チャップリンとヒトラー
―メディアとイメージの世界大戦―
大野 裕之
岩波書店
図書館をふらふらしていたら目に入ってきたタイトル「チャップリンとヒトラー」。
表紙がちょっとコワイ。
二人とも、同じ時代にメディアを使って人々をひきつけた人。
笑い、と、演説。
二人の誕生日は、4日違いの同い年。
トレードマークのちょび髭も偶然で、しかもほぼ同じ時期に生やし始めた。
チャップリンはユダヤ人ではない。(でもあえて、否定をしていない。)
二人は会ったことはないけど、何回かニアミスしてる。
映画「独裁者」には、構想から撮影、上映するまで、
とても時間がかかって、戦争とも絡んでいろいろな出来事がありすぎた。
仲間にさえ、この映画を上映するのはやめたほうがいいと言われた。
最後の演説のシーンは、スタッフのほとんどを部屋から出し、
チャップリン一人で撮影された。
「独裁者」がやっと出来上がっても、国によっては大使による要請で上映が禁止されたり、
反対を押し切るような形で上映されたりした。
1940年当時日本は、ドイツと友好関係にあったので上映されなかった。(日本での初公開は1960年。)
(1970年代初め、チャップリンブームが来た。このころたぶん、よくテレビで見ていたのかも。)
* * *
「チャップリンとヒトラー」より
”チャップリンはファシズムの恐怖の本質とは、
個々の内容よりもむしろ、
個人の思想信条はもちろん、
個人が発する言葉の具体的な意味内容までも無にしてしまう
「リズム」の存在であると看破している。
「リズム」は個々の差異を消し去り、
個人の意志を無にし、
言葉や意味内容を無にし、
否応なしに人を従わせ、
ついには人の命を奪う。
そこでは、
責任の所在はあいまいにされ、
悲劇が大量生産される。
チャップリンは、
この「リズム」こそ、
時代の恐怖であることを見抜いていた。”