臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅢ・水曜夕刊早刷版)

2014年08月13日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(富山市・松田わこ)
〇  今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート

 高野公彦選の九席として既出であるが、第一志望の中学に合格した女子生徒の制服への愛着度の強さを示していて余りある一首かと思われる。
 〔返〕  今日からは夏服風が吹く度にチラリと魅せますプリーツスカート


(西宮市・室文子)
〇  塾だって楽しいことが盛りだくさんお弁当タイム雑談攻撃

 今週の馬場あき子選は一席、二席と「学童タイム」なのである。
 「お弁当タイム」の「雑談攻撃」の格好の的は、室文子さんでありましょうか?
 「私たちは、どうせ文子さんが短歌を詠む時の材料にされるのに決まっちゃってるから、喋らない方が損だわよ!この際、私は何でも喋っちゃうから、文子さんも遠慮無しに私たちのことを材料にした短歌を沢山作って頂戴!」などとの、激しい「雑談攻撃」が展開されるのでありましょうか?
 〔返〕  塾なれば楽しいことが盛りだくさん雑談攻撃の的は先生  


(近江八幡市・寺下吉則)
〇  イスラエルの<自衛権>より放たれてガザの幼女にとどきたる砲弾

 永田和宏選の二席として既出。
 〔返〕  イスラエルのガザ攻撃に事借りて朝日歌壇の入選狙う


(水戸市・中原千絵子)
〇  大き根を宙に突き上げ炭になりし国泰寺の楠悼む原爆忌

 『ひろしま文化大百科』の記すところに拠ると、「クスノキは、適潤で土壌の深い土地を好むので、太田川デルタの沖積地に発達した広島市街地にはよく育ち、戦前はあちこちに大木が見られた。特に有名であったのは、かつて国天然記念物に指定されていた<国泰寺の樟>(4株)で、現在はないが以前日本銀行の南側にあった国泰寺の境内に壮大な樹冠を広げてそびえていた。最大の株が根を西方に張り出していたので、市電の通る街路はクスノキの根元をさけるように曲がっていた。広島市は<市の木>としてクスノキを選定している」とのこと。
 また、原爆投下の地・広島で被爆しながら、原爆の惨状をメモした手帳に基づいて著した小説『夏の花』などの作者として知られる「原民喜」(1905年11月15日~1951年3月13日)の残した『原爆被災時のノート』には、原爆投下直後の広島の惨状が次のように生々しく記録されている。

 即ち「八月六日八時半頃、突如空襲。一瞬ニシテ全市街崩壊。便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ頭ヲ打ツ次ノ瞬間暗黒騒音。薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ品物ハ飛散ル。異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血。恭子ノ姿ヲ認ム。マルハダカナレバ服ヲ探ス。上着ハアレドズボンナシ。達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル。江崎負傷ヲ訴フ。座敷ノ椽側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ。倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ踏越エテ泉邸ノ方ヘ向ヒ栄橋ノタモトニ出ズ。道中既ニ火ヲ発セル家々アリ。泉邸ノ竹藪ハ倒レタリ。ソノ中ヲ進ミ川上ノ堤ニ至ル。学徒ノ群十数名ト逢フ。ココニテ兄ノ姿ヲ認ム。向岸ノ火ハ熾ンナリ。雷雨アリ川ヲミテハキ気ヲ催ス。人川ハ満潮、玉葱ノ函浮ビ来ル。竜巻オコリ泉邸ノ樹木空ニ舞ヒ上ル。カンサイキ来ルノ虚報アリ。向岸ノ火モ静マリ向岸ニ移ラントスルニ河岸ニハ爆風ニテ重傷セル人、河ニ浸リテ死セル人、惨タル風景ナリ。/(ココマデ七日東照宮野宿ニテ記ス。以下ハ八幡村ノ二階ニテ)/筏ヲアヤツリテ向岸ニ渡ル。兵隊アリ重傷シテ肩ヲ借セト云フ。我肩ニヨリテ歩ミツツ死ンダ方ガマシダト呪フ。湯ヲアタフ。柳町ノネエヤハ火傷シ、桜ヲ抱キテココニノガレ居リタリ。華ハ橋ノタモトニテ別レタリト。饒津公園ノ樹ノ時折燃エントスルアリ。砂地ニ潮満チ、堤ニノボル。既ニシテ夜トナル。傷ケル女学生砂地ニ臥セリ。アア早ク朝ニナランカナ、オ母サント泣キワメク。水ヲクレ、水ヲト火傷ノ男、夜モスガラ河原ニテワメクアリ。オ母サン、オネエサン、ミツチヤント身内ノ名ヲヨブ女ノ負傷者ハ、兵隊サン助ケテ、助ケテヨト号泣ス。夜ハ寒シ、恭子ト兄トハ黒ノカアテンヲカムリテ睡ムル。ワレハイツノマニカネムツテシマツタ。警報アリサ。翌七日、兄ト恭子ハ焼跡ヲ廻リ、柳町ノ負傷者ハ東照宮下ニ治療所アレバ出向ク。ワレハ傷(砂地ニテ火ヲタキ、飯ヲモラフ)ケル兵隊ヲ一人肩ニ、トキハ橋ノトコロマデ行クココニテ兵隊ハ救助車ヲ待ツ。饒津公園ニ一ケ所水道ノ出ルトコロアリ。ビール瓶ニ水ヲクム。東照宮下ニ行ケバ華ガ無事ニ一夜ヲ人ニ保護サレテ居タコトヲ知ル。華モ顔ニ火傷セリ。三原ヨリ医師ノ応援アリテ施療ス。路傍ニ臥セル重傷者カギリナシ。頭モ顔モ脹レ上リ、髪ノ毛ハ帽子ヲ境ニ刈リトラレテ居リ。警防団ノ服ヲ着タ青年石ノ上ニ倒レ、先生、カンゴフサン、誰カ助ケテ下サイト低ク哀願スルアリ。兵隊サン助ケテトオラブ若キ娘アリ。巡査ハ一々姓名・住所ヲ記入シテ札ヲ渡ス故行列ハ進マズ。暑シ。華子ト兄ト原田好子漸ク手当ヲ受ケテ境内ニ帰ルニ、木蔭ラシキモノモナシ。崖ニ材木ヲ渡シテ屋根トシ、ソノ下ニ一同潜ム。江崎モコノ時手当ヲ受ケテココニ来ル。警報アリ。爆音キコユ。握飯一人ニ一個クレル。隣ニハ両手ト足ヲヤラレ、傷ケル男アリ。パンツガ半分躯ニクツツキフラフラ。安藤、三四郎ムスビヲ持チテ来ル。石段下ノ湧ク水ヲビール瓶ニ汲ミ、カバンヨリクサグサノ品ヲトリ出ス。アタリニハ負傷者倒レ、死ニユクモノ、女子商業ノ生徒水ヲ求メテウメク。顔ヲ黒焦ゲニシテ臥セル婦人、万身血マミレノ幹部候補生、フン尿、蠅不潔カギリナシ。東照宮ノ欄間ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ燈籠ノ石モ倒レルアリ。隣ノ男、食ヤ水ヲ求ム。夕グレトナレバ侘シ。女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム。夜ハ寒々トシテ臥セル地面ハ固シ、翌朝目ザメテ肩凝ル。広島駅ノ方ヘ行ツテ見ルニ、広島ノ街ハ満目灰白色ナリ。福屋ナドノビルワヅカニ残ル。馬一匹練兵場ニサマヨフアリ。駅ニハ少年水兵作業ヲナス。横川ヨリ、汽車アル由キイテ帰ル。臥屋ニ帰レバ陽アタリテ暑シ。昨夜ノ黒焦顔ノ婦人既ニ死ニ、巡査シラベルニ、呉ノ人ナルコトワカル。学徒モ日ナタニ死ニタリ。念仏ノ声モキコユ。シカルニ何ゾヤ、練兵場ニハラツパヲ吹クアリ。安藤ニギリメシヲ持参、何気ナク食ヒ、コノ悲惨ナル景色ヲ念頭ニオクトキ、梅ノ酸胸ニツカヘテムカツキサウニナル。水ヲノム。石段下ノ涼シキトコロニ一人イコフ。我ハ奇蹟的ニ無傷ナリシモ、コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ、サハレ仕事ハ多カルベシ。練兵場ニ行キ罹災証明ヲモラツテ居ルト空襲ケー報。爆音アリ。身ヲ臥ス。オートミイルヲ出シ、鍋ヲ借リテ作ル。ウマシト一同讃ズ。ヒルスギ、廿日市ヨリ兄来ル。アブラ菓子ト桃ノ救援ニ息ヅク思ヒアリキ。馬車ヲ傭ツテアレバ、八幡村ヘ移ルコトトナル。暫クシテ馬車モ来ル。一同ハ之ニ乗ル。馬車ハ饒津ヲスギ橋ヲ渡リ、白島ヨリ電車道ニ出ル。泉邸ノ路ヘ入ルアタリ、練兵ヨリニ何カヲ認ム。降リテカケツケルニ文彦ノ死骸アリ。黄色ノパンツトバンドガ目ジルシ、胸ノアタリニ桃位ノ塊リアリテ、ソコヨリ水噴ク。指ハカタク握リシメ、顔ハ焦ゲ、総ジテ大キクフクレタ姿ナリ。ソノホトリニ修中生徒ト女ノ死骸、女ノ身悶エシママ固クナレル姿アハレニモ珍シ。爪ヲトリテココヲスグ。福屋モ内部ハスベテ焼ケタリ。電車ノ焼ケタアトマダ火ノ気ノ強キトコロナド国泰寺ノ楠モ倒レタリ。墓石モ散ズ。市役所辺ニハ人多シ。浅野図書館モ死体収容所ト貼出サレテアリ。住吉橋ノアタリ、死骸アリ。馬ノフクレテ死セル。茂ノ姿アリ。馬車ニノル。不思議ト橋ハ墜チテ居ナイ。橋ノトコロニ負傷者ヲ入レル小屋モアリ。草津アタリマデ来ルト漸ク青田ノ目ニハイル。トンボノ空ヲナガレル。人家ハ破損スレド既ニ惨タルモノハ薄ラグ。宮島線ノ電車ハスズナリ、海岸ニ厳島ヲ見ユ。夕刻八幡村ニ馬車入ル。看護婦来リテタダチニ火傷ノ手アテ。九日、廿日市ニ行キ、台八ニ荷ヲツミテ帰ル。汽車ノ窓カラアノ朝、落下傘ガ三ツ落チテキタト云フ。又人ノ話デハ、落下傘ヲ見テ間モナク強烈ナ光線ガ見エ、次イデ音響ガシタト云フ。誰モガ自分ノ家ダケ爆弾ガ落チタト思ツタ。光線ニ皮膚ヲアテタモノハコトゴトク火傷シタ。ソノ火傷モダンダンヒドクナル性質ノモノラシイ。紙屋町デハバスノ行列ガ立ツタママ死ンデ居リ、前ノ人ノ肩ニ死骸ハ手ヲカラメテヰル。西練兵デハ二部隊ガ殆ドヤラレタ。川ノ梯子ヲ昇リカケタママ死ンデヰル姿モアル。私ノ見タトコロデモ死骸ハ大概同ジヤウナ形ニナツテヰタ頭ガヒドクフクレ。顔ハマル焦ゲ、胴体モ腕モケイレン的ニフクレ上ツテヰル。火傷者ノ腕ニ蛆ガ湧イタリスル。十三日後ニナツテモ広島市デハマダ整理ノツカヌ死骸ガ一万モアルラシク、夜ハ人魂ガ燃エテヰルト云フ。学徒モ四名死亡。浅水ノ婆サンモ前田ノ嫁達モ火傷者デナクトモ毛髪ガ抜ケタリ。喀血シテ死ヌル人ガソノ後増エテヰル。広島ヘ埋メタ品ヲ掘リニ出掛ケタ人モ元気デ行クガ帰リハ病人トナツテヰルトカ。唇ノ端ヤ手ノサキヲ一寸怪我シテヰタ人モ傷ガ急ニ化膿シテ死ンデ行ク。川ノ魚ハ二三日後死ンデ浮上ツタガソレヲ喰ツタ人ハ死ンデ行ク。日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル。蛙ハ焼ケタ後間モナク地上ヲ這ツテヰタラシイガ、コレモ死ニタルモノラシイ。今本ハ女房ノ死体ヲ探スノニ何百人ノ女ノ打伏セニナレルヲ起シテ首実検ヲシタガ腕時計ヲシテヰル女ハ一人モナカツタト云フ。」と。  (句読点は鳥羽が施す)
 本作の作者・中原千絵子は水戸市にお住いであるが、広島市の出身者でありましょうか?
 〔返〕  「水ヲクレ、水クダサイ」との叫び聴き詩人・民喜もたじたじとなる


(宮城県・須郷柏)
〇  いくさ負け農地改革なりし日の父の深酒浮かぶ八月

 本作の作者の御父君、即ち宮城県のお住いの須郷柏さんのお父さんは、いわゆる「不在地主」であったと思われるのであるが、如何でありましょうか?
 マッカーサー指令に拠って行われたとされる「農地改革」は、地主階級から搾り取られていた小作人にとっては「農地解放」であったが、地主階級にとっては「田畑略奪」であったのでありましょう。
 〔返〕  農地得し喜びに因る深酒を悔し涙の深酒と謂ふ


(横浜市・吉井信)
〇  ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ

 いろいろと並べ立てたものであるが、これらの死は必ずしも「二十世紀の日本のこと」とは限りません。
 〔返〕  ああガス死自動車事故死縊死水死腹上死なら経験したい
      忙殺に笑殺黙殺封殺と殺人手法と異なる殺意      


(仙台市・小室寿子)
〇  道のべに大工さんらは腰おろし南瓜作りのこつ話しており

 昨今は自前の大工さんたちはなかなか仕事に有り付けないので、大手の住宅販売会社の下請け職人化しているとか?
 〔返〕  大工さんは鉋砥ぐのに一時間世間話にもう一時間


(アメリカ・郷隼人)
〇  酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜のうまい

 高野公彦選の七席として既出済みと思われるが、いずれにしろ西瓜の美味い年は西瓜の当たり年だとか?(笑)
 〔返〕  酷暑日の外出先でゴチになる西瓜の美味さに感謝感激 


(東京都・宮野隆一郎)
〇  初蝉の啼きをるこゑに迎へられバスを降りたり再雇用の朝

 「初蝉の啼きをるこゑに迎へられバスを降りたり」という記述から推してみると、宮野隆一郎さんの「再雇用」先はダム工事現場の現場事務所でありましょうか?
 〔返〕  初蝉の啼きをるこゑに送られてバスに乗りたり裁判所への


(伊那市・小林勝幸)
〇  漱石の「夢十夜」をば読みさして朱く大きな月をみて眠る

 朝日新聞社への迎合精神も尽き果てることを知らずに、とうとう「夏目漱石」まで及んだのでありましょうか?
 〔返〕  漱石の「草枕」など読んでるが英語のところは飛ばして読もう


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