臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅡ・水曜朝刊早刷版)

2014年08月13日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(三豊市・石井庄太郎)
〇  九条は国のかたちの躾け糸いま解くべき有事にあらず

 いくら朝日新聞社の後押しがあるとは言え、「解釈改憲反対」の意志を題材にした短歌の創作も、月日の経過と共にいろいろと手の込んだ遣り方をしなければ朝日歌壇の入選という宿願を果たす事が叶わなくなったはずであるが、本作の場合は、何と驚いた事に着物の仕立ての見栄えを良くする為の「躾け糸」を材料にして、見事に宿願を果たした一例である。
 このような見事な具体例を目前にすると、並み居る投稿者諸氏の中には、「吾も二匹目の泥鰌を狙わん」とばかりに、同じような趣向で仕立てた作品で以って首尾良く入選の宿願を果たそうとする不心得者が、一人や二人ぐらいは居るに違いがありませんから、来週の投稿作品の選定に当たっては、選者の永田和宏氏は、よくよく注意して当たらなければなりません。
 一首の意は、「<躾け糸>を<解くべき>時は、<いざ鎌倉!>という時、即ち<有事>であるが、<いま>はその時では無いから、<躾け糸>を<解く>必要、即ち憲法九条の解釈を変更する必要はない」といったところでありましょう。
 私・鳥羽省三は、かつて新仕立ての綿入れ半纏を、勿体ないからというだけの理由で「躾け糸」を解かないままに冬の三ヶ月間を着せられたという特異な経験の持ち主である。
 本作の作者の石井庄太郎さんは、お四国は讃岐国の三豊市にお住いの方であるが、さすがに三豊市にお住いの方である。
 石井庄太郎さんの日常生活の中には、未だに「躾け糸」などと言う、今となっては死語同然となってしまった言葉が生きているのであり、彼も亦、かつての私と同様に、「躾け糸」を解かない綿入れ半纏を着たまま、香川県の県庁所在地・高松市までお使いに出掛けるような方でありましょう。
 〔返〕  躾け糸解かないままドテラ着て無闇矢鱈に歩いては駄目  
      休場はお相撲さんの恥である怪我の無いのが名力士なり


(近江八幡市・寺下吉則)
〇  イスラエルの<自衛権>より放たれてガザの幼女にとどきたる砲弾

 二匹目の泥鰌を狙った不心得者は来週の投稿者の中では無くて、今週の投稿者の中に居たのである。
 「解釈改憲反対」の意志を題材にして詠む短歌も、月日の経過と共にいろいろと手の込んだ遣り方をしなければ、入選の宿願を果たす事が不可能になってしまったのであるが、本作の場合は、過日発生した「<イスラエル>が自衛の為と称して、バレスチナの<ガザ>地区に向けて放ったはずの<砲弾>がいたいけな<幼女>を死に至らしめたという一件」に取材して、「今は集団的自衛権を行使するべき時期では無い」という趣旨を述べようとしたのである。
 〔返〕  パレスチナのガザ地区に住む人みながハマスの支持者と限りませんぞ  
      国民の支払う税を原資にし東京電力支える安倍氏


(三島市・福崎享子)
〇  佐渡を背に東北東を向いて立つゴジラのかたちの新潟県は

 数在る都道府県の形もさまざまでありましてね!
 〔返〕  男鹿半島をすごく小さな鼻にして中国ロシアの方向く秋田
      「数在る」とのみ言いながらそのままに実数言わぬ姑息な頭
 都道府県の数は、「一都一道二府四十三県」の四十七個でありました。
 試みに、その名称を順序立てて述べると「北海道・青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島」が、北海道及び東北地方の一道六県であり、続いて「栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川」が関東地方の一都六県であり、続いて「新潟・長野・岐阜・山梨・静岡・愛知・三重」が中部地方の七県であり、続いて「北陸地方」という中途半端な存在があり、それは「富山・石川・福井」の三県であり、続いて「大阪・京都・兵庫・奈良・三重・滋賀・和歌山」の二府五県が近畿地方であり、続いて「鳥取・島根・岡山・広島・山口」の五県が中国地方に属し、続いて「香川・徳島・愛媛・高知」の四県が札所巡りで有名な四国地方であり、続いて「福岡・佐賀・長崎・熊本・大分県・宮崎・鹿児島」の九州本土の七県を指して「九州地方」と呼ぶのであるが、残り一つの「沖縄県」をまま子扱いにするのはあまりにも酷い遣り方である、という反省点に立って、「九州・沖縄地方」という呼び方も在るが、ただ単に沖縄県も含めて「九州地方」と呼ぶ場合も多い。
 私は、夜間眠れないままに、我が国の「一都一道二府四十三県」の名称や県庁所在地の名称などを唱えたり、プロ野球十二球団の不動のメンバーや明治以来の名横綱の番付を頭の中で唱えたりするのであるが、それでもなかなか眠れませんので、その時には、パソコンのキーを叩いて「朝日歌壇」の入選作を弄んだりもするのである。


(東京都・上田国博)
〇  吸ひかけの煙草もみ消し「実は」と言ふかかる呼吸の絶えて久しき

 「実は」の次に出て来る言葉が、「(実は)脱法ハーブが危険ハーブへと名称変更になりましたので、その記念に、今までの悪しき習慣を脱法ハーブの吸引から煙草の吸引へと改めたいと思いましてね」などと言う言葉であるはずは無いでしょうね!
 〔返〕  打ちさしのメールを止めて「実は」と言う「実は」の先は「振られたから」だ


(岡崎市・兼松正直)
〇  スコポンと卒業証書の筒をあけ中の空気の充実を聞く

 「卒業証書」を入れた紙筒が「スコポン」と、いかにも虚しき音を立てた瞬間から、ご子息の大学生活が中身の無い虚しいものであった事が予測されていたのでありましょう。
 〔返〕  スコポンと音がしたから中身無し遊び暮らした大学生活


(浜松市・桑原元義)
〇  体操に来た人達が眺めてはちょっと触れてくふうせん葛

 「体操」とは、お馴染みの「NHKの朝のラジオ体操」であるが、その「体操」に出掛けて「来た人達」が、てんでに「ちょっと触れてく」のが、浜松市内のとある広場の片隅に植えられている「ふうせん葛」なのである。
 ところで、その人気者の「ふうせん葛」を広場の片隅に植えた犯人(=善人)は、本作の作者の桑原元義さんでありましょうか?
 〔返〕  鰻食べに来た人々もまた触れてちょっと揺すり行く風船蔓


(八王子市・坂本ひろ子)
〇  子を包み風船かづらの揺れをりぬ笑顔絶やさぬ人のごとくに

 「笑顔絶やさぬ人のごとくに」という下の句が泣かせるのである!
 そんな人物が居たとしたら、それは稀代の詐欺師なのかも知れませんから、よくよく注意して交際しなければなりません。
 かと言って、仏頂面しているばかりの人物が隣人だったりするのも困りますけれど。
 〔返〕  風船の中は空かと思ってたら種子を抱いてた風船蔓
      誰にでも笑顔絶やさぬ人が居てこちとら気持ち悪くてたまらん


(仙台市・小野寺寿子)
〇  室生寺の御仏達は神将を連れ東北に来給いにけり

 神社仏閣のご本尊様たちが本来の鎮座まします場所から一時的に離れて、日本全国各地に出稼ぎに出掛ける行為を以って、昔の人々は「出開帳」と称し、お賽銭の上がりの少ない時節には滅多矢鱈に行われたものでありました。
 ところで、欧米や露西亜や中国の美術館が所蔵する美術品が、この頃滅多矢鱈に我が国の美術館に於いて、有料公開されているのであるが、是も亦、一種の出開帳でありましょうか?
 〔返〕  何処へも出開帳する室生寺の御仏達は出稼ぎのごと


(三鷹市・増田テルヨ)
〇  「国民の命を守る」と言ふけれど自衛隊員も国民なのだ

 日本国憲法の隙間を搔い潜って、警察予備隊から保安隊へ、保安隊から自衛隊へと三段跳びの出世を成し遂げた自衛隊であれば、自らの本来の職務が何処に在るのかを忘れてしまっているのでありましょうか?
 〔返〕  自衛隊隊員たちの本来の職務は戦争する事にあり?
      自衛隊隊員たちの本来の職務は戦闘行為の練習に在り?


(志摩市・九鬼英夫)
〇  終戦がせめて十日早かりせばと詮なき嘆き夏がまた来ぬ

 「終戦がせめて十日早かりせば」、広島と長崎への原爆投下は無かったはずと後悔するのも生き残った私たちの真夏日の通過儀礼みたいなものでありましょうか?
 私の脳裏には、未だに昭和二十年八月十五日の暑さと隣家のご主人の禿げ頭の記憶が残っているのである。
 〔返〕  「せば」「れば」と今となってはあまりにも悔いる事のみ多き昭和期


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