[高野公彦選]
○ 国債に疎き長持つわれらゆゑ太巻くはへ南南東向く (島田市) 小田部雄次
“恵方巻き”という悪習は、売れ残った海苔の処分策としてどこかの漁協が何処かの商人と結託して考え出した商策とか。
したがって、「太巻くはへ南南東向く」のは、バレンタインデーと称してチョコレートを贈答する若者以下の愚か者の為すことであり、そんなことまで菅直人首相の無能のせいにされたら、彼があまりにも不憫でありましょう。
事の序でに申し上げますが、昨今の世界情勢から判断して、どなたが総理大臣に就いても、例えば某党の某氏が政権を担当したとしても、逼迫かつ逼塞状態の日本の現状にはあまり変化がないと思われます。
〔返〕 商策に乗せられ易い愚か者太巻き咥え南南東向く 鳥羽省三
○ 上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識に半身浴の夜 (福山市) 大塚ゆず
林檎栽培のボランティアを八年間も遣って来た馬鹿者の立場から申し上げますと、福山市辺りで手に入る「林檎」が美味しい訳はありません。
したがって、「上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識」で「半身浴」をしていらっしゃった方が居られたとは信じられませんし、それが事実だとすれば、今後一切そんな愚にも付かない事をするべきではないと思われます。
入浴時は、おおらかなご気分で湯の中にどっぷりと浸かり、「上がったら」何も食べないで早々にお休みになられる方が宜しいかと思われます。
〔返〕 瀬戸内で採れる蜜柑は美味しそう林檎と違い手間がかからぬ 鳥羽省三
○ おひなさまもうお訣れでございます人形み寺に納めまゐらす (福井市) 甘蔗得子
福井市界隈にも人形寺が存在するのでありましょうか?
数年前のことですが、“人形寺”として知られた某寺に「納めまゐら」せたはずの市松人形がさる古物商の手に渡って、一体数万円で売買されたとのことです。
檀家制度の崩壊が叫ばれ、僧侶が葬祭業者の使い走りと化し、故人の供養も疎かにされがちな昨今に於いては、人形供養などは、犬猫の供養にも劣る全く無用な行為と思われます。
そんなことをしていたら、悪徳坊主と悪徳商人に儲けさせるだけのことでありましょう。
〔返〕 お雛様来年もまた宜しくね三月四日雛の収納 鳥羽省三
我が家のお雛様は、三月一杯飾っておくつもりです。
我が家で女性と言えば老妻だけですから、嫁き遅れの心配はありません。
でも、彼の女は彼女なりに、私以外の新しい配偶者を探している可能性が無いかどうかまでは、私は知りませんが?
○ ものうげなつとめかよひぢ いできたるいぬかきなでてけしきやはらぐ (逗子市) 荒木陽一郎
本作を“漢字ひらがな混じりスタイル”で表記すれば「物憂げな勤め通ひ路出で来たる犬掻き撫でて気色和らぐ」となりましょうか?
で、あれとこれとでは如何なる点が異なるかと申せば、投稿作の“ひらがなスタイル”ではそれほど明らかで無かった“意味上の淡白さ”や“表現上の粗雑さ”が、“漢字ひらがな混じりスタイル”に改めた場合は、極めて明からさまになるということでありましょうか?
それならば、評者が投稿作のいかなる点を“意味上の淡白さ”と指摘し、“表現上の粗雑さ”と指摘するのであろうか?
先ずは“意味上の淡白さ”という点である。
一首全体を物々しくかつ虚仮脅かし的に“ひらがなスタイル”に表記している投稿作の意は、要するに、「憂鬱な毎日の勤めの行き帰りの途中に、突然現れ出て来た犬の毛並みを掻き撫でていたら憂鬱な気分が幾らかは和らぐような気がする」というだけのことでありましょう。
この一首の意は、これ以下かも知れませんが、これ以上では決してありません。
これ以下かも知れないのを、評者は出来るだけ丁寧に親切に作中に出て来ない言葉を適宜補いながらこれだけの意味を、やっと掬い上げたのであり、この作品からこれ以上の意味を掬い上げることは何方様にも不可能なことでありましょう。
で、それを直接に裏返しにして申せば、それはとりも直さず、本作の“表現上の粗雑さ”ということになるのでありましょう。
作中に、言葉と言葉との冒険的かつ実験的かつ新鮮な取り合わせが指摘される訳ではありません。
作中の言葉と言葉とが衝突し爆発して、巨大なエネルギーが発散されている訳でもありません。
発想や表現が全く新鮮かつユニークで、類想歌が全く思い浮かばない、ということでもありません。
いや、現実はそれとは全く逆なのである。
マンネリズムそのものと評してもも決して過言ではないこの一首を、伝統ある“朝日歌壇”に投稿され、歌壇の重鎮・高野公彦氏選というゴールドメダルを見事獲得なさる為には、作者の荒木陽一郎さんは、平凡な“漢字ひらがな混じり表記”を、陳腐な“ひらがな表記”および“一字空き表記”にする程度のお知恵を傾けられ、ご努力を惜しまなかったのでありましょうか?
選者・高野公彦氏の選歌眼のレベルをご判断なさっての、作者・荒木陽一郎氏の、実に見事な作戦勝ちでありましょうか?
〔返〕 まじめとももうせましょうかおろかにもせんじゃなにがしひっしらこいて
鳥羽省三
○ 疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布 (鳥取県) 長谷川和子
北陸地方や東北地方とは異なって、鳥取県と言えば、冬季間の積雪や「雪掻き」が常態化している訳では無いかと思われます。
ということは、鳥取県の積雪地帯の人々はこの二月の豪雪の始末には、手・足・肩と言わず、全身全霊を傾けられたに違いありません。
したがって、「疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布」という、この一首の意味内容は、極めて妥当なご指摘であり、表現であるかと思われます。
〔返〕 疼きだす両腕に肩そして腰 パソコン打つとき脚力弱る 鳥羽省三
○ 芋のつるカボチャ喰いて生きのびて、米を選びてビフテキを食う (明石市) 当津 隆
関西地方のことですから、「米を選びて」と言っても、せいぜい“佐賀米”にするか“播州米”にするか、といった程度のことでありましょうか?
でも、「ビフテキを食う」とは、あの高価な“神戸牛”の「ビフテキを食う」のでありましょうか?
いずれにしろ、私たち高齢者にすれば、「芋のつるカボチャ喰いて生きのび」た時代は、つい最近の出来事のようにも感じられるのですから、わずか半世紀余りの間に、私たちは、考えられもしなかったような曲面に立たされていると申せましょう。
でも、そうした夢のような時代も、確実に終末期に入っていると思われます。
〔返〕 やがてまた米も食えない時代来る食糧自給率25%以下 鳥羽省三
○ 鍵持たぬ生活に慣れ施錠さるる生活に絶対慣れることはない (アメリカ) 郷 隼人
口語的発想でお詠みになられた作品かと思われます。
だとしたら、「施錠さるる生活」は「施錠される生活」となさるべきでありましょうし、それ以外にも、まだまだ推敲の余地が残されている作品と思われます。
作者のお気持ちからすれば、「絶対」の一語は、絶対に欠かすことの出来ないものだとは思われますが、それにばかり拘っていてはいけません。
敢えて申し上げますが、本作の作者・郷隼人さんは、かつてのホームレス歌人・公田耕一さんの如き“一時の華”ではなく、“朝日歌壇”にとっては、もはや欠かすことの出来ない常連中の常連かと思われますので、獄中からのご投稿というレベルから脱して、もう少し手堅い表現及び幅広い題材の作品のご投稿をなさるべきかと思われます。
とは申せ、ご環境がご環境ですから、それにも限界がございましょう。
しかし、現在の郷隼人さんのご力量を以ってすれば、そうした限界を打ち破ることは必ずしも不可能ではなかろうかと思われます。
私のかつての歌友の某氏は家業として左官職に従事していたのですが、彼が左官職という仕事について詠んだ作品は、“朝日歌壇”や結社誌『アララギ』の“土屋文明選”の花形の如き扱いで毎回掲載されていたのですが、それに気をよくした彼が、左官職以外の事柄を題材にした作品を投稿すると、ただの一度として掲載されたことが無く、「お前はわき目も振らずに、ただひたすら自分の家業について詠めば宜しいのである」との扱いであったとのことであり、そのことが、アララギ流短歌の極意であるかのようにも伝えられ、土屋文明という歌人の偉大さであるかのようにも記憶されて居りますが、よくよく考えてみると、それは結社・アララギ短歌会が滅亡せざるを得なかった最大の理由であり、歌人・土屋文明氏の狭量を証明する一事かとも思われます。
私の期待する歌人・郷隼人さんもまた、現在のご環境と歌境には決して安住なさらずにご努力なさって下さい。
それに、何よりも、ご健康にはくれぐれもご注意なさって下さい。
〔返〕 鍵持たぬ暮らしに慣れし汝なれば施錠されたる暮らしに慣れず 鳥羽省三
施錠され閉じ込められた暮らしには慣れてはならず歌人隼人は 々
○ 特養のテレビ桟敷に待つ人がいかに嘆かんこの春場所を (東京都) 影山 博
財団法人・日本相撲協会幹部も、マスコミ諸氏も、本作の意図するところについて、よくよく耳を傾ける必要があるかと思われます。
たかがスポーツ。
しかも見世物としての大相撲の興行のことでございませんか、携帯電話にその痕跡を残す馬鹿者が居ることは論外ですが、二十歳やそこらの若者の遣ることですから、あまり鹿爪らしいことを言わないのが賢明かと思われますよ。
地方巡業中の花相撲と本場所のガチンコ勝負との区別を付けることなどは、分別の付いた大人にだってなかなか難しいことでありましょう。
それで、潰れたら潰れたまでのことでありませんか。
〔返〕 鳥羽宅のテレビ桟敷に待つ人は呆れ果てたか物も言わない 鳥羽省三
○ 妹の笑顔の寝顔かわいくて歯磨き中のパパまで呼んだ (富山市) 松田梨子
呼ばれて“わこちゃん”のお部屋に掛けつけた「パパ」の「歯磨き中」のお口から、汚らしく白い唾がどくどくと流れ出したりしてね。
〔返〕 お口からパパが流した白い唾あまり汚くママまで呼んだ とばしょうぞう
ママもまた歯磨き中かと思われて何度呼んでも返事をしない 々
○ 大好きな鉄棒でぐるぐる回ってるそういうおもちゃになったみたいに (富山市) 松田わこ
天才“わこちゃん”の大車輪でありましょうか?
〔返〕 おもちゃならお猿が回り学校の鉄棒ならばわこが回るの とばしょうぞう
○ 国債に疎き長持つわれらゆゑ太巻くはへ南南東向く (島田市) 小田部雄次
“恵方巻き”という悪習は、売れ残った海苔の処分策としてどこかの漁協が何処かの商人と結託して考え出した商策とか。
したがって、「太巻くはへ南南東向く」のは、バレンタインデーと称してチョコレートを贈答する若者以下の愚か者の為すことであり、そんなことまで菅直人首相の無能のせいにされたら、彼があまりにも不憫でありましょう。
事の序でに申し上げますが、昨今の世界情勢から判断して、どなたが総理大臣に就いても、例えば某党の某氏が政権を担当したとしても、逼迫かつ逼塞状態の日本の現状にはあまり変化がないと思われます。
〔返〕 商策に乗せられ易い愚か者太巻き咥え南南東向く 鳥羽省三
○ 上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識に半身浴の夜 (福山市) 大塚ゆず
林檎栽培のボランティアを八年間も遣って来た馬鹿者の立場から申し上げますと、福山市辺りで手に入る「林檎」が美味しい訳はありません。
したがって、「上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識」で「半身浴」をしていらっしゃった方が居られたとは信じられませんし、それが事実だとすれば、今後一切そんな愚にも付かない事をするべきではないと思われます。
入浴時は、おおらかなご気分で湯の中にどっぷりと浸かり、「上がったら」何も食べないで早々にお休みになられる方が宜しいかと思われます。
〔返〕 瀬戸内で採れる蜜柑は美味しそう林檎と違い手間がかからぬ 鳥羽省三
○ おひなさまもうお訣れでございます人形み寺に納めまゐらす (福井市) 甘蔗得子
福井市界隈にも人形寺が存在するのでありましょうか?
数年前のことですが、“人形寺”として知られた某寺に「納めまゐら」せたはずの市松人形がさる古物商の手に渡って、一体数万円で売買されたとのことです。
檀家制度の崩壊が叫ばれ、僧侶が葬祭業者の使い走りと化し、故人の供養も疎かにされがちな昨今に於いては、人形供養などは、犬猫の供養にも劣る全く無用な行為と思われます。
そんなことをしていたら、悪徳坊主と悪徳商人に儲けさせるだけのことでありましょう。
〔返〕 お雛様来年もまた宜しくね三月四日雛の収納 鳥羽省三
我が家のお雛様は、三月一杯飾っておくつもりです。
我が家で女性と言えば老妻だけですから、嫁き遅れの心配はありません。
でも、彼の女は彼女なりに、私以外の新しい配偶者を探している可能性が無いかどうかまでは、私は知りませんが?
○ ものうげなつとめかよひぢ いできたるいぬかきなでてけしきやはらぐ (逗子市) 荒木陽一郎
本作を“漢字ひらがな混じりスタイル”で表記すれば「物憂げな勤め通ひ路出で来たる犬掻き撫でて気色和らぐ」となりましょうか?
で、あれとこれとでは如何なる点が異なるかと申せば、投稿作の“ひらがなスタイル”ではそれほど明らかで無かった“意味上の淡白さ”や“表現上の粗雑さ”が、“漢字ひらがな混じりスタイル”に改めた場合は、極めて明からさまになるということでありましょうか?
それならば、評者が投稿作のいかなる点を“意味上の淡白さ”と指摘し、“表現上の粗雑さ”と指摘するのであろうか?
先ずは“意味上の淡白さ”という点である。
一首全体を物々しくかつ虚仮脅かし的に“ひらがなスタイル”に表記している投稿作の意は、要するに、「憂鬱な毎日の勤めの行き帰りの途中に、突然現れ出て来た犬の毛並みを掻き撫でていたら憂鬱な気分が幾らかは和らぐような気がする」というだけのことでありましょう。
この一首の意は、これ以下かも知れませんが、これ以上では決してありません。
これ以下かも知れないのを、評者は出来るだけ丁寧に親切に作中に出て来ない言葉を適宜補いながらこれだけの意味を、やっと掬い上げたのであり、この作品からこれ以上の意味を掬い上げることは何方様にも不可能なことでありましょう。
で、それを直接に裏返しにして申せば、それはとりも直さず、本作の“表現上の粗雑さ”ということになるのでありましょう。
作中に、言葉と言葉との冒険的かつ実験的かつ新鮮な取り合わせが指摘される訳ではありません。
作中の言葉と言葉とが衝突し爆発して、巨大なエネルギーが発散されている訳でもありません。
発想や表現が全く新鮮かつユニークで、類想歌が全く思い浮かばない、ということでもありません。
いや、現実はそれとは全く逆なのである。
マンネリズムそのものと評してもも決して過言ではないこの一首を、伝統ある“朝日歌壇”に投稿され、歌壇の重鎮・高野公彦氏選というゴールドメダルを見事獲得なさる為には、作者の荒木陽一郎さんは、平凡な“漢字ひらがな混じり表記”を、陳腐な“ひらがな表記”および“一字空き表記”にする程度のお知恵を傾けられ、ご努力を惜しまなかったのでありましょうか?
選者・高野公彦氏の選歌眼のレベルをご判断なさっての、作者・荒木陽一郎氏の、実に見事な作戦勝ちでありましょうか?
〔返〕 まじめとももうせましょうかおろかにもせんじゃなにがしひっしらこいて
鳥羽省三
○ 疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布 (鳥取県) 長谷川和子
北陸地方や東北地方とは異なって、鳥取県と言えば、冬季間の積雪や「雪掻き」が常態化している訳では無いかと思われます。
ということは、鳥取県の積雪地帯の人々はこの二月の豪雪の始末には、手・足・肩と言わず、全身全霊を傾けられたに違いありません。
したがって、「疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布」という、この一首の意味内容は、極めて妥当なご指摘であり、表現であるかと思われます。
〔返〕 疼きだす両腕に肩そして腰 パソコン打つとき脚力弱る 鳥羽省三
○ 芋のつるカボチャ喰いて生きのびて、米を選びてビフテキを食う (明石市) 当津 隆
関西地方のことですから、「米を選びて」と言っても、せいぜい“佐賀米”にするか“播州米”にするか、といった程度のことでありましょうか?
でも、「ビフテキを食う」とは、あの高価な“神戸牛”の「ビフテキを食う」のでありましょうか?
いずれにしろ、私たち高齢者にすれば、「芋のつるカボチャ喰いて生きのび」た時代は、つい最近の出来事のようにも感じられるのですから、わずか半世紀余りの間に、私たちは、考えられもしなかったような曲面に立たされていると申せましょう。
でも、そうした夢のような時代も、確実に終末期に入っていると思われます。
〔返〕 やがてまた米も食えない時代来る食糧自給率25%以下 鳥羽省三
○ 鍵持たぬ生活に慣れ施錠さるる生活に絶対慣れることはない (アメリカ) 郷 隼人
口語的発想でお詠みになられた作品かと思われます。
だとしたら、「施錠さるる生活」は「施錠される生活」となさるべきでありましょうし、それ以外にも、まだまだ推敲の余地が残されている作品と思われます。
作者のお気持ちからすれば、「絶対」の一語は、絶対に欠かすことの出来ないものだとは思われますが、それにばかり拘っていてはいけません。
敢えて申し上げますが、本作の作者・郷隼人さんは、かつてのホームレス歌人・公田耕一さんの如き“一時の華”ではなく、“朝日歌壇”にとっては、もはや欠かすことの出来ない常連中の常連かと思われますので、獄中からのご投稿というレベルから脱して、もう少し手堅い表現及び幅広い題材の作品のご投稿をなさるべきかと思われます。
とは申せ、ご環境がご環境ですから、それにも限界がございましょう。
しかし、現在の郷隼人さんのご力量を以ってすれば、そうした限界を打ち破ることは必ずしも不可能ではなかろうかと思われます。
私のかつての歌友の某氏は家業として左官職に従事していたのですが、彼が左官職という仕事について詠んだ作品は、“朝日歌壇”や結社誌『アララギ』の“土屋文明選”の花形の如き扱いで毎回掲載されていたのですが、それに気をよくした彼が、左官職以外の事柄を題材にした作品を投稿すると、ただの一度として掲載されたことが無く、「お前はわき目も振らずに、ただひたすら自分の家業について詠めば宜しいのである」との扱いであったとのことであり、そのことが、アララギ流短歌の極意であるかのようにも伝えられ、土屋文明という歌人の偉大さであるかのようにも記憶されて居りますが、よくよく考えてみると、それは結社・アララギ短歌会が滅亡せざるを得なかった最大の理由であり、歌人・土屋文明氏の狭量を証明する一事かとも思われます。
私の期待する歌人・郷隼人さんもまた、現在のご環境と歌境には決して安住なさらずにご努力なさって下さい。
それに、何よりも、ご健康にはくれぐれもご注意なさって下さい。
〔返〕 鍵持たぬ暮らしに慣れし汝なれば施錠されたる暮らしに慣れず 鳥羽省三
施錠され閉じ込められた暮らしには慣れてはならず歌人隼人は 々
○ 特養のテレビ桟敷に待つ人がいかに嘆かんこの春場所を (東京都) 影山 博
財団法人・日本相撲協会幹部も、マスコミ諸氏も、本作の意図するところについて、よくよく耳を傾ける必要があるかと思われます。
たかがスポーツ。
しかも見世物としての大相撲の興行のことでございませんか、携帯電話にその痕跡を残す馬鹿者が居ることは論外ですが、二十歳やそこらの若者の遣ることですから、あまり鹿爪らしいことを言わないのが賢明かと思われますよ。
地方巡業中の花相撲と本場所のガチンコ勝負との区別を付けることなどは、分別の付いた大人にだってなかなか難しいことでありましょう。
それで、潰れたら潰れたまでのことでありませんか。
〔返〕 鳥羽宅のテレビ桟敷に待つ人は呆れ果てたか物も言わない 鳥羽省三
○ 妹の笑顔の寝顔かわいくて歯磨き中のパパまで呼んだ (富山市) 松田梨子
呼ばれて“わこちゃん”のお部屋に掛けつけた「パパ」の「歯磨き中」のお口から、汚らしく白い唾がどくどくと流れ出したりしてね。
〔返〕 お口からパパが流した白い唾あまり汚くママまで呼んだ とばしょうぞう
ママもまた歯磨き中かと思われて何度呼んでも返事をしない 々
○ 大好きな鉄棒でぐるぐる回ってるそういうおもちゃになったみたいに (富山市) 松田わこ
天才“わこちゃん”の大車輪でありましょうか?
〔返〕 おもちゃならお猿が回り学校の鉄棒ならばわこが回るの とばしょうぞう