アンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」は、バッハの「マタイ受難曲」第39曲“主よ、憐れみたまえ”で始まる。長いオープニング・タイトルを、このアリアが哀しく、美しく先導する。
タルコフスキーの「ストーカー」では、主人公がこのアリアの一節を口笛で吹く場面がある。「ストーカー」を初めて見た頃は、まさかこのアリアが「サクリファイス」に受け継がれるとは思ってもみなかった。
このアリアは、レチタティーヴォ“ペテロは外の庭に座っていた”に続いて歌われる。ペテロはイエスと共に囚われの身となりながら、イエスなど知らないとシラをきる。ペテロが三度、イエスを知らないと誓ったとき、傍らで鶏が鳴くというシチュエーション。イエスはすでにこの状況を予言していた。『あなたが私のことを知らないと3度言ったときに、鶏が鳴くだろう』。
“主よ、憐れみたまえ”、名曲「マタイ受難曲」の中でもとりわけ美しいアリア、全曲盤で聞くのが一番良いのだろうが、私はチェコのメゾ・ソプラノ、マグダレーナ・コジェナーの歌で聞くことが多い。結果的に彼女の出世作となったCD、" BACH ARIAS " (バッハ アリア集)の4曲目に収録されている。
このCDはアルヒーフからリリースされていて、コジェナーの歌もさることながら、音質の良さで定評がある。実際、私はオーディオのレファレンスCDとして活用しているが、伴奏を受け持つ古楽器アンサンブルの粒立ち、ずばりセンターに定位し、細かいニュアンスが聞きとれるメゾ・ソプラノのソロには感心した。そして、何よりも測定装置が証明する良い音ということではなく、音楽の真髄を伝えるような雰囲気のある録音に、私は多大な共感を覚えるのだ。