臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月18日掲載・其のⅢ・残暑お見舞い申し上げます)

2014年08月20日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(東大和市・板坂壽一)
〇  橋の下に逃込みてなほ釣りながら電話するなり「行くぞ夕立」

 「橋の下に逃込みてなほ釣りながら」の「電話」の相手はご自宅に居られる奥様。 
 そして、電話の内容の「行くぞ夕立」とは、詳しく言えば、「私は現在、奥多摩渓谷の橋の下にて夕立を避けながらも、巨大な鮎を釣り上げようとして奮闘中。夕立は間も無く其方にも行くはずであるから、洗濯物を取り込みなさい!」といったところでありましょうか?
 〔返〕  韓ドラに痺れながらも君を待つ今夜のおかずは鮎の塩焼き


(東久留米市・関沢由紀子)
〇  カミナリが鳴ってもやめない特上のロースでトンカツ揚げてる最中
 
 高野公彦選の六席として既出。


(浜松市・松井恵)
〇  戦争の本質として常にありガザの市井の無法なる死は

 浜松市にお住いの松井恵さんという方が、いきなし「戦争の本質として常にあり」なんて堅い事を言い出したものですから、「彼はかなりの知識人だな!」と思って私はびっくりしたのであるが、続いて「ガザの市井の」などと、凡そミスマッチとも言うべき連文節が来たものだから、今度は「彼はそれほどの知識人ではないな!」と思ったりもしました。
 「市井」とは、辞書的には、単に「まち・ちまち」といった意味の語であるから、「ガザの市井の無法なる死は」という言い方も成り立ちましょうが、しかしながら、「市井」という語に纏わる諸条件を考慮すると、こうした使い方は「市井」という語の使い方としては相応しいものではありません。
 〔返〕  市井とふ語に伴へる本質は「庶民の暮し・食ふ寝る所」


(名護市・石川愛音)
〇  戦争で多くの人がなくなったことを私が伝える番だ

 そう、そうなんですよ!
 そういう自覚を持った十一歳が名護市に百人も居たら、辺野古基地問題なんかたちまち解決してしまいますよ!
 〔返〕  「仲井真は根っから権力べったりだ」とパパに伝えて名護市の愛音さん


(竹田市・飯田博和)
〇  碁会所の席主の逝きて場を閉じる釘抜く音に目頭あつく

 「場を閉じる」に続けて「釘抜く音に」としたのは、あまりにも省略に過ぎましょう?。
 〔返〕  碁会所の席主の逝きて閉鎖さる釘打つ音に目頭の濡る


(富山市・松田梨子)
〇  白い塁こげ茶色の土総立ちで歌うスタンド六回の裏

 松田梨子さんも、夏の甲子園の富山県予選の応援に出掛けるとは、極めて平凡な高校生生活を送っているものである。
 「スタンド」に詰め掛けた校友が「総立ちで歌う」「六回の裏」には、梨子さんの在籍校がチャンスらしきものを掴み掛けたのではありましょうが、しかしながら、スタンド総立ちの応援も虚しく、三塁にランナーを残して無得点のまま終わったのでありましょう。
 〔返〕  白き塁泥に汚れた雨中戦「18対0」のコールドゲーム


(本庄市・福島光良)
〇  夜間瀬川過ぎて長電夜間瀬駅湯田中まではあと五分程

 上の句に「夜間瀬川過ぎて長電夜間瀬駅」と、極めて珍しい川の名と駅の名を配しながらも、下の句が「湯田中まではあと五分程」と、極めて月並みな納まり方をした点が惜しまれる。 作者の福島光良さんの気持ちからすれば、「湯田中」という地名に期待するところが在ったのでありましょうが、「湯田中」という地名は格別珍しい地名では無く、「湯田中まではあと五分程」という収束の仕方も極めて月並みなものである。
〔返〕  夜間瀬川過ぎて長電夜間瀬駅其の先崩落危険地帯なり  


(名古屋市・松尾利男)
〇  ゴキブリをちゃんづけで呼ぶヘルパーさんはじける笑顔で火曜日に来る

 鰥夫暮らしの身の上であれば、さぞかし火曜日が来るのが待ち遠しいことでありましょう。
 〔返〕  ヘルパーをさん付けで呼ぶ松尾さんただひたすらに火曜日を待つ
      ヘルパーをさん付けで呼ぶ松尾さんただひたすらに怒張堪える


(土岐市・澤田安子)
〇  一面に睡蓮の咲く沼に来てニホンカモシカ水浴びをせり

 作者の澤田安子さんの気持ちとしては、都会人たちがびっくりするような幻想的な光景を詠んだので、必ずや入選するに違いないとの確信に基づいての投稿でありましょうが、日本中の山村の方々が、鹿や猪や猿や日本羚羊などの、いわゆる「獣害」に苦しんでいる今日に於いては、「ニホンカモシカ」が「一面に睡蓮の咲く沼に来て」「水浴び」をしたからと言っても、格別に珍しい光景とは言えません。
 しかも、岐阜県土岐市と言えば、農林水産省より「鳥獣被害防止総合対策交付金」を交付されている地域ではありませんか!
 〔返〕  一帯に腐臭漂う釜ヶ崎スーパー玉出の新今宮店


(近江八幡市・寺下吉則)
〇  義父の子を産めば夫の弟のつまりわたしは義姉という母

 いきなし「義父の子を産めば」などと来たもんだから、私はびっくりしてしまったのであるが、何のことは無い、ただの言葉遊びではありませんか!
 〔返〕  義父の子を産めば神をも恐れない不倫と言うべし義父の子産むな!

今週の朝日歌壇から(8月18日掲載・其のⅣ・イオン火曜サービスデー特集)

2014年08月19日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(名古屋市・諏訪兼位)
〇  パレスチナのガザはガーゼの語源の地人間の業深しいまも血塗られて

 「ガーゼ」という医学用語は、直接的には明治維新以後の我が国が諸科学の先進国として仰いだドイツ語から借用した外来語であるが、その起源は「今まさにイスラエルとパレスチナ側とが壮絶なミサイル攻撃を展開しているパレスチナのガザ地区だとする説」がある。
 明治維新以後の我が国は、この「ガーゼ」を初めとして、近代諸科学の先進国であるドイツの言葉、即ちドイツ語から様々な言葉から借用し、いわゆる外来語として用いて来たのであるが、その中の「医学・医療」関係の言葉を揚げると、「アスピリン (Aspirin)・アドレナリン (Adrenalin)・アレルギー (Allergie)・オブラート (Oblate)・ガーゼ (Gaze)・カフェイン (Koffein)・カプセル (Kapsel)・カルテ (Karte)・ギプス (Gips)・ゲノム(Genom)・ケロイド (Keloid)・コラーゲン(Kollagen)・コンドーム (Kondom)・チアノーゼ (Zyanose)・ツベルクリン(Tuberkulin)・ノイローゼ (Neurose)・ウィルス(Virus)・ヒステリー(Hysterie)・ホルモン(Hormon)・レセプト(Rezept)・ワクチン(Vakzin)」等など枚挙に暇が無い程である。
 次に「化学」関係の言葉としては、「シャーレ(Schale)・プレパラート(Präparat)・メスシリンダー(Messzylinder)・アンチモン(Antimon)・ウラン(Uran)・エネルギー(Energie)・カリウム(Kalium)・クロム(Chrom)・ゲル(Gel)・セレン(Selen)・ゾル(Sol)・チタン(Titan)・ナトリウム(Natrium)・ネオジム(Neodym)・マンガン(Mangan)・モリブデン(Molybdän)」等など。
 続いて「政治・思想・社会学・経済学」関係の言葉としては、「アンチテーゼ(Antithese)・イデオロギー(Ideologie)・シュプレヒコール(Sprechchor)・ヒエラルキー(Hierarchie)・プロレタリアート(Proletariat)・ゲバルト(Gewalt)・ゲマインシャフト(Gemeinschaft)・ゲゼルシャフト(Gesellschaft)・ブント(Bund)・カテゴリ(Kategorie)・テーマ(Thema)メルクマール(Merkmal)・カルテル(Kartell)・コンツェルン(Konzern)」等など。
 続いて、「音楽・体育」関係の言葉としては、「メトロノーム(Metronom)・タクト(Takt)・バス(Bass)・フィルハーモニー(Philharmonie)・アインザッツ(Einsatz)・ゲネプロ(Generalprobe)・ゲレンデ(Gelände)・ストック(Stock)・ボーゲン・(Bogen)・ザイル(Seil)・カラビナ (Karabiner)・アイゼン・(Steigeisen)・ピッケル (Eispickel)・ハーケン(Haken)・リュックサック(Rucksack)・ツェルト(Zeltsack)・シュラフ(Schlafsack)・コッヘル (Kocher)・ヤッケ(Jacke)・ヒュッテ(Hütte)・カール(Kar)・シュルント(Schrunde)・アプザイレン(Abseilen)・アンザイレン(Anseilen)・モルゲンロート(Morgenrot)」等など。
 その他に、「グミ(Gummi)・バウムクーヘン(Baumkuchen)・ヨーグルト(Joghurt)」などの食品や「アルバイト(Arbeit)・ゼミナール(Seminar)・ダックスフント(Dachshund)・ベクトル(Vektor)・ボンベ(Bombe)・メルヘン(Märchen)・ワッペン(Wappen)」といった私たちの生活周辺に在る言葉も亦、ドイツ語からの借用語である。
 以上、私自身の心覚えの為かとも思い、ネット上の数々のブログやホームページなどから抜き書きさせていただきました。
 〔返〕  一枚のガーゼの如き薄さにて休戦協定暫しも成らむ


(三鷹市・増田テルヨ)
〇  戦争が終わったといふ平安を戦争知らぬ人知らざらむ

 その「戦争知らぬ」輩に拠って為された蛮行が、この度の「解釈改憲」であり、今また、名護市の辺野古地区の米軍基地予定地に於いては、沖縄県民の圧倒的多数の反対をも無視してボーリング作業が始まったのである。
 〔返〕  戦争が終わったという実感を確かに覚えたあの夜の灯り


(高石市・中村玲子)
〇  灼熱の工事現場に一点の涼が閃く鉄切る火花

 そう、「工事現場」で酸素溶接作業をしている時に飛び散る「火花」からは、確かに「一点の涼が閃く」ように感じられるのであるが、それは傍から見ている者だけの実感に過ぎなくて、酸素溶接に従事している当事者からすれば、とんでもない見方なのである。
 〔返〕  幻の涼の煌めく夜店にてアセチレンガスのカンテラ熱し


(さいたま市・黛衛和)
〇  若者の離農離村に捨てられた畑にソーラーパネルが並ぶ

 こうした状態では、我が国の食料自供率は、間も無く三十%以下に下がってしまいます。
 ソーラーパネルを利用した野菜や果物などの促成栽培など、様々な方策も考えられるのであるが、何せ、農村には結婚適齢期の女性が住み付かないので、その分だけ若い男性も少なくなってしまうのである。
 〔返〕  陸続とソーラーパネルを並べても肝心要の女性(おなご)が居ない


(堺市・鳳みさお)
〇  留守番をしたる遺影は幼くて斜めに被る麦藁帽子

 「幼くて斜めに被る麦藁帽子」という後半の三句は、若者の感性を何と無く刺激するかも知りませんが、一首全体としては文意不明である。
 リアリズム短歌は何と無く解るのではいけません。
 〔返〕  廃屋の壁の遺影は幼くて斜めに被る麦藁帽子


(東久留米市・関沢由紀子)
〇  カミナリが鳴ってもやめない特上のロースでトンカツ揚げてる最中

 「晩餐の為の<トンカツ揚げ>作業に全智全霊を傾けている奥様」といったら、いくら何でも褒め過ぎでありましょう。
 「特上のロース」と言ったって、せいぜい百グラム五百円ぐらいの品物ではありませんか?
 それと引き換えに、東久留米市の関沢由紀子さんは、「カミナリ」様にお臍を盗られても宜しいとでも仰るのでありますか?
 東久留米市と言ったら、東京都下と言えども、落雷天国の北関東地方に隣接しているのですよ!
 お臍の無い奥様では、「お前は蛙みたいだ」って、早晩、旦那様から見限られてしまいますよ!
 その覚悟が出来ているのであったら、「カミナリが鳴って」も「トンカツ」を揚げていて下さい。
 〔返〕  カミナリが鳴っても止めぬ爪磨き小さくたって爪切り金属


(群馬県・飯塚八起)
〇  鵺の鳴くさびしき里に移り来て父の介護は寝るまで続く

 噓八百仰いますな!
 仮に「鵺」が居たとしたら、一頭当たり数千億円を支払っても欲しいという者が現れて、捕獲した者は「鵺長者」なる、当代稀なるニックネームを奉られたりするかも知れませんよ!
 〔返〕  鵙が枯れ木で鳴く声を耳にして父の介護は死ぬまで続く


(仙台市・武藤敏子)
〇  それぞれが寂しいときに行くところ私は「中也」友は「韓ドラ」

 仙台市にお住いの武藤敏子さんは、「愚かな友よ!」とばかりに、程度の低い友人の趣味を嘲笑しているのでありましょうか?
 〔返〕  サイレンだお昼を告げるサイレンだぞろぞろぞろと出て来る馬鹿が


(栃木市・寺内ひろみ)
〇  四苦八苦掛けては足して煩悩の数にはあれど生くるのあかし

 「煩悩の数」と言えば「108」である。
 「4×8=32」、「32×3=96」、「96+12=108」となりますから、「煩悩の数」の「108」にするには、何も「四苦八苦」する必要はありません。
 〔返〕  掛け算も足し算さえも出来ぬとは呆けてる証し死んで下さい


(名護市・石川愛音)
〇  いれいの日人の命の大切さ感じて歌う月桃の歌

  『月桃』 (作詞作曲・海勢頭豊)

1.月桃ゆれて 花咲けば
  夏のたよりは 南風
  緑は萌える うりずんの
  ふるさとの夏

2.月桃白い花のかんざし
  村のはずれの石垣に
  手に取る人も 今はいない
  ふるさとの夏

3.摩文仁の丘の 祈りの歌に
  夏の真昼は 青い空
  誓いの言葉 今も新たな
  ふるさとの夏

4.海はまぶしい キャンの岬に
  寄せくる波は 変わらねど
  変わるはてない 浮世の情け
  ふるさとの夏

5.六月二十三日待たず
  月桃の花 散りました
  長い長い 煙たなびく
  ふるさとの夏

6.香れよ香れ 月桃の花
  永久に咲く身の 花心
  変わらぬ命 変わらぬ心
  ふるさとの夏

 名護市にお住いの石川愛音さんよ、富山市の松田わこさんの短歌に以前ほどの輝きが見られなくなってしまった現在は、貴女の作品が世に出る絶好のチャンスですよ!
 〔返〕  花ごころ変はらぬ命ふるさとの摩文仁の丘に映ゆる月桃

今週の朝日俳壇から(8月18日掲載・其のⅣ・書き込み中)

2014年08月18日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇  雲海の怒濤まといて富士立てり

(千葉市・中山清)
〇  孤独死の家解かれゆく晩夏光

(生駒市・野嵜道子)
〇  蝉しぐれ明日なき声も混じりいる

(蒲郡市・牧原祐三)
〇  生きてゐることの切なき蝉の声

(埼玉県長瀞町・坂上ふみを)
〇  一瞬の命を鳴いて蝉は去る

(横浜市・田中靖三)
〇  空蝉に言ふことはなし朝日さす

(兵庫県猪名川町・小林恕水)
〇  戦争に懲りざる国よ敗戦忌

(嘉麻市・江崎義人)
〇  炎天に一円玉を拾ひけり

(上尾市・中野博夫)
〇  夏燕大樹越すとき加速せり

(仙台市・柿坂伸子)
〇  ゆらゆらと我血を運びゆく藪蚊

今週の朝日俳壇から(8月18日掲載・其のⅢ・書き込み中)

2014年08月18日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(岐阜市・阿部恭久)
〇  八月は大きな影と光かな

(笛吹市・武藤ゆき)
〇  桃を捥ぐのみの七月終りけり

(松本市・塩原勇之助)
〇  牛に餌直ぐさう思ふ夏の草

(高松市・島田章平)
〇  しぶきざんぶりと白熊の水遊び

(東京都・朝田冬舟)
〇  踊り笠かぶり彼の世の人となる

(奈良市・田村英一)
〇  花火果て渚にもどる波の音

(長崎市・濱口星火)
〇  遂にきし二人暮しや心太

(弘前市・三浦博信)
〇  戦争のせめて歯止めに原爆忌

(由利本荘市・松山蕗州)
〇  風穴をのぞきて何もなき涼気

(流山市・小林紀彦)
〇  香水ややうやく眠る六本木

今週の朝日俳壇から(8月18日掲載・其のⅡ・書き込み中)

2014年08月18日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(坂戸市・安達順子)
〇  遺骨なき十七歳の敗戦日

(岸和田市・大内純子)
〇  父親の脚長々とキヤンプかな

(熊谷市・内野修)
〇  雲海に富士立ち枯れ木木に富士

(長岡市・内山秀隆)
〇  敗戦日必死に探る余生かな

(下関市・内田恒生)
〇  母若しわが還暦に夏野ゆく

(川崎市・西原小百合)
〇  蛍火や僅かにうしろめたきこと

(掛川市・大塚俊子)
〇  昼寝覚ビルマから失敬と夫

(東京都・高橋よしあき)
〇  世の端の月より白き新豆腐

(東京都・たなべきよみ)
〇  高層の富士見てくらす金魚かな

(北九州市・長谷川小雪)
〇  おばあちやんめがねとメイクあつくるし

今週の朝日俳壇から(8月18日掲載・其のⅠ・書き込み中)

2014年08月18日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(熊本市・永野由美子)
〇  昼寝して余命を減らしをりにけり

(岡山市・伴朋子)
〇  太陽の恐さを秘めて朝曇

(坂出市・緒方こずえ)
〇  蹴り出せし下駄の音より踊りそむ

(東京都・田治紫)
〇  立秋やあとがきを書く初句集

(姫路市・黒田千賀子)
〇  旅戻り家居の風の秋近し

(横浜市・山口功)
〇  おろおろと歩くほかなき暑さかな

(芦屋市・小杉伸一路)
〇  夏山の祖霊の在はす青さかな

(彦根市・阿知波裕子)
〇  ふと星に馳せる心や夜の秋

(神戸市・涌羅由美)
〇  遊船の水脈太平洋を真つ二つ

(福岡市・松尾康乃)
〇  純白の雲積み上げて梅雨明くる

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅣ・民俗芸能西馬音内盆踊り特集)

2014年08月16日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(青梅市・津田洋行)
〇  原発を睨んで立つは原爆忌

 真に残念な事に、今年の原爆忌での広島市長・松井一實氏の挨拶は、推薦母体の自公連立政権を気にするあまり「原発を睨んで立つは原爆忌」という具合には行かなかったようです。
 彼は元々厚生官僚なので、今年の原爆忌の市長挨拶で、解釈改憲問題や原発再稼働問題にまで踏み込んで欲しいと期待するのは無理だったのかも知れません。
 しかし、「広島の仇は長崎で」という諺もありますから、私たち良識者は、長崎市長の挨拶や被爆者代表のそれに大いに期待することにしましょう。
 ところで、今年の広島原爆忌での安倍首相の挨拶は、昨年のそれと瓜二つのコピペだったと言うではありませんか!
 彼も亦、おぼちゃん症候群のウィルスに感染してしまったのでありましょうか?
 それともう一点、週刊誌などでいろいろと取沙汰されている安倍総理夫妻の離婚問題はどうなっているのでありましょうか?
 〔返〕  広島の市長宣言腰砕け
      長崎の市長宣言一直線


(前橋市・吉江充慶)
〇  戦争へまた戦争へ原爆忌

 戦時歌謡や火野葦平作の『麦と兵隊』を思わせるが、入選願望見え見えの凡作である。
 〔返〕  ああ佐渡へ佐渡へ佐渡へと憧るる
      麦の秋ああ戦線へ戦線へ


(宇陀市・前尾清子)
〇  山国の夜空の色や茄子漬

 「茄子漬」を「山国の夜空の色」のように色濃く漬ける為には、材料の茄子に焼き明礬を擦り付けてから漬けなければなりません。
 〔返〕  山国の茄子漬け色佳く美味しそう
 上掲の返句の語り口は、なんだか「秋田音頭」の語り口みたいですね。
 折も折、今日は盂蘭盆の8月16日。
 私の郷里の隣町の秋田県羽後町の西馬音内地区では、世界民俗遺産候補にも数えられている「西馬音内の盆踊り」が華やかに展開されている事でありましょう。
 「西馬音内盆踊り」の「地口=囃し文句」は前述の「秋田音頭」を基本としたものであり、子供の踊り手が帰宅してからのそれは、猥褻極まり無いものであるが、事の序でにその一節、二節を記して、郷土秋田の民俗芸能に敬意を示すと致しましょう。


時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊りたんせ 
日本開闢 天の岩戸も 踊りで夜が明けた

西馬音内女(なしもねゃおなご)は どこさ行(え)たたて 目に立つはずだんす 
手つき見てたんせ 足つき見てたんせ 腰つき見てたんせ

名物踊りは 数ある中にも 西馬音内(にしもなゃ)一番だ 
嫁こも踊るし 姑も踊る 息子はなお踊る

日本一(にっぽんいぢ) 日本一 絶対日本一
西馬音内(にしもね)盆踊り 絶対日本一

女(おなご)は顔(つら)えし 男(おどご)は声え 地口(ぢぐぢ)もすんばらしぃ
そのうぢ必ず 世界民俗 文化遺産になる絶対はずだ

日本一(にっぽんいぢ) 日本一 早稲田は日本一
野球(やぎゅう)で負けで 駅伝で負げで  勉強(べんきょ)でも負けじまた

おめさんがだなば 早稲田大学(わせだでぇがぐ) あんまし馬鹿(ばが)にすな
スタップ細胞 見つけだ姉こ おぼちゃんの出だ学校(がっこ)だ

コピペはするし噓はこぐ 色目は使うし泣きもする  あれなばやじまげだ
見掛けはちょっぴり 負げるがも知れねど 西馬音内女(にしもねおなご)がずっとええ

いろはにほへと つねならむ  ういのおくやま今朝越えで
あねつぁ夢見で小便(しょべ)垂れだ おらも夢見で魔羅濡れだ
 
地口という奴 口から出放題(でほでぇ) 音頭の拍子です 
言われて悪いやつ 後ろさ廻って 五升樽ぶら下げれ

地口櫓で 地口を言うのは 俺らよな馬鹿ばかり 
気の利いたあんちゃは ぐりっと廻って 二三度やった頃だ

良いごど悪いごど 地口櫓で あんまりしゃべてけな
隣のあねこは 何とか言われで その晩ぼだされだ

おら家(え)のお多福 滅多に無い(ねえ)ごど 鬢取って髪ゆった 
お寺さ行ぐどて 蕎麦屋さ引掛って みんなに笑われだ

仲のよいのは おら家(え)の爺さまど 隣りの独り婆(ばばあ)
盆参りするどて 蕎麦屋さ引掛って 御布施で酒飲んだ

嫁こ嫁こど 三度呼ばたば ようやぐ返事した 
きのう結った勝山 左さぶ曲げで おがわこ持って来た
 
踊るて跳ねるて 若いうちだよ 俺らよに年行げば
なんぼ上手に 踊って見せても 誰も見る人ね

貧乏たらたら 一升買いするたて 寝酒こやめられねエ
褌質やて 半杯買た酒(さげ) 板の間(いだのま)みな舐めた

ええとこ見つけだ 間男見つけだ 七両二分よごせ
七両二分なら いつでもやるがら そなたの嬶よごせ

なんだでごどねぐ 嬶どこ叩えだば 寝てから動ぎゃがらね
今度のこと 御免してこれから うんとて動け嬶

お寺の和尚(のの)さん マルメロ畑さ マルメロもぎに行(え)った
長い棹こで ボッキリつづだば 同役(どやく)が落ぢで来た

文福茶釜を ドッサリ投げだば バッサリ毛が生えだ
和尚も長老も 閑居も小僧も これ見でたんまげだ

五徳とゆう奴 小首をかしげで 囲炉裏の隅にいる
鍋こ乗せろが 釜こ乗せろが 此処らが思案どご

鍋こも種類は 飯鍋汁鍋 あるい貝焼鍋(かやぎなべ)
世間の口鍋 俺ら嬶焼なべ 夫(てで)どさ 毟り付ぐ

豊年だ万作だ こりぁまだいい秋だ
面白まぎれに ひとつ踊ったば あばはら万作だ

貧乏というのもの あさましものだよ 夜討ちの忠臣蔵
朝食うて伴内 米櫃ぁお軽で からだは由良之助

おめだぢおめだぢ 踊りこ見るとて 必ず立って見るな
今なばええども 春さぎなるど 雀こ巣こ掛ける

おめだぢおめだぢ 踊りこ見るとて 必ず立って見るな
立っているのは 電信柱ど あんちやのガモばがり

おら家(え)のばっちゃど 隣りのじっちゃど
お茶(じゃ)っこ飲むどて 戸棚こ開けだば  茄子漬げヘコしてだ

院内(いんなゃ)の町(まぢ)がら 湯沢のまぢさ 不思議な大工(だゃぐ)が来た
飲みだゃぐ 喰だゃぐ ヘコしだゃぐ 仕事(しごど)はしでぁぐなぐ

あるもの質(しぢ)置いで せっきり飲んで喰って ヘコして死んだ方(ほ)え
あるもの質置いで せっきりまぐらって ヘコして死んだ方え

 お粗末様でした。  
 

(いわき市・中田昇)
〇  フクシマを忘るる国に原爆忌

 是を以って、俳句と称する事が可能でありましょうか?
 ただ単に朝日俳壇に入選したい一心で、「フクシマ」と「原爆忌」とを強引に結び付けただけの事ではありませんか!
 〔返〕  福島を忘れて原発再稼働


(洲本市・高田菲路)
〇  荒縄の山なす鉾の解かれけり

 洲本市の夏祭りの「鉾」は、「荒縄」で造った俄か造りの「鉾」でありましょうか?
 だとしたら、「荒縄」を解いた後は、竹か木材の骨組が残るだけの事でありましょう。
 〔返〕  荒縄で縛りて鉾で刺しにけり  


(福岡市・松重成一)
〇  紫陽花の今日確かむるけふの色

 紫陽花の彩りの微妙な変化は、毎日、写真にでも撮って比較するしか判りようがありません。
 〔返〕  紫陽花の色移り行く原爆忌


(青森市・小山内豊彦)
〇  青萩や目に青銅の乱反射

 「青萩」の比喩としての「青銅」は、同じ「青」の字を用いているだけに、あまりにも付き過ぎである。
 作者としては、「青銅の基督像」をイメージしてのことでありましょうが・・・・・。
 〔返〕  敗戦忌B29の乱反射
 敗戦直後の昭和20年8月15日の午後の事、私の出生地の上空にアメリカ軍のB29が飛来した事を、私は未だに記憶しています。
 件のB29は、極めて低空を飛んでいたので、私の目には操縦士の笑顔まで確かに見えました。
 そして、そのB29の銀翼が折からの夏の太陽を浴びて乱反射していた事も、私は未だに記憶しています。
 決して作り事ではありませんよ!
 私には、是を以って「戦争の語り部」と言われようなどとの疚しい根性は決してありませんから。


(海老名市・川上益男)
〇  炎天の一樹の蔭や去りがたく

 この頃の天候は極めて不安定ですから、一旦、落雷に見舞われたら命取りになってしまいますよ。
 〔返〕  炎天の一樹の蔭や敗戦忌


(大津市・西村千鶴子)
〇  終戦といはざる人や敗戦忌

 実のところは「敗戦忌」であったのに、そうは言わずに「終戦忌」としたところに私たち日本人の懲り性の無い体質が覗われるのである。
 〔返〕  敗戦と敢へて謂ふかな終戦日    

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅢ・夜の秋に身を置きながら)

2014年08月16日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇  噴水や千キロ走りて孫に会う

 「噴水」の属性の一つとしての「走る」というイメージが、オランダにお住いの俳人・モーレンカンプふゆこさんをして斯かる一句を詠ましめたものと推測される。
 〔返〕  噴水と競ふ速さや孫の脚
      噴水の競ふ長さや孫の脚
 本句を鑑賞させていただいた記念としての返句ならば、上掲の二句で充分と思われるのであるが、海外からの投句に示す選者・金子兜太氏の寛大さに対して、私は細やかながらも不満を感じているのである。
 私が世間並の出来具合の人間ならば、これを金子兜太氏の御齢の所為にして許容する事も可能なのかも知れませんが、世間並以下の非常識人である私としては、この際、選者及び作者を皮肉っておきたいという気持ちが無きにしも非ずだから、下記のような狂歌を一首添えさせていただきたいのである。
 〔返〕  オランダのモーレンカンプふゆこさん一千キロ走りお孫さんに逢ったと


(いわき市・馬目空)
〇  いつか逝く我が心身の汗拭ふ

 本句の作者の馬目空さんのお気持ちの中には、何をするにしろ「いつか逝く我が心身」という切迫した思いが在るのかも知れません。
 だとしたら、本句の下五は、「いつか逝く我が心身の疲れかな」、「いつか逝く我が心身の衰へや」、「いつか逝く我が心身の汚れかな」、「いつか逝く我が心身の痣見たり」などと、幾らでも入れ替えが可能なのである。
 しかしながら、この一句は、やはり下五に「汗拭ふ」という五音を置いた事に因って初めて朝日俳壇の入選作に相応しい佳句となり得たのであり、この下五にまかり間違って「障害者」という一語を置いて「いつか逝く我が心身の障害者」などという一句を仕立てたとしたら、漫画にもならない事でありましょう。
 〔返〕  汗掻かぬ時こそ即ち逝く時ぞ
 汗を掻くのは、私たち人間が生きている間だけの事でありましょう。
 私は、敗戦記念日の昨日、身体中に掻いた汗に因る不快感から解放される為に、連れ合いの膨れっ面を気にしながらも五回も入浴しました。
 と、言う事は、私は身体中から滲み出る汗を通して自らの生命を感じている、という事にもなりましょうか。
 したがって、福島県いわき市にお住いの馬目空さんも、この夏は大いに汗を掻いて下さい。 

(船橋市・斉木直哉)
〇  我一人風荒涼と晩夏かな

 晩夏の風に吹かれていても、其処に爽やかさを感じる者もいれば、荒涼とした気持ちに陥っている者も居る。
 要は気持ちの持ちようであるが、本句の作者の斉木直哉さんは、後者に属する人間の一人でありましょうか?
 〔返〕  俗塵に染まりたく無き晩夏かな
      世の塵に染まりたく無き性(さが)なれば斉木直哉は独り旅立つ


(福津市・松崎佐)
〇  原発と基地とまたぞろ原爆忌

 作者は何を仰りたいのか?
 作者の気持ちの中には、原発再稼働問題や沖縄の基地問題に対処する我が国の政府に対する不安感や不満感が在るのか? 
 それとも、そうした感情は朝日新聞と朝日歌壇の入選作に対してのものなのか?
 何はともあれ、そうした不満遣る方無き問題を前にして身動きもならなくなっている作者は今年も<またぞろ><原爆忌>を迎えてしまったのである。
 〔返〕  原発の一句またぞろ見厭きたり  


(京都市・水船つねあき)
〇  時間あり本あり妻なし夜の秋

 「夜の秋」という季語は、まさしく「今現在、即ち、平成26年8月16日午前3時5分という時点に於いて、私・鳥羽省三が川崎市多摩区の自宅のパソコンを前にして感じている季節感」を指して言うのでありましょう。
 敗戦記念日の昨日の暑さには、さすがの私もかなりのダメージを感じたのであるが、今、こうして京都市にお住いの水船つねあきさんのお詠みになった俳句を前にしている私の膚には、庭を吹き抜けて行く晩夏の風の爽やかさが細やかながらも感じられ、私は、昨日の昼とは一段と異なった気持になっているのである。
 それにしても、本句の作者の水船つねあきさんは、「<夜の秋>の空気に柔らかく包まれていながらも<(私には)時間あり本あり妻なし>などと惚けた事を仰る」のであるが、彼・水船つねあきさんは、身に纏うしがらみから解放されての安心感と共に幽かなる侘しさを感じているのでありましょうか?
 〔返〕  時間有れど遣ること無しの夜の秋
      身に纏ふパンツ涼しき夜の秋


(札幌市・小林かん奈)
〇  白紫陽花妻となるため旅支度

 季題は「白紫陽花」の「美」或いは「爽」もしくは「清・純」であるが、作者の小林かん奈さんの頭の中には、「白紫陽花のそうした属性に包まれ看取られながら、私は遠くの地に居る彼の許へと嫁ぎ行く為の旅支度をしているのである」という充実感と共に幽かなる不安感が兆しているのである。
 〔返〕  旅行きて小林かん奈花散らす


(国分寺市・越前春生)
〇  光のごと翳のごと蝶日雷

 作中の「日雷」は「ひがみなり」と訓むのであり、「晴天の時に雨を伴わないで鳴る雷」を指して言うのである。
 したがって、本句の意は「日雷の鳴り響く中を、一羽の蝶が、ある瞬間は光の如く、またある瞬間は翳の如くに変わり身を示しながら舞い飛んでいる」といったところでありましょう。  
  〔返〕  日雷揚羽の翅の濡れもせず


(長野県川上村・丸山志保)
〇  風吹けば風になりきる麦の秋

 「風吹けば風になりきる麦の秋」とは、「麦秋を迎えて黄金色に染まった麦畑が、初夏の風に吹かれて涼しそうに靡いている様子」を詠んだものである。
 〔返〕  雨降れば農婦憩へる麦の秋
      雨降れば一日(ひとひ)休暇の麦の秋
 稲の刈り取りは雨天の日でも予定通り行うのであるが、麦の刈り取りは晴天の日を選んで行うのは如何なる理由が在っての事でありましょうか?


(上山市・佐藤権一郎)
〇  蝉の殻九条どこへ行くのやら

 「自公連立政権に拠る<解釈改憲>の結果として、我が国防衛の最前線たる憲法九条が<蝉の抜け殻>みたいな無価値なものに成り果ててしまった」、との意でありましょう。
 〔返〕  九条に疚しき心認めたり
 「疚しき心」とは、「必ず入選しようという強い意志を込めて、本作中に<九条>という語を敢えて用いた、作者・佐藤権一郎の激しい情念」を指して言うのである。


(茅ヶ崎市・清水吞舟)
〇  滝となり水仰がるる拝まるる

 「水」も只の平地を流れているだけでは格別に仰がれたり拝まれたりする事は無いが、其れが、一旦、傾斜厳しき崖地を流れるや否や、忽ち「滝」と呼ばれ、多くの観光客を集めたり、彼らから仰がれたり拝まれたりするのである。
 私たち日本人は、その最たるものとして、日光の「華厳の滝」及び熊野古道の一廓に在る「那智の滝」、そして、彼の西行法師が「花もみち経緯(よこいと)にして山姫の錦織出す袋田の瀧」と詠んだとされる、茨城県久慈郡大子町の「袋田の滝」を「日本三名瀑」と呼び、信仰対象にさえして居るのである。
 清少納言の著『枕草子』の「第五八段」には、「滝は、音なしの滝。ふるのたきは、法皇の御覧じにおはましけんこそめでたけれ。なちの滝は、熊野にありときくが哀なり。とゞろきの滝は、いかにかしがましく、おそろしからん」とあり、「日本三名瀑」の中から「那智の滝」だけが採り上げられているのであるが、斯かる蛮行は、著者の清少納言の行動範囲の狭さを証明する以外の何者でも無いのであり、此れを以ってして、「華厳の滝」や「袋田の滝」の価値が貶め卑しめられる理由にはならない事を、この際、私は力説しておかなければなりません。
 その点に就いての本ブログの読者の方々のご意見は如何なものでありましょうか?
 〔返〕  吞舟と言へば巨大な鯰かな
      吞舟はアマゾン河の鯰なり

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅡ・敗戦記念日特集)

2014年08月15日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(岡山市・岩崎正子)
〇  蝉時雨やんで一村軽くなる

 私は、定年退職後、8年間に亘って田舎暮らしをしていたのでありますが、その経験に基づいて言えば、「蝉時雨」に包まれている真夏の集落の空気には、言うに言われない程の厳粛感が漂っているものであり、それを煎じ詰めて言えば、己が肉体が巨大な力で圧迫され、押し潰される程の重量感なのである。
 私は、JR奥羽本線のとある駅の駅前と言いながらも、「みちのくの片田舎」としか言えない集落で8年間に亘って蝉時雨が耳朶を打つ夏を過ごして居たのでありますが、取り分け8月15日、即ち「敗戦記念日」の正午を告げる古い柱時計の音を聴きつつ、自分が蝉時雨に包まれながら、息息の呼吸をしている事に気付いた時などは、まるで我が身が煉獄の底に沈んで行くような孤独感を伴ったスピード感と重量感とを感じたものでありました。
 今日はその8月15日であり、終戦記念日ならぬ敗戦記念日でもあり、只今、午前6時29分であるが、現在、我が家の周りは一面の蝉時雨に包まれ、しーんと静まり返っているのである。
 あの日から69年目の今日の12時の我が家の周りの空気からは、私の痩せこけた肉体が押し潰される程の重量感が感じられる事でありましょうか?
 〔返〕  村中の噂気になる蝉時雨
      蝉時雨止めば繰り出す村神輿
      村芝居忠治ふんどし外したり


(熊本県菊陽町・井芹眞一郎)
〇  夕菅の花の配置のはじまりぬ

 本句は、「夕菅」の黄色い「花」が咲き始める頃の美しくて厳粛な時間感覚を形容して述べたものと思われるが、「夕菅の花」があちらこちらに一塊になって咲いている有り様こそは、正しく「天の神様の恩寵に拠る見事な配置」とでも形容して言うべきような光景なのである。
 〔返〕  夕菅の花の配置の偏りぬ
      夕菅や寡婦の庭には咲かざりき


(香川県琴平町・三宅久美子)
〇  喰はれたる葉も喰はれざる葉も毛虫

 この夏は、我が家の狭い庭にも時折り黄揚羽や紫しじみなどの蝶の類が飛んで来るので、目の保養にはなるのであるが、彼女たちが舞い遊んで行った数日後の我が家の庭では、私が大切にしている、実生の蜜柑の葉っぱや冷奴を食べるにはどうしても必要な木の芽などが跡形も無く食い散らかされているので、全く油断がなりません。
 私が子供の頃、私の父親は、大根や白菜などを植えている畑に飛んで来る蝶のことを「蝶魔」と呼んでいましたが、蝶こそは正しく「蝶魔」即ち「魔物」なのかも知れません。
 〔返〕  蓼食へば毛虫遁世避けられず
      芋植えて北さん放屁を避けられず
      裏庭の桃の葉蝶魔に喰はれたり


(姫路市・中西あい)
〇  星に濡れ星と語りて露涼し

 旧暦7月7日の七夕祭りの夜こそは、兵庫県姫路市にお住いの中西あいさんが、「星に濡れ星と語りて露涼し」などと洒落て決め込む、絶好の機会なのかも知れません。
 〔返〕  星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり
 「逢」という行為の動作主体は、架空の作中主体であり、牽牛星と織姫星でもあるが、「作中主体=作者」ではありません。


(奈良市・名和佑介)
〇  十薬のはびこる庭も受け継ぎし

 開花期のドクダミの地上部を乾燥させたものは、生薬として使われるが、それを生薬の種類名として言う時には「十薬(じゅうやく)」と言うのであるが、本句の作者は、植物名としての「ドクダミ」を漢字書きする場合は「重薬」と書く、と認識しているように思われる。
 「はびこる」とは、「(雑草などが)茂り広がる」という意味で使われるが、それと共に「悪い者の勢力が強くなって、手が付けられなくなる」という意味でも使われるので、本句の作者が「十薬のはびこる庭も受け継ぎし」と詠む時の「はびこる」という語の意味及び「十薬」に対する気持ちの在り方が今一つはっきりしません。
 それにしても、「十薬のはびこる庭」と言ったら、それ相当の広さの「庭」でありましょう。
 その広い「庭」をそっくりそのままご先祖様から受け継ぐのであったら、何方でも喜ぶ事ではありませんか?。
 〔返〕  十薬の蔓延る庭を見て臥しぬ
      十薬の蔓延る庭の相続税
      十薬の蔓延る庭の金目かな


(大阪市・行者婉)
〇  えぞにうの花の向こうは海に落つ

 作中の「えぞにう」は「蝦夷丹生」と書き、寒く厳しい環境下の北国の大地に生えるセリ科植物である。
 その「ふぞにうの花の向こうは海に落つ」と言うのでありますから、本句の作者・行者婉さんは、この句を北海道旅行した折に見た風景に取材して詠んだのでありましょう。
 「周りの下草よりは一段と背の高い蝦夷丹生の花が咲き乱れている原野の向こうに海が見える景色」、これは何と荒涼としていて雄大な風景でありましょう。
 〔返〕  蝦夷丹生と行者大蒜野に生へぬ
      蝦夷丹生や有象無象の知事選挙


(名古屋市・山内尾舟)
〇  戦争を語らぬ母や水を打つ

 自宅の前の通りに水打ちしていて、母は戦争の何たるかを黙して語らず。
 折しも本日は8月15日、すなわち、朝日新聞の謂う「敗戦日」である。
 名古屋市にお住いの山内尾舟さんのご母堂様よ、敗戦日の今日こそは、お孫さん方に戦争の悲惨さを語ってやって下さいませ!
 〔返〕  水を打つ母の浴衣や敗戦日
      水を打つ母の背丈や敗戦日
      母の打つ水涼しくて敗戦日
      ジャイアンツ今日は負けるぞ敗戦日


(横浜市・橋本青草)
〇  炎天下乗り遅れたるバス見えて

 私が田舎暮らしをしていた頃のある夏の日、当日は8月15日、即ち「敗戦記念日」に当たる日であったとは記憶しておりますが、それが今から何年前の敗戦記念日であったかとの記憶は定かではありません。
 当日の三、四日前、私は民放テレビの地方局のニュースで、「秋田県と岩手県の県境に位置する、秋田県側のとある集落のとある民家が、ほぼ半世紀振りで、集落揚げての<結講方式>に拠る、大屋根の茅葺作業をする」という耳寄りな情報に接したのでありました。
 何事に付けても物見高い私の事でありますから、「この際、何が何でも、そのほぼ半世紀振りとやらの結講方式に拠る民家の大屋根の茅葺作業を見物しない訳には行かない!」と思い立ったのでありました。
 たまたまその当日、岩手県盛岡市の病院に入院している祖母の病気見舞いに行かなければならない、という知人が居たので、彼の運転する軽トラの助手席に便乗させていただき、その日、私は、脳天気な事にも当集落まで出掛けたのでありました。
 その帰路は、当集落の橋の袂のバス停から横手駅まで出ているバス便で帰るつもりで居たのでありましたが、何と驚いた事に、そのバス便とやらは一日に二本、しかも午後の便は午後一時半発という事でありました。
 いっぱしの民俗学徒のつもりで居た、その当時の私の気持ちとしては、自分はせっかく茅葺作業を見物する事を目的として、この集落まで出掛けて来たのであるから、出来得るならば一日いっぱい、茅葺作業の有り様を見物させていただいた上、その日私が手土産代わりにぶら下げて来た銘酒・爛漫三升を、茅葺作業が完成した当民家の神棚にお供えした後、施主や茅葺職人の方々や結講の方々と共にそれを飲み交わしてから帰宅したかったのでありましたが、如何せん、午後のバス便の発車予定の午後一時半と言えば、私がその集落に到着してからわずか一時間足らずの事でありました。
 そこで私は、「所期の目的を達成してから帰宅しようかしら、それとも到着そこそこに午後のバス便で帰宅しなければならないのかしら」などと、さんざんっぱら迷い抜いた揚句に、その場に居合わせた、当集落の住人と思しき中年の女性にお訊ねしたところ、「この集落の西方、約一里半程の距離に在る、隣りの集落には、JR北上線の大松川駅が在るから、何でしたら、一山越えて夕涼みかたがた大松川駅まで歩いて行って、北上線の最終電車でお帰りになられたら如何ですか?」との、真に懇切丁寧なるご教授を賜りましたので、私もそうするつもりで、此処はどっかりと腰を構えて茅葺作業の見物をしようとの仕儀とは相成ったのでありました。
 さて、事は予定通りに着々と進行し、大屋根の茅葺作業の大概が完成したのは午後三時頃であり、神主さんの御払いが始まったのはそれから間も無くの事でありました。
 神主さんの御払いが終った後、施主を肇とした当民家のご家族の方々やご親戚の方々、そして茅葺大工さんを肇とした作業に従事した方々、最後には私を含めた見物客までが神棚の前に額づいての御祈祷は、いつ果てるとも無く長々と続きましたが、それらの全てが終了したのも束の間、当民家の一階の茣蓙敷きの間には、何時の間にやら大量のお酒と食べ物が準備されていて、参加者一同が揃っての大宴会が始まりました。
 当初、私はお神酒を二三杯いただいた後、施主の方に見物のお礼とご挨拶をして、大松川駅へ向かおうとしたのでありましたが、私のそうした様子を看取ってなのか、当集落の頭立った高齢者が、「東京づらした男よ!お前は俺の盞を受けもしねえで、東京さけえるつもりのなのか!、そんな根性では、東京さけえっても碌な仕事もでぎねえだろう」などと、私に向かって声を張り上げたので、私は少々面倒臭い事になってしまったと思いながらも、彼の差し出す丼一杯のドブロクに口を付けて飲み干したところ、此処を先途とばかりに、当民家のご家族を肇とした、宴会参加者の殆ど全てから大小様々の盞が差し出され、それを私が飲んだふりして返杯に及ぼうとするものなら、忽ち、「東京づらしてるからどて、この俺をやすめで、俺の差し出した盞を飲んだふりして澄まして居やがるとは、こいづはけずなやずだ」などと怒り出す始末であったので、とうとう私も覚悟を決めて、茣蓙敷しの間にどっかりと腰を据えて大酒を飲んでしまったのでありました。
 気が付いたのは、翌、8月16日の明け方であり、前夜、すっかり大虎になってしまって、自分の股倉に一升壜を突っ込んでの裸踊りまで演じてしまった私が、自宅に辿り着いたのは、その日の午後一時半のバス便に揺られての事でありました。
 あの日から10年以上の月日が経ちましたが、あれ以来、私はお酒の類は一切口にしなくなってしまいました、と言えば、それは少し嘘の話になりましょうか?
 〔返〕  炎天下一日二本のバスを待つ
      屋根葺や大酒飲んで虎になり


(伊勢原市・伊東法子)
〇  崩れないやうに崩してかき氷

 ガラスの器から零れる程にも盛り上がっている、あの「かき氷」を一匙残らず食べ尽す為には、「崩れないやうに崩して」紅いシロップに染めなければならないのである。
 〔返〕  崩さねば赤く染まらぬかき氷
      崩さねば黄にも染まらぬかき氷
      崩さねば宇治金時も旨くなし


(柳川市・木下万沙羅)
〇  梅雨明と思ふ今宵の月まろし

 一句の意は、「<今宵>の<月>の円やかさから推してみれば、もう<梅雨明>なのかも知れません」といったところでありましょうか?
 〔返〕  梅雨明や梅雨明ながらさりながらへばちゃん女性操縦士なり
      ながらへば股この頃は痒くなる今宵は円し憂しと見し月
<注>  「へばちゃん」とは、往年のNHKテレビの朝ドラ「雲のじゅうたん」のヒロイン・真琴の愛称であり、浅茅陽子が演じて大人気を博した。

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅣ・水曜夕刊早刷版)

2014年08月14日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(西条市・亀井克礼)
〇  ふるさとは鄙にてあれど湿地には世界最小のハッチョウトンボいる

 文脈に添って解釈すると、「作中主体(=作者)の<ふるさと>に生息する<ハッチョウトンボ>が<世界最小>である」という事になるのであるが、もしかしたら、「<ハッチョウトンボ>がトンボの仲間の中で<世界最小>のトンボである」という意味なのかも知れません?
 ところで、『万葉集』(巻一)に「近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本人朝臣麻呂の作る歌」という詞書を持つ長歌が見られるが、その全貌は次のようなものである。      
           
 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離かる 鄙にはあれど 石走る 近江の國の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の茂く生ひたる 霞立つ 日の霧れる ももしきの 大宮所 見れば悲しも

 〔返〕  西条は鄙にはあれど名水の「うちぬき」がありいと澄みてあり


(福生市・斉藤千秋)
〇  走高跳バーの下潜り抜け戦争を許す国となりたり

 自公連立政権に拠る「解釈改憲」を陸上競技の「走高跳」に喩え、「自公連立政権に拠る解釈改憲」は、「走高跳の選手がバーの下を潜り抜けて跳んだと言い張っているが如きものである」と結論付けているのである。
 ところで、同じ陸上競技でも、棒高跳びの場合は、稀に競技者が「バーの下」を「潜り抜け」て行くケースが見られるのであるが、走り高跳びの場合はそういうケースを見たことがありません。
 という事になれば、本作は比喩表現としても極めて粗雑なものであるという事になり、駄作としか言いようがない事にもなるのである。
 私たちの国には、かつて春日井建という天才少年が居て、彼は未成年者ながらも「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」という、印象鮮やかな名歌を棒高跳びに取材して詠んだのである。
 今は亡き春日井建氏と選者の佐佐木幸綱氏とは共に昭和十三年生まれであり、お互いに切磋琢磨し合った同士であり、お互いに手のうちを明かし合った友人でもあったはずである。
 それにも関わらず佐佐木幸綱氏がこうした駄作を敢えて入選作としたのは、どういう事情があってのことでありましょうか?
 〔返〕  歌壇バーのドアを潜りて幸綱が「おこんばんは」とママに挨拶
 「おこんばんは」と挨拶したのは、佐佐木幸綱氏では無くて、トニー谷氏では無かったかしら?
 それに、「文壇バー」という言葉を耳にした事はありますが、「歌壇バー」という言葉を耳にした事は絶えてありません。


(大和郡山市・四方護)
〇  とこしえに飛び立つことのなき鶴をガラスに隔つ酢谷呉服店

 作中の「酢谷呉服店」とは、奈良県大和郡山市の、JR郡山駅と近鉄郡山駅とを結ぶ矢田町通りに大正時代から店舗を構えている老舗である。
 本作の作者の四方護さんがお住いになられ、酢谷呉服店が店舗を構えている大和郡山市と言えば、昔から金魚養殖を主産業とした静かな町であり、「酢谷呉服店はそうした静かで古風な町並の中に一種独特なたたずまいを見せているのであり、店舗正面に設えられている小さな硝子戸棚の中には、数羽の鶴が地上に下り立った姿を象ったスケールモデルがディスプレイされている」とか?
 だとすれば、作中の「とこしえに飛び立つことのなき鶴」とは、件のスケールモデルを指して言うのでありましょう。
 インターネットを繙いてみると、其の奥処には、酢谷呉服店のささやかなホームページが設えられているのであり、そのPR文には「<着物に興味があるけど、詳しいことは何も知らない>、<着てみたいけど、扱い方が解らない>、<汚れ落としなど、手入れもきちんとしたい>。そんな方は、気軽にご相談下さい。当店はこの大和郡山市で大正時代より着物を扱ってまいりました。取扱商品も、着物はもとより巾着・紋付風呂敷・バック・草履・のれんに至るまで、多様な品揃えをご用意。あなたの<きもの生活>をサポートさせていただきます」とあり、呉服商いの老舗としての奥床しさが窺われるのである。
 ところで、彼の天才歌人・塚本邦雄に「いくほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ」(『詩歌變』所収)、「山川呉服店破産してあかねさす昼や縹の帯の投げ売り」(『不変律』所収)、「あさもよし紀州新報第五面山川呉服店店主密葬」(『波瀾』所収)、「山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室」(『魔王』所収)という名歌群があり、選者の佐佐木幸綱氏は、これらの名歌の名歌たる所以を充分にご承知のはずである。
 にも関わらず、その佐佐木幸綱氏が敢えて本作を入選作三席の座に据えたのは、本作は二番煎じの模倣作ではあるが、それなりの雰囲気を漂わせていて、しかも、それ相当の完成度を示しているとの判断に因るものでありましょう。
 〔返〕  魚町・茶町・綿町・豆腐町・車一台通らぬ車町
      雑穀町・北と南の大工町・洞泉寺町の源九郎稲荷神社
      「洗ひ張り致し舛」との立て看の雨に濡れたる浄照寺裏


(茨木市・瀬川幸子)
〇  捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ

 作者としては、「本来的には虫を捕まえる役割りを担った<捕虫網>で以って、その捕まえられるべき虫たる<蜂>を<追い出す>という、<蕎麦屋>の<店主>の矛盾した行為を笑い皮肉り、かつ、その笑われるべき<店主>がいる<夏の蕎麦屋>で一人静かに蕎麦を食べている」と述べたいのでありましょうが、それでは幾ら何でも欲張りであり、焦点ぼけした作品になってしまいましょう。
 また、表記上の留意点に就いて申し上げますと、「ゐて」が「ゐて」のままならば「追い出す」を「追ひ出す」としなければなりません。
 もう一言付け加えますと、「捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて」という上の句と「夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ」という下の句とが、接続助詞「て」に拠って結ばれていますから、「捕虫網で蜂を追い出す店主が居て、彼が夏の蕎麦屋でしんとして一人蕎麦を食べている光景」を詠んだと誤読される懼れもありましょう。
 〔返〕 捕虫網で蜂を追ひ出す男ゐき彼の夏の日蕎麦屋の店先  


(札幌市・藤林正則)
〇  いつどこを飛来するのか知らされず札幌に札幌に来て去るオスプレイ

 「いつどこを飛来するのか]という言い方は、日本語として正しい言い方ではありません。
 藤林正則先生ともあろう方が、何という言葉遣いをするのでありましょうか?
 〔返〕  何時何処の空を飛ぶのか知らないで札幌の空飛びたるオスプレイ


(小平市・萩原慎一郎)
〇  どっかーんと爆発をしたそのあとじゃ遅いのだけど再稼働する

 「どっかーん」という爆発音を立てたかどうかは判りませんが、とにもかくにも、彼の日に「爆発」したのは福島原発の一号機であって、この度、「再稼働」するか否かで世間を騒がせている、鹿児島県の川内原発とは異なります。 
 私も世間様並に「原発再稼働」に反対していますが、これでは幾ら何でもあんまりではありませんか!
 事が事ですから、この種の問題に取材して短歌を詠む場合には、再稼働賛成論者に揚げ足を取られないように、よくよく注意して詠まなければなりません。
 「詠むも詠んだり、採るも採ったり」とは、この事を指して言うのでありましょう。
 〔返〕  どっかーんと花火一発揚げたけど不発に終わった萩原慎ちゃん


(仙台市・小室寿子)
〇  さかあがりできないわが子がひそひそと「でもね、トックリバチの巣みつけた」
 
 人生は何が幸いするのか分りません。
 「さかあがり」が「できない」で母親たる自分を心配させている「わが子」が、今回の事がきっかけとなって、小保方晴子さんみたいにご立派な「リケジョ」になって、大成功の人生を送るかも知れませんよ!
 〔返〕  跳び箱も跳べず過ごせし少年期リケジョになれず間男もせず


(アメリカ・郷隼人)
〇  見ることはできぬがドンドン聞こえくる独立祭の打ち上げ花火

 さすがはUSAである!
 でも、どうせなら、刑務所の真ん前でどっかーんと揚げて、何かと不自由を託って居られる方々を喜ばせてあげたら如何でありましょうか?
 〔返〕  見る事は出来ぬがさすが音に聞くUSAの打ち上げ花火


(富山市・松田わこ)
〇  今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート

 「今日からは」と、二度も三度も「夏服」姿をひけらかすことはありませんよ!
 たかが中学生の夏服姿ではありませんか!
 世間の男たちは、わこさんがいくら「プリーツスカート」を揺らしてみたってわこさん自身が期待しているほどには珍しがったり喜んだりはしないと思いますよ!
 なんでしたら、ご自宅の縁側かベランダでチラチラ揺らしてパパとママに魅せたら如何ですか?
 〔返〕  今日からは夏服雨が降るたびにクリーニング屋に出さなきゃならん


岡山市・高尾晃世)
〇  「世の中に計算ミスのなかりせば・・・」受験仲間と会話のひととき
 「計算ミス」と言えば、今春の都立高校入試に於ける採点ミスのテイタラク!
 あれは真に酷い!
 採点ミスに点検ミスが重なってのテイタラクなのかも知れませんが?
 〔返〕  先生が採点ミスをしなければ都立高校に入れたはずだ!

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅢ・水曜夕刊早刷版)

2014年08月13日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(富山市・松田わこ)
〇  今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート

 高野公彦選の九席として既出であるが、第一志望の中学に合格した女子生徒の制服への愛着度の強さを示していて余りある一首かと思われる。
 〔返〕  今日からは夏服風が吹く度にチラリと魅せますプリーツスカート


(西宮市・室文子)
〇  塾だって楽しいことが盛りだくさんお弁当タイム雑談攻撃

 今週の馬場あき子選は一席、二席と「学童タイム」なのである。
 「お弁当タイム」の「雑談攻撃」の格好の的は、室文子さんでありましょうか?
 「私たちは、どうせ文子さんが短歌を詠む時の材料にされるのに決まっちゃってるから、喋らない方が損だわよ!この際、私は何でも喋っちゃうから、文子さんも遠慮無しに私たちのことを材料にした短歌を沢山作って頂戴!」などとの、激しい「雑談攻撃」が展開されるのでありましょうか?
 〔返〕  塾なれば楽しいことが盛りだくさん雑談攻撃の的は先生  


(近江八幡市・寺下吉則)
〇  イスラエルの<自衛権>より放たれてガザの幼女にとどきたる砲弾

 永田和宏選の二席として既出。
 〔返〕  イスラエルのガザ攻撃に事借りて朝日歌壇の入選狙う


(水戸市・中原千絵子)
〇  大き根を宙に突き上げ炭になりし国泰寺の楠悼む原爆忌

 『ひろしま文化大百科』の記すところに拠ると、「クスノキは、適潤で土壌の深い土地を好むので、太田川デルタの沖積地に発達した広島市街地にはよく育ち、戦前はあちこちに大木が見られた。特に有名であったのは、かつて国天然記念物に指定されていた<国泰寺の樟>(4株)で、現在はないが以前日本銀行の南側にあった国泰寺の境内に壮大な樹冠を広げてそびえていた。最大の株が根を西方に張り出していたので、市電の通る街路はクスノキの根元をさけるように曲がっていた。広島市は<市の木>としてクスノキを選定している」とのこと。
 また、原爆投下の地・広島で被爆しながら、原爆の惨状をメモした手帳に基づいて著した小説『夏の花』などの作者として知られる「原民喜」(1905年11月15日~1951年3月13日)の残した『原爆被災時のノート』には、原爆投下直後の広島の惨状が次のように生々しく記録されている。

 即ち「八月六日八時半頃、突如空襲。一瞬ニシテ全市街崩壊。便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ頭ヲ打ツ次ノ瞬間暗黒騒音。薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ品物ハ飛散ル。異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血。恭子ノ姿ヲ認ム。マルハダカナレバ服ヲ探ス。上着ハアレドズボンナシ。達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル。江崎負傷ヲ訴フ。座敷ノ椽側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ。倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ踏越エテ泉邸ノ方ヘ向ヒ栄橋ノタモトニ出ズ。道中既ニ火ヲ発セル家々アリ。泉邸ノ竹藪ハ倒レタリ。ソノ中ヲ進ミ川上ノ堤ニ至ル。学徒ノ群十数名ト逢フ。ココニテ兄ノ姿ヲ認ム。向岸ノ火ハ熾ンナリ。雷雨アリ川ヲミテハキ気ヲ催ス。人川ハ満潮、玉葱ノ函浮ビ来ル。竜巻オコリ泉邸ノ樹木空ニ舞ヒ上ル。カンサイキ来ルノ虚報アリ。向岸ノ火モ静マリ向岸ニ移ラントスルニ河岸ニハ爆風ニテ重傷セル人、河ニ浸リテ死セル人、惨タル風景ナリ。/(ココマデ七日東照宮野宿ニテ記ス。以下ハ八幡村ノ二階ニテ)/筏ヲアヤツリテ向岸ニ渡ル。兵隊アリ重傷シテ肩ヲ借セト云フ。我肩ニヨリテ歩ミツツ死ンダ方ガマシダト呪フ。湯ヲアタフ。柳町ノネエヤハ火傷シ、桜ヲ抱キテココニノガレ居リタリ。華ハ橋ノタモトニテ別レタリト。饒津公園ノ樹ノ時折燃エントスルアリ。砂地ニ潮満チ、堤ニノボル。既ニシテ夜トナル。傷ケル女学生砂地ニ臥セリ。アア早ク朝ニナランカナ、オ母サント泣キワメク。水ヲクレ、水ヲト火傷ノ男、夜モスガラ河原ニテワメクアリ。オ母サン、オネエサン、ミツチヤント身内ノ名ヲヨブ女ノ負傷者ハ、兵隊サン助ケテ、助ケテヨト号泣ス。夜ハ寒シ、恭子ト兄トハ黒ノカアテンヲカムリテ睡ムル。ワレハイツノマニカネムツテシマツタ。警報アリサ。翌七日、兄ト恭子ハ焼跡ヲ廻リ、柳町ノ負傷者ハ東照宮下ニ治療所アレバ出向ク。ワレハ傷(砂地ニテ火ヲタキ、飯ヲモラフ)ケル兵隊ヲ一人肩ニ、トキハ橋ノトコロマデ行クココニテ兵隊ハ救助車ヲ待ツ。饒津公園ニ一ケ所水道ノ出ルトコロアリ。ビール瓶ニ水ヲクム。東照宮下ニ行ケバ華ガ無事ニ一夜ヲ人ニ保護サレテ居タコトヲ知ル。華モ顔ニ火傷セリ。三原ヨリ医師ノ応援アリテ施療ス。路傍ニ臥セル重傷者カギリナシ。頭モ顔モ脹レ上リ、髪ノ毛ハ帽子ヲ境ニ刈リトラレテ居リ。警防団ノ服ヲ着タ青年石ノ上ニ倒レ、先生、カンゴフサン、誰カ助ケテ下サイト低ク哀願スルアリ。兵隊サン助ケテトオラブ若キ娘アリ。巡査ハ一々姓名・住所ヲ記入シテ札ヲ渡ス故行列ハ進マズ。暑シ。華子ト兄ト原田好子漸ク手当ヲ受ケテ境内ニ帰ルニ、木蔭ラシキモノモナシ。崖ニ材木ヲ渡シテ屋根トシ、ソノ下ニ一同潜ム。江崎モコノ時手当ヲ受ケテココニ来ル。警報アリ。爆音キコユ。握飯一人ニ一個クレル。隣ニハ両手ト足ヲヤラレ、傷ケル男アリ。パンツガ半分躯ニクツツキフラフラ。安藤、三四郎ムスビヲ持チテ来ル。石段下ノ湧ク水ヲビール瓶ニ汲ミ、カバンヨリクサグサノ品ヲトリ出ス。アタリニハ負傷者倒レ、死ニユクモノ、女子商業ノ生徒水ヲ求メテウメク。顔ヲ黒焦ゲニシテ臥セル婦人、万身血マミレノ幹部候補生、フン尿、蠅不潔カギリナシ。東照宮ノ欄間ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ燈籠ノ石モ倒レルアリ。隣ノ男、食ヤ水ヲ求ム。夕グレトナレバ侘シ。女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム。夜ハ寒々トシテ臥セル地面ハ固シ、翌朝目ザメテ肩凝ル。広島駅ノ方ヘ行ツテ見ルニ、広島ノ街ハ満目灰白色ナリ。福屋ナドノビルワヅカニ残ル。馬一匹練兵場ニサマヨフアリ。駅ニハ少年水兵作業ヲナス。横川ヨリ、汽車アル由キイテ帰ル。臥屋ニ帰レバ陽アタリテ暑シ。昨夜ノ黒焦顔ノ婦人既ニ死ニ、巡査シラベルニ、呉ノ人ナルコトワカル。学徒モ日ナタニ死ニタリ。念仏ノ声モキコユ。シカルニ何ゾヤ、練兵場ニハラツパヲ吹クアリ。安藤ニギリメシヲ持参、何気ナク食ヒ、コノ悲惨ナル景色ヲ念頭ニオクトキ、梅ノ酸胸ニツカヘテムカツキサウニナル。水ヲノム。石段下ノ涼シキトコロニ一人イコフ。我ハ奇蹟的ニ無傷ナリシモ、コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ、サハレ仕事ハ多カルベシ。練兵場ニ行キ罹災証明ヲモラツテ居ルト空襲ケー報。爆音アリ。身ヲ臥ス。オートミイルヲ出シ、鍋ヲ借リテ作ル。ウマシト一同讃ズ。ヒルスギ、廿日市ヨリ兄来ル。アブラ菓子ト桃ノ救援ニ息ヅク思ヒアリキ。馬車ヲ傭ツテアレバ、八幡村ヘ移ルコトトナル。暫クシテ馬車モ来ル。一同ハ之ニ乗ル。馬車ハ饒津ヲスギ橋ヲ渡リ、白島ヨリ電車道ニ出ル。泉邸ノ路ヘ入ルアタリ、練兵ヨリニ何カヲ認ム。降リテカケツケルニ文彦ノ死骸アリ。黄色ノパンツトバンドガ目ジルシ、胸ノアタリニ桃位ノ塊リアリテ、ソコヨリ水噴ク。指ハカタク握リシメ、顔ハ焦ゲ、総ジテ大キクフクレタ姿ナリ。ソノホトリニ修中生徒ト女ノ死骸、女ノ身悶エシママ固クナレル姿アハレニモ珍シ。爪ヲトリテココヲスグ。福屋モ内部ハスベテ焼ケタリ。電車ノ焼ケタアトマダ火ノ気ノ強キトコロナド国泰寺ノ楠モ倒レタリ。墓石モ散ズ。市役所辺ニハ人多シ。浅野図書館モ死体収容所ト貼出サレテアリ。住吉橋ノアタリ、死骸アリ。馬ノフクレテ死セル。茂ノ姿アリ。馬車ニノル。不思議ト橋ハ墜チテ居ナイ。橋ノトコロニ負傷者ヲ入レル小屋モアリ。草津アタリマデ来ルト漸ク青田ノ目ニハイル。トンボノ空ヲナガレル。人家ハ破損スレド既ニ惨タルモノハ薄ラグ。宮島線ノ電車ハスズナリ、海岸ニ厳島ヲ見ユ。夕刻八幡村ニ馬車入ル。看護婦来リテタダチニ火傷ノ手アテ。九日、廿日市ニ行キ、台八ニ荷ヲツミテ帰ル。汽車ノ窓カラアノ朝、落下傘ガ三ツ落チテキタト云フ。又人ノ話デハ、落下傘ヲ見テ間モナク強烈ナ光線ガ見エ、次イデ音響ガシタト云フ。誰モガ自分ノ家ダケ爆弾ガ落チタト思ツタ。光線ニ皮膚ヲアテタモノハコトゴトク火傷シタ。ソノ火傷モダンダンヒドクナル性質ノモノラシイ。紙屋町デハバスノ行列ガ立ツタママ死ンデ居リ、前ノ人ノ肩ニ死骸ハ手ヲカラメテヰル。西練兵デハ二部隊ガ殆ドヤラレタ。川ノ梯子ヲ昇リカケタママ死ンデヰル姿モアル。私ノ見タトコロデモ死骸ハ大概同ジヤウナ形ニナツテヰタ頭ガヒドクフクレ。顔ハマル焦ゲ、胴体モ腕モケイレン的ニフクレ上ツテヰル。火傷者ノ腕ニ蛆ガ湧イタリスル。十三日後ニナツテモ広島市デハマダ整理ノツカヌ死骸ガ一万モアルラシク、夜ハ人魂ガ燃エテヰルト云フ。学徒モ四名死亡。浅水ノ婆サンモ前田ノ嫁達モ火傷者デナクトモ毛髪ガ抜ケタリ。喀血シテ死ヌル人ガソノ後増エテヰル。広島ヘ埋メタ品ヲ掘リニ出掛ケタ人モ元気デ行クガ帰リハ病人トナツテヰルトカ。唇ノ端ヤ手ノサキヲ一寸怪我シテヰタ人モ傷ガ急ニ化膿シテ死ンデ行ク。川ノ魚ハ二三日後死ンデ浮上ツタガソレヲ喰ツタ人ハ死ンデ行ク。日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル。蛙ハ焼ケタ後間モナク地上ヲ這ツテヰタラシイガ、コレモ死ニタルモノラシイ。今本ハ女房ノ死体ヲ探スノニ何百人ノ女ノ打伏セニナレルヲ起シテ首実検ヲシタガ腕時計ヲシテヰル女ハ一人モナカツタト云フ。」と。  (句読点は鳥羽が施す)
 本作の作者・中原千絵子は水戸市にお住いであるが、広島市の出身者でありましょうか?
 〔返〕  「水ヲクレ、水クダサイ」との叫び聴き詩人・民喜もたじたじとなる


(宮城県・須郷柏)
〇  いくさ負け農地改革なりし日の父の深酒浮かぶ八月

 本作の作者の御父君、即ち宮城県のお住いの須郷柏さんのお父さんは、いわゆる「不在地主」であったと思われるのであるが、如何でありましょうか?
 マッカーサー指令に拠って行われたとされる「農地改革」は、地主階級から搾り取られていた小作人にとっては「農地解放」であったが、地主階級にとっては「田畑略奪」であったのでありましょう。
 〔返〕  農地得し喜びに因る深酒を悔し涙の深酒と謂ふ


(横浜市・吉井信)
〇  ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ

 いろいろと並べ立てたものであるが、これらの死は必ずしも「二十世紀の日本のこと」とは限りません。
 〔返〕  ああガス死自動車事故死縊死水死腹上死なら経験したい
      忙殺に笑殺黙殺封殺と殺人手法と異なる殺意      


(仙台市・小室寿子)
〇  道のべに大工さんらは腰おろし南瓜作りのこつ話しており

 昨今は自前の大工さんたちはなかなか仕事に有り付けないので、大手の住宅販売会社の下請け職人化しているとか?
 〔返〕  大工さんは鉋砥ぐのに一時間世間話にもう一時間


(アメリカ・郷隼人)
〇  酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜のうまい

 高野公彦選の七席として既出済みと思われるが、いずれにしろ西瓜の美味い年は西瓜の当たり年だとか?(笑)
 〔返〕  酷暑日の外出先でゴチになる西瓜の美味さに感謝感激 


(東京都・宮野隆一郎)
〇  初蝉の啼きをるこゑに迎へられバスを降りたり再雇用の朝

 「初蝉の啼きをるこゑに迎へられバスを降りたり」という記述から推してみると、宮野隆一郎さんの「再雇用」先はダム工事現場の現場事務所でありましょうか?
 〔返〕  初蝉の啼きをるこゑに送られてバスに乗りたり裁判所への


(伊那市・小林勝幸)
〇  漱石の「夢十夜」をば読みさして朱く大きな月をみて眠る

 朝日新聞社への迎合精神も尽き果てることを知らずに、とうとう「夏目漱石」まで及んだのでありましょうか?
 〔返〕  漱石の「草枕」など読んでるが英語のところは飛ばして読もう

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅡ・水曜朝刊早刷版)

2014年08月13日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(三豊市・石井庄太郎)
〇  九条は国のかたちの躾け糸いま解くべき有事にあらず

 いくら朝日新聞社の後押しがあるとは言え、「解釈改憲反対」の意志を題材にした短歌の創作も、月日の経過と共にいろいろと手の込んだ遣り方をしなければ朝日歌壇の入選という宿願を果たす事が叶わなくなったはずであるが、本作の場合は、何と驚いた事に着物の仕立ての見栄えを良くする為の「躾け糸」を材料にして、見事に宿願を果たした一例である。
 このような見事な具体例を目前にすると、並み居る投稿者諸氏の中には、「吾も二匹目の泥鰌を狙わん」とばかりに、同じような趣向で仕立てた作品で以って首尾良く入選の宿願を果たそうとする不心得者が、一人や二人ぐらいは居るに違いがありませんから、来週の投稿作品の選定に当たっては、選者の永田和宏氏は、よくよく注意して当たらなければなりません。
 一首の意は、「<躾け糸>を<解くべき>時は、<いざ鎌倉!>という時、即ち<有事>であるが、<いま>はその時では無いから、<躾け糸>を<解く>必要、即ち憲法九条の解釈を変更する必要はない」といったところでありましょう。
 私・鳥羽省三は、かつて新仕立ての綿入れ半纏を、勿体ないからというだけの理由で「躾け糸」を解かないままに冬の三ヶ月間を着せられたという特異な経験の持ち主である。
 本作の作者の石井庄太郎さんは、お四国は讃岐国の三豊市にお住いの方であるが、さすがに三豊市にお住いの方である。
 石井庄太郎さんの日常生活の中には、未だに「躾け糸」などと言う、今となっては死語同然となってしまった言葉が生きているのであり、彼も亦、かつての私と同様に、「躾け糸」を解かない綿入れ半纏を着たまま、香川県の県庁所在地・高松市までお使いに出掛けるような方でありましょう。
 〔返〕  躾け糸解かないままドテラ着て無闇矢鱈に歩いては駄目  
      休場はお相撲さんの恥である怪我の無いのが名力士なり


(近江八幡市・寺下吉則)
〇  イスラエルの<自衛権>より放たれてガザの幼女にとどきたる砲弾

 二匹目の泥鰌を狙った不心得者は来週の投稿者の中では無くて、今週の投稿者の中に居たのである。
 「解釈改憲反対」の意志を題材にして詠む短歌も、月日の経過と共にいろいろと手の込んだ遣り方をしなければ、入選の宿願を果たす事が不可能になってしまったのであるが、本作の場合は、過日発生した「<イスラエル>が自衛の為と称して、バレスチナの<ガザ>地区に向けて放ったはずの<砲弾>がいたいけな<幼女>を死に至らしめたという一件」に取材して、「今は集団的自衛権を行使するべき時期では無い」という趣旨を述べようとしたのである。
 〔返〕  パレスチナのガザ地区に住む人みながハマスの支持者と限りませんぞ  
      国民の支払う税を原資にし東京電力支える安倍氏


(三島市・福崎享子)
〇  佐渡を背に東北東を向いて立つゴジラのかたちの新潟県は

 数在る都道府県の形もさまざまでありましてね!
 〔返〕  男鹿半島をすごく小さな鼻にして中国ロシアの方向く秋田
      「数在る」とのみ言いながらそのままに実数言わぬ姑息な頭
 都道府県の数は、「一都一道二府四十三県」の四十七個でありました。
 試みに、その名称を順序立てて述べると「北海道・青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島」が、北海道及び東北地方の一道六県であり、続いて「栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川」が関東地方の一都六県であり、続いて「新潟・長野・岐阜・山梨・静岡・愛知・三重」が中部地方の七県であり、続いて「北陸地方」という中途半端な存在があり、それは「富山・石川・福井」の三県であり、続いて「大阪・京都・兵庫・奈良・三重・滋賀・和歌山」の二府五県が近畿地方であり、続いて「鳥取・島根・岡山・広島・山口」の五県が中国地方に属し、続いて「香川・徳島・愛媛・高知」の四県が札所巡りで有名な四国地方であり、続いて「福岡・佐賀・長崎・熊本・大分県・宮崎・鹿児島」の九州本土の七県を指して「九州地方」と呼ぶのであるが、残り一つの「沖縄県」をまま子扱いにするのはあまりにも酷い遣り方である、という反省点に立って、「九州・沖縄地方」という呼び方も在るが、ただ単に沖縄県も含めて「九州地方」と呼ぶ場合も多い。
 私は、夜間眠れないままに、我が国の「一都一道二府四十三県」の名称や県庁所在地の名称などを唱えたり、プロ野球十二球団の不動のメンバーや明治以来の名横綱の番付を頭の中で唱えたりするのであるが、それでもなかなか眠れませんので、その時には、パソコンのキーを叩いて「朝日歌壇」の入選作を弄んだりもするのである。


(東京都・上田国博)
〇  吸ひかけの煙草もみ消し「実は」と言ふかかる呼吸の絶えて久しき

 「実は」の次に出て来る言葉が、「(実は)脱法ハーブが危険ハーブへと名称変更になりましたので、その記念に、今までの悪しき習慣を脱法ハーブの吸引から煙草の吸引へと改めたいと思いましてね」などと言う言葉であるはずは無いでしょうね!
 〔返〕  打ちさしのメールを止めて「実は」と言う「実は」の先は「振られたから」だ


(岡崎市・兼松正直)
〇  スコポンと卒業証書の筒をあけ中の空気の充実を聞く

 「卒業証書」を入れた紙筒が「スコポン」と、いかにも虚しき音を立てた瞬間から、ご子息の大学生活が中身の無い虚しいものであった事が予測されていたのでありましょう。
 〔返〕  スコポンと音がしたから中身無し遊び暮らした大学生活


(浜松市・桑原元義)
〇  体操に来た人達が眺めてはちょっと触れてくふうせん葛

 「体操」とは、お馴染みの「NHKの朝のラジオ体操」であるが、その「体操」に出掛けて「来た人達」が、てんでに「ちょっと触れてく」のが、浜松市内のとある広場の片隅に植えられている「ふうせん葛」なのである。
 ところで、その人気者の「ふうせん葛」を広場の片隅に植えた犯人(=善人)は、本作の作者の桑原元義さんでありましょうか?
 〔返〕  鰻食べに来た人々もまた触れてちょっと揺すり行く風船蔓


(八王子市・坂本ひろ子)
〇  子を包み風船かづらの揺れをりぬ笑顔絶やさぬ人のごとくに

 「笑顔絶やさぬ人のごとくに」という下の句が泣かせるのである!
 そんな人物が居たとしたら、それは稀代の詐欺師なのかも知れませんから、よくよく注意して交際しなければなりません。
 かと言って、仏頂面しているばかりの人物が隣人だったりするのも困りますけれど。
 〔返〕  風船の中は空かと思ってたら種子を抱いてた風船蔓
      誰にでも笑顔絶やさぬ人が居てこちとら気持ち悪くてたまらん


(仙台市・小野寺寿子)
〇  室生寺の御仏達は神将を連れ東北に来給いにけり

 神社仏閣のご本尊様たちが本来の鎮座まします場所から一時的に離れて、日本全国各地に出稼ぎに出掛ける行為を以って、昔の人々は「出開帳」と称し、お賽銭の上がりの少ない時節には滅多矢鱈に行われたものでありました。
 ところで、欧米や露西亜や中国の美術館が所蔵する美術品が、この頃滅多矢鱈に我が国の美術館に於いて、有料公開されているのであるが、是も亦、一種の出開帳でありましょうか?
 〔返〕  何処へも出開帳する室生寺の御仏達は出稼ぎのごと


(三鷹市・増田テルヨ)
〇  「国民の命を守る」と言ふけれど自衛隊員も国民なのだ

 日本国憲法の隙間を搔い潜って、警察予備隊から保安隊へ、保安隊から自衛隊へと三段跳びの出世を成し遂げた自衛隊であれば、自らの本来の職務が何処に在るのかを忘れてしまっているのでありましょうか?
 〔返〕  自衛隊隊員たちの本来の職務は戦争する事にあり?
      自衛隊隊員たちの本来の職務は戦闘行為の練習に在り?


(志摩市・九鬼英夫)
〇  終戦がせめて十日早かりせばと詮なき嘆き夏がまた来ぬ

 「終戦がせめて十日早かりせば」、広島と長崎への原爆投下は無かったはずと後悔するのも生き残った私たちの真夏日の通過儀礼みたいなものでありましょうか?
 私の脳裏には、未だに昭和二十年八月十五日の暑さと隣家のご主人の禿げ頭の記憶が残っているのである。
 〔返〕  「せば」「れば」と今となってはあまりにも悔いる事のみ多き昭和期

当ブログに寄せられた、三名の読者の方からのコメントにお応えして。

2014年08月12日 | ビーズのつぶやき
 去る6月30日掲載の朝日歌壇の「高野公彦選」に入選した、神奈川県鎌倉市にお住いの小島陽子さんと仰る方の入選作、「古里でひとり暮らしをする父にレシピハガキを一筆啓上」に対して、私が「調子の良さだけが取り得の、つまらない作品である。」という寸評を記し、「鎌倉で独り遊びに身を窶す小島陽子に鉄槌下せ」という、やや過激とも思われる返歌を記したところ、去る7月13日の夕刻、「lotus」さんと仰る所在不明の方から「小島陽子さんのなんですが… 」というタイトルのコメントが寄せられましたが、それをそのまま、下記の通り転載させて頂きました上で、それに就いての私の所見なども後述させて頂きます。

 即ち「小島陽子さんのなんですが… (lotus)/2014-08-12 02:17:24/私はいい作品だと思いますあと鉄槌をくだせとありますが朝日歌壇にのるのは凄いことですしその短歌がよかったからのせられたわけでそんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」と。

 「lotus」とは、英語でもフランス語でも我が国で謂う「蓮」を指して謂うとのことでありますが、貴方様からのコメントに接する機会を得て、近頃はからきし縁の無かった外国語の勉強をさせて頂きました事を、先ずは以って、衷心より御礼申し上げます。
 ところで「lotus」様と名乗っているからには、貴方様は私如き人間とは異なり、遠い異国の方でありましょうが、貴方様が現在お住いの地は、USAでありましょうか?それともフランス共和国でありましょうか?もしかしたら、かつてのフランスの領土であった、東南アジアの何処かの国か、北アフリカにお住いなのかも知れませんが・・・・・・。
 ところで、当ブログに於いては、かつてブログアドレス不明の方からのコメントを開いたところ、ウイルス感染したという苦い経験に鑑みて、それ以来、その種のコメントを開かないままに削除する方針で居たのでありましたが、今回はたまたま「小島陽子さんのなんですが…(lotus)」というタイトル並びに発信者のお名前に魅せられて開いたところでありました。
 貴方様からのコメントの内容に就いて一言二言申し上げますと、貴方様のコメントには、日本語の表現には必須な句読点が施されていません。
 就きましては、私が貴方様からのコメントを読解する必要上、大変失礼ながら貴方様のコメント中の本文の部分に句読点を施しますと次の通りになりますが、その点に就いては如何でありましょうか?

 即ち「私はいい作品だと思います。あと『鉄槌をくだせ』とありますが、朝日歌壇にのるのは凄いことですし、その短歌がよかったからのせられたわけで、そんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより、主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね。」と。
 是で宜しければ、次にコメントの内容に就いて申し上げますが、本文の冒頭に「私はいい作品だと思います」とありますが、貴方様が件の作品を「いい作品だと思」うのであれば、それはそれで宜しい事なのかも知れませんが、私は日本語表現に就いては貴方様よりは幾分か習熟の度合いが高いのかなと自認している訳でありますが、その私から見た場合は、件の作品は、「鎌倉マダムの娘から故郷で独居生活をしている父親に、健康的な食事の在り方のレシピを送る」という、極めて有り触れたテーマもさることながら、その表現に就いても、「一筆啓上、火廼用心。お仙泣かすな。馬肥やせ」という、江戸時代以来、我が国国民の俗耳にこびり着いているが如き、極めて月並みな言葉の運びでありましたから、あのような寸評を書き添えたまでの事でありまして、それ以上の他意はありませんから、何卒こ許容下さいますようお願い申し上げます。
 また、私の即興に記した返歌の中に「鉄槌下せ」とあった点に就いて、貴方様は「怒髪天を衝く」が如き怒りを感じて居られるようでありますが、私が思うに「鉄槌を下す」とは、「刀匠が刀剣を鍛える際に、鉄で作った槌で以って何度も何度も激しく叩く」という意味であり、「鉄槌を下す」べき刀剣が「鉄槌を下す」ほどの価値が無い場合に於いては、当然の事ながら、手間暇掛けて、おまけにこの暑さ盛りに「鉄槌を下す」などという無駄事はしないはずでありますから、私の返歌「鎌倉で独り遊びに身を窶す小島陽子に鉄槌下せ」は、私なりに作者の小島陽子さんに敬意を表しての表現でありますから、此れも亦、そのままご許容賜りたくお願い申し上げます。
 更にもう一言申し添えますと、貴方様のご見解、即ち「朝日歌壇にのるのは凄いことですし、その短歌がよかったからのせられたわけで、そんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより、主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね。」に就いては、貴方様と私の見解の相違でありますから、如何様にも申し上げられません。
 それにしても、「主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」には、笑いを通り越して思わず涙を流してしまいました。
 私が面と向かって「主さんは」などと他人から言われたのは、赤線が廃止されて以来の事でありますし、「朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」とは、私から見ても「よく言えますね」という感じの付け足しのようにも思われるのである。


 去る8月10日掲載の朝日俳壇の「稲畑汀子選」の四席入選の、兵庫県姫路市にお住いの中西あいさんの一句「星に濡れ星と語りて露涼し」に就いて、多忙と健康状態不順のままに、私が「星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり」という腰折れのみを記して公開したところ、お馴染みのアンタレスさんから、昨8月11日のお昼前に、次のようなコメントが入りましたので、それをそのまま、当ブログに転載させていただきました上で、それに就いての私の所見を後述させていただきます。

 曰く、「夏は星 (アンタレス)/2014-08-11 11:50:20/姫路市・中西あいさま/星に濡れ星と語りて露涼し/ご返歌・星に濡れ一夜の逢瀬哀しけれ/何か哀感が残りますね。どうぞご自愛の程を」と。

 アンタレスさんからのコメントに就いて一言二言申し上げれば、私は未だにアンタレスさんの本心なるものが解りません。
 何故ならば、アンタレスさんからのコメントには、私が僭越ながらも再三に亘って「二読、三読、よくよく熟読なさった上でご投稿なさって下さい」などとご注意申し上げたにも関わらず、誤字、脱字、文脈の乱れや必要とも思われないような虚飾が認められるのであり、今回のコメント中にもそうした点が認められるからである。
 今回のコメントの主旨は、発信者のアンタレスさんの意図としては、「8月10日の稲畑汀子選に入選した、姫路市にお住いの中西あいさんの一句『星に濡れ星と語りて露涼し』は、実感の伴った傑作であり、その返歌として鳥羽省三が記した一句も亦、何か哀感が感じられる佳句である」と仰りたいところでありましょうが、肝心要の私・鳥羽省三の返句は、アンタレスさんのコメントに在る「星に濡れ一夜の逢瀬哀しけれ」では無くて、「星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり」でありますから、是では「どうぞご自愛の程を」などと仰られても、私・鳥羽省三が、何か手痛いミスを犯して、それを指摘されたようにしか感じられないのである。


 同じく8月10日掲載の朝日俳壇の「金子兜太選」の四席入選の、福岡県福津市にお住いの松崎佐さんの「原発と基地とまたぞろ原爆忌」という一句に対して、私が前述した理由で以って、「原発の一句またぞろ見厭きたり」という鸚鵡返しで以って切り返したところ、このところ再三に亘って私のブログにコメントをお寄せになられる矢嶋博士さんから、またぞらコメントが寄せられ、その内容は「またぞろ。は無い!でしょう。(矢嶋博士)/2014-08-11 11:45:23/原発と基地とまたぞろ原爆忌/ですが、原爆忌、という重い重い季語に、/またぞろ/股ゾロ、などという下品極まる四字をくっつけるという神経は如何でしょう?。日本語の風上にも置けないモノの所業と思われます。投稿の素人はいいでしょうが、選者の目と耳と心を疑わざるを得ません。どこまで腐っているのでせう。」というものであったので、それをそのままに転載させていただいた上で、、それに就いての私の所見なども書かせていただきます。

 何を隠しましょうか、私・鳥羽省三は、今から数年前には、歌人・矢嶋博士の隠れファンであり、その当時の貴殿のブログに熱いメッセージを寄せたようにも記憶しているのでありますから、先般、貴殿の方から我がブログにコメントをお寄せになられた折には、また、感激を新たにした次第でありました。
 然るに、昨今の貴殿のブログ「日刊短歌」の記事は「朝日馬歌壇」と称して、かつての「朝日歌壇鑑賞会」顔負けの悪口雑言を書き連ねている始末ではありませんか。
 その上、本8月12日の記事と言ったら、私の尊敬して止まない、現代歌壇の至宝・馬場あき子先生に対して、「馬場ババ子って日本人なの?/死に損ないのしかし脳が確実に死んでいる馬場あき子という自称歌人が朝日馬歌壇に名義貸していて幾許かのカネを貰ってはほそぼそと息をしているか既に息を引き取ったかどうか知ったこっちゃ無いが、その馬場ババ子名義で今週の朝日馬歌壇に10個の漢字羅列が乗っている。その第ロッコメ(6個目)。/【朝日馬歌壇自称馬場あき子と言いふらすモノ第6個目】/ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ
/(横浜村/吉井不信某)/馬場ババァ子吉井不信某ともにこの前の戦争が昭和20年1945年8月15日に一応は終わったということを知らないらしい。/糞も味噌もイッショクタにして、あらゆる日本人死者を都々逸にのせて愚弄しては『悦』に入っている。/馬場ババァ子某吉井不信某ってゆうのは中国共産党か?ゑ?。/中国共産党製の歴史観では日本人というのは虫けら以下の価値も持たない。/大東亜戦争(太平洋戦争)での死者一切は虫けら以下モノの死に過ぎない。その死はうれしくもかなしくも痒くも痛くもないモノである。/ただ、日本に中国共産党製社会主義革命(朝日新聞紙社説主義革命、左翼日教組主義革命、テレビ朝日報道ステーション主義革命、岩波書店左翼主義革命)をおこすための扇情宣伝ネタには使える。というモノにすぎない。/▼平成26年2014年8月10日時点での馬場あき子選第6等賞/ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ/(横浜村・吉井不信某)蛇足付録/▼同第8等賞/☆酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜のうまい/(アメリカの某刑務所から 殺人犯郷隼人某)/コレ、高野公彦某も第7等賞をあげている。いわゆる朝日馬歌壇の☆ジルシの共選とゆうヤツ。扇情宣伝効果が高いとゆう朝日新聞紙の指導による☆ジルシ。/虫けらの日本人の虫けら以下の価値もない死者よりも殺人犯でアメリカ刑務所収監者殿の感想が意味がある。西瓜に舌づつみうつこれが真の「人間」ぞ。/特攻死の馬鹿どもめら、が。/矢嶋博士」などとの、恰も危険ドラッグに頭が侵されてしまったようなオダを揚げている始末ではありませんか。
 不肖、私・鳥羽省三は、今から四年ほど前に、貴殿が「題詠マラソン」という企画の参加者たちに対して、「お前たちの詠む短歌はあまりらも下手糞であり、この企画に一緒に参加したくない」という趣旨の短歌を投稿して、彼ら・参加者たちに離別宣言を為した折には、まるで我が事のような感激したものでありました。
 然るに貴殿は、その後すぐ様、その投稿作品を撤回してしまったのには呆れ果ててしまいました。
 あの折の貴殿の遣り口は、恰も国会壇上での失言を新聞紙上で槍玉に上げられて、渋々撤回してしまう自民党所属議員さながらでありました。
 貴殿の短歌作品や発言内容が聴くに値しなくなってしまったのは、あの頃からでありましょうか?
 いずれにしろ、貴殿の如き、真っ正直で人の好いご性格の方が、右翼紛いの言辞を弄するのはあまり好ましい事ではありませんし、その上、貴殿のご立派なご尊顔に相応しい行為とは思われません。
 就きましては、何卒、もう少し真面なことを書くようにして下さい。
 お願いですから・・・・・・・。

 〔返〕  「lotus」「矢嶋」「アンタレス」の三名はもう少し真面なこと書きなさい

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅠ・八月中旬火曜日朝刊)

2014年08月12日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(可児市・三田村広隆)
〇  コンビニのフェンスに絡むひろがおの境涯といふ曖昧なもの

 絡むにこと欠いて「コンビニのフェンスに絡むひろがお」の投企も亦、「ひろがお」なりの投企であれば、殊更に他所様から「曖昧なもの」であるなどと非難されるような筋合いのものではありません。
 「可児市の桜ヶ丘ハイツの欅の枝に絡み付いたから確実な絡み方であった」とか、「川崎市多摩区内の尻手黒川道路沿いのコンビニのフェンスに絡み付いたから曖昧な絡み方であった」とかと評価するのは、あくまでも一面的な評価に過ぎなく、「昼顔の絡む所も好き好き」といったところでありましょう。
  〔返〕  他所様の短歌に絡むともがらの境涯に見る悪戯ごころ


(福島市・美原凍子)
〇  ひたすらにむくげはむくげ人の世のいろいろいろに触れざるま白

 「ま白」即ち「潔白・清潔・清純・純粋」という、従前よりの常識に寄り掛かって詠んだ作品である。
 美原凍子さんくらいのベテランになりますと、心の中の抽斗が多いので、ややもするとその分だけ、常識に寄りか掛かった作品を詠みがちなのでありましょうか?
 〔返〕  振り返り見れば全てが歌になる財政破綻も原発事故も  
      この度は木槿を詠んでいるけれど何を詠んでも被害者意識
      人の世の色さまざまに触れぬまま馬に喰はれし木槿ぞ哀れ


(ホームレス・宇堂健吉)
〇  よりどなく電車の床を転がれる空き缶も拾う生くる糧のため

 作中の「よりどなく電車の床を転がれる空き缶」とは、ご自身のホームレス生活を比喩的に表現したものでありましょうが、「ホームレス」とは、住所を示している訳でも無く、かと言って職業を示している訳でも無く、ましてや身分の証しとして名刺に書けるような代物ではありません。
 作者の宇堂健吉さんには、ホームレス生活から解放される為の手間暇を惜しんだりせずに、一日も早く市民生活に復帰されんことを要望致します。
 また、朝日歌壇の選者の方々には、「ホームレス」を所書きとした投稿者の作品をそのまま入選作として紙面に掲載したりせずに、確かな居住地を確かめた上で入選作として紙面に掲載することを要望致します。
 〔返〕  コロコロと電車の床を転がれる空き缶も拾うアルミ缶なら
      殊更にホームレスなること誇示するも食う寝るところ住むところ無し
      壜缶は空洞をもて用を為す夜汽車の床に転がれる缶


(草津市・山添聖子)
〇  梅雨寒に子のぬくもりがやさしくて抱いているのか抱かれているのか

 昨日の午後のこと、私は外出先の宮前平から川崎市営バスに乗って帰宅しようとしたのであったが、その途中のバス停から、車内の通路を通り抜けることが不可能なほどの大きなベビーカーに乳児を乗せた30才前後の女性が二人、他の乗客に手伝われながらもバスに乗り込んで来たのでありました。
 幸いなことに、件のバスはそんなにも混雑しては居なかったので、どうにかこうにか乗車することが出来たのでありましたが、実の事は、それからが大変であって、次のバス停で他の乗客の一人が下車しようとしても、出口の扉が開かなかったので、運転士の方は「ベビーカーが出口の黄色い線の外側にはみ出しているので出口の扉が開きませんから、ベビーカーを黄色い線の内側に入れて下さい!」と、二度、三度と連呼しているのであったが、件の母親たちは二人ともそれを気にもして居ないといったホーズで、ベビーカーの中の乳児たちの頬を撫でたり話し掛けたりしているのでありました。
 幸いなことにその一件は、件の母親たちの隣に立っていた男性の手に拠って、ベビーカーが黄色い線の内側に入ったので無事に解決を見たのでありましたが、それも束の間、次の一瞬、何かの拍子にバスが急停車したところ、ベビーカー同士が正面衝突してしまったので、二人の乳児が大声を上げて泣き出してしまったのでありました。
 件の二台のベビーカーが車内に入って来た時、運転士の方は「ベビーカーを補助ベルトで固定して下さい」と注意したのでありましたが、母親に当たる二人の女性たちは、それを気にもしていないといった感じで比較的に空いている出口付近にベビーカーを止めて立ち話をしていたのでありました。
 我が国が老人大国に成り果ててしまった今日、乳幼児を持った母親たちには、行政当局を肇としていろいろな方面から子育て援助の手が差し伸べられている、という事でありますが、いくら何でも、バスの通路に入る事が出来ないほどの巨大なベビーカーを無理矢理バスに入れて外出する事はあまりにも他人様の迷惑を考えない行いでありましょう。
 本作の詠い出しが「梅雨寒に子のぬくもりがやさしくて」となっていたので、つい、うっかり、余計なことを言ってしまいましたが、近頃の母親たちの中には、乳幼児を抱いていても「抱いているのか抱かれているのか」分からないなような母親が居ることも確かな事実ではある。
 〔返〕  この頃の母親とても子供っぽく子供に抱かれていそうな感じ


(東京都・上田結香)
〇  絶え間ないフラッシュライトの中歩くスーパーモデルの気分だ雷雨は

 という事になると、一週間に一度くらいは、東京都内に「雷雨」が降り荒れてくれればいい、という事になりましょうか?
 〔返〕  絶え間なくフラッシュライトを浴びようが君の容姿じゃモデルになれぬ


(福山市・武暁)
〇  生ハムを紫蘇でくるんでかぶりつき冷酒で洗う口中の爽

 「冷酒で洗う」と四句目にあり、この一句が本作の利き目とも思われる。
 だが、屁理屈を言わせで頂きますと、「口中の爽」を「冷酒」で洗ってしまったら、せっかくの「口中の爽」が台無しになってしまいましょう。
 私が思うに、本作の作者・武暁さんの意図としては、「生ハムを紫蘇でくるんでかぶりつき冷酒を飲めば口中の爽」といった趣旨の一首を思い付いたのであるが、それを気の利いた一首に仕立て上げようとした余りに、「冷酒を飲めば」を「冷酒で洗う」としてしまったのでありましょう。
 こうした失敗は、相撲の決り手で言えば「勇み足」のようなものであり、よく云う「相撲に勝って勝負に負けた」とはこうした事態を指して云うのでありましょう。
 話は変わりますが、夏の酒の肴として「生ハムを紫蘇でくるん」だ如き一品が、この頃の我が家の食卓にも上るのであるが、私が新米教師からやっと脱出仕掛けた、昭和四十年代の終り頃、新学年が始まったある春の日の一夜、「公務分掌」の「立ち上げ会」と称する宴会が、その年の進路指導部の主任であったY教諭の自宅で行われたのであるが、その折、酒の肴として出されたのが「竹輪の穴に胡瓜を詰めた一品」であった。
 ところがあろう事か、その一品が参席者全員に行き亘る前に無くなってしまい、末席を穢していた私と私の隣に座って居たコケシとの渾名を奉られていた女性教諭の食べる分が無くなってしまったのである。
 私としては、そんな珍しくも無い肴は食べたいとも思わなかったのであるが、しかしながら、当夜の宴会の主宰者であった進路指導部の主任のY教諭は、何かに就けても配慮が行き届いているが故に「キーマン」という渾名を奉られていた程の男性ベテラン教師であったので、目敏くその事態を目にして、参席者全員に向かって「誰か、胡瓜の竹輪巻(もしかしたら、竹輪の胡瓜巻と言ったのかも知れませんが)>を二人分食べてしまった人は居ないか?新参加者の鳥羽さんとコケシさんの食べる分が無くなってしまったから!」などと大声を上げて叫んでしまったのである。
 そう言えば、近頃はあの肴、「胡瓜の竹輪巻」という肴を目にすることも無くなってしまったのである。
 〔返〕  生ハムを紫蘇に包めば一品だ酒の肴は手造りが佳し
      仙台の笹蒲鉾は生のままで食べても旨く揚げても旨い


(アメリカ・郷隼人)
〇  酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜がうまい

 私は刑務所暮らしをした事がありませんから詳しい事は分りませんが、我が国の刑務所に於いても、正月の元旦にはお雑煮を食べさせるなどの配慮が為されているとか?
 是は、かつて塀の中で暮らしていた経験を持つ、元民主党衆議院議員の山本譲司氏の著書から仕入れた知識である。
 〔返〕  酷暑日の独立祭に西瓜食うひやっとしてて気持よかった


(神奈川県・九螺ささら)
〇  救急車のサイレンがミの♭(フラット)に聴こえる誰が苦しんでいる

 神奈川県にお住いの九螺ささらさんは、「絶対音感」の持ち主でありましょうか?
 〔返〕  救急車のサイレンの音が聴こえてる何処かの辻で人身事故が
      「ドレミファ」の「ミ」の音ぐらいは聴き分ける極めて普通の耳ではあるが


(富山市・松田わこ)
〇  今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート

 富山市にお住いの松田わこさんの得意芸の一つは、ご自身や松田家のご家族の季節季節の服装を題材にして、巧みに一首を仕立て上げることである。
 〔返〕  今日からは夏服風が吹いてたらプリーツスカート揺らし魅せたる
 これでは、松田わこさんもマリリン・モンローさながらではありませんか? 


(豊明市・杉山菜々美)
〇  カーテンがふわりふくらみまたもどる一瞬だけの草木のかおり

 窓外の庭園より一瞬の間の風ありてやがて已むか?
 〔返〕  カーテンがふわりふくらみ薫り来るこの夏だけのカサブランカの香

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅠ・新聞休刊日特集)

2014年08月11日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(福島県伊達市・佐藤茂)
〇  天の川宇宙の渚ありにけり

 「天の川」や「銀河」という名称から推してみても、あの「夜空を横切るように存在する雲状の光の帯」は、昔人から河川に見立てられていたのも当然のことであるが、「銀河」と呼んだり「天の川」と呼んだりしている以上は、其処には「渚」が無ければならない、という理屈になるのでありましょう。
 〔返〕  渚にて誰を待つらむ牽牛星
      渚にて彦星を待つ織姫星


(岸和田市・大内純子)
〇  道のべの木槿キリンに食はせたり

 「道のべの木槿は馬に食はれけり」とは『野ざらし紀行』所収の松尾芭蕉の一句である。
 『野ざらし紀行』には、「大井川越ゆる日は、終日雨降りければ」とあり、「馬上吟」という詞書と共にこの一句が記されているのであるが、岸和田市にお住まいの大内純子さんに拠るこの一句は、実景に基づいて詠まれたのでありましょうか?
 〔返〕  河に棲む河馬に食はせぬ木槿かな  
      皮膚炎の特効薬なる木槿かな
      白木槿煎じて飲めば胃腸薬


(三豊市・磯崎啓三)
〇  戦争の足音を聞く暑さかな

 三豊市にお住いの磯崎啓三さんは、人一倍敏感な神経の持ち主であり、台風一過の今日の「暑さ」に「戦争の足音」を聴いているのでありましょうか?
 〔返〕  「戦争の足音」付け足し投句かな
      入選を狙ふ魂胆あらはなり


(城陽市・山仲勉)
〇  往きし日や昭和の蝉のこゑ

 「往きし日」と聞けば、私たちが直ぐさま思い出すのは、あの雨の降る神宮外苑での学徒出陣の光景であるが、城陽市にお住いの山中勉さんは、蝉時雨の音を耳にしながら、地元の皆さんの歓呼の声に送られて、一兵卒として鹿嶋立ちなさったのでありましょうか?
 〔返〕  往きし日の神宮の雨激しかり
      往きし日に涙流せし乙女はも


(岡山県・岩崎正子)
〇  蝉時雨やんで一村軽くなる

 その時の気分に因っては、あの「蝉時雨」も亦、暗く重々しく陰鬱な声として耳に入るのかも知れません。
 だとしたら、「蝉時雨やんで一村軽くなる」という一句の表現は、その折の作者の気分を適切に表したものと思われる。
 〔返〕  蝉時雨止めば寂しき故郷かな
      一村の重さ如何ほどならんかな?


(土浦市・栗田幸一)
〇  草刈って妙齢となる故郷かな

 「草刈りをしている女性が<妙齢>即ち<眩しいほどの娘盛り>の美しい女性である」という意に解釈するべきでありましょうが、「草刈りをすると故郷の風景そのものが娘盛りの女性のようにすっきりと美しくなる」という意に解釈することも出来るのである。
 それはともかくとして、真夏日の草刈り仕事は、男性にとってもかなりの重労働である。
 〔返〕  草刈って素肌焼けたり村娘
      臭かりし草刈り乙女の放屁かな


(大野城市・佐竹三紀江)
〇  大夕焼異国の呪文唱へけり

 「異国の呪文」とは?
 〔返〕  夕焼けにアブラカダブラ唱へけり
      外つ国の呪文即ち「日本討て」


(八王子市・徳永松雄)
〇  己が道自力で行けと道をしへ

 「己が道」とは、即ち「己が人生の道」である。
 〔返〕  バス賃を持たねば歩く他は無し
      女性ならヒッチハイクも可能だぞ


(東京都・望月清彦)
〇  草笛のやうやく歌になりはじむ

 吹き始めた当初はたどたどしい音色であったが?
 〔返〕  草笛の銚子外れの早春賦
      草笛の聴こえる小諸懐古園


(大和市・小田島恵子)
〇  夏去りて太陽族も老いにけり

 「太陽族」と言えば、あの石原慎太郎氏であるが、その元祖「太陽族」の石原慎太郎氏のご子息の石原伸晃氏も亦、「夏」が去った頃には、安倍内閣の改造とかで、ただの陣笠議員に陥落してしまうのでありましょうか?
 〔返〕 秋来れば環境相も更迭か?
     秋来れば石原伸晃更迭だ!金目次第で更迭は無し?
     体制にべったり男の官房相・菅義偉氏は留任するとか?