2020@TOKYO

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マタイ受難曲

2008-03-08 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  ヨハン・セバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」は、彼の死後80年近くの間、人々から忘れ去られていた。この曲ばかりではない、バッハの多くの業績が、モーツァルトやベートーベンの活躍の影に隠れて、人々から顧みられることはなかった。

  「マタイ受難曲」の初演から100年、当時弱冠20歳、やる気満々のメンデルスゾーンによって、この曲は復活した。1829年3月21日、ベルリンでの演奏会の席上には、当時の国王の他に哲学者のヘーゲルや詩人のハイネが座っていたという。

  2008年3月7日、サントリーホールで開かれた「マタイ受難曲」の演奏会に出かけた。演奏は聖トーマス教会合唱団とゲバントハウス管弦楽団。私はこの演奏に深く感銘した。深く感銘しつつ、バッハを聞いたあとに必ず訪れる不思議な感情の流れに襲われていた。簡単に言うと一種の孤独感のようなもの。ひとりで遠くの地に旅立ってしまったような心持。バッハを聞くと、たいてい私は、少しおかしくなる。

  一晩たった土曜の朝、日も昇らないうちに起き出し、あの不思議な感情の有様を分析しようと試みた。樋口隆一の「バッハから広がる世界」を取り出して、ヒントを探ってみた。昼までにだいたい読み終えた。そうして、結局こういうこともあるかもしれない、という思いにいたった。以下の節は、この本の引用。

  ヨーロッパ音楽の本質を、キリスト教文化としてのヘブライズム、古代ギリシャ文化としてのヘレニズム、さらにはアルプス以北の土着文化としてのゲルマニズムという三者の総合に見る議論はしばしばなされるが、バッハの音楽にはまさにその三者がバランスよく共存している。
  ヨーロッパの音楽の発展を概観すると、バッハが活躍した十八世紀前半が、大きな転換点を形成していたことに気づく。ヨーロッパ社会の中で音楽がさまざまな在り様を取ってきたことはもちろんだが、中世以来十八世紀にいたるまで、その主流がキリスト教音楽であった。つまり、音楽家の営みは、どのような音楽を作曲し演奏する場合も、極言すれば神を讃える行為に他ならなかった。しかし、十八世紀にいたり、厳密にいえば一七三〇年代以降、台頭しつつあった啓蒙主義の影響により、音楽家はむしろ個々の人間の心情の吐露を求めるようになってゆく。(中略)一七五〇年にその生涯を終えたバッハは、キリスト教中心の音楽史の最後の帰結であり、しかも驚くべきことに、彼自身がそのことをはっきりと自覚していた。(中略)
  中世人の考えでは、神が創造された大宇宙も、人間の心身を意味する小宇宙も、それぞれ数の比によって支配されており、それにはそれぞれ調和が存在する。彼らはそうした調和を特に「宇宙の音楽」、「人間の音楽」と呼んだ。しかし残念なことにこれらの調和ないしは音楽を、私たちは知覚することが出来ない。だが幸いなことに、神はまたこれらの調和ないしは音楽と呼応し合う第三の音楽として、現実のいわゆる音楽を創られたのである。彼らはこの第三の音楽を「道具の音楽」と呼んだ。もし私たちが宇宙も人間も、いや万物について知ろうとするならば、その調和を教えてくれる現実に鳴り響く音楽を探究しなければならない。
  ヨーロッパの社会と文化において音楽が重要な意味を持つ根源的な理由は、こうした中世の世界観、音楽観に求められる。それはまさに底流のように現代に向かって流れ続ける。

  バッハを聞いて私が少しおかしくなるのは、別に形而上的なことではなく、どうやら、中世の世界観、音楽観をめぐる冒険にひとりで旅立たなければならないという切羽詰った状況を感じるからなのではないか…と思う。バッハの音楽を聞いていると、『「万物は数の比例に還元される」とするピタゴラス的な世界観(樋口隆一)』に圧倒され、その向こう側に、ヘレニズムとかマルチン・ルターとか、ゲーテだのフィフテだの、マックス・ウェーバーだのが現れて、私は混乱するのだ。

  ところで、啓蒙主義ということで思い出すのは高橋悠治。バッハのゴルトベルク変奏曲の全曲演奏会から少し経って開かれたシューベルトやシューマンのコンサートで、彼は啓蒙思想の成り立ちと、反啓蒙主義ととれる発言を舞台の上で行った。イラク戦争などもからめての話である。

  高橋悠治の著作「音の静寂・静寂の音」の中に、「バッハから遠く離れて」という彼自作の詩が載っている。この中に、偶然「マタイ受難曲」と「啓蒙主義」が同居している一節を見つけた。高橋悠治は、樋口隆一とは対照的に、相変わらずバッハにしがみつくしかない現代の我々を嘆いている。これも、現代のバッハ観である。

  一七五〇年の死から二五〇年もたつというのに
  ヨーロッパ音楽はまだバッハを鏡として
  自己中心的な夢にひたっているのか

という節ではじまり、やがて、次の節が現われる。

  音から離れて記号となった音楽は 生活からも離れていく
  マタイ受難曲 生きた神を裏切り見捨てた人間の
  ロゴスとなった神からの 耐え難い距離
  ブランデンブルク協奏曲 音楽の捧げ物
  宮廷のアマチュア貴族の手や耳には複雑すぎる名人芸
  市民社会にさきだって 音楽の世俗化がはじまった
  技術の集約と個人化
  主体と客体の分離
  知の権力
  音楽の啓蒙主義はまだ世界を支配している
  あらゆる伝統文化に寄生し 内側から造りかえ
  存在しなかった起源を発明しながら

そして、最後の節は次のように締めくくられる。私は高橋悠治のバッハ演奏を限りなく愛するものだが、この最終節に彼のバッハに対する本音が表れている。

  バッハの曲のどれかを鍵盤の上でためしてみる
  完成されたものとしてではなく
  発明された過去としてではなく
  未完のものとして
  発見のプロセスとして
  確信にみちたテンポや なめらかなフレーズを捨てて
  バッハにカツラを投げつけられたオルガン弾きのように
  たどたどしく まがりくねって
  きみは靴屋にでもなったほうがいい
  その通りです マエストロ
  そして この音楽と現代社会のかかわりについて
  さらに 日々の生に その苦しみにこたえる音楽をもたず
  過去の夢に酔うことしかできないこの世界の不幸について
  瞑想してみよ

*「バッハから広がる世界」樋口隆一 春秋社
*「音の静寂 静寂の音」 高橋悠治 平凡社

(写真は「マタイ受難曲」が初演された聖トーマス教会のロゴマーク)

 

  
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