朝刊一面下のコラムで,桜井 真一郎 氏の逝去を知った.
調べれば,亡くなられたのは1月17日だそうで,仮にも氏の手になる“箱スカ(GC10)”オーナーであった自身の不明に恥入るばかりでは有るのだが…
社会人3年目,初めて手にしたマイカーが中古の“箱スカ”であった(写真は何枚か有った筈だが執筆時点で見付けられず).
当時スカイラインは“ケンメリ”の世代半ばに入っており,既にノーマル(シングルキャブ)のL20はお世辞にもハイスペックのエンジンとは言えず,入手時6万kmに迫ったサスはダンパーがかなりヌケてはいたが,懇意になったメカニックさんが程なく純正スポーツキットを破格で組んでくれたお陰もあって,足回りだけはかっちりとしたクルマに仕上がった.
覚え始めたスキーに嵌ってシーズン10回以上はケツ振りながら中山峠を越えニセコに通い,付合っていた現つれあい(旧は無い;爆)を出自の両親に引合せた帰り,東名の東半分⇒東北道(当時は盛岡まで)⇒国4を一日で走り切り,青函フェリーから降ろした途端にラジエター・アンダーパイプのピンホールが発覚して早朝の産業道路をディーラー探して右往左往したのも,今は良い想い出である.
長男坊の誕生を控えた物要りの時期.最後の2年車検満了(当時の乗用車は12年目から1年車検となりました)を目前に外装・電装や樹脂系の劣化が著しく,已む無くスターレット(KP61)に乗換えはしたが,マイカー人生の端緒をこの車と過せた幸せは,私のささやかな矜持でもある.
稿を纏めるにあたりコラム子は“天に駆け上る丸型テールランプを見送りたい”と記されたが,S54(羊皮の狼)とGC110(ケンメリ;共に丸型テール)の狭間に有って,生憎,我が“箱スカ”は角型横連テールだった.
私にとってのスカイラインのシグネチャをタイトルに掲げ,謹んで氏の御冥福をお祈り致します. …合掌.
p.s.
“サーフィンライン”はC10~C210の意匠とされることが多いですが,その萌芽はS54に既に見られます.この時代は,特徴的な曲線部分がリアホイールアーチ沿いに立ち上がっていたため,余り意識に上ることは無かったのでしょうが.
調べれば,亡くなられたのは1月17日だそうで,仮にも氏の手になる“箱スカ(GC10)”オーナーであった自身の不明に恥入るばかりでは有るのだが…
社会人3年目,初めて手にしたマイカーが中古の“箱スカ”であった(写真は何枚か有った筈だが執筆時点で見付けられず).
当時スカイラインは“ケンメリ”の世代半ばに入っており,既にノーマル(シングルキャブ)のL20はお世辞にもハイスペックのエンジンとは言えず,入手時6万kmに迫ったサスはダンパーがかなりヌケてはいたが,懇意になったメカニックさんが程なく純正スポーツキットを破格で組んでくれたお陰もあって,足回りだけはかっちりとしたクルマに仕上がった.
覚え始めたスキーに嵌ってシーズン10回以上はケツ振りながら中山峠を越えニセコに通い,付合っていた現つれあい(旧は無い;爆)を出自の両親に引合せた帰り,東名の東半分⇒東北道(当時は盛岡まで)⇒国4を一日で走り切り,青函フェリーから降ろした途端にラジエター・アンダーパイプのピンホールが発覚して早朝の産業道路をディーラー探して右往左往したのも,今は良い想い出である.
長男坊の誕生を控えた物要りの時期.最後の2年車検満了(当時の乗用車は12年目から1年車検となりました)を目前に外装・電装や樹脂系の劣化が著しく,已む無くスターレット(KP61)に乗換えはしたが,マイカー人生の端緒をこの車と過せた幸せは,私のささやかな矜持でもある.
稿を纏めるにあたりコラム子は“天に駆け上る丸型テールランプを見送りたい”と記されたが,S54(羊皮の狼)とGC110(ケンメリ;共に丸型テール)の狭間に有って,生憎,我が“箱スカ”は角型横連テールだった.
私にとってのスカイラインのシグネチャをタイトルに掲げ,謹んで氏の御冥福をお祈り致します. …合掌.
p.s.
“サーフィンライン”はC10~C210の意匠とされることが多いですが,その萌芽はS54に既に見られます.この時代は,特徴的な曲線部分がリアホイールアーチ沿いに立ち上がっていたため,余り意識に上ることは無かったのでしょうが.