昨日は、敬愛する先輩と新橋に行った。今日は、敬愛する友人と行った。2日続けての新橋、昨日はブログに書いたとおり日本酒のソムリエが居る高級和食店、今日は、友人との割り勘が似合う居酒屋だった。
夏休みの話題。君はいつ夏休みをとるの?という私の問いかけに、彼は、9月に入ってからかなあ?と答えた。何でも、彼の次男坊が自転車旅行に出て、彼の故郷、九州に到着するのが9月初旬、これに合わせて,息子の九州到着を迎えようというもの。
次男坊の道程は、さぞかし、サイクリング姿に身を固めてのものと思いきや、なんと「ママ・ちゃり」での走行。これは、造語だが、まさしく走行ではなく、凄行と呼びたい驚きであった。
次男坊は、すでに京都への往復自転車旅行を、ママ・ちゃりで実現したツワモノだが、何分にも友人の息子のやること、今回も、旅の無事を祈るのみだ。
自転車といえば、天安門広場を駆け抜ける車軸の列、それを活写した映像が忘れられない。民衆の、無限のエネルギーを表出する風景。堤清二(辻井喬)は、天安門広場を走る自転車の駆動力を、デンマーク・ルイジアナ美術館に展示されているオルデンバーグの車輪のオブジェに同化させて、見事なエッセイに昇華させていた(70年代の日経新聞)。
そして、ビットリオ・デジーカの「自転車泥棒」。自転車が主人公であると言えるような映画だが、自転車一台が人生をも変えてしまうほどの「格差社会」を目の当たりにすると、ついつい、我々も昭和時代を思い出してしまう。
天安門広場の自転車、デシーカの自転車、ともに民衆の潜在的なエネルギーを担うオブジェとしての存在だったが、これとは逆に、ツール・ド・フランスに登場する自転車は商業主義を標榜する走る広告塔として、私たちの前に現れる。
私は、ツール・ド・フランスに夢中になっていた時期がある。ベルナール・イノー、グレッグ・レモン、ローラン・フィニヨン、ベドロ・デルガドらが活躍した80年代である。
ピレネー山脈を疾駆するロード・レーサーの姿にあこがれた私は、イタリアの自転車記録保持者、フランチェスコ・モゼールの名を冠した自転車を購入し、休日のたび、大井埠頭を駆け回っていた。もちろん、スピードメーターも設置して…。
今も、その自転車は家にある。しかし、私にはそれを駆動させる勇気がない。フレームが一般的なサイズより一回り大きいもので、駆動するにはかなりの体力を必要とする。
ふと、思い出して書棚に目をやると、「ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく」という本が目についた。マイヨ・ジョーヌとは、ツール・ド・フランスで与えられる最高の勝者の称号、黄色いジャージのことである。
この本は、単なるレース本、自転車本ではなく、かなり重い読み物だ。この話は、別の機会に譲ろう。今年のツール・ド・フランス、相変わらず薬物疑惑(ドーピング)が、試合結果を不透明なものにしているらしい。
やはり、ママちゃりで、900キロをこえる地平を駆け抜ける青年の純粋な精神こそが、根源的な銀輪のロマンである。自転車少年だった私にはそれが良く理解できる。友人の次男坊が無事に九州に到着したときの話で、私たちはまた新橋で出会い、つかの間、今日のように幸せになれるのだろう。
(写真はツール・ド・フランス2007風景)