当かよ!


  
  
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私の好きな歌-4 「私はこの世に忘れられ」

2008-05-06 | ■私の好きな歌
⇒今回から新シリーズ「私の好きな歌」が始まります。
第一回はマーラーの作品ですが、クラシックにこだわらず、全ジャンルの歌を扱う予定です。ご期待ください。

  ジム・ジャームッシュの「コーヒー&シガレッツ」の中では、最終章の“シャンペン”が一番印象に残っている。この映画は11の小話からなるオムニバスで、それぞれにコーヒーとタバコが登場する。トム・ウエイツ、イギー・ポップ、ケイト・ブランシェットなど、ドキュメントなのか?演技なのか?不可解な瞬間に満ちた摩訶不思議な映画である。

  “シャンペン”は、ビル・ライスとテイラー・ミードという老名優が演じる短いドラマで、マーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の中から、“私はこの世に忘れられ”が取り上げられている。場面は以下のような感じ。一応、シナリオをDVDから採録してみた。映像はジャームッシュらしくモノクロである。(  )内のト書きは筆者による。

CHAMPAGNE
“シャンパン”

ビル  :大丈夫か?
テイラー:そうでもないな。
ビル  :どうした?
テイラー:さあなぁ 置き去りにされた気分だ
     世間から忘れられて
     マーラーの曲を知っているか?
    “私は この世に忘れられ”を
ビル  :いいや
テイラー:この世で1番…
     美しくて物悲しい曲だ
     こうしていると 聞こえてきそうだ
     聞こえるか?

(ふたりで耳に手を当てる。彼方から音楽が聞こえる。その音楽は、マーラーの“私はこの世に忘れられ”である)。

テイラー:消えた
     聞こえたか?
ビル  :たぶんな
テイラー:この建物全体に響き渡っていた
     ここは?
ビル  :武器庫だ テイラー
テイラー:“武器庫だ テイラー”か…
     何だか重々しい響きだな
    “武器庫だ”
ビル  :ニコラ・テスラは…
     地球を1つの大きな…
     共鳴伝導体だと考えた
テイラー:そりゃ一体 何の話だ?
     説明してくれ
ビル  :ムリだよ
テイラー:そうだ
     コーヒーを シャンパンと思おう
ビル  :なぜだ?
テイラー:人生を祝うのさ
     金持ちの上流階級がするように
     優雅にいこう
ビル  :おれは労働者階級の普通のコーヒーが好きだ
テイラー:あー ヤボな奴だな
     お前は いけないよ
ビル  :何が?
テイラー:人生を楽しむってことを知らない
ビル  :そうか?
テイラー:こんな まずいコーヒーがいいなんて
ビル  :本当だ 確かにまずい
テイラー:ひどい代物さ
     乾杯しないか
ビル  :一体 何に?
テイラー:1920年代のパリの街に
     ジョセフィン・ベイカー ムーラン・ルージュ 
ケス・ク・セ サ・ヴァ パパ
ビル  :それと…
     1970年代のNYの街に
     70年代後半だ
テイラー:そうか よし
ビル  :乾杯
     絶品だな
テイラー:シャンパンよ
     神々の酒
     昼めしはコーヒーとタバコだけか 体に毒だぞ
ビル  :昼めしは食ったろ?
テイラー:本当か?
ビル  :休憩でコーヒーを飲みに来たんだ
テイラー:がっかりだな
     休憩は何分だ?
ビル  :10分ほどだ そろそろ終わる
テイラー:ウソと言ってくれ
     さあ
ビル  :何だ?
テイラー:ウソと言ってくれと頼んだろ?
ビル  :何がウソだ?
テイラー:おれはひと眠りするから…
     休憩が終わったら…
     起こしてくれよ
ビル  :ひと眠りといっても あと2分もないぞ

(静かに音楽が流れ始める。“私はこの世に忘れられ”の終結部=コーダである)。

ビル  :テイラー
     テイラー?

(呼びかけてもテイラーは応えない。眠っているのか、死んでしまったのか…)。

ビル  :いいよ 忘れてくれ
  
END

  この映画では、ジャネット・ベイカーの歌が使われているが、他にも名盤は数多くある。私のCD棚からは5種類の演奏が見つかった。

1.クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ) 
  オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
2.クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ) 
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
3.アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ) 
  ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 北ドイツ放送交響楽団
4.トーマス・ハンプソン(バリトン)
  レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルーモニー管弦楽団
5.ディートリヒ・フィッシャーディスカウ(バリトン) 
  レナード・バーンスタイン(ピアノ)

  クレンペラー盤とカラヤン盤は同じソリストを起用しながら、音楽の方向が全く異なる。カラヤンはオーケストラの伴奏を饒舌に語らせることで、ソロを引き立たせようとする。場合によっては、多くを語りすぎるオーケストラが少し鬱陶しいくらいである。一方のクレンペラーはこれとは対照的、淡々とソロに寄り添いながら音楽の大きな振幅を描いてゆく。私のようなカラヤン好きでさえ、この曲はもう少し静かにゆっくりと聴きたいと思ってしまう。その点、クレンペラー盤は推薦に値する。

  上記の2つとも一時代前の演奏だが、これらに比較して、オッター、ガーディナー盤は現代性を感じさせて、目下のところ、私が最も好む演奏である。オッターの歌には大仰な身振りは微塵もなく、歌そのものに耽溺する気配はない。歌うというよりは静かに語るといったほうが適切なほど、ピアニッシモ=ある種の静寂=が支配する世界は例えようもなく美しい。止まってしまうのではないかと思わせるほどゆっくりとした後奏=コーダ、しかし響きは限りなく優しくこの音楽が内包している体温を伝えてくれる。マーラーの音楽につきものの厭世とか諦観とかいった観念からは遠く、後期ロマン派音楽の激情もない。この演奏と居合わせたことで、静かに、ゆっくりと時間が流れ、やがて心が満たされる。わずか数分の音楽に、これほどの力があったとは…。

「リュッケルトの詩による5つの歌曲」から
“私はこの世に忘れられた”

私はこの世に忘れられた、
私はこの世と共に多くの時を浪費したが、
今や世は私の消息を聞かなくなって久しい、
私は死んでしまったのだ、と世は思うだろう!
世が私を死んだ人だと思っても、
私にはどうでもよいことだ。
また、それに反対することもできない、
私はこの世から本当に死んでしまったから。
世の騒音から私は死んでしまい
静かな所にやすらいでいる。
私はひとり私の天の中に、
そしてまた私の愛と、私の歌の中に生きている。


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