2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■ i Phoneが写した五反田の寿司

2010-03-12 | ■世界のグルメ
(C)Ryo

  五反田には数軒の寿司屋がありますが、贔屓にしている店の売りは「親方が米生産農家の倅」というものです。

  売り文句のとおり、この店の米(シャリ)はじつに美味い。写真は、ランチタイムの「魚沼」というメニュー。まさに、魚沼産コシヒカリの饗宴を味わえます。

  
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■アバター

2010-03-05 | ■映画
  話題の映画「アバター」を見ました。

  圧倒的な制作資源を投入した映画で、見終わったあとに多少の疲労感が残りました。

  (たぶん)アメリカの企業が、ある星で採れる高価な鉱石を求めて他の星を侵略するという話がベースになっていますが、壮絶な戦闘によって白黒がつけられるという物語の結末に向かって3Dの大スペクタクルが展開します。

  主人公の試練、苦悩、達成、さらに恋愛があるのは何時ものことですが、その「気づき」に向かう過程は、今まで見たことがないようなとてつもない映像の力と美しさが示されます。

  この映画に、アメリカが過去に日本やベトナム、イラクやアフガニスタンで犯した戦争責任への反省と贖罪の気持ちを見ることも可能ではありますが、最後の戦闘シーンがあまりにハリウッド的であり過ぎて、ガムを噛みながら日本人やベトナム人を虐殺した「アメリカ」のスポーツとしての戦争という構図が浮かんできました。敵も味方も、兵士は死に、戦争を仕掛けたアメリカ人の企業家は生きているところもアメリカそのものでした。

  「アバター」の戦闘シーンで虐殺されるのは敵も味方も常に無名の人であり、主人公に準ずる存在の死は英雄扱いされます。もちろん映画ですからそれは当然のことですが、私たちにはここで描かれた無名の死に思いをいたす想像力が必要だと思いました。戦争とは常におびただしい無名の死の集積であり、その累々たる死体のひとつひとつに、今私たちが生きているのと同じような人生があったのだということ、それがある日、不条理なままに無理やり死に駆り立てられる(死ぬことを強要される)、これが戦争であるということ、それを思うことで「アバター」の過剰な戦闘シーンに意味を持たせることができると思いました。




  

  
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