[佐佐木幸綱選]
(川崎市・中堀きみ子)
〇 みすずかる信濃の国の佐久平浅間立あり蓼科立あり
「みすずかる」、即ち「水篶刈る(水薦苅る)」は、「信濃」に係る枕詞であるとされているのであるが、「水篶(水薦)」とは「篠竹」の意であり、信濃の国には篠竹が多く生えていることから、「水篶刈る(水薦苅る)」と言えば、すぐさま、国名としての「信濃」が連想されるので、「水篶刈る(水薦苅る)」が「信濃」を導き出す枕詞となったのでありましょう。
一方、名詞としての「水篶(水薦)」は、本来的には「みすず」では無く、「みこも」と読むべきなのであるが、これを江戸時代の著名な万葉学者の賀茂真淵が「みすず」と誤って読んでしまった事から、「信濃」の枕詞としての「水篶刈る(水薦苅る)」が「みすずかる」と読まれる事になってしまったとする異説も在る。
それはともかくとして、本作は、万葉以来の遠大な時空間を連想させる、「みすずかる」という枕詞で以って詠い起こし、「みすずかる信濃の国の佐久平」と、いにしえから肥沃の地とされている「佐久平」を中心とした「信濃の国」を、悠久かつ雄大に把握して紹介し、真夏にその地に降る「夕立」には、浅間山方面から降り始める「浅間立」と、蓼科方面から降り始める「蓼科立」との二種類が在る事を述べ、併せて「佐久平は、真夏に、その二種類の夕立が降るが故に気候風土に恵まれた悠久な大地である」と褒め称えているのである。
〔返〕 水篶刈る空母信濃の排水量「六万八千六十総頓」
(館林市・阿部芳夫)
〇 蝶を追う虫取り網が大空をゆっくり密かに捕まえにゆく
「虫取り網」そのものが、「大空をゆっくり密かに」「蝶」を「捕まえにゆく」のでは無くて、「蝶を追う」昆虫採集者が、自ら手にした「虫取り網」を、「大空をゆっくり密かに」「蝶」に近づけて行って、結果的には「蝶」を捕まえる事に成功したのである。
しかしながら、朝日歌壇の常連中の常連たる阿部芳夫さんともなれば、そうした事実をそのままに表現したのでは入選も覚束ないと計算したのか、敢えて、「虫取り網」を擬人化して、「蝶を追う虫取り網が大空をゆっくり密かに捕まえにゆく」としたのでありましょう。
私は、本作に接した瞬間、まるで無声時代の映画を観ているように感じたのであるが、この歌読み上手(?)の私をして、そのような異様な感覚に陥れたのも、本作の作者・阿部芳夫さんの優れた技巧でありましょうか?
〔返〕 蝶を追う虫取り網の如くしてアンパンマンを捕らえた安倍ちゃん
前掲の返歌中の「アンパンマン」とは、あの方を指して言うのである。
(さいたま市・佐藤治男)
〇 シベリアの墓標に共にぬかづきし友ははや亡し我も老いたり
いわゆる「シベリヤ墓参」がその途に就いたのは、1992年5月のことである、とか。
だとすれば、前年にソビエト連邦が崩壊して、あの巨大な北の大地が「ロシア連邦(Российская Федерация)」に生まれ変わったものの、未だに混乱状態にあった最中の事であった。
それ以来、彼の酷寒の大地に、戦友や肉親を葬らなければならなかった方々は、彼の国の政治家諸氏の顔色を覗いながらも、営々として「シベリア墓参」を繰り返して来たのではある。
しかしながら、彼の酷寒の地の墓標の前に額づいて、今は亡き戦友や肉親などの極楽往生を願って人々も、歳月の流れと共に年老い、死に絶えてしまって、次第に数が少なくなってしまったのであるが、本作の作者・佐藤治男と共に遠くシベリヤまで足を運び、「墓標に共にぬかづきし友」も亦「はや」亡くなってしまって、佐藤治男さんご自身も亦、年老いてしまったのである。
〔返〕 哀しきは北の大地の墓標かな鳥羽何某の「何某」見えず
(飯能市・高橋節子)
〇 戦争を語らず父は骨になる頑固一徹憲兵のままに
元「憲兵」の方々が、敗戦後「戦争を語らず」じまいで亡くなってしまったとは、よく聴く話であり、亦、その方々が、敗戦後「頑固一徹」を装っていた、という話もよく耳にします。
思うに、かつての「憲兵」の方々は、国家機密に触れる機会も多くあったのであり、一般の兵士の方々とは異なった仕事をなさっていたので、敗戦後は「頑固一徹」を装い、世間様に目立たないように暮らすのが得策だったのでありましょう。
〔返〕 戦争をせざる為さざる戦争に関はらざるを佳しとするべし
(福島市・美原凍子)
〇 烈日のなか八月の貨車が来る過去の闇乗せ重き貨車来る
作中の「貨車」を単なる「貨車」とせずに、「八月の貨車」とした事に拠って、詠い出しの「烈日のなか」及び「過去の闇乗せ」という四句目の措辞がより生かされる結果になったのであるが、作者の意図としては、「特定秘密保護法の施行」や「集団的自衛権の行使」に反対する作者自身の姿勢を、「八月の貨車」を中心とした一首全体の表現を通じて、象徴的に述べたかったのでありましょう。
それにしても、「八月の貨車」とはよく思い付いたものである。
これが、一箇月前の「七月の貨車」や、一箇月後の「九月の貨車」であったり、同じ八月の乗り者でも「八月の電車」だったり「八月のバス」だったり「八月のジェット機」だったりしていたのでは、様になりませんからね?
〔返〕 八月の最終バスの乗客は「降りますランプ」を押すことも無し
(札幌市・藤林正則)
〇 整然と一万千七百五十の椅子並ぶ平和記念公園雨降り続く
本年の「広島市原爆死没者慰霊式」に於いては、主催者の広島市当局が予め列席者数を「一万千七百五十」名と想定していて、その分だけの「椅子」を雨降る会場に並べて置いたのでありましょうか?
本作の作者・藤林正則さんは、NHKのテレビ中継などで、列席者の正確な員数を耳にしていて、それをそのまま本作の表現に採り入れたのではありましょうが、それにしても「一万千七百五十の椅子」とはあまりにも語呂が悪く、藤林正則さんの詠歌力を以ってしても、是が一首の短歌として成立するか否かの境目の数字と言うべきであり、作者ご自身がその数字に拘るならば、更なる推敲を要求したい場面である。
〔返〕 整然と並べられたる一万余雨に降られて椅子も涙す
ところで、彼の慰霊式に於ける安倍総理の挨拶が、前年度の「コピペ」であるとか無いとか、マスコミでいろいろと取沙汰されているのであるが、次に本年度のそれと昨年度のそれとをそのままに、下記の通り、無断転載させていただきますから、心ある方々にはご一読賜りたく、お願い申し上げます。
≪平成26年全文≫
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
69年前の朝、一発の原爆が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十六年八月六日 内閣総理大臣・安倍晋三
≪平成25年全文≫
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開きます。
今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を急いで頂いています。
広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。
結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十五年八月六日 内閣総理大臣・安倍晋三
〔返〕 なるほどな是ではまるきしコピペだよ小保方さんを責められないよ
(北海道・斉藤洋子)
〇 午前5時コンブ漁は始まりぬ長き汀はあめ色の帯
「長き汀はあめ色の帯」との、隠喩を用いた把握が宜しい。
〔返〕 彼の国は採り放題のコンブ漁午前5時からいよいよ開始
(坂戸市・山崎波浪)
〇 靴箱の隅に一足下駄ありて一度も履きし覚えなきかな
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 靴箱の隅に半足靴在りて誰のか判らぬガラスの靴だ
(東京都・上田結香)
〇 少々の筋肉と多く友を得てスポーツクラブも二年目の夏
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 僅かだが贅肉減らして疲れ果て朝の散歩を終わって帰る
(船橋市・武蔵義弘)
〇 ステテコに腹巻姿の我を見て似合いすぎると妻は苦笑す
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 猿股は褌よりも涼しくて夏の下穿きもってこいだぞ
(川崎市・中堀きみ子)
〇 みすずかる信濃の国の佐久平浅間立あり蓼科立あり
「みすずかる」、即ち「水篶刈る(水薦苅る)」は、「信濃」に係る枕詞であるとされているのであるが、「水篶(水薦)」とは「篠竹」の意であり、信濃の国には篠竹が多く生えていることから、「水篶刈る(水薦苅る)」と言えば、すぐさま、国名としての「信濃」が連想されるので、「水篶刈る(水薦苅る)」が「信濃」を導き出す枕詞となったのでありましょう。
一方、名詞としての「水篶(水薦)」は、本来的には「みすず」では無く、「みこも」と読むべきなのであるが、これを江戸時代の著名な万葉学者の賀茂真淵が「みすず」と誤って読んでしまった事から、「信濃」の枕詞としての「水篶刈る(水薦苅る)」が「みすずかる」と読まれる事になってしまったとする異説も在る。
それはともかくとして、本作は、万葉以来の遠大な時空間を連想させる、「みすずかる」という枕詞で以って詠い起こし、「みすずかる信濃の国の佐久平」と、いにしえから肥沃の地とされている「佐久平」を中心とした「信濃の国」を、悠久かつ雄大に把握して紹介し、真夏にその地に降る「夕立」には、浅間山方面から降り始める「浅間立」と、蓼科方面から降り始める「蓼科立」との二種類が在る事を述べ、併せて「佐久平は、真夏に、その二種類の夕立が降るが故に気候風土に恵まれた悠久な大地である」と褒め称えているのである。
〔返〕 水篶刈る空母信濃の排水量「六万八千六十総頓」
(館林市・阿部芳夫)
〇 蝶を追う虫取り網が大空をゆっくり密かに捕まえにゆく
「虫取り網」そのものが、「大空をゆっくり密かに」「蝶」を「捕まえにゆく」のでは無くて、「蝶を追う」昆虫採集者が、自ら手にした「虫取り網」を、「大空をゆっくり密かに」「蝶」に近づけて行って、結果的には「蝶」を捕まえる事に成功したのである。
しかしながら、朝日歌壇の常連中の常連たる阿部芳夫さんともなれば、そうした事実をそのままに表現したのでは入選も覚束ないと計算したのか、敢えて、「虫取り網」を擬人化して、「蝶を追う虫取り網が大空をゆっくり密かに捕まえにゆく」としたのでありましょう。
私は、本作に接した瞬間、まるで無声時代の映画を観ているように感じたのであるが、この歌読み上手(?)の私をして、そのような異様な感覚に陥れたのも、本作の作者・阿部芳夫さんの優れた技巧でありましょうか?
〔返〕 蝶を追う虫取り網の如くしてアンパンマンを捕らえた安倍ちゃん
前掲の返歌中の「アンパンマン」とは、あの方を指して言うのである。
(さいたま市・佐藤治男)
〇 シベリアの墓標に共にぬかづきし友ははや亡し我も老いたり
いわゆる「シベリヤ墓参」がその途に就いたのは、1992年5月のことである、とか。
だとすれば、前年にソビエト連邦が崩壊して、あの巨大な北の大地が「ロシア連邦(Российская Федерация)」に生まれ変わったものの、未だに混乱状態にあった最中の事であった。
それ以来、彼の酷寒の大地に、戦友や肉親を葬らなければならなかった方々は、彼の国の政治家諸氏の顔色を覗いながらも、営々として「シベリア墓参」を繰り返して来たのではある。
しかしながら、彼の酷寒の地の墓標の前に額づいて、今は亡き戦友や肉親などの極楽往生を願って人々も、歳月の流れと共に年老い、死に絶えてしまって、次第に数が少なくなってしまったのであるが、本作の作者・佐藤治男と共に遠くシベリヤまで足を運び、「墓標に共にぬかづきし友」も亦「はや」亡くなってしまって、佐藤治男さんご自身も亦、年老いてしまったのである。
〔返〕 哀しきは北の大地の墓標かな鳥羽何某の「何某」見えず
(飯能市・高橋節子)
〇 戦争を語らず父は骨になる頑固一徹憲兵のままに
元「憲兵」の方々が、敗戦後「戦争を語らず」じまいで亡くなってしまったとは、よく聴く話であり、亦、その方々が、敗戦後「頑固一徹」を装っていた、という話もよく耳にします。
思うに、かつての「憲兵」の方々は、国家機密に触れる機会も多くあったのであり、一般の兵士の方々とは異なった仕事をなさっていたので、敗戦後は「頑固一徹」を装い、世間様に目立たないように暮らすのが得策だったのでありましょう。
〔返〕 戦争をせざる為さざる戦争に関はらざるを佳しとするべし
(福島市・美原凍子)
〇 烈日のなか八月の貨車が来る過去の闇乗せ重き貨車来る
作中の「貨車」を単なる「貨車」とせずに、「八月の貨車」とした事に拠って、詠い出しの「烈日のなか」及び「過去の闇乗せ」という四句目の措辞がより生かされる結果になったのであるが、作者の意図としては、「特定秘密保護法の施行」や「集団的自衛権の行使」に反対する作者自身の姿勢を、「八月の貨車」を中心とした一首全体の表現を通じて、象徴的に述べたかったのでありましょう。
それにしても、「八月の貨車」とはよく思い付いたものである。
これが、一箇月前の「七月の貨車」や、一箇月後の「九月の貨車」であったり、同じ八月の乗り者でも「八月の電車」だったり「八月のバス」だったり「八月のジェット機」だったりしていたのでは、様になりませんからね?
〔返〕 八月の最終バスの乗客は「降りますランプ」を押すことも無し
(札幌市・藤林正則)
〇 整然と一万千七百五十の椅子並ぶ平和記念公園雨降り続く
本年の「広島市原爆死没者慰霊式」に於いては、主催者の広島市当局が予め列席者数を「一万千七百五十」名と想定していて、その分だけの「椅子」を雨降る会場に並べて置いたのでありましょうか?
本作の作者・藤林正則さんは、NHKのテレビ中継などで、列席者の正確な員数を耳にしていて、それをそのまま本作の表現に採り入れたのではありましょうが、それにしても「一万千七百五十の椅子」とはあまりにも語呂が悪く、藤林正則さんの詠歌力を以ってしても、是が一首の短歌として成立するか否かの境目の数字と言うべきであり、作者ご自身がその数字に拘るならば、更なる推敲を要求したい場面である。
〔返〕 整然と並べられたる一万余雨に降られて椅子も涙す
ところで、彼の慰霊式に於ける安倍総理の挨拶が、前年度の「コピペ」であるとか無いとか、マスコミでいろいろと取沙汰されているのであるが、次に本年度のそれと昨年度のそれとをそのままに、下記の通り、無断転載させていただきますから、心ある方々にはご一読賜りたく、お願い申し上げます。
≪平成26年全文≫
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
69年前の朝、一発の原爆が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十六年八月六日 内閣総理大臣・安倍晋三
≪平成25年全文≫
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開きます。
今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を急いで頂いています。
広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。
結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十五年八月六日 内閣総理大臣・安倍晋三
〔返〕 なるほどな是ではまるきしコピペだよ小保方さんを責められないよ
(北海道・斉藤洋子)
〇 午前5時コンブ漁は始まりぬ長き汀はあめ色の帯
「長き汀はあめ色の帯」との、隠喩を用いた把握が宜しい。
〔返〕 彼の国は採り放題のコンブ漁午前5時からいよいよ開始
(坂戸市・山崎波浪)
〇 靴箱の隅に一足下駄ありて一度も履きし覚えなきかな
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 靴箱の隅に半足靴在りて誰のか判らぬガラスの靴だ
(東京都・上田結香)
〇 少々の筋肉と多く友を得てスポーツクラブも二年目の夏
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 僅かだが贅肉減らして疲れ果て朝の散歩を終わって帰る
(船橋市・武蔵義弘)
〇 ステテコに腹巻姿の我を見て似合いすぎると妻は苦笑す
それを言うならば、私の場合は次の通りである。
〔返〕 猿股は褌よりも涼しくて夏の下穿きもってこいだぞ