2001年、別府のアルゲリッチ音楽祭ではじめてゲザ・ホッスを聴いた。ゲザはまだ十代だったが、天才バイオリニストとしての存在感は絶大だった。あれから約10年、フォーレ、ドビュッシー、サン=サーンスといったフランスものを東京で聴いた。
ソナタの各楽章で客席から拍手が起きたのは、聴衆が音楽を知らないからではなく、楽章の切れ目で思わず手をたたきたくなるほど魅力的な演奏だったからだ。それほど個性的で独創的な解釈だった。ポゴレリッチがショパンを縦横に分析=分解していくように、ゲザは大作曲家の有名作品を独自の世界観で読み解いていく。常識的な句読点に気を配らずに、自らの言語、フレーズで演奏する。フランス音楽のエスプリなどおかまいなく、いっさいの固定観念から解き放たれた新しい音楽が生まれてくる。聴きなれた音楽が、現代の尖端を走る演奏家によって全く新しい衣装をまとうプロセスに立ち会うのは、じつに楽しいものだ。類まれなるテクニックに、演奏者自身が耽溺しているように見えた瞬間もあったが、それやこれやを全て呑みこんでしまう巨大な音楽の器が、彼には備わっているように見えた。
アンコールに演奏されたグルックの「メロディ」で、はじめてシンプルに旋律を辿ったゲザは、当夜、もっとも深いpp=ピアニッシモを奏でた。その幽玄な響きの中に、かつての天才少年が大人の演奏家へ脱皮していく羽音を聴くようで、胸が熱くなった。