goo blog サービス終了のお知らせ 

臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「角川『短歌』2017年9月号」より

2017年10月11日 | 古雑誌を読む
「第四八五回『角川歌壇・安田純生選』」より

○  老いの身はどぎまぎしますこんなにも医師看護師の愛想がよくて   徳島県・新井忠代

○  亡き父の二十の日記の片思ひ相手がははで母も安堵す   愛知県・池田あつ子

○  鶯の初鳴きよりもめずらしき子供の声に窓開けて見る   千葉県・藤井京子

○  物忘れを相談すれば医者笑う「前よりいいよ様子みましょう」   茨城県・小野瀬壽

○  これはおそらく夢なのだけど腹満たすためにもたもた小銭かぞえて   愛知県・江口美由紀

○  母詠みし短歌はたつた四十五首父亡き後の寂しさを詠む   栃木県・栗田準子

                    (以上六首・特選)

○  伊勢海老のような翁がオートバイにまたがり腰のぴんとのびたり   和歌山県・久保みどり

○  テレビ消しひねもすグータラしておればミサイル発射を夜まで知らず   愛知県・園部淳

○  自由とは孤独でもある父さんよ私は誰にも抱かれぬつもり   福岡県・大石聡美

○  瓜坊の先頭転べば二頭目はぶつかり三頭目は避けてゆく   長崎県・田中光子

○  球児らの気合の声に満開の桜も恐れ花びら散らす   埼玉県・小柳好弘

○  退職を水槽の亀に告げたれば頭もたげて息ひとつ吐く   大阪府・後藤明子

○  デイケアの壁いちめんに銀紙の鰯泳げり目刺しも泳ぐ   神奈川県・川辺一穂

○  稀に飲み妻は必ず「甘口ね」さうでなくても我は頷く   群馬県・熊澤峻

○  紫陽花はキレイに泣くと君は言うぐちゃぐちゃ顔の我に苦笑し  福岡県・西岡ともみ

○  房総のぽっくりぽっくりした山に淑女のごとく藤の花咲く   千葉県・川﨑富子

                    (以上十首・秀逸)      






































































むより

「角川『短歌』2017年9月号」より

2017年10月11日 | 古雑誌を読む
      命の授業(31首群作『どこまで行こう』より)    俵万智


○  軽トラの荷台にりてコケコケとまだ食べ物に見えぬ鶏たち

○  首斬られなおもバタバタ動く脚 命はどこにあるのか脚か

○  放血ののちの体をお湯につけ毛穴ゆるめる手順通りに

○  熱いうち羽根をむしればなんとなく見たことのある鶏肉となる

○  青ざめて胃の腑おさえる男の子 心豊かに今日は傷つけ

○  解体をすればよくある肉となる手羽先ささみムネモモレバー

○  大中小の黄身並びおり命とは順番ありて生まれ出るもの

○  火をおこし肉を焼くこと人類の一員として君たちを見る

○  子らは今そのあいさつの意味を知る命「いただきます」ということ

○  花粉持つ雄蕊ぷちぷちカットしてユリの去勢を終える水無月

○  楊貴妃と名づけられたるカクテルのあかねさすアスタキサンチンの赤

○  二度寝して見る夢甘し冷蔵庫のマンゴー今日は食べてしまおう

○  カニカマのアヒージョに「いいね」仙台と福井と石垣島の友だち   

角川『短歌』2017年7月号

2017年08月24日 | 古雑誌を読む
     『息のふくろ』  内山晶太

○  エンドロールにフォントちいさき人の名の雪降れり天にさかのぼり降る

○  霧雨に帰路いろうすく閉ざされておそらくは秋の蛹を濡らす

○  コンデンスミルクてのひらに受けて飲むしたたりにけり夜のすべてに

○  父がすこしずつ消えてゆく晩秋の、ふかみにどんぐりだけが照り合う

○  雨にぬれて傘の匂いに包まるる傘よ灯りの下に閉じたり

○  ハンカチをゆすぶる たたむ 百余りキク科の花の咲くハンカチを

○  息のふくろ壊れし父をおもうときほおずき点る、夜をむやみに

○  ひとりの死ながくにれがみ冬過ぎて春過ぎてほのしろき粥となるまで

○  ひらく目のなかに閉ざされたりし目のひとときは死に瞠かれたり

○  菊食べてしびるるごときつかのまを瞑目し部屋を透きとおらしむ

○  もはや父はむすうの蜻蛉せわしなくわが生涯の秋をながらう

「現代詩手帖・2017年1月号」より

2017年06月17日 | 古雑誌を読む
      玄冬沈思    中村稔

 
  透明な空にすっくと茎を立て、その先端に
  光をうけとるかのように黄の花弁をひろげるツワブキ、
  深い緋色の花々をつけていたホトトギスも
  いま色褪せて、すでに冬はふかい。

  私は憤ることに倦きている。
  憤ってどうなることでもないと知っているから。
  私は諦めることに倦きている。
  諦めるより他ないと知りすぎたから。

  私は残された歳月を思うことに倦きている。
  いつ不意に私に残された歳月が終るか分らないから。
  私はボロ布のように生きている。
  私は空虚で、ひどく傷ついてきたから。

  私は地鳴りのような地底の声に耳をすます。
  来る日も来る日も死者の列が続いている。
  首うなだれた死者たちは夕陽を浴びながら
  口々に私たちは無辜にして死んだのだと呟いている。

  私は透明な空にすっくとして立つツワブキに見やり、
  色褪せてなお可憐なホトトギスを見やり
  いま私が生きている貴重な時間が過ぎ去り、
  過ぎ去っていく時間を無心に見やっている。



 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、詩人、弁護士・弁理士、評論家。日本芸術院会員、日本近代文学館名誉館長。千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事[1]。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部卒。大学在学中に司法試験に合格し、1952年弁護士・弁理士登録。1946年『世代』に参加、1950年第一詩集『無言歌』を刊行。1967年詩集『鵜原抄』で高村光太郎賞、1977年詩集『羽虫の飛ぶ風景』で読売文学賞(詩歌俳句部門)、1988年『中村稔詩集 1944-1986』で芸術選奨文部大臣賞、1992年『束の間の幻影』で読売文学賞(評論・伝記)、1996年『浮泛漂蕩』で藤村記念歴程賞、98年日本芸術院会員、『私の昭和史』に至る業績で2004年度朝日賞、2005年『私の昭和史』で毎日芸術賞、井上靖記念文化賞受賞。2006年から10年まで芸術院第二部長。2010年、文化功労者。2017年、『言葉について』で現代詩人賞受賞。宮沢賢治、中原中也の評論・伝記は複数著した。日本近代文学館理事長を経て名誉館長。弁護士・弁理士としては、知的財産法一般を専門とする。1952年に中松澗之助が代表者であった中松特許法律事務所(現中村合同特許法律事務所)に入所。中松の急逝後の1974年から1993年まで、中村合同特許法律事務所代表パートナーを務め、現在は同事務所パートナー。日本弁護士連合会無体財産権制度委員会委員長(1979年 - 1981年)、国際知的財産保護協会本部執行委員(1966年 - 1991年)、日本商標協会会長(1988年 - 1995年)などを歴任し、「知財の中村」と称されている。

「角川『短歌』平成20年2月号」を読む

2017年04月14日 | 古雑誌を読む
 神作光一作「京都界隈ー『源氏物語』千年紀(ミレニアム)」を読む

○ 六条の御息所が幻に顕つかと思ふ雪の嵯峨野は
○ 黒木なる鳥居くぐるや簡素なる小柴垣にも雪降りかかる
○ 生き霊となりて取りつき本妻の葵の上を苦しめし女人
○ 「北山のなにがし寺」に擬す古注あるゆゑ立ち寄る大雲寺へと
○ それぞれが旅での無事を祈れるや街道沿ひの寺の鞋は
○ 姫君と共に明石の御方が移り住みしは此処ら辺りか
○ 嵐山は「絵合せ」以下の三巻に関はり深き地と知り歩む
○ 山裾にひそと建ちゐる石仏に霰たばしる容赦もあらず
○ 竹の幹に次々積もる雪を分け奥野の宮への細道たどる
○ 公園にあまた建ちゐる歌碑のなか紫式部の一基を探す
○ 紫の色にて石に彫られをり紫清ふたりの百人一首は
○ 「由良の門」の歌碑を見しのち二尊院前の茶屋にてひと休みする
○ 廬山寺の「源氏の庭」の白砂に桔梗咲く頃再び訪はむ
○ 境内を抜けて只管登りゆく小塩山への一筋道を


「角川『短歌』2017年1月号」を読む

2017年03月22日 | 古雑誌を読む
    「うたびとの墓」  吉田隼人


胸郭のうちにも月ぞ昇りゐむふるき仏蘭西の雑誌よむころ

闇に眼はいよいよ冴えて宙空に息詰まるほど花のまぼろし

かげろふのあをき慄へに存在のあさきゆめみし炎熱の夜を

絶滅の危機に瀕してわが書架に収められゆく旅の蝶たち

筆擱きてなほものぐるひしづまらぬ暁烏その聲のみ聞こゆ

あをあをと揺るる夏の田 詩歌へのおもひ萎えつつ白鷺飛ばず

鳥類のこぞりて墜つる蒼空のふかみに風の鉱脈あらむ

うたひつつうたを棄つるか白昼に影ひとつなく咲く夏の花

熱風にさらす身にしてたましひの底ひに夏の花散りやまず

植ゑもせぬ百合ひとくきの咲きて枯るおろかきはまる詩論に傷み

  かすみ草は英語にてBaby's breathと称す由。
わがうたの殯も為さむそののちのわれに手向けよ霞草(みどりごのいき)

かなしみに似て白き夏びようしんを天使に抱かることもなく過ぐ

夏の最期のひかり浴びけむひさかたの天使住居街(ロス・アンジェルス)の浜田到も

夏草やうたを棄つればうたの墓 となりに白きうたびとの墓




「角川『短歌』2017年2月号」を読む

2017年03月21日 | 古雑誌を読む
   橋本喜典作「芸に遊ばむ(31首)」より抜粋

身弱くも数限りなき恩愛を享けて八十八年の生      

籠らむと最晩年を意識してつくりし書屋にわれの椅子あり

祝はるるわれ立ち上がり声に言ふ喜寿の君らに乾杯をせむ

聞こえざる耳傾けて聞かむとし目の前にある天婦羅食へず

日の脚の退きゆく見つつ背のびして洗濯物を取り込みてをり

久久に往還に見つ目的をもちて車の疾駆するさま

ご近所のいつも笑顔の人に会ひ立ち話ながくなりさうな妻

誘眠剤効かざることを幸ひに一首にむかふ暗きなかにて

師の墓に参らぬ三年晩秋の雑司ヶ谷墓地を思ひゑがくも

新しき己に会ふをたのしみに吾はも古き芸を遊ばむ

古雑誌を読む(角川「短歌」1016年7月号)

2016年12月21日 | 古雑誌を読む
   「大学短歌会が行く!愛知淑徳大学短歌会」より


○ 骨壷が海に流され沈むころ祖母はボトルシップとなるか  久納美輝

 「海に流され」やがて「沈む」運命にある「骨壷」に収められた「祖母はボトルシップとなるか」との妄想は、あまりにも〈乙女チック〉である。
 本作の作者の故郷は、あの東日本大震災の被災地でありましょうか?
 「ボトルシップとなるか」とのロマンチックな想像は、今は亡き「祖母」へのせめてもの餞でありましょうか?
  [反歌] 骨壷を頭に被った大蛸が首都東京に襲来するぞ  鳥羽省三


○ 細長き黒を抱えたミサイルと死ぬためだけに生まれた蚕  本目詩織

 「黒」は不吉な色。
 故に「細長き黒を抱えたミサイル」とは、やがて我が国に襲来するかも知れない、某ワンマン青年に支配されている国から放たれた核ミサイルを積んだ○○号でありましょう。 
 その極めて邪悪な「ミサイル」と対比されている「死ぬためだけに生まれた蚕」とは、私たち日本の後期高齢者でありましょうか? 
 明治時代の我が国は「蚕」が吐き出す〈生糸〉を欧米各国に売却し、その利益で以て船舶や兵器などを欧米の先進国から買い求め、彼の二つの大戦をやらかして世界中から総スカンを食いました。
 未だ年若い、本作の作者・本目詩織さんに私から申し上げますが、過日の轍を踏み、世界中から総スカンを食うような国にならないように、我が国の横暴な政治家や経済人を厳重に見張れるような有権者になって下さい。
 [反歌] 細長き紐を引き摺り狗が行く脱北者には還る国無し  鳥羽省三  


○ ほろびると感じる我に風吹きてちるちるちるるちる音もなく  牧野ふみ

 「ちるちるちるるちる音もなく」とは、作者の性格とは別にあまりにも遊びに過ぎる表現でありましょう。
 それにしても、未だ大学生にして「ほろびると感じる」とは?
 本作の作者・牧野ふみさんは、就活戦線で内定を一個も貰えなかったのかも知れませんし、或いは、三年間お付き合いなさって居られた恋人に振られたのかも知れません。
 そのいずれにしろ、未だ二十歳を過ぎたばかりで「ほろびると感じる」とは、彼女の性格はあまりにも真面目で暗過ぎます。
 私の古い友人の娘のSは名古屋大学に在籍しているとの事ですが、おかちめんこのくせして〈名古屋嬢〉を自認して、日夜、名古屋市内の盛り場・錦界隈で遊び捲くっているとの噂です。
 牧野ふみさんはお名前からしてお淑やかなイメージですから、件の〈おかちめんこ〉の如き振る舞いは、例えご両親に頼まれてもなさらないかと思いますが、現代社会の都会に棲息する女性としては程々の〈遊び〉も必要です。
 何卒、残り少ない青春の日々を楽しくお過ごし下さい。
 [反歌] パン屑が散るちるミチル風に散る青い鳥には未だ逢へない  鳥羽省三

 
○ 卒業式終われば街に売りに行くこのセーラー服買ってください  松田菜々

 就職先に「セーラー服」姿で顔出しする訳にも行きませんから、用済みの「セーラー服」は「街に売りに行く」しか手が無いのでありましょうか?
 でも、まかり間違って変な小父さんの手に入ったとしたら、どんな事をされるかも知れませんから、お売りになる場合は、なるべくならば、大学構内で後輩の女子大生を売るようにしたら如何でありましょうか!
 それともう一点、昨今の大都市の盛り場には、女子高生や女子大生が身に付けた衣服を買おうとして徘徊する、一見紳士風のよからぬ熟年男性が存在する、との噂でありますから、その点にもよくよくご注意なさって青春を精一杯お楽しみ下さい。
 [反歌] 一本のマッチの燃ゆる束の間を吾は覗けりうら若き闇  鳥羽省三

古雑誌を読む(角川「短歌」1016年11月号)

2016年12月16日 | 古雑誌を読む
 「大学短歌会が行く!山梨学生短歌会」より


○ 一昨日の雪は春まで残るから知らないふりができると思う  入江結比

 作者の入江結比さんは、東京の渋谷界隈を歩いていると、世の男性の全てが振り向くような美貌の女子大生であろうと拝察されます。
 その彼女は、とある晩秋の一日に、「在籍している大学の敷地内の人影も無い某所に青春の形見の血塗れのランジェリーを埋めたのでありましたが、その夕方から雪が降ったので、『一昨日の雪は春まで残るから知らないふりができると思う」と、その二日後の黄昏時に思っているのかも知れませんし、また、「埋めたのはランジェリーでは無くて、片思いの恋人への手紙であるが、『一昨日の雪は春まで残るから知らないふりができると思う』」と、その二日後の早朝に思っているのかも知れません。
 斯くして、美貌の女子大生らしからぬ作者・入江結比さんの手管に依って、私たち本作の読者は、あれこれとあらぬ妄想に耽る事を強いられ、いつの間にか一首の世界にどっぷりと浸かってしまうのでありましょう。
 青春の真っ只中に身を置いて、時に喜び、時に哀しんでいるに違いない、作者のロマンティズムが十二分に発揮された傑作である。
 「知らないふりができると思う」の対象を明示していない点が魅力の一首である。
 

○ 何にでも終わりはあった清泉に花をひたして濡れる墓守   池川貴基

 今どき「墓守」を題材にした抒情歌を詠むとは、本作の作者・池川貴基さんこそは、大正浪漫の挿絵の奥から突如として現代社会に闖入した歌詠みでありましょう。
 歌い出しの二句「何にでも終わりはあった」とは、作中人物の「墓守」の口からふと漏れ出た遣る瀬無い感慨であると同時に、作者・池川貴基さんご本人のそれでもありましょう。
 と言う事は、作中の「墓守」は、本作の作者の池川貴基さんご本人であり、作者の池川貴基さんは、「清泉に花をひたして濡れる墓守」の如くにも、実り少ないご自身の青春を省みて、涙して居られるのでありましょう。
 就きましては、本作の作者・池川貴基さんに、この際、私から一言申し上げますが、池川貴基さんよ、貴方はこんなにもご立派な短歌をお詠みになられるのですから、決して、決して捨てたものではありません。
 貴方の周りには、素敵な素敵な女性が沢山居られます。
 貴方がお世話なさって居られる、山梨学生短歌会所属の入江結比さんだって、本山まりのさんだって、寺本百花さんだって、とてもとても素敵で素敵な女性なんですよ。
 そんなそんな素敵な女性たちに囲まれて居ての貴方の青春こそは、私たち後期高齢者にとっては、どんなに手を伸ばしても永久に届かない素晴らしい青春なんです。


○ 夜半くらき書庫に数多の息がありあなたは本になりつつ眠る 本山まりの

 本作の作者の本山まりのさんは、齢いまだうら若い文学少女である。
 彼女が文学少女である所以は、彼女が今日訪れた大学図書館の書庫に儚い夢を馳せている事に依っても説明されるのである。
 斯くして、齢いまだうら若い文学少女の本山まりのさんは、とある小説の頁を捲りつつも次の如き思いに浸るのである。
 即ち、「この小説は、今、斯くして私の情熱ほとばしる指によって捲られているのであるが、いずれ夜になると、この大学図書館の書庫深く蔵われるに違いない。とすると、この小説の作者であるあなたは、書庫の奥に蔵われている一冊の本となって、数多の本たちと共に、夜半に息づくに違いない」と。


○ 水滴がまだらな影をおとす膝終点のないバスがあるなら   寺本百花

 「終点のないバスがあるなら」という、作者・寺本百花さんの青春の願望を込めた下の句の表現は月並みであるが、「水滴がまだらな影をおとす膝」という、場面設定をした上の句がなかなか宜しい。
 作者の寺本百花さんは、校舎の裏の物陰に隠れて、彼から別れ話を語り掛けられているのでありましょうか?
 だとしたら、お腹の中に既に彼の子を宿している寺本百花さんにとっては、その別れ話には到底同意出来るはずはありません。
 彼女の履いたパンストには、校舎の屋根から滑り落ちる「水滴」の「影」が「まだら」状に映るのであるが、その影は、彼女の目から落ちる涙の「影」なのかも知れません。
 斯くして、本作の作者の寺本百花さんは、「『終点のないバスがあるなら』ば、彼といつまでも一緒に乗って居られるのに!」などとの、遣る瀬無い思いに浸るのである。

岩田正作『ケアセンター・木曜日』特別作品二十首(角川「短歌・十月号」掲載)

2016年10月27日 | 古雑誌を読む
○  さてここはいづくぞわれはなになるや目覚めてまづはわが思ふこと

 この連作を鑑賞せんとする、私たち読者に対しての作者・岩田正翁からご挨拶で以て、本連作は始まるのである。
 本作の作者・岩田正翁は、かねてから毎週一度、木曜日にご自身が通われているデイケアセンターで義務付けられている小一時間の昼寝から、今しも目覚めたばかりなのである。
 そして、起き抜けの岩田正翁の口から発せられたご挨拶の内容は以下の通りである。
 即ち、「私はたった今、当センター定例の午後の昼寝から目覚めたばかりではありますが、この際、本作の読者諸氏を肇とした、この広い宇宙空間に棲息している全ての生き物の方々に親しくご挨拶申し上げます。とは申しましたが、扨て、そもそも、私が斯くしている此処は、一体全体、何処の地であり、私は如何なる存在として此処にこうして居るのでありましょうかと、今の私は、斯く思っている次第であります」という訳なのである。
 この広い宇宙空間に棲息している生き物仲間に対してのご挨拶としては、少々惚けたような内容ではあるが、今年九十二歳になる後期高齢者の彼の起き抜けのご挨拶の言葉としては、なかなかに味のある言葉としなければなりません。  


○  こけさうな杖の男がよぎりたり支へんとしてわれはよろめく

 斯くして、我が国を代表する素っ惚けた味わいのある歌風を特質とする歌人・岩田正翁のデイケアセンターでの活動振りを見学する事を、私たち本作の鑑賞者は、作者の岩田正翁ご本人、及び、当センターの誇り高いセンター長様からご許可いただいた次第なのでありますが、なにせ作者はご承知の通りのご高齢でありますので、その語り口が朦朧としていたり、その内容が、時計回りに進行しなかったりするのであるが、其処の辺りの事情に就いては、私たち読者側が適当に斟酌した上で事に当たらなければなりません。
 扨て、岩田翁がこれから語られる一件は、彼ご自身が当センター差し回しの送迎車に乗せられて当センターに辿り着いてから約二時間後の事と思われる。
 今しも杖を突いた一人の老人が、彼・岩田翁の前を過ぎ行こうとしているのであるが、何せ、この老人は、岩田正翁と同年輩なので、辺りの人の目からすると、いかにもこけそうな感じなのである。
 それを見かねた男こそは私たちのヒーロー・岩田正翁なのであるが、止せばいいのに、人の好い彼は、彼の歳の頃は、彼と同年輩と思しき、件の「こけさうな杖の男」の身体を受け止め「支へん」としたのでありましたが、如何せん、皆様ご承知の通りの高齢者でありますので、彼の「こけさうな杖の男」の身体を「支へんとして」、逆にご自身がよろめいてしまったのである。 
 世に謂う「年寄りの冷水」とは、こうした事態を指して言う言葉でありましょうか?


○  センター長の朝のあいさつ重重と今日のお昼の献立つぐる

 二十首連作の三首目なのにも関わらず、彼・岩田正翁の話す内容は、時間の流れを益々無視しようとする傾向が見えて来るのである。
 さて、これから話す内容は、彼・岩田正翁が、当センター差し回しの送迎車を下車して、当センターの集会室に到着してから間もない時刻に発生した一件に就いてのものである。
 時は午前九時、今しも、当センターの誇り高きセンター長様が、私たちのヒーロー・岩田正翁を肇とした、後期高齢者の男女諸氏を前にして、持ち前の美声を発して「朝のあいさつ」に言葉を語り掛けているのである。
 彼の言葉は如何にも誇り高い彼に相応しく、「重重」とした調子で後期高齢者の男女諸氏に向かって発せられてはいるものの、その内容たるや何と驚いたことに、いつもの何ら変わり映えしない、「お昼の献立」に就いてであったのである。


○  左手にて杖たにぎればむかしわが竹刀とびて横面をうつ

○  右に寄り左にそれてまた戻るケアセンターの老いの歩行は

○  思ふでも考へるでもなく足とまる恍惚はきぬ数秒の間

○  駱駝には王子と王女月の砂漠老いとうたへば涙はにじむ

○  「帰ろかな」うたふ気ままな老いのこゑしはがれだみごゑ迫力がある

○  ちまたには戦争法案通りたりケアセンターでひとり焦れり

○  のうてんきまだらぼけなど老婦人十人寄ると圧力である

○  職員が子をつれくればしみじみと可愛いと泣く老いもありけれ

○  センターの窓に空見え鳥がゆくこころ遊ばす若き日のごと

○  マンションのベランダのシーツが雨に濡れいらだちてをりセンターのわれ

○  役立たずおのれを笑ひ飯くらふここセンターのお昼絶品

○  飯終へて飯はまだかとつぶやけり痴呆の老いの定番せりふ

○  とろとろと眠りはきたる午後一時ケアセンターはいのちの眠り

○  馬鹿正直ひとは笑へど自を守り戦中戦後たのしかりしよ

○  センターのボールにかはる紙風船撞きあふうちに真剣となる

○  七十超え八十超えいま九十二歳死神にわれ見放されたり

大塚寅彦作『しろがねの眼』観賞

2010年07月12日 | 古雑誌を読む
 「パチスロでネットカフェ代まで摩ってしまった。一晩でいいから泊めてくれ」と言って押しかけて来、寝酒用にと地下倉庫に入れて置いたジョニ黒二本と角瓶二本の殆んどを一人で空け、大型冷蔵庫に一週間分貯蔵していたチーズやハムやトマトなどまで食い尽くして消えた男の置き土産の角川『短歌』の四月号で、大塚寅彦氏の十首連作『しろがねの眼』を読むことが出来た。
 明日中に入稿しなければならない連載物を二本も抱えている者としては、いくら昔馴染みとは言え、<ゲゲゲの女房>宅に時折り訪れる貧乏神みたいな招かれざる客と夜通し付き合い、飲めないウイスキーを飲んだふりをしている訳にも行かないと思ったので、私は日付けの変わる前に彼を独りリビングルームに残し、仕事部屋を兼ねた寝室に入って狸寝入りをして、様子を窺っていた。
 ホスト役の私が去った後、彼は冷凍冷蔵庫から無断でチーズやハムやトマトなどを引き出して来て明け方まで呑み食いし捲り、所属結社の主宰や幹部たちの悪口を言ったり、深夜放送のテレビ画面に映るサッカー選手や金髪女性などを相手に、何処の地方の方言か判らないようなメロメロとした言葉で喋り捲ったりしている様子であったが、始発バスが動き始めるの待っていたようにして、私にも妻にも何の挨拶もせずに帰って行ってしまった。
 彼が居なくなった後、私が未だウヰスキーの匂いが濃厚に立ち込めているリビングルームに入ってみたら、今の家に転居する前に住んでいた、北東北の田舎の家を建てた時に買った、その当時の価格で70万円もしたソファーの上で彼が転た寝をしたらしく、その痕跡たる脂汗と涎で汚れたクッションの下に、角川『短歌』の二、三、四月号が、枕代わりのクッションの下敷きみたいにして置かれていたのである。
 昨夜、彼が来襲した時、私の妻には、それなりの諦めと言うか覚悟と言うか、何か決意するところがあったと見えて、私と彼の分の食事と酒の仕度をしてから、「後は適当にやって下さい」と、私にとも彼にとも無く声を掛けて、布細工室兼用の寝室として使っている中二階の薔薇の壁紙を貼った洋室に籠ってしまったのであるが、翌朝、私が起きて来るのを見計ったようにして、<つわものどもの夢の跡>ならぬ、押し掛け酔漢が暴れ捲った痕が残っているリビングルームに入って来て、逸早く脂汗と涎で汚されて無惨な姿となったイギリス製のクッションを発見したばかりか、そのクッションの下から件の雑誌三冊を発見したのである。
 彼女は、今となっては何処に掻き消えたかも知れない招かれざる客に対してなのか、その客を泊めてしまった私に対してなのかは判らないが、何やら血相を変え、呪詛めいた、謎掛け言葉めいた言葉を口走っていたが、それでもまだ腹が治まらないと見えて、しばらくしたら、彼が置いて行った三冊の雑誌の中の二冊をやにわに掴んで破り始めたのである。
 そうした妻の狂態を目にして驚いた私は、「ここは奥様、ぐっぐっぐっと我慢して、分別のあるいい女になってちょうだい」などと言って、どうやらこうやら彼女の怒りを半ば静め、未だ怒りの余韻を漂わせている妻の手から、辛うじて破られ損なった角川『短歌』の四月号を救い出したのである。
 しかし、その後、しばらくしても妻のご機嫌は完全には快復せず、「ねえ、あなた。あなたは、あの人が今晩も来ればいいと思ってるんでしょう」と言う。
 慌てた私が、「そんなこと思ってるはずないじゃんか。冗談言うな」と言うと、「いいえ、あなたはそう思っているはずよ。お願いだから本当のことを言って。『彼が今夜も来ればいい』と、私に素直に言って」などと執念深く絡んで来る。
 私はいよいよ慌て、「そんな事、絶対に思っていない。彼だって、お前に迷惑を掛けたことを十二分に承知しているはずだ。お前が中二階の薔薇の部屋に入ってから、彼は、『お前の奥さんの手料理は美味しいな。お前ってやつは、こんなに美味しい料理を毎日食べられ、あんなに美しい顔を昼も夜も拝んで居られて、なんて幸せなやつだ。俺と違って、お前は世界一の幸せ者だ』と言っていたよ」などと、余計なことまで付け加えて言うと、彼女はいよいよ猛り狂い、「うそ、うそ、そんなことみんな嘘よ。デリカシーらしいものを爪の垢ほども持っていないあの人が、そんなことを言うはずは絶対無い。お願いだから、本当のこと言って。『お前は料理と言えば、馬鹿の一つ覚えのレバー韮炒めとブロイラーの唐揚げと小鯵の南蛮漬けばかりで、そのうえ顔って言えば、元の横綱審議会委員の妹さんみたいな顔をしてて、俺は友だちに恥ずかしくてたまらないよ』と言って。どうかお願いだから、正直に言って」と、持ち前の執念深さをもろに発揮して、際限も無く、私に絡んで来るのであった。
 そういう訳で、その日の午前中は、何一つ仕事が手につかなかった。
 しかし、昼過ぎになると、「こんなことをしていても仕方が無いから、私、少し出掛けて来る」と言って、妻は溝の口駅前のユザワ屋に手芸用の端切れを漁りにでも行った様子であったので、その隙に、件の雑誌に目を通したところ、私の敬愛して止まない、大塚寅彦氏の傑作十首が掲載されていたのである。
 私と大塚寅彦氏作の『しろがねの眼』との出会いは、かくの如く、まさに劇的な運命的な出会いであった。
 そのタイトルを目にした瞬間、私は「あっ、これはどこかで見たようなタイトルだな!」と思い、次の瞬間、数年前、『週刊少年マガジン』に連載されていた、上条明峰作のコミックのタイトルが『しろがねの鴉』であったことを思い出した。
 私は、コミックについては中学生以下の知識しか備えていなくて、未だに<漫画>と<コミック>との区別もつかないし、人気コミックとして噂の高い『しろがねの鴉』についても、「そう言えば、そんな漫画を、聖マリアンナ医科大学付属病院の待合室で読んだことがあったっけ」といった程度の認識しか持っていないから、確定的なことは何一つ言えない。
 しかし、歌人としてのご自身の記念碑とも言うべき、第一歌集『刺青天使』(1985年刊)に、「烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのちわれも大鴉を飼へるひとりか」、「らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なる嘴を冬空に向け」、「選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て」などと、彼の<エドガー・アラン・ポー>顔負けの<大鴉>を止まらせて好評を博し、その後の創作活動に於いても、コミックに並々ならぬ関心を示して居られる大塚寅彦氏のことであるから、この連作のタイトルを決めるに当たっては、必ずや、あの人気コミックのタイトルを意識したに違いない。
 大塚寅彦氏の件の連作とコミックとの関わりについて、もう一言二言申し添えれば、一首目に、建設機械の「ユンボ」が登場するが、西岸良平作の人気コミック『夕焼けの詩』が、山崎貴監督、吉岡秀隆主演で『ALWAYS・三丁目の夕日』というタイトルで映画化された際、その時代背景を示す小道具(大道具か?)として、私の知人の油谷満夫氏の経営する<秋乃宮博物館>から拝借して来たような、ガタガタのオート三輪車や白黒テレビなどと共に、時代物のユンボが使われて話題となった。
 また、二首目に「軍鶏」が登場するが、これと橋本以蔵原作・たなか亜希夫画によるコミック『軍鶏』との関連も、このコミックが2008年に<ショーン・ユー>と<魔裟斗>の共演で映画化され、アジア各地で話題となっただけに、決して無視する訳には行かない。


    『しろがねの眼』     大塚寅彦(中部短歌)

○  招くものあるがに腕(アーム)折り畳みユンボ佇む春さむき街

 工事現場で土掘り機械としてお馴染みの<油圧ショベル>は、一般的には「ユンボ」と言う、北東北の田舎のご大家の<お坊ちゃま>みたいな呼び名で知られている。
 その「ユンボ」が、「腕(アーム)」を「折り畳」んだ状態で、「春さむき街」の建設現場の出入り口を塞ぐようにして放置されているのである。
 その形態と置かれた位置や状態から推して、得心するところのあった話者(以下、彼と言う)は、これを形容して、「招くものあるがに腕(アーム)折り畳みユンボ佇む」と詠っているのである。 
 「招くものあるがに」と言ったのは、「腕(アーム)」をきっちりと「折り畳」み、百足の脚みたいなキャタピラーを地面に据えて、工事現場の出入り口を塞ぐようにして鎮座している「ユンボ」の偉容が、東横インに宿泊客を奪われて左前になってしまった日本旅館の女将が、いつ訪れるとも知れない宿泊客を迎える為に、或いは、必ずや押し掛けるに違いない借金取りを撃退する為に、両手両膝をきちんと揃えて黒光りのする玄関フロワーに正座しているような感じに見えたからである。
 明日明日店仕舞いしなければならない日本旅館の年増女将ならぬ、「ユンボ」殿は、玄関先に立ち止まって室内を覗くようにしているハイカラ紳士の彼に向かって言う。
 「本日はお寒い中をよくいらっしゃいました。あいにく、手前共の主人は昨晩から外出して居りますので、ご用件だけは、この私がお伺いしておきましょう」と。
 年増女将の目には、人相風体から推して、ハイカラ紳士の彼は宿泊客では無く、某信用金庫から債権の取立てを依頼された<筋者>のように映ったのである。
 構造不況の煽りを受けて市街地再開発事業を中断しているビル工事現場の出入り口に、「腕(アーム)」を「折り畳」んだままの状態で放置されている、無機質な「ユンボ」の姿は、借金取りから逃げているご亭主に代わって、草臥れ果てた日本旅館の玄関先にどでんと構えている、年増女将の気丈かつ哀れなイメージと重なってなかなか興味深い。
 本作は、リアリズム短歌でありながらリアリズム短歌を超えたような雰囲気を湛えている。
   〔返〕 招かるるものとは無しは街裏の古き旅籠にふと足を止む   鳥羽省三 
 

○  好戦の性あかあかと持てあまし軍鶏らは遊べ春の夕陽に

 気丈かつ律儀な「ユンボ」殿に邪魔されて、目的を果たし損ねた彼は、やがて「春さむき街」の片隅に建っている狭い鶏小屋の中に囲われている数羽の「軍鶏」を目にする。
 彼は、哀れな「軍鶏」たちに向かって語り掛ける。
 「お前たち軍鶏は、未だ肌寒い春の夕陽の中で、赤々と鶏冠を逆立て、爛々と両目を光らせ、持ち前の好戦の気質を赫々と燃え滾らせようとはしているが、如何せんお前たちは、この狭い小屋の中に閉じ込められているだけだから、自分の精力を持て余し、それを発散させることが出来ずに居るではないか。どうだ、この私が、この小屋を壊して、この春の夕陽の中に、お前たちを解き放ってやろうか。遊べ軍鶏たちよ。飛べ、この赤々とした夕陽の中に」と。 
 しかし、語り掛けられている「軍鶏」たちのみならず、語り掛けている彼自身もまた、この世の中の諸々の柵に束縛されているから、決して、自由の世界へ飛び立つことは出来ないのである。
 彼は、某信用金庫から債権の取立てを依頼された<筋者>などでは無く、善良で哀れな保険外交員だったのである。
  〔返〕 軍鶏を飼ふ鳥小屋にふと目の走る好戦の性失せたる者の   鳥羽省三


○  冷え果てし無精卵割る昼さがり黄のまなざしがわが<雄>見てをり

 某信用金庫から債権の取立てを依頼された<筋者>ならぬ、善良で哀れな保険外交員たる彼は、春まだ浅い、この街の定食屋のカウンター席に向かっているのである。
 彼が昼餉の足しにしようとしているのは、450円の焼き魚定食プラス1個50円の生卵である。
 プラス1個50円の生卵は、勿論、今、この定食屋の愛想も色気も無い女店員が冷蔵庫から出して来たばかりで、彼同様に精も根も尽きたような感じの、「冷え果てし無精卵」なのである。
 その「冷え果てし無精卵」を割って、たった一杯きりのどんぶり飯にかけようとした瞬間、彼はふと、彼自身の「雄」の部分を、この「冷え果てし無精卵」の黄身とも言えないような黄身から見詰められ、語り掛けられているように感じたのである。
 「お前は朝早くから今まで、この寒い街中を1足3000円の靴の底を擦り減らして歩き回っていたが、それで一体いくらの契約を取ったと言うのだ。お前のその様子では、お前は、ただの一口の契約さえも取れなかったと俺は思う。お前は、1個50円のこの俺を、冷え切った無精卵だと馬鹿にし切っているだろうが、そう思っているお前こそ無精卵ではないか。その証拠に、お前のあの<雄>の部分は、すっかりしょぼくれ返っているぞ。見たところお前は未だ還暦前なのに、可哀想に」と。
 彼は、無精卵風情に言われるまでも無く、そんなことはとっくの昔に自覚していたのだ。
 だから、今はただ今の餓えを満たす為だけに、この定食屋のカウンターにしがみ付くようにして、450円の焼き魚定食をがつがつと食べ、プラス1個50円の生卵を吸い込むしか無いのである。
  〔返〕 我もまた精尽き果てて昼過ぎの人無き店に無精卵啜る   鳥羽省三


○  踊り食ひなる素魚(しろうを)のしろがねの眼やわが闇をいかに見をらむ

 この作品以下の七首は、契約も取れず、しがない保険外交員の身の上に甘んじているしか無い、彼の夢想するバーチャル世界の出来事ではあるが、評者の文章力の不足を誤魔化す為に、現実の出来事として説明する。
 春まだ浅い三月、彼は友人の一人を頼って、九州は博多まで足を運んだのであるが、友人との約束時間は夕方・5時なので、本拠地の名古屋からはるばる博多まで出掛けてきたことの記念に、との思いで、博多の早春の名物の「素魚」の「踊り食ひ」を食べているのである。
 「素魚」はハゼの仲間で、鮭の仲間の<白魚>とは異なるが、九州・博多の春の郷土料理として知られ、普段は500円程の粗食にしかありつけない彼でさえ、その名に憧れ、今こうしてその値段を気にしながらも、清水の舞台から飛び降りるような気分で、その味を愛でようとしているのである。
 「素魚」の「踊り食ひ」とは、生きた「素魚」を水を張った桶に入れて、小さな網で掬いながら二杯酢で食べるというよりも、啜り込むのである。
 今しも、彼が数匹の「素魚」を網で掬って口に入れようとした時、啜り込もうとした彼の眼と、啜り込まれようとしているの「素魚」の「しろがねの眼」とがぴたりと合ってしまったのである。
 彼は思う。
 「清水の舞台から飛び降りるような思いで、お前たちを腹の中に啜り込もうとした今、お前たちは、お前たち特有の「しろがねの眼』で私を睨み付けた。でも、それにも怯まないで、私は、お前たちの生きたままの命を胃の腑に沈めてしまった。今、私によって『踊り食ひ』された、お前たちの『しろがねの眼』は、私の心の中の『闇』を、どんな気持ちで見つめているのだろうか」と。
 「わが闇」とは、「踊り食ひ」と称して、自分と似た儚い命を持った「素魚」を生きたままで呑み込んでしまった、彼自身の心の闇である。
 また、はるばる博多まで出掛けて来て、碌に契約も取れないでいる、彼自身の心の闇である。
 そしてまた、「素魚」の「踊り食ひ」の支払いを、どういう風にして算段しようかと迷っている、彼自身の心の闇でもある。
 頼りにしている友人に裏切られ、彼の今日は又もや契約を取れないままで終わることでしょう。
 しがない保険外交員の彼にとって、「素魚」の「踊り食ひ」は、やはり高嶺の花だったのである。
  〔返〕 踊るのも踊らざるのも素魚の踊り食ひより更なる阿呆   鳥羽省三 


○  生きをれば心もかかるさまならむ石筍ぬれぬれと充ちたる洞は

 「生きをれば」とは、「生きているから」という意味。
 いくら契約の取れない保険外交員とは言え、この自分の心も又、生きて息をして、排泄行為をしている存在だから、この秋芳洞の中の「石筍」のように「ぬれぬれ」としているに違いない。
 昨夜、博多の街で頼りにしていた友人に裏切られた彼は、今日は、関門海峡の下を潜って、山口県の<小郡駅>までやって来、其処から更に足を延ばして、ここ秋芳洞までやって来たのである。
 秋芳洞の中は、彼の昨日や今日や明日の気分と同じように暗い。
 その暗い闇の中で、暗い彼の心は、誰に出会えるという訳でも無く、何によって癒やされるという訳でも無いのであるが、彼はただ、闇が闇を求めるようにして秋芳洞にやって来て、洞窟の闇の中に「ぬれぬれと充ち」ている「石筍」に出会い、自分もまたこの「石筍」たちと同様に、生きて息をし、排泄行為をしたいと思っているから、自分の「心」もまた、「石筍」たちと同じように「ぬれぬれと」しているに違いないと感じているのである。 
 洞窟の闇の中で、「ぬれぬれと」した自分の心の中を感じている彼。
 人間の情念というものは、このように恐く、このように不可思議なものである。
  〔返〕 命無き白骨さへも濡れに濡れ秋吉台の雨の葬列   鳥羽省三


○  天然の石仏の丈のぶるがに石筍はあり洞の真闇に

 一首の意は、「天然自然の中に佇んでいる石仏の背丈は、人の知らない間に伸びると言うが、この洞窟の中の石筍も又、長い年月を経るうちに、人知れず背丈が伸びていることだ」というところか?
 彼の心の中の「ぬれぬれ」も治まり、彼の心は又もや、どこかに浮遊しようとしているのである。
  〔返〕 命あれば爪も夜中に伸ぶと言ふ夜中に爪を切るのは吾ぞ   鳥羽省三


○  磨滅して見えなくなりし磨崖仏あるがに仰ぐ春の岩肌

 契約の取れない保険外交員たる彼の心が浮遊しているのは、<国東半島>か<山之辺の道>か、はた又、岩手県平泉町の<達谷窟>か?
 眼前に在る「春の岩肌」が、何処の「春の岩肌」であるにしろ、その「岩肌」に彫られた「磨崖仏」は、今となっては「磨滅して見えなくなりし磨崖仏」でしか無いのである。
 しかし、契約が取れないままに、浮遊するしかない彼の心は、「磨滅して見えなくなりし磨崖仏」を、まるで見えるもの、現存しているもののように思って、「春の岩肌」を仰いでいるのである。
 彼が仰いでいる「春の岩肌」の表面に在る「磨崖仏」の真実は、「磨滅して見えなくなりし磨崖仏」であるように、彼の心の中に在る<生命保険契約>は、永久に取れない、幻の<生命保険契約>なのである。
 かくして、彼の心は、春の夕空に永遠に浮遊して行く他無い。
  〔返〕 磨滅して利かなくなりし我が心夕空はるか浮遊するのみ   鳥羽省三 


○  歌声の澄めば星々瞬ける野外ライブを想ふカーラジオ

 彼の心は今、あの広大な小岩井農場に在るのだ。
 彼の運転する中古車は、今、岩手県雫石町の小岩井農場の駐車場に停まっている。
 今晩、彼が仮眠するはずの彼の中古車のカーラジオからは、往年のアイドルたちが一堂に会して歌う、ナツメロが流れている。
 彼を持たない麻丘めぐみが、『芽ばえ』と『わたしの彼は左きき』とを立て続けに歌う。
 あの橋幸夫が『霧氷』と『潮来笠』とを、頭に被ったアデランスを気にしながら歌う。
 服役中の克美しげるのヒット曲『さすらい』を、名も知らぬ男性歌手が歌う。
 <ピン・キラ>の今陽子が、あのハスキーな声を張り上げて『恋の季節』を歌う。
 彼の心の中に、あの山高帽と黒いタイツ姿が甦る。
 水戸黄門の入浴シーンでお馴染みの由美かおるが金井克子と一緒に、往年の大女優<マリリン・モンロー>のレパートリーをメドレーで歌う。
 エンジンを止めて耳を澄まして聴いている彼は、由美かおるのあの美脚を思い出して生唾を飲み、久々に自分の<雄>を固くする。
 往年のアイドルスターたちの「歌声」が「澄めば」澄むほど、小岩井農場の上空の「星々」は瞬きを増し、彼は自分がしがない保険外交員であることを忘れて、婚約前の前妻と一緒に、いつか出掛けた「野外ライブ」のことを想い出すのである。
  〔返〕 煌いて夜空の星になる克美しげるよ歌え獄窓の中   鳥羽省三   


○  山村のホーロー看板(ばん)の由美かおる<永久の美脚>の刑に微笑む

 彼の転がす中古車は、秋田県湯沢市の「山村」たる湯ノ岱温泉に在る、<秋乃宮博物館>まで辿り着いたのである。
 秋乃宮博物館は、あの奇才・油谷満夫氏が、その半生の全霊を傾けて蒐集した、<油屋コレクション>の精髄を公開・展示している私設・民俗博物館である。
 油谷満夫氏は<秋乃宮博物館>の外壁に、自分が蒐集した、レトロなホーロー製の看板を張り巡らせているのであるが、その中の一枚が、あの<かとり線香・アース渦巻>のホーロー看板であり、その看板の中で、彼の愛するアイドル・スター「由美かおる」は、人も見惚れるあの「美脚」を惜しげも無く曝け出しているのである。
 アイドル・スター「由美かおる」が、<かとり線香・アース渦巻>のホーロー看板という牢獄の中の囚われ人となってから幾星霜。
 あの「美脚」は、依然として衰えることを知らない。
 この世の中には、「美脚」の「刑」という「永久」の「刑」もあるのだと、彼は知ったのである。
 彼の愛する「由美かおる」は、「<永久の美脚>の刑に微笑む」のであるが、誰からも愛されない彼は、<永久の無駄足の刑>に苦しまなければならないのである。
  〔返〕 生足の由美かおるこそ愛しけれ幾星霜に耐えしあの脚   鳥羽省三 


○  花の色うつりにけるは<アイドル>の同世代なり昼のテレヴィに

 「花の色うつりにけるは」の「は」が問題である。
 古典語の「は」は係助詞として、「かぐや姫は、『あな、うれし』と喜びてゐたり」(『竹取物語』火鼠の皮衣より)といったように、「上接している名詞などを主題として取り立てる」ような場合に使うのが、一般的、代表的な用法であるが、終助詞として、「夜半も過ぎにけんかし、風のやや荒々しう吹きたるは」(『源氏物語』夕顔より)といったように、「強い感動・詠嘆を表わす」ような場合にも使われるから、その解釈に当たっては注意を要する。
 本作の場合は、「花の色うつりにけるは」という上の句を、「花にも例えられる女性の容色、特にアイドル女性スターの容色は、年を経る毎に褪せ衰えて行くことだなあ」と解釈するのが、最も妥当な解釈と思われる。
 したがって、本作の作者・大塚寅彦氏は、この「は」を、終助詞として使っていると思われる。
 果てし無く浮遊する彼の心は、旅先の安食堂の「昼のテレヴィに」映った、彼と「同世代」のかつての女性「アイドル」たちの姿を捉えたのであるが、その容色の衰えを見るにつけても、「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」(『古今和歌集』より)という著名な古歌が思い出されてならなかったのである。
 しかし、衰えたのは、放浪先の安食堂の「昼のテレヴィに」映った、彼と「同世代」のかつての女性「アイドル」たちのみならず、彼自身もまた、人生全般に衰えを隠すことが出来なく、彼の心は、あちらこちらと永遠に浮遊して行くに任せるしか無いのである。
  〔返〕 靴底は磨り減りにけりいたづらに保険外交我がせしままに   鳥羽省三