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■夏の歌

2007-08-21 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  昨日は虫の声に誘われて、ついつい秋の話を書いてしまったが、今日はまた何という暑さ! 「九月の雨」「枯葉」などという詩情に思いを寄せている余裕はなくなった。

  夏休みに入る前のコラムで、中田喜直の「夏の思い出」について書いた。今日は、イギリスの作曲家の話。

  西洋音楽の世界では、ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどの国が有名な作曲家を輩出しているが、イギリス生まれの作曲家となると、なかなか名前が浮かんでこないだろう。とりあえずは「青少年のための管弦楽入門」のブリテン、「威風堂々」で有名なエルガーあたりだろうか。他にはティペット、ウォルトンなどという作曲家もいるが、日本で有名とは言いがたい。もっとも、イギリスには、ポール・マッカートニーとジョン・レノンという稀代の旋律作家(メロディー・メーカー)がいるのも事実。モーツァルトやベートーベンに比肩できる大作曲家たちである。

  フレデリック・ディーリアスという作曲家をご存知だろうか? 1862年イギリスはヨークシャー州、ブラッドフォードの生まれ。裕福な羊毛業者の子でありながら、父に反発して音楽の道を志し、ドイツ・ライプツィヒに渡る。1897年、パリで女流画家と結婚したのち、近郊の村、グレ=シュール=ロワンに移り、広い庭園つきの家で隠遁生活を送った。

  この人の作品には何故か夏をテーマにしたものが多い。狂詩曲「夏の庭園にて」、「川の上の夏の夜」「夏の歌」…。これらの音楽は、それぞれが一幅の絵画を思わせる色彩感にとんだ仕上がりで、とりわけ同じイギリスの画家、ターナーの作品を連想させる。

  私はとくに「夏の歌」が好きだ。ディーリアスの作品の多くは、グレ=シュール=ロワンで書かれている。グレ=シュール=ロワンとはロワン河畔のグレという意味。行ったことも見たこともない場所ながら、その辺りの大気の香りまでがはっきりと感じとれるような楽曲である。

  おそらく、それほどに音楽が自然に包まれた、たおやかな時の流れに寄り添って書かれているのだろう。やがて、行ったことも見たこともないロワン河畔への連想は、彼の国イギリスの、われわれがよく知る田園風景へと変化していく。

  「夏の歌」を書いたころ、ディーリアスはすでに失明と四肢の麻痺に襲われていた。絶望に沈む作曲家の目となり手となって作品を完成させたのは、イギリスの音楽青年エリック・フェンビーだった。

  フェンビーに対して、ディーリアスは「夏の歌」が描く映像の世界を次のように説明したのだという。

  「われわれは、ヒースの生い茂る断崖の上に腰を下ろして、海を遠望するとしよう。高弦が持続している和音は、青く澄んだ空とその情景を暗示している…曲が活気を帯びてくると、君はバイオリン群に現れる、あの音型を思い出すだろう。わたしは、波のおだやかな起伏を表すため、その音型を導入しておいたのだから。フルートが、滑るように海の上を飛んでゆくカモメを暗示する…冒頭のテーマは、曲の最後にも現れて、やがて静謐のうちに終結に向かってゆく」(三浦淳史さん訳=一部改ざん)

  ディーリアスには他に、「春初めてのカッコウを聞いて」という美しい題名をもつ曲もある。機会があったら、ぜひディーリアスに親しんでみてください。

  (写真はロワン河畔)

  

  

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