2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■風姿花伝 その二

2009-10-30 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  前回、風姿花伝について書きましたところ反響が大きかったので、つづきを書きます。

  「五十有余歳」のところに出てきた『このころよりは、おほかた、せぬならでは手だてあるまじ』というのは、“この歳になったら、何もしないということ以外に方法はない”という意味です。かなり厳しいお言葉ですね。

  本日は、『花は残るべし』のつづき。亡父とは世阿弥の父、観阿弥のことです。

  亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日、駿河国浅間の御前にて法楽つかまつり、その日の申楽、ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。およそそのころ、物数をばはや初心に譲りて、やすきところを少な少なと色へせしかども、花はいや増しに見えしなり。
  これ、まことに得たりし花なるがゆゑに、能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、目のあたり、老骨に残りし花の証拠なり。

  観阿弥、死の直前を冷静に観察したものですが、概略以下のようなことが記されています。

  亡父の観阿弥は五月十九日に五十二歳で死んだが、その月の四日に駿河の国・浅間神社で奉納の能を奉った。その日の申楽はことに華やかで、見物人の上下身分をこえて賛美した。そのころの父は、数々の演目を若手に譲り、負担のかからない出し物を控えめに舞い、彩り豊かに演じたので、老いてなお花は盛りとなった。
  これこそ、まことに父が会得した真の花だったがゆえに、派手な動きは無く、枝葉が少なく、老木のごとき景色であったとしても、花は散らずに残っていた。これこそが、目のあたりにした老いてもなお残る花の証拠である。

  「花は残るべし」。まさしく、ただ安々と世を送っていては花は残らない。「まことに得たらん能者」にこそ「まことに得たりし花」が授けられ、「老骨に残りし花の証拠」が厳然と立ち現れるのでしょう。

  

  
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■風姿花伝―花は残るべし

2009-10-24 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  昨日はルーマニア大使館で催された生け花とワインの会に出かけました。正確なタイトルは、「ルーマニアガラスに活けるニッポン」というもので、草月流生け花作家の州村衛香さんが、生け花に関わる解説を交えながらルーマニアグラスに花を生けて行くという趣向でした。

  私は生け花というものにほとんど縁がなく、学生時代に出かけた現代音楽の演奏会で、器楽の音にあわせて安達瞳子さんがサクサクと花を生けて行く一種超然とした光景だけが、イメージとして残っていました。

  今回の催しも誘いを受けたときに、実のところ生け花などたいした興味もなく、その後に供されるらしいルーマニアワインに釣られて出かけたものでした。

  当日は形の異なる四つの花器にそれぞれ別の創意に溢れた花が生けられたのですが、あらかじめ定められた花器という限定された空間に、わずかな時間の中で視覚的な小宇宙を造形してしまう生け花の力に圧倒されました。完成した生け花は、正面からの鑑賞ばかりでなく、私たちには360度角度を変えて楽しむことが許されていました。

  後のワイン会を抜け出した私は、気がつくと、幽玄な薄明かりの中に静かに佇みつつも自らが格調高い光彩を放つ花々の前に屹立していました。

  花が生けられていく過程、それはいわゆる序破急と呼ぶべきスリリングな展開に満ちているのですが、幽玄、序破急、花といった言葉こそは世阿弥の風姿花伝を想起させます。

  昨日、生まれて初めて生け花が少しは理解できたのかもしれないと思ったとき、私は自分が結構な年齢になっていたことに気づきました。風姿花伝は、年来稽古条々という章に始まり、説き起こしは七歳からとなっています。

  この芸において、大方、七歳をもて初めとす。この比の能の稽古、必ず、その者自然とし出す事に、得たる風体あるべし。

  このように始まった章は、やがて我が五十有余歳をもって一旦閉じられます。

  五十有余歳 この比よりは、大方、せぬならでは、手立あるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申す事あり。さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。

  
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■LUMIX-LX3 によるアンドレアス・グルスキーの世界

2009-10-03 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
(C)idea

  友人が一枚の写真を送ってきました。昨日の夜、彼と会って許可をもらったので掲載します。この写真に関しては、友人と以下のようなメールのやりとりがありました。もちろん、このテーマの前後には別の話が書かれていますが、今回は抜粋でお届けします。

  ⇒友人からのメールの一部

  ドイツの写真家、アンドレアス・グルスキーは、ライン川をはじめサンパウロ・セー駅や香港の証券取引所の写真などで有名ですが、大判カメラの特質を活かした緻密な細部描写、パノラミックな視点でとらえたものを壁面いっぱいにプリント、巨大な空間に蠢く人間を匿名の存在、普遍的なものとして提示しています。

  空港をグルスキー的視点を狙ったつもりが、どうも普通の写真となってしまったようです。こんどは撮影モードも意識して駆使してみたいと思います。
  
  ⇒私からの返信の一部

  「HANEDA」の写真、ありがとうございました。

  アンドレアス・グルスキーの写真には、4年前に東京国立近代美術館で開催された「ドイツ写真の現在―かわりゆく「現実」と向かいあうために」という展覧会で初めて出会いました。

  改めて当時の展覧会カタログを開いてみると、「Greeley 2003」「サンパウロ、セー駅 2002」「ライン川Ⅱ 1999」「大阪 1990」「香港証券取引所 1994」といった作品群が展示されていました。

  巨大さと緻密さが同居する不思議な世界に圧倒されました。

  「HANEDA」もグルスキー的な写真であると思います。

  特に光線がきれいで、空港にうごめく人々の属性がすべて洗い流され、無菌状態の強大な空間が提示されたような印象をうけます。

  この狙いこそが、グルスキー的である所以です。

  特に空港をテーマとしたことで、背景にグローバリズムへの視点も生まれてくるわけです。

  ⇒このようなメールのやりとりの後、私たちは渋谷の酒場で夜がふけるまで写真論を語り合ったのでした。
  
  
  
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