[俵万智選]
○ 両指を額縁にして夏の湖見ればヨットは絵から消えゆく (土浦市) 大竹淳子
「両指を額縁にして」とあるが、より正確を期して言うならば、<両手の親指と人差し指とを額縁にして>と言うべきであろう。
かくして「夏の湖」を「見れば」、其処に浮かんでいた「ヨット」は間も無く「額縁」の範囲から「消え」て行ってしまった、と言うのである。
写実的、古典的絵画描法からヒントを得た着想や表現が、高く評価されての入選作一席の栄誉であろうが、評者としては、この児戯めいた着想に諸手を上げて讃美するわけにはいかない。
〔返〕 炎熱の霞ヶ浦の上空を白き翼のヨット翔け行く 鳥羽省三
○ 橅の木は大地に広き影敷きて夏の子供らしばし休ます (池田市) 今西幹子
「広き影」を「敷きて夏の子供ら」を「しばし」休ませる程の「橅の木」は平地には無く、かなり山奥に分け入らなければ見られないものである。
したがって、作中の「子供ら」は、かなりの時間を掛け、山の奥地に分け入ったものと思われる。
その山行の途中に「橅」の巨木が在り、その巨木は、「夏の子供ら」を「しばし休ます」ほどの「広き影」を地上に落としていたのであるが、本作の作者は、それを<広き影落とす>と言わずに「広き影敷きて」と言っているのである。
要するに、本作の作者・今西幹子さんにとっては、「橅」の巨木が地上に落とした「影」は、ただの「影」では無く、「夏の子供ら」を「しばし」休ませる、魔法の絨毯かビニールシートなのである。
〔返〕 天地の恵みの水を吸ひ上げて橅の巨木は枝葉潤す 鳥羽省三
○ 清水飲む青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる (青森市) 滝野沢弘
山行で疲れ果てた体内に、岩間から滴り落ちる冷たい「清水」を注ぎ入れた時の感覚を詠んだものでありましょう。
「青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる」という措辞は、まさにその時に味わった感動を巧まずに表わしたものと思われる。
〔返〕 喉笛を一筋太き導管となして身体に清水を注ぐ 鳥羽省三
○ 最後まで隠れおおせた代償に独りで帰る夕暮れの蝶 (高島市) 宮園佳世美
昆虫狩りの子供たちの手から逃れ、網の目から逃れて「最後まで隠れおおせた」「蝶」は、その「代償」として、「夕暮れ」の空を「独り」で山の塒に帰らなければならないのである。
今頃、他の仲間たちは、子供たちの手によってホルマリン注射を打たれて甘ーい甘ーい夢に浸って居られるのに、「最後まで隠れおおせた」頑固な「夕暮れの蝶」の、何と可哀想なことよ。
〔返〕 最後まで隠れおおせたつもりにて此処を先途と最後の勝負 鳥羽省三
「此処を先途と最後の勝負」と出たのは、あの小沢一郎さんではありませんか?
○ 「じいさん」と孫に呼ばれて笑みたるに孫の友より言われむかつく (福山市) 黒部
良三
同じ「じいさん」でも、血の繋がる「孫」の口から出た「じいさん」と「孫の友」の口から出た「じいさん」とでは、その価値に雲泥の差が在るのである。
〔返〕 「じいさん」と呼んでいるのは祖父の前ほかの場所では「糞じい」と呼ぶ 鳥羽省三
○ 両指を額縁にして夏の湖見ればヨットは絵から消えゆく (土浦市) 大竹淳子
「両指を額縁にして」とあるが、より正確を期して言うならば、<両手の親指と人差し指とを額縁にして>と言うべきであろう。
かくして「夏の湖」を「見れば」、其処に浮かんでいた「ヨット」は間も無く「額縁」の範囲から「消え」て行ってしまった、と言うのである。
写実的、古典的絵画描法からヒントを得た着想や表現が、高く評価されての入選作一席の栄誉であろうが、評者としては、この児戯めいた着想に諸手を上げて讃美するわけにはいかない。
〔返〕 炎熱の霞ヶ浦の上空を白き翼のヨット翔け行く 鳥羽省三
○ 橅の木は大地に広き影敷きて夏の子供らしばし休ます (池田市) 今西幹子
「広き影」を「敷きて夏の子供ら」を「しばし」休ませる程の「橅の木」は平地には無く、かなり山奥に分け入らなければ見られないものである。
したがって、作中の「子供ら」は、かなりの時間を掛け、山の奥地に分け入ったものと思われる。
その山行の途中に「橅」の巨木が在り、その巨木は、「夏の子供ら」を「しばし休ます」ほどの「広き影」を地上に落としていたのであるが、本作の作者は、それを<広き影落とす>と言わずに「広き影敷きて」と言っているのである。
要するに、本作の作者・今西幹子さんにとっては、「橅」の巨木が地上に落とした「影」は、ただの「影」では無く、「夏の子供ら」を「しばし」休ませる、魔法の絨毯かビニールシートなのである。
〔返〕 天地の恵みの水を吸ひ上げて橅の巨木は枝葉潤す 鳥羽省三
○ 清水飲む青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる (青森市) 滝野沢弘
山行で疲れ果てた体内に、岩間から滴り落ちる冷たい「清水」を注ぎ入れた時の感覚を詠んだものでありましょう。
「青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる」という措辞は、まさにその時に味わった感動を巧まずに表わしたものと思われる。
〔返〕 喉笛を一筋太き導管となして身体に清水を注ぐ 鳥羽省三
○ 最後まで隠れおおせた代償に独りで帰る夕暮れの蝶 (高島市) 宮園佳世美
昆虫狩りの子供たちの手から逃れ、網の目から逃れて「最後まで隠れおおせた」「蝶」は、その「代償」として、「夕暮れ」の空を「独り」で山の塒に帰らなければならないのである。
今頃、他の仲間たちは、子供たちの手によってホルマリン注射を打たれて甘ーい甘ーい夢に浸って居られるのに、「最後まで隠れおおせた」頑固な「夕暮れの蝶」の、何と可哀想なことよ。
〔返〕 最後まで隠れおおせたつもりにて此処を先途と最後の勝負 鳥羽省三
「此処を先途と最後の勝負」と出たのは、あの小沢一郎さんではありませんか?
○ 「じいさん」と孫に呼ばれて笑みたるに孫の友より言われむかつく (福山市) 黒部
良三
同じ「じいさん」でも、血の繋がる「孫」の口から出た「じいさん」と「孫の友」の口から出た「じいさん」とでは、その価値に雲泥の差が在るのである。
〔返〕 「じいさん」と呼んでいるのは祖父の前ほかの場所では「糞じい」と呼ぶ 鳥羽省三