臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

当ブログに寄せられた、三名の読者の方からのコメントにお応えして。

2014年08月12日 | ビーズのつぶやき
 去る6月30日掲載の朝日歌壇の「高野公彦選」に入選した、神奈川県鎌倉市にお住いの小島陽子さんと仰る方の入選作、「古里でひとり暮らしをする父にレシピハガキを一筆啓上」に対して、私が「調子の良さだけが取り得の、つまらない作品である。」という寸評を記し、「鎌倉で独り遊びに身を窶す小島陽子に鉄槌下せ」という、やや過激とも思われる返歌を記したところ、去る7月13日の夕刻、「lotus」さんと仰る所在不明の方から「小島陽子さんのなんですが… 」というタイトルのコメントが寄せられましたが、それをそのまま、下記の通り転載させて頂きました上で、それに就いての私の所見なども後述させて頂きます。

 即ち「小島陽子さんのなんですが… (lotus)/2014-08-12 02:17:24/私はいい作品だと思いますあと鉄槌をくだせとありますが朝日歌壇にのるのは凄いことですしその短歌がよかったからのせられたわけでそんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」と。

 「lotus」とは、英語でもフランス語でも我が国で謂う「蓮」を指して謂うとのことでありますが、貴方様からのコメントに接する機会を得て、近頃はからきし縁の無かった外国語の勉強をさせて頂きました事を、先ずは以って、衷心より御礼申し上げます。
 ところで「lotus」様と名乗っているからには、貴方様は私如き人間とは異なり、遠い異国の方でありましょうが、貴方様が現在お住いの地は、USAでありましょうか?それともフランス共和国でありましょうか?もしかしたら、かつてのフランスの領土であった、東南アジアの何処かの国か、北アフリカにお住いなのかも知れませんが・・・・・・。
 ところで、当ブログに於いては、かつてブログアドレス不明の方からのコメントを開いたところ、ウイルス感染したという苦い経験に鑑みて、それ以来、その種のコメントを開かないままに削除する方針で居たのでありましたが、今回はたまたま「小島陽子さんのなんですが…(lotus)」というタイトル並びに発信者のお名前に魅せられて開いたところでありました。
 貴方様からのコメントの内容に就いて一言二言申し上げますと、貴方様のコメントには、日本語の表現には必須な句読点が施されていません。
 就きましては、私が貴方様からのコメントを読解する必要上、大変失礼ながら貴方様のコメント中の本文の部分に句読点を施しますと次の通りになりますが、その点に就いては如何でありましょうか?

 即ち「私はいい作品だと思います。あと『鉄槌をくだせ』とありますが、朝日歌壇にのるのは凄いことですし、その短歌がよかったからのせられたわけで、そんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより、主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね。」と。
 是で宜しければ、次にコメントの内容に就いて申し上げますが、本文の冒頭に「私はいい作品だと思います」とありますが、貴方様が件の作品を「いい作品だと思」うのであれば、それはそれで宜しい事なのかも知れませんが、私は日本語表現に就いては貴方様よりは幾分か習熟の度合いが高いのかなと自認している訳でありますが、その私から見た場合は、件の作品は、「鎌倉マダムの娘から故郷で独居生活をしている父親に、健康的な食事の在り方のレシピを送る」という、極めて有り触れたテーマもさることながら、その表現に就いても、「一筆啓上、火廼用心。お仙泣かすな。馬肥やせ」という、江戸時代以来、我が国国民の俗耳にこびり着いているが如き、極めて月並みな言葉の運びでありましたから、あのような寸評を書き添えたまでの事でありまして、それ以上の他意はありませんから、何卒こ許容下さいますようお願い申し上げます。
 また、私の即興に記した返歌の中に「鉄槌下せ」とあった点に就いて、貴方様は「怒髪天を衝く」が如き怒りを感じて居られるようでありますが、私が思うに「鉄槌を下す」とは、「刀匠が刀剣を鍛える際に、鉄で作った槌で以って何度も何度も激しく叩く」という意味であり、「鉄槌を下す」べき刀剣が「鉄槌を下す」ほどの価値が無い場合に於いては、当然の事ながら、手間暇掛けて、おまけにこの暑さ盛りに「鉄槌を下す」などという無駄事はしないはずでありますから、私の返歌「鎌倉で独り遊びに身を窶す小島陽子に鉄槌下せ」は、私なりに作者の小島陽子さんに敬意を表しての表現でありますから、此れも亦、そのままご許容賜りたくお願い申し上げます。
 更にもう一言申し添えますと、貴方様のご見解、即ち「朝日歌壇にのるのは凄いことですし、その短歌がよかったからのせられたわけで、そんなに凄い人にたいして失礼ではないでしょうか?というより、主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね。」に就いては、貴方様と私の見解の相違でありますから、如何様にも申し上げられません。
 それにしても、「主さんは朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」には、笑いを通り越して思わず涙を流してしまいました。
 私が面と向かって「主さんは」などと他人から言われたのは、赤線が廃止されて以来の事でありますし、「朝日歌壇にのったこともないくせによく言えますね」とは、私から見ても「よく言えますね」という感じの付け足しのようにも思われるのである。


 去る8月10日掲載の朝日俳壇の「稲畑汀子選」の四席入選の、兵庫県姫路市にお住いの中西あいさんの一句「星に濡れ星と語りて露涼し」に就いて、多忙と健康状態不順のままに、私が「星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり」という腰折れのみを記して公開したところ、お馴染みのアンタレスさんから、昨8月11日のお昼前に、次のようなコメントが入りましたので、それをそのまま、当ブログに転載させていただきました上で、それに就いての私の所見を後述させていただきます。

 曰く、「夏は星 (アンタレス)/2014-08-11 11:50:20/姫路市・中西あいさま/星に濡れ星と語りて露涼し/ご返歌・星に濡れ一夜の逢瀬哀しけれ/何か哀感が残りますね。どうぞご自愛の程を」と。

 アンタレスさんからのコメントに就いて一言二言申し上げれば、私は未だにアンタレスさんの本心なるものが解りません。
 何故ならば、アンタレスさんからのコメントには、私が僭越ながらも再三に亘って「二読、三読、よくよく熟読なさった上でご投稿なさって下さい」などとご注意申し上げたにも関わらず、誤字、脱字、文脈の乱れや必要とも思われないような虚飾が認められるのであり、今回のコメント中にもそうした点が認められるからである。
 今回のコメントの主旨は、発信者のアンタレスさんの意図としては、「8月10日の稲畑汀子選に入選した、姫路市にお住いの中西あいさんの一句『星に濡れ星と語りて露涼し』は、実感の伴った傑作であり、その返歌として鳥羽省三が記した一句も亦、何か哀感が感じられる佳句である」と仰りたいところでありましょうが、肝心要の私・鳥羽省三の返句は、アンタレスさんのコメントに在る「星に濡れ一夜の逢瀬哀しけれ」では無くて、「星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり」でありますから、是では「どうぞご自愛の程を」などと仰られても、私・鳥羽省三が、何か手痛いミスを犯して、それを指摘されたようにしか感じられないのである。


 同じく8月10日掲載の朝日俳壇の「金子兜太選」の四席入選の、福岡県福津市にお住いの松崎佐さんの「原発と基地とまたぞろ原爆忌」という一句に対して、私が前述した理由で以って、「原発の一句またぞろ見厭きたり」という鸚鵡返しで以って切り返したところ、このところ再三に亘って私のブログにコメントをお寄せになられる矢嶋博士さんから、またぞらコメントが寄せられ、その内容は「またぞろ。は無い!でしょう。(矢嶋博士)/2014-08-11 11:45:23/原発と基地とまたぞろ原爆忌/ですが、原爆忌、という重い重い季語に、/またぞろ/股ゾロ、などという下品極まる四字をくっつけるという神経は如何でしょう?。日本語の風上にも置けないモノの所業と思われます。投稿の素人はいいでしょうが、選者の目と耳と心を疑わざるを得ません。どこまで腐っているのでせう。」というものであったので、それをそのままに転載させていただいた上で、、それに就いての私の所見なども書かせていただきます。

 何を隠しましょうか、私・鳥羽省三は、今から数年前には、歌人・矢嶋博士の隠れファンであり、その当時の貴殿のブログに熱いメッセージを寄せたようにも記憶しているのでありますから、先般、貴殿の方から我がブログにコメントをお寄せになられた折には、また、感激を新たにした次第でありました。
 然るに、昨今の貴殿のブログ「日刊短歌」の記事は「朝日馬歌壇」と称して、かつての「朝日歌壇鑑賞会」顔負けの悪口雑言を書き連ねている始末ではありませんか。
 その上、本8月12日の記事と言ったら、私の尊敬して止まない、現代歌壇の至宝・馬場あき子先生に対して、「馬場ババ子って日本人なの?/死に損ないのしかし脳が確実に死んでいる馬場あき子という自称歌人が朝日馬歌壇に名義貸していて幾許かのカネを貰ってはほそぼそと息をしているか既に息を引き取ったかどうか知ったこっちゃ無いが、その馬場ババ子名義で今週の朝日馬歌壇に10個の漢字羅列が乗っている。その第ロッコメ(6個目)。/【朝日馬歌壇自称馬場あき子と言いふらすモノ第6個目】/ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ
/(横浜村/吉井不信某)/馬場ババァ子吉井不信某ともにこの前の戦争が昭和20年1945年8月15日に一応は終わったということを知らないらしい。/糞も味噌もイッショクタにして、あらゆる日本人死者を都々逸にのせて愚弄しては『悦』に入っている。/馬場ババァ子某吉井不信某ってゆうのは中国共産党か?ゑ?。/中国共産党製の歴史観では日本人というのは虫けら以下の価値も持たない。/大東亜戦争(太平洋戦争)での死者一切は虫けら以下モノの死に過ぎない。その死はうれしくもかなしくも痒くも痛くもないモノである。/ただ、日本に中国共産党製社会主義革命(朝日新聞紙社説主義革命、左翼日教組主義革命、テレビ朝日報道ステーション主義革命、岩波書店左翼主義革命)をおこすための扇情宣伝ネタには使える。というモノにすぎない。/▼平成26年2014年8月10日時点での馬場あき子選第6等賞/ああ戦死餓死集団死特攻死二十世紀の日本のことだ/(横浜村・吉井不信某)蛇足付録/▼同第8等賞/☆酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜のうまい/(アメリカの某刑務所から 殺人犯郷隼人某)/コレ、高野公彦某も第7等賞をあげている。いわゆる朝日馬歌壇の☆ジルシの共選とゆうヤツ。扇情宣伝効果が高いとゆう朝日新聞紙の指導による☆ジルシ。/虫けらの日本人の虫けら以下の価値もない死者よりも殺人犯でアメリカ刑務所収監者殿の感想が意味がある。西瓜に舌づつみうつこれが真の「人間」ぞ。/特攻死の馬鹿どもめら、が。/矢嶋博士」などとの、恰も危険ドラッグに頭が侵されてしまったようなオダを揚げている始末ではありませんか。
 不肖、私・鳥羽省三は、今から四年ほど前に、貴殿が「題詠マラソン」という企画の参加者たちに対して、「お前たちの詠む短歌はあまりらも下手糞であり、この企画に一緒に参加したくない」という趣旨の短歌を投稿して、彼ら・参加者たちに離別宣言を為した折には、まるで我が事のような感激したものでありました。
 然るに貴殿は、その後すぐ様、その投稿作品を撤回してしまったのには呆れ果ててしまいました。
 あの折の貴殿の遣り口は、恰も国会壇上での失言を新聞紙上で槍玉に上げられて、渋々撤回してしまう自民党所属議員さながらでありました。
 貴殿の短歌作品や発言内容が聴くに値しなくなってしまったのは、あの頃からでありましょうか?
 いずれにしろ、貴殿の如き、真っ正直で人の好いご性格の方が、右翼紛いの言辞を弄するのはあまり好ましい事ではありませんし、その上、貴殿のご立派なご尊顔に相応しい行為とは思われません。
 就きましては、何卒、もう少し真面なことを書くようにして下さい。
 お願いですから・・・・・・・。

 〔返〕  「lotus」「矢嶋」「アンタレス」の三名はもう少し真面なこと書きなさい

今週の朝日歌壇から(8月10日掲載・其のⅠ・八月中旬火曜日朝刊)

2014年08月12日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(可児市・三田村広隆)
〇  コンビニのフェンスに絡むひろがおの境涯といふ曖昧なもの

 絡むにこと欠いて「コンビニのフェンスに絡むひろがお」の投企も亦、「ひろがお」なりの投企であれば、殊更に他所様から「曖昧なもの」であるなどと非難されるような筋合いのものではありません。
 「可児市の桜ヶ丘ハイツの欅の枝に絡み付いたから確実な絡み方であった」とか、「川崎市多摩区内の尻手黒川道路沿いのコンビニのフェンスに絡み付いたから曖昧な絡み方であった」とかと評価するのは、あくまでも一面的な評価に過ぎなく、「昼顔の絡む所も好き好き」といったところでありましょう。
  〔返〕  他所様の短歌に絡むともがらの境涯に見る悪戯ごころ


(福島市・美原凍子)
〇  ひたすらにむくげはむくげ人の世のいろいろいろに触れざるま白

 「ま白」即ち「潔白・清潔・清純・純粋」という、従前よりの常識に寄り掛かって詠んだ作品である。
 美原凍子さんくらいのベテランになりますと、心の中の抽斗が多いので、ややもするとその分だけ、常識に寄りか掛かった作品を詠みがちなのでありましょうか?
 〔返〕  振り返り見れば全てが歌になる財政破綻も原発事故も  
      この度は木槿を詠んでいるけれど何を詠んでも被害者意識
      人の世の色さまざまに触れぬまま馬に喰はれし木槿ぞ哀れ


(ホームレス・宇堂健吉)
〇  よりどなく電車の床を転がれる空き缶も拾う生くる糧のため

 作中の「よりどなく電車の床を転がれる空き缶」とは、ご自身のホームレス生活を比喩的に表現したものでありましょうが、「ホームレス」とは、住所を示している訳でも無く、かと言って職業を示している訳でも無く、ましてや身分の証しとして名刺に書けるような代物ではありません。
 作者の宇堂健吉さんには、ホームレス生活から解放される為の手間暇を惜しんだりせずに、一日も早く市民生活に復帰されんことを要望致します。
 また、朝日歌壇の選者の方々には、「ホームレス」を所書きとした投稿者の作品をそのまま入選作として紙面に掲載したりせずに、確かな居住地を確かめた上で入選作として紙面に掲載することを要望致します。
 〔返〕  コロコロと電車の床を転がれる空き缶も拾うアルミ缶なら
      殊更にホームレスなること誇示するも食う寝るところ住むところ無し
      壜缶は空洞をもて用を為す夜汽車の床に転がれる缶


(草津市・山添聖子)
〇  梅雨寒に子のぬくもりがやさしくて抱いているのか抱かれているのか

 昨日の午後のこと、私は外出先の宮前平から川崎市営バスに乗って帰宅しようとしたのであったが、その途中のバス停から、車内の通路を通り抜けることが不可能なほどの大きなベビーカーに乳児を乗せた30才前後の女性が二人、他の乗客に手伝われながらもバスに乗り込んで来たのでありました。
 幸いなことに、件のバスはそんなにも混雑しては居なかったので、どうにかこうにか乗車することが出来たのでありましたが、実の事は、それからが大変であって、次のバス停で他の乗客の一人が下車しようとしても、出口の扉が開かなかったので、運転士の方は「ベビーカーが出口の黄色い線の外側にはみ出しているので出口の扉が開きませんから、ベビーカーを黄色い線の内側に入れて下さい!」と、二度、三度と連呼しているのであったが、件の母親たちは二人ともそれを気にもして居ないといったホーズで、ベビーカーの中の乳児たちの頬を撫でたり話し掛けたりしているのでありました。
 幸いなことにその一件は、件の母親たちの隣に立っていた男性の手に拠って、ベビーカーが黄色い線の内側に入ったので無事に解決を見たのでありましたが、それも束の間、次の一瞬、何かの拍子にバスが急停車したところ、ベビーカー同士が正面衝突してしまったので、二人の乳児が大声を上げて泣き出してしまったのでありました。
 件の二台のベビーカーが車内に入って来た時、運転士の方は「ベビーカーを補助ベルトで固定して下さい」と注意したのでありましたが、母親に当たる二人の女性たちは、それを気にもしていないといった感じで比較的に空いている出口付近にベビーカーを止めて立ち話をしていたのでありました。
 我が国が老人大国に成り果ててしまった今日、乳幼児を持った母親たちには、行政当局を肇としていろいろな方面から子育て援助の手が差し伸べられている、という事でありますが、いくら何でも、バスの通路に入る事が出来ないほどの巨大なベビーカーを無理矢理バスに入れて外出する事はあまりにも他人様の迷惑を考えない行いでありましょう。
 本作の詠い出しが「梅雨寒に子のぬくもりがやさしくて」となっていたので、つい、うっかり、余計なことを言ってしまいましたが、近頃の母親たちの中には、乳幼児を抱いていても「抱いているのか抱かれているのか」分からないなような母親が居ることも確かな事実ではある。
 〔返〕  この頃の母親とても子供っぽく子供に抱かれていそうな感じ


(東京都・上田結香)
〇  絶え間ないフラッシュライトの中歩くスーパーモデルの気分だ雷雨は

 という事になると、一週間に一度くらいは、東京都内に「雷雨」が降り荒れてくれればいい、という事になりましょうか?
 〔返〕  絶え間なくフラッシュライトを浴びようが君の容姿じゃモデルになれぬ


(福山市・武暁)
〇  生ハムを紫蘇でくるんでかぶりつき冷酒で洗う口中の爽

 「冷酒で洗う」と四句目にあり、この一句が本作の利き目とも思われる。
 だが、屁理屈を言わせで頂きますと、「口中の爽」を「冷酒」で洗ってしまったら、せっかくの「口中の爽」が台無しになってしまいましょう。
 私が思うに、本作の作者・武暁さんの意図としては、「生ハムを紫蘇でくるんでかぶりつき冷酒を飲めば口中の爽」といった趣旨の一首を思い付いたのであるが、それを気の利いた一首に仕立て上げようとした余りに、「冷酒を飲めば」を「冷酒で洗う」としてしまったのでありましょう。
 こうした失敗は、相撲の決り手で言えば「勇み足」のようなものであり、よく云う「相撲に勝って勝負に負けた」とはこうした事態を指して云うのでありましょう。
 話は変わりますが、夏の酒の肴として「生ハムを紫蘇でくるん」だ如き一品が、この頃の我が家の食卓にも上るのであるが、私が新米教師からやっと脱出仕掛けた、昭和四十年代の終り頃、新学年が始まったある春の日の一夜、「公務分掌」の「立ち上げ会」と称する宴会が、その年の進路指導部の主任であったY教諭の自宅で行われたのであるが、その折、酒の肴として出されたのが「竹輪の穴に胡瓜を詰めた一品」であった。
 ところがあろう事か、その一品が参席者全員に行き亘る前に無くなってしまい、末席を穢していた私と私の隣に座って居たコケシとの渾名を奉られていた女性教諭の食べる分が無くなってしまったのである。
 私としては、そんな珍しくも無い肴は食べたいとも思わなかったのであるが、しかしながら、当夜の宴会の主宰者であった進路指導部の主任のY教諭は、何かに就けても配慮が行き届いているが故に「キーマン」という渾名を奉られていた程の男性ベテラン教師であったので、目敏くその事態を目にして、参席者全員に向かって「誰か、胡瓜の竹輪巻(もしかしたら、竹輪の胡瓜巻と言ったのかも知れませんが)>を二人分食べてしまった人は居ないか?新参加者の鳥羽さんとコケシさんの食べる分が無くなってしまったから!」などと大声を上げて叫んでしまったのである。
 そう言えば、近頃はあの肴、「胡瓜の竹輪巻」という肴を目にすることも無くなってしまったのである。
 〔返〕  生ハムを紫蘇に包めば一品だ酒の肴は手造りが佳し
      仙台の笹蒲鉾は生のままで食べても旨く揚げても旨い


(アメリカ・郷隼人)
〇  酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜がうまい

 私は刑務所暮らしをした事がありませんから詳しい事は分りませんが、我が国の刑務所に於いても、正月の元旦にはお雑煮を食べさせるなどの配慮が為されているとか?
 是は、かつて塀の中で暮らしていた経験を持つ、元民主党衆議院議員の山本譲司氏の著書から仕入れた知識である。
 〔返〕  酷暑日の独立祭に西瓜食うひやっとしてて気持よかった


(神奈川県・九螺ささら)
〇  救急車のサイレンがミの♭(フラット)に聴こえる誰が苦しんでいる

 神奈川県にお住いの九螺ささらさんは、「絶対音感」の持ち主でありましょうか?
 〔返〕  救急車のサイレンの音が聴こえてる何処かの辻で人身事故が
      「ドレミファ」の「ミ」の音ぐらいは聴き分ける極めて普通の耳ではあるが


(富山市・松田わこ)
〇  今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート

 富山市にお住いの松田わこさんの得意芸の一つは、ご自身や松田家のご家族の季節季節の服装を題材にして、巧みに一首を仕立て上げることである。
 〔返〕  今日からは夏服風が吹いてたらプリーツスカート揺らし魅せたる
 これでは、松田わこさんもマリリン・モンローさながらではありませんか? 


(豊明市・杉山菜々美)
〇  カーテンがふわりふくらみまたもどる一瞬だけの草木のかおり

 窓外の庭園より一瞬の間の風ありてやがて已むか?
 〔返〕  カーテンがふわりふくらみ薫り来るこの夏だけのカサブランカの香