臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(006:困・其のⅢ・決定版)

2011年04月30日 | 題詠blog短歌
(髭彦)
○  この国にふたたび生れし困民のいまだ挙げざる世直しの声

 鬚彦さんは元・高校の社会科教師として、幕末から明治にかけての農民運動(百姓一揆)、特にそのシンボル的な存在としての“秩父困民党事件”の問題に人一倍関心をお持ちなのでありましょう。
 その鬚彦さんが「この国にふたたび生れし困民」と仰り、「困民のいまだ挙げざる世直しの声」と仰るのである。
 才人・鬚彦さんから難じられているのは、「この国にふたたび」「困民」を「生れ」しめた政治家や国策であると同時に、その「困民」の位置に甘んじて「いまだ」に「世直しの声」を「挙げざる」私たちでありましょう。
 〔返〕  困民はグルメ旅行に忙しく世直しなどは丸投げにする     鳥羽省三
      困民は韓流スターに魅され居て世直しの声遂に挙げざる    々


(紗都子)
○  困らせてみたいと思う正論のきみの真摯が苦しいときは

 淑女・紗都子さんに於かれましても、そんな思いに捉われることがお有りなのか、と少なからぬ感激を覚えながら鑑賞させていただきました。
 〔返〕  真摯なる紳士の彼の正論が淑女の我を苦しめるのだ   鳥羽省三


(akari)

○  困ってる君の姿が愛しくて即座に決めた手と手つないで

 「手と手つないで」とは、いわゆる“手結び”であり、これ即ち“商談成立”とか“婚約成立”を指して言うのでありましょう。
 しかしながら、それらの“成立”に至るまでの過程にいささか問題が無きにしも非ず。
 つまり、本作の作者“akariさん”の「君」に対するお気持ちは積極的前向きな形のものでは無く、「困ってる君の姿が愛しくて」という、消極的後向きな形のものであり、こうした形の“手結び”は、当事者の一方が現実に目覚めれば忽ち雲散霧消・氷解するものである、ということを覚悟しておかねばならないのである。
 〔返〕  婚約は手つなぎ鬼とふ児戯のごと暗くなるまでしか続かない   鳥羽省三
      商談はめくら鬼とふ児戯に似て疑心暗鬼で手を繋ぎたり       々


(香-キョウ-)
○  擦り寄って可愛い声を出してみる  困った時はこれで解決

 「困った時はこれで解決」などと言って澄ましていらっしゃるが、「擦り寄って可愛い声を出してみる」だけでお金を恵んで下さったり、浮気を許して下さったりするような、心の広い“キョウさん党”の男性は、そんなに多くはありませんからいずれ行き詰るに違いありません。
 そこの辺りのことはよくよく覚悟しておかねばなりませんよ。
 〔返〕  擦り寄って可愛い声を出してみる猫じゃないだろキョウさんあなた   鳥羽省三
      擦り寄って可愛い声を出す君にいかれた僕もキョウさん党だ        々


(原田 町)
○  「落ちぶれたでなく、困っている人と言いなさい」クリスティより学んだ言葉

 不勉強にして、「落ちぶれたでなく、困っている人と言いなさい」という言葉の出典については私は知りません。
 アガサ・クリスティのどのミステリー小説に登場する何方がにそうした訳知りの言葉を述べているのかを、私は本作の作者・原田町さんからご教授賜りたくお願い上げます。

 〔返〕  落ちぶれた日本では無く困ってるだけの日本であるのか今は   鳥羽省三
 折り返し、原田町さんより次のようなコメントを頂戴致しましたので、此処に転載させていただき、篤く御礼申し上げます。
 「クリスティ (原田町)/2011-04-29 13:37:22/鳥羽様/お尋ねの件ですが、ミス・マープルシリーズの『復讐の女神』からです。若き日のミス・マープルに父親が『いいかねジエーン。おちぶれたじゃないんだ。困っている淑女と言うんだよ』という言葉を拝借したものです。」
 原田町さん、ご教授大変ありがとうございました。

 〔返〕  困ってる淑女の一人藤原の紀香愛しく助けてやらむ(笑)   鳥羽省三
 藤原紀香さんぐらいの美女で、話題性に富んだ女性ならば、当ブログで度々採り上げられ、いろいろと笑いの種にされることも、有名税の一端ぐらいに思わなければならないかと思われます。
 それにも関わらず、この世間には愚かな女性が居るもので、我が連れ合いの翔子宛てに、「拝啓、貴女のご主人の鳥羽省三様は、近頃、女優の藤原紀香にご執心と思われ、あれこれとその思いのたけをお述べになって居られます。このまま放置していますと、愛するご主人をあのバツイチ女優に盗られてしまう恐れが多分にあります。貴女もその旨、十二分にご注意なさって下さい。親友として一言申し上げます。敬具」などとの、親展封書をお寄せになられた方が居られます。
 大変ご愁傷様ですけど、生憎、女優・藤原紀香さんに対する、私・鳥羽省三の執心の程度は、今のところ、それ程熱いものではありませず、ただ単に憎からず思っている程度のことでございます。
 〔返〕  熱燗の冷めない程度のご執心 人肌頃と申しましょうか   鳥羽省三 


(理宇)
○  僕達の世界に於いては何よりも生き継ぐことこそ困難だろう

 水泳の“息継ぎ”を出来ないままにプール通いを止めてしまった私にとっては、「僕達の世界に於いては何よりも生き継ぐことこそ困難だろう」という、本作の作者・理宇さんのご認識が、古今の歴史を閲しての“金言”のようにも思われるのである。
 三十代以上の女性の未婚率の異常な高さが問題とされる今日に於いては、私たちの世代から次の世代に命を渡すこと、即ち「生き継ぐことこそ」が、極めて「困難」な問題であろうと思われます。

 〔返〕  希望無く不安ばかりの僕たちはマスク外さず息継ぎをする   鳥羽省三
 近頃は、猫も杓子もマスクを掛けて口と鼻とを覆って居ります。
 小田急バスの運転手さんも、川崎市営バスの運転手さんも、横浜総合病院の看護士さんも、ドクター様も、受付係のお嬢さんも、掃除夫さんも、みんなみんな白いマスクでお顔の約半分を覆って居られます。
 つきましては、この私から一つお願いがあります。
 例えば、あの頭の大きな女性演歌歌手の方などは、ステージに上がる際は、必ずタイガーマスクなどでお顔の全面を覆っていただきたいのですが?


(酒井景二朗)
○  吹き荒ぶ風をさまらず左義長に寒き我らの困じをるなり

 「左義長」の火が、近隣農家の藁屋根に移ったことが原因で、一集落二十三軒の家屋と蔵・作業小屋が燃えてしまったという悲しいニュースに接したことがあります。
 そこで、「左義長」をする場合は、「吹き荒ぶ風をさまらず」という状態の時は、なるべく翌日回しにするように、集落の人々の集まりの際に、予め決めておいて下さい。
 ところで、集落の伝統行事としての「左義長」の開催を火災予防の観点から翌日回しにする、といった悲愴な決断に迫られることが多い青年団の団長などの幹部や集落の役員などには、ただの百姓の馬鹿息子を宛ててはいけません。
 「左義長」という正月の習俗は、今や伝統を守ると共に因習に惑わされないような、理性的な青年の統率の下に行われなければならないのである。
 〔返〕  左義長の火と燃え君と結ばれて今では孫のお守りが仕事   鳥羽省三


(美亜)
○  困惑を抱いて凍える十日夜(とうかんや)あなたの声を探し続ける

 作中の「十日夜」とは、“刈り上げ十日”などとも呼ばれ、北関東地方を中心に甲信越地方から東北地方南部に掛けて、旧暦の十月十日に行われる収穫祭の一種であり、この日は、稲刈りが終わったということで、“御田の神様”が山に帰る日とされているので、その神様に感謝の意を捧げ、翌年の豊年満作をも祈願して行われるのである。
 習俗行事の内容は、地方によってさまざまであるが、一般的には、御田の神様に、お供えとしての餅やぼた餅を捧げるなどの他に、群馬県や埼玉県などでは、子供たちが脱穀後の藁を束ねて作った藁鉄砲で地面を叩きながら集落内の各家々を回り、唱えごとをする、と聞いている。
 本作の作者は、少女時代の思い出を語っているのであり、旧暦の十月十日の「凍える」ような夜に、藁鉄砲を地面に叩き付けながら、「とおかんや、とおかんや/とおかんやの、藁鉄砲/夕飯食って、ぶっ叩け」と唱えごとをしながら集落内の家々を回る子供たちの声の中から、心密かに「あなた」と呼んで慕っている少年の声を探し当てようとしているのである。
 彼女と「あなた」との恋が、彼女側の“片思い”であったことが、「困惑を抱いて凍える十日夜」という上の句の表現から窺われる。
 〔返〕  困惑を抱きて唱ふとうかんや闇に凍み行け十日夜の声   鳥羽省三  

一首を切り裂く(006:困・其のⅡ・決定版)

2011年04月29日 | 題詠blog短歌
(コバライチ*キコ)
○  困らせた記憶ばかりが蘇る夜は夢すら海に沈める

 「行く、行く」って彼が言うのに、「まだ、まだ」って「困らせた」のでありましょうか?
 「五十カラットでいいね」って彼が言うのに、「百カラット超でなければ」って困らせたのでありましょうか?
 「青森と岩手と宮城と福島と茨城に、それぞれ一万円ずつ」って彼が言うのに、「それぞれ百万円ずつで無ければキコの面子が立たないわ」って困らせたのでありましょうか?
 「君の面子は立つかも知れないけど、僕は面子どころかあそこも立たないぜ」って彼が言うのに、「あなたのあそこなんか立たなくても、私は何も不自由しないわ」って困らせたのでありましょうか?
 本作は、私に、このように「困らせた」理由をあれこれと考えさせるように、と仕組まれた罠なのでありましょうか?
 でも、そんな「記憶」ばかりではつまりませんから、そんな「記憶ばかりが蘇る夜」は「夢」もろとも身体全部をサモアの「海に沈める」ことですね。
 サモアに行くことが叶わなければ江ノ島の「海」でも宜しいですよ。
 〔返〕  お互いに困らせごっこの間柄 真夏の夜に見る夢は何   鳥羽省三
 

(ちょろ玉)
○  題詠のネタに困ったときとかに君の背中を思い出します

 “子は父親の背中を見て育つ”と言いますが、我らが希望の流れ星の“ちょろ玉”さんは、「題詠のネタに困ったときとかに君の背中を思い出します」とか?
 「君の背中」には、知恵授け観世音菩薩様の彫り物紛いのシールでも貼られているのでありましょうか?
 ところで、本作の作者・ちょろ玉さんは、本作をお詠みになられるに際しても、歌材即ち「ネタ」にお困りになられたのかと思われます。
 したがって、本作は歌人・ちょろ玉さんの一種の“逃げ”に他ならない、と思って鑑賞させていただきました。
 〔返〕  ちょろ玉はいつもちょろちょろ転がって逃げてるばかりまだ若いのに   鳥羽省三


(天野ねい)
○  困ったらすぐに話せる人なくすリスク負ってまで「好き」は言わない

 こちらはさすがにお“ねい”さんである。
 亀の甲より年の功、「リスク」を「負ってまで」「『好き』は言わない」とか。
 抜き差し成らぬ関係になった挙句に逃げられるよりは、「困ったらすぐに話せる」友達のままで居た方が宜しい、との計算尽くのことなのでありましょう。
 〔返〕  困ったら直ぐに金貸すお姉さん隙も見せぬが「好き」とも言わず   鳥羽省三


(雑食)
○  困惑がしつこくこびりついている君の残した合鍵の溝

 作中の「君」が、「合鍵」を雑食さんから預けられた時の「困惑」振りが、「合鍵の溝」に、手垢や退化した掌の皮膚と一緒に「しつこくこびりついている」のでありましょうか?
 なにしろ、お相手が宜しくない。
 名にし負う“雑食”さんのことですから、雑食・雑魚寝・相手構わずの遣り放題の地獄絵図の展開無しとしない有様でありましょうから?
 〔返〕 混交に疲労困憊コンドーさん裂けて破れて困惑至極   鳥羽省三


(千束)
○  困ってる顔が見たくて押し付けた 抱えきれない花束とうそ

 百万本の薔薇の花束を「押し付け」られたら、どんな女性だって本当に「困って」しまうことでしょう。
 しかも、「うそ」見え見えのメッセージなど添えられていたならば、尚更でありましょう。
 〔返〕  困ってる顔を見せたく貰っちゃう百万本の薔薇の花束   鳥羽省三


(鈴麗)
○  沸々と煮える困惑見ないふり「コーヒーメーカーつけっぱなしよ」

 「沸々と煮え」滾っていたとしても、「コーヒーメーカー」は格別に「困惑」しないはずである。
 したがって、「つけっぱなし」で「沸々と煮え」滾っている「コーヒーメーカー」を「見ないふり」して、煙草をふかしている男性に「困惑」どころか激怒なさっているのは、「コーヒーメーカー」では無くて、本作の作者・鈴麗さんでありましょう。
 〔返〕  言う前に自ら消そうそうすればコーヒーメーカー壊れないはず   鳥羽省三


(砂乃)
○  貧困は理由になるのか少年は穴開き靴下そのままで履く

 このケースでは、「貧困が理由になる」のでありましょう。
 「少年」が「穴開き靴下」を「そのままで履く」のは、「靴下」を買うお金が無い程に「貧困」だというよりも、その「少年」の属する家庭が、もっと根本的な本質的な部分で「貧困」状態に陥っているからでありましょう。
 〔返〕  貧困は金のみならず根本は精神に在り親の心に   鳥羽省三  


(那緒)
○  困惑の表情浮かべるあなたから「めんどくさい」を受信しました

 「困惑の表情」を「浮かべる」理由もさまざまでありましょうが、その根本に在るのは、やはり「めんどくさい」から、ということでありましょう。
 本作の作者・那緒さんの心のアンテナは、感度がかなり宜しいのかも?
 〔返〕  お互いに相手を知ってて黙ってる今更別離も「めんどくさい」か   鳥羽省三
 

(峰月 京)
○  そそるなあ 惚れた弱みかなんなのか困った顔の憎い女め

 こちらのカップルも、お互いにお相手のお手の内を十分にご承知なさって居られるのでありましょうが、その知悉の度合いは、どちらかと言うと、お相手よりも本作の作者の方がかなり低いと思われる。
 したがって、「そそるなあ 惚れた弱みかなんなのか」という三句は、決して“音数合わせ”では無い、と思われますが、初稿では「なんなのか」が欠けておりました。
 〔返〕  憎いなあ 惚れた弱みを知っててか困り顔して入って来ぬぞ   鳥羽省三 


(稲生あきら)
○  いつだって自分の都合で困っている困らせている困ったやつだ

 「いつだって自分の都合」を優先させているのだから、「困っている」ことや「困らせている」ことがあっても、“困らせられている”ことは無いから、「困ったやつだ」ということになるのである。
 他人と自分との関係が、一方的に“困らせられる”だけの関係になるのは、「困らせて」やろうとする相手の意志を優先させなければならない。
 然るに「やつ」は、「自分の都合」ばかりを優先させるから、「やつ」と他人との間は、永久に“困らせられる”関係にはならないのである。
 〔返〕  いつだって作者に譲って書いている困ったことにお人好しなのだ   鳥羽省三


(アンタレス)
○  見舞うとを断りいれば沙汰もなく友等来れリ嬉し困惑

 先方から「見舞う」との申し出があったのにも関わらず自分が断わった、ということも言いたい。
 先方からの「見舞う」との申し出を断わったにも関わらず、連絡も無しに、突然見舞い客がやって来た、ということも言いたい。
 突然の見舞い客なので「嬉し」かった、とも言いたい。
 だが、その反面、突然の見舞い客なので「困惑」した、とも言いたい。
 わずか三十一音の中に、あれも言いたい、これも言いたい、この言葉も使いたい、あの言葉も使いたい、と欲張るから、こんな始末になってしまったのである。
 「見舞うとを断りいれば」なんて表現は、あまりしませんよ。
 また、“連絡も無く”とか“無断で”とか言えばいいのに「沙汰もなく」などと四角張った言い方をする人も、あんまりいませんよ。
 〔返〕  突然のお見舞いだから嬉しいが素顔見せちゃい恥ずかしかった   鳥羽省三


(砺波湊)
○  犬だろうけど気になっている表札の「谷本 悟 喜久江 困惑」

 「困惑」という名の「犬」が居るとは思えませんが、もしも、居たとしたらご近所の人たちが、大いに「困惑」するに違いありません。
 〔返〕 「悟るのか悟らぬのかと妻に聞くえ」「訊かれた妻は困惑するえ」   鳥羽省三


(花夢)
○  猫に似てきてるわたしを恋人は困惑するどころか喜ぶ

 今から三十年ほど前のことですが、東北地方一帯から一斉に野良猫が消えた、という不思議な出来事がありました。
 また、その一年前には、北関東一帯から野良猫ばかりでは無く、飼い猫も一斉に姿を消し、猫好きの間で、「関西方面で三味線の皮が不足している為に、猫泥棒たちが徒党を組んで関東以北に猫狩りにやって来たそうだ」という、嘘か本当か判らないような噂が飛んだものでした。
 察するに、花夢さんの「恋人」は、その猫泥棒の末裔であり、「猫に似てきてる」花夢さんの化けの皮を剥ごうとなさっているのでありましょう。
 したがって、花夢さんは、ゆめゆめその「恋人」に心を開いたり肌を許したりなさってはいけませんよ。
 〔返〕  花夢の皮を張ったる三味線で『花街の母』の伴奏をする   鳥羽省三 

029:公式 (鳥羽省三)

2011年04月28日 | 題詠blog短歌
硬式が公式であり軟式は我が国だけの貧乏テニス
     ↓
硬式が公式競技 軟式は中高生のお遊びテニス
     ↓
公式を用いて解くのは易しいがつるかめ算で解くのは難儀
     ↓
公式を使って解くのは楽だけど鶴亀算で解くのは難儀

一首を切り裂く(006:困・其のⅠ)

2011年04月27日 | 題詠blog短歌
(tafots)
○  真夜中にミルクレープを作るくらい困ってくれたから許そうか

 インターネット辞書『ウィキペディア』の説明に拠ると、「ミルクレープは、ケーキの一種。クレープを何枚もつくり、間にカスタードクリームや果物を入れながら重ねたもの。日本発祥のケーキで『千枚のクレープ』という意味のフランス語 Mille crêpes が名前となっている。『ミルク』と『クレープ』の合成語ではない。」とか。
 つい先日、私の連れ合いの翔子も、午前中の二時間を使ってそれらしいお菓子作りに余念が無かったのであるが、お昼過ぎになって出されたものを食べてみたら、バウムクーヘンの出来損ないにバナナを挟んだような妙な形と味わいであり、少しも美味しいと思わなかったのである。
 本作の作者“tafots”さんに一言ご注意申し上げますが、「真夜中に」こんな面倒臭いお菓子を作って、貴女のお許しを乞おうとしている男性を、今までどうして許して上げなかったのですか?
 彼が何を仕出かしたのかは存じ上げませんが、彼の今の気持ちは、貴女一辺倒と思われます。
 したがって、これ以上焦らすのは止めて、昨晩からでも早速同衾するべきであったかと思われますよ。
 それに、女性としての貴女の生理だって彼を必要としていると思われますから、困ってくれたから許そうか?」などと“疑問符”を付けている場合ではありません。
 〔返〕  謎掛けのミルクレープか? クレープを重ねる如く重なりたいか?   鳥羽省三


(西巻真)
○  それは生きる困難さなのです右手からしづかにボールが落ちてゆきます

 「右手からしづかにボールが落ちてゆきます」とありますが、それは何の呪いでありましょうか?
 それとも、それは一種の平衡感覚テストとして行っているのでありましょうか?
 だとすれば、作中の被験者は、既に平衡感覚の大部分を失っていて、自律神経失調症状態に置かれているかと思われます。
 「それは」まさしく「生きる困難さ」を示しているのですから、長期的な入院加療を必要としてると思われます。
 〔返〕  「頑張れ」と言ってはならぬ励まして言ったとしても彼には負担   鳥羽省三


(鮎美)
○  二つずつを四つに合はせてしまへずに困惑のこのひざこぞうたち

 教師をしていた頃に実際に目にした光景ですが、学級担任をしているクラスの生徒たちが体育実技の授業を受けているということで、授業の空き時間に、体育館に見学に行出掛けてみたところ、バレーボールのレシーブを出来ないとかで、要領の悪い女生徒二人が体育館の片隅に、向かい合わせに“体操お座り”をさせられておりました。
 ところが、彼女ら二人は、怒りと屈辱感に震え、それぞれ自分の「ひざこぞう」と「ひざこぞう」とを合せようにも合わせることが出来ないし、また、お互いの二つの「ひざこぞう」が向い合わせの相手の二つの「ひざこぞう」と合わせることが出来ないで、がたがたと震えているんですね。
 あんな恐ろしい光景には、初めて接しました。
 普段は大人しく優しい二人の女生徒の形相のなんと険悪そうであったことよ。
 体育の担当教師は、その年、筑波大学を卒業したばかりの至って真面目な新米教師でしたが、その後、彼は女生徒に体罰を加えたとかで戒告処分を受け、三年経たないうちに退職を余儀なくされたとか。
 その後の彼が、某スポーツクラブの水泳インストラクターをしているという噂が何処かからか聞こえて来ました。
 〔返〕  思い出す筆下しの夜 動悸がしあそこが縮み焦るばかりで   鳥羽省三


(オリーブ)
○  ソーダーの氷くるくるかきまぜて 困った顔をする嘘つき屋

 「ソーダーの氷くるくるかきまぜて」「困った顔をする」とは、いかにも蛸にも「嘘つき屋」さんらしい仕草ですね。
 彼は“生まれつきの人誑し”なんでしょうか?
 例えば、NHKの連続大型時代劇『江』に出て来る“猿”のような?
 〔返〕  「嘘吐きの私を許せ」と猿は言う お江もコロリ騙されちゃった   鳥羽省三 


(南野耕平)
○  困惑の表情浮かべる猫なんか見たことがない 猫になるのだ

 「猫」は苦境に陥ることが無いと分かったから、「猫になるのだ」と言うのであろう。
 〔返〕  困惑の表情いつも浮かべ居て哲学者みたいクロはいつでも   鳥羽省三


(猫丘ひこ乃)
○  「困りごと110番」という襷かけてるような君の正義感

 “猫丘ひこ乃”さんとは、カマトトみたいなお名前、竹久夢二の愛人みたいなお名前ですね。
 作品はともかくとして、お名前だけで“可愛い”かも。
 ところで、「『困りごと110番』という襷かけてるような君」ってな感じの男性は、確かにいらっしゃいますね。
 実例を挙げて示せば、横浜市旭区○葉○団地にご在住の高松三四郎氏。
 私の友人の一人である、彼こそはまさしく「『困りごと110番』という襷かけてるような君」と申せましょう。
 つい先日、彼の奥方が私の家に遊びにいらっしゃいましたが、この奥方も亦、彼以上に「『困りごと110番』という襷かけてるような」女性なのです。

 〔返〕  [困りごと110番]という看板を背負って暮す団地生活   鳥羽省三
 今から十年前のこと、教員生活から足を洗って田舎暮らしを始めようとしていた私は、ある朝、彼から誘われて○葉○団地内の遊歩道を散歩したことがありました。
 ところが、彼・三四郎氏は、すれ違う人毎に「おはようございます。ご主人様はお元気ですか?」「おはようございます。昨日、水信で買った筍は美味しく食べられましたか?」「おはようございます。この頃は、奥様のお通じのお具合はいかがでございましょうか?」などと、いちいち声を掛けて話し込むので、当日の私たちの散歩の足はなかなか捗りませんでした。
 彼・三四郎氏からお声掛かりがあった人の中には、彼の懸命のご努力の甲斐も無く、返事もせずに、顔を背けてスタスタと逃げるようにして駆けて行く人も居りました。
 どちらかと言うと、そうした無愛想な人は、女性よりも男性の方が多かったみたいでした。
 彼の憎めないお人柄が、そうさせるのでありましょうか?


(紫苑)
        (詞書) オールドノリタケのマルキ(コマル)印を詠む
○  外つ国に伍する多難に勇みてし「困」印(こまるじるし)は海を渡りき

 作中の「オールドノリタケ」とは、現在の“ノリタケカンパニーリミテド”の前身の“日本陶器”が明治期から戦前までに欧米に輸出した陶磁器のことであり、花瓶や置物などの装飾品と洋食器などのテーブルウェアが主体で、特に芸術的な絵付けや繊細な細工などで愛され、今ではヨーロッパ各国から逆輸入されたものが、国内の骨董商などを通じて販売され、日本人の収集家も大変多く、偽物商いなども横行している。
 本作は、明治大正期の我が国の人々が、欧米の経済や軍事や文化などに負けまいとして、「多難」を苦ともせずに蛮勇を奮って活躍したものであるが、その象徴とも言える「オールドノリタケ」の陶磁器は、その商標としての「『困』印」を背中に背負い、外貨獲得のエースとして、盛んに海外に輸出されたものである、という内容の一首でありましょう。
 紫苑さんの御作は、読解に短歌以外の文化的知識が必要であるから、限られた読者にしか愛読されない恐れがありましょうが、「題詠blog2011」を飾るスターの中の一つであることは間違いない事実である。
 安直に詠み、安直に解釈される作品が多いのも「題詠blog2011」の特色の一つであるが、二百首に余る投稿作の中に、こうした読み応えのある作品が混じっているのも、「題詠blog2011」の優れた特色の一つと申せましょう。
 紫苑さんのご努力とご奮闘を切望する。
 〔返〕  日清と日露の戦ひその陰で外貨稼ぎしオールドノリタケ   鳥羽省三
 

(なゆら)
○  困っとんやったらこの蛸焼きを食いにきい、おっちゃんいつでもここにおるでえ

 庶民の街・大阪には、あんなこんなで人々から愛され、人々を愛した方々がぎょうさん居られたのでありましょう。
 〔返〕  困っとんやったらこのおばちゃんとこにきい、おばちゃんいつでも抱かせてやるでえ   鳥羽省三  


(津野)
○  「困らせるつもりはないの」と言うくちが残り時間の砂を数える

 「くち」とは、本来「砂」を噛むものであっても「砂を数える」もので無い。
 したがって、「くちが残り時間の砂を数える」という表現は、なかなか面白い。
 ところで、津野さんの彼女は、津野さんにどんな無理なことを言って、その挙句に「困らせるつもりはないの」と開き直ったのでありましょうか?
 〔返〕 「百カラットのダイヤ買って来い。かと言って、困らせるつもりはないの」   鳥羽省三
 

(夏実麦太朗)
○  いそがしいふりをしようと思うなら困った顔で小走りをせよ

 現在は、埼玉県桶川市にお住いの夏実麦太朗さんも、元を質せば関西人であるから、世俗的教訓は大の得意なのである。
 この一首を、私・鳥羽省三は、人生の達人・夏実麦太朗さんがお示しになった、世渡りの教訓として拝受させていただきました。
 〔返〕  暇なふりしたい時には新百合のブックオフに行き立ち読みしてる   鳥羽省三  


(西中眞二郎)
○  発端はボタンの掛け違いやも知れず政治も社会も貧困となる

 元・通産官僚の呟きだけに、昨今は「政治も社会も貧困」となってしまったが、その「発端はボタンの掛け違いやも知れず」という、半ば投げ遣り的とも思われるご分析にも、一定の信頼が置かれましょうか?
 だが、その「ボタンの掛け違い」をなさった方は何方でありましょうか?
 本作の作者・西中眞二郎さんも「ボタンの掛け違い」をなさった方のお一人でありましょうか?
 〔返〕  なかなかに厳しい追及かと思う 冗談冗談冗談ですよ   鳥羽省三


(成瀬悠太)
○  こんなにも綺麗な虹を見てるのに困ったように笑ってしまう

 本作の作者・成瀬悠太さんは、「困った」時に「笑ってしまう」のでありましょうか?
 もしかしたら、本作の意は、「『こんなにも綺麗な虹を見てるのに』、私は、ついうっかり『笑ってしまう』から困ってしまう。」というのではないでしょうか?
 〔返〕  こんなにも綺麗な虹の歌を読みケチをつけたくなるから困る   鳥羽省三


(牛 隆佑)
○  窓際の君の机に花びらを降らせて少し困らせてやろう

 作中の「窓際」が、いわゆる「窓際」であったとしたならば、本作の作者・牛隆佑さんのなさった悪戯、即ち「少し困らせてやろう」として「窓際の君の机に花びらを降らせ」たのは、「窓際」族への早期退職督促策としては、極めて有効な悪戯であり、「少し困らせて」やった程度では治まらなかったはずである。
 〔返〕  そのうちに隆佑さんも窓際で角を矯めて殺されるかも   鳥羽省三


(たえなかすず)
○  ひらひらのワンピの裾に発射してきみの困つた顔を見てゐる

 彼女の「ひらひらのワンピの裾に発射」してしまう早漏男性が何処に居りましょうか?
 そんなことをしたら、せっかくの「ひらひらのワンピの裾」がカチカチに糊付けされてしまうではありませんか。
 Yシャツと間違えてはいけませんよ。
 しかも、その挙句に「きみの困つた顔を見てゐる」とは、何という横着な早漏野郎でありましょうか。
 そんな男とは、早々に別れなさい。
 〔返〕  ひらひらのワンピの裾に発射され“たえなかすず”が“たえないすず”に   鳥羽省三


(きたぱらあさみ)
○  君が泣いているというのにポケットに愛が入ってなくて困った

 こうした場合の「ポケット」の中に「入って」いる「愛」とは、チョコレートでしょうか?
 それとも衛生用品でしょうか?
 〔返〕  大切にポケットの中に入れて置く愛とはなんだ君は何故泣く   鳥羽省三


(藤田美香)
○  天秤はいくら待っても水平にならないんだね困ってる日に

 「困ってる日」であろうと無かろうと、「天秤」が「水平」になる場合は、それなりの条件が満たされた時である。
 即ち、片方の皿に載せられた錘と同じ重量の物質を載せた時に初めて、「天秤」は「水平」な状態を保つのである。
 彼を「水平」たらしめる為には、いかなる政治権力の介入も要しませんし、また、彼を「水平」たらざらしめる為に屈強な男性暴力や妖艶なる女性の手管を用いても、その一切が無効でありましょう。
 〔返〕  条件が満たされなければ天秤は水平にならぬ生き物である   鳥羽省三

『NHK短歌』観賞(佐伯裕子選・4月24日分・決定版)

2011年04月26日 | 今週のNHK短歌から
 東日本大震災を題材にした作品が一首も無いのが何よりも嬉しい。
 生の材料だけが取り得とも言える大震災関係の作品は、「もう勘弁して下さい」といいたくなるような切ない気持ちになっているのである。
 非情さ故に大震災関係の作品を忌避しているのではありません。
 むしろその逆。
 あまりにも琴線に響くが故に、大震災関係の作品には近寄りたくないのである。
 これ以上「詠み」、「読ませられる」と、お互いに不幸になって行くばかりなのである。



[特選一席]

○  幼子のないしよ話はやはらかく老いの耳には息を聞くのみ  (岡山市) 齋藤詳一

 「あのね。バーバってジージのおくさんだってね。これはね。ママからきいたはなしなんだけどね。バーバは、かみおむつをしてるんだってね。おかしいね。わたしだっておねーちゃんになったからもうしてないんだよ。バーバーってあかちゃんみたい。」などと、「幼子のないしよ話」は、まるで頬を撫でる春の風のように「やはらかく」、私の「老いの耳には」、その「幼子」が「息」を吐くのを聴いてるだけ、といった感じなのでありましょうか?
 高音なのに小さく優しく柔らかく「ないしよ話」をする「幼子」の声や動作の可愛らしさを、ジージとしてのお立場からお詠みになって居られるのでありましょう。   

 〔返〕  バーバーはね。ぼくより七つも年上で、おもらししたりするからなのよ。   鳥羽省三
 塩辛声のジージのくせに、自分のことを「ぼく」なんて言うのよ。
 本当におかしいね。
 でも、あれで、バーバの下の世話まで一人でしてるんだって。
 山陽マルナカ東岡山店まで老人カーを押して行って、お買物もするのよ。
 バーバの紙おむつまで買って来るんだって。
 本当に感心しちゃうね。
 愛しているからなのかしら。
 ちょっぴり羨ましくもなりますね。


[同二席]

○  願い込め息吹き込みし風船をブッセの空に放ちやりたり  (豊川市) 河合正秀

 何かの「願い」を「込め」て、「風船」に「息」を吹き込んで、遠くの「空」まで「放ち」やる、というのは、短歌を初めとした詩歌によくあるパターンである。
 作中の「ブッセの空」とは、あのカール・ブッセの詩「山の彼方の空遠く/幸い住むと人のいう/ああ、われひとと尋めゆきて/涙さしぐみかえりきぬ」(上田敏訳)の、あの「空」でありましょう。
 だが、上の句も下の句も共にかなり安直な表現である。
 〔返〕  「山の穴、あなた寝ましょうよ」との歌奴 今頃何処で何してるやら   鳥羽省三 
  

[同三席]

○  息の緒をすするがごとく春の宵さぬきうどんをひた啜りをり  (富士宮市) 林充美

 「息の緒」とは、通常、「命」の意味で用いられることが多いが、ごく希には「息」や「呼吸」の意味で用いられることもある。
 本作中の「息の緒」は、そのどちらの意味も含んだ微妙な使い方をしているものと思われる。
 即ち、一首の意は「息をすいすい吸い、身体の底から命を啜りあげるような気持ちになりながら、未だ寒いこの春の宵に、温かい『さぬきうどん』をひたすらに『啜りをり』」というのでありましょう。
 未だ冷たい「春の宵」に、「息」使いも荒く、温かい「さぬきうどん」を無我夢中で啜っていると、お腹の底から命そのものを啜り上げているような気持ちになるのでありましょうか?
 〔返〕  湯通しに素醤油掛けて刻み葱はらわたに沁む讃岐饂飩よ   鳥羽省三



[入選]

○  小鳥ほどやさしき嘴持たざれど北半球の春に息吐く  (つがる市) 松木乃り

 「小鳥」と言ってもさまざまであり、中には、噛み付かれたら最後、小指の一本や二本ぐらいは喰いちぎられてしまいそうな「嘴」を持ってる「小鳥」もありますよ。
 それはそれとして、青森県つがる市と言えば、まさしく「北半球」中の「北半球」である。
 その「北半球」中の「北半球」たる津軽の「春に息吐く」作者は、どんな恋の悩みを抱えたリンゴ娘でありましょうか?
 農業の後継者不足が叫ばれている中での、婿取り娘なのでありましょうか?
 〔返〕  春遅くリンゴの花はまだ咲かず今日もひねもす地震(ない)揺るばかり   鳥羽省三


○  いつからか金魚のいない水槽にふぅーと息かけ水藻を揺らす  (足立区) 海老根清

 “短歌”は所詮“短歌”に過ぎませんから、これくらいの内容を注ぎ込むに相応しい“器”と申せましょう。
 我が家の小庭に鎮座している瀬戸物の水槽に棲息していた十匹の「金魚」たちも、この冬の寒さのせいなのか、「いつからか」は定かではありませんが、一匹、二匹と亡くなってしまい、この間、そのことに気付いた私が、水槽の中を網で掬ってみたら、案の定、空しくも「水藻」が網の目に絡み付くばかりでありました。
 本作の作者・海老根清さんのお住いは、つい先日お亡くなりになった田中好子さんの生家の在る東京都足立区である。
 その足立区で、「金魚のいない水槽にふぅーと息かけ」「水藻を揺ら」したりなさって居られる作者のお暮らしの所在無さよ。
 我が連れ合いは、先程からずっと、スーちゃんの葬儀関係のテレビ番組を見て居ります。
 〔返〕  スーちゃんのミニ悩ましきジャケットにふぅーとため息漏らす夕暮れ   鳥羽省三


○  リコーダーわたしの息が強すぎて苦手だったな音楽の時間  (杉並区) 平岡あみ

 「リコーダー」を吹く「わたしの息が強すぎて」、クラス仲間との合奏を乱してしまうことがあったことを思い出して、今になっても「苦手だったな音楽の時間」などとお嘆きになってる作者。
 その作者の昨今は、強すぎる「息」で以って「リコーダー」を吹いてたあの頃と同じように、生活の何かの面で「強すぎて」、周囲の人たちとの不調和にお悩みになっている昨今ではありませんか?
 〔返〕  思い当たる節もあってか切なくて詠むにも堪えぬ返歌なるかな   鳥羽省三


○  回診の医師の去りたる病室にまた白梅は息をし始む  (小松島市) 関 政明


 一首の意は「入院中の病室の朝の『回診』が終わって『医師』が去った後の『病室にまた白梅』が、『息をし』始めた」というのである。
 朝の「回診」の為に看護士を従えて病棟を訪れた「医師」の足音がリノリューム張りの廊下から聞こえて来る。
 その音が次第に高まって病室に入り、やがて医師が入院患者・関政明さんのベッドの前に立つ。
 そして、関政明さんと一言二言言葉を交わしながらの診察を始める。
 その診察がようやく無事に終わる。
 その間の時間の経過はわずか五分間足らずのことかも知れません。
 しかし乍ら、その五分間足らずの短い時間に味わう入院患者・関政明さんの不安感と緊張感とは余人には窺い知ることが出来ないほどの大きさである。
 そうした朝の一連の出来事の全てと、其処から生じた入院患者・関政明さんの不安感と緊張感との全てが、「回診の医師の去りたる病室にまた白梅は息をし始む」という三十一音に託されているのである。
 だが、そうした入院患者としての作者の毎朝の日課としての医師の「回診」という出来事と、それに対して身構え、緊張している作者の心理状態の底の底までを、選者の佐伯裕子氏が詳しく読み取ることが出来たかどうか、と不安に思われる。
 その一方、作者が“NHK短歌”の常連中の常連である関政明さんであることを考慮すると、作者ご自身の日常そのものと言ってもいい、主治医による朝の「回診」の不安感や緊張感とお題「息」とを、強引に結び付けているような印象さえ感じられます。
 かくして、強欲なる評者は、“NHK短歌”に寄せられた一首の佳作について、その作者に対するささやかな不満を述べながらも、その佳作を入選作としてお選びになった選者に対してのささやかならぬ不安感も述べてしまったのである。
 そうした矛盾した心理は、何処から生じたものでありましょうか?
 〔返〕  前開きのパジャマの釦をはめながら一息ついた回診の後   鳥羽省三


○  ふきだしのようにも見える白い息君が好きだと文字を入れてる(唐津市)大野一由

 自分自身の口から吐き出された息が広がって行く空間を漫画の「ふきだし」空間に見立て、その空間に「『君が好きだ』と文字を入れてる」と言っているのである。
 その思い付きの面白さよ。
 だが、この作品の魅力の全ては、その一点にしか無いのである。
 そうした点が、思い付きだけの作品のつまらなさでもある。
 「君を好きだ」と思っている、作者・大野一由さんの心の切なさなどは、「ふきだし」の消滅と共に、どこかに吹き飛んでしまうのである。
 〔返〕  吹き出しの如く吐き出す白煙に「煙草止めろ」と書こうか僕は   鳥羽省三


○  吐く息が白く重なる僕たちは小さな町で暮らしはじめる  (鹿児島市) 橋徹平

 「僕たち」の「吐く息が白く重なる」ことと「僕たち」が「小さな町で暮らしはじめる」こととの微妙な釣り合いの面白さ。
 その“微妙な釣り合いの面白さ”を十二分に感得しながらも、欲張りな評者は、「別に『小さな町』で無くても、大きな町で『暮らしはじめて』も、君たちの『吐く息』は『白く重なる』のではありませんか? どうせ暮らすなら、仕事が沢山ある“大きな町”で『暮らし』なさいよ」と、徒ら言を言ってしまいたくなるのである。
 小市民としての作者の密やかで静かな「暮らし」への憧れと、ささやかな願望を一首の歌に託したのでありましょう。
 〔返〕  桜島日ごと夜ごとに灰を吹き僕らの暮らしはかすかに曇る   鳥羽省三

『NHK短歌』観賞(坂井修一選・4月17日分)

2011年04月23日 | 今週のNHK短歌から
 「お題が“港”であり、締切日が3月15日であったので、締切日間際になって、“漁港に津波が押し寄せる”といった内容の作品が津波の如く押し寄せて来ましたが、震災関係の歌は、もう少し時間を置いて、気持ちに余裕が生まれてから詠むべきであると思うので、そうした点にも留意して選歌に当たりました」とは、選者・坂井修一氏の放送当日の弁と聴いて居ります。
 この度、“NHK短歌”のホームページを開いてみたら、今回の入選作品九首の全てが地震関係とは異なる題材の作品であったので、坂井修一氏の格別なるご見識には感服させていただきました。
 しかも、入選作の全てが粒選りの佳作と思われます。


[特選一席]

○  彗星がわれに手をふりまた次の星の港へ尾を曳きてゆく  (京都市) 角山 諭

 〔返〕  蒼白き頬を曝して我も堕つ銀河の彼方つひの深処へ   鳥羽省三
                           [注]   深処=ふかど
 「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くのは私一人だけではありません。
 君も堕ち、我も堕ちるのがこの世の定めであり、私たち人間の宿命なのかも知れません。
 「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くという点については同一であるが、「君」と「我」との間には厳然たる違いがありましょう。
 それは、「君」が灰色の素肌を曝して何の星に照らされる事も無く、どんな星座からも祝福されること無く堕ちて行くのに対して、「我」は「蒼白き頬を曝して」多くの星々たちや星座たちに照らされ、祝福されながら堕ちて行くのである。
 同じ堕ちて行くにしても、その違いはかなり大きいかと思いますよ。
 ところで、「君」は何方ですか?
 あの「未来」のなれの果ての「彗星集」のバックコーラスの方々ですか?
 加藤治郎先生は、未だ息災にしていらっしゃいますか?


    
[同二席]

○  電線がカラスの港このところさざ波たてるわが家をのぞく  (下妻市) 神郡 貢

 〔返〕  スーちゃんが黄泉路辿る日 電線にカラスが三羽止まって啼いてる   鳥羽省三
 “南海キャンディーズ”はどうして“キャンディーズ”なのかと不思議に思ったことがありました。
 あの“南海キャンディーズ”の、木偶の棒みたいに大きいだけが取り得の女性の顔を見るにつけても、一時代前の女性の可憐さが偲ばれるのである。



[同三席]

○  靴に乗り酔えど迷えど立ち寄れど玄関という港へ戻る  (高石市) 金井弘隆

 〔返〕  腹に乗り船漕いでいるとーさんを自宅に帰したくない私   鳥羽省三
 友人の一人が私に話してくれたことである。
 零細企業の経営者である父親が、彼が小学校三年に進級した春の終わり頃から、急に帰宅しなくなった。
 だが、彼の母親はそのことを少しも不思議とも不安とも思っていないような素振りで、毎晩定刻になると、自分と私の友人である息子とその妹の三人分の食事の仕度をして食べさせ、テレビの連続ドラマを一通り見た後は、子供たちに声を掛けることも無く自分だけ勝手に寝てしまう、といった日が一ヶ月以上も続いた。
 そうした日々を切なく耐え難く感じたので、ある日、彼は母親が自室に籠もって寝てしまった後に、妹の手を引いて父親の工場の近くまで行ってみた。
 すると、間も無く、その工場の電灯が消えて、中から中年の男女二人が手を取るようにして出て来た。
 女の方の顔には見覚えが無かったが、男の顔は見間違えようも無く、父親そのものだった。
 そこで彼と妹の二人は、父親と女性の跡を密かにつけて行った。
 父親たち二人は、とある小さな庭の在る家の玄関の鍵を開けて入って行った。
 事の重大さを感じた彼は、そのまま妹の手を引いて我が家に帰ろうとしたのであるが、父親のことを心配したのか、事の次第を知らない妹は帰ろうとしなかった。
 そこで、彼と妹は、父親たちの入って行った家の小庭の物陰にこっそり隠れて、室内の様子を窺うことにした。
 真夏のことなので、カーテンも引いて居ない室内の様子は、物影からでもよく見えた。
 彼と妹が室内の様子を窺っていた当初、父親たちはビールを酌み交わしていたのであるが、やがて、それにも飽きたのか、テーブルの上を片付けもしないで、その場にごろりと寝転び、やがて半裸の父親は、裸同然の見知らぬその女性の腹の上に乗って、船を漕ぐような動作を繰り返し繰り返し行ったのであった。
 私にその話をしてくれた友人は、その頃、大人たちの夜がどんなものであるか、ということを知らなかったそうだが、自分の父親が、自分も妹も知らない小母さんの腹の上に乗って、繰り返し繰り返し船漕ぎの動作をやっていた事と、父親の相手となった小母さんの隠微な声だけは、幾つになっても忘れられないものだ、と私にしみじみと語ってくれた。
 彼の母親が亡くなり、彼と妹が母親の姉の婚家で暮らすようになったのは、それから間も無くのことであったそうだ。
 母親の死因や父親のその後については、彼は口を閉ざして語ろうとしなかったが、私も亦、強いて聞こうとは思わなかったのである。
 今から半世紀以上も前に聴いた実話です。
 


[入選]


○  カタカナで書けばすうすう風通り私じゃないよな私の名前  (仙台市) 坂本捷子

 〔返〕  「好子さん」カタカナで書いても「よしこさん」それでも「スーちゃん」死んじゃいました   鳥羽省三
 “スーちゃん”を“スーちゃん”と呼びはじめたのは、一体何方でありましょうか?
 案外、田中好子さんご自身であったかも知れませんよ。
 何故ならば、他の二人が本名からすんなりと“ランちゃん”“ミキちゃん”と呼べるのに対して、自分の名前は“好子”だからと、“ヨシコちゃん”や“ヨーちゃん”と呼ばれたりしたらお手伝いさんみたいでカッコ悪いからと、“好子の“好”を“スー”と読んで“スーちゃん”としたのかも知れませんね。


○  書斎から港が見える風景を小説の中に見るカフェテラス  (鴻巣市) 加藤健司

 〔返〕  露台から孤児院見下ろす岡の家 侯爵一家は暮してました   鳥羽省三
 少年時代に何かの本で読んだことがありますが、西欧のいわゆる“孤児院”は、必ず小高い岡の上から見下ろされる低地に立っているものであって、その孤児院を見下ろす岡の上には、孤児たちの生活を賄う資金を提供する貴族の邸宅が在るということでした。
 その頃も今も、私は孤児ではありませんが、その本を読んでからの私は、自分の今の暮らしと醜い心とは、何処かの岡の上から何方かから具さに見下ろされている、という意識に捉われるようになりました。
 私が、今日まで、曲がりなりにも正しく清く生きてくることが出来たのは、私がそうした意識に捉われていたからだと、今でも思って居ります。
 そう、同じ“正しく清く生きる”にしても、“曲りなりに正しく清く生きる”という生き方が、確かに在るのですよ。
 決して、笑い話ではありませんよ。


○  春の磯香りほのかな港汁一杯二百六十二円  (千葉市) 由井 大

 〔返〕  貝柱ワカメたっぷり三厩の磯の香定食 五百円也   鳥羽省三
 作中の「三厩」を「さんまや」と読むことは、あの太宰治氏から教わったことです。
 確か彼の代表作の一つの『津軽』に出て来たのかと思いますが、その頃、学校で“百科事典”と呼ばれていた私は、その事を知った途端に、その“百科”にもう一科が加わって“百一科事典”になったと思いました。


○  子らの引く山車『鯛車』勢へり漁港の町は今日春祭り  (新発田市) 渋谷和子

 〔返〕  「シンハツダ」とは読まないで「シバタ」と読む其のこと知った三年の春
   鳥羽省三
 新潟県の県庁所在地・新潟市の隣に「新発田」という町が在り、その町の名が「シンハツダ」でも「シンパツダ」でも無く、「シバタ」であることを小学校三年生の頃から知っておりました。
 で、そんなことを知っている小学三年生は、私の郷里の町では恐らくは私一人であろうと思い、私は心密かに優越感を覚えておりました。
 そう言えば「鯛車」の木地玩具も私のコレクションの一つでありました。
 その「鯛車」は、度々の引越し騒ぎの間に何処かに消えてしまいました。


○  ジャズ洩るる港横須賀真夜の路地黒人兵の眼と歯が笑ふ  (名古屋市) 可知豊親

 〔返〕  白人は鼻であしらい尻で振る黒人兵は眼歯で笑う   鳥羽省三
 何を隠しましょうか。
 横須賀のドブ板通りを歩いていて、黒人兵に見つめられて思わず下腹部を手で押さえた場面は幾度もありましたよ。
 私が、女性も羨むような美少年であったからなのかしらん?


○  歯科医院に患者なければ退屈なる口腔模型の口開きをり  (徳島県石井町) 一宮正治

 〔返〕  退屈と口腔模型の口開けて客寄り付かぬ左馬口歯科医   鳥羽省三
 今から三十年以上も前のことです。
 横浜市某区某町の左馬口歯科医院が開店して最初の客は、私・鳥羽省三でありました。
 歯科医師一人、受付係兼歯科助手一人のこの歯科医院から、私は開店第一号客として歓迎され、私以外のお客が訪れなかった当日は、お互いに自己紹介などをして、虫歯一本の治療に一時間余りの時間を掛けるなどして、好感を抱いて帰宅しました。
 歯科医としての腕前はイマイチでしたが、客あしらいが上手だったので、最初の客であった私も、やがて知人を紹介したりするようにもなり、そのうちに顧客らしいものも少しずつ訪れるようになりました。
 ところが、この歯科医は何時の頃からか無愛想になり、自費診療を口にするだけの儲け本意の歯科医師になってしまいました。
 受付係兼歯科助手の女性も、わずか半年足らずのうちに次々に替わるようになりました。
 左馬口歯科医院の待合室に閑古鳥が鳴き、口腔模型の大口だけが目立つようにまるまでは、そんなに多くの時間を要しませんでした。

今週の朝日歌壇から(4月18日掲載・其のⅡ・決定版)

2011年04月22日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]


○  わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる  (福島県) 半杭螢子

 「復興は必ずやなる」などという根拠の無い楽観主義と「わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる」などという極端な悲観主義とが同居しているのが、昨今の我が国の現状と申せましょう、と申すのも、何を根拠にしての言説では無く、その実情は全く混迷の至りとしか申し上げようもございません。
 このようなことを記していても、私の胸底を支配しているのは、あの大震災の再来への恐れと原発という悪魔の火を手にしてしまったことへの悔恨でしか無く、パソコンのキーを叩くスピードも鈍るばかりなのであります。
 で、せめてもの気休めにと、下記のような返歌をさせていただきます。

 〔返〕  孫も居るタイガーマスクも菅も居る罹災者住宅続々完成   鳥羽省三
 作中の「孫」とは、私の二人の孫娘のことでは無く、百億円をご寄付なさった太っ腹のあの社長様のことであり、「タイガーマスク」と「菅」については、説明を要さないと思われます。
 〔返〕  あの菅がタイガーマスクに化ける日が必ず来るぞ希望もて待て   鳥羽省三
      孫二人蝶と翔び立つ日もあらむ希望捨てずに我も生きなむ      々


○  背に肩に両手に喰い込む荷をさげて難民となる放射能避け  (枚方市) 澤 正宏

 本作の作者・澤正宏さんが被災地の居住者で無いだけに、「テレビ画面から巧みに拾うことが出来たな」という気持ちになってしまうことも否めないのである。

 〔返〕  肩に背に食い込む荷物捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ祖国日本   鳥羽省三
 この際は、国連への分担金も値切りましょう。
 膨大な額に達する、ODA給付も止めましょう。
 我が日本は、この大震災が無くても世界一の財政赤字国であり、今また、この大震災に見舞われて、膨大な財政支出を余儀なくされているのですから、何の恥じらいも無く、「肩に背」に「食い込む」荷物を捨てて、私たち国民は一介の難民国民として暮らしましょう。
 事の序でに書き記しますが、これをチャンスとして捉え、米露中の宇宙乱開発に手を貸すことは止めましょう。
 また、電源を原発に頼ることも止めましょう。
 今日からの日本のやるべきことは、効率良き太陽光発電、風力発電、地熱発電、及び燃料電池の開発に、国民の叡智を傾けることだと思います。


○  海寄せて海引きて後黒々と人の歴史は引きめくられぬ  (北本市) 左近弌弍

 “開けてびっくり玉手箱”といった感じでしたね。
 まさに「引きめくられぬ」という感じでしたね。
 防災体制の脆さのみならず、国家存立の脆さがあからさまに「引きめくられ」たという感じでした。
 まさかこれほど酷いとは思わなかったのですが。
 大震災そのものもさること乍ら、なにしろ東電福島第一原発の爆発の事後処理が厄介ですからね。
 いつか誰かが、この地球の何処かで必ず仕出かすであろうへまを、事もあろうに、この我が国が選ばれて仕出かしたという感じのへまでしたね。
 〔返〕  引き寄せて万葉集を読みなおす防人の歌心に沁みる   鳥羽省三  


○  「海なんかなければいい」とふ被災者の心のうろの深さおもはむ  (那覇市) 長田紀和

 まさに「心のうろ」でございましょう。
 後出しじゃんけんで、今更嘆いて居ても仕方がありませんが、この度の件が、「被災者」の方々を初めとした、私たち日本人に与えた「心のうろの深さ」は、真に底知れません。
 私たちは、その底知れなく暗い「心のうろ」にじっと耐えているしか無いのかも知れません。

 〔返〕  「海なんかなければいい」と言う海を汚してしまった人類の罪   鳥羽省三
 返歌の五句目を「東電の罪」とする手も在り得ましょうが、ここはやはり「人類の罪」としか言えませんでしょう。
 でも、そんな些細なことは、この際はどうでも宜しい、といったやけくそ的な気分にもなってしまいます。


○  地震にてとまりし電車十日経てまだとまりゐる菜の花のなか  (ひたちなか市) 篠原克彦

 本来ならば、“牧歌的風景”とでも評する場面でありましょうが、とてもそんな気にはなりません。
 それとは別に、あれだけの大きな地震に見舞われた結果として止まった「電車」が、その後「十日」を「経て」も「まだ」「菜の花」畑の「なか」に止まっていることに対する驚きと感激とをお詠みになられたこの歌は、これ自体、人間の“増上慢”の証しなのかも知れません。
 と申しても、この弁は、何も本作の作者・篠原克彦に向けてのものでは決してありません。
 「人間の叡智を以ってすればどんな自然でも屈服させ得るし、どんな自然災害をも克服出来る。したがって、地震の結果『菜の花』畑の中に止まった『電車』が、震災後『十日』を『経て』も止まったままであることは在り得ないことであり、そうであるが故に、もしも、そんなことが現実に起きたとしたら、それは大きな驚きでもあり、微笑ましさでもある」といったご発想をなさった方は、他でも無く、本作の作者・篠原克彦さんであることは、間違い無い事実でありましょう。
 だが、篠原克彦さんのそうしたご発想は、ご本人のみならず、人間一般に共通した発想であり、心理であると思われます。
 人間の叡智の表れの一つである『電車』という文明の利器が、大自然そのものである『菜の花』の中に『十日』も止まっていることを驚きや喜びや感激の対象にしている、人間一般の心理に対して、私は“増上慢”を感じた次第でありました。
 となると、その“増上慢”とは、大自然の為す事象を言葉で以って写し取ろうなどとする愚かな企みを持っている、私たち歌詠みに備わっている“増上慢”なのかも知れません。
 何が何だか全く分からなくなってしまいましたから、この“増上慢”論議はもう止めましょう。
 〔返〕  震災の直後に買った米一斗いまだ食さず袋のままで   鳥羽省三  


○  震災で節電となる電車内くつきり光る(NEXT CHOFU)  (調布市) 水上香葉

 “大震災を楽しむ”などと申したら、大きな語弊が生じるかとも存じます。
 だが、今回の東日本大震災の直後から、これに関わる投稿や短歌・俳句などが朝日新聞などの紙上に大量に掲載され、週刊誌などには、民主党政府の対応の不味さを強調するなど、徒に国民の不安を煽るような記事が満載されているのである。
 したがって、それらを見聞するに及んでは、大変不謹慎ながら、私は、「国民の多くは大震災の余韻を楽しんでいるのに違いない」との思いを抱くに至ったのでありますから、恥ずかし乍ら、此処にこうした形で告白させていただきます。
 ところで、歌詠みの皆さんの、今回の震災に対する対処の仕方も、いろいろ様々ではありますが、私は、本作に接することに拠って、「電車内」に「くつきり光る」「(NEXT CHOFU)」という電光板の文字で以って、「震災」の結果としての「節電」を改めて知り、大震災の被害の深刻さをも知る、といった形の対処の仕方もあったのかと思い、真実感激致しました。
 自己の被災体験を相手構わずに真剣に克明に語る。
 被災者たる他人から聞いた話を得難い情報として感激的に語る。
 テレビ画面で見た光景や新聞などで得た情報に対する驚きを声高に語る。
 今回の東日本大震災に関する短歌を大別すれば、およそ上記のような三種類の作品に分類出来ると思われます。
 そうした作品群(まさに作品群そのものである)の中に在って、本作は、また一段と精彩を放っております。
 被災の凄惨な現状を直接的に述べていない。
 作者ご自身が大きく心を動かしたり、感激の言葉を声高に述べたりしない。
 それでいながら、今回の大震災の惨状の始末が未だに終わって居ないことに気付かせられる。
 本作の優れた特徴を列挙すれば、以上の三点が上げられるかと思われます。
 「(NEXT CHOFU)」という英文の引用もなかなか効果的と思われます。
 〔返〕  震災で休日ダイヤの東急バス“たまプラ行き”は一時間後である   鳥羽省三


○  モスレムの子供が歩くカバンには日本に援助をと貼り紙つけて  (アメリカ) ダンバー悦子
                    [注]  日本に援助を=サポートジャパン

 作中の「モスレム」とは、「神に帰依・服従した者」の意であり、即ち“イスラム教徒”のことである。
 本作は、このところ何かと話題に事欠かない“イスラム教徒”の間にも、大震災に見舞われた日本を救済しようとする運動が展開されていることを告げているのでありましょうか?
 それとも、「モスレムの子供」が「カバン」に「日本に援助を」との「貼り紙つけて」「歩く」のは、丁度、渋谷界隈に屯している少年少女たちがファッションとして十字架などの宗教のシンボル的なものを身につけているのと同様に、一種の風俗現象なのでありましょうか?
 〔返〕  駅前の震災募金の人らにも猫ババするやつ必ずいるさ   鳥羽省三


○  こんなにも人間たちをよろこばせそのこと知らず白もくれん咲く  (垂水市) 岩元秀人

 この度の東日本大震災とは直接関わりが無いような内容のこの一首の成立にも、そのことが密接に関わっているのでありましょう。
 人間という者は、苦境に陥っている時にも、何か些細なものに救いを見出したりするものであり、作中の「白もくれん」が咲いたのは、そうした人間が見出したささやかな救いであったに違いありません。
 〔返〕  陋屋を見下ろす欅も萌えました垂水の早蕨そろそろですね   鳥羽省三


○  出産の痛みも知らず老いゆくか一筆書きのこの生涯を  (神戸市) 野中智永子

 「一筆書き」の「生涯」などという単純にして明解かつ詰まらない「生涯」は決して在り得ません。
 一例を以って説明すれば、本作の作者・野中智永子さんが、「出産の痛みも知らず老いゆく」過程に於いても、人を好きになったり、嫌いになったり、捨てたり、捨てられたり、騙したり、騙されたり、産む産まぬで恋人と喧嘩したり、産めないと判ってがっかりしたり、一首の歌に喜びを感じたり、一切れの筋子に舌鼓を打ったりと、いろいろさまざまなドラマが在ったことでありましょう。
 それ即ち、野中智永子の「生涯」が、決して「一筆書き」の「生涯」で無かったことの証明に他なりませんよ。
 これからだっていろいろなことがありますよ。
 こんなことを書いている最中に、私の連れ合いの翔子が、突然、私に語り掛けて来ました。
 「ねえ、田中好子さん。あのキャンディーズのスーちゃんが亡くなったのよ。乳癌が再発したんだって」と。
 田中好子さんと言えば、往年のキャンディーズの三人娘の中で、一番地味で目立たなく、歌も格別上手では無かったように記憶して居ります。
 その目立たないスーちゃんが、あの素朴そのもののお名前の田中好子さんが、キャンディーズ解散後、カッコ良い他の二人を措いて一躍スターダムにのし上がり、映画『黒い雨』に主演して人気女優となり、そしてこの度、黒い雨の降る最中に、二十年前に患った乳癌が再発してお亡くなりになるに至る過程には、どんな激しいドラマが在り、彼女の55年の「生涯」は、何度も何度も書き直しを強いられた「生涯」だったと思われます。
 そうした悲しいニュースを耳にしては、非情を以って非難の対象とされているこの鳥羽省三さえ、密かに涙したことでありました。

 〔返〕  ミキちゃんはお嬢様めいて大嫌い。スーちゃんランちゃん私大好き。   鳥羽省三 
 “スーちゃん”こと田中好子さんは、東京都足立区の釣具屋さんの娘でありましたとか。
 私も、一年間だけですが、足立区の隣の埼玉県川口市の住人でありましたから、彼女の家の近くの川で、船遊びをしたことがあります。


○  わが家では停電訓練五回目だろうそくともしてカレーを食べる  (横浜市) 高橋理沙子

 「カレー」は、飯盒炊爨の定番であると同時に、日持ちのいいことから非常食の定番ともなっているのでありましょう。
 「わが家では停電訓練五回目だろうそくともしてカレーを食べる」とお詠みになったからには、本作の作者・高橋理沙子も亦、この度の東日本大震災の余波としての“計画停電”の憂き目に遭われることを危惧され、その「訓練」を「五回」も行い、その度ごとに、「ろうそく」の灯の下で「カレー」を食べたのでありましょう。
 「なんだか嬉しそうですね」なんちゃったりしたら、作者様から叱られましょうか?
 でも、どんなに叱られようとも、本作の周辺からそのような感じが漂っていることは、否定出来ないのである。
 短歌の鑑賞は、世間様に迎合して、心にも無いようなことを言うことではありません。
 〔返〕  我が家でも停電訓練二回やり結局本番無かったみたい   鳥羽省三



[永田和宏選]


○  柩なく花なき日々を思い出すこの震災を神戸に重ね  (西宮市) 戸田章子

 「柩」とは、棺桶そのものでは無く、棺桶に亡骸の入った状態を指していうのでありますから、本作を杓子定規に捉えて評すると、あの震災時の「神戸」に於いては、死者も無く、死者に供える為の「花」も無かった、ということになりますが、短歌を鑑賞するくらいの人は、決して馬鹿ではありませんから、そんな重箱の隅を突っつくような真似はしませんよね。
 〔返〕 妻が病み二児を抱へし頃思ふ田中好子の逝く日に重ね   鳥羽省三


○  友の名のないこと祈り新聞の犠牲者欄にその名を探す  (新潟市) 伊藤 敏

 またまた重箱の隅を突っつくような真似をして言えば「友の名のないこと祈り」ながら「新聞の犠牲者欄にその名を探す」というのも、何やら矛盾した話ですね。
 でも、世の中の大抵の人は、そんな矛盾したことを矛盾しているとも思わないでやっていますね。
 人間というものは、凡そそうした者でありましょう。
 〔返〕  しこりの無いこと祈りつつ胸と腹など擦りつつしこりを探す   鳥羽省三


○  三陸の友を案じる案じるという行為の無力さ知らされながら  (東京都) 平井節子

 本作の作者も亦、人間であり、人間である証しとして、空しい行為を為しているのでありましょう。
 〔返〕  “気仙沼ちゃん”と呼ばれし乙女あり旅館の女将となれると聴くも   鳥羽省三


○  災害時与党も野党もないだろうこの国民に選ばれたのだ  (枚方市) 鍵山奈美江

 評者も亦、そのように思いましたが、人さまざま、政治家もさまざまでありますから、非常時と言えども、党利党略というものをお持ちなのでありましょうか?

 〔返〕  翼賛と言えば言えよう大連立但し翼があればの話   鳥羽省三
 今回、民主党が自民党に大連立を提案して復興への協力を求めたのに、自民党総裁の某氏がそれを拒否した件については、賛否両論がありましたが、その中で特に目立ったのは、民主と自民との大連立は、戦中の翼賛国会に通じるから危険であるという、一応は筋道の通った論でありました。
 でも、それは、我が国が頼りになる“翼”を持っていると仮定すればの話として、私は受け取りました。
 〔返〕  翼無く燃料も無き我が祖国何処を彷徨い何処に行くやら    鳥羽省三


○  安置所と避難所を結ぶバス出来てそれにて母を捜しに行くと  (水戸市) 檜山佳与子
○  穏やかな春の日射しにヘリコプターの音のみ聞こゆ震災の街  (いわき市) 影山ふさ
○  においだつ春のけはいのたゆたいて震災の町に梅の花咲く  (仙台市) 下斗米康平
○  三十キロ遠くに写り危うげに蜃気楼のごとき白き原子炉  (高松市) 菰渕 昭

 被災地にお住いの人。
 被災地以外の土地にお住いの人。
 こんな話、あんな話といろいろお有りのようでございますが、取り敢えずは、お話だけを承っておくと致しましょうか?
 ところで、我が家の近くにも、小型ながら確かに原子炉が在った筈です。
 その当時の武蔵工業大学、今の東京都市大学の実験用小型原子炉。
 教員当時の私も見学させていただきましたが、あの原子炉は、今、どうなっているのでありましょうか?
 コンクリートと鉄と耐熱ガラスみたいなもので囲われた水槽状の入れ物の底にエメラルド色をして燃えている核の火は、今でもまだ私の眼に焼きついているのでありますが、なにしろ年季が入っているものだけに、いささか心配にもなってきました。

 〔返〕  読み厭きた食べ厭きました非常食どんこ鍋でも食べたい気持ち   鳥羽省三
 雨後の筍のように押し寄せる震災関係の歌は、私にとっては買い漁った“非常食”のようにも思われ、大変失礼ながら食傷気味なのです。
 朝日歌壇に、震災関係の歌が掲載されない日が、一日も早く来るように願っている毎日なのです。
 画一化された表現の大震災の歌が大量に生産され、大量に消費されることは、短歌の発展にとっても決して望ましいとばかりは言えないことでありましょう。

今週の朝日歌壇から(4月18日掲載・其のⅠ・決定版)

2011年04月21日 | 題詠blog短歌
[馬場あき子選]


○  牛五頭飲めぬミルクを絞り終え那須高原へと避難する牛  (枚方市) 澤 正宏

 評者はかねてより、優れた歌詠みは“神の視座”とも言うべき重層的な視点に立って対象に迫ることが在る、ということを指摘して参りましたが、本作は、その“神の視座”とは異なる、複眼的な視野に立ってお詠みになられた作品である。
 詠い出しの「牛五頭飲めぬミルクを絞り終え」という叙述は、これから「避難」していこうとしている「牛」から「飲めぬミルク」を絞るという空しい作業に従事した者の立場に立った表現であり、それに続く叙述は、安全地帯たる「那須高原へと避難する牛」を傍観する側に立っての表現でありましょう。
 だとすれば、本作は視点の異なった二句を上下に据えた技巧的な作品と言うよりも、叙述の首尾一貫を欠いた作品、即ち、主述関係を見失った作品とするべきでありましょう。

 〔返〕 搾れども術無き乳を搾られて那須高原へと避難する牛    鳥羽省三
     販売のあて無き乳を搾られて那須高原へと追われ行く牛     々
 澤正宏さん作の趣旨を十分に汲み取ったうえで、首尾一貫した作品を詠んだとしたならば、上記の返歌のようになりましょうか?
 澤正宏さん作には、格別に必要も無いのに「牛」という名詞が重出する他、「搾る」とするべきところを「絞る」とするなどの不備が見られ、推敲不足の謗りが免れなく、“馬場あき子選”の首席とは到底思われないような作品と思われる。
 本作が、こうした欠点を有する作品となった理由の一つに、作者が福島第一原発の事故現場から遠く離れた大阪府の居住者であり、題材となった出来事が、テレビ画面などで視た光景であった点などが上げられましょうか?
 震災関係を題材とした作品は、そのいずれもが、題材となっている出来事が悲惨にして厳粛なる事実である。
 したがって、題材だけで鑑賞者の涙を誘うことにもなり、細かい叙述の欠点などについては、眼につかなくなる恐れ無しとしない。
 それを的確に見据えて、優れた作品を選び、格別優れてもいない作品を没にするのが選者たる者の役目ではありませんか?
 選者たる者は、涙で目を曇らせてはいけません。
 表現されている事柄に目が曇っても、表現そのものに目を瞑ってはいけません。


○  「避難せよ」と叫び続けし声を残し女子職員は還り来たらず  (あきる野市) 千原孝正

 本作も亦、テレビ画面に映った光景でありましょうか?
 この度の大震災に於いては、被災地の至る所でこうした悲しい場面が展開されたものと思われ、私たちの涙を誘い、敢えて申すならば、私たちに詠歌の絶好の機会と題材とを提供したのである。
 したがって、被災地以外の者がこれを題材にして一首をものした場合は、どんなに巧みに詠み果せても、「巧いことやったね」「シャッターチャンスを逃さず捉えることが出来た」といった、辛口の評言から逃れ得ることが出来なくなるのであり、出来得るならば、こうした題材は、自分の身の回りの何かに絡めて扱うべきなのである。
 また、詠まないのが最善の策とも申せましょう。
 〔返〕  ご先祖の位牌を救ひ出さんとて津波に呑まれ逝きし人在り   鳥羽省三


○  平凡なことが普通に出来ていた幸せに降る被災地の雪  (大船渡市) 桃 心地

 作者・桃心地さんの表現しようとなさったお気持ちは、匿名のコメント諸氏から“非情”と非難され続けの私にもよくよく解ります。
 でも、それとこれとは全く時限の異なることでありましょうから、敢えて、本作の欠点を指摘させていただきます。
 一首の意は「今になって思うのであるが、『平凡なことが普通に出来ていた』震災前の暮らしがとても大切であり、かつ『幸せ』なことでもあった。その『幸せ』を根底から覆してしまったこの度の大震災よ。そして、その大震災に見舞われて『幸せ』を根底から失ってしまった『被災地』に降る『雪』の、何と冷たく悲しいことよ」といったところでありましょう。
 だとしたら、本作に欠けているのは何でありましょうか?
 〔返〕  平凡な暮らしの中の幸せを思へば凍みる被災地の雪   鳥羽省三


○  田も畑も黙り込んでるふるさとの風が重たい原発の空  (福島市) 美原凍子

 美原凍子さんの御作は、常に水準以上の出来栄えの安定した作品である。
 でも、そうであるだけに、評者はいつもその安定振りに物足りなさを感じないでもありませんし、本作についても全く同感である。
 それは、安定している表現であるが故に、月並みとも思われる「田も畑も黙り込んでるふるさと」「風が重たい原発の空」といった類想的な表現に原因を求められ得ましょう。
 〔返〕  放射線に射竦められて黙然と故郷の田よ畑よ我よ   鳥羽省三


○  蟻のごとき列の車が阿武隈の山に吸わるる町民避難とは  (我孫子市) 開発廣和

 四句目中の「吸わるる」は「吸われる」とするべきである。
 口語の受身の助動詞は「る」では無く「れる」であり、その連体形は「るる」では無く「れる」である。
 連体形が「るる」という形をとるのは、文語の受身の助動詞「る」である。
 本作は、「吸わ」に見られる如く、“現代かな遣い”で表記しながら、それに接続する受身の助動詞として、文語の助動詞「る」を用いているのである。
 一首の歌に文語を用いる場合は“古典仮名遣ひ”で表記するべきであり、そうでない場合は“現代仮名遣い”で表記するべきである。
 それを指摘しないで、作中の助動詞とその直前の活用語との繋がりがちぐはぐになっているのを許容して結社誌などに掲載しているのは、当該短歌結社の客寄せ策の一つであると同時に、その結社の主宰など指導者たちの無定見、非常識振りを暴露しているのである。
 そんな結社に所属している者はさっさと退会し、定見を備えた結社に入会するべきである。
 念の為に申し添えますが、私は「短歌は“文語”を用い、“古典仮名遣ひ”に拠るべきだ」などと、七面倒臭いことを申し上げているのではありませんよ。
 〔返〕  被災地を逃げてく車ひとの群れ阿武隈山地に吸われる如く   鳥羽省三
      阿武隈の山に吸はるる如くにも被災地を去る車も人も       々


○  避難所のおにぎり一つの朝食に我も加わる長蛇の列に  (福島県) 半杭螢子

 杓子定規に解釈するならば、「贅沢なことを言いなさんな」とでも申し上げたくもなるような内容の作品である。
 「『長蛇の列』に『加わる』のが嫌であるならば、加わらなければいいだけのことではありませんか。でも、“武士は食はねど高楊枝”という訳には行きませんでしょう。生きる為に食べることと見栄を張ることとは両立しないのです」とでも、付け加えたくもなりましょうか?
 しかし、本作の作者・半杭螢子さんの創作意図としては、「『避難所のおにぎり一つの朝食』を食べたい為に『長蛇の列に』に加わりながらも、なお且つ“見栄”を捨て切れないでいる、自分の心理の矛盾を抉剔する」点に在るかと思われます。
 また、本作がそうした確固たる意志に基づいて詠まれた作品では無く、なんと無く曖昧でありながら、「長蛇の列」の一員にならざるを得ない作者ご自身の煮え切らない心理を描写した作品であるとしても、なかなか優れた作品である、と申せましょう。
 本作の何よりの強みは、自己の直接的な体験に基づいて詠まれた作品である、という点にある。
 短歌作品の評価の難しさは、当該作品の内容と作者との関係までも評価の対象としなければならない点にありましょう。
 したがって、角川書店や短歌研究社などが主催する新人賞を、毎年、見目麗しき美少女が受賞するのも、強ちに非難するに当たらないとも申せましょうか?
 但し、近年受賞の誰彼が、美少女であったかどうかなどを、私が云々しているのではありません。

 〔返〕  デパ地下のマグロの試食の人込みに我も加わる妻も加わる   鳥羽省三
 仮に、前掲の半杭螢子さん作を「甲」とする。
 そして、不肖鳥羽省三作の上記の返歌を「乙」とする。
 本ブログの読者諸氏に於かれては、作品「甲」と作品「乙」と比較した場合、いかなる理由で以って、「甲」「乙」のいずれがより優れた作品として、ご評価なされるのでありましょうか?
 何卒、厳正なるご判断基準をお示しになられたうえで、ご評価賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
 但し、匿名でのコメントはお断り申し上げます。
 何卒、宜しく。


○  春キャベツ七千五百株畑に残し男は自殺す核汚染苦に  (三重県) 喜多 功

 そんな新聞報道も確かにありましたね。
 ほんの一週間ほど前でしたか?
 〔返〕  他産地のキャベツの価格も暴落し春キャベツ一玉100円也で   鳥羽省三


○  ああ友よ呼べど答へず泥の町寒さに怯え今宵も眠れる  (可児市) 加藤由二

 本作の作者・加藤由二さんは、岐阜県可児市のお住いの方である。
 であるが故に、直接体験に基づいてお詠みになられたような体裁の本作についての評価には、かなり難しく厳しいところがある。
 〔返〕  還らざる母の名呼びて避難所に今宵も眠る哀れな子らよ   鳥羽省三

 
○  四時間の行列に得しガスボンベ抱き返り来亀裂の道を  (仙台市) 坂本捷子

 ただ単に「難儀した」と述べたいのでは無く、被災地の悲惨な暮らしの一端を活写しているのでもありましょう。
 被災地に在って、その惨状を直接ご体験なさった方の作品には、それなりの臨場感や緊迫感が感じられるものである。
 でも、坂本捷子さん、こうした貴重なご体験を、心中で醸成しないままに小出しになさって居てはいけません。
 もう少し落ち着いてから、現地被害者の直接体験に基づいた連作として発表なさったらいかがですか?
 〔返〕  風袋と合わせて重さ幾許かガスボンベ抱き亀裂の道来しと   鳥羽省三
 

○  津波受けただ一本の松の木が立ちて残れり高田松原  (奥州市) 大松澤武哉

 本作の題材となった光景も過日の朝日新聞に写真入りで掲載されておりました。
 だが、その「一本の松の木」も、塩水の害で根元から腐りかかっているとかの情報に接しました。
 〔返〕  ただ一本残りし松の根腐れをメールで知りぬ高田の友の   鳥羽省三



[佐佐木幸綱選]


○  原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む  (福島市) 美原凍子

 良く出来た作品とは思われますが、「やや芝居じみていて大袈裟な表現が気に掛かる」などと申せば叱られましょうか?
 「ここ」は福島第一原発の所在地から、どれ位離れた土地でありましょうか?
 また、「水」とは水道水でありましょうか、それともペットボトル入りのものでありましょうか?
 などなど、私にとっては、余計なことも聞きたくなるような作品である。
 要するに、美原凍子さんのような巧みな詠み手の作品に対しては、多くの鑑賞者の中には、心を空しくして鑑賞することが出来ない者も必ず居るものである、ということであり、その一人がかく申す評者である、ということである。
 〔返〕  原発を誘致せし町双葉町大熊町の過去よ未来よ   鳥羽省三


○  簡単に想定外と記者会見きちんと想定すべきあなたが  (東京都) 大久保やそじ

 「あなた」とは、“どなた”のことでありましょうか?
 〔返〕  端的に申せばいつも想定内 記者会見とは言い訳だけで   鳥羽省三 


○  われの身と同じ義足をつけしひと早き津波を如何に避けしや  (新潟市) 遠藤勝悟

 本作の作者・遠藤勝悟さんは、テレビ報道の避難所風景などで、「われの身と同じ義足をつけしひと」をご発見なさり、「早き津波を如何に避けしや」と心をお寄せになったのでありましょう。
 我を知り、対象を知る。
 この点も短歌作者としては、極めて重要な要件でありましょうか?

 〔返〕  我と似て知ったかぶりの男居て何かと仕切る避難所の中    鳥羽省三
      我と似たスポーツ刈りの老いの居て食べてばかりの避難所暮し   々
 自分自身をピエロ化して、読者サービスに努めることも亦、短歌作者としては、幾分かは必要な要件でありましょうか?


○  原発を逃れて来たる姪の手がしっかり抱くダックスフント  (ひたちなか市) 猪狩直子

 人さまざまな世の中でありますから、「何も犬まで連れて『逃げて』来なくとも? それもダックスフントとは?」などと思う、非情な方も居られましょうか?
 〔返〕  原発を逃れて来しか福島の友の賀状の版画の兎   鳥羽省三


○  犬つなぎ避難せし人責める人聞くもつらしや原子漏れ事故  (福島県) 北村ミヨ

 まさしく「人」さまざま、「犬」さまざまのこの世の中でありましょう。
 それはそれとして、「原子漏れ事故」という表現が適切な表現かどうかが、大いに気に掛かることである。
 〔返〕  犬の糞ビニール袋に拾う人拾わぬ人も大宮駅前   鳥羽省三
 

○  レジ前の商品棚にいつもより多く積まれある香典袋  (仙台市) 武藤敏子

 「心なしか?」という程度のことでありましょう。
 〔返〕  レジ前のおでんの鍋の煮え滾り湯気に曇るか眼鏡の娘   鳥羽省三


○  原発で下請け作業者被爆すと本社社員は淡々と読む  (高槻市) 奥本健一

 そんな所が相場と申せましょうか?
 〔返〕  下請けのそのまた下請け子会社の臨時雇いの労働者かも   鳥羽省三


○  時季なれば菜大根蒔かむと畑を打つ放射能汚染時にまかせむ  (稲敷市) 川原とみ

 「時季なれば菜大根蒔かむ」とも、「時季なればほうれん草を収穫せむ」とも言えないところが、被災地の人々の泣き所である。
 その点からすると、東京都下・稲敷市の方は気楽で宜しいですね。
 「放射能汚染時にまかせむ」などとも仰ったりして。
 〔返〕  時季なれば野良猫どもも訪れむ我が家の猫を戸外に出すな   鳥羽省三


○  復興は必ずやなるしかれども人の命に復旧はなし  (千葉市) 愛川弘文  

 「復興は必ずやなる」との確信は、何を根拠になさったものでありましょうか?
 〔返〕  復興は必ず成ると菅首相されども彼の再選は無し   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(4月10日掲載・其のⅢ)

2011年04月20日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]


○  過疎採るか原発採るかこの地にも決断迫る時勢のありき  (新潟市) 伊藤 敏

 「この地にも決断迫る時勢のありき」とありますが、原発誘致推進派の国会議員や地域のボスに唆されて、当時の現地市町村の人々は、少数の原発誘致反対派の人々を気違い呼ばわりしたり、無視したり、嘲笑したりして、圧倒的多数の賛成票を投じて原発を誘致したではありませんか。
 その見返りとしての直接間接的な給付に目を眩まされての選択であったのかも知れませんが。
 更に言えば、つい先日までは、新聞テレビなどの論調も含めて、エコエネルギーとしての原子力発電が、まるで地球の救世主の如くに期待されていて、ひと頃盛り上がっていた原発反対運動が逼塞状態となり、反対運動推進者の悲痛な声がマスコミの前面に反映されることが、極めて例外的であったことも私たち日本国民は認めなければなりません。
 私たちは、それを潔く認めたうえで、直面している事態の解決に当たらなければならないのでありませんか?
 とは申すものの、私も、昨年、某区役所主催の環境連続講座に出席させていただいたのですが、その折の講義内容も受講者たちの意見も、原発容認一辺倒であったことに驚愕し、原発の安全性を危惧していた私自身の頭の古さと悪さとを思い切り認識させられて、反省を迫られていた矢先の福島第一原発の事故でありました。
 したがって、大変失礼ではありますが、「過疎採るか原発採るかこの地にも決断迫る時勢のありき」という本作の表現は、原発誘致運動を推進していた当時の地域の実情にはそぐわない内容と思われますが、いかがでありましょうか?
 それはそれとして、事態が事態でありますから、かつての原発容認乃至は支持派の多くが、根っからの原発反対派面して臆面も無くマスコミに登場しますから、よくよく注意しなければなりません。
 〔返〕  原発も過疎も採らずと言う候補妙策有るか有るなら示せ   鳥羽省三
      当面は生活レベルを切り下げて我慢するより方法は無し     々


○  放射能の不安の募る原発より二十キロ内にわが町もあり  (西予市) 大和田澄男

 「原発より二十キロ内にわが町もあり」とあり、今になって初めて、「二十キロ」圏内だとか“三十キロ圏内”だとかの問題、つまり原発の所在地の周辺の市町村の人々の安全や健康などの問題がクローズアップされておりますが、原発が稼動した当時の話題の多くは、誘致に成功した市町村と、その周辺の市町村とのライフラインや財源などの較差が問題にされるばかりで、原発の見返りとして建てられた“箱物”などを、周辺の市町村の住民にも使わせるべきである、といった問題ばかりが論議されていたように、私は記憶しているのでありますが、いかがでありましょうか?
 もしも、そうした実情であったとするならば、現在の状況は、某氏の言葉を以ってすれば、“天罰が当たった”とでも評すべき事態でありましょう。
 だが、その“天罰”が、「原発」の所在地の人々にだけ当たるのでは無く、その「二十キロ」圏内や“三十キロ圏内”はおろか、地球的規模で当たるのですから、その恐ろしさたるや...............。
 〔返〕  宇宙的規模にも亘る放射線被害恐ろし今となっては   鳥羽省三


○  薄氷を踏みいる如き幸せと思い知らさる原発の事故    (佐野市) 広瀬恭子

 踏んでいた筈の「薄氷」が割れて、私たち人類は、今や凍結寸前の水中に落下してしまったのである。
 〔返〕  薄氷を薄氷と知ることも無く踏み居し衆愚われら国民   鳥羽省三
     

○  いくつもの町呑み込んで津波去り瓦礫の遺体に立つ赤い旗  (伊勢崎市) 萩原亜季子

 テレビカメラは、非情にもこんな画面さえ容赦無く映し出したのである。
 〔返〕  弔意はも黒き布もて表はすに何故に掲ぐる赤き小旗を


○  炊き出しを笑顔で手伝う中学生青いジャージに粉雪が降る  (富山市) 松田梨子
○  節電に小暗き校舎に春日差し全校十五名は校歌を歌う  (稚内市) 藤林正則
○  「春場所」の無くてよかった大阪は寂しいなんて言うてられへん  (大阪市) 関満恒子
○  震災の被害を悼む座の中にビジネスチャンスを口にする人  (島田市) 小田部雄次

 上掲四首についての論評はパスさせていただきます。
 評者は必ずしも人格者ではありませんから、被災地以外の方々の作品を目にすると、「東日本大震災は、被災地以外の方々にも格好なシャッターチャンス与えたな」といった不謹慎な思いに囚われてしまうことがあり、そんな不謹慎な思いのままに訳知り顔をしてものを言うことに耐えられないからであります。
 〔返〕  熊本の大洋デパートの昼火災熊本放送テレビが映した   鳥羽省三



[高野公彦選]


○  ただじっと息をひそめている窓に黒い雨ふるふるさと悲し  (福島市) 美原凍子

 放射性物質を含んだ雨を「黒い雨」とすることのマンネリズムよ。
 この怠慢よ。
 〔返〕 ただじっとテレビ見ているだけの目に氷雨冷たし福島の空   鳥羽省三


○  姿見ぬ人に二種あり原発の内部作業者、最高責任者  (高槻市) 奥本健一

 あれ以来、めっきり姿を見せなくなった人ならまだまだ沢山居りますよ。
 〔返〕  時折りは姿見せたりなどもして党利党略谷垣総裁     鳥羽省三
      時折りは姿見せるが鳩山は足を引っ張るばかりの男      々
      国中にタイガーマスクが現れて主役の彼の姿が見えぬ     々


○  東北の棺の並ぶ体育館卒業生が立つはずの場所  (東京都) 中山真彩子

 大変失礼ですが、「シャッターチャンスとばかりの一首ではありましょうが、『東北の』などとの詠い出しに見られる通りの、粗製濫造以外の何物でもない作品と思われます」などと言ってしまったのは、評者自身の偏屈な性格の故でありましょうか?

 〔返〕  式の無い卒業式も在ってよし棺の並ぶ体育館なら   鳥羽省三
 余裕在ってこその「卒業式」でありましょう。
 「私たちは、卒業式の無いままに震災後の荒波の中に巣立って行った」ということも、我が国が復興してから後の、懐かしい思い出になりましょう。
 一日も早く、そんな日が来るといいですね。


○  父母の名をかざしひとりで避難所を回る男の子は九歳という  (福岡市) 東 深雪
○  地震から十日経てどもスーパーに米が入ればすぐに売り切れ  (盛岡市) 鈴木 充
○  春彼岸津波押し来し浜に立つ我が曽祖父も波に消えたり  (気仙沼市) 畠山登美子
○  地震きて水が止まって水くみの手伝いママになった気分  (笠間市) 篠原 空

 上掲四首についての論評もパスさせていただきます。
 評者は必ずしも人格者ではありませんから、こうした作品に接しますと、「東日本大震災は、被災の軽かった方々や被害地以外の方々に、絶好の詠歌機会を与えた」といった不謹慎な思いに囚われてしまうことがあり、そんな不謹慎な思いのままに訳知り顔をしてものを言うことに耐えられないからであります。

 〔返〕  水汲みは小三我の役目にて風呂桶一杯毎日汲んでた   鳥羽省三
 周辺民家数十軒の共同井戸までの距離は片道三百メートル。
 その距離を、毎日十回以上往復して風呂桶一杯にするのが、小学校三年以来の私の役割りでした。
 それは「手伝い」では無く、母親の居ない家庭の一員の役割りでありました。


○  ぴったりと母子は頬寄す河馬といふ皮膚の分厚きものに生れて  (東京都) 片桐芙美子

 この軽い味わいの作品にも、東日本大震災の影響が確実に反映されているものと判断される。
 「河馬といふ皮膚の分厚きものに生れて」、「河馬の母子」は、大地震にも放射能にも無頓着になっているのでありましょう。
 〔返〕  わたくしは河馬に生まれて泥に這い母子頬寄せ暮らしたかった   鳥羽省三