面白い作品を面白く読み、面白く解釈しましょう。
その「面白さ」が私にとっての「面白さ」であるのみならず、作者にとっての「面白さ」であり、読者諸氏にとっての「面白さ」であることを信じて。
壺を外した解釈になることを恐れるな。
壺に嵌まっただけの解釈をすることは他人に任せましょう。
壺に嵌まった解釈をすることは何方にだって出来ることだからである。
壺に嵌まった解釈だけを並べ立てることは、作者に対する侮辱であり、作品に対して失礼であるからだ。
失礼な解釈をすることを恐れるな。
読まないことが何よりの失礼であり、読んでも熟読玩味しないことが次の失礼であり、熟読玩味してもその結果を鑑賞文として記さないのが、次の次なる失礼だからである。
「一首を切り裂く」に採り上げられたことが、作者諸氏の何かの足しになっていることを疑わないで、失礼をも省みず、遠慮会釈無く、どんどん書いて行きましょう。
それにしても、駄作ばかりのお題「004:まさか」でありました。
でも、本稿はその中から見どころの在る作品ばかりを精選させていただきました。
〔返〕 まさかとは思ひし程の駄作なる越えても越えても瓦礫の山か
(鮎美)
○ たまさかに巡りあひしを一生涯のよろこびとして君と別れむ
意味も無く殊更に字余りにする必要はありません。
「生涯」とは一回だけしか在りませんから、「一生涯」と言っても「生涯」と言っても同じことです。
したがって、三句目の「一生涯の」は「生涯の」と改めるべきでありましょう。
「たまさかに巡りあひし」とありますが、“巡り逢う”とは、文字通りいろいろと巡った結果としてたまたま逢うことでありますから、厳密な意味で言うと、“計画的逢合”を意味する言葉では無く、“偶発的逢合”即ち“邂逅”を意味する言葉なのである。
本作の作者・鮎美さんの意図としては、原作のままで宜しいのでありましょうか?
それは、問うまでも無く、必ずや宜しくありません。
何故ならば、原作をそのまま意訳すると、「私は貴方と、ごくたまさかに思いがけない場面で巡り会うことがあり、それが一回ならず、数回重なったのであるが、私はそれを一生涯の喜びとして貴方と別れよう」といったことになるのであり、恐らくは、作者の意図した内容とは大きく異なることになるからである。
作者・鮎美さんは、お題「まさか」を一語の副詞として用いずに、それを一部分とした副詞「たまさかに」を思い付いたのでありましょうが、その意も碌々解さずに、してやったりとばかりに、それを含んだ本作を極めて安易にご着想なさったのである。
“天網恢恢素にして漏らさず”、“策士策に嵌まる”とは、かかる事象を指して謂うのでありましょうか?
〔返〕 たまさかに抱き合ひしを境涯の喜びとして君と別れき 鳥羽省三
まさかとは思ひもせぬに君と逢ふ武者振り付きて口付けをしつ 々
(西中眞二郎)
○ そのときはまさかと思いていしことがいつしか動かぬ前提となる
卑近な一例を上げて説明すれば、「そのときはまさかと思いていしこと」とは、「休日を跨いでの短期海外出張の折の日曜日に、ドバイの競馬場で大穴を的中させ、邦貨換算・五千万円余りの現金を得た。このお金は友人にも家族にも内緒にしていて、“いざ鎌倉”という場面で使うことにしよう。でも、その“いざ鎌倉”は『まさか』来るはずはないだろうと思っていた」といったことでありましょう。
しかし乍ら、人間誰しも似たようなものである。
無礼極まりない鳥羽省三のみならず、紳士中の紳士たる西中眞二郎氏に於かれましても、その来るはずの無い“いざ鎌倉”の場面で使うはずで、当てにしていなかったはずの隠し財産を持っていることが、「いつしか」生活や行動全般の「前提」となってしまったのでありましょう。
その挙句、英国屋のスーツを五着買うやら、ホテル・オークラに三連泊を決め込むやら、神楽坂に居続けするやら、の大騒ぎとなってしまったのでありましょうか?
大変失礼致しましたが、お題「まさか」を十分に生かし切った佳作と思われます。
〔返〕 今も尚まさかまさかと思ってるそのまさかなる福島原発 鳥羽省三
通産官僚OBとしての、西中眞二郎さんのご心痛はいかばかりかと拝察申し上げます。
(はこべ)
○ 友曰く「まさかの坂は危ない坂」つまずいてみて知るものらしき
本作の作者・はこべさんは、なかなか学の有るお「友」だちをお持ちですね。
でも、その“学の有るお「友」だち”は、きっと自己破産でもなさって居られるのでありましょうか?
〔返〕 山王の暗闇坂の突き当たり有象無象のご邸宅のみ 鳥羽省三
(アンタレス)
○ 小泉さん言いし事有り人生はまさかのあるとわれ臥す人に
本作の作者・アンタレスさんは、大の「小泉さん」贔屓でありましょうか?
だとしても、この場面では、「小泉さん言いし事有り」と仰らずにお詠みになられる方が得策かと思われます。
要は、ご贔屓の「小泉さん」を出すことが大事か、ご自身の身の上に起こった「まさか」のこと及び、そのことについてのご自身のお気持ちを、読者に正しく伝えることが大事か、ということになりましょう。
答は自ずから明らかでありましょう。
余計なことを言うのは止めましょう。
〔返〕 人の世はまさかまさかのことばかり臥す身になるとは思いもせぬに 鳥羽省三
初句を「人生は」とする手もありましょうが、「人の世は」とすることに拠って、「まさかまさかのことばかり」とは言え、それは他人事であり、自分の身の上に「まさかまさかのこと」が起こるとは思ってもみなかった、といった感じになるのである。
「人の世」という言葉は、「自分とは関わりの無い他人の世の中」という意味で、あの紫式部が『源氏物語』で使っております。
(みずき)
○ 敗戦をまさかと思ひし遠き日と同じ空なる八月の青
なかなかの傑作と思われます。
欲を言えば、「同じ空なる八月の青」という叙述は、あまりにもすらすらと行き過ぎたような感じ、常套句を並べ立てて、取り敢えずお詠みになられたような感じであることも否めない、とも申せましょうか?
「同じ空なる八月の青」という“七七句”は、語順を換えて言えば「同じ青なる八月の空」とも言えるのですが、後者をお選びにならずに前者をお選びになった作者・みずきさんのお気持ちは、評者にもよく解ります。
〔返〕 敗戦をまさかと思って仰ぎ見たあの八月と同じ青空 鳥羽省三
(髭彦)
○ 八百長の動かぬ証拠出でにけり土俵揺るがすまさかまさかの
地震・津波・原発騒ぎで、あの大相撲の八百長騒ぎが何処かへ飛んで行ってしまったような感じがします。
それとは別に、評者は、大相撲に八百長が在ることは当然のことと思っておりましたから、むしろ、それが発覚するや否や、ご存じの通りの大騒ぎとなってしまったことが「まさかまさか」のことと思いました。
でも、今になってみると、そんなことはどうでもいいことみたいな感じです。
〔返〕 八百長を直接裁く手は無くて業務妨害とは狡い手だ 鳥羽省三
(富田林薫)
○ よく冷えたアクエリアスの気泡からまさかのような夏がはじまる
「まさかのような夏がはじまる」という叙述が頗る宜しい。
「『まさかのような』何か」というものは確かに在るもので、この度は、「まさかのような」地震に始まり、「まさかのような」津波が押し寄せ、「まさかのような」原発事故が起こり、「まさかのような」東電社長の逐電に至ったのである。
〔返〕 福島の第一原発原子炉はまさかまさかの放射能吐く 鳥羽省三
逐電か計画的な停電か東京電力社長は消えた 々
(星川郁乃)
○ 妄想のパラレルターン決めながらまさかの坂をあなたは滑る
「妄想のパラレルターン決めながらまさかの坂」を「滑る」のは、恥ずかしいとも思わずに前言を翻した石原慎太郎都知事でありましょうか?
それとも、民主党都連が応援するワタミの前社長でありましょうか?
〔返〕 妄想の直滑降も宜しいが本業ワタミは危なくないか? 鳥羽省三
妄想のオリンピックは捨てたのか元太陽族喜寿も過ぎたり 々
(天国ななお)
○ いざというまさかのときに脱げるようダイエットして六年が経つ
もしかしたら、本作の作者・天国ななおさんのご本名は“天国七生”さんであり、ご本業はお寺の住職でありましょうか?
だとしたら、大袈裟とはこの事を指して言うのでありましょう。
「いざというまさかのとき」とは、ご亭主を亡くした美人の寡婦のお宅の法要にお出ましになられ、“法要”ならぬ“抱擁”を迫られたような場面を指して言うのでありましょう。
だが、いくら天国ななおさんほどの肥大漢でも、洋服とは異なって僧侶のお召しになる“袈裟”は、「いざというまさかのとき」にも、すらりと「脱げるよう」に仕立てられているからご心配はなさらないで下さい。
つまるところ「いざというまさかのときに脱げるようダイエット」する必要は、いささかもございません。
それなのに、「ダイエットして六年が経つ」などと仰って居られますのは惚けとしか申せません。
天国ななおさんには、「いざというまさかのとき」は未来永劫、絶対に訪れないものと判断されるので早々に諦めましょう。
〔返〕 諦念は僧侶の覚悟の一つなるまさかの時は無いものと知れ 鳥羽省三
(akari)
○ 平凡は主からの恵み巷にはまさかまさかのニュースあふれる
巷間にあれだけの「まさかまさかのニュース」が「あふれる」今日に於いては、「平凡」な暮らしは、まさしく「主からの恵み」なのである。
したがって、そうした暮らしを大切に大切に受け止めなければなりません。
〔返〕 震災は何かの報い天罰が当たったと言いまた翻す 鳥羽省三
『平凡』の付録の歌本集めてた御三家に次ぐ新御三家 々
(五十嵐きよみ)
○ ポケットの右には「まさか」左には「やはり」が同じ重さでひそむ
近々来襲することが予測されている“東海大地震”などに対しても、私たち首都圏住民は、「『まさか』と『やはり』」のバランスを適当に取りながら、備えて居なければならないのでありましょう。
五十嵐きよみさんのこの一首は、駄作だけが並み居るお題柄、比較の問題として、泥中に咲く蓮の花のような作品として鑑賞させていただきました。
〔返〕 ポケットの右には水を左には保険証入れ被災地を行く 鳥羽省三
ポケットの右と左に二キロずつ鉛を入れて毎朝散歩 々
(きたぱらあさみ)
○ ささくれはむいてもむいてもささくれてまさか「さびしい」なんて言えない
「ささくれはむいてもむいてもささくれ」るので、独り傷付き悩んでいるのである。 だが、彼は東電の社長とは違って責任意識を未だにしっかり保っているから「まさか『さびしい』なんて言えない」のでありましょう。
〔返〕 時折りは逐電したいとも思う剥けど剥けどもささくれが立つ 鳥羽省三
いっそのことみんな剥きたくなるけれど小指のささくれ我慢してます 々
(眞露)
○ たまさかに同じブルゾンすれ違い 横目をかわすきみもユニクロ
「ユニクロ」の倍々ゲームにもそろそろ陰りが見えて来ましたから、「同じブレゾン」同士が、お互いに「横目」で見つめ合い、さり気なく顔を背け合う場面に出会うのも、そのうちにごく「たまさか」のこととなりましょうか?
〔返〕 たそがれて新百合行けばどの方も同じブレゾンあれもユニクロ 鳥羽省三
たまさかに衣装ケースを開いたらこれもユニクロそれもユニクロ 々
(コバライチ*キコ)
○ 跳び箱の十二段越えできるとはまさか思わず九歳の夏
「若干『九歳』にして『跳び箱の十二段越えできるとは』驚いた。君はまさしく天才に違いない」と思ったのですが、本作を熟読玩味したところ、四句目の「まさか思わず」が気になりました。
考えようによっては、「九歳の夏」に「跳び箱の十二段越えできるとはまさか思わず」というだけの事かも知れませんね?
〔返〕 嘘だろう 君が跳び箱十二段越え出来たとは誰も思わぬ 鳥羽省三
跳べるだろう 君も跳び箱十二段体操クラブに入っていたら 々
その「面白さ」が私にとっての「面白さ」であるのみならず、作者にとっての「面白さ」であり、読者諸氏にとっての「面白さ」であることを信じて。
壺を外した解釈になることを恐れるな。
壺に嵌まっただけの解釈をすることは他人に任せましょう。
壺に嵌まった解釈をすることは何方にだって出来ることだからである。
壺に嵌まった解釈だけを並べ立てることは、作者に対する侮辱であり、作品に対して失礼であるからだ。
失礼な解釈をすることを恐れるな。
読まないことが何よりの失礼であり、読んでも熟読玩味しないことが次の失礼であり、熟読玩味してもその結果を鑑賞文として記さないのが、次の次なる失礼だからである。
「一首を切り裂く」に採り上げられたことが、作者諸氏の何かの足しになっていることを疑わないで、失礼をも省みず、遠慮会釈無く、どんどん書いて行きましょう。
それにしても、駄作ばかりのお題「004:まさか」でありました。
でも、本稿はその中から見どころの在る作品ばかりを精選させていただきました。
〔返〕 まさかとは思ひし程の駄作なる越えても越えても瓦礫の山か
(鮎美)
○ たまさかに巡りあひしを一生涯のよろこびとして君と別れむ
意味も無く殊更に字余りにする必要はありません。
「生涯」とは一回だけしか在りませんから、「一生涯」と言っても「生涯」と言っても同じことです。
したがって、三句目の「一生涯の」は「生涯の」と改めるべきでありましょう。
「たまさかに巡りあひし」とありますが、“巡り逢う”とは、文字通りいろいろと巡った結果としてたまたま逢うことでありますから、厳密な意味で言うと、“計画的逢合”を意味する言葉では無く、“偶発的逢合”即ち“邂逅”を意味する言葉なのである。
本作の作者・鮎美さんの意図としては、原作のままで宜しいのでありましょうか?
それは、問うまでも無く、必ずや宜しくありません。
何故ならば、原作をそのまま意訳すると、「私は貴方と、ごくたまさかに思いがけない場面で巡り会うことがあり、それが一回ならず、数回重なったのであるが、私はそれを一生涯の喜びとして貴方と別れよう」といったことになるのであり、恐らくは、作者の意図した内容とは大きく異なることになるからである。
作者・鮎美さんは、お題「まさか」を一語の副詞として用いずに、それを一部分とした副詞「たまさかに」を思い付いたのでありましょうが、その意も碌々解さずに、してやったりとばかりに、それを含んだ本作を極めて安易にご着想なさったのである。
“天網恢恢素にして漏らさず”、“策士策に嵌まる”とは、かかる事象を指して謂うのでありましょうか?
〔返〕 たまさかに抱き合ひしを境涯の喜びとして君と別れき 鳥羽省三
まさかとは思ひもせぬに君と逢ふ武者振り付きて口付けをしつ 々
(西中眞二郎)
○ そのときはまさかと思いていしことがいつしか動かぬ前提となる
卑近な一例を上げて説明すれば、「そのときはまさかと思いていしこと」とは、「休日を跨いでの短期海外出張の折の日曜日に、ドバイの競馬場で大穴を的中させ、邦貨換算・五千万円余りの現金を得た。このお金は友人にも家族にも内緒にしていて、“いざ鎌倉”という場面で使うことにしよう。でも、その“いざ鎌倉”は『まさか』来るはずはないだろうと思っていた」といったことでありましょう。
しかし乍ら、人間誰しも似たようなものである。
無礼極まりない鳥羽省三のみならず、紳士中の紳士たる西中眞二郎氏に於かれましても、その来るはずの無い“いざ鎌倉”の場面で使うはずで、当てにしていなかったはずの隠し財産を持っていることが、「いつしか」生活や行動全般の「前提」となってしまったのでありましょう。
その挙句、英国屋のスーツを五着買うやら、ホテル・オークラに三連泊を決め込むやら、神楽坂に居続けするやら、の大騒ぎとなってしまったのでありましょうか?
大変失礼致しましたが、お題「まさか」を十分に生かし切った佳作と思われます。
〔返〕 今も尚まさかまさかと思ってるそのまさかなる福島原発 鳥羽省三
通産官僚OBとしての、西中眞二郎さんのご心痛はいかばかりかと拝察申し上げます。
(はこべ)
○ 友曰く「まさかの坂は危ない坂」つまずいてみて知るものらしき
本作の作者・はこべさんは、なかなか学の有るお「友」だちをお持ちですね。
でも、その“学の有るお「友」だち”は、きっと自己破産でもなさって居られるのでありましょうか?
〔返〕 山王の暗闇坂の突き当たり有象無象のご邸宅のみ 鳥羽省三
(アンタレス)
○ 小泉さん言いし事有り人生はまさかのあるとわれ臥す人に
本作の作者・アンタレスさんは、大の「小泉さん」贔屓でありましょうか?
だとしても、この場面では、「小泉さん言いし事有り」と仰らずにお詠みになられる方が得策かと思われます。
要は、ご贔屓の「小泉さん」を出すことが大事か、ご自身の身の上に起こった「まさか」のこと及び、そのことについてのご自身のお気持ちを、読者に正しく伝えることが大事か、ということになりましょう。
答は自ずから明らかでありましょう。
余計なことを言うのは止めましょう。
〔返〕 人の世はまさかまさかのことばかり臥す身になるとは思いもせぬに 鳥羽省三
初句を「人生は」とする手もありましょうが、「人の世は」とすることに拠って、「まさかまさかのことばかり」とは言え、それは他人事であり、自分の身の上に「まさかまさかのこと」が起こるとは思ってもみなかった、といった感じになるのである。
「人の世」という言葉は、「自分とは関わりの無い他人の世の中」という意味で、あの紫式部が『源氏物語』で使っております。
(みずき)
○ 敗戦をまさかと思ひし遠き日と同じ空なる八月の青
なかなかの傑作と思われます。
欲を言えば、「同じ空なる八月の青」という叙述は、あまりにもすらすらと行き過ぎたような感じ、常套句を並べ立てて、取り敢えずお詠みになられたような感じであることも否めない、とも申せましょうか?
「同じ空なる八月の青」という“七七句”は、語順を換えて言えば「同じ青なる八月の空」とも言えるのですが、後者をお選びにならずに前者をお選びになった作者・みずきさんのお気持ちは、評者にもよく解ります。
〔返〕 敗戦をまさかと思って仰ぎ見たあの八月と同じ青空 鳥羽省三
(髭彦)
○ 八百長の動かぬ証拠出でにけり土俵揺るがすまさかまさかの
地震・津波・原発騒ぎで、あの大相撲の八百長騒ぎが何処かへ飛んで行ってしまったような感じがします。
それとは別に、評者は、大相撲に八百長が在ることは当然のことと思っておりましたから、むしろ、それが発覚するや否や、ご存じの通りの大騒ぎとなってしまったことが「まさかまさか」のことと思いました。
でも、今になってみると、そんなことはどうでもいいことみたいな感じです。
〔返〕 八百長を直接裁く手は無くて業務妨害とは狡い手だ 鳥羽省三
(富田林薫)
○ よく冷えたアクエリアスの気泡からまさかのような夏がはじまる
「まさかのような夏がはじまる」という叙述が頗る宜しい。
「『まさかのような』何か」というものは確かに在るもので、この度は、「まさかのような」地震に始まり、「まさかのような」津波が押し寄せ、「まさかのような」原発事故が起こり、「まさかのような」東電社長の逐電に至ったのである。
〔返〕 福島の第一原発原子炉はまさかまさかの放射能吐く 鳥羽省三
逐電か計画的な停電か東京電力社長は消えた 々
(星川郁乃)
○ 妄想のパラレルターン決めながらまさかの坂をあなたは滑る
「妄想のパラレルターン決めながらまさかの坂」を「滑る」のは、恥ずかしいとも思わずに前言を翻した石原慎太郎都知事でありましょうか?
それとも、民主党都連が応援するワタミの前社長でありましょうか?
〔返〕 妄想の直滑降も宜しいが本業ワタミは危なくないか? 鳥羽省三
妄想のオリンピックは捨てたのか元太陽族喜寿も過ぎたり 々
(天国ななお)
○ いざというまさかのときに脱げるようダイエットして六年が経つ
もしかしたら、本作の作者・天国ななおさんのご本名は“天国七生”さんであり、ご本業はお寺の住職でありましょうか?
だとしたら、大袈裟とはこの事を指して言うのでありましょう。
「いざというまさかのとき」とは、ご亭主を亡くした美人の寡婦のお宅の法要にお出ましになられ、“法要”ならぬ“抱擁”を迫られたような場面を指して言うのでありましょう。
だが、いくら天国ななおさんほどの肥大漢でも、洋服とは異なって僧侶のお召しになる“袈裟”は、「いざというまさかのとき」にも、すらりと「脱げるよう」に仕立てられているからご心配はなさらないで下さい。
つまるところ「いざというまさかのときに脱げるようダイエット」する必要は、いささかもございません。
それなのに、「ダイエットして六年が経つ」などと仰って居られますのは惚けとしか申せません。
天国ななおさんには、「いざというまさかのとき」は未来永劫、絶対に訪れないものと判断されるので早々に諦めましょう。
〔返〕 諦念は僧侶の覚悟の一つなるまさかの時は無いものと知れ 鳥羽省三
(akari)
○ 平凡は主からの恵み巷にはまさかまさかのニュースあふれる
巷間にあれだけの「まさかまさかのニュース」が「あふれる」今日に於いては、「平凡」な暮らしは、まさしく「主からの恵み」なのである。
したがって、そうした暮らしを大切に大切に受け止めなければなりません。
〔返〕 震災は何かの報い天罰が当たったと言いまた翻す 鳥羽省三
『平凡』の付録の歌本集めてた御三家に次ぐ新御三家 々
(五十嵐きよみ)
○ ポケットの右には「まさか」左には「やはり」が同じ重さでひそむ
近々来襲することが予測されている“東海大地震”などに対しても、私たち首都圏住民は、「『まさか』と『やはり』」のバランスを適当に取りながら、備えて居なければならないのでありましょう。
五十嵐きよみさんのこの一首は、駄作だけが並み居るお題柄、比較の問題として、泥中に咲く蓮の花のような作品として鑑賞させていただきました。
〔返〕 ポケットの右には水を左には保険証入れ被災地を行く 鳥羽省三
ポケットの右と左に二キロずつ鉛を入れて毎朝散歩 々
(きたぱらあさみ)
○ ささくれはむいてもむいてもささくれてまさか「さびしい」なんて言えない
「ささくれはむいてもむいてもささくれ」るので、独り傷付き悩んでいるのである。 だが、彼は東電の社長とは違って責任意識を未だにしっかり保っているから「まさか『さびしい』なんて言えない」のでありましょう。
〔返〕 時折りは逐電したいとも思う剥けど剥けどもささくれが立つ 鳥羽省三
いっそのことみんな剥きたくなるけれど小指のささくれ我慢してます 々
(眞露)
○ たまさかに同じブルゾンすれ違い 横目をかわすきみもユニクロ
「ユニクロ」の倍々ゲームにもそろそろ陰りが見えて来ましたから、「同じブレゾン」同士が、お互いに「横目」で見つめ合い、さり気なく顔を背け合う場面に出会うのも、そのうちにごく「たまさか」のこととなりましょうか?
〔返〕 たそがれて新百合行けばどの方も同じブレゾンあれもユニクロ 鳥羽省三
たまさかに衣装ケースを開いたらこれもユニクロそれもユニクロ 々
(コバライチ*キコ)
○ 跳び箱の十二段越えできるとはまさか思わず九歳の夏
「若干『九歳』にして『跳び箱の十二段越えできるとは』驚いた。君はまさしく天才に違いない」と思ったのですが、本作を熟読玩味したところ、四句目の「まさか思わず」が気になりました。
考えようによっては、「九歳の夏」に「跳び箱の十二段越えできるとはまさか思わず」というだけの事かも知れませんね?
〔返〕 嘘だろう 君が跳び箱十二段越え出来たとは誰も思わぬ 鳥羽省三
跳べるだろう 君も跳び箱十二段体操クラブに入っていたら 々