臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(2月28日掲載・其のⅠ・決定版)

2011年02月28日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  国債に疎き長持つわれらゆゑ太巻くはへ南南東向く  (島田市) 小田部雄次

 “恵方巻き”という悪習は、売れ残った海苔の処分策としてどこかの漁協が何処かの商人と結託して考え出した商策とか。
 したがって、「太巻くはへ南南東向く」のは、バレンタインデーと称してチョコレートを贈答する若者以下の愚か者の為すことであり、そんなことまで菅直人首相の無能のせいにされたら、彼があまりにも不憫でありましょう。
 事の序でに申し上げますが、昨今の世界情勢から判断して、どなたが総理大臣に就いても、例えば某党の某氏が政権を担当したとしても、逼迫かつ逼塞状態の日本の現状にはあまり変化がないと思われます。
  〔返〕 商策に乗せられ易い愚か者太巻き咥え南南東向く   鳥羽省三


○  上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識に半身浴の夜  (福山市) 大塚ゆず

 林檎栽培のボランティアを八年間も遣って来た馬鹿者の立場から申し上げますと、福山市辺りで手に入る「林檎」が美味しい訳はありません。
 したがって、「上がったら食べるつもりの冬林檎のみの意識」で「半身浴」をしていらっしゃった方が居られたとは信じられませんし、それが事実だとすれば、今後一切そんな愚にも付かない事をするべきではないと思われます。
 入浴時は、おおらかなご気分で湯の中にどっぷりと浸かり、「上がったら」何も食べないで早々にお休みになられる方が宜しいかと思われます。
  〔返〕 瀬戸内で採れる蜜柑は美味しそう林檎と違い手間がかからぬ   鳥羽省三


○  おひなさまもうお訣れでございます人形み寺に納めまゐらす  (福井市) 甘蔗得子

 福井市界隈にも人形寺が存在するのでありましょうか?
 数年前のことですが、“人形寺”として知られた某寺に「納めまゐら」せたはずの市松人形がさる古物商の手に渡って、一体数万円で売買されたとのことです。
 檀家制度の崩壊が叫ばれ、僧侶が葬祭業者の使い走りと化し、故人の供養も疎かにされがちな昨今に於いては、人形供養などは、犬猫の供養にも劣る全く無用な行為と思われます。
 そんなことをしていたら、悪徳坊主と悪徳商人に儲けさせるだけのことでありましょう。
  〔返〕 お雛様来年もまた宜しくね三月四日雛の収納   鳥羽省三
 我が家のお雛様は、三月一杯飾っておくつもりです。
 我が家で女性と言えば老妻だけですから、嫁き遅れの心配はありません。
 でも、彼の女は彼女なりに、私以外の新しい配偶者を探している可能性が無いかどうかまでは、私は知りませんが?


○  ものうげなつとめかよひぢ いできたるいぬかきなでてけしきやはらぐ  (逗子市) 荒木陽一郎

 本作を“漢字ひらがな混じりスタイル”で表記すれば「物憂げな勤め通ひ路出で来たる犬掻き撫でて気色和らぐ」となりましょうか?
 で、あれとこれとでは如何なる点が異なるかと申せば、投稿作の“ひらがなスタイル”ではそれほど明らかで無かった“意味上の淡白さ”や“表現上の粗雑さ”が、“漢字ひらがな混じりスタイル”に改めた場合は、極めて明からさまになるということでありましょうか?
 それならば、評者が投稿作のいかなる点を“意味上の淡白さ”と指摘し、“表現上の粗雑さ”と指摘するのであろうか?
 先ずは“意味上の淡白さ”という点である。
 一首全体を物々しくかつ虚仮脅かし的に“ひらがなスタイル”に表記している投稿作の意は、要するに、「憂鬱な毎日の勤めの行き帰りの途中に、突然現れ出て来た犬の毛並みを掻き撫でていたら憂鬱な気分が幾らかは和らぐような気がする」というだけのことでありましょう。
 この一首の意は、これ以下かも知れませんが、これ以上では決してありません。
 これ以下かも知れないのを、評者は出来るだけ丁寧に親切に作中に出て来ない言葉を適宜補いながらこれだけの意味を、やっと掬い上げたのであり、この作品からこれ以上の意味を掬い上げることは何方様にも不可能なことでありましょう。
 で、それを直接に裏返しにして申せば、それはとりも直さず、本作の“表現上の粗雑さ”ということになるのでありましょう。
 作中に、言葉と言葉との冒険的かつ実験的かつ新鮮な取り合わせが指摘される訳ではありません。
 作中の言葉と言葉とが衝突し爆発して、巨大なエネルギーが発散されている訳でもありません。
 発想や表現が全く新鮮かつユニークで、類想歌が全く思い浮かばない、ということでもありません。
 いや、現実はそれとは全く逆なのである。
 マンネリズムそのものと評してもも決して過言ではないこの一首を、伝統ある“朝日歌壇”に投稿され、歌壇の重鎮・高野公彦氏選というゴールドメダルを見事獲得なさる為には、作者の荒木陽一郎さんは、平凡な“漢字ひらがな混じり表記”を、陳腐な“ひらがな表記”および“一字空き表記”にする程度のお知恵を傾けられ、ご努力を惜しまなかったのでありましょうか?
 選者・高野公彦氏の選歌眼のレベルをご判断なさっての、作者・荒木陽一郎氏の、実に見事な作戦勝ちでありましょうか?
  〔返〕 まじめとももうせましょうかおろかにもせんじゃなにがしひっしらこいて
   鳥羽省三


○  疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布  (鳥取県) 長谷川和子

 北陸地方や東北地方とは異なって、鳥取県と言えば、冬季間の積雪や「雪掻き」が常態化している訳では無いかと思われます。
 ということは、鳥取県の積雪地帯の人々はこの二月の豪雪の始末には、手・足・肩と言わず、全身全霊を傾けられたに違いありません。
 したがって、「疼きだす背筋腹筋上腕筋、雪掻きて知る筋肉分布」という、この一首の意味内容は、極めて妥当なご指摘であり、表現であるかと思われます。
  〔返〕 疼きだす両腕に肩そして腰 パソコン打つとき脚力弱る   鳥羽省三


○  芋のつるカボチャ喰いて生きのびて、米を選びてビフテキを食う  (明石市) 当津 隆

 関西地方のことですから、「米を選びて」と言っても、せいぜい“佐賀米”にするか“播州米”にするか、といった程度のことでありましょうか?
 でも、「ビフテキを食う」とは、あの高価な“神戸牛”の「ビフテキを食う」のでありましょうか?
 いずれにしろ、私たち高齢者にすれば、「芋のつるカボチャ喰いて生きのび」た時代は、つい最近の出来事のようにも感じられるのですから、わずか半世紀余りの間に、私たちは、考えられもしなかったような曲面に立たされていると申せましょう。
 でも、そうした夢のような時代も、確実に終末期に入っていると思われます。
  〔返〕 やがてまた米も食えない時代来る食糧自給率25%以下   鳥羽省三   

○  鍵持たぬ生活に慣れ施錠さるる生活に絶対慣れることはない  (アメリカ) 郷 隼人

 口語的発想でお詠みになられた作品かと思われます。
 だとしたら、「施錠さるる生活」は「施錠される生活」となさるべきでありましょうし、それ以外にも、まだまだ推敲の余地が残されている作品と思われます。
 作者のお気持ちからすれば、「絶対」の一語は、絶対に欠かすことの出来ないものだとは思われますが、それにばかり拘っていてはいけません。
 敢えて申し上げますが、本作の作者・郷隼人さんは、かつてのホームレス歌人・公田耕一さんの如き“一時の華”ではなく、“朝日歌壇”にとっては、もはや欠かすことの出来ない常連中の常連かと思われますので、獄中からのご投稿というレベルから脱して、もう少し手堅い表現及び幅広い題材の作品のご投稿をなさるべきかと思われます。
 とは申せ、ご環境がご環境ですから、それにも限界がございましょう。
 しかし、現在の郷隼人さんのご力量を以ってすれば、そうした限界を打ち破ることは必ずしも不可能ではなかろうかと思われます。
 私のかつての歌友の某氏は家業として左官職に従事していたのですが、彼が左官職という仕事について詠んだ作品は、“朝日歌壇”や結社誌『アララギ』の“土屋文明選”の花形の如き扱いで毎回掲載されていたのですが、それに気をよくした彼が、左官職以外の事柄を題材にした作品を投稿すると、ただの一度として掲載されたことが無く、「お前はわき目も振らずに、ただひたすら自分の家業について詠めば宜しいのである」との扱いであったとのことであり、そのことが、アララギ流短歌の極意であるかのようにも伝えられ、土屋文明という歌人の偉大さであるかのようにも記憶されて居りますが、よくよく考えてみると、それは結社・アララギ短歌会が滅亡せざるを得なかった最大の理由であり、歌人・土屋文明氏の狭量を証明する一事かとも思われます。
 私の期待する歌人・郷隼人さんもまた、現在のご環境と歌境には決して安住なさらずにご努力なさって下さい。
 それに、何よりも、ご健康にはくれぐれもご注意なさって下さい。
  〔返〕 鍵持たぬ暮らしに慣れし汝なれば施錠されたる暮らしに慣れず   鳥羽省三
      施錠され閉じ込められた暮らしには慣れてはならず歌人隼人は    々


○  特養のテレビ桟敷に待つ人がいかに嘆かんこの春場所を  (東京都) 影山 博

 財団法人・日本相撲協会幹部も、マスコミ諸氏も、本作の意図するところについて、よくよく耳を傾ける必要があるかと思われます。
 たかがスポーツ。
 しかも見世物としての大相撲の興行のことでございませんか、携帯電話にその痕跡を残す馬鹿者が居ることは論外ですが、二十歳やそこらの若者の遣ることですから、あまり鹿爪らしいことを言わないのが賢明かと思われますよ。
 地方巡業中の花相撲と本場所のガチンコ勝負との区別を付けることなどは、分別の付いた大人にだってなかなか難しいことでありましょう。
 それで、潰れたら潰れたまでのことでありませんか。
  〔返〕 鳥羽宅のテレビ桟敷に待つ人は呆れ果てたか物も言わない   鳥羽省三


○  妹の笑顔の寝顔かわいくて歯磨き中のパパまで呼んだ  (富山市) 松田梨子

 呼ばれて“わこちゃん”のお部屋に掛けつけた「パパ」の「歯磨き中」のお口から、汚らしく白い唾がどくどくと流れ出したりしてね。
  〔返〕 お口からパパが流した白い唾あまり汚くママまで呼んだ   とばしょうぞう
      ママもまた歯磨き中かと思われて何度呼んでも返事をしない    々


○  大好きな鉄棒でぐるぐる回ってるそういうおもちゃになったみたいに  (富山市) 松田わこ

 天才“わこちゃん”の大車輪でありましょうか?
  〔返〕 おもちゃならお猿が回り学校の鉄棒ならばわこが回るの   とばしょうぞう

今週の朝日歌壇から(2月21日掲載・其のⅣ)

2011年02月27日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  如月の人形町は吹雪の中幾百の雛皆笑み給ふ  (北本市) 郷 玲子

 「如月」の休日の「人形町」と言えば、「雛」人形を買う為の親娘連れや夫婦連れで、さぞかし賑わうことでありましょう。
 その賑わいの「人形町」が季節柄の「吹雪」に見舞われ、その「吹雪」の中で「幾百」の「雛」たちが「皆笑み給う」というこの一首は、例えフィクションであろうとも、あまりにもロマンチックなものであり、朝日歌壇のカリスマ的選者とも申すべき馬場あき子氏のお眼鏡に適ったことは極めて当然のことかと拝察致しました。
  〔返〕 岩槻の人形店に夜が来て男雛女雛の瞳閉ぢたり   鳥羽省三


○  「百歳も疲れますよ」といふ母に介護士笑みて頷いてをり  (糸島市) 大江俊彦

 「百歳」という途轍も無いご高齢の女性だったら「疲れ」を知らない魔女かとも思ったのですが、本作の作者・大江俊彦さんのご母堂様は「百歳も疲れますよ」と仰ったんですか?
 魔女ならぬ聖女のご母堂様からそう言われた「介護士」さんが、こっくりと「頷いて」無言で「笑みて」居られたのは、その場に相応しい極めて適切な対応振りかと思われます。
  〔返〕 「七十も疲れますよ」と言いたいが言うこと出来ずに今日も留守番   鳥羽省三


○  仕事がない物が売れない医者足りないされども光あふれきて春  (秩父市) 畠山時子

 「仕事がない」「物が売れない」「医者足りない」という“無いもの尽くし”の秩父の町にも、「春」ともなれば「光」が「あふれ」来るのでありましょうか?
 だとすれば、人間と異なって天然自然は余りにも“えこ贔屓無し”なので、ついほろりとなってしまいます。
  〔返〕 貯まらない貯める気もないお金無い年金生活展望が無い   鳥羽省三


○  ヒヨドリのクロガネモチを食べ尽くす遅れしものは寒空仰ぐ  (高槻市) 奥本健一

 「遅れしものは寒空仰ぐ」とは、私のことかと思いました。
 鳥羽ですから、私も亦、他の者共に「クロガネモチ」も“白金もち”も「食べ尽く」された後に「遅れ」て辿り着いた「ヒヨドリ」かも知れません。
  〔返〕 しろがねもクロガネモチも何せむや優れる宝子にしかめやも   鳥羽省三


○  おほいなる夢あるごとくしづしづと豪華客船は岸壁離る  (生駒市) 辻岡瑛雄

 「おほいなる夢あるごとく」と言うのは、単なる比喩ではありません。
 見せ掛けだけは「豪華客船」。
 その実は、単なる金食い虫かも知れません。
 一応「豪華客船」らしき名称の客船で地中海旅行をした経験を持っている私の知人から聴いた話によると、豪華客船に乗った時ほど貧富の差を感じさせられたことは無かったそうである。
 本作の作者・辻岡瑛雄さんは、「おほいなる夢あるごとく」という直喩的表現に、これだけの意味を託されたのでありましょう。
  〔返〕 大いなる夢持つ如く粛々と無駄な歌評に倦むこと知らず   鳥羽省三


○  荒代の田の溝に孵る春の使者大寒明けのひと群れの蝌蚪  (四万十市) 島村宣暢

 南国・土佐の四万十市であればこその、二月半ばの「春の使者」の訪れでありましょうか?
  〔返〕 荒代の田の溝掘りて獲し泥鰌やまひに良しと君に召させむ   鳥羽省三


○  ランドセル背負う嬉しさ伝わりて小さき両手にタッチをしたり  (横浜市) 中西智子

 この一首は、“短歌とはかくあるべし”とでも言うべき佳作と思われる。
 特に「小さき両手にタッチをしたり」という表現が宜しい。
 初めて「ランドセル背負う」我が子の「嬉しさ」が、母親たる作者にも「伝わり」、我が子の「小さき両手」に思わず「タッチ」をしてしまった、というのでありましょう。
 小学校に入学する子を持つ母親の心の弾みが「小さき両手にタッチをしたり」という“七七句”に余すところ無く表現されているのである。
  〔返〕 春からはバス代が要る半額と言えどお出掛けままにならない   鳥羽省三 


○  若大工道具箱には鉋なく電動工具とコードの束と  (佐賀市) 高橋 正

 格好だけは一応、だぶだぶのズボンにゲートル巻きの地下足袋なんか履いたりしてますが、あれで一人前の職人気取りなんでしょうか?
 でも、最近は電動工具の普及に因って、素人と本職との区別がつかなくなりましたから、プロの証しとして、ああいう服装も必要なのかも知れませんね。
  〔返〕 鑿鉋砥げず大工が務まるか電動工具は素人道具   鳥羽省三


○  異星人のごとき干し蛸はりつけにされて曝さる寒風の浜  (福山市) 廣本貢一

 「異星人のごとき干し蛸はりつけにされて」とは、よくぞ言ったりという感じである。
  〔返〕 指無しのミトンの如き形してクサヤの鯖の浜に曝さる   鳥羽省三  


○  マグロ一本三千万円のニュース聞き時給八百円のバイトを思う  (入間市) 角貝久雄 

 「一本三千万円」の「マグロ」と「時給八百円のバイト」を比較するのは、土台無理な事であり、“人余り”“クロマグロ不足”の現在、両者は最初から比較の対象にはなりません。
  〔返〕 バイトにはバイトの食うべきものがありマグロのアラでも鋤いて食べろよ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(2月21日掲載・其のⅢ・決定版)

2011年02月26日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  高く行く雲と低きを行く雲と交はるときし相触れざりき  (熊本市) 高添美津雄

 趣きが深く、格調が高く、示唆に富んだ作品かとは思われます。
 しかし乍ら、「高く行く雲と低きを行く雲」とが「交はる」とまで述べてしまったならば、それは即ち「相触れ」たことになりはしないでしょうか?
 “勇み足”と申せましょうか?
 推敲不足と申せましょうか?
 名作として称揚しても宜しい作品と思われるだけに、些細な失着があまりにも惜しまれるのである。
  〔返〕 高空と低空の雲すれ違ふ相触れたるかと一瞬思ふ   鳥羽省三
      高空と低空を往く雲二つ交差するとき相触れざるか    々


○  覚えのない打身のようにういてくる思い出といふも時に残酷  (瀬戸内市) 児山たつ子

 「思い出」を「覚えのない打身のようにういてくる」とした比喩が素晴らしいし、「思い出といふも時に残酷」という発想もまた素晴らしい。
 だが、それだけに“仮名遣い”の不統一が惜しまれるのである。
 即ち、一首全体を“現代仮名遣い”で統一するならば、四句目中の「いふ」を「いう」とするべきであり、“古典仮名遣ひ”で統一するならば、二句目中の「ように」を「やうに」とするべきである。
 「口語短歌作品の中に一語だけ文語を放り込むことが、その作品のアクセサリーにもなり、洒落た表現となる」などと仰る、自称・プロ歌人が存在するらしいが、常識も定見も持っていない彼らの指導に従う者は、短歌芸術の滅亡に加担する者として糾弾されなければならない。
  〔返〕 覚え無き借財のごと身に纏ふ捨てし女の賀状幾通   鳥羽省三
      覚え無き咎の如くも迷ひ来るメール八通闇の奥から    々


○  めそめそと空に貼りつく月なんぞ飛ばしてしまへと北風が吹く  (徳島市) 上田由美子

 選評に「『三日月がめそめそといる米の飯』という金子兜太氏の代表句を踏まえての作。この作では満月のような気がする」とあるが、全く同感である。
 それはそれとして、本作を“現代仮名遣い”で統一して、四句目中の「しまへ」を「しまえ」とした方が宜しいのであるが、直前の児山たつ子さん作の場合とは異なって、本作の場合は、作品自体を“口語調短歌”であると特定する必要も無いので、このままでも宜しいかとも思われる。
  〔返〕 めためたと肌に張り付く絆創膏剥いでしまえと整体師が言う   鳥羽省三


○  寒中の水平線は雲が決め対岸の原発雲に隠れる  (福井県) 大谷静子

 「寒中」には、海上に「雲」が無ければ何処が「水平線」であるか特定出来ないのでありましょうか?
 その「水平線」を特定する「雲」に隠れて、福井県の象徴のような「原発」が見えないことに対して、本作の作者・大谷静子さんはどんな思いを抱いていらっしゃるのでありましょうか?
 また、「原発」そのものに対して、どんな思いを抱いていらっしゃるのでありましょうか?
  〔返〕 対岸の原発見えぬ午後なれば狭庭に出でてクロの背を撫づ   鳥羽省三


○  降る灰に埋もれるきゃべつ数無数日はおぼろなる月のごとかり  (福岡市) 宮原ますみ

 “新燃岳噴火”関連の作品でありましょうか?
 だとしたら、宮崎・鹿児島県境の霧島山・新燃岳噴火の被害が、本作の作者・宮原ますみさんのお住いの辺りに及ぶとは思われないので旅行詠でありましょうか?
 「降る灰に埋もれるきゃべつ数無数」「日はおぼろなる月のごとかり」という上下句に拠って、火山の噴火の凄惨さが窺われるのである。
  〔返〕 降る砂に洗濯物も干せざりきパンダばかりか黄沙も寄せ来   鳥羽省三


○  大寒や霧立ち込める鳰の湖琵琶湖大橋はかなく消えし  (城陽市)  竹村政男

 私の狭い見聞からすると、「鳰の湖」辺りには「大寒」の頃に限らず一年中「霧」が「立ち込め」ているような感じであるので、実感を伴って本作を鑑賞させていただきました。
 本作の作者・竹村政男さんのお住いの辺りからは、「霧」が「立ち込め」ていない時には、「琵琶湖大橋」が遠望できるのでありましょうか?
  〔返〕 寒明けや今朝また霧が立ち込めて“みなと未来”の帆柱も消ゆ   鳥羽省三


○  友からのファックス届く寒の夜に夫の亡きこと何と知らすか  (富士見市) 内田幸子

 遣す方は気楽にも「美容と健康には皇潤が宜しいですよ。お友だちを通じて比較的安価に入手出来ますから、なんでしたらお世話致しましょうか。ご主人様はいつも優しくていらっしゃるから、きっと賛成して下さると思いますよ」などと、ほとんど無内容の「ファックス」を遣すのであるが、受け取る方は、ご夫君の忌みも明けていないので、返事のしようも無いのである。
  〔返〕 寒の夜は寒さも寒く悲しくて友のメールを読む気がしない   鳥羽省三


○  トローチの穴舌先になぞりつつ行けば午後の陽薄く差す街  (水戸市) 檜山佳与子

 「トローチの穴舌先になぞりつつ」という“五七五”が極めてユニークな表現であるだけに、「行けば午後の陽薄く差す街」という“七七”の平凡な収めようが惜しまれるのである。
 何か一工夫ありそうな気もしますが、評者の平凡な頭脳では、このユニークな“五七五”を受け止めて一首を纏めるような“七七”は思いつきません。
 でも、それにしても、何とも言えないほどに素晴らしい“五七五”でありませんか。
  〔返〕 消しゴムの角ばった箇所擦りつつひもじき思ひに耐へ居し日々よ   鳥羽省三


○  家の中にも道あり妻の車椅子通る箇所何も置いてはならぬ  (大月市) 和田國基

 「その通りですね。奥様をお大事に」と、一言申し上げるのみでございます。 
  〔返〕 けものみち熊やカモシカ通う道阿仁のマタギは鉄砲担ぎ   鳥羽省三

 
○  ペン立ての蒲の穂不意に絮となる因幡の兎くるみし絮よ  (八千代市) 岩本紀子

 本作の作者・岩本紀子さんは、沼の岸などに出掛けられて採って来た「蒲の穂」を、机上の「ペン立て」に差していたのでありましょう。
 で、その「蒲の穂」が解けて「絮」となって飛び散ったことから、「蒲の穂」を褥として鰐鮫に剥がれた肌の皮を治療した“因幡の白兎”の伝説を思い出されたのでありましょう。
  〔返〕 原爆に生皮焼かれし廣島と背中合わせか因幡の国は   鳥羽省三
      原爆の火傷治せる蒲の穂も生えなかったか太田川には    々  

今週の朝日歌壇から(2月21日掲載・其のⅡ・決定版)

2011年02月25日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  あかつきに冬鵙鳴きて安堵する新燃岳の火山灰(よな)掃く日々に  (都城市) 津田トモ子

 「鵙」たちも「鵙」たちなりの経験則で以って、「昨夜から今朝にかけての様子から判断すると、今日は『新燃岳の火山灰』が降りそうもない。だから安心して鳴いておこう。なにしろ、一旦『火山灰』が降り出したら、安閑として鳴いていることさえ出来ないのだから」などと感じているのでありましょう。
 また、その「鳴き」声を「あかつき」に聴いた本作の作者も亦、「『あかつきに冬鵙』が鳴くということは、今日は『新燃岳の火山灰』が降らないということだろう。だから、今日は安心して先日来降り続けの『火山灰』を掃いて、久々に清々しい気分に浸ろう」と思っていらっしゃるのでありましょう。
 と言うことは、万物の霊長たる人間が、人間に捕食されるべき「鵙」から生活の知恵を授けられた、ということになりましょうか?
  〔返〕 もずもずと鳴くから鵙と名付けられ人に食われる哀れな鵙よ   鳥羽省三


○  子と離れ自分のペースで歩くとき私自身の存在に気付く  (横須賀市) 竪山真梨

 「子と離れ自分のペースで歩くとき」とは、どんな場合を指して言うのでありましょうか?
 ① 「ママと一緒に歩きたいの。お隣りの香音ちゃんだって、塾が私と一緒の美紗緒ちゃんだって、いつも自分ちのママと一緒に散歩してるよ。だから、私だってママと一緒に散歩したいの」と、肩を並べて散歩することを強請り、手の掛かること三浦半島一と思われるような娘・結果里さんが二晩泊まりのスケート合宿に出掛けたので、久し振りに一人で横須賀のドブ板通りの辺りを散歩している時。
 ② 母親である竪山真梨さんが、「たまには一緒にドブ板通りを歩こうよ。私とあなたが並んでドブ板通りを歩いたら、アメリカの水兵さんたちから軟派されるかもね。昨日横渚港に原潜が入ったから、今日は青い瞳の水兵さんがずらりとドブ板通りに並んで、私たちを待ち構えているかも知れないわ。わたしとあなたが一緒していたら、『あつ、あそこを美人姉妹が居る』なんて、声が掛かるかも知れないね。そんな時には、軟派されたふりして軟派してみようよ。今日はとても天気がいいからね」と、今年二十歳の娘・繭に声を掛けたら、「いい年をして何を言ってるのお母さん。お父さんは我が家の暮らしを守る為に、毎日毎日、寒さを堪えて魚問屋の冷蔵庫の中で働いているのよ。それなのになんですか。青い瞳の水兵さんを誘惑したいなんて。それが母親ともあろう人の言うことですか」と、すげなく断わられ、仕方無しに一人寂しく、白人の水兵さんにも黒人の水兵さんにも声も掛けられないままでドブ板通りを散歩している時。
 上記の①の場合でも②の場合でも、本作の作者が人並みの常識人であったならば、「私自身の存在に気付く」という次第になりましょうか?
 で、必ずや「気付く」に違いない「私自身の存在」とは、一体どんな「存在」でありましょうか?
 その点については、読者の皆さんのご想像にお任せ致します。
  〔返〕 気が付けば還暦過ぎて三年余皺苦茶だらけの女が一人   鳥羽省三


○  老体の開口部みなゆるみきてあふれでるものみないとほしき  (川崎市) 仁科光雄

 本作に刺激されて、評者は、男性の肉体の「開口部」についてあれこれと考えてみました。
 鼻の穴二つ・口の穴一つ・目の穴二つ・耳の穴二つ、臍の穴一つ、それ以外にも、あと二つほど在るのですが、それらの名称については、敢えて記そうとは思いません。
 で、それらの「開口部」の中でも、「老体」になるに伴って特に「ゆるみきて」、「あふれでるもの」の始末に困るのは、私が敢えて名称を記さなかった二つの「開口部」でありましょう。
 ところで、本作の作者・仁科光雄さんは、「老体」になるに伴って「ゆるみきて」、「あふれでるもの」の始末に困るはずの「開口部」から「あふれでるものみないとほしき」などと仰って居られるのであるが、それはかなり汚らしいことかも知れませんが、それはそれで、極めて人間的なお気持ちなのかも知れません。
  〔返〕  緩み来し開口部よりあふれ出づ 涙・鼻水・涎・尿・糞   鳥羽省三


○  たぐりたる船の錨に桜貝海の中にも春の来ており  (宮城県) 須郷 柏

 海水は気温に先駆けて温み行くものであり、その一つの表れとして、「たぐりたる船の錨に」「桜貝」が付着していたのでありましょうか?
 だとすれば、本作は本末転倒の表現かと思われますが、それはそれで宜しいかとも思われます。
  〔返〕 引き寄せし地引網にも桜ダイ春はもう直ぐ其処まで来てる   鳥羽省三


○  産みたての卵を運ぶ足取りで祖母の手を引く信号の少年  (東京都) 飯坂友紀子

 「信号」の在る横断歩道で「祖母」と一緒に青信号になるのを待っていた「少年」が、青信号になるや否や、まるで養鶏農家の少女が「産みたての卵を運ぶ」時のような恐る恐るした「足取りで祖母の手」を引いて向こう側に渡って行ったのを見て、本作の作者はこの一首をお詠みになったのでありましょう。
 だが、「信号の少年」という五句目の記述は、一見、何のことか判らないような短絡的な表現と思われます。
  〔返〕 産み立ての卵を運ぶ足取りで祖母の手を引きスクランブル往く   鳥羽省三


○  鍛練を積み来し射手の静脈が浮き出る弓手のその先の的  (横浜市) 松村千津子

 「その先の的」とありますから、一首の焦点も中心も、弓道場の「的」に存在するのであり、その手前に存在する「鍛練を積み来し射手の静脈が浮き出る弓手」は、一首の中心たる「的」の、単なる“引き立て役”ということになりましょうか?
  〔返〕 的を向く射手の弓手の静脈が震えた刹那矢場に風立つ   鳥羽省三


○  独り食む食事は餌と言いあいてシングル三人鍋囲みおり  (秩父市) 畠山時子

 国家的見地からしても、個人的感情からしても、女性の「シングル三人」が「鍋囲みおり」とは、真に勿体無い光景である。
 結婚を面倒がらずに、早々に相手を見つけて良き家庭を築きなさい。
 さも無くば、あなたたち「三人」は“少子化社会”或いは“高齢化社会”の尖兵たるに過ぎず、現代社会の“徒花”に過ぎません。
  〔返〕 意気がって「餌」などと言い鍋囲むシングル三人メタボになるぞ   鳥羽省三


○  言の葉にひそむ情緒をさりげなく削ぎてテレビにテロップ流る  (ひたちなか市) 篠原克彦

 NHK総合テレビの午後七時のニュースの際などに流される「テロップ」には、確かに「言の葉にひそむ情緒をさりげなく」削いだような類のものが多いのですが、民放テレビのバラエティ番組などの際に流される「テロップ」は、その逆の場合もあるようです。
 本作の場合に、野球中継や歌謡番組の最中に流された“地震速報”の「テロップ」のようなものでありましょうか?
  〔返〕 言の葉に潜む悪意が見え隠れ小沢一郎起訴のテロップ   鳥羽省三


○  モンスターのペアレントいて平成にタイガーマスクいて共に生きいる  (三木市) 森 英子

 “会派離脱”の十六人が居て、離党含みの数十人が居て、洞ヶ峠の数十人も居て、菅内閣を支える少数も居て、共に“民主党”所属の国会議員である。
  〔返〕 民主党が育てたはずの河村に追い詰められた菅内閣よ   鳥羽省三


○  おるすばんずっと降ってるぼたん雪ずっと読んでる「アンの青春」  (富山市) 松田わこ

 「ぼたん雪」が降る日の「おるすばん」もさること乍ら、その間に「ずっと読んでる『アンの青春』」の趣きにも一入のものがありましょう。
 ところで、松田わこさんに一言ご注意致しますが、短歌作品中に登場する文学作品をカッコ書きするような場合は、『アンの青春』と二重鍵カッコを使いましょう。
  〔返〕 おるすばんママと姉さんいつ帰るおみやげ何を買って来るかな?   とばしょうぞう

今週の朝日歌壇から(2月21日掲載・其のⅠ・決定版)

2011年02月24日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  榛名湖の氷上に釣る公魚の穴より出でて宙に光れり  (前橋市) 荻原葉月

 評者はこの作品を目にした当初、「公魚の穴より出でて宙に光れり」という表現だけに着目したので、釣られて天麩羅にされる運命の「公魚」が、その名に相応しく毅然として威厳を正している様子として捉えました。
 しかしながら、そうした解釈も強ちとんでもない誤読とは言えないかも知れません。
 何故ならば、作者は、釣り上げられて氷の穴の中から出て来たばかりの「公魚」が冬の朝日を浴び、空中で身を反らしキラリと光り輝いている様子を詠んでいるのですから。
  〔返〕 空中に釣り上げられた一刹那尾鰭反らせるワカサギの見栄   鳥羽省三
      氷上で凍り付かんとする刹那尾鰭反らせし公魚の見栄       々


○  児を抱えヴァイオリン背にわが娘わっさわっさと改札通る  (石巻市) 須藤徹郎

 短歌表現に行き詰りを感じたのでありましょうか?
 或いは、豊臣秀吉の“刀狩り”にも匹敵する“言葉狩り”とでも言うべき現象でありましょうか?
 昨今のいわゆるプロの歌人たちは、「オノマトペ」と称して、擬声語や擬態語に注目なさり、その作中にもその類の語が盛んに用いられているようである。
 また、“総合誌”と言われている短歌専門の雑誌に於いても、“オノマトペ特集”とでも言うべき記事が組まれたりしているが、こうした現象は、“鶏が先か卵が先か”と言うべきことであり、総合誌のそうした記事にプロの歌人たちが刺激されて“オノマトペ”なる言葉に注目するに至ったのか、それともその逆であるか、などということについては、不勉強な私には全く判りません。
 つい最近目にした何方かのブロクにも、河野裕子氏の遺作『葦舟』に触れて、「河野裕子の晩年の歌の特徴は、自然体ということだろうか。力が抜けているような感じ。初期の作品とは違ってきている。オノマトペは、ずっと多い。毎日毎日、たくさん作られたのだろう。」とあった。
 この歌人などは、幾分か社会常識や一般教養に欠けている点が惜しまれるが、短歌センスの面ではかなり卓越した才能を持って居られるので、著名な歌人の物真似の“オノマトペ”漁りなどはしないで、見たまま感じたままの事柄を自分自身の言葉で表現しさえすれば、かなりいい線まで行けるのに、と、私はかねがね気に掛けていたのである。
 “オノマトペ”即ち擬声語や擬態語の類は、言わば、より原始的かつ即物的な表現であり、思惟的或いは抽象的な表現を思い付かない場合に用いられる表現かと思われ、時には作品を作品たらしめるような大きな役割りを果たすこともあるが、結社誌や総合誌或いは新聞歌壇などに盛られている作品中で、いわゆる“オノマトペ”を用いた作品の大半は、敢えてオノマトペを用いなくても良かったのに、と思われる作品が多いのである。
 したがって、言語表現の開拓者たるべき現代歌人たちが今更大騒ぎをして、手柄顔で用いるべき表現とは思われません。
 ところで、本作で用いられている「わっさわっさ」という擬態語は、現代作家たちが血眼になって漁っている“オノマトペ”と言うよりも、東北方言で言うところの「なりふり構わずに全身を揺すって過ぎて行く」様子を、面白おかしくかつ即物的に表現しようとしたものであり、また、それだからこそ、「児を抱えヴァイオリン背に」という一、二句とも微妙な関係で響き合って、成功しているのである。
  〔返〕 わさわさと竹の葉揺らすパンダらは外貨稼ぎに上野に来たか   鳥羽省三
      のろのろと銀座通りを走ってる石原マラソン今年で最期       々


○  三八の豪雪想ふ永平寺仏殿軋み怯えしあの日  (東根市) 庄司天明

 「三八の豪雪」と言えば、評者が成人に達して間もない頃であり、本作の作者・庄司天明大和尚とて、未だ悟りどころか度胸も坐らず、読経も思うままにならない若輩の僧侶として、本山・永平寺で修業中の頃かと思われます。
  〔返〕 未だ若く修行途上の若僧が度肝抜かせし三八豪雪   鳥羽省三


○  大雪にいつもの如く玄関前子ら一列に吐く息白し  (七尾市) 田中伸一

 今年始めての「大雪」の朝、田中家の「玄関前」には「いつもの如く」ご近所の「子ら」が勢揃いしたのである。
 しかしながら、たまたまこの朝は、本作の作者・田中伸一さんちのご長男・伸典君が朝寝坊してしまったので通学準備が遅れてしまった。
 そこでお父さんの伸一さんは、「うちの伸典はあの通りの愚図だから、通学準備にもう少し手間取ると思うよ。差し支え無かったら、皆さんもう暫く待ってやって下さい。なんだったら、私が車に乗せてやり、みんなの後を追っかけさせるから、皆さんは先に行ってても宜しいよ」などと、律義者として知られた伸一さんらしく、極めて低姿勢で謝ってはいるのですが、田中家の前に「一列に」整列して真っ白い「息」を吐いている「子ら」は、それにも関わらず、一斉に口を揃えて、「いいの。いいの。伸典君ちの小父さんは何も気にしなくてもいいの。伸典君が愚図であることは、ここにいるみんなが知っていることだから、大人たちは気にしなくてもいいの」などと、子供らしくも無いことを言って、田中伸一さんを慰めている場面でありましょうか?
  〔返〕 冬だから大雪降るのが当たり前いつも通りに学校に行く   鳥羽省三


○  伝へきて寒には鯉こく焚くならひ総領なれば頭盛られし  (長野県) 沓掛喜久雄

 「鯉こく」とは、雪国の人々にとっては、冬の寒さに耐える為の特別な食べ物とも言えましょう。
 わが国には、“冬至には南瓜”、“土用の丑の日には鰻”といったような伝統的な食習慣が在りますが、本作の作者・沓掛喜久雄さんのお住まいの在る長野県では、「寒」中に寒さしのぎの為に“佐久鯉”の「鯉こく」を食べるという習慣が在るのでありましょう。
 で、その点をおさえた上での本作の要点は、「総領なれば頭盛られし」という下の句の語句をどのように解釈するか、或いは、この下の句に、作者・沓掛喜久雄さんが、どのような思いを込めていらっしゃるのか、という点にありましょうか?
 察するに、本作は作者・沓掛喜久雄さんが、自らの少年時代のことを回想しての作品でありましょう。
 沓掛家はその地方の名家であり、喜久雄さんはその名家の総領息子でありましょうから、同じ沓掛家の人間とと言え、家族の中の女性たちとは勿論、男兄弟の次男や三男とも別の待遇で育てられていたのでありましょう。
 そこで、ある寒中の晩餐の折、沓掛家の主婦たる彼のお母さんは、彼の高脚のお膳の上に置かれた朱塗りのお椀の中に、「鯉こく」の「頭」を盛ったのである。
 その事は、当事者のお母さんからすれば、少しも悪気が無いどころか、我が子の喜久雄さんはこの家の総領息子であるからと、特別待遇をしたつもりで、そうしたのでありましょうが、未だ少年の彼にしてみれば、「自分より目下の弟たちや女の家族たちの『鯉こく』は、美味しそうな胴中の部分や尻尾の部分なのに、自分のは『総領』だからという理不尽な理由で、食べ難く美味しくもなさそうな『頭』の部分である。これは、日頃から自分にだけ辛く当たるお母さんに、“一服盛られた”も同然だ」と、子供心に恨みがましくも思ったのでありましょうか?
 しかし、「親の心、子知らず」とはこの事である。
 今や老境に達して、人の子となり、祖父ともなった喜久雄さんは、幼かった当時の自分のことを思い出し、恥ずかしいとも懐かしいとも感じていらっしゃるのでありましょう。
  〔返〕 鯉こくの頭の部分は美味しくてありとあらゆる栄養に富む   鳥羽省三 
 

○  戦没の父よいずくやラバウルの椰子の葉揺らし熱き風吹く  (富士吉田市) 萱沼勝由

 「ラバウル」と言えば、あの太平洋戦争中に、我が国の航空隊の基地が置かれ、陸海軍合わせて九万人余りのわが国の兵士たちが配置されていたので、我が国の現代史とは切っても切れない縁で繋がる南洋の土地である。
 また、この町の近郊のタブルブル火山及びブルカン火山は、有史以前から度々噴火を繰り返して居り、ごく最近では1994年に同時噴火が発生し、同地は未だにその時の被害から立ち直れない状態にあるということである。
 その南洋の地・「ラバウル」の町に、本作の作者・萱沼勝由さんは、「戦没」なさったご尊父様の遺骨探しにでもいらっしゃったのでありましょうか?
 その「ラバウル」という町は、私にとっては全く未知の地でありますが、作中の「椰子の葉揺らし熱き風吹く」という語句に拠って、僅かながら、南国らしい雰囲気を窺うことが出来るような気がするのである。
  〔返〕 底抜けの明るい声で歌ってた「さらばラバウルまた来る日まで」と   鳥羽省三


○  円かなる光の中にうずくまり老いを演ずる若き芸人  (横浜市) 田口二千陸

 「若き芸人」が「円かなる光の中にうずくまり」「老いを演ずる」ことに対して、本作の作者・田口二千陸さんは、どのようなお気持ちでいらっしゃるのでありましょうか?
  〔返〕 薄れ陽の歪なる陽にうずくまり後幾日の我が余生かも   鳥羽省三


○  春の日に結婚相手と決めたのは生きる力のなさそうな人  (盛岡市) 白浜綾子

 「春の日」にわざわざ「生きる力のなさそうな人」を選んで「結婚相手と決めたのは」、一体どんな理由が在ってのことでありましょうか?
  〔返〕 春の日の光に当たる我なれば結婚相手は何方でも良し   鳥羽省三


○  千頭の海豹日向ぼこをなす抜海港より利尻富士見ゆ  (稚内市) 藤林正則

 稚内市の観光案内のコピーにするに相応しい作品でもありましょうが、実情よりやや誇張されているとも思われる「千頭の海豹日向ぼこ」という表現に、作者・藤林正則さんの心のときめきが感じられないでもないと言えば、やや誉め過ぎになりましょうか?
  〔返〕 海豹が千頭も居て日向ぼこ一頭一人観光客呼ぶ   鳥羽省三

 
○  心の声そっと聞こえているような薄暮に届く新着メール  (札幌市) 江畠詩織

 バスや電車の座席で、背中を丸め、俯いた姿勢でひたすら「メール」を打っている若者たちを見つめていると、彼らの打つ「メール」の一語一語には、確かに「心の声」どころか“怨念”さえも籠もっているように感じるのである。
 評者にとって、「メール」とは、それを打つ人の心からは勿論、それを待ち受ける人の心からも生きる情念を奪い去って行くような悪魔の道具のようにも思われるのである。
  〔返〕 心中の生きる情念奪ふごとメール幾億闇夜彷徨ふ   鳥羽省三

『NHK短歌』観賞(東直子選・2月20日放送)

2011年02月23日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  おのおのの臓器(オルガン)はこぶ面持ちにサラリーマンが下げ行くカバン  (富士宮市) 林 充美

 「サラリーマンが下げ行くカバン」の中には、何かとても大事な大事な宝物が入っているに違いないと、私はかねてより密かに思っていたのですが、この一首に接してその謎がやっと解けました。
 彼らが後生大事に抱えているあの「カバン」には、彼ら「おのおのの臓器(オルガン)」が入っていたんですね。
 それならば、毎朝毎朝、彼らが神妙な「面持ち」であの重い「カバン」を下げて行く謎が氷解致しました。
 林充美さん、ご教授とてもありがとうございました。
  〔返〕 ケータイもパソコンもまたオルガンで月給鳥は人間でなし   鳥羽省三


[同二席]

○  野の花を描いた鞄で旅してた発芽を許す土を探して  (北海道礼文町) 杣田美野里

 あの「野の花」から引き離されて、風のまにまに空中を漂う植物の小さな種の袋状の物のことを、専門用語では何と言うのでありましょうか?
 それはともかくとして、あの風の吹くままに空中を漂う植物の種を抱えたあの袋状の物のことを、「野の花を描いた鞄」と表現したのは、お第「鞄」を生かしたなかなかのアイディアでありましょう。
 また、その「野の花を描いた鞄」が「発芽を許す土を探して」「旅してた」というのも、なかなかの思いつきでありましょう。
 でも、本州や遠くシベリアやカナダからまで、「野の花を描いた鞄」が飛んで来て芽生えたとしたら、高山植物の宝島みたいな、あの礼文島の植物生態に狂いが生じませんか?
  〔返〕 飛んで来い我が狭庭辺に芽生へせよ遠き礼文のレブンアツモリソウ  鳥羽省三


[同三席]

○  知らぬ町流るる車窓一枚の辞令を入れし鞄抱きおり  (和歌山県上富田町) 西方耕三

 在るがまま、流されるままの自分ご自身を映し出した佳作である。
  〔返〕 一枚の辞令の軽さに較べたら鞄は重い胸に抱いて   鳥羽省三


[入選]

○  村人の最期の心音拾いたる義父(ちち)の聴診器鞄に残る  (熊本市) 横手まゆみ

 作者・横手まゆみさんの御義父殿はお亡くなりになる直前まで、「村人」たちの診察や治療に明け暮れていたのでありましょう。
  〔返〕 肥後の在 音に聴こえし赤ひげの聴診器にて鞄に残る   鳥羽省三    

○  たましひの尻尾のやうにストラップ左右に揺らす少女のかばん  (高松市) 嶋本和子

 作中の「少女のかばん」の中身は、言わずと知れたケータイである。
 「少女のかばん」に入っている携帯電話の「ストラップ」を「たましひの尻尾のやうに」とした直喩が卓抜である。
 昨今の「少女」たちにとっての携帯電話は、まさしく「たましひ」そのものであり、彼女らは、ケータイをまるでキリスト教徒の十字架のようにして、教室内であろうが車内であろうが、胸に戴いて居るのである。
  〔返〕 祖母の持す護符の如くも尊びて携帯電話を少女は抱く   鳥羽省三


○  柔らかなリュックはときに枕としすっからかんと陽射しを浴びる  (真庭市) 奥山和俊

 「すっからかん」の身の上ともなれば、天下無敵、太平楽でありましょう。
 それだけが財産の「柔らかなリュック」は「ときに枕」となり、時には“ダッチワイフ”ともなるのでありましょうか?
  〔返〕 お日様は人を選ばずフーテンの和俊さんを隈なく照射   鳥羽省三   

○  道端に鞄投げ出し少年は嗚咽のごとき草笛吹けり  (岡崎市) 山本初枝

 不躾で育ちの良くない「少年」などと評したら、作者・山本初枝さんの創作意図に反することにもなりましょうが、でも、いくら何でも、「道端に鞄投げ出し」までは、誉める気にもなりません。
 また、私ぐらいの年輩の者ならば、「草笛」を吹くぐらいのことは、小学校に入学する前から容易く出来て、人前で吹くのは貧乏たらしくて恥ずかしいからと、人に隠れてそっと吹いていたものでした。
 それが、今になってみると、まるで民俗音楽の伝承者みたいに推奨されたりして、本当に笑っちゃいますね。
 と、申しても、私は何も、本作の内容や出来栄えについて否定的な意見を述べているのではありません。
 ただ単に、現代社会の若者の風俗について、一言述べたかっただけのことであります。
 そう言えば、嘆かわしいのは若者だけでは無く、私たち高年齢者でも同じことでありましょう。
  〔返〕 誠実と言えなくもない抑止力は方便と言い撤回もせず   鳥羽省三


○  就活の資料にふくらむ黒鞄に顎(あぎと)預けて女子(をおみご)眠る  (岡崎市) 阿部啓子

 愛知県の岡崎辺りでもそんなご様子でしたら、北海道、東北、四国、九州辺りの「就活」事情は、見るも無惨な真っ暗闇でございましょう。
 “活動”の「活」を伴った二字略語が「部活」しか無かった時代のことがまるで夢のように思われます。
 それが今では、「就活」「婚活」に始まって「終活」までも在ると言う。
 あの時代に都市銀行や大手証券会社や大手商社などにご入社なされた女性が、今でも極くたまに支店の窓口などで見受けられますが、ご尊顔を拝し奉るだけでその時代が判るような気がします、などと申し上げたら総スカンでありましょうから、前言を翻します。
  〔返〕 お洒落着で会社訪問何故しないお局様に意地悪される?   鳥羽省三


○  さりげなく鞄を左にもちかえて右手をあけた君の手よ、こい  (相模原市) 長沼直子

 狭い歩道に於ける“手繫ぎ歩行”は、他の人の通行の妨げとなりましょう。
 相模原界隈は特に歩道の未整備が目立ちますから、下手したらダンプに追突されて命に関わりますよ。
 冗談で申し上げているのではありません。
  〔返〕 上溝も相模大野も危険です淵野辺辺りは益々危険   鳥羽省三


○  女学生黒光りする鞄提げ友と語らい校門抜ける  (春日部市) 川康弘

 「女学生」にして「黒光りする鞄提げ友と語らい校門抜ける」とは、恐らくは、絶滅を危惧されている純情一方、真面目一方のお嬢様でありましょう。
 でも、そのお嬢様を誑し込んで遣れ、と“手薬練引いてる”不良学生が、春日部辺りにもうようよして居ますから、御父母様方はご用心の程を。
 一つの目安は、お嬢様の「鞄」の「黒光り」の程度でありましょうか?
  〔返〕 三月期カバンは潰れ光り無し耳に穴開けチャラチャラを下げ   鳥羽省三
 冗談ですよ。
 あくまでも冗談なんですよ。
 お気持ちをお楽にしてお笑い下さい。


○  われだけに父は中身をそっと見せ閉じた鞄のように逝きたり  (和光市) 中門和子

 作者のご尊父様はどんな「中身」を見せて「閉じた鞄のように」逝ったのでありましょうか?
 ご尊母様とご結婚なさる前の淡い初恋?
 作者が生まれた頃の出来心からの浮気体験?
 それが原因でのご尊母様の実家とのご確執?
 評者の想像力は尽きることを知らないのである。
  〔返〕 通夜の席開けてびっくり革鞄入っていたのは認知届だ   鳥羽省三
 冗談ですよ。
 あくまでも冗談なんですよ。


○  出稼ぎより帰りし夫の鞄には小亀も混じりて子等への土産  (能代市) 泉 昭子

 「亀」を飼育することの“癒やし効果”については、昨日の記事中で記したばかりである。
 本作の作者・泉昭子さんのご夫君は、「出稼ぎ」中にも留守家族の寂しい生活のことをご心配なさって居られ、この度の帰郷のお土産として、旅行「鞄」の中に、そっと「小亀」をしのばせていらっしゃったのでありましょう。
  〔返〕 小亀より大金持って来れば良い亭主出稼ぎ女房溌剌   鳥羽省三   
 という訳でもありませんでしょうが、でも、現実的に“癒やし効果”の高いのは「小亀」よりも“大金”であることは事実でありましょう。
 冗談ですよ。
 あくまでも冗談なんですよ。

今週の朝日歌壇から(1月24日掲載・其のⅣ)

2011年02月22日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  動物園の河馬が大きく口あけて小さなものを大きく食らう  (館林市) 阿部芳夫

 大小の言葉遊びとしての面白さ以上のものが感じられ、興味深い一首である。
  〔返〕 お隣りの大きな国が口あけて小さな国を呑み込まんとす   鳥羽省三


○  冬まつり、火まつり、ほんやら雪まつり越後は雪に埋もれて熱い  (新潟市) 太田千鶴子

 「ほんやら」とは、どんな意味の新潟弁でありましょうか?
 その詳細は解りませんが、察するに、「ほんやら」とは、「ほんわか」と同じように、人情の温かさとか細やかさとかを強調する場合に使われる言葉かと思われる。
 だとすれば、「ほんやら」というこの一語の副詞の働きは大きい。
 何故ならば、この「ほんやら」は、本来ならば冷たいはずの「雪まつり」に直接的に係り、「雪まつり」という行事に関わる「越後」の人々の人情の温かさと細やかさを強調すると同時に、「越後は雪に埋もれて熱い」という下の句の表現をも補うことになるからである。
  〔返〕 婿投げも裸参りも温かい風呂屋の番台越後の男   鳥羽省三


○  待つといふ刻の長きを積み上げて編み進みゆく君のセーター  (東京都) 長谷川瞳

 つい先日、私は自分の月例の通院の合間に、折から入院中の妻の妹の病室を見舞ったことがありました。
 で、その折、妻の妹は、この私が彼女のベッドの脇に入って行ったのも知らぬ気に、一心不乱に水色の毛糸と編み棒を手にして、何かを編んでいる最中なのでありました。
 入院中の退屈凌ぎに彼女の手をよって編まれる品物は、彼女の姑殿が着用なさる首巻かセーターかと思われますが、そのどちらにしろ、恐らくは「着ては貰えぬ」品物かと思われます。
 ところで、彼女のベッド脇に立った瞬間に覚えた、私の第一印象はと言えば、「こんな所にこんな事をしながら、随分と素朴な顔をした女性が居る。この素朴で肩幅の狭い女性は、私の妻と血の繋がる者である。血の繋がりとは、かくして、かなり切なく哀れなものである。私は、この素朴な顔をした女性の素朴な幸せと、彼女と血の繋がりを持っている吾が妻の素朴な幸せとを願わずに居られない」といったような、複雑にして単純なものでありました。
 やがて、私の存在に気付いた彼女と、ひとことふたこと言葉を交わした後、私はその病室を出て血液検査の現場に向いました。
  〔返〕 待つといふ時の長さを水色の毛糸に計りセーターを編む   鳥羽省三
      待つといふ時の重さを編み棒の軽さに変へて首巻を編む     々 


○  食む餅の硬きを誰も無言にて汁の音だけが獄舎に残る  (小山市) 清 昭久

 突然、不届きな話をして申し訳ありませんが、私は、この作品の作者・清昭久さんが、刑務所の職員では無くて、雑居房に繋がれている囚人であればいい、と思いました。
 真に手前勝手なことを申し上げましたが、この作品の鑑賞者としての私の気持ちを偽らず申し上げました。
 で、実情は如何でありましょうか?
  〔返〕 食む餅の硬きを春の思ひ出に刑務所暮らしも五年目に入る   鳥羽省三


○  僧われの頭をなでし檀家の子青年となり心病みおり  (三原市) 岡田独甫

 久方振りの岡田独甫和上の御作である。
 「僧われの頭をなでし檀家の子青年となり心病みおり」とは、真に感慨深く、僧職に在る者としての岡田独甫和上の実感のこもった一首であると思われる。
 折りしも、仏教国たる日本社会の檀家制度の崩壊が叫ばれ、葬祭業者に従属し、お布施などの収入の大半を彼らにピンハネされている僧侶たちの苦しい現状が新聞報道されている今日である。
 我が国民及び我が国の仏教は、何処に彷徨って行こうとしているのでありましょうか?
 我輩の迷える魂を救済して下さる聖人は、果たして此の世におはしますのでありましょうか?
  〔返〕 僧形で頭突き喰らはす海老様の舞台復帰は近からむとふ   鳥羽省三


○  この度は忘れ物なく甥達の帰りて寂し正月二日  (水戸市) 檜山佳与子

 「正月二日」に「甥達」が「帰りて寂し」という訳ではありません。
 「この度は忘れ物なく」「帰りて寂し」という訳でありましょう。
 そのことはともかくとして、本作の作者・檜山佳与子のお宅が、作中の「甥達」の毎年の「正月」の帰省先となっているのには、如何なるご事情がお在りになるのでありましょうか?
 その事については、作者ご自身が一言も触れていらっしゃらないだけに謎であり、この作品の魅力でもある。
  〔返〕 川口の伯母の所にお年始に行くとふ息子行かざる私   鳥羽省三 


○  売り出しののぼりはためく冬の街百円ショップに爪切りを買う  (群馬県) 眞庭義夫

 超不況下のこの頃であればこそ、「冬の街」には「売り出しののぼり」が、千切れんばかりに「はためく」のである。
 で、その「売り出しののぼりはためく冬の街」にお出掛けになられて、本作の作者・眞庭義夫さんがお買い上げになられた物はと言えば「百円ショップ」の「爪切り」一個だけのことでありました。
 眞庭義夫は名代の吝嗇で政府の内需拡大政策に協力したくないのでは無くて、彼の懐事情も亦、超不況下に在ったのでありましょう。
  〔返〕 売り出しの幟はためく歳末の街に出掛けず福袋買う   鳥羽省三  


○  遙々と南半球パースより受けし電話も「不景気」嘆く  (舞鶴市) 吉冨憲治

 本作も亦「不景気」話である。
 それもわざわざ「遙々と南半球パースより受けし電話」での「不景気」話なのである。
 本作の作者・吉冨憲治さんよ、貴方は再び北米大陸をお出掛けになられて、たっぷりと稼いでいらっしゃい。
  〔返〕 不況無し上下格差の彼の国に米を卸して儲ける者も   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(1月24日掲載・其のⅢ)

2011年02月21日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  帰る人居残る人に分かれたり晦日夕べの老人ホーム  (町田市) 冨山俊朗

 「帰る人」が幸せか?
 「居残る人」が幸せか?
 真面目に考えれば考えるほど、思案に困る場面なのである。
 それにしても、「晦日夕べの老人ホーム」を「帰る人居残る人に分かれたり」とご認識なさった、本作の作者・冨山俊朗さんの心は余りにも厳しく、余りにも複雑である。
 折りしも、吾が連れ合いの妹が一週間余りの入院生活から解放された。
 彼女が入院中、その義母殿はご近所の老人介護施設に短期入所していたのであるが、彼女の退院と同時に、その義母殿を老人介護施設から自宅に引き取るかどうかが問題なのである。
  〔返〕 紅白を聴かなくて済む点だけは居残り組が幸せなのか?   鳥羽省三
      クロの鳴く声が聞こえることだけで自宅の方が楽しいのかも   々


○  家中の水道の水を入念に抜きて年末任地を離れる  (稚内市) 藤林正則

 こちらの方も亦、正月準備で大童なのである。
 単身赴任者用の教員住宅の「水道の水を入念に抜きて」、藤林正則先生は、「任地」稚内市を離れてご家族の待つ自宅にお帰りになろうとしているのである。
 管理職としての藤林正則先生の「年末」の慌しさを目前にしているように感じられる佳作である。
  〔返〕 油断して水道水を凍らせてしまえばおじゃん半鐘が鳴る   鳥羽省三


○  瀬となりて程よき水の流れおり水の音あり石の音あり  (福岡市) 柳 正寿

 「水」が「石」を擦る時に発する「水の音」なのか、「石」が「水」を擦る時に発する「石の音」なのかが判りません。
 また、「水」が「石」に擦られる時に発する「水の音」なのか、「石」が「水」に擦られる時に発する「石の音」なのかも判りません。
 その判らない頃合を以って「程よき水の流れ」と称するのでありましょうか?
  〔返〕 瀬音とは水と石とが一体となって奏でる自然の楽音   鳥羽省三


○  風はきさらぎ土に張りつくたんぽぽがその葉を少しずつ立てはじむ  (筑西市) 斎藤絢子

 風はきさらぎ
 まだ寒い
 土に張りつくたんぽぽが
 土に張り付いたままで
 その葉を少しずつ
 立てはじめました

 本作の作者・斎藤絢子さんは、新しい韻律を創造しようとして懸命にもがいているのである。
 その“もがき”の懸命さが感じられるような一首と思われます。
  〔返〕 きさらぎの風は冷たし蒲公英は冬着纏ひて地にへばり付く   鳥羽省三
 

○  玄関に亀小屋と亀はこび入れ亀の冬眠をみんなでまもる  (川越市) 小野長辰

 高齢者所帯での「亀」の飼育は、それほどの手間も掛からず癒やし効果も齎されるとのことである。
 本作の場合は、「亀の冬眠をみんなでまもる」とありますから、お子様を中心として小野長辰さんご一家が全員で「亀」の飼育に当たって居られるのでありましょう。
 ご家族全員で飼育に当たれば、その癒やし効果もご家族全員に齎されることにもなりましょう。
  〔返〕 玄関はまだまだ寒い亀小屋はリビングルームに移しましょうか   鳥羽省三


○  明るくて積極的で前向きな若者になる面接試験  (山形市) 渋間悦子

 「若者」はどうして「明るく」なければならないのでしょうか?
 「若者」はどうして「積極的で」なければならないのでしょうか?
 「若者」はどうして「前向き」でなければならないのでしょうか?
 日本の「若者」たち全員が、政府や経済界やハローワーク職員の方々や学校の先生方の奨励する「明るくて積極的で前向きな若者」になってしまった時に、私たちの国・日本は、今よりももっともっと明るくて賑やかで美しく豊かな国、自然と平和と人間を愛する国、高齢者を敬い親切にし、世界の同胞と仲良くしようとする国、になっているのでありましょうか?
 時には、そうしたことに果てし無い疑問を感じることの多い、評者の昨今である。
  〔返〕 お笑いがそんじょそこらに蔓延ってひがなひねもす笑わせる国   鳥羽省三
      国民が一人残らずタレントで尻振りダンスばかりしている       々
                            [注] 尻振り=けつふり


○  「車道には出ないでください」駅伝のアナウンサーがお茶の間に言う  (ひたちなか市) 猪狩直子

 寡聞にして、評者は“ひたちなか市”を会場とした「駅伝」が存在するかどうかは知りませんが、仮に存在したとしても、その「駅伝」はテレビで実況中継されるとは思えません。
 本作の作者・猪狩直子さんがこの一首で以ってお示しになられた疑問の根源は、其処の辺りに存在するとも思われるのである。
 大変失礼ながら、猪狩直子さんにお教え致します。
 「駅伝のアナウンサーが」「お茶の間」でテレビ中継を視ている人たちに「車道には出ないでください」と「言う」のは、あれは「アナウンサー」自身が熱狂している風に装って臨場感を高めようとしていると同時に、会場となっている地域でその中継を見ている人たちが、「先頭の柏原選手が、いよいよ我が家の前を通るな。この際、彼と握手をして、彼の元気を貰おう」などと、不心得な気持ちになって、「車道」に飛び出すかも知れないので、それを警戒してのことでありますよ。
 お解りになりましたか?
  〔返〕 「投げ銭は止めてください」などと言い帽子片手に会場回る   鳥羽省三


○  削りかすも地下遺産とふ木簡を追ふ学究の長靴の泥  (奈良市) 宮本郁江

 歴史学や考古学の「学究」ともなれば、「泥」だらけのゴムの「長靴」も、鬚もじゃ顔も、自分がチョコレートを一枚も貰えなかったことも、発掘中にお腹が張って放屁してしまうことも、一切合財、気にならないのでありましょう。
 奈良市界隈は、そんな人たちの溜まり場ではありませんか?
  〔返〕 「肺癌は怖くないよ」と言う馬鹿の溜まり場なのか喫煙所とは   鳥羽省三

 中でも哀れを止めるのは、病院内の喫煙所である。
 「医は算術」の世の中であれば、肺癌の末期患者の為の喫煙所なども存在するのでありましょうか?


○  仕舞いたる従軍記章ときに出し錆の浮かざる銅の肌見つ  (相模原市) 中村健次

 あの「従軍記章」を「ときに出し」「錆の浮かざる銅の肌」を見つめて慰められる人も確かにいらっしゃるのですから、どんな物でも大切にしなければなりません。
 と言うことは、憲法第九条なども亦、大切にしなければならないことになるのである。
  〔返〕 仕舞いたる従軍記章を眺めるも戦争できぬ国なればこそ   鳥羽省三


○  映らねば上をたたきし日もありきテレビは家族のまん中に居た  (我孫子市) 梅田啓子

 巧みにお詠みになられた一首とは思われますが、同趣向の作品が山積している現状では、朝日歌壇の入選作にするには値しない作品かとも思われます。
 と言うことは、選者・永田和宏氏の不勉強が、この作品を入選作の末席に据えたということになりましょうか?
 実力のある作者は、同じところに低迷していてはいけません。
 見慣れた題材を手馴れた手法で詠んで、満足して居てはいけません。
 作者・梅田啓子さんの猛省と、新しい題材へのチャレンジと、言語表現への冒険が望まれる場面でありましょうか?
  〔返〕 またぞろの『三丁目の夕日』かも不況になれば彼が飛び出す   鳥羽省三
      ぬるま湯の中に居てこそ八百長の法蓮草も鮮度失う         々

 折から、映画『三丁目の夕日』のパートⅢが撮影中とか、彼の監督は、“柳の下の二匹目の泥鰌”ならぬ“三匹目の泥鰌”を狙っているのでありましょうか。

今週の朝日歌壇から(1月24日掲載・其のⅡ)

2011年02月20日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  太陽の雫残して点々と街の余白に冬の蒲公英  (東京都) 飯坂友紀子

 冬の淡い日差し受けて「街」のあちこちに「点々と」咲いた「蒲公英」を「太陽の雫」と述べたことや、「点々と」「冬の蒲公英」を咲かせている辺りを「街の余白」と述べたことなどは、極めて適切な比喩と思われます。
 “冬来たりなば春遠からず”とは言いますが、春はまだまだ遠い所にあるのでしょう。
  〔返〕 堤防の斜面に芽吹く春草に雫も淡き春の光よ   鳥羽省三


○  ひゆんひゆんと己が周りに透明の繭を成しをる二重跳びの子  (可児市) 前川泰信

 縄跳びの縄が「ひゆんひゆん」と軽快な音を立てて廻る様子を「二重跳びの子」が「己が周りに透明の繭を成しをる」と述べたのは、真に卓抜な比喩と思われます。
 縄跳びが終わった「子」が、自らで「成した」「透明の繭」の中から出て来る時には、どんなに美しく成長していることでしょうか?
  〔返〕 七彩の翼広げて出で来るか透明無色の繭を破りて   鳥羽省三


○  家刀自のなき家はいかに寒からむただいまを二度言ひたまふとふ  (福岡市) 宮川ますみ

 「家刀自のなき家はいかに寒からむ」という上の句の表現には、作者・宮川ますみさんの年齢や境遇などが窺われるような気がします。
 恐らくは、作者ご自身も亦、配偶者に先立たれたのでありましょう。
 作中人物が「ただいま」という挨拶の言葉を「二度」も言って帰宅する、という話を耳にした時、宮川ますみさんはかつてのご自身のことも思い出されて、どんなにか身につまされるような思いをなさったのでありましょうか。
  〔返〕 家長を亡くした時も今も尚ますみの胸はさぞ寒からむ   鳥羽省三
        [注] 家長(いえぎみ)=主婦を意味する家刀自に対して、一家の亭主を意味する。


○  透析は沈香も焚かず屁もひらず微睡むだけでお喋りもせず  (八王子市) 八木下巌

 「透析」を受けなければならない状態ともなれば、その心情はなかなかに深刻なものと思われる。
 その深刻な事態を軽く受け止めたが如くに、作者は自分が直面している事態を「沈香も焚かず屁もひらず」とユーモラスに述べ、更には「微睡むだけでお喋りもせず」とまで述べているのであるが、「微睡むだけでお喋りもせず」という下の句の記述からは、作者のユーモア精神のみならず果てし無い断腸の思いも窺われるのである。
  〔返〕 貧しなお盗泉の水飲まないで“温泉水”など買って飲んでる   鳥羽省三  


○  バアバ イナイ 小用に立つ吾が影を二語表現が探して歩く  (所沢市) 若山 咲

 「小用に立つ吾が影」を「探して歩く」時にお孫さんの可愛いお口から発せられる「バアバ/イナイ」は、正確に言うと「二語表現」では無くて“三単語二文節表現”である。
 勿論、退屈紛れに一言述べてみただけのことでありますから、お気になさる必要はありませんが。
  〔返〕 この春は「バーバオシッコ、ババッチ」と初孫殿に言われたりして   鳥羽省三


○  元旦に十キロジョグす戒律に定められてるとおり みたいな  (岩手県) 田浦 将

 一字空きの後の「みたいな」は、「みたいな感じでジョグす」という訳でありましょうか?
  〔返〕 山の神思へば軽き十キロの戒律ならば更に十キロ   鳥羽省三


○  ベトナムのみやげものやの暗がりで黄の布に刺繍している少年  (調布市) 水上香葉

 「つい、うっかり立ち止まって視線を向けたりすると、途轍も無い高額の円を殆んど強奪同然に支払わせられて、スカーフにもハンカチにもならないような黄色い布切れを押し付けられる」との噂も耳にしました。
  〔返〕 熱帯のジャングル縫って流れ来るメコン色して汚れた更紗   鳥羽省三


○  新聞の駅伝の欄切りぬきて柏原の顔お守りにしつ  (横浜市) 秋鹿素子

 昨年の暮れ、私は小田原から箱根駅伝のゴール地点である芦ノ湖畔までバスで往復しましたが、作中の「柏原」選手に限らず、あのきつい山坂の二十数キロを一気に駆け抜けることが出来る選手の根性と体力には改めて驚嘆致しました。
 したがって、「新聞の駅伝の欄切りぬきて柏原の顔お守りにしつ」というこの一首の表現は、私にとっては極めて実感の伴った表現かと思われます。
  〔返〕 スポ日の春合宿の日ハムの斎藤佑樹の顔踏んづけた   鳥羽省三


○  町に出しついでに一本紅買うて春が近くに来てゐるやうな  (杵築市) 長野なをみ

 「買うて」は「買ふて」にするべきかと思われます、と申し上げるよりは、本作は内容から判断すると、「町に出たついでに一本紅を買う春が近くに来ているようで」と、口語表現にした方が宜しいかとも思われます。
  〔返〕 町に出たついでに缶生引っ掛けて五本で足りず十本も飲む   鳥羽省三 

○  お日さまが本気を出した山の上空も雲も真っ赤になった  (福岡県) 難波宏太

 選者の高野公彦氏は、この作品の何処に目を着けて入選作の末席に加えたのでありましょうか?
 或いは、「お日さまが本気を出した」という表現に着目されたのでありましょうか?
  〔返〕 公彦が本気になって選んだと思えるような歌を選んで   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(1月24日掲載・其のⅠ)

2011年02月19日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  国道の動かぬ車列とほく見ゆ雪の弱まる元日の午後  (鳥取県) 中村麗子

 「雪の弱まる元日の午後」ともなれば、距離的にも心理的にも「国道の動かぬ車列」は「とほく見ゆ」という訳なのでありましょう。
 実害の及ばない場所に居て“高みの見物”ということでありましょうか?
  〔返〕 テレビでは「二日は晴」という予報Uターンラッシュも明後日までだ   鳥羽省三


○  年末の日差し明るき休日に吾娘連れて動物園にコモモ見に来ぬ  (横浜市) 高橋幸穂

 「吾娘連れて」の「コモモ」見物も結構ですが、これだけの大幅な字余りでは短歌とは言えないでしょう。
  〔返〕 パンダさえ来なければなお大人気ゴリラの赤ちゃんよちよちコモモ   鳥羽省三


○  地獄谷温泉野猿公苑に冬日抱へて猿入浴す  (熊谷市) 内野 修

 作中の「地獄谷温泉」とは、長野県下高井郡山ノ内町の横湯川渓谷沿いの一軒宿の秘湯であり、“後楽館”という温泉宿名物の露天風呂には、近くの観光施設「野猿公苑」から日本猿が訪れてお客様と一緒に混浴する、ということが呼び物となっている。
 しかしながら、本作の題材となった光景は、「野猿公苑」内に引かれている温泉に冬の薄日が映り、それを抱えるようにして「猿」が入浴している侘しくもユーモラスな風景でありましょう。
  〔返〕 冬の日が温泉の湯に影映し猿三匹が奪い合いする   鳥羽省三


○  初詣空見上げればゆっくりと電線またぐ飛行船あり  (東京都) 神保 隆

 「電線またぐ飛行船」とありますが、「飛行船」は「電線」を「またぐ」というよりも、「電線」の上をすれすれに飛行しているのであり、それを見ている側の「今にも『電線』に接触して火花を散らして墜落するに違いない」という、“はらはら感”乃至は“わくわく感”が、そうした感じを抱かせた原因でありましょう。
  〔返〕 元旦に火花と共に墜落し死者六名の飛行船かも   鳥羽省三


○  陸奥のそのまた奥の初日の出村民八名頂上に立つ  (仙台市) 小野英雄

 「村民八名頂上に立つ」が、いかにも「陸奥のそのまた奥の初日の出」らしくて宜しい。
  〔返〕 詳しくは村民八名猿無数ニホンカモシカ二匹の初日   鳥羽省三


○  寺の多き旧産炭の街にゐて合呼ぶごとき除夜の鐘聞く  (美唄市) 寺澤和彦

 作中の「旧産炭の街」に限らず、かつての鉱山町には、何故か寺院または寺院の跡が多いのである。
 “落盤したら最期”という意識と共に生きていた鉱山町の人々は、人並み外れて信仰心が強かったのでありましょうか?
 「寺の多き旧産炭の街」であるから、多くの寺々で鳴らす「除夜の鐘」が「合呼ぶ」如く鳴り響くのでありましょう。
 かつての賑わいも空しく「寺」だけが多い「旧産炭の街」の侘しい大晦日の雰囲気が感じられる佳作である。
  〔返〕 墓標のみ空しく立てる銀山の廃墟に響く除夜の鐘かも   鳥羽省三


○  晴るる日は自転車で行く通勤路富士の白峰視野に置きつつ  (島田市) 小田部雄次

 本作の作者・小田部雄次さんは、「富士の白雪朝日で融けて、娘島田は情けで解ける」と歌われた島田市に在住されていらっしゃる。
 なればこそ、「晴るる日は」「富士の白峰視野に置きつつ」「通勤路」を「自転車で行く」のでありましょう。
  〔返〕 雨の日は富士の額の傘差して一号線を避けて出勤   鳥羽省三


○  カツカツと響くブーツの音さえも飲み込むような午後の図書館  (八王子市) 青木 凪

 公立「図書館」の「午後」ともなれば、読書中の人々は物音一つ立てないで静まり返っている。
 したがって、たまに訪れる女性たちの「カツカツと響くブーツの音さえも飲み込む」ように感じられるのである。
 本作の作者・青木凪さんは、「カツカツと響くブーツ」を履いて出掛けた為に自分が場違いな場所に訪れてしまったような気分に陥っているのでありましょうか?
  〔返〕 くちゃくちゃと噛めるチュウインガムの音うるさ過ぎると少女叱られ   鳥羽省三


○  観客に中高年多く蹴球(ラグビー)の大学選手権校歌懐かし  (横浜市) 安達三津子

 「蹴球(ラグビー)の大学選手権」で「校歌懐かし」と言えば、あの「♪ミヤコノセイホーク」という奴ですかね?
 彼らは三人集まればあれを遣らかすから、始末に終えないのである。
  〔返〕 帝京もあるぞ何言うバカヤロー早稲田に明治慶応弱い!   鳥羽省三


○  てかてかととにかく赤い獅子頭算盤のような口が上下す  (富士吉田市) 田辺義樹

 「私には難しい言い方は出来ませんが、『とにかく』『獅子頭』と言えば、あの赤くて『てかてかと』したやつですよね。あの『赤い獅子頭』には、まるで『算盤の』の玉の『ような口』が付いていて、その『算盤』の玉の『ような口が上下』にパクパクと動いて、子供の頭を噛もうとするんですよ。でも、あれって、噛まれれば噛まれるほど無病息災で縁起がいいんですってね。あんた知ってた」といった感じの表現である。
 「てかてかととにかく赤い」が絶妙の効果を齎している。
  〔返〕 てかてかと照るだけ照ってもまだ寒い桜の咲くのはまだまだ先だ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(2月13日掲載・其のⅡ)

2011年02月18日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  雪おろし青空広がる眩しさに生きてるよぉって思う瞬間  (福島県) 松岡秀子

 「生きてるよぉって思う瞬間」などと言うと、いかにも蓮っ葉な言い方のように聞こえますが、「雪おろし」をし終えて、目の前に「広がる」「青空」に「眩しさ」を感じた「瞬間」こそは、まさしく「生きてるよぉって思う瞬間」なのである。
  〔返〕 雪おろし屋根は軽くはなったけど窓が塞がり部屋は真っ暗   鳥羽省三


○  消火栓の目じるし雪に埋もれゆき木の枝に結ぶ黄色いリボン  (鳥取県) 長谷川和子

 「黄色いリボン」などとあれば、高倉健主演の映画『幸福の黄色いリボン』を思い出してしまう評者なのである。
  〔返〕 「この下に幸せ在り」と示すごと雪に竿立て黄色いリボン   鳥羽省三


○  ガス室の吸入ボタン押しやれば忽ち犬は「物」となりゆく  (横浜市) 富沢昌晴

 「ナチスドイツによるユダヤ人の『ガス室』送りは非難されても、飼い主の無い『犬』の『ガス室』送りは誰からも非難されない」という訳でありましょうか?
 だとすれば、“万物の霊長”としての人間の思い上がりにも甚だしいものがある。
  〔返〕 犬に豚牛に鶏殺処分人の他全ては「物」と見做すか   鳥羽省三


○  熱高き父の額に掌を置けば薄皮の下冷えた骨のあり  (盛岡市) 白浜綾子

 かく感じて、父子の情愛は益々深まるのでありましょう。
  〔返〕 薄皮の下に冷えたる骨を持つ父よ我が父血を享けし父   鳥羽省三


○  生垣の白い山茶花の花陰に冬バラひとつ咲く 異邦人  (枚方市) 秦 順之

 一首の意は「『生垣』として植えている『山茶花』が『白い』花をつけたが、その『花陰に冬バラ』が『ひとつ』咲いている。その有様はまるで『異邦人』といった印象である」ということでありましょうか?
 問題は、作者の抱かれたご印象・「異邦人」にどれだけ多くの方が同感を覚えるかでありましょう。
  〔返〕 鉄棒にぶら下がってる十人のうちの一人が娘だ 花だ   鳥羽省三


○  まず母が絵を描いてから貰い受け蕗味噌にする蕗の薹ひとつ  (松阪市) こやまはつみ

 たった「ひとつ」の「蕗の薹」ですから、お母さんが「絵」に「描いて」いるうちに萎びれてしまいませんか?
  〔返〕 先ず写真その後私が貰い受け父の分だけ作る蕗味噌   鳥羽省三  


○  鬱鬱と枯葉の始末する我に話を聞くよと寄り来る鶲  (佐伯市) 西名靖子

 「鶲(ひたき)」または「尉鶲(じょうびたき)」とも言うそうですが、「鶲」と言う冬の渡り鳥は、縄張り意識の極めて強い鳥だそうですから、或いは、「鬱鬱と枯葉の始末する我に話を聞くよと寄り来る」のでは無く、「私の縄張りから出て行け」と言って「寄り来る」のかも知れませんね。
 いずれにしろ、思い入れが大きくかつ観察の細かい佳作として鑑賞させていただきました。
  〔返〕 鬱々としてれば寄り来る尉鶲悩める靖子を恫喝はせず   鳥羽省三
 

○  背を丸め民話聞きいる子らの顔五百羅漢のこどくさまざま  (沼田市) 笛木力三郎

 「五百羅漢のこどくさまざま」とありますから、「背を丸め民話聞きいる子らの顔」の中には、鼻水を垂らした「顔」やアトピーで傷だらけの「顔」が見えるのでありましょう。
  〔返〕 目を皿に舞台に見入る男らを手玉に取るかジプシーローズ   鳥羽省三   

○  二度寝して朝シャン遅めブランチすゴミ出しのない土曜の至福  (尼崎市) 南はるか

 それこそはまさしく「土曜の至福」と言えましょう。
  〔返〕 雌伏二年私腹を肥やす奴ばらをやっつけちゃえば私服で至福   鳥羽省三  


○  子を送る親の背丸く並び居て一月三日地方都市の駅  (福山市) 三保礼子

 五句目の「地方都市の駅」という表現がやや大雑把な捉え方と思われます。
  〔返〕 帰省子を送る親の背小さくて一月三日福山駅頭   鳥羽省三  

今週の朝日歌壇から(2月13日掲載・其のⅢ・決定版)

2011年02月17日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  劉暁波氏がノーベル賞を受けし事知らされぬ国で父は働く  (箕面市) 遠藤玲奈

 そういう国で働かなければならない日本人が今後益々増えてくることと思われます。
 生活の為とは言え、なかなか辛いことですね。
  〔返〕 家族ごと何処かへ疎開したくなるさてさて酷いお隣りの家   鳥羽省三


○  お寂しくなりますわねとひと言へり吾を見送る母に向ひて  (船橋市) 柿木博夫

 そんなことを仰って慰めて下さる親切な方には、次のようなご返事を差し上げれはお宜しいかも。
  〔返〕 寂しくは御座いませんねお隣りもそのまた隣りもお宜しいから   鳥羽省三
      寂しくは御座いませんよそのうちに息子がリストラされるはずです   々


○  降るたびにひと辛抱と唱へつつ雪掻き給ふやふるさとの母  (東京都) 橋本栄子

 万葉以来この方「消えない雪は無い」との事ですから、もう本当に「ひと辛抱」かと思われます。
  〔返〕 豪雪のニュース見るたび故郷の母の苦労が偲ばれ給ふ   鳥羽省三 


○  ドカ雪に閉じ込められしわが家も外気つながる換気口あり   (札幌市) 近藤満里子

 今年は、その「換気口」さえ埋めてしまうような、桁外れの「ドカ雪」だったようですよ。
 でも、北海道内の多くの家屋の構造は、屋上で消雪してしまうような構造らしいですから、案外、被害が少ないのかも知れませんね。
  〔返〕 爪先で立っても届かぬ高さまで降る北陸の雪の凄さよ   鳥羽省三


○  地ふぶきの荒ぶ尻屋崎の寒立馬よりあひて草を食む五六頭  (相模原市) 松並善光

 動物とは言え、「よりあひて草を食む」様子が哀れを催しますね。
 特に「五六頭」という末尾の句が切なく感じられます。
  〔返〕 二重着る冬着を三重に更にまた四重に着て立つ尻屋の岬   鳥羽省三


○  モノクロの柴犬が人を見つめてる殺処分前の記事とはなりて  (横須賀市) 坂野富美

 このところ多いのは、犬・猫・鶏・牛などの「殺処分」を題材とした作品である。
 もしかしたら、「殺処分」などというこの物騒な語が、本年の“流行語大賞”に選ばれるかも知れませんね。
 でも、いくらなんでも、それではあんまりですからね。
 それにしても残酷な話ですね。
  〔返〕 殺処分出来ぬ事情のボスも居て行方定めぬ民主政権   鳥羽省三 


○  パチパチと静電気とぶ指先に触れてやさしい庭の槇の木  (大阪市) 澤田桂子

 不勉強にして、この一首の意味を理解しているとは申せません。
 自動車の扉などに触れると「パチパチと静電気」が飛ぶのでとても気持ちが悪いのであるが、自宅の「庭の槇の木」に触れても「静電気」が飛びません。
 そこで、本作の作者は「指先に触れてやさしい庭の槇の木」と詠んでいるのでありましょうか?
  〔返〕 下敷きを擦ると起きる静電気斜め隣りの美少女に当つ   鳥羽省三


○  思い出の沿線にまだ住んでいる君をさらって銀河鉄道  (東京都)  上田結香

 「君をさらって」東京都内の池上線沿線から、いきなり岩手県花巻市への逃避行ですか?
 これは亦、何と優雅で、何と古風で、何とロマンチックな“東下り”ならぬ“奥の細道”ですこと。

  古い電車のドアのそば
  二人は黙って立っていた
  話す言葉をさがしながら
  すきま風に震えて
  いくつ駅を過ぎたのか
  忘れてあなたに 聞いたのに
  じっと私を見つめながら
  ごめんねなんて言ったわ

  泣いては ダメだと 胸にきかせて
  白いハンカチを 握りしめたの

  池上線が走る町に
  あなたは 二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も 帰る私なの

  終電時刻を確かめて
  あなたは私と 駅を出た
  角のフルーツショップだけが
  灯りともす夜更けに
  商店街を通り抜け
  踏切渡った時だわね
  待っていますと
  つぶやいたら 突然抱いてくれたわ

  あとから あとから 涙あふれて
  後ろ姿さえ 見えなかったの

  池上線が走る町に
  あなたは 二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も 帰る私なの          西島三重子作曲・歌唱/佐藤順英作詞『池上線』
    〔返〕 あの頃は隙間風さへ吹いて居て背中合はせの池上線よ   鳥羽省三


○  畦下りて冬の田に散り棺待つ人の頭上の無限の深さ  (島田市) 小田部雄次

 「畦」道を進んで行く時には隊列を成していた葬列が、その先に在る火葬場へ向おうとして「冬の田」に下りるや否や隊列が解けて散り散りになったのであるが、その中に在って「棺」を「持つ人」であった本作の作者・小田部雄次さんは、枯れ果てた冬田の上空が「無上の深さ」で以って青々としていることをしみじみとお感じになられ、その事と亡くなった人の命とを重ね合わせて瞑想しているのでありましょう。
  〔返〕 昨日まで歌を詠んでた人が逝く人の一生夢幻の如し   鳥羽省三
      無限なる空の青さに憧れぬ棺奉ぐる我のいのちよ      々


○  また君に秒針つきの時計貸すセンター試験監督の朝  (横浜市) 玄田睦美 

 大学職員であるご主人が、毎年の「センター試験」の度毎に奥さんの「秒針つきの時計」を借りて行くのでありましょうか?
 だとすれば、これも亦、ご家庭内のささやかな風物詩とも言えましょう。
  〔返〕 使うはず無いのに借りる時計にも込める思いの夫婦の仲か   鳥羽省三    

今週の朝日歌壇から(2月13日掲載・其のⅠ・決定版)

2011年02月16日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  たくわえしひげまで揺らし若きじじ初孫見せに揚々と来る  (飯田市) 草田礼子

 「若きじじ」が「初孫」を「見せに揚々と来る」様子を「たくわえしひげまで揺らし」と具体的に表現しているのであるが、「ひげまで揺らし」ているということは、自慢の「初孫」を一刻も早く縁者に見せたいと逸る気持ちを抑えることが出来ないで身体全体を意気揚々と「揺らし」ているのでありましょう。 
 昨今は、四十代前半の「若きじじ」が居たりして、彼らは自分自身の貫禄不足を補うかの如くに鼻の下や顎に「ひげ」を「たくわえ」たりもしているのであるが、作中の「たくわえしひげまでゆらし」という描写は、そうした「若きじじ」たちをからかっているような表現である。
 ところで、作中の「若きじじ」は、本作の作者・草田礼子さんの弟さんでありましょうか?
  〔返〕 息子より息子の嫁が好きになり少し怪しい関係である   鳥羽省三 


○  電子辞書で発見したるうさぎ座を南の空にさがすきさらぎ  (茨木市) 瀬川幸子

 「うさぎ座」は冬の星座の一つであり、オリオン座の南に位置し、「オリオンに追われている野ウサギを表す」とも言われている、小さく均整の取れた星座である。
 で、その「うさぎ座」を観察するに最も適した季節が「きさらぎ」であるが、短歌の末尾に“時刻”や“季節”を表わす言葉を置いて処理するのは、極めて安易な詠みかたと思われるので、ここはじっくりと考えて欲しい場面である。
  〔返〕 うさぎ座に一目逢はんと着膨れて如月夜半の屋上に在り   鳥羽省三


○  学校に行きたくないのはみぞれの日体育がない日ママといたい日  (富山市) 松田わこ

 北陸・富山で「学校に行きたくない」日がそんなにあるとしたら、天候不順な十月半ばから冬休み前までは、ほとんど「学校」に行く日が無いのではありませんか?
 もしもそんなだったら、それは“ズル休み”ですよ。
 さまざまな理由をくっ付けて「学校」を“ズル休み”して、「ママ」と一緒に短歌を詠んでいて、どうするんですか?
 そんな“ズル”したら、朝日歌壇の選者の先生や学校の先生にチクリますからね。
  〔返〕 わこちゃんは体育系より怠け系ズルして休み短歌詠んでる   鳥羽省三


○  養殖の魚に餌を撒く人のいて沖は夕焼け影絵のごとし  (富士吉田市) 萱沼勝由

 作者・萱沼勝由さんの現住所から判断すると、本作の題材となったのは、旅行先で出逢った「夕焼け」の光景かと思われます。
 中景に「養殖の魚に餌を撒く人」を置き、遠景の「沖は夕焼け」。 
 これこそ当に「影絵のごとし」と言い得ましょう。
  〔返〕 クニマスを深く抱いてる河口湖夢幻の如き夕焼け模様   鳥羽省三


○  ウェットスーツの漁師が銀杏藻を採る浜風荒き大寒の海  (稚内市) 藤林正則

 作中の「銀杏藻(ぎんなんそう)」とは、「北海道以北の岩礁に繁茂する海藻の一種で、その形から“福耳”とか“仏の耳”とも呼ばれ、清涼な海水と厳寒を好んで生育している為に採取量が微小な珍味であり、利尻島などの酷寒期の波荒い岩場で採取している様子が見られる」とのこと。
 藤林正則さんの作品は、教職員としての職業詠であり、稚内市在住者としての地方詠でもあるが、本作は稚内市在住者ならではの地方色豊かな作品である。
 〔返〕 波しぶき凍みる岩場にしがみ付き銀杏藻を採れる漁師ら   鳥羽省三


○  消防車おおかた引き揚げ一台が臨終見守る医師のごと在り  (坂戸市) 神田眞人

 「臨終見守る医師のごと」とは、消火活動が一先ず終わり、燻っているだけの火事場跡に残留している「一台」の「消防車」の形容としては、まさしく適切な直喩である。
 今回の入選作中の白眉とも申すべき佳作であるだけに、末尾の語が「居り」では無く「在り」とされていることだけが惜しまれる。
 他の「消防車」の「おおかた」が「引き揚げ」た後に残った「一台」の「消防車」は「臨終見守る医師」に喩えられているのであるから、どちらかと言うと無生物の存在を表わす場合に用いる「在り」よりも「居り」の方が適当かと思われるのである。
 是を以って“浅慮の一失”と申しましょうか?
 それはそれとして、入選作の全てがこのレベルの作品であれば“評者冥利に尽きる”と言えましょう。
 さて、かかる傑作に配する返歌を詠むことは極めて困難なことでありますが、清水の舞台から飛び降りるような気分で一首を。
  〔返〕 病む友が六人逝きし病棟で一人明かせる夜の侘しさ   鳥羽省三 


○  小魚らは静かに群れて動かざる春近き日の明石漁港に  (東京都) 野上 卓

 観察が行き届き、描写も優れた佳作であるだけに、「小魚らは」という詠い出しの“字余り”と“韻律の乱れ”が惜しまれる。
 即ち、「小魚」はあくまでも“こざかな”と読むべきであり、“こうお”などと三音で読む訳にはいかないので、「小魚らは」という初句は六音となり“韻律の乱れ”が生じているのである。
 しかしながら、少し考えてみると、二句目に「静かに群れて」とありますから、一句目を敢えて「小魚らは」として、「群れて」いる「小魚」が複数であることを示さなくても事足りるのである。
 「春近き日の明石漁港」の岸壁近くの深みに、「小魚」たちが「群れて」動かないのは、「小魚」たちは「小魚」たちなりの知恵と経験則ないしは生まれ付き身に備わっている“DNA”で以って、「『春』が近いとは言え、未だ水温が自分たち小魚の生息に適したレベルに達していないから、こうして深みの中に『群れて動かざる』に如くは無し」と感じているからでありましょう。
 そして、その様子を目にした本作の作者・野上卓さんも亦、そうした「小魚」たちの魂胆をいち早くキャッチして、「春は名のみの風の寒さよ」などともお感じになられ、この一首をものにされたのでありましょう。
 で、未練がましい言い方ではありますが、詠い出し「小魚らは」の失着が返す返すも惜しまれる。
  〔返〕 明石鯛・明石の蛸の名所で小魚を詠む酔狂も在り   鳥羽省三
                            [注]  名所=などころ


○  炉端にも席の序列のありし日のふるさと偲ぶ大寒の夜  (神戸市) 内藤三男

 「炉端にも」では無く、「炉端」にこそ、かつての日には座席の「序列」が在ったのである。
 そんな「日のふるさと」を「大寒の夜」に「偲ぶ」作者は、評者とほぼ同年代の歌人でありましょう。
 雪国育ちの私にとっては「大寒の夜」は、その言葉を聴いただけで寒修業の僧侶たちの鳴らす鈴の音が聞こえて来て、背中からぞくぞくと寒さが込み上げて来るような思いがするのである。
 ところで、瀬戸内海に面した神戸市と言えども、「大寒の夜」ともなれば寒くて、「ふるさと」の「炉端」を恋しくお思いになるのでありましょう。
  〔返〕 もの言はず横座に座せる父も居て何かと暗いあの頃なりき   鳥羽省三
      横座には無言のままの父の居て背中の冷える大寒の夜       々
      かか座には坐すべき母も居りませず燻る熾きの煙たき夜なり    々


○  杉の香のぷんぷん匂ふ俎板で野菜を刻む当面の幸  (前橋市) 荻原葉月

 「当面の幸」という五句目の表現と認識が卓越している。
 即ち、作者・荻原葉月さんは、「杉の香のぷんぷん匂ふ俎板で野菜を刻む」、ここ数日の暮らしに満ち足りながらも、その「ぷんぷん」たる「匂ひ」も、それから齎される「幸」も、一時的な「当面の幸」でしか無いことを認識しているのである。
  〔返〕 ぷんぷんと匂う間のものであれ徹底的に汲み尽くせ幸   鳥羽省三


○  朝日背にヒーローの如現われし除雪車雪を押し立てて来る  (八王子市) 瀧上裕幸

 「朝日背にヒーローの如現われし除雪車」とは、“よくぞ言ったり”とでも言うべき表現である。
 “朝日将軍・木曽義仲”にも似た彼の「ヒーロー」が「朝日」を「背」に戴いて「現れ」出でるや、国道の積雪の一切合財が除去され、その後を自動車たちがすいすいと行き交うことが可能となるのである。
 だが、彼の「ヒーロー」を別の角度から観察すると、彼らは“弱きを挫き強きを助ける”ような側面、即ち“アンチヒーロー”的な側面も備えているのであり、トヨタや日産やホンダなどの自動車の通路としての道路上の積雪は除去するものの、庶民たち、特に高齢者たちの生活を脅かしてもいるのである。
 何故ならば、彼らが「押し立てて来る」路上の積雪は、その出入り口を妨げるようにして、それぞれの家の玄関先にどかんと放置されるからである。
  〔返〕 除雪車は路上の雪を押し立てて民家の前にどっさりと置く   鳥羽省三 

 
[佐佐木幸綱選]

○  人類のいない地球を想像し夜中に食べるカップラーメン  (栃木県) あらゐひとし

 「人類のいない地球を想像」しながら「夜中に食べる」と、「カップラーメン」も宇宙食のような気分になるのでしょうか?
  〔返〕 生物は我と彼女の二人のみキャラメルラテに熱き湯注ぐ


○  金平糖鏤めたごとひらがなの跳ねる歌壇の輝く蕾  (今治市) 渡辺礼子

 選者の評言に「二月七日付本欄コラムにあったように、最近小学生の投稿が多いのだが、それだけではなく小学生短歌ファンの歌も多い。これはその中の一首」とある。
 朝日歌壇は、先にホームレス歌人・公田耕一ブームを巻き起こし、そのファンは今に至るも絶えないのであるが、昨今は亦、小学生仲良し姉妹歌人ブームの真っ最中であり、本作は、彼の仲良し姉妹短歌のファンとしての第一号作という訳なのでありましょう。
 本作の表現について言えば、「金平糖鏤めたごと」という比喩は、いつも甘くときどき尖がっても見せる“松田梨子・わこ”さんの姉妹の作品を思わせて卓抜な表現である。
 そして、「歌壇の輝く蕾」もなかなか宜しい。
  〔返〕 梨子も佳くわこも宜しき金平糖好みで言へばわこが金賞   鳥羽省三


○  犬猫も寝ねたる夜半か雪庭に山よりつづく貂の足跡  (塩尻市) 丸山健三

 「雪庭に山よりつづく貂の足跡」を発見したのは翌朝のことであり、本作の作者・丸山健三さんはその「足跡」を発見すると同時に、「鶏舎で飼っている鶏を狙って彼らが出没したのは『犬猫も寝ねたる夜半か』」と、推測しているのである。
  〔返〕 かくなれば鶏潰し喰らうべし人が食わねば貂に食われる   鳥羽省三


○  立上げの仕事に就きて三カ月すまして並ぶロボット五台  (富士吉田市) 武藤栄子

 「立上げ」とは、パソコンが普及するようになってから急に頭を擡げた新語とも言えない“新語”であり、例えば、“パソコンを立ち上げる”とか“ベンチャー企業の立ち上げ”などという場合に使われている言葉だと言う。
 それはそれとしても、本作中の「立上げ」という語がどんな意味で使われているのかは、不勉強にして私には解りません。
 察するに、本作の作者・武藤栄子さんは、富士吉田市内の電子関連企業に入社され、生産ラインに「すまして並ぶロボット五台」と一緒に、パソコンなどの「立上げ」のお「仕事」に従事なさって居られるのであり、生産ライン内に於けるご自身の役割りないしは立場が「ロボット」並みもしくはそれ以下であることを卑下して、この作品をお詠みになったのではないでしょうか?
  〔返〕 ロボットは絶対ヘマをしないけど私はいつもヘマしてばっか   鳥羽省三


○  原爆に遭いしピアノの傍らに従姉坐れり老女となりて  (中津市) 久恒啓子

 作中の「ピアノ」は、かつて本作の作者・久恒啓子さんの「従姉」のお姉さんがご愛用されていたのであったが、広島に「原爆」が投下された時に持ち主のお姉さんを身代わりにしたのか奇跡的に焼け残ったのである。
 そしてその後修理されて、それまでの持ち主の従妹に当たる久恒啓子さんに愛用されることになり、未だ現役の楽器として久恒啓子さんのお孫さんが弾いているのでありましょう。 
 で、その「ピアノの傍ら」に、ある晩、原爆でお亡くなりになったはずの「従姉」のお姉さんが御年相応の「老女」となって坐って居られたのでありましょう。
 古来、名器を巡る伝説は数多いが、本作も亦、名器“原爆ピアノ”を巡る伝説として鑑賞させていただきました。
  〔返〕 白鍵の五つ六つは焦げにしも音は変はらず悲愴を奏づ   鳥羽省三
 

○  我にこそ正義はありと言いつのる顔顔顔でニュース終わりぬ  (流山市) 本村早苗

 自民党所属議員などの代表質問の場面を映した後で第一チャンネルの午後五時の「ニュース」が終わったのでありましょう。
  〔返〕 衆院を解散せよと絶叫す猿猿猿の面構へかも   鳥羽省三


○  車窓より真白き富士の姿見ゆ大寒の日の二子玉川  (横浜市) 牛場信子

 長男家族が住んでいるマンションが多摩川を挟んだ向かい側に在るので、渋谷からの帰りに「二子玉川」の駅付近の「車窓」からいつも注視していたのですが、未だ一度も「富士」の雄姿を拝んだことはありません。
  〔返〕 今度また富士の姿を探しましょう二子新地のホームに立って   鳥羽省三


○  可愛さも可愛くなさも引き受けて日々少しずつ親になりゆく  (東京都) 田中彩子

 そうです。
 「可愛さ」ばかりで無く、「可愛くなさも引き受け」た時に初めて、「親」は「親」になったのだと言えましょう。
 それ以前の「親」は、“おやおやのおや”?に過ぎないのである。
  〔返〕 おやおやの親に過ぎない長男が娘二人と嫁を連れ来る   鳥羽省三


○  うちの子は来たくて来てる訳じゃない保護者の言葉耳に残れり  (名古屋市) 福田万里子

 いわゆる“モンペ”を題材にした作品でありましょうが、教職経験を持っている私には耳が痛い話である。
  〔返〕 担任も受け持ち生徒は選べない其処の辺りはお互い様か   鳥羽省三  

○  流感と入試続いて今日もまた暖まらない三年二組  (逗子市) 荒木陽一郎

 本作も亦、学校ネタの作品であるが、欠席者が多くて「三年二組」の教室は「今日もまた暖まらない」のである。
  〔返〕 流感の真っ只中の入試時期三月末にずらせないのか?   鳥羽省三

『NHK短歌』観賞(加藤治郎選・2月13日放送)

2011年02月15日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  「ウミ」という言葉が「海」とつながった五歳の夏が私の始まり  (福島市) 澤 正宏

 「『ウミ』という言葉が『海』とつながった五歳の夏」とは、福島県の内陸部育ちの作者が初めて「海」を見たのが「五歳の夏」であったことを意味するのでありましょうか?
 だとすれば、その強烈な印象がいつまでも記憶に残っているので「五歳の夏が私の始まり」という表現となったのでありましょう。
  〔返〕 冷たくて少し温くて塩辛くどぶんどぶんと「ナミ」が打ち寄せ   鳥羽省三
 この段階では、未だ「ナミ」は「波」と結び付かないままなのである。  


[同二席]

○  桟橋に降りればすぐに走り出す祖母の前掛け祖母の手のひら  (神戸市) 吉本邦子

 何方が「桟橋に降りれば」「祖母の前掛け祖母の手のひら」が、何処に「すぐに走り出す」のでありましょうか?
 作者の「祖母」に当たる方がなかなかの物好きかつ元気な女性であり、ご自身の乗った瀬戸内海巡りなどの船から島の「桟橋に降りればすぐに」、独特の「前掛け」姿と「手のひら」の印象も鮮やかに「走り出す」のか、とも思われますが、夏休みなどで帰省した作者が「桟橋に降りれば」、お出迎えに出られた「祖母」殿が「すぐに走り出す」ようにも思われ、意味不明の作品かと思われます。
 短歌上で意味不明な箇所が在るのは、必ずしもその作品の欠点とはならず、逆に魅力になる場合もありますが、本作の場合の“意味不明”はただ単なる意味不明でありましょう。
  〔返〕 桟橋を降りる前からひらひらと我を迎える祖母の前掛け   鳥羽省三


[同三席]

○  思い出になるまでの時が辛いのを知ったあなたと別れた後に  (杉並区) 平岡淳子

 ごく平凡な題材であり、ごく平凡な発想であり、ごく平凡な表現である、と評者には思われるのであるが、作者にとっては、それなりの思い入れのある作品でありましょうか?
  〔返〕  思い出となった今でも折節に辛いと思う彼との別離   鳥羽省三 


[入選]

○  今は亡き母のベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る  (長崎市) ノーマン・カン

 「ベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る」ということは、ごく当たり前のようにして在り得ることでありましょうが、本作の場合は、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」「ベッド」が「今は亡き母のベッドで」であるから、「あの優しい母が愛用していたこのベッドで今夜も私も眠るのである。あの優しい母の記憶を胸に、私はいつまでも元気で生きて行こう。お母さん、お休みなさい」といった思いを込めて、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」のでありましょうか?
  〔返〕 我が胸をトントン叩き眠るとき夢に出て来る優しい母さん   鳥羽省三


○  思ひ出に色と香りがついてくる父が鉋で削りしヒノキの  (堺市) 石井宏子

 選者は「色と香りがついてくる」という叙述を高く評価したのでありましょうか?
  〔返〕  思い出は色と香りを伴って父が削りし桧の長押   鳥羽省三


○  ぱたぱたとランドセルのふたあけしまま走る子追ひき桜の下に  (高島市) 藤田桂子

 一首全体、印象鮮明な佳作である。
 入学後間も無い我が子が、「ぱたぱたとランドセルのふた」を開けたまま、満開の「桜の下」を逃げまわるのを、素顔でサンダルを履いただけのお母さんが、追っかけまわした記憶は、いつまでも忘れられない親子の思い出となっているのでありましょう。
  〔返〕 ばたばたとするのはママの足取りでランドセルのふたパタパタと鳴る   鳥羽省三


○  回る回る目当ての娘まであと五人フォークダンスの曲よ止まるな  (春日井市) 松下三千男

 あと一人のところで「フォークダンスの曲」がピタリと止まったりして、「目当ての娘」の手に触れることが出来なかったりすることは、よく有り勝ちなことでありましょう。
  〔返〕 二回目のフォークダンスは逆廻り目当ての娘からますます離れ   鳥羽省三


○  過去の人どんどん波にさらわれて見えなくなったシャンパングラス  (茅ヶ崎市) 木下 奏

 題材を“若大将”や“サザン”の湘南にしたのが、“オジン・加藤治郎氏”にアピールしたのでありましょうか?
  〔返〕 砂混じり若大将の思い出も波に攫われモテル湘南   鳥羽省三


○  わたくしの知らないわたしを知っているあなたが語るわたしの思い出  (東村山市) 岡本和子

 バーバが話してくれたのは、「わたくし」が生まれた頃の「わたしの思い出」でありました。
  〔返〕 「バーバはね、あなたのお手手が可愛くて一本一本なめなめしたの!」   鳥羽省三


○  ぎしぎしとわたしの髪を洗うのはリウマチを病む前の母の手  (我孫子市) 梅田啓子

 「ぎしぎしと」という副詞は、擬声語であると同時に擬態語でもありましょう。
  〔返〕 ぎしぎしはカミキリムシの羽の音その音立てて髪を洗ひき   鳥羽省三

 
○  思い出を持たないひとのやわらかき頬、髪、指におやすみを言う  (さいたま市) 中込有美

 本作の作者・中込有美さんのかつての恋人は、自分の過去に何一つ「思い出を持たないひと」であったのであり、そんな淋しい彼と別れて、家庭生活に入られた今になっても、彼女は、「思い出」の中に棲む彼の「やわらかき頬、髪、指」に就寝前に必ず密かに「おやすみを言う」のでありましょうか?
 だとすれば、これも一種の“一首の不倫短歌”と申せましょうか?
  〔返〕 あまりにも淋しき過去を持つからと捨てにし彼を今も忘れず   鳥羽省三


○  思い出を未来の僕が気にせずに小さなことで笑いますよう  (潟上市) 渡辺崇晴

 日本一の過疎県の住民に相応しく、あまりにも暗い内容の歌である。
 でも、忌まわしい「思い出」は「気にせず」にいると言うよりも、一日も早くさっさと忘れてしまった方が宜しいのである。
 そうすれば、過疎の町・潟上市ご在住の渡辺崇晴さんの「未来」は輝かしくもなり、「小さなこと」では無く“大きなこと”で笑えるようにもなりましょう。
  〔返〕 埋めてから失敗したと泣いている八郎潟よ今は虚しく   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(2月7日掲載・其のⅣ・決定版)

2011年02月14日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  寒林にひとりフルート吹いてみる定年近き過去の少年  (島田市) 小田部雄次

 「定年近き」自分を「過去の少年」と洒落て表現したことだけが取り得の作品かと思われる。
 「寒林」も「フルート」も感傷的な雰囲気を醸し出す役割りしか果たしていない。
  〔返〕 寒林に独り横笛吹いている平敦盛曲は『流泉』   鳥羽省三


○  原発を目のあたりとし三十八年さくら咲く日も雪つむ朝も  (福井県) 大谷静子

 三句目が「三十八年」と“字余り”であるうえ、「さくら咲く日も雪つむ朝も」という下の句が極めて常套的な表現であるから凡作としか評価しようがありません。
  〔返〕 原発を選んで捨てたものも在り美浜町には釣り人も来ず   鳥羽省三


○  センターの漢字問題ケータイでそろりと変換帰りの車内  (東村山市) 八尾奈々子

 短歌作品には、それぞれ、その作品なりの魅力というものがありましょうが、試みに“佐佐木幸綱選”の“松田梨子・わこ姉妹”の作品と比較なさったら、この作品の客観的な価値をある程度判定することが出来もかも知れません。
 選者は、或いは「そろりと変換」という表現にご着目なさったのかも知れません。
  〔返〕 センターが八百点も取れてたら理Ⅲもかなり有望である   鳥羽省三


○  冬の夜素足にて君にからみつく吾は熱帯のつる科の植物  (神戸市) 野中智永子

 夏の野外の出来事ならばともかくとして、「冬の夜」にストッキングを脱がないでベッドに入る女性が居りましょうか?
 つまるところは、敢えて「素足にて」とことわる必要が無い、ということになりましょう。
  〔返〕 なま足で君の秘所にも絡み付き我はラン科の隠花植物   鳥羽省三


○  元日の朝早くより死者ありて搬送者二台の注連縄外す  (八戸市) 山村陽一

 「元日」早々そういう事も有り得ましょうか。
 “葬り人”とは、なかなか大変なご職業であると思われます。
  〔返〕 大往生ならばめでたし とは言へど注連縄付きの霊柩車無し  鳥羽省三


○  岸近き真鴨の群れにパンをやる五歳は小さき鴨を選りつつ  (堺市) 丸野幸子

 五歳は五歳なりの餌の遣り方をするものである。
 でも、“いきなし”喰らい付かれる危険性が無きにしも在らずですから、それが無難な餌の遣り方でありましょう。
  〔返〕 真鴨なほ北の国から飛来する鳥インフルを警戒すべし   鳥羽省三


○  わが妻が峡の闇へと吹き鳴らすおもちゃのラッパ猪は逃げゆかむ  (高知県) 宮橋敏機

 「わが妻が峡の闇へと吹き鳴らすおもちゃのラッパ」という箇所までは、発想も宜しく、表現も悪くはありません。
 それだけに、五句目にはもう少し意外感の在る語句を置いて占めるべきかと思われます。
  〔返〕 八郎が峡の奥にて吹き荒ぶ尺八の音に眼を覚ます龍   鳥羽省三


○  黒豆の煮汁の澄みて冷ゆる夜は遠くに暮らす老母を想ふ  (西宮市) 澤潟和子

 「遠くに暮らす」とは、また何とも言えぬ程に平凡な言い方をしたものだ、と評者には思われるのである。
  〔返〕 黒豆が転がる程の傾斜なる地面に鍬入れ建てし鶏舎か   鳥羽省三
 採卵に便利な鶏舎の建築方かと思われます。


○  通学にすべる雪道歩くのは、スケート選手より上手だよ。  (新庄市) 土田喜子

 何の為の選歌でありましょうか?
 童心と言ってしまえばそれまでですが、本作は、小学校何年生の作品にしろ、朝日歌壇の入選作として鑑賞することの出来る作品とは思われません。
 選者・高野公彦氏は、“松田梨子・わこ姉妹”だけでは足りず、公田耕一さんの後釜探しに躍起になって居られるご様子である。
  〔返〕 新庄の稲田に水を注ぎ入れ一夜明くればスケートリンク   鳥羽省三