2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■エソテリックのSACDなど

2009-09-27 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)

  昨日と今日、9月最後の週末は一日中原稿を書いて過ごしました。恒例の早朝5時ウォーキング以外には外の空気に触れていません。

  聞きたいCDが溜まっています。この1~2週間の中で集めたCDは10枚、重量感のあるものから先に聞き始めました。

  まず、エソテリックが自社の機材と電線(コード)までを投入してSACDに仕立てた入魂の作品。クライバー、ウィーン・フィルのブラームス:交響曲第4番と、カラヤン、ベルリン・フィルの新ウィーン楽派管弦楽集。

  前者は、世の中がデジタル録音に突入した矢先に制作されたもので、最初にCDでリリースされたとき、まだ未開発な部分を残していたデジタル録音の負の部分が表れたような、一種とげとげしい音でした。それが今回はリマスタリングの良さも手伝って、全体がソフトで美しい響きに生まれ変わりました。木管の明瞭さなど、以前のものとは別の演奏のように聞こえてきます。

  よく枯淡という表現が使われるブラームスの4番ですが、今回のSACDで聞く限り、クライバーの演奏には、青春の輝きに満ち溢れるような明るい歌を感じてしまいます。リマスタリングやエソテリックの超ハイエンド機材の成果によって、ウィーン・フィル本来の響きが聞こえるせいか、音楽そのものに精気が漲っています。

  カラヤンのシェーンベルクやウェーベルンも、LP時代に磨り減るほど聞いた名演ですが、今回のSACD化によって、後期ロマン派の音楽が20世紀現代音楽の大きなうねりの中に溶けていくような印象をもちました。ベルリン・フィルのなんという豊穣な響き!

  ケンペ、ミュンヘン・フィルのブルックナー:交響曲第4番と第5番がxrcd24で甦りましたが、音の良さはもとより、演奏の確かさに改めて感心しました。

  全曲は聞きとおしていないものの、シフのバッハ「パルティータ全曲」は大傑作です。ECMレーベルによるベートーベンのソナタ全集が完結したばかりですが、ベートーベンと並んで、このバッハでもECM独自の済みきった録音が楽しめます。

  シフのパルティータをつまみ聞きしていて確信をもったのは、現在SHM-CDでリリースされている彼の「ゴルトベルク変奏曲」。

  期待は見事に的中しました。何というか、これこそは希望の音楽です。最終変奏の何と言う明るさ!速めのテンポでぐいぐいと引っ張りながら、明瞭なタッチは、この音楽の行く末を明るく照らし出します。

  内田光子のモーツァルト:ピアノ協奏曲題23番と24番も、つまみ聞きながら、たいへんな名演であることを実感しました。

  他には、今話題のビートルズ・リマスター・シリーズ。とりあえず、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と「アビー・ロード」を購入しました。同時に、「サウンド&レコーディング・マガジン」に詳述されているリマスター秘話をいちいち肯きながら読んでいます。

  変り種ですが、早川義夫+佐久間正英+HONZIのアルバムは素晴らしかった。先ごろ夭折したHONZIを偲ぶ企画ですが、この3人が音楽と向き合う真摯な態度に心を打たれました。

  

  
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■ LUMIX DMC-GF1C 3

2009-09-25 | ■東京の光と影

  カメラにプリセットされているマイカラーモードを上手く使うと、思いもよらない質感の絵が構成されます。

  これはゆりかもめのホームに上がるエスカレーターですが、変わった肌ざわりの写真になりました。
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■ LUMIX DMC-GF1C 2

2009-09-25 | ■東京の光と影

  このカメラの大きな特色は、何よりもレンズが明るいこと。F1.7ですから、豊かな光量の中で余裕のある写真が撮れます。

  さらにオートフォーカスのピントが瞬時に合うので、ストレスを感じません。何も細工をせずに、素直に撮った花屋さんの店先です。
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■ LUMIX DMC-GF1C

2009-09-25 | ■東京の光と影
  忙しいのも考え物で、日常生活におけるまともな判断力が鈍るという副作用があります。

  先週の金曜日、敬愛するジャズ・ベーシスト、鈴木良雄さんのインタビュー取材を終えて、ホッと一息つきつつ大井町のヤマダ電機に入ったのが運のツキでした。

  その日が発売日だというLUMIXの新デジカメ、DMC-GF1に出会ってしまったのでした。マイクロフォーサーズという方式の超小型一眼で、躯体といい操作性といい、過去に出会ったデジカメの中では、もっともわたし自身のセンスに合うものでした。

  ただでさえ忙しいのに、とんでもない遊び道具が転がり込んだわけで、寸暇を惜しんで実験的な撮影をつづけています。

  浜松町の日の出桟橋付近は撮影実験にはもってこいの場所で、なかなか面白い効果のある撮影ができました。
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■九月句会 その五

2009-09-21 | ■俳句
  さて、すでに書いたとおり、句会には毎回「席題」というものが師匠から提示されます。私が始めて出席したときの席題は「鉄」、次が「気」、「急」とつづき、今回は「半」という題でした。

  半という題さえ入ればよいわけで、半分、半端、半漁人など、使い方は自由です。ただし、その場で詠む即興芸が問われるわけで、まさに実力が試される機会でもあります。

  季語の設定がむずかしい場合は、当日の季題を使うことが推奨されていて、この作戦に出る人が結構多いようです。

  そこで、私は「鯊」を使用し、以下の句を詠みました。

  鯊の背に半透明のひれ踊り   白竜子

  仕事の過労が重なって、句会の会場に着いたときにはほとんど寝てしまいそうな状況の中で詠んだものなので、自信はまったく無かったのですが、師匠が佳作として採ってくれました。

  そんな中、少し遅れてきて私の隣に座ったある参加者は、大島の単衣を凛と着こなし、席題を聞くやしばらくの間をおいて、ささっと短冊に筆を走らせました。

  それがどんな句だったか、私はカンニングをしませんでしたが、やがてその句が特選になったことで、全貌が明らかになりました。

  半襟の色も冴えたる月の道   香を里

  席題の「半」を半襟と見立てたところで勝負はついていました。しかも、この句の空気感の清冽なこと!この人が歩く月の道の先には何が待ち受けているのか?決して、悲劇だけは待ち受けているはずがない…と思わせる不思議な気配。

  半襟、色、冴える、月、道といった文字が心の安寧を表すのは何故か?

  半襟の色も冴えたる月の道   香を里

  「月に憑かれたピエロ」同様、私はますます俳句の深淵に引き込まれて行くのでした。

  

  
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■九月句会 その四

2009-09-19 | ■俳句
  句会への参加は、これで四回目になりますが、私は音や音楽に関わる句をなるべく一つは詠むように心がけてきました。

  今回の季題は吾亦紅、鯊、月でしたから、音楽に関わるテーマとしては月が一番適切でした。少し考えてはみたのですが、夜想曲とかノクターン、あるいは月光ソナタなどといった陳腐きわまりない発想しか出てきません。そこで、夜汽車の汽笛をモチーフにして、とりあえずは音に関わる句を読んだわけです(九月句会 その一)。

  ところが、今回の句会では驚くべきことが起きました。私は、ある参加者の句を見て愕然としました!

  あの人も月に憑かれたピエロかな   岡松朝季

  Pierrot Lunaire = ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)。20世紀現代音楽の扉を開いたシェーンベルクの代表作です。室内楽の伴奏で、女声によって歌われるのはアルベール・ジローの詩21編。後期ロマン派の音楽がもたらした調性の崩壊を体現した作品で、12音技法へ向かいつつあるシェーンベルクの傑作です。

  18歳のころ、大阪万博で出会ったシュトックハウゼンの衝撃を皮切りに、私は一気に現代音楽の世界に足を踏み入れましたが、その方向を決定づけたのが、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」という作品でした。

  あの頃からおよそ40年、再びこの作品のタイトルに出会うとは!しかも、句会の席上で!音楽にまつわる句を探っていた中、まさに「やられた!」という感じでした。

  あの人も月に憑かれたピエロかな   岡松朝季

  「俳句は写生である」という一つの定義に、この句がかなっているのかどうかは分かりません。しかし、声に出して詠んだときの不思議な感覚、描く対象を冷静に客体化しつつも、どこかで背筋が凍るような鋭い韻律を感じます。

  十七文字のうち、月に憑かれたピエロで十文字を費やし、残りの五文字でこの句が支配する空間と時間を表してしまった。これは、まことに音楽的な句だと思います。音楽は1オクターブ=全音と半音12の音で出来ています。ドビュッシーは、モーツァルトの音楽を評して「これほどの音楽が、たった12の音で出来ているとは!」と書き残しました。この言葉を借りれば、これほどの世界が、たった十七の文字で出来ているとは!

  私は、この句に心からの感動を覚え、作者の許諾を得てここに紹介しました。今までの句会で出会った句の中では、もっとも衝撃的な作品でした。

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■九月句会 その三

2009-09-18 | ■俳句
  今回の句会、季語となったのは、月一切、鯊、それに吾亦紅(われもこう)でした。

  かつて長野の白馬を訪れた際、草原に群生する吾亦紅を見た覚えがあります。私の中では、朝日に輝くイメージと月光に照らし出される情景が同居していて、結局は二句詠むこととなりました。

  吾亦紅 掌(て)にひとひらの 朝の露   白竜子

  吾亦紅 灯せよ吾子(あこ)の 帰り道   白竜子
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■九月句会 その二

2009-09-17 | ■俳句
  釣り師の面目をかけて鯊(はぜ)の句にはこだわりました。川釣りのことが分かっている人には強くアピールしたものと思います。

  朽ちもせぬ 鯊の住処か 川柱   白竜子
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■九月句会 その一

2009-09-16 | ■俳句
  激烈な忙しさの中で、長いことブログの更新ができませんでした。

  一昨日、九月の句会が催されました。今回の季語は、吾亦紅(われもこう)、鯊(はぜ)、月一切。まさしく、秋にふさわしいテーマでした。

  句会の方式は過去のブログに何度も書いたので省略します。今回は、投句・六句のうち、五句が選に入るという確率のよさでした。しかも、まったく時間の無い状況で詠んだものばかりでした。

  まずは、最も多くの出席者が採ってくれた句。それは、月を季語としたものでした。

  草原に 夜汽車の汽笛 月を呼び   白竜子
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