私は嫌煙家である!などと威張ってはみたものの、十数年前までは大の愛煙家だった。
酒を止めることは出来ても煙草は無理だと思っていた。止めるキッカケは、自分が吐き出す煙が他人の健康を害しているという事実を明確に知ったときだ。殺人の片棒を担ぐのは御免だと思った。
それともうひとつ、やはり喫煙は時代遅れだと考えた。十数年前、ニューヨークでは公の場で煙草が吸えなくなったというニュースを聞いて、なんてカッコいいのだろう!と感心したものだ。この報せも禁煙のモチベーションを高めたものだ。
校了時期になると一日百本は吸っていたので、私の禁煙を知った友人たちは一様に驚いた。減煙ではなく、ある日突然止めたのだから、その驚きもひとしおだったと思う。煙草を止めた後の数ヶ月間は相当苦しんだものの、一年も経てば慣れた。止めた直後の禁断症状は、苦しみに耐えつつ煙草そのものの害毒を強く思い知らされる結果となった。自らの身体をボロボロにしながら、他人の健康も蝕んでいたなんて…。
とにかく、未だに煙草が止められない人は、最低でも公の場は吸うのは止めるべきである。さらに、日本全国津々浦々、飲食店は全面禁煙にすべきである。オレは煙草の煙に殺されるのは御免だ。
ただ、しかし、どうしても煙草を容認しなければならないことがある。またもやトム・ウェイツである。
ウェイン・ワンの映画「スモーク」は、文字どおり煙草をモチーフにした洒落たストーリー。ブルックリンにある煙草屋の店主をハーベイ・カイテル、近くに住む作家をウィリアム・ハートが演じている。この映画は煙草を抜きにしては成立しない。この映画の中だけ、私は煙草の存在を許すことにしている。
ストーリーは単純明快、とは言え、シンプルな話の展開の中にこそ心がホッと癒される瞬間があるものだ。まだ見ていない人には是非お薦めします。
この映画のラストシーンは実に感動的なのだが、カラーからモノクロ画面に変わって流れるのがトム・ウェイツの " Innocent When You Dream "。彼のアルバム " FRANK WILD YEARS " の中のナンバーだ。このアルバムには、他に " Train Song" など『泣きのトム・ウェイツナンバー』が入っている。
エンドクレジットにはジェリー・ガルシア・バンドの軽快な「煙が目にしみる」が流れて、トム・ウェイツの歌で湿るだけ湿りきったラスト・シーンを、上手い具合に中和させて観客を家路につかせるのだ。
ところで、5月10日の朝日新聞・夕刊にヤン富田さんの記事が載っていた。記事の書き出しはこうだ。
『スチールドラム奏者であり現代音楽家であり、ポップソングからロック、前衛音楽までのプロデューサー、そして電子楽器の研究家…経歴を書き連ねるだけで記事が終わりそうなアーティスト、ヤン富田が、自作曲やプロデュース曲の主題を変化させた作品集=Variations・変奏集を出した』。
このCDのラストには「Forever Yann」という自作曲が入っていて、これは元東大全共闘議長・山本義隆氏の演説のサンプリングから始まるそうだ。私は迷わずアマゾンに「変奏集」を注文した。ヤン富田氏の年齢が私と全く同じであることが、余計に彼の音楽への興味をかき立てた。
CDが届き、私はそれを一気に聞いた。中でも「煙が目にしみる」は出色の仕上がりである。歌うのは山本リンダ。いつ終わるとも知れない無限ビート…、この手があったか!と思わずニンマリした。煙草もしかり…毒のあるものほど美味しい。さらに、煙草もしかり…中毒からは抜けられない。
同じ1952年生まれ、私はヤン富田さんの音楽の中に、音楽ホリックの密かな楽しみを聞いた。