臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「栗木京子第二歌集『中庭(パティオ)』」鑑賞

2017年04月25日 | 諸歌集鑑賞
○ 扉の奥にうつくしき妻ひとりづつ蔵はれて医師公舎の昼闌け

○ 女らは中庭につどひ風に告ぐ鳥籠のなかの情事のことなど

○ 天敵をもたぬ妻たち昼下がりの茶房に語る舌かわくまで

○ 庇護されて生くるはたのし笹の葉に魚のかたちの短冊むすぶ

○ やすやすと抱かれてしまふ女をり体温もたぬ劇画のなかに

○ 粉砂糖ひとさじ掬ひわたくしに足りないものは何ですかと問ふ

○ 茹でし黄身の周りわづかに緑色帯ぶるほどの羞恥か生くるといふは

○ 馬鈴薯の凹凸にナイフ添はせつつ意地悪さうにわが指動く

○ 夜の壁にサキソフォンたてかけられて身をふた巻きにする吐息待つ

○ 標的となるまでわれは華やがむ花びらいろの傘まはしあゆむ

○ 傘の先新芽のごとく空に向け春雷とほく鳴る街をゆく
   
○ ひらきたる傘を支へて漆黒の柄はぬめぬめとをみなの器官
  
○ 濡るることいまだ知らざる傘の花ひしめきてショーケース華やぐ
  
○ 傘の上を雨はななめにすべり落ち結末を知りつつも夢追ふ
  
○ レート高き賭してみたし夕風にすすぎ物あたま取り込みながら

○ 失せし物ふるさとの部屋の机の上に届きをらむと思ふ夕暮

○ サーカスにたとふればいかなる見せ場かといさかひののち夫に酒注ぐ

○ 夢のなかにいつか棲みつきし人をりて雪ふれば冬の表情をもつ

○ ひらかなを子にをしへつつ調教師は猛獣よりもさびしとおもふ

○ 真昼間のタモリの艶めくくちびるに舐められゐたりテレヴィに向きて

○ 耳かたむける仕種はなべて愛を帯び調律師光る絃に近づく

○ 思ひきり男の頬を殴りゐる少女照らして痩せぎすの月

○ 素直なる言葉はみじかき言葉なり夫に寄り添ひ夜の病舎出づ

○ 灯の下にあはき化粧をひき直す 罠と知りつつ蜘蛛は巣張るや

○ 葉洩れ日のをどる車窓にひとり坐す飼はれて泳ぐ身は晶しけれ

○ 止まりたる掛時計はづし裏返すなまなまと恥多きわが身は

○ 青年の右肺に管を送り来し夫の手夜更けのベッドより垂る

○ 若き脳ひらき見し手か爪まるき外科医の指をおそれつつをり

○ 背をかがめ子を抱くときの長身よ外科医の指はやはらかき鈎

○ 病巣を抉り来し夫の手の温さ魚を裂きたるわが掌冷ゆるを

○ 夕焼のもゆる広さはわづかにてもはや産まざる肉叢の冷え

○ わが四肢をマリネ漬けにせむ降りつづく雨にはかすか鬆き匂ひす

○ 春寒や旧姓繊く書かれゐる通帳出で来つ残高すこし

○ かじりゐるウェハース溶け前歯溶けわれも溶けゆく小春日の午後

○ 高層のオフィスにひとつ灯は残り遺影のごとく人かげ嵌る

○ 夫婦してダブルスを組み打ち交はす球の行方よ 退屈な雲

○ 踏切のむかうも小雨 煤けたる壁にE号棟とふ文字見ゆ

○ 海に沿ふ車窓にほくろと薄紅き唇昏れ残り女は泣きをり

○ せつなしとミスター・スリム喫ふ真昼夫は働き子は学びをり

○ 雛のすしに散らすみどりの絹さやのほろ苦きほどの愛保ちきぬ

○ あざやかに塗り分けられし人体図の臓腑を呑みてうつそ身昏し

○ 夜に入りてやうやくに雪やみしかな泣きて勝ちたるいさかひのはて

○ 粉砂糖ひとさじ掬ひわたくしに足りないものは何ですかと問ふ

○ 子のために面接試験に連れ立てりジオラマめきて冬の家族は

○ 飢餓感にちかき空腹感きざす雨のひと日を吾子とこもれば

○ 風落ちて平たくなれるゆふぞらにぎんがみかざし子は切りはじむ

○ 光れるは水のみとなる真夜中にしろがねのごときわが渇きあり

○ ひらかれし手術室(オペしつ)のごと明るくて高速道路の果ての給油所

○ いくつもの把手にふれしゆびさきは夜更けて吾子の耳たぶを撫づ

○ をり鶴のうなじこきりと折り曲げて風すきとほる窓辺にとばす

○ サンタナのハンドル握る朝々よ配所に夫と子を送るべく

○ つぎつぎにもの裏返し陽に晒す酷さを糧とし妻の日々あり

○ 悲しいとアイロン掛けがしたくなる衿先揃へピンと尖らせ

○ 実家にて寝坊してをり母の手がつぎつぎに生む音を聞きつつ

○ 浴身を清むるごとく冷蔵庫の内外ゆたかに磨き上げたり

○ 鍋に火を入れて酒精を逃しやる夏のただむきまだ白きまま

○ 大ばさみの男の刃と女の刃すれちがひしろたへの紙いまし断たれつ

○ 子の描きしクレヨンの線ひきのばし巻き取り母のひと日は終はる

○ 白あぢさゐ雨にほのかに明るみて時間の流れの小さき淵見ゆ

○ ゆで玉子銀のボールに冷しおき頭をよせてしばし吾子とねむらむ

 [反歌]  電子式返却装置をくぐりぬけ無菌化されたか『中庭(パティオ)』一冊
 

「角川『短歌』平成20年2月号」を読む

2017年04月14日 | 古雑誌を読む
 神作光一作「京都界隈ー『源氏物語』千年紀(ミレニアム)」を読む

○ 六条の御息所が幻に顕つかと思ふ雪の嵯峨野は
○ 黒木なる鳥居くぐるや簡素なる小柴垣にも雪降りかかる
○ 生き霊となりて取りつき本妻の葵の上を苦しめし女人
○ 「北山のなにがし寺」に擬す古注あるゆゑ立ち寄る大雲寺へと
○ それぞれが旅での無事を祈れるや街道沿ひの寺の鞋は
○ 姫君と共に明石の御方が移り住みしは此処ら辺りか
○ 嵐山は「絵合せ」以下の三巻に関はり深き地と知り歩む
○ 山裾にひそと建ちゐる石仏に霰たばしる容赦もあらず
○ 竹の幹に次々積もる雪を分け奥野の宮への細道たどる
○ 公園にあまた建ちゐる歌碑のなか紫式部の一基を探す
○ 紫の色にて石に彫られをり紫清ふたりの百人一首は
○ 「由良の門」の歌碑を見しのち二尊院前の茶屋にてひと休みする
○ 廬山寺の「源氏の庭」の白砂に桔梗咲く頃再び訪はむ
○ 境内を抜けて只管登りゆく小塩山への一筋道を


「栗木京子第五歌集『夏のうしろ』」鑑賞

2017年04月12日 | 諸歌集鑑賞
○ 大雨の一夜は明けて試し刷りせしごと青き空ひろがりぬ

○ 風景に横縞あはく引かれゐるごときすずしさ 秋がもう来る

○ 死真似をして返事せぬ雪の午後 生真似をするわれかもしれず

○ 雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる

○ 書き終へて手紙となりしいちまいのこころに朝の日は照り翳る

○ さびしさに北限ありや六月のゆふべ歩けど歩けど暮れず

○ 竜胆の咲く朝の道この道を歩みつづける復員兵あり

○ 九月来て昼の畳に寝ころべばわがふとももの息づきはじむ

○ 反則で少し使ふ手にんげんの手は罪深くうるはしきかな

○ ふうはりと身の九割を風にして蝶飛びゆけり春の岬を

○ この寺を出ようとおもふ 黄昏の京を訪へば彌勒ささやく

○ 国家といふ壁の中へとめり込みし釘の痛みぞ拉致被害者還る

○ 音出さぬときレコードは垂直に立てられて夜の風を聴きをり

○ チンパンジーがバナナをもらふうれしさよ戦闘開始をキャスターは告ぐ

○ 夏のうしろ、夕日のうしろ、悲しみのうしろにきつと天使ゐるらむ

○ 舟遊びのやうな恋こそしてみたし向き合ひて漕ぎどこへも着かず

○ 晴れわたる卯月の空よわが一生ひとを殺さぬまま終はれるか

○ どうでもよいことはきちんとやり遂げて海峡を渡る恋などもせず

○ ぶらんこを真すぐに止めて降りしのち二十年は過ぐ恋もせぬまま

○ 指に合ふ手袋はめしことのなき生かなしみぬ聖夜の街に

○ 崩れゆくビルの背後に秋晴れの青無地の空ひろがりてゐき

○ のりしろに紙を重ねて平らかに身ゆる世界よテロより半年

○ 靴下をはきたる救助犬あまた火災の熱のこもる地を嗅ぐ

○ 大統領の妻はなにゆゑいつ見ても笑顔であるか次第に怖し

○ 晴れわたる卯月の空よわが一生(ひとよ)ひとを殺さぬままに終はれるか

○ 隣室に武器の音聞くこともなく生き来て春の菜を刻みおり

○ ほほゑみにレースの縁取りあるやうな若さを遠き二十歳と思ふ

○ いのちより明るき色を身ぶるひて絞り出したるのち紅葉散る

○ 「逢ひたい」から「忘れたい」まで恋ごころ容れて楕円の枇杷熟したり

○ 日だまりに坐せば腰湯のあたたかさとろりとわれは猫になりゆく

○ 音すべて蒸発したるのちの世の明るさよいちめん菜の花ばたけ

○ 苦しみののちに来る夏 真ふたつに背中が割れて飛べる気がする

○ 午前より午後へと秒針移りたりかかるとき人は恋に落つべし

○ 夫宛ての郵便渡しに部屋へゆく雲より柔きとびらをあけて

○ 普段着で人を殺すなバスジャックせし少年のひらひらのシャツ

○ ねむたさよ春の子供のかばんにはカスタネットがあくびするらむ

○ 霜柱のやうな小部屋の並びゐてハモニカはつんつんさびしき楽器

○ 苦しみののちに来る夏 真ふたつに背中が割れて飛べる気がする

○ 児を抱きて虹を見せゐる人ありぬ児はただとほき青見るのみに

○ 梅の香に立ちどまりたり税務署への、恋への、死への、道順忘れ

○ 女優の写真あまた売らるるバザールに自由はむつと匂ひ立つなり

○ 赤き布縫ひ終へしのち湯に入れば身よりほつれて赫き糸浮く

○ 亡き祖母の時計はめれば秒針は雪野をあゆむごとく動けり