臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月4日掲載・其のⅣ)

2014年08月08日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(大阪市・安良田梨湖)
〇  雨というカーテンくぐり抜けて来たきみの睫毛にひかりをこぼす

 「きみの睫毛にひかりをこぼす」という四、五句目の表現は曖昧模糊としていて、どういう意味なのが、「ひかりをこぼす」という行為は、誰に拠る如何なる行為なのかが判りません。
 しかしながら、本作が「馬場あき子選」の首席に選出された由縁は、この四、五句目の存在に在るかと判断されるのである。
 〔返〕  薔薇というピンクのヴェールを手繰り寄せ今しも笑まむ我が孫娘


(春日井市・綿谷博昭)
〇  丘越えてまた丘越えて牧草地凸凹なれど美しモンゴル

 選者の馬場あき子先生が、またまた「いたずら心」を発揮して、「モンゴル」関係の作品を二首並べて採っているのである。
 本作に関して言えば、四句目の「凸凹なれど」の「凸凹」は、「おうとつ」とよむのでは無くて「でこぼこ」とよむである、としか言えません。
 〔返〕  丘越えてあの丘越えた草原に肥えた子が居る力士にしよう


(神奈川県・九螺ささら)
〇  昼寝する畳替えした和室にてモンゴルの草原の夢を見る

 「昼寝する/畳替えした/和室にて/モンゴルの草/原の夢を見る」なんて、神奈川県にお住いの九螺ささらさんも、特異なリズム感覚の持ち主である。
 「モンゴル」の子供たちの中には、未だにマーホールの中に住んでいる者も居るとか?
 「マンホール」の中で見る「夢」には、涼しい「草原」の風が吹くのでありましょうか?
 〔返〕  ふて寝する汗で汚れたベッドにてオケラ街道行く夢を見る


(富山市・松田わこ)
〇  理科室へ音楽室へグラウンドへ移動の時はいつも恋バナ

 「恋バナ」なんて、越中富山の可愛いだけが取り得の子供なのに知ってるんですか!
 〔返〕  わこちゃんも恋してるんだ生意気にそのうち短歌を詠まなくなるよ


(名古屋市・福田万里子)
〇  人生観が変わるねと初めての夜勤を終えし次男はポツリ

 「夜勤」と言ってもいろいろ在りまして、中でも「すき家」の「夜勤」はなかなか厳しいらしいですよ? 
 「すき屋」の経営者の小川賢太郎氏に就いては、「東京都立新宿高校を経て東京大学に進学するも、全共闘運動に関わり中退。 港湾労働者生活を経て、ベトナム戦争で資本主義に目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得する。1978年吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年に『ゼンショー』を創業。社名は『全勝』『善意の商売』『禅の心で商売を行う』に由来と謂う。『ランチボックス(弁当店)』、『すき家』などを開業。その後、M&Aで外食チェーンを次々と傘下に収め、強力なリーダーシップを発揮。2011年3月期連結決算では、連結売上高が『日本マクドナルドホールディングス』を上回り、外食最大手までに成長させたが、2014年春には、ネットなどで『すき家』の過酷な労働実態が話題となり、社内に労働環境改善策を提言する第三者委員会が設置され、トップとして意識改革を求められることとなった」などと、ネット上ではいろいろ取沙汰されていますが、要するに儲け本位の冷酷な経営者の一人に過ぎないのでありましょう。
 でも、「夜勤」を一晩したぐらいで「人生観が変わるね」などと弱音を吐く輩には、これからの日本を任せておく訳にはいきません。
 安倍晋三氏や小川賢太郎氏のように「何が何でも!」という精神が大切なのかも知れません。
 それから、あの「平成のラスプーチン」こと菅義偉氏も官房長官の職務を留任するとのことですよ!
 彼なども「何が何でも!」組の一人なのかも知れません。
 〔返〕  安倍に菅そしてすき屋の賢太郎何が何でも遣らねばならぬ


(西海市・前田一揆)
〇  もの忘れひどくなったに今朝方は鮮やか過ぎる失敗の夢

 「老耄大国日本の、一方のリーダーの朝日歌壇」としては、時にはこうしたテーマの失敗作をも入選させなけれはならないのかも知れません?
 〔返〕  耄碌と物忘れとはちゃいまんねん歌詠めるうちはまだ熟年さ


(牛久市・茂木剛)
〇  お蚕さま母が仕切りしふるさとは兄と甥とでトマト栽培
 
 昔は「母」が「仕切り」て「お蚕さま」を育て、今は「兄と甥とでトマト栽培」に余念の無い「ふるさと」は、心の中に取って置くべき「故郷」であり、決して帰るべき「ふるさと」ではありません。
 私、鳥羽省三も、あれ以来「ふるさと」には帰ったことが無いし、これからも帰ろうとも思っていません。
 〔返〕  三階のお蚕部屋をリフォームし民宿稼業の哀しき故郷


(横浜市・田口二千陸)
〇  皁莢をがちゃがちゃ揉んで泡立ててぼろ服洗った戦後あの頃

 乾燥してすっからかんになってしまった「皁莢」を石鹸代わりにして「ぼろ服」を洗う為には、「がちゃがちゃ」と音を立てて「揉んで泡立て」るしか手がありませんからね。
 敗戦直後の物が不足していた時代には、私たち秋田の人間もよく遣らかした事でありました。
 私は本作に接して、敗戦の年の冬の記憶を蘇えらせて仕舞いました。
 即ち、乾涸びた「皁莢」の実が裸木の枝に残っていて、カラカラと音を立てて泣いていた頃の事を思い出してしまいました。
 〔返〕  吸殻を紙巻煙草に仕立て上げ小遣い銭を稼いだ戦後


(霧島市・久野茂樹)
〇  訪ひ来ればわが出生地横須賀の雨の港に軍艦ならぶ

 表現に就いて一言申せば、「わが出生地」だと思ってせっかく「横須賀」まで訪ねて来たのに、「雨の港に軍艦」が並んでいたのでは、「郷愁も形無し」という気持ちになったのではありませんか?
 それとも、「雨の港に軍艦ならぶ」光景は、郷愁を漫ろ刺激したのでありましょうか? 
 本作を単なる「郷愁短歌」のレベルで終わられてしまうか、「反戦短歌」乃至は「厭戦短歌」のレベルまで引き上げるかの接点は、「雨の港に軍艦ならぶ」という二句の解釈に拠るのである。
 〔返〕  これっきり、これっきり、もうこれっきりですか、街の灯りが映し出す、貴方は今は霧島の人


(君津市・前山こころ)
〇  夏の日にスイカを食べてのんびりともうすぐ八月カレンダー見る

 いかにも末席に相応しい詠風であるが、この幼稚な言葉の運びは、殊更なるものとは思われず、恐らくは、小学生の作品かと思われるのである。
 〔返〕  一昨日は西瓜を食べて腹下りもう直ぐ盆だ旧暦の盆