烏合庵奇譚

Welcome to Raven's roost
渡烏の戯言など… お聞き流し下さい.

プチツー to 浜益,ちょっと寄り道

2008-07-22 23:55:36 | Ape & Imp
烏合庵→当別→青山ダム(寄り道)→浜益→厚田→烏合庵

海の日の前日.曇りがちながら風は穏か.山越えして日本海を目指す.

当別川沿い遡り,ダムを掠めて脇道に.道民の森,青山ダム地区.乗り物好きには逃せない,この寄り道.


お代は無料.申し込みに記入,程なく乗車.足踏(タンデム自転車式)もあるが,ここはトラッド,手漕ぎをチョイス.
ホームの信号,出発進行! ポイント通過,緩やか下り.二漕ぎ・三漕ぎ,するする加速.


多感なころ観た,英国映画.頑なオトナに追われる小さな恋人二人.悪友たちに見送られ,古びた手漕ぎのトロッコで,花咲き乱れる草原に吸い込まれてゆくラスト…


悦に入って漕いでいたら,トンネルを潜り,第4コーナー過ぎ.ホーム間近で行き足止める,だらだら上り.メタボなオジサンには,ちと辛い…

ルートに戻れば折から霧雨.五番川のドン突き左折,浜益方面.タイヤからスプレー撒くほどウエットではないが,バイザーに絡む霧滴が視界を阻む.低めの気温に発動機は快調なれど,ここは自重で我慢の峠.


海まで下れば,日差しが戻る.浜の駐車場はどこもぎっしり.少しずらして脇道で一服.名物?ジャンボたこ焼きで小腹を塞ぐ.しっかり生地にでかい蛸.10コも喰えば腹も持つ.


海沿い南下,厚田を経由.高岡→当別→札幌へ.


Odo = 8611.7 - 8447.2 = 164.5km Trip.
Fuel = 164.5km ÷ (3.57+3.00)L ≒ 25.0km/L.


今日の〆,なんちゃって冷汁.胡瓜を板摺り,擂粉木で叩く.


花鰹を煎ってスモーキーな香りを立て,揉んで細かく砕いたら,酒を加えて煮切る.




そのまま濾さずに味噌を解き,水で伸ばして氷で冷やし,叩いた胡瓜を合わせたら,鉢に盛った冷飯にざらりと掛ける.天かすと微塵葱を天盛り,キメは薬研の七味.



ぞぞっと啜って火照った体と頭を静め,涼しい寝床で,お休みなさい.
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プチツー&そとめし,“のんきや”@夕張本町のチャーシュー麺(塩)

2008-07-14 00:22:29 | Ape & Imp
烏合庵→北広島→長沼→由仁→夕張本町(そとめし)→
          →大夕張→桂沢→幾春別→岩見沢→烏合庵

土曜の朝.起きざま空を望めば湿気含み.丘珠 RWY32 から揚った機影は,我家上空,2,000ft もない雲底へと吸い込まれてゆく.とは言え気象庁の Web,道央・道南,レーダーにはアクティヴな雲のエコーなし.ココは一番,出張りましょう.

いつもの日本海沿いから今日は趣旨換え,空知方面.周囲が速い札夕線,北広島まで原チャにはちとキツい.長沼を抜け,由仁手前.コッチ方面,お約束のショット.


一路夕張,今日のお目当て


今回が2度目.前回は今の店舗に変わった直後.伝説の,斜めのお店・カウンター,直角腰のおバアちゃんには残念ながらまみえる機会はなかったが,何故かしら想い入れの出来た店だ.朝飯食わずに出て来たので,チャーシュー麺(塩)¥750-で活を入れる.衒いのない設え,あくまでも柔らかいスープ,固めのチャーシュー.
ラーメン,だよね (^^)! ぜんぶ,ご馳走さま.


奥まった夕張本町から紅葉山→幾春別方面に折り返しざま.往掛け気になった甘い香りの出処.知ってる人はわかるけど,普通は見過ごすその構え.お土産3つ,ウエストポーチ.


JRから旧>大夕張鉄道沿い,閉山した幾つかの炭鉱街を辿る.かつての賑わいを偲ばせる駅の跡.エネルギーを担った,ラッセルの名残.無骨だが,確かな存在感.




ここから山越え桂沢,あとは一気に札幌へ.


Odo = 8447.2 - 8262.4 = 184.8km Trip.
前回給油から街乗り 5.6km.故に,
Fuel = (5.6+184.8)km ÷ (3.23+3.65)L ≒ 27.7km/L.
時々ぱらぱら来たけれど,まずまず無事に着きました.




夕食の後,今日のおみや.シナモンドーナツ.帰って直に仕込んだ氷淹しの棒茶がお供.餡は控えた甘さだが,揚げた油とシナモンシュガー.愚直だが,どうにも遣瀬無く甘くて美味い.パックに残ったシナモン混りの砂糖を未練がましく指ですくって味わおうとしたら,つれあいに窘められてしまった.


つれあいと付き合っていたころ滑った,煤けた炭住街に切込む方滑れのゲレンデは,如何にもコントラストがキツすぎて好きになれなかったけれど,確かにこの国の礎を担った街.偶さかのガソリン代くらいしか落せないけど,きっと,また来るね.
“ラピュタ”の,あの親方が,きっと,この街には居たのだから.
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