● 5月の文学フリマ東京40でふたつの短歌アンソロジーが販売された。さとうきいろによる『クソ短歌アンソロジー』と ぽっぷこーんじぇるによる『SNS短歌アンソロジー』である。
● 〈火事ですか救急ですかまじですか強めのギャルを派遣しますね 口野萌〉(『クソ短歌アンソロジー』)何が起こったのかは伏せられているけれど、たぶんなにも解決しなさそう。
● 解決はそもそも期待されていない、それは短歌も同じ。
● 門戸を狭めない短歌アンソロジーや歌誌は短歌ではなく短歌そのものにとってふさわしいかたちだ。
● ❝詩を書くということは、全く個人的な行為であるが、同時にそれは社会的な行為であるのだ。❞(「詩というものの存立を考える」『新選鈴木志郎康詩集』思潮社)
● 私は短歌を読む、短歌を読まないうちは。
● 短歌をおもしろくしているのは作り手ではなく読み手である。そして、作り手は同時に読み手にもなりうる。
● すべての人をおもしろがらせられる短歌は存在しない、すべての人の道をあやまたせる林檎が存在しないように。
● 言葉は読み手との組み合わせ次第で毒にも薬にもなりうる。
● 言葉が毒になるのは読み手の解釈が原因だ。
● みずからの呼吸を苦しめない解釈さえすればどんな言葉も薬になる。
● 言葉に怒りたい人は怒りたいから怒っているだけだ。しかし怒って快感を得る自由は誰にでもある。
● 群衆の多くは読み手である。
● 群衆が牽引する短歌界は囲碁に譬えられ、アイドルが牽引する短歌界は将棋に譬えられる。
● 短歌のアイドルと短歌をつくるアイドルは異なる。後者だけなら群衆と言える。
● 将棋の駒に日本将棋連盟の定めた点数というものはなく、解説する棋士によって点数は異なる。
● チェスの駒にはポイントがある。ポーンは1点、ナイトは3点、ビショップは3点、ルークは5点、クイーンは9点とされる。
● ボビー・フィッシャーはビショップを3.25点と提唱したという。
● アイドルが牽引する短歌界という言説は必ず破綻する。なぜなら他の要素がひとつでも入り込めば、前提が成立しなくなるから。
● 群衆が牽引する短歌界という言説は破綻しない。群衆のなかには短歌のアイドルも包含しているために。
● 実際は、アイドルが牽引しているように演出されており、歩兵もそう思いたがっている、というところか。
● ❝権力者が組織的に要請されるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人々が権力者を通して権力を行使したいがためである。❞(鈴木健『なめらかな社会とその敵』ちくま学芸文庫)
● 誰もが自らを歩兵と思い、いつか武功ならぬ歌功をうちたてて「と金」へ成りたがっているのだろうか?
● 終局まで触れられることのない歩兵で、私はありたい。
● 自分のいる世界が将棋だと思い込んでいて実は囲碁だったとしたら自嘲するしかないだろう。
● 歌人の名とは著作権と商売のための記号にすぎない。
● ❝名前は身体ある存在の抽象とか記号とかというものではないのだ。実は身体を言葉へ変換した名前こそ正に実体そのものであって、身体はその名前の人間が生きているかいないかの区別を与える記号以外には意味をなさないものとなっている❞(「闇の言葉へ向かって」『新選鈴木志郎康詩集』思潮社)
● ❝江田 同じ結社なら結社、グループならグループで褒め合うことはあっても批判することはないという、これはもうジャンルの終わりかなと私などは思います。❞(野村喜和夫VS江田浩司「危機と再生」『ディアロゴスの12の楕円』洪水企画)
● 群衆詩としての短歌に批評は不要だ。群衆は誰もが役割のない碁石に過ぎない。
● 碁石に価値がないわけではないけれど将棋の駒のような点数はない。
● 個々の短歌の鑑賞は個々の読み手が愉しめばいい。
● 短歌への批評が可能だとするならば、短歌企画への批評となる。囲碁の形勢判断のような。
● インターネット短歌会FLATLINE https://tanka.cc/ の意味するところはフラットな短歌界であり、そんな短歌界は心電図の停止した死後にしかありえないという揶揄かもしれない。
● 私たちは檻から脱けだせないのではなく、檻の外から檻の空っぽを羨ましく見ている。
● 短歌の作り手の個性は短歌では実現しえない。短歌の個性は読み手に属する。
● 作り手が短歌を放ったことで起こる事象の責任が作り手にあるだなんて認める根拠は薄い。
● 〈白い光だなんて、教わっていないし、でもさわっていたから、ごめんなさい 笹井宏之〉(『えーえんとくちから』ちくま文庫)と〈光だと思う あなたが生きるためつけた傷なら触れたい、けれど 河原こいし〉(「てのひら、ゆびさき、おんど 」『ひととせ24→25』)傷跡は白くなることとひかりの白さ。
● 「ひかりへふれる」は短歌っぽいというとき、短歌性の原型をすこし思い起こしている。
● やなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」は「ぼくらはみんな 生きている」からはじまる。「ぼく」ではない。
● ネアンデルタール人は火へ手を翳すとき、光へも触れるだろう。
● 〈家族とは焚火にかざす掌のごとく 小川軽舟〉
● 火は火傷のいたみをともないつつ、つながりを潜在的に連想させる。
● 小原奈実『声影記』港の人、は手のうごきが見える歌集だ。
● 〈あぢさゐの球ふかくまで差し入れてわたくしといふ手の濡れそぼつ 小原奈実〉〈ゑんどうの花の奥処をまさぐりてメンデルは夜に手をすすぎしか 小原奈実〉〈手の青くしづむ泉の宵こころ堰くすべなくは触れ来な 小原奈実〉手を花へ、泉へさしいれる。
● 〈はじまりを囁くような外光へ夏のトルソーから手をのばす 早月くら〉(『あるいはまぼろしについて』)聴くだけではなく、手をのばし、外光の感触を確かめようとする類感詩術。
● 〈麦の穂を便りにつかむ別れかな 芭蕉〉と映画『グラディエーター』冒頭でマキシマスの手が触れる麦の穂についての文化人類学の講義を戸山で受けた記憶がある。
● または、月光へ触れる。
● 〈掌で洗う墓なめらかや蝉の声 江里昭彦〉の異界へ触れる感も。
● ❝我妻 私が歌に求めているのって、壁の隙間から差す謎のひかりみたいなものなんですよね。❞(我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』書肆侃侃房)
● てのひらは自分が自分以外となる地平。
● ❝短歌はあたかも"身体"のように設計されている、という仮定をしばらく受け入れていただきたい❞(高柳蕗子『短歌の酵母』沖積舎)
● 短歌の空は南アフリカの空である。
● ❝世界の「創造」と「破壊」以外、あらゆる企てはどれも等しく無価値である。❞(E.M.シオラン、有田忠郎訳『崩壊概論』ちくま学芸文庫)
● 日本語もどんな言語も地球祖語の一方言に過ぎない。
● 短歌とは地球祖語の膨大な蓄積に生じた或る偏りである。
● 短歌とは個人あるいは個性が存在しうるかもしれないという挑戦であり、私たちはこの挑戦に敗北し続けている。
● それでも挑戦し続ける群衆こそが歌人だ。
大名古屋歌会、という名称の歌会がその名のとおりの名古屋で行われている。荻原裕幸さんを中心に運営されており、二〇二三年三月から始まり、つい先日、五回目が開催された。第四回の様子は、「短歌研究」二〇二五年五・六月号の出張企画「歌会おじゃまします拡大版」で紹介されている。およそ三十名ほどの参加者で、代表の数人がパネリストとして歌を評していき、時折は参加者が発言するというようなスタイルだ。
誌面で取り上げられた第四回では、僕が司会兼パネリストとして会を進行したのだけれど、おおっ、これは、というおもしろい場面があった。ある歌の中の助詞について、必要か不要か、という点で意見が分かれたのだった。それも荻原さんと、パネルで参加していた江戸雪さんという二人の間で。はらはらしながらしばらく議論を見守っていたものの、その場では答えが出そうになかったため、「難しい、問題ですね……」と神妙な顔をして次の歌へと移った。
それにしても、長く短歌と向き合ってきた人たちでも、助詞の一字について意見がぶつかるというのは、実にエキサイティングで、改めて表現の奥深さを感じた。
*
今年三月に出た大辻隆弘『短歌の「てにをは」を読む』(いりの舎)は、まさに助詞の読み方について、例歌を挙げながら教えてくれる一冊となっている。自身を「てにをは病」と称するように、一首一首、一語一語に嬉々として向き合う様には読者もつられて胸が躍る。
先述の歌会で議論になった「助詞の省略」についても書かれている。高木佳子の時評において、「深爪をからだの先に引っかけて昼でも暗い坂のぼりきる」(山崎聡子『青い舌』)の結句の助詞省略が主体の「独語」(独り言)を強めているという指摘を出発点にして、大辻は佐藤佐太郎や近藤芳美などの作品にも同様の省略を見出している。
助詞が省略された結句に滲む独語の響き。それは、自分の内面のつぶやきをそのまま歌にしたいという、彼らの志向がもたらしたものだったのである。
もちろん、助詞を省略した歌が全て「内面のつぶやき」に直結するわけではなく、ケースバイケースで読み解く必要があるだろう。
さまざまな「てにをは」について縦横無尽に触れていても、その都度、著者自身が古語辞典や広辞苑を引き、語の意味や文法を丁寧に確認しているため、その読みにはしっかりと筋が通っていて安心できる。国語の授業もずいぶんと遠い昔になってしまった人間にも改めて勉強になる。しかしながら、頁を手繰っていく中で、「つ」と「ぬ」の章には驚かされたところがある。どちらも「完了」の意味をもつ助動詞だけれど、「つ」は「意図的に動作を終わらせるとき」、「ぬ」は「自然の推移として物事が終わってしまったとき」に使われるものだと本文中では説明される。ところが、だ。
私のめぐりの葉のみくきやかに世界昏々と見えなくなりつ 岡井隆『朝狩』
貪りて 世のあやぶさを思はざる大根うりを 呼びて叱りぬ 釈迢空『倭をぐな』
岡井の「見えなくなりつ」は意図的ではないから「ぬ」が適当で、釈迢空の「叱りぬ」は自然の推移ではないから「つ」が適当なはず。けれど、当時の時代状況を踏まえると岡井はあえて世界から目をそらした。迢空は、自分の意図を超えて激しい怒りを爆発させてしまった。だから、通常の助動詞の使用方法では、到底表現しえなかったのだという(詳細なニュアンスは本書を確認してほしい)。大辻の読みの深さに感嘆する一方で、そんなのありなの!? というのが率直な感想でもあった。さっきまで、あんなに文法に沿った解説をしてくれていたのに……。
歌を十全に読み解くには、文法の知識がある程度必要になる。それでも、それだけでは限界があるということなのかもしれない。その先を補うのは、つまるところ個人が積み重ねてきた経験や知識、想像力に委ねられる。だとしたら、他者と「読み」を共有するのは、実はとても難しい作業なのではないだろうか。本当に、短歌を読むって一筋縄ではいかない。
日々、多くの歌と出会う中で、どうしても内容的なおもしろさや修辞の新しさに目を奪われるけれど、一つの助詞にこだわって読む時間の豊かさというものを思った。
*
荻原さんと江戸さんが助詞の一字について議論していたあの時、もし大辻さんが加わったら、いったいどんな方向へ転がっていただろうか。ちょっと見てみたい気がする。
本欄、短歌時評200回で小﨑ひろ子氏も取り上げていたが、今回は、AI(人工知能)の話題。
こちらのテーマは、「AIは短歌をよむことができるか」。
・AIは短歌を「詠む」ことができるか
まずは、「詠む」から。
AIは、短歌を「詠む」ことができるか。
というと、見事に詠める。
AIは、学習ができるから、短歌を学習すれば、たちどころに詠めるようになる。
AIが短歌を学習して短歌を詠めるようになっていく過程については、浦川通『AIは短歌をどう詠むか』(講談社現代新書)に詳しい。
本書によれば、著者の浦川は、ウィキペディア日本語版の記事から、短歌の定型を満たすテキスト1万件をデータとして、短歌の定型を学習させた「短歌AI」をつくった。
その「短歌AI」に、さらに俵万智の短歌2300首あまりをデータとして学習した「万智さんAI」なるAIをつくり、短歌を詠ませてみた。これが、2021年3月のこと。
俵万智の作品(「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ『サラダ記念日』)の上句を「万智さんAI」に提示して、新たに下句を生成させてみたのだった。
その「万智さんAI」が詠んだ短歌は、こんな感じ。
元歌 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
AI 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と言われたような言の葉がある
また、「万智さんAI」と同様に、今度は、永田和宏の短歌作品を学習したAIもつくった。永田の作品を学習した「永田さんAI」は、永田の作品(きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり『メビウスの地平』)の下句を次のように生成した。
元歌 きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
AI きみに逢う以前のぼくに遭いたくて裏山を登れば五月の湿り
と、こんな感じで、AIに、俵万智の短歌作品をデータとして学習させれば、俵万智風の作品を生成することができるし、同様に、永田和宏の作品をデータとして学習させれば、永田和宏風の作品を生成することができるのである。
ここまでが、実際に「短歌AI」ができたことだ。
こんな感じで、「短歌AI」は短歌を詠めるわけであるから、もし、この「短歌AI」に、「万葉集」をデータとして学習させれば、文語による万葉集風の作品を生成する「万葉AI」みたいなAIがつくれるであろうし、あるいは、現代口語短歌をデータとして学習させれば、現代風の作品を生成する「口語短歌AI」をつくることができる、ということなんだろう。
これが、現時点のAIの実力だ。
じゃあ、AIがこのまま順調に成長していけば、AIは、人間が詠む以上の短歌を生成できるか。というと、残念ながら、そういうことにはならない。
「短歌研究」2023年8月号の座談会で(坂井修一、澤村斉美、佐佐木定綱による座談会「AIは短歌の敵か味方か。」)、坂井修一は、AIの限界を、次のように端的にして明快に述べる。
はっきりしているのは、塚本邦雄以前に塚本邦雄の歌は絶対に作れないし、斎藤茂吉以前の歌を全部学習しても斎藤茂吉の歌はChatGPTでは作れない。(前掲書)
当たり前といえばその通りで、結局、「短歌AI」はこれまでの作品の模倣をすることしかできない、いうことなのだろう。つまり、「短歌AI」が生成する短歌というのは、あくまでも俵万智風であり永田和宏風である、ということだ。
けれど、現時点ではそんな模倣の段階だけれど、そのうち、創造性を身につけた、新たな人工知能が開発されるかもしれない。限界を突破したあらたな「短歌AI」の誕生だ。もし、そんな人工知能が開発されたら、それは、短歌文芸の一大転機になるだろう。ただ、それは、短歌文芸にとっては一大転機かもしれないが、そんなAIをわざわざ開発をする商業的価値は、AI開発のような最先端産業にはどうにも見いだせないので、多分、開発されることはないと思う。
一方、いくつかのキーワードをいれると、それに見合う短歌を生成する、というAIもつくられている。
こっちの方が、AIの使い道として、商業的価値が生まれそうである。
例えば、歌人の木下龍也は、「お題」を受けて「あなたのための短歌」をつくる、ということをプロフェッショナルとしてやっているが、木下とまったく同じことをAIはできる。
前掲の浦川通『AIは短歌をどう詠むか』では、その木下とAIによる短歌イベントの模様が紹介されている。
そこでは、木下龍也の作品を学習したAIが、木下を模倣して「あなたのための短歌」を生成した。
「お題」は、自分らしい仕事とは何かと悩む20代の図鑑編集者のための短歌である。
木下 青い実が赤く染まってゆくようにらしさはいずれきみに追いつく
AI 何者も調べたことのない言葉とても素朴で遠くから来る
なかなかいいところまでAIは生成している。
これまでは、木下龍也にお願いしないと、わたしにぴったりの短歌は作ってもらえなかったけど、これからは、AIにお願いすれば、たちどころに(おそらく1秒ほどで)10や20やそれくらいの短歌を生成してくれる、ということになるかもしれない。そして、ユーザーは、そのなかから、今の自分の気分にあう一首を「自分のための短歌」として、選べばいいのである。
ユーザーが、「短歌AI」に、「今の私の気分にぴったりの短歌を詠んで」とか「悲しい私をなぐさめて」とか「好きな人に気持ちを伝える短歌を作って」とか、そんな「お題」なりキーワードなりを入力すれば、AIはたちどころに、そんな「お題」なりキーワードなりにあう短歌を生成してくれる、ということになろう。
そして、もし、そんな「短歌AI」に一定数の需要が生まれる、ということになれば、あっというまに「短歌AI」に商業的な価値が生まれて、より高度で上手い短歌を生成する「短歌AI」が開発されていくことになるだろう。もしかしたら、そこでは、人間以上に上手に短歌を詠むことができる、なんていうAIが、誕生するかもしれない。
……と、ここまで話を進めたけれど、ちょっと、立ち止まってみよう。
そうした短歌の生成が、はたして、ホントに「短歌を詠む」ことなのだろうか。
もし、塚本邦雄でも斎藤茂吉でもない、この自分自身が、自分のために短歌を詠みたいのであれば、自分の代わりは必要ない。自分のために詠むのだから、自分の思うままに詠めばいいだけのことだ。
けど、もし自分ためではなく、たとえば、他者のために何らかの商業的対価を期待して短歌を詠もうとするならば、そんな作業はこれからAIににかないっこない、ということなのだ。
……そういうわけで、短歌は誰かのためではなく、自分のために詠んだほうがいいんじゃないのかしら、というのが、2025年時点でのAIが短歌を「詠む」ことについての筆者の見解だ。
・AIは短歌を「読む」ことができるか
続いて、短歌を「読む」ということ。
こちらもまた、AIは、ちゃんと短歌を「読む」ことができる。
とくに、生成AIのモデルであるChatGPTが、一首評くらいならスラスラと「読む」ことができることについては、すでに多くの場で言われていることである。
たとえば、先にあげた座談会で、佐佐木定綱の次のChatGPTに対する発言が分かりやすいだろう
自分の歌や誰かの歌を打ち込んでみて「この短歌の評をお願いします」という感じで入力しています。つらつらと「この短歌は自然の美しさを表現しており……ここの部分は自然の生命力を……この歌は生と死の循環を表現している美しい一首です」みたいな感じで、僕らがいつもやっている一首評と同じようなことをやってくれます。なかなか的確ですし、見えていない点などを上げてくることもあって、「すげえな」と思っています。(「短歌研究」2023年8月号)
自分の作品を「読んで」くれて、それだけじゃなく、「なかなか的確」な評までしてくれるのであったら、たとえそれが人間ではないAIだったとしても、当事者なら嬉しいかもしれない。AIが自分の一番の読者になってくれるのだ。
あるいは、自分ではどうにも読めない、よく分からない短歌作品を、自分のかわりにAIが読んでくれることで、その短歌作品がよりよく読めることになるんだったら、ユーザーである自分にとって、AIは使えるツールだ、ということになろう。
けれど、やっぱり、そんなAIにも限界はある。
それは何か。というと、AIには、良し悪しの価値判断ができない、ということだ。
つまり、一首についての評はできる。それは、なかなか的確にできるし、見えていない点を上げてくることもする。しかし、その作品が、結局のところ、秀歌なのか凡歌なのかのジャッジは、AIにはできないのだ。
いい作品とそうでない作品のジャッジメントができない。
これがAIの限界だ。
では、なぜ、AIは、いい作品とそうでない作品のジャッジメントができないのか。
といえば、短歌作品の良し悪しをジャッジメントする客観的な判断基準というのが、この世には存在しない、ということに尽きる。
基準が存在しない以上、判断しようがないのだ。
しかし、それでも、何らかの判断基準をとりあえず設定することにすれば、作品の優劣を判断することはできるだろう。
たとえば、「短歌AI」開発の現場では、短歌投稿サイトに投稿された歌のなかで「いいね」の数が5以上ある短歌をAIに学習させる、という試みがあるという。(浦川通、睦月都、大塚凱による鼎談「AIとヒトはなぜ歌を詠むのか」「短歌研究」2025年1・2月合併号)
この場合は、「いいね」の数が多い、というのを、秀歌の判断基準にしたわけだ。
さあ、この判断基準、これをわたしたちは認めるか。
ただし、これは、わたしたちが普段からやっている歌会の選歌と同じ話ではある。つまり、歌会では、もっとも票が集まった作品をその歌会の一席としているわけだけど、その一席が、すなわち秀歌なのか、ということだ。
いい作品とは何をもって「いい」というのか。そんな、根源的な問いを、「短歌AI」は、つきつけているといえるのだ。
なお、もし、短歌の世界で、「いいね」の数が多いのがすなわち「いい歌」である、というコンセンサスが得られた場合は、ここまでの課題はすべて解消される。つまり、AIの限界は、たちどころに克服される。
AIは短歌の良し悪しをたちどころにジャッジメントできるようになる。
では、そんなジャッジメントができるようになった「短歌AI」がつくられたら、短歌の世界はどうなるか。
というと、今ある短歌新人賞に、選考委員はいらなくなるだろう。選考は、AIがやればいい。(ただし、応募はテキストデータということになる)。おそらく数秒で選考結果と選考理由が生成されるだろう。
もちろん、新人賞だけではなくて、「迢空賞」とか「前川佐美雄賞」とかもAIが選考してくれる(ただし、歌集が電子化されていることが前提だが)。あるいは、新聞や雑誌の投稿の選歌も、AIが瞬時にやってくれる。なんなら、明日の歌会の一席もAIが決めてくれるようになるのだ。
そんな短歌の世界、求めている人なんて、はたしているのだろうか。
……そういうわけで、いい作品の客観的な基準なんてのは、この先も存在しない方がいいんじゃないのかしら、というのが、2025年時点でのAIが短歌を「読む」ことについての筆者の見解だ。
今年(2025年)は、塚本邦雄の没後20年のメモリアルイヤーである。
これから、短歌総合誌をはじめとして、さまざまなところで、塚本邦雄の歌業を振り返る特集やイベントが組まれる、と思う。
2024年には、書肆侃侃房から尾崎まゆみ編『塚本邦雄歌集』が出版された。こちらは、『水葬物語』『日本人靈歌』を完本で収録。巻末の年譜も詳しい。1600首も収録されているから、お手軽とはいえないかもしれないが、塚本の膨大な作品群からすれば、実によくまとまっていよう。これを手に、メモリアルイヤーを闊歩していくといい。
塚本の60年に及ぶ長く膨大な歌業を、たった一言で言い表すならば、「反写実」ということに尽きよう。それは、第二芸術論への実践的な反証としてのアンチであり、明治から続いた近代短歌へのアンチでもあった。
そして、そのアンチを生涯貫いたところに、塚本の「反写実」性があった。かつて岡井隆は、塚本を「反写実の鬼」と称したが(初出は「東京新聞」2005年6月14日付)、生涯「反写実」を貫き通した点も、塚本を「鬼」と称した理由のひとつといえよう。
塚本の歌業は60年にわたるから、どうしても前衛短歌とくくられる活動初期の革命的な「反写実」性についてだけ論じられる傾向にあるが、今回のメモリアルでは、塚本の作風を包括的に論じた議論もなされることに期待したい。そうした議論のなかで、改めて、塚本の「反写実」性の評価がなされるものと思われる。
筆者は、塚本の「反写実」性を論じるとき、前者の第二芸術論へ対する実践的反証とするアンチの功績は認めるが、後者の近代短歌のアンチについては成功したとはいいがたい、と思っている。
すなわち、塚本が生涯にわたって鬼となって実践した「反写実」性の歌作というのは、いわば、短歌文芸が「写実」の呪縛からは逃れ得ない文芸であった、ということを、ひたすら証明したものであったと思うのだ。短歌文芸は「写実」の呪縛からは逃れられない、ということ。この点を明らかにしたことこそ、逆説的ながら塚本の功績と考えている。
この筆者の主張に反論があるのであれば、試しに、皆さんの手元にある、短歌雑誌でも結社誌でもアンソロジーでも何でもいいから開いてみたらいい。果たして、そこにある短歌作品は、どんなものか。
その多くは、自分の日常に取材した、「写実」的な作品ばかりではないだろうか。塚本のような、近代短歌のアンチ作品はいかほどか。つまり、短歌文芸は、明治から令和の現代にいたるまで「写実」作品が連綿と続いているのだ。どんなに塚本が「反写実」作品を作り続けたとしても、いまだに、短歌文芸は、自分の身の回りに取材をし、見たものをそのまま叙述するという近代短歌の流儀によっている作品が主流なのである。
塚本がその生涯をもって、短歌文芸は「写実」性の文芸である、ということをひたすら証明したのだとしても、作品の「私性」についていえば、塚本の「反写実」性の出現というのは、短歌文芸の世界に大きな転回をもたらした、ということはいっておきたい。大げさにいえば、それは、コペルニクス的転回とでもいえるものだった。
すなわち、<わたし=作者>の「私性」から、<わたし≠作者>の「私性」への転回だ。
作品のなかの<わたし>は、<作者>ではない、ということを明確にしたのが塚本の「反写実」による「私性」だった。
この転回によって、短歌の世界は明治から連綿と続く、和製「自然主義」文学からやっと脱皮が可能となったのだ、というのが筆者の見立てだ。
ただし、急いで付け加えるならば、いまだ和製「自然主義」で安住している作品も多くある。だって、その方が楽だから。つまり<わたし=作者>で作品を叙述するほうが大方の作者にとっては楽チンなのだ。
けれど、時代は流れる。
ここでいう時代というのは、大きくいえば、わが国の社会の個人主義の浸透とか、小さくいえば、短歌の世界の完全口語化の流れとか、そういうものだけど、そうした時代の流れによって、「自然主義」に寄りかかった短歌作品はだんだんと減っていくだろうというのが、筆者の予想だ。
それはともかく、<わたし≠作者>の「私性」の出現によって、短歌作品は、必然的に「テクスト分析」の手法による「読み」を余儀なくされるようになっていった。
何をいっているのか、というと、こういうことだ。
革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつしてゆくピアノ
塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』の巻頭歌にして、塚本の代表歌。この作品が、「私性」の転回であり、「反写実」短歌の実践の端緒だ。
この作品、これまでの近代短歌の「写実」による「わたし=作者」の「読み」では、どうしたって読めない。
塚本邦雄という<作者>は、作品には存在していないし、少しずつ液化していくピアノなんてのは、この世に存在するわけがない。つまり、これは幻想の世界、あるいは超現実の世界の叙述ということ。つまりは、虚構(フィクション)なのだ。
じゃあ、だんだんと液化していくピアノをみているのは誰か。というと、これは、小説世界では作中人物とか主人公とかいうことになるだろう。しかし、短歌の世界は、それまで、作中人物とか主人公とかを持ち出して、作品を「読む」なんてことはしなかった。だって、そんな呼称がなくても、作品を「読む」ことができたから、そもそも必要がなかったのだ。短歌の世界では、こうした作中人物や主人公のことを80年代以降は「主体」と呼ぶのが一般的になっていよう。
塚本のこうした作品は、これまでの「わたし=作者」の「読み」では読めなかったから、ややしばらく批評の場には載らなかった。
こののち、短歌雑誌の編集者などの理解もあり、塚本作品は、これまでの短歌作品とは毛色を異にする、すなわち「前衛短歌」として認められるのだけど、そのときに必要なのが、「わたし≠作者」の「読み」だった。
つまり、だんだんと液化していくピアノという状況を叙述しているのは<作者>には違いないが、その場に居合わせている<わたし>は、<作者>ではなくて<主体>である、という「読み」だ。
この「わたし≠作者」の「読み」によって、例えば、「革命」という言葉の持つコノテーションとか、あるいは、ピアノが液化していくという喩性とか、あるいは、句割れ句跨りによる韻律の革新とか、あるいは、超現実主義思想の短詩型文芸への導入とか、そういうテクストを解釈することによって、この作品は理解されたのである。
このようにして、塚本による前衛短歌は、「わたし≠作者」という「読み」によって、短歌の世界に新しいステージをもたらしたのだ。
しかしながら、そうした「わたし≠作者」による「読み」というコペルニクス的転回をもたらした塚本作品なのに、どうしたわけか「わたし=作者」の影を見出そうとする「読み」も存在する。
それは、次の作品に代表される「読み」だ。
五月祭の汗の靑年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる 『裝飾樂句』
この作品が提出された当時、塚本は結核のために療養しており、この作品の「病むわれ」というのは塚本であり、塚本の心象を作品にしたものだ、というように解釈する「読み」だ。つまり、「わたし=作者」の従来の近代短歌の「読み」に基づいているといっていいだろう。
筆者は、こうした「読み」に出会うとき、短歌の「自然主義」文学からの呪縛をみる。どうしたって「わたし=作者」とする心性から、短歌ってのは逃れられないのだな、と思う。近代短歌のアンチである塚本の作品を、近代短歌の「読み」で解釈しようとする。実に、滑稽なことだとも思う。
はたして、塚本の没後20年たった今年、こうした「読み」がいまだなされるのか、そんなところにも注目するといいのではないか、と思う。
塚本の作品はどうしたって難解だから、その喩法(メタファーやらコノテーションやらアレゴリーやら)や技法(句切れやら句跨りやら縁語やら序詞やら)について、それなりの素養がないと、作品の解釈ができない。読んだところで、作品に秘められた意図がわからない、ということになる。そこで、先達の解説書を片手に作品の意図を理解していこうとする。
そんな解説書を片手にしての作品理解というのは、作品の韻律を味わい叙情にひたるという、ごくごく普通の作品鑑賞、というよりは、作品に隠された手の内を探り当てるという、いわば謎解きのような思考で作品を愉しむということに近い。
つまり、謎解きのヒント集が解説書であって、そのなかでも、なんというか、そんな作品の手の内を鮮やかに明かしているかのような解説を読むと、読者としては、ああそういうことかとモヤモヤ感から解放されてスカッとする、いうことになる。目からうろこがおちる、といってもいいかもしれない。
たとえば、この作品と解説がそうではないか。
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも 『日本人靈歌』
この作品を解説書なしに理解することはほぼ不可能だ。
一体、この作品は、何を言っているか。作品の隠された意図は何か。
そこで、菱川善夫の解説の力を借りてみる。
菱川は言う。
すなわち、この一首の解読にとって、もっとも重要な鍵となっているのが、「皇帝ペンギン」と「皇帝ペンギン飼育係り」である。このイメージは、いったい何をわれわれに暗示するだろう。その読み取り方によって、作品の世界は大きく変化する。あの黒い燕尾服を着て、手を垂れて佇っている「皇帝ペンギン」は、象徴天皇制の中で飼われている猫背のエンペラー、すなわち天皇ヒロヒトの存在を、われわれに強く想起させるイメージではあるまいか。「皇帝ペンギン」が、天皇ヒロヒトの喩であるなら、「皇帝ペンギン飼育係り」は、当然、主権者となって彼を飼育する日本国民の喩に転化する。(菱川善夫「前衛短歌の収穫Ⅰ」『歌のありか』所収)
この菱川の「読み」は、明確だ。
そうか、皇帝ペンギンてのは、昭和天皇のことだったのか。
短歌ってのは、そんなところまで表現できる文芸なんだなあ、と、目からうろこ状態になるわけだ。
けど、21世紀の塚本も菱川もこの世にいなくなった現在、こうした「読み」を再読しても、やはり、そこまでテクストからは読めないだろうと筆者は思う。
どう読んでも、皇帝ペンギンを昭和天皇に喩えている、というのは、テクストからは無理がある。もし、そうだと塚本が主張したのであれば(主張していないけど)、それは、出来の悪いミステリ作家の戯言と変わらないと思う。
たとえば、三省堂「現代短歌大辞典」のこの作品の項で、坂井修一は次のように解説する。
「日本脱出したし」と切り出し、一字あけに続き、残り全部を使ってその主語を述べる、という大胆な作りである。句またがりが三箇所にあり、かたくたたみかけるリズムをこしらえている。「皇帝ペンギン」も「皇帝ペンギン飼育係り」も日本を脱出したい、というが、できないことは明らかであり、その願いが切実なものであればあるほど、彼らは、不本意な日常を自覚する。それゆえに、彼らは戯画の登場人物となってしまう。「皇帝ペンギン」の白黒に黄色の混じったあざやかな視覚的イメージや、独特の言葉のイメージは、ここで効果的である。「皇帝ペンギン」を天皇ととらえ、「飼育係」に日本の国民とみる読みが、菱川によって示された。それも含めて、この歌からは、当時の日本社会の構造全体を戯画化して皮肉ろうとする姿勢を受けとめるべきだろう。(三省堂「現代短歌辞典」)
テクスト分析にもとづいた、実にバランスの良い解説だと思う。辞典である以上、菱川の言説にも後半は触れつつも、これを全て肯定しているわけではないところが、この解説のバランス感覚のすぐれたところだ。
こうした、誠実なテクスト分析が、これからも、塚本作品でなされるかどうか、そういったところも、現在の短歌の世界の「読み」の成熟度をはかる指標といえるだろう。
そういうわけで、今年の塚本邦雄のメモリアルを楽しみにしていこう。
宮沢賢治文学の出発点は短歌だと言われている。短歌を書き始めたのは、明治44年県立盛岡中学時代、ちょうど自我の意識が芽生えるころだ。父親との葛藤はよく知られているが、押しとどめることのできない自我意識や思春期の感情を初めに託した文学形式が短歌だということは興味深い。五・七・五・七・七の定型が思春期の心情を滑らかに表現するには適していたのだろう。
また、ちょうどそのころ短歌は近代の黄金期を迎えていた。若山牧水、前田夕暮、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、北原白秋、斎藤茂吉らが素晴らしい歌集を次々と発行している。特に賢治は盛岡中学出身の石川啄木には大きな関心を寄せていた。これらの文学作品に目を通し、時代の息吹を柔軟に吸収した賢治にとって短歌からの出発は自然の成り行きでもあったのだ。(佐藤通雅編著『アルカリ色のくも』参照)
短歌創作期間は、賢治が盛岡高等農林学校研究生を終了し、将来の進路や信仰をめぐって父と対立、東京の国柱会で活動していた大正10年(満25歳)でほぼ終息した。短歌集は作らず、歌稿として八百余首の短歌が残っている。歌稿にはAB二つの形態があるが、ここではちくま文庫『宮沢賢治全集3』にある通し番号で見ていきたい。
み裾野は雲低く垂れすゞらんの
白き花咲き はなち駒あり 一
県立盛岡中学時代に作られた歌である。素直な短歌であり、出発点と言ってよいだろう。岩手山登山の時に詠われた。白いすずらんの花と放牧された馬の群れが鮮やかに風景として切り取られている。岩手山は岩手県の最高峰であり、童話や詩作品にもよく描かれ、賢治の心象風景の大切な場であった。文学の出発点、初期の短歌の中にすでにその場が現れているのは興味深い。
霧しげき
裾野を行けば
かすかなる
馬のにほひのなつかしきかな 二四五
盛岡高等農林学校時代の作。繊細で感覚的だ。こちらも岩手山麓の馬の放牧が詠われている。賢治は一人で山歩きをしたと言われているが、この日は霧が濃く前が見えない。かすかに馬の匂いがし、放牧の情景が頭の中に浮かんだのであろう。馬の匂い、生き物の気配にほっとした親近感を抱くほど、霧の立ち込める岩手山は、厳しく人を寄せ付けない異界の場であったと思われる。
岩手山は「霧山岳」という呼称で短歌に度々登場する。岩手山(霧山岳)が舞台となった短歌をあげてみる。
雲とざす
きりやまだけの柏ばら
チルチルの声かすかにきたり 四五七
この短歌は歌稿B「大正六年四月」見出しの作品群に収められている。盛岡高等農林学校時代の作品である。チルチルはメーテルリンク『青い鳥』の主人公の名前である。『青い鳥』ではチルチルが柏の木に、木こりである彼の父親が、自分たちの仲間を切ったとして非難される場面が出てくる。賢治作品特に童話にみられる、意に反して敵対する複雑な自然と人間の関係がここでも生じている。チルチルの声は道をさがす無垢な少年の声ばかりではなく、自然界と人間界の狭間を逡巡する迷いの声でもあると感じてしまう。
さらさらと
うす陽流るゝ紙の上に
山のつめたきにほひ
あやしも 五〇九
二四五の短歌同様、ここでも「にほひ」が詠われる。賢治作品には様々な匂いが登場するが、短歌において、その匂いは馬にしても山にしても眼前には登場しない幻のにおいであることがおもしろい。ないものの気配存在を匂いで感じ取る。匂いが霊的な存在と交信するかのような神秘性を帯びていく。前述のチルチルにしても声だけで姿が見えない。異界の世界、幻想をつねに感じていた賢治作品の特徴が短歌にもすでに現れている。
詩編には「岩手山」と題された短い作品がある。
岩手山
そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの (一九二二、六、二七)
「古ぼけて黒くゑぐるもの」とは火口だろうか。この詩では岩手山は禍々しい霊的な姿を見せる。この世の闇、修羅を一手に背負い、在り続けているような錯覚さえ与える。一瞬通り過ぎる匂い・声、幻視。短歌では、幻想の世界が一過性のものとして岩手山の土地の気が詠われていたが、詩になるとそれが確固たる実在として眼前にリアルに現れてくる。短歌でとらえた一瞬の気があるからこそ、後の詩作にそれが脈々といかされ息づいてきたのであろう。
今日よりぞ
分析はじまる
瓦斯の火の
しづかに青くこゝろまぎれぬ 二八二
盛岡高等農林学校時代の作品である。授業中の実験であろう。瓦斯の火の青さがその場の中心にある。分析への意気込みとともに凛とした静かな緊張感が部屋全体を包んでいる。実験に没頭し深く澄み渡っていく賢治の心情が読み取れる。
青ガラス
のぞけばさても
六月の
実験室のさびしかりけり 三二四
ここでの青ガラスは元素の炎色反応を見るときに使われるコバルトガラスだと指摘されている。青く美しいガラスを通してみた6月の実験室はさびしい。青とさびしい感情が結びついている。賢治の作品には青がさびしい感情と結びついているものが多い。6月は植物が緑を増し、雨が降り、自然がざわめく季節だ。生き物の気配に満ちた外部の世界、静かな内部の無機質な実験室。それは生きていることの根っこにある寂しさを感じさせる場であったのだろう。
二首いずれも実験室の中の光景である。実験器具やガラスを通し、その無機質な装置や物体から醸し出す青、身近なものであった青が、感情を持つ色へと賢治の中で大きな意味合いを持っていくようになるのが興味深い。
賢治の青は更に死のイメージへと変遷していく。
大正7年、盛岡高等農林学校卒業後「青びとのながれ」という十首の連作を描いている。ここから四首紹介したい。
青じろき流れのなかを死人ながれ人々長きうでもて泳げり 六八一
うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり 六八三
溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり 六八四
あたまのみひとをはなれてはぎしりし白きながれをよぎり行くなり 六八九
現在の東日本大震災と重なってくる歌だ。北上川と猿ヶ石川の合流する地を賢治はイギリス海岸と名付けているが、このイギリス海岸を沢山の死人が流れていく幻覚を度々見ていたようだ。この地は昔から災害が多い土地でもある。賢治の詩「原体剣舞連」に登場する「達谷の悪路王」(坂上田村麻呂に討伐された蝦夷の族長)など先住民との争いででた多数の戦死者もこの地に存在した。(佐藤通雅編著『アルカリ色のくも』参照)災害や戦争、長い歴史の中で葬られた人たちの声が無数の青びととなり、川を流れていく。歌稿B(後に分かち書きで清書したもの)では、この連作を賢治ははずしてしまう。生々しい表現がきついと思ったのか病的に偏りすぎていると捉えたのか。思春期、青年期の短歌はやがて詩作へと向かう賢治の意識または抑圧された無意識の累積をみる上でとても重要だ。
詩集『春と修羅』の有名な序には「わたくしといふ現象」を「ひとつの青い照明」と述べているが「青びとのながれ」連作を読むとこの序の「青い照明」もまた違ったものに感じられる。幻視を通し、死者の姿、土地の歴史、風景の中で止まっている時間がわたくしといふ現象と混ざり合う。それら雄大な命の連鎖をすくいとった明滅が、寂しく屹然と時空を遡り、「わたくし」から宇宙空間へと解き放たれていく。
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
この4行から始まる「薤露青」は『春と修羅』第二集に収められた詩編である。みおつくしの浮かぶ水面と広大な宇宙が響きあい交わりながら、幻想的で美しい空間を創り上げている。対極にあるミクロの小さな薤露、その中にも宇宙はあり、光に反射する聖らかな青は儚げに保ち続ける命のようだ。切迫した多層の詩空間に死んだ妹、トシの声が交じってくる。
.……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう......
このように歌いながら「かなしさは空明から降り」と続けて嘆くこの詩には美しい詩空間の中に最愛の妹を失った賢治の複雑な心情が読み取れる。南十字星・プリオシンコースト・蝎座など「銀河鉄道の夜」とプロップが重なる作品世界だ。薤の葉の上のはかない露、命。それらが託す詩情の青。短歌で詠われた青は、やがて詩や童話でさらに進化し生者と死者をつなぐ宇宙と交わる。広大な世界観として成立していく。
参考文献
佐藤通雅編著『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』(NHK出版 2021年)
板谷栄城著『宮沢賢治の、短歌のような 幻想感覚を読み解く』(日本放送出版協会 1999年)
宮沢賢治研究会編『[評釈]宮沢賢治短歌百選』(地人館 2023年)
ちくま文庫『宮沢賢治全集』(筑摩書房)