臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(7月28日掲載・其のⅠ・木曜縮刷版)

2014年07月31日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(長野県・根橋京子)
〇  ミヤマシロチョウはや戻り来よ植えて待つ奇なる名の木のヘビノボラズの木

 「ヘビノボラズの木」とは、「我が国に於いては愛知県田原市の黒河湿地や同じく豊田市の矢並湿地など限られた場所でしか見られない落葉小低木であり、葉の付け根に長く鋭い棘が二個~四個ずつ生え、蛇さえも登れそうもない樹木であるところから命名された」とか。
 また「ミヤマシロチョウの幼虫が好んで食べる餌はヒロハノヘビノボラズの葉である」とか?
 本作の作者、即ち長野県にお住いの根橋京子さんは、この奇妙な名前の木、即ち「ヘビノボラズの木」を自宅の裏庭か何処かの湿地に植え、「(絶滅が危惧されている)ミヤマシロチョウよ早くこの庭に戻って来なさいよ!」と、ひたすらに待っているのでありましょうか?
 ところで、平安時代の短編小説集『堤中納言物語』中の白眉『虫めづる姫君』は次のような文言から始まる。
 即ち、「蝶めづる姫君のすみたまふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふことかぎりなし。この姫君ののたまふこと、『人びとの、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり。本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ』とて、よろづの虫のおそろしげなるをとりあつめて、『これが成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。『中にも、かは虫の心ふかきさましたるこそ心にくけれ』とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせてまぼりたまふ。若き人びとはおぢまどひければ、男の童のものおぢせずいふかひなきを召し寄せては、この虫どもをとらせ、名を問ひ聞き、いまあたらしきには名をつけて興じたまふ。『人はすべて、つくろふところあるはわろし』とて、眉さらにぬきたまはず。歯黒めさらに、『うるさし、きたなし』とてつけたまはず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕に愛したまふ。人びとおぢわびて逃ぐれば、その御方はいとあやしくなむののしりける。かくおづる人をば『けしからず、ばうぞくなり』とて、いと眉黒にてなむにらみたまひけるに、いとど心地なむまどひける」と。
 本作の作者も亦、「蝶愛づる姫君」の如く、眉毛を抜いてお歯黒にした「ばうぞく」なる女性でありましょうか? 
 〔返〕  殊更に湿地に我が家を建て増して絶滅危惧種の蝶待つ女


(摂津市・内山豊子)
〇  葉にひとつひすいの色のたまごうみ揚羽の親は子を見ず死ぬる

 一席の根橋京子作品と同様に、本作も亦、女性歌人に拠る蝶の生態に取材した作品である。
 したがって、この場面での選者・馬場あき子氏の選出方針は、席順や作品の巧拙にはそれほど拘泥すること無く、第一席に蝶の生態に取材した根橋京子作品を選出した序でに、それに続く第二席にも、同じく蝶の生態に取材した内山豊子作品を選出したものと推測される。
 投稿作品の選出に当たって、選者諸氏がこうした遊び心を無闇矢鱈にご発揮なさることは必ずしも歓迎される事ではありません。
 だが、時にはこうした遣り方も是としなければなりません。
 何故ならば、短歌とは所詮「言葉の遊び」に過ぎず、「私の作品は、三席にされたから二席よりは下手と格付けされた!私は世間様に顔向けがならない!」といった代物ではありませんから!
 〔返〕  わたくしも秀歌一首を世に残し子らに愛でられ死にたいものだ


(茨木市・瀬川幸子)
〇  ミャンマーの僧らが記念撮影す露座の大仏夏木立かな

 詠い出しの「ミャンマー」を「ヤンマ」と読み間違えて、私は、つい、うっかり、「今週の馬場あき子選は、一席、二席、三席と続いて昆虫シリーズなのか?いくら何でもこれでは遣り過ぎだよ!」などと思ってしまいました。
 「露座の大仏」と言えば、与謝野晶子がかって「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と詠んで天下の笑い者となった、通称「鎌倉の大仏」即ち「鎌倉の高徳院の阿弥陀如来像」があまりにも有名であるが、関西地方に於けるそれは、「兵庫大仏」の名で以って知られる「宝積山能福寺」の「毘廬舎那仏像」は、その高さ十八メートルにも及ぶ巨大な「露座の大仏」であるとのこと。
 しかしながら、本作に登場する「露座の大仏」は、作中の「夏木立かな」という七音をも合わせて推測すると、やはり「鎌倉の大仏」がそれに該当するかと思われる?
 〔返〕 釈迦牟尼は美男なれども無関係≪長谷の大仏・阿弥陀如来像≫ 
 

(水戸市・塙由夫)
〇  時計草の咲く兆しあり蟻たちの蕾を巡る足速まりて

 「それ!時計草の花が咲くぞ!それ!大急ぎで蜜を集めなければ女王蟻様の怒りを買うぞ!それ!蜜蜂なんかに負けては居られないぞ!」とばかりに、わずか六本に過ぎない足の働きを速めている蟻の姿が彷彿とされる作品である。
 ところで、今更、負け惜しみみたいなことを言いますが、三席の瀬川幸子作品が、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品では無くて、「ヤンマの生態」に取材した作品であったならば、一席、二席、三席に加えて四席の入選作品も、身の回りに生息する昆虫の生態に取材した作品になるところでありました。
 と言うことになると、三席入選者の瀬川幸子さんが「ヤンマの生態」に取材した歌を投稿せずに、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品を投稿したことがあまりにも惜しまれるのである。
 事の序でに申し上げますと、選者の馬場あき子先生はご年齢の所為かも知れませんが、この頃は、身の周りの小動物の生態や草花などに関心をお持ちになって居られるようである。
 私の手元に在る、結社誌「かりん」の五月号には、馬場あき子先生の御作として、次の七首が掲載されている。
 〇  ちゆうりつぷぎらひさりとて理由なしただ模様なす群生あはれ
 〇  ふふみゆく杏の花のほのけさを目守りゐてひとひ幸ひふかし
 〇  をんなのかほ濃くもうすくもおほひゆくおしろいといふあやしきものは
 〇  化粧水乳液などを吸ふといふあやしき膚をもてるいきもの
 〇  清少納言紫式部の化粧術いかなりし桜見る昼の日は
 〇  老いぬれば眉引き乱れむつかしき面妖のこと知る齢となる
 〇  人身事故つまりは鉄道自殺者に驚かぬ日々ただ春の風
 〔返〕  老いぬれど眉引き乱れぬ美しさ馬場あき子師のいのち永久なれ  鳥羽省三


(大和郡山市・四方護)
〇  ただ生きんと金魚犇きあぎといぬ生餌と書かれし袋の中で

 一首の意は、「ただひたすらに生きようとしているのか、金魚たちが生餌と書かれたポリ袋の中で互いに蠢き合い、口をぱくぱくさせ合って泳いでいる」といったところでありましょう。 
 ところで、本作の要を為す語の一つは、「魚が水面近くに浮いて来て口をぱくぱくする」という意の動詞「あぎとふ」であるから、三句目の五音は「歴史的仮名遣ひ」を用いて「あぎとひぬ」としなければなりません。
 本作では、「生きん」の「ん」及び「あぎといぬ」の「ぬ」、そして「書かれし」の「れ」及び「し」と、助動詞を四語用いているが、それらの助動詞は全て文語の助動詞であり、これら四語の文語助動詞を除いては本作は短歌として成立しません。
 という事は、本作はそもそもの発想からして「文語短歌」であり、であるからには、「歴史的仮名遣ひ」を用いて表記しなければなりません。
 いつまでも「文語のいいとこ取り」をしているようでは、「歌人ちゃん」のレベルを脱し切れません。
 「表記は現代仮名遣いであるが必要に応じて古語も用いる」といった、ご都合主義的な遣り方をしていたら埒が開きません。
 〔返〕  ひたすらに生きむとしてか山出しの官房長官一所懸命


(熊谷市・内野修)
〇  失言と頭を下げてゐる背より変はらぬ本音立ち上がりくる

 石原環境相の例の「金目発言」を皮肉っているのでありましょうか?
 〔返〕  放言を撤回もせず慎ちゃんの子息伸晃絶体絶命


(富山市・土谷清)
〇  解釈が自由に出来る憲法は英訳不能理解も不能
  
 仰る通りかも知れませんが、作者の狙わんとする所が僅かばかり気にはなります。
 〔返〕  解釈が自由に出来る憲法は頭痛腹痛特効薬だ


(富山市・松田梨子)
〇  土曜日は衣装合わせで盛り上がるコンサート近づくコーラス部

 先週の土曜日はパート別に練習して盛り上がったのでありましょうか?
 そして、コンサートの翌日の来週の月曜日は、反省会の席上で「意外にも客席がガラガラであった?」などと口に出す部員が居たりして、盛り上がらないままに散会してしまったりもするのでしょうか?
 〔返〕  コンサートの衣装を手作りミシン掛けトーカイで買ったサテンの生地で


(横浜市・飯島幹也)
〇  吾が父の下着に大きく名前書く老人ホームに入る準備に

 是も亦、広義の意味の「終活」でありましょうか?
 〔返〕  父の履く靴にも小さく名前書く老人ホームで混乱せぬよう


(東金市・山本寒苦)
〇  山寺へ芭蕉も渡る川の澄み大き鯎の群れも動かず

 俳聖・松尾芭蕉弟子の河合曽良と共に、「奥の細道」の途次の元禄二年(旧暦)5月27日(新暦7月13日)に、紅花を扱う尾花沢の豪商・鈴木清風の薦めに従って、清風の仕立てた馬に跨って山寺参詣に出掛けたのであったが、その途中、山寺の麓を流れる立谷川に架かる宝珠橋を渡ったに違いない。
 本作の歌い出しに見られる「山寺へ芭蕉も渡る川の澄み」とは、その「宝珠橋の上から眺めた立谷川の清流」の謂いかと思われるのであるが、山形県天童市にお住いで、山岳信仰の山・山寺に就いても詳しい今野幸生さんのお考えは如何でありましょうか?
 〔返〕  姦しく耳に轟くヘリの音 原潜アッシュビル横須賀入りか?

今週の朝日俳壇から(7月28日掲載・其のⅣ)

2014年07月29日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(旭川市・大塚信太)
〇  松の木になりきつてゐる油蝉

(洲本市・高田菲路)
〇  抱かれては蹴られては夏蒲団かな

(東京都・大久保白村)
〇  手術着の妻の涼しく運ばるる

(北海道音更町・信清愛子)
〇  露涼し星の綺羅なる山荘に

(八代市・山下接穂)
〇  齢とは足し算ばかり夏祓

(荒尾市・鶴田幾美)
〇  いと小さき草の花にも神ませり

(米子市・中村襄介)
〇  郭公の声に高原らしくなる

(玉野市・勝村博)
〇  黴となる僅かの油断ありにけり

(藤沢市・小田島美紀子)
〇  朝顔市我が子手放すやうに売る

(熊本市・内藤悦子)
〇  世におくれつつも一人の衣更

今週の朝日俳壇から(7月28日掲載・其のⅢ)

2014年07月29日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(姫路市・西村正子)
〇  露涼し草木匂ふ星に住み

(前橋市・荻原葉月)
〇  地球よりこぼれぬやうに遠泳す

(ドイツ・ハルツォーク洋子)
〇  去る都市の水に名残や髪洗ふ

(倉敷市・米元ひとみ)
〇  千枚の棚田の底にゐて涼し

(富士見市・阿部泰夫)
〇  青天に黒き雲わく桜桃忌

(大津市・西村千鶴子)
〇  満州の高粱畑の大西日

(嬉野市・秋山和江)
〇  川の音背戸に鰻屋二軒かな

(横浜市・犬山達四郎)
〇  番犬と毛虫ゐる庭静かなり

(東京都・望月喜久代)
〇  梅雨闇といふはカーボン紙のごとし

(河内長野市・平田恭一郎)
〇  幽霊の叱られていし楽屋裏

今週の朝日俳壇から(7月21日掲載・其のⅢ・月曜日縮刷版)

2014年07月28日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(大分県日出町・松鷹久子)
〇  闘ひを強ひられてゐる兜虫

 「兜虫」とは私たち日本国民であって日本国そのものでもある。
 その「兜虫」が「闘ひを強ひられてゐる」とは、この度の解釈改憲を指して言うのでありましょうか、なんちゃったりしましたが、それはともかくとして、本来的には花鳥風月を詠うはずの俳句がこのように「解釈改憲キャンペン」の道具として使われている事は驚異的なことであり、亦、それを承知の上で斯かるテーマの俳句を朝日俳壇に投稿して来る俳人が居るとは、是も亦、超驚異的な現象である。
 〔返〕  選出を強ひられてゐる選者かな


(三木市・酒井霞甫)
〇  台風を神風として国亡ぶ

 今から約800年前も昔のことであるが、、元の太祖「チンギス・ハーン」の孫に当たる「フビライ・ハン」を皇帝として戴くモンゴル帝国と高麗との連合軍が博多湾に襲来した際、時の執権・北條時宗をリーダーとする鎌倉幕府軍が、折からの台風を利して見事に撃退したのであるが、是を称して我が国の歴史教科書に於いては「元寇」と呼んでいる。
 「元寇」は決して我が国の大勝利とは言えないが、モンゴルと高麗の連合軍を博多湾の水際で撃退した事は紛れも無い事実であるから、是がきっかけとなって我が国が亡国の一途を辿ったとは言えません。
 「元寇」とは別に、第二次世界大戦末期の我が国では、「神風特攻隊」なる名称の、一人乗りの小型航空機に拠って「B29」などの米軍の戦闘機に突撃し撃破することを目的とした航空隊が組織された。
 「神風特攻隊」は、我が国の軍部と保守政治家とが結託して、前途有望なる青年たちを米軍の‘B29’などの爆撃機に突撃させようとする航空隊であったが、この非人間的な試みは殆ど成功せずに終わってしまったのであるから、是を以ってしても「台風を神風として国亡ぶ」などとは、決して言えません。
 と、言う事になると、本句は作者の出鱈目な歴史認識に基づいての単なる思い付きに拠って詠まれた一句であり、如何なる意味に於いても朝日俳壇の入選作と言えるような作品ではありません。
 〔返〕  安倍ちゃんを神様として国亡ぶ


(横浜市・田中靖三)
〇  行き交ふに糊の触れ合ふ浴衣かな

 「袖触れ合うも多少の縁」とか言いますから?
 〔返〕  生田より読売ランドへの蛍狩り今宵逢ふ人みな汗臭し


(志摩市・田島もり)
〇  カレーにも三河味噌入れ暑に耐ふる

 「味噌カツ」と「味噌煮込みうどん」は名古屋。
 「味噌パン」は長野と群馬と福島。
 そして「味噌カレー」は名古屋のお隣りの三重県の名物でありましようか?
 〔返〕  カレーでも海軍カレーや横須賀市


(青梅市・青柳富也)
〇  炎昼の鞄の中の富士の水

 作者の気持ちとしては、下五を「富士の湧水」としたかったのでありましょうが、それでは七音になってしまうので諦めたのでありましょうか?
 或いは、中七の「鞄の中の」を諦めて、「炎昼や深層水にイオン水」としても、「炎昼や富士の湧水アルカリ性」としても良かったのかも知れません(笑)。
 〔返〕  真夏日は水てんでんこ持ちなはれ!水道水でも冷やせば飲める!


(西宮市・黒田國義)
〇  夏富士に集ふや入社五十年

 「入社五十年」と言えば、少なく見積もっても七十歳には達しているかと思われる。
 その「入社五十年」の集いを「夏富士」で行うとは、「年寄りの冷や水」もいい所である。
 退社してからまでも、社員を酷使する会社の方針に従う必要はさらさらにありません。
 何でしたら私が有馬温泉の高級ホテルを格安で紹介させていただきますから、今年の集いは有馬温泉でやった方が宜しいかも?
 〔返〕  とは言えど作者が名うての黒田武士國に義理立てする男では


(川越市・渡邉隆)
〇  鉤棒で運ぶ氷の生きの良さ
 
 「一年を十日で暮らすいい男」とは相撲取りの事を言ったのだが、その「いい男」たちも今や「一年六場所」、年間九十日も本場所の相撲を取らなければならないのである。
 それに対して「鉤棒」で「氷」を「運ぶ」氷屋さんたちの仕事は、七、八月の六十日間が勝負であるから「生きがいい」訳である。
 〔返〕  白鵬が三十回目の優勝を果たして終わった名古屋本場所


(八代市・山下しげ人)
〇  驚いてみな向き違ふ目高かな

 極めて示唆的かつ教訓的な内容の一句であるが、井伏鱒二作の『山椒魚』に似たような場面が描かれている。
 〔返〕  驚いて一つ所に往く人の日本人は烏合の衆か


(大阪市・田淵勲彦)
〇  蜂の子に六角の部屋ひとつづつ

 其れこそは黄金核の部屋である。
 「蜂の子」たちはいずれ必ず世に出て蜂蜜を集め回る存在なれば、幼時に於いては黄金核の部屋に入れられて一人一人が大切に保護されているのである。
 

(さいたま市・関根道豊)
〇  まだ紺と言へぬ色なり茄子の花

 「茄子紺」という言葉がありましょう。
 〔返〕  さいたまに茄子紺という言葉あり為さんとししつ未だ為し得ず 

今週の朝日俳壇から(7月21日掲載・其のⅣ・待望花金特集版)

2014年07月25日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(つくば市・松本精)
〇  青田道少年の日へ真直

 「青田道」への向こうへと「真直」に歩みを続けたら、本作の作者は彼自身の「少年の日」に辿り着く事が出来るのでありましょうか?
 否、否、どんなに歩み続けて行っても彼は決して決して「少年の日」に辿り着く事は出来ません。
 彼にとっての「少年の日」こそは、今や、永遠に辿り着く事が出来ない幻影に過ぎないのである。
 〔返〕  熟し田へ真直ぐに歩む老残の頬の照りこそ滅びへの讃


(北九州市・伊藤信昭)
〇  蚊帳捨てて昭和が一つ消えゆけり

 我が家にも六畳間用の白蚊帳が一張り有って、和室の天袋の中に封じ込めている段ボール箱の中に居て惰眠を貪っているはずであるが、あのものの役にもたたない白蚊帳を捨ててしまったら、私は私自身の手に拠って、「昭和」を「一つ」捨ててしまう事になるのでありましょうか?
 否、否、「昭和」とは、私たち老残の意識の中に在る形而上の存在でありますから、決して決して斬った張った出来るものではありませんし、当然の事ながら捨てたり殺したりする事が出来るものではありません。
 〔返〕  父母が購ひ求めたる青蚊帳を釣れど聞こゆる雷の音


(秋田市・中村榮一)
〇  陶枕に載する頭をやはらかに

 秋田県内では、この頃「秋田の柔らか頭」という言葉が持て囃されているそうである。
 その発端は、公立学校に在籍する小学六年生及び中学三年生を対象として文科省が毎年行っている「全国学力テスト」に於いて、ここ数年間連続して秋田県の児童・生徒が第一位の栄誉に輝いているという点にあったのである。
 私に言わせれば、「秋田の柔らか頭」なる「無い頭」を現出させる為に、秋田県内の公立小中学校の教師たちが、如何に無い知恵を絞って頑張らせられ、サービス残業を強いられているという事である。
 彼らは、新学期早々から、自分の勤務する学校の児童・生徒たちに「全国学力テスト」を受験させる為に予備テストを重ね、「今回は私が担当する一組の平均点が二組の平均点よりも三点も高かった」とか「低かった」とかと云い合っての競争に終始し、教育とは言えない教育を行っているのが現状という事である。
 そうした忌まわしい現状を、文科省の担当者たちが認めざるを得ない立場に追い込まれての事なのかどうかは知りませんが、過日の朝日新聞に掲載された関係記事に拠ると、文科省幹部が「予備テストを行うのにも、児童生徒の学力増進をは図るという積極的な意義がある」という趣旨の談話を発表した、とか?
 まったく、この世の中はどのようになっているのでありましょうか?
 今年度以降の「予備テストブーム」が今から危惧されるのである。 
 ところで、本句にも登場する、「陶枕」なる睡眠用具は、「古代中国に於いて、一夜の宿も求める旅人たちに、『その枕に頭を載せて眠れば疲れが取れて安眠できるよ』と持ち掛けて眠らせ、旅人たちが寝に就くな否や、旅人たちの頭を木槌状のもので思いきり殴打して殺戮して金品を奪う」という悪辣な理由で以って生産され、普及した、との説が為されているのであるが、その点に就いての「やはらか頭」の本句の作者・秋田市にお住いの中村榮一さんのご意見は如何でありましょうか?
 〔返〕  寝た途端ぐしゃっと遣られ死んだなら柔らか頭で受験が出来ず


(豊後高田市・木村和人)
〇  箱庭の如き眺めの村に入る

 「そう、そう、旅をしていると、そういう村に時々出会う事がありますよ。尤も、村と言っても、家の数がせいぜい十数軒の規模であり、村と言うよりは集落と言ったら適当なのなも知れませんが?」とは、私・鳥羽省三の謂いである。
 〔返〕  掃き溜めの如き眺めの村も在り


(京都市・水船つねあき)
〇  山の子の飛込み海の子たぢろがす

 「あの高い崖の上から深さも定かで無い淵に飛び込むんですから、到底、海の子たちが敵う訳はありませんよ!」との弁も亦、私・鳥羽省三の謂いである。
 〔返〕  芋の子の黒さ馬鈴薯敵し得ず


(高山市・大下雅子)
〇  形代の水に透けゆく薄さかな

1年間、365日の中間に当たる6月の特定のの選び、過去半年間の諸々の罪業を祓い、厄を落すという趣旨に基づいて行われる「夏越しの祓」という伝統的な年中行事が在るが、本句の題材となった「形代流し」という行事は、その「夏越しの祓」の一形態であり、東京都荒川区の素盞雄神社を肇とした日本全国各地の神社で行われている。
 その次第を、7月上旬の平日に行われる素盞雄神社の場合を例にして説明すると、「この日の朝、氏子たちが一堂に参集した素盞雄神社では、それまでに氏子連中が納めた、「形代」と称する、人形(ひとがた)を象って切った、和紙を織って創った紙の人形を、一人一人の氏子連が自らの身体に擦り付ける事に拠って、自らが過去半年間に背負った諸々の罪業や穢れや厄災をその「形代」に移し、これを我が身の身代わりとして、素盞雄神社からほど近い隅田川の水面に流し入れるというだけの素朴なお祀りである。
 「形代」とは、即ち「人間の身代わり」という意味であり、和紙を折って創った神人形をも「形代」と言うのである。
 思うに、鳥取市の用瀬川などの全国各地で雛の節句の一環として行われる「紙雛流し」なども、「形代流し」の一形態かと思われ、さらに想像をたくましくして言えば、岐阜県高山市に在る、岐阜県立斐太高等学校の卒業生たちが3月1日の卒業式が終わった後に行っている「白線流し」なども、その一形態かと思われるのである。
 人間を象っているとは言え、「形代」は所詮「紙人形」に過ぎませんから、水面に放たれた瞬間から透けて溶け始め、やがては隅田川を流れる、冷たい水と同化してしまうのでありましょうか?
 だとすれば、「形代」の儚き命こそ真に哀れである。
 〔返〕  諸々の厄背負はせられ流されて水に消え行く形代哀れ


(群馬県東吾妻町・酒井大岳)
〇  鉄道に学ぶ童ら駅涼し

 句中の「児ら」は、いわゆる「ゆとり教育」の一環として、群馬県東吾妻町大字原町に在る、JR吾妻線の群馬原町駅に社会見学に遣って来たのでありましょうか?
 群馬県と言えば、夏の気温が我が国で最も高い地域ではあるが、群馬原町駅は、標高(海抜)約363メートルの高原駅であるから、とても涼しいのかも知れません。
 〔返〕  SLに群がる鉄馬鹿いと憎し.


(東村山市・高橋喜和)
〇  藍浴衣同級生に出くはしぬ

 かつては相思相愛の仲だった二人がそれぞれ恋人の手を携えて浴衣姿で出会ったとしたならは、それなりの恥ずかしさと共に懐かしさをも感じることでありましょう。
 〔返〕  どうだ見ろ!今の彼女のまぶい顔!お前と切れて俺は良かった!


(横須賀市・菅沼ひろし)
〇  星に生れ星に暮らして星祭る

 神奈川県に於ける「七夕祭り」と言えば、「平塚の七夕」が定番である。
 あの味も素っ気もない横須賀市の住民が、本家・アメリカさんの目を盗んで「七夕祭り」などという風流な行事を行うのでありましょうか?
 〔返〕  哀れなる星に生れて街角で笑みを浮かべて春を売る 
 これが横須賀の女性の通常の暮らし向きだとするならば、横須賀の人口が激減している理由も解る訳である。
 〔返〕  横須賀を逃げて喜多さん何処へゆく東海道中五十三次


(横浜市・橋本青草)
〇  砂日傘泳ぐ気の無き人ばかり

 もしかしたら、「ビーチパラソル」のことを横浜市のハイカラな連中は「砂日傘」と言うのでありましょうか?
 〔返〕  派手なウェア滑る気の無き人ばかり

今週の朝日歌壇から(7月21日掲載・其のⅠ・木曜特集トリプルサービス版)

2014年07月24日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(大和郡山市・四方護)
〇  つかむ手のなき吊革はみな揺れてどれひとつとて触れ合わざりき

 観察眼の鋭さと細かさとを、誉めなければならない場面ではありましょうが、本作の仮名遣いに就いて一言申し上げます。
 と言うのは、本作を佳作として成り立たせているのは、「なき」、「ざり」、「き」等の文語動詞及び文語の助動詞の使用に拠るかと思われますが、ならば何故に、五句目の七音を「触れ合はざりき」とせずに「触れ合わざりき」としたのでありましょうか?
 歌壇のリーダーを自認している輩の中には、「口語調の短歌の中に、ちらほらと文語の助動詞が混ざっていたりすると、パッチワークのように趣きが有って宜しい」などと、訳の分からない文言を弄する輩が存在するのであるが、そうした輩は、文語調の短歌はおろか、口語調の短歌さえも詠めないような馬鹿者であり、実質的には、いわゆる「歌人ちゃん」たちと何ら変わりの無い存在である。
 大和郡山市の四方護さんと言えば、今や、朝日歌壇の輝く明星とでも称すべき存在である。
 その輝く明星が、敢えて歌壇の馬鹿者たちに伍する必要はさらさらにありません。
 〔返〕  摑む手のある吊革が揺れたとき慌てて掴むと痴漢騒ぎだ


(所沢市・若山巌)
〇  病院に自転車屋来て車椅子のタイヤの空気調べてまわる
 
 所沢市の「自転車屋」さんたちの何とボランティア精神の旺盛なることよ!
 私・鳥羽省三も、この度の自転車屋たちの善行に対してはすっかり感心してしまいました!
 〔返〕  車椅子は自転車屋では売ってない!福祉関係業者が販売!


(三条市・滝沢美枝子)
〇  うつすらと埃ためゆくマグカップ君との距離はもう埋められず

 お名前から想像してみるに、本作の作者・滝沢美枝子さんは、アラフオー世代の女性のようにも思われます!
 もしも、それが正解でありましたら、今更、「マグカップ」でコカコーラを飲むような年下の男性を追っ駆け廻すような事は止めときましょう。
 彼と滝沢美枝子小母ちゃんとの間に生じた「距離」は、今更「もう埋められ」るはずはありませんから!
 〔返〕  うっすらと目尻の皺が伸びて行くアラフオー小母ちゃん恋など止めよ


(瀬戸内市・児山たつ子)
〇  それはそうそうなんだけどだからって今朝も会えないゆうすげの花

 何を仰ってるんですか?
 「ゆうすげの花」に例えられるのは、薄幸の美女と決まってますよ!
 それなのに貴女は、性欲塗れの中年男性を「ゆうすげの花」に例えるなんて!
 それでは、あまりにも酷過ぎますよ!
 その上、貴女様の教養の程度も疑われますよ!
 〔返〕 それはそうそうなんだけど!だからって、彼はやっぱり夕菅の花!
  

(東京都・金子大二郎)
〇  反省の色がないって反省の色ってどんな色なんだろう

 「反省の色がないって」言うのは、前掲の短歌の作者・児山たつ子さんのような女性の行状を指して言うのでありましょうか?
 して、その「色」とは、「夕菅の花」の如き、黄色でありましょうか?
 「太陽が黄色に輝くまで遣りに遣り捲った」とは、よく云う言葉ではありませんか?
 〔返〕  太陽が黄に輝いて来るまでも貪り合って疲労困憊


(大阪市・安良田梨湖)
〇  安良田(あらた)さんって呼ばれていたね二人まだ友達だったあの居酒屋で

 安良田梨湖さんの相変わらずの貧乏話は、もう聞き飽きてしまいました。
 だから、たまには、高級レストランでデイトをしてみなさいよ!
 いくら大阪だって、居酒屋ばかりでは無く、高級レストランの一軒や二軒ぐらいは在るはずでありますから!
 〔返〕  「梨湖ちゃん」と呼んで呉れたね!「富山市の梨子ちゃんよりもよほど美味しい!」と
      「梨湖ちゃん」と呼んで呉れたね!ヒルトン大阪でフランスワインのグラス傾けながら!


(横浜市・杉本恭子)
〇  海色のビーズ多めに入れてみる波の音する万華鏡となる

 朝日新聞の折り込み広告の「ユーフォー」なる通信教育のカタログを見ていて気がついたのであるが、何と驚いたことに、この世の中には、子供騙しとも思われるようなつまらない事を習おうとする大人がいると見えて、「万華鏡制作講座」なる通信講座が在ったのである。
 彼の講座に於いては、「海色のビーズ」をいつもよりも少し「多めに入れてみる」と「波の音」がする「万華鏡」が出来上がる方法も指導するのでありましょうか?
 〔返〕  いつもより焼酎多く入れてみる一杯飲んだら目が万華鏡


(南陽市・渋間悦子)
〇  九条の解釈を変える会見に迷いなく歯切れよく語る危うさ

 四句目が「迷いなく歯切れよく」と大幅な字余りとなっているが、是を敢えて入選作としたのは、題材が題材だからなのでありましょうか?
 〔返〕  題材は解釈改憲迷い無く自信を持って投稿しよう


(宝塚市・河内香苗)
〇  国民の生命を守ると繰り返す兵なる人の生命はいずこ
(名古屋市・諏訪兼位)
〇  旨みありて政権与党を捨て難し節操捨てて吞みこまれゆく

 同工異曲の作品ばかり続いていて詰まりませんから鑑賞は止めときます。
 〔返〕  旨みあれば辛みも無しとせずと謂う公明党は平和の党か?

今週の朝日歌壇から(7月21日掲載・其のⅡ・木曜特集ダブルサービス版)

2014年07月24日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(埼玉県・酒井忠正)
〇  梅雨どきの犀園の犀機嫌よし二頭競へる糞量の山

 我らが永遠のアイドル・酒井忠正公に於かれましては、往く所、目に入る品々、歌材ならざるは無し。
 この度は東武動物公園に於いて三十年間仲良く連れ添っている、熟年の白犀カップル、即ち「ガンテツさんとヨシコさんご夫婦」のお尻から排出された糞の量にご着目なさったのでありましょうか?
 それにしても、この暑さ盛りに、犀の夫婦のお尻から排出された「糞量」を題材とした短歌を読むとは?
 お殿様のご酔狂には付き合っては居られません。
 〔返〕  ズーラシアの犀と一緒に撮ったなら見合い写真にしたらどうだい
      妻(さい)もまた僕同様の犀でしてうんちの量も負けていません(などと、ガンテツさんは仰るのでありましょうか?)


(摂津市・内山豊子)
〇  廃業の池に藻はゆれ残された山女一匹大きく泳ぐ

 「こうなったら、この池は俺様の天下だ!鮒っこ一匹泳いではいないぞ!」なんてことを、件の「山女」は口にして威張るのでありましょうか?
 〔返〕  津和野町の橋本本店廃業か?電話掛けても「使われてません」!


(横浜市・田口二千陸)
〇  少年の「僕は大人になれますか?」原発事故のあの時の声

 入選狙いが見え見えの凡作である。
 〔返〕  少年のままで大人になれたなら僕は人生やり直したい
 その「少年のままで大人」にするという宿願を、安倍晋三内閣は今しも果たそうとしているのである。
 即ち「公職選挙法」などの関係法規の改定に拠って実現する、「十八歳に達すると選挙権を得る事が可能になる」事は、「少年のままで大人」にする、という暴挙以外の何者でも無いのである。


(相馬市・木幡幸子)
〇  相馬港初漁に出る息子の手高く掲げて祝福する父

 それはそれは、おめでとうございます。
 親子共々胸の中が嬉しさではち切れそうになっていることでありましょう。
 〔返〕  初漁に出で行く船のマストには風に靡ける大漁旗が


(埼玉県・小林けい子)
〇  乳飲子を抱える嫁の干し物のシャツの乳の香に群るる蜜蜂

 作者が女性だからいいものの、これが男性だったら、忽ち「セクハラ騒ぎ」に発展しまうこと必然でありましょう。
 〔返〕  乳呑児を抱える嫁のブラウスの乳の香に咽ぶ舅もあらん
 「鳥羽さんって、危なっかしい歌ばっか詠むんですね!私呆れちゃった!」なんて声が、今夜あたりどっかから掛かりそうな気がしますが?


(熊本市・近藤史紀)
〇  ライオンは戦意喪失カバは尻向けて立ち去る僕らの恋に

 熊本市にお住いの近藤史紀さんと来たら、相も変わらずに自らの恋愛絵巻を見せびらかそうとしているのである!
 そんな馬鹿馬鹿しい事を詠む暇が有ったら、「尻むけて立ち去る」「カバ」の屁でも嗅いでいなさいよ!
 〔返〕  相模ゴム株式会社謹製近藤さん常時(情事)ご愛顧近藤史紀さん


(高松市・菰淵昭)
〇  僧のほかに来る人無くて妻とわれ合掌をして義妹の仏事

 「僧のほかに来る人無くて」とありますが、「僧」一人だけで充分過ぎるくらい充分でありましょう。
 近頃のお寺さんは、算盤片手の葬式仏教であり、碌にお経を読めるような僧侶もいませんから、本来ならば、「妻とわれ」とで仏前で「合掌」してお終いにするべきでありましょう。
 それなのに、生臭坊主に有り難くも無いお経を読んでもらって、お布施を遣る必要は更々にありません!
 〔返〕  僧さえも呼ばなくたって充分だ義妹の法事は心の問題


(富士吉田市・萱沼勝由)
〇  夏を告ぐ祭り太鼓の響きくる九十六歳の母病む部屋に

 あれは止めてもらえないのでありましょうか?
 死の床に就いている高齢者の耳に祭り太鼓の喧しい音が響いて来るのだけは!
 かつて、私の義母が郷里の病院で死出の旅路に就こうとしていた時、祭囃子の山車が件の病院の玄関先でひとしきり気勢を上げていたのであったが、その時はさすがの私も居た堪れないような思いがして、思わず自分の耳を塞いでしまいましたよ!
 それにも関わらず義母は、「ああ、今日は八幡様のお祭りだね!若者たちはああして元気があっていいこと!」だなんて口にしたのであった!
 〔返〕  夏を告ぐ八幡様の馬鹿囃止めてくれんか!煩いだけだ!


(青梅市・山田京子)
〇  ひとしきり啼く雉子見ゆる真昼間の企業誘致の札立つ更地

 本作の作者の山田京子さんがお住いの青梅市は、その地形が猪に似ているとは言えども東京都内に在る。
 その青梅市内に「企業誘致」の立札が「立つ更地」が在るとは驚き。
 また、その「企業誘致」の立札が「立つ更地」に「、真昼間」から「ひとしきり啼く雉子」が飛んで来るとは、これ亦驚きである。
 その「更地」が、仮に市有地乃至は都有地であったならば、それは平成の不況を見通せなかった、その当時の市長や都知事の失政として咎められもしましょう。
 ところで、今から五年前まで、私は八年間に亘って田舎暮らしをして居りましたが、私が暮らしていた秋田県横手市にも、「横手市第二工業団地」と称して「企業誘致」の立札が「立つ」広大な「更地」が在りました。
 「横手市第二工業団地」が在るからには「横手市第一工業団地」が在る筈であり、もしかしたら「横手市第三工業団地」や「横手市第四工業団地」だって在ったかも知れませんが、それに就いての追及は、この際止めときましょう。
 問題は、「横手市第二工業団地」なる広大なる「更地」に、ただの一屋たりとも建物らしきものが建てられている気配が無く、しかもその状態が、過去十数年前から続いているという事なのである。
 横手市と言えば、東北の田舎町とは言え、秋田県の中核都市の一つに数えられているのである。
 その中核都市の横手市の「第二工業団地」なる広大な「更地」が、今から十数年前から「更地」の状態でほっ放り出されていて、近頃は藪蚊の発生源として「立ち入り厳禁」の立札が立っているとのこと、これも亦、驚くべき為政者に拠る失政の何よりの証拠である。
 私が暮らしていた頃の横手市には、市会議員と称する輩が四十数人も居りましたが、その中の一人の、市内に於いては良識派の噂が高い一人の市会議員が、私と同じ町内に居住していたので、私は市議選期間中のある時、彼の選挙事務所に陣中見舞いとしての清酒二升を抱えて訪れたところ、彼は極めて真面目な顔をして私の両肩を抱えながら、「鳥羽さんよ、今日は陣中見舞いまで頂戴して、真にありがとうございました。ところで、私には、政見と言うべき政見は何一つとしてありませんし、政策と言うべき政策も何一つとしてありません。私はただひたすらに、地域の皆様の声に市政に届けるだけの役割りを果たす覚悟です」などと仰るのでありました。
 彼の懸命の弁に耳を傾けていた私としては、「苟も市会議員たらんとする者が、政見らしき政見を持っていないとは何事ならん?」とも思い、腸の底から湧き上がって来るような怒りを感じたのであったが、何と驚いたことに、件の良識派候補は、四十数名の当選者中のトップスリーにランクされる高得票を獲得して見事に再当選を果たしたのでありました。
 私が横手市の家を棄てる気になったのは、それから二か月後のことでありました。
 私が棄てて来た横手の家は、春の雪消えの頃から初雪が降る頃まで、五十坪余りの前庭に四季折々の季節の花々が咲き乱れ、特に春たけなわの頃ともなると、往来を行く車の運転者が私の家の前で車のスピードをわざわざ緩めて庭一面に咲いた春の花を眺めようとするので、知り合いの警察官から、「来年はあまり花を植えないようにして呉れ。通勤先に急ぐ運転者たちから横手署に苦情が出されているから」との、冗談とも真面目ともつかない相談が持ち掛けたりしたものであった。
 〔返〕  ひとしきり菊の季節が過ぎたあと初雪ちらほら春待つばかり


(奈良市・阪上元)
〇  学校の草刈りの用に雇われて羊二頭が法面(のり)の草食む

 「法面(のりめん・略して‘のり’とも謂う)」とは、「切土や盛土により作られる人工的な斜面のこと。道路建設や宅地造成などに伴う、地山掘削、盛土などにより形成される」とのこと。
 「小学校の裏庭に鬱蒼と繁った雑草を退治する為に、集落内のある農家のお婆さんが飼育している二頭の羊が駆り出されて、無事、その役割りを果たした」とは、一箇月前ほどの民放テレビでも報道されていたのであるが、本作の作者の阪上元さんは、そのテレビ報道から取材して本作を詠んだのでありましょうか?
 それはそれとして、作者の阪上元さんは、南都・奈良市の住民ながらも、かなりのスタイリストのように思われる。
 何故ならば、本作の五句目は「崖の草食む」とか「道の草食む」とか「斜面の草食む」などと詠めば済むのに、殊更に法律用語を持ち出し、しかも振り仮名付きで「法面(のり)の草食む」などと遣らかすからである。
 〔返〕  学校の草刈り業務に駆り出され煙草吹かして手胡坐組んで

今週の朝日歌壇から(7月21日掲載・其のⅢ・昔懐かしき花金前夜祭特報版)

2014年07月24日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(三鷹市・坂本永吉)
〇  二センチの雹はガラス戸を直撃し割らむばかりの音つづきたり

 あの「3・11」以来、我が国は異常気象続きであり、本作も亦、過日、その一環として東京都内を襲った降雹に取材した作品である。
 直径「二センチの雹」と言ったら、「ガラス戸を直撃し割らむばかりの音つづきたり」どころか、私の頭を「直撃」したとしたら、その衝撃で頭骨が割れてしまって、そこいらじゅうが脳みそで汚れてしまうかも知れません。
 私たち日本国民は呪われているのでありましょうか?
 〔返〕  脳味噌で汚してしまう危険性ゼロ君の脳味噌すっ空らかんだ!
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(佐倉市・春成祥子)
〇  とり上げた子が子を産みてとり上げし吾の仕事も終わり近づく

 口語の助動詞「た」は、文語の助動詞「き」や「けり」と同じように「過去の出来事を回想して言う」時に用いると共に、同じく文語の助動詞「つ」や「ぬ」や「り」や「たり」と同じように「特定のある出来事や事象が、たったいま完了したことを言い表す時」にも用いられ、更には「あれはこうだった、どうだった、などと確認して言う」時にも用いられるなど、過去系統の助動詞としての万能性(多様性)を備えた助動詞である。
 しかしながら、口語には「た」以外には、「過去」や「完了」や「確認」を表す助動詞が無いので、時折、その区別がつかなくて困惑する事がある。
 本作には、「た」と「し」との二個の助動詞が用いられているのであるが、「とり上げた」の「た」は、口語の「確認」を表す助動詞であるのに対して、「とり上げし」の「し」は、文語の「過去に於いて自己が体験した事実を回想して言う場合に用いる」過去の助動詞「き」の連体形なのである。
 こうした用い方は、口語の助動詞と文語の助動詞との一文の中での混用であり、必ずしも奨励され得るものではありません。
 しかしながら、作者の春成祥子さんにすれば、「(ご自身が)とり上げた子」と「(その子を、過去に於いてとり上げた)吾(の行為)」を区別して言う必要があったので、この作品に於ける、過去系統の助動詞の「口語」と「文語」との混用を避ける事が出来なかったのかも知れません。
 選者の佐佐木幸綱氏は、こうした変則的な表現が見られる作品を第二席に選出しているのであるが、彼・佐佐木幸綱氏は、本作に見られる助動詞の混用を如何に意識し、如何に解釈して、この変則的な作品をご選出なさったのでありましょうか?
 〔返〕  取り上げし子が子を産めば産婆なる汝の仕事は二倍三倍
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(下関市・乗安勉)
〇  音たてて蚕が桑の葉食むように憲法九条かじられてゆく

 「音たてて蚕が桑の葉」を「食む」のは事実であるが、それとあれとを結び付けて、「音たてて蚕が桑の葉食むように憲法九条かじられてゆく」という作品を仕立て上げたのは真にけしからん!
 何故ならば、朝日新聞の「解釈改憲反対キャンペン」に便乗して、首尾良く入選を果たそうという邪な考えが見え見えだからである。
 かと言って、朝日新聞社が行っている「解釈改憲反対キャンペン」そのものが悪いのではありませんよ!
 世論誘導は、新聞や週刊誌、月刊雑誌、ラジオ、テレビといったマスコミの果たすべき役割の一つであるから、朝日新聞は朝日新聞なりの世論誘導を自前の記事や社説やコラムで以って果たせばいいのであって、その役割りを「朝日歌壇」や「朝日俳壇」といった愚かな投稿者たちに押し付けようとしているから、私はドタマに来ているのであって、もっと激しく言うならば、朝日新聞社のそうした策略に敢えて乗っかって、守備良く入選を果たし、「吾こそは朝日歌壇の入選作者様なるぞ!」とイワンばかりに威張っている「イワンの馬鹿」が、この世の中にはゴマンと居るから、私はとっくの昔からドタマに来ているのである!
 其処の辺りの違いを、福島県で土方稼業にご従事なさって居られる「野次馬博士」(おっと失礼)矢嶋博士氏を肇とした、本ブログの読者の皆様方はお間違えになられないようにして下さいませませ!
 〔返〕  音立てて新聞購読止めて行く!読売・朝日は役割り放棄!
 読売新聞が御用新聞である事は、何方でもご承知のことでありましょうが、朝日新聞までが何かの御用新聞化してしまったら、私たち日本国民は何を指針として毎日の暮らしを立てて行ったら宜しいのでありましょうか?
 かく申す私は、父祖代々、過去百年以上に亘って、朝日新聞の読者たる事を一日として止めて居ないのである!
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(東京都・豊英二)
〇  盆近く卒塔婆料の値上がりす木工人も僧も消費者

 「木工人」という言い方は、朝日歌壇の入選者の常連中の常連歌人たる豊英二さんらしからぬ言い方ではありませんか?
 それに、「卒塔婆」などと云うただの板切れは、お盆になったからといって、必ずしも立てなければならないという代物ではありません。
 あの板切れを三枚立てたから三枚分だけ多く亡き人が成仏するぞ、百枚立てたから百枚だけ多く成仏し、施主の信心深いところが証明されるぞ、などというさもしい考え方をしていたとしたら、本作の作者は、朝日歌壇の入選者の常連中の常連歌人としての常識を疑われる事にもなりましょう!
 この広い世の中には、被災地・福島で慣れない土方仕事に従事しながら、妻子三人を養っている御仁だっていらっしゃるのですよ!
 少しぐらいは反省しなさいよ!
 〔返〕  細腕で土方稼業は似合わない矢嶋博士はインテリなのだ!  
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(富山市・松田わこ)
〇  男子たち「そっくりな人を見た」と言うねえちゃんだろうな100パーセント

 せめて、眼鏡の色や形を変えれば、「男子たち」から「そっくりな人を見た」なんて失礼なみことを云われなくなるのかも知れません。
 〔返〕  服装を変えてもやはり団栗だどんぐりころころお池にぽちゃん
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(つくば市・久保田和佳子)
〇  中三で坊主頭にした君の許可を得てからなでなでをする

 「許可を得てからなでなでをする」が抜群に宜しい。
 ところで、本作の作者、即ち茨城県つくば市にお住いの久保田和佳子さんは、「許可」もせぬのに、ご亭主殿に「なでなで」されているのでありましょうか?
 もしもそうであるならば、それも亦、抜群に宜しいことではありませんか。
 〔返〕  不惑にて孤閨を託つわたくしをなでなでしてねほんの時たま
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。  


(廿日市市・上谷美智代)
〇  私には名前があるわとつぶやきてアルバイトという名札をつける

 昨今は、猫も杓子も作業服姿の首から名札をぶらさげて仕事をしている。
 それが新聞勧誘員やクロネコヤマトのサービスマンならまだしも、道端に立っている電柱に上って、光回線用クロージャの取り付け工事を遣っている作業員だったりすると、少し話が違って来る。
 電柱の下を通る数多くの方々の中には、件の作業員の方に、駅まで行く近道を尋ねる方も居られましょうが、それだからと言って、件の作業員の方が作業中の首からぶら下げて「名札」を示して、「私はこういう者ですから決して嘘偽りを言いません。私が噓偽り事を申し上げない事は、この名札が保証致しますからご安心下さい」などといちいち断わってから、道案内に及ぶ事がありましょうか?
 否、否、決してそういう事はありません。
 だとしたら、あの「名札」こそは無用の長物以外の何ものでもありません。
 それよりもこの私としては、道行く容姿端麗な女性の方々に、「お名前及び住所、そして携帯電話の番号、出来得るならばそれに加えて夫や彼の有無」などを記した「名札」を首からぶら下げて欲しいものである。
 その点に就いての読者の方々のご意見は如何でありましょうか?
 〔返〕  女性なら誰でも名札をぶら下げて欲しいと言ってる訳ではないよ!
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(平塚市・内海良子)
〇  ジャンプ傘たたみて見上ぐ吾が街の梅雨の晴間の七夕飾り

 湘南海岸に面する神奈川県平塚市と言ったら、「①にパイロット万年筆の本社工場」、「②には七月七日の七夕」と、昔から相場が決まっていました。
 今年の七夕は、折悪しく関東地方が梅雨の長雨に見舞われ、数多くの見物客は「ジャンプ傘」を畳みては広げ、畳みては広げの大童でありました。
 本作の作者・内海良子さんは、たまたま「梅雨の晴間」に恵まれた為に、お手持ちの「ジャンプ傘」を殆ど畳んでままで、「吾が街」の「七夕飾り」を観ることが出来たのでありましょう。
 ところで、内海良子さんがお住いの平塚市には「金目」という珍しい地名があり、件の石原大臣の「金目発言」以来、同地区への訪問客が激増したという噂がありますが、その点に就いての真偽の程は如何でありましょうか?
 〔返〕  ジャンプ広げて読んだ新聞の第一面の「金目発言」
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(三郷市・木村義煕)
〇  紫陽花が雨に濡れてる水辺には音なく泳ぐくちなわがいる

 埼玉県三郷市と言えば、埼玉県が「だ埼玉」なる真に迷惑な愛称を奉られた元凶とも言うべき田舎町である。
 その三郷市の水辺には、絶滅を危惧されている「くちなわ」が未だに棲息しているのでありましょうか?
 だとしたらあまりにも薄気味悪くて、この鳥羽省三は、金輪際、三郷市に近づきたくはありません。
 〔返〕  くちなわも美郷観光の一助なる怖さも怖し薄気味悪し
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。


(三鷹市・木村トミ子)
〇  男等は手ぶらで出掛け玄関に増殖するのは骨透ける傘

 「増殖する」という、いま流行りの単語を使っただけが手柄の凡作である。
 〔返〕  おぼちゃんがSTAP細胞増殖す姿は見たしおぼちゃん怖し
 それにしても、花金なる昔懐かしき言葉を耳にすることは出来なくなってしまいました。
 あの頃は、私たちサラリーマンの全盛時代だったのかも知れません。

今週の朝日歌壇から(7月21日掲載・其のⅣ・終日曇天版)

2014年07月23日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(田辺市・石垣多鶴子)
〇  人の血で染まりし畑の肥大芋コラムは伝う沖縄戦後

 「沖縄戦後」の「肥大芋」のみならず、私たち人間が食する生き物(敢えて‘生き物’と言う)の生産や品種改良や市場開拓に当たっては、強き者たる資本家どもと弱き者たる労働者たちで交わされる、血で血を洗うが如き暴力や闘争が付きものである。
 例えば、バナナやコーヒーなどの商品作物のプランテーション方式での大量栽培に当たっては、原産地・南米での幾多の原住民や黒人奴隷などの赤い血液が流されたことか!
 〔返〕  バナナの色が真っ赤でないのは不可思議だ黒人奴隷の血が染みているはず!


(川越市・小野長辰)
〇  某党がアリアドネの赤い糸を出し某党受けて戦慄の恋

 「アリアドネの赤い糸」なんて持ち出して来ると、自公連立政権の成立や両党に拠る再三に亘る暴挙が、ギリシャ神話並みの恋物語になってしまうのであるが、その現実は、何が何でも政権にしがみ付こうとする自民党及び公明党の醜い駆け引きがあったのである。
 〔返〕  某党がおねえとなって尻を貸し某党喜悦し男色三昧


(調布市・水上香葉)
〇  副長も課長もipadで写しおり二十階の窓に二重虹出て

 「副長」が泣かせる!
 昨今の職場に於いても、未だに「副長」なるどっちつかずのか弱い管理職の残存が見られるのでありましょうか?
 〔返〕  副長がおねえとなって尻出せば女性課長が「嫌よ!」と叫ぶ


(横須賀市・梅田悦子)
〇  病院も学校もスーパーも2キロ圏 原子力空母街に食い込む

 上の三句、即ち「病院も学校もスーパーも2キロ圏」という措辞は、ご自身の家が「如何に環境に恵まれているか」といった自慢話としても読み取れるが、下の二句、即ち「原子力空母街に食い込む」という措辞は、基地の街・横須賀の現実を余す所無く闕腋したものであり、「抵抗も空しく、無理矢理に突っ込まれてしまった」といった、女性特有の被害者意識に基づいての表現のようにも思われる。
 その横須賀市が、今や都市部としては全国一の人口減少数で話題となっているのである。
 〔返〕  2キロ圏と言えば必ずしも近からず自慢にならない自慢話だ
 もう一度熟慮してみると、「病院も学校もスーパーも2キロ圏」という言い方は、「福島原発より2キロ圏」という言い方の逆を行く言い方のようにも思われ、もしもそれが正解であったとしたならば、私たち日本人の意識の底には、常に「福島原発より〇〇キロ圏」という発想が在るのだ、という事にもなり、是も亦、被害者意識的な発想として捉えなければならない事になるのである。


(ホームレス・坪内政夫)
〇  無縁墓いずれは我も呼ばれんか線香持って訪ねてきたんだ

 妙に芝居がかった作品である。
 彼・坪内政夫さんは、或いは、被災地・福島での土方暮らしと称する、某「博士」氏の仰る如く、「似非ホームレス」なのかも知れません。
 それはどうでも、自ら「ホームレス」と称するからには、「無縁墓」も「線香」も全く関係無いはずではありませんか?
 それなのに、「無縁墓」に「線香持って訪ねてきたんだ」などと詠むとは、この「ホームレス」氏は、一体全体、何を遣ってるんだろうか? 
 「俺様はすっかりドタマに来てんだぞ!」と叫びたくもなりますよ。(なんちゃったりして。現実の俺様には、来るようなドタマは有りません。)
 〔返〕  多摩界隈霊園開発真っ盛り毎日五枚は折り込み広告
  

(大阪市・安良田梨湖)
〇  怒られる前からなみだ 梅干しを見たら唾液があふれるように

 一体全体、誰から「怒られる」ってんだろう?
 岡山大学出の才媛を怒る事が出来るようなドタマを持った副長が彼女の職場には存在するのでありましょうか?
 でも、よくよく考えてみたら、本作の下の句が「梅干しを見たら唾液があふれるように」となっているから、岡山大学出の才媛を怒るのは職場の副長では無くて「最愛の彼」なのかも知れません。
 もしもそうだったとしたら、勝手にしろってんだ!
 それにしても、「梅干しを見たら唾液があふれるように」「怒られる前からなみだ(が流れる)」という表現は、エロティシズムの極致を行くような巧みな表現である。
 〔返〕  事の初めは唾液交換梅干し噛むようなつもりで遣ろう


(熊本市・近藤史紀)
〇  感嘆符、疑問符という繰り返し君といるとき恋をするとき

 相変わらずの「これ見よがし」の恋愛絵巻である。
 今から言っとくけんど、「遠からず徴兵制が布かれること必然、そしたら、真っ先に召集令状が来るのは君んとこかも知れませんぞ!」なんちゃったりして。
 〔返〕  感嘆符、疑問符と繰り返し君と一緒に鯉を釣るとき
 近藤史紀さんの彼女は、彼が鯉を釣り上げる度ごとに、「大きいね!」とか「少し小さかったね?」とかと、決まったようにして仰るのでありました。


(下野市・若島安子)
〇  草臥れし靴とリュックを誘い行く老いて最後のトレッキングに

 「老骨に鞭打って」といったところでありましょうか?
 〔返〕  草臥れた身体に鞭打ちトレッキング「これっきり、もう、これっきりでしょうね?」


(八王子市・相原法則)
〇  色がわりしてアジサイは花ながく林芙美子はいのちみじかく

 林芙美子は明治36(1903)年12月31日に下関で生れ、昭和26(1951)年6月28日に
東京都新宿区下落合の自宅で亡くなった。
 したがって、彼女は、自らの言葉として色紙に記した如く「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」人生を送った事になる。
 ところで、本作は、「紫陽花は何度と無く色変わりして長く咲き続けるのであるが、小説家・林芙美子は、『花のいのちはみじかくて』という自らの言葉の如く、五十歳に満たない短命で終ったのである」ということでありましょうが、作品の出来栄えとしては、「未だ花たらず」というところでありましょうか?
 〔返〕  白蓮はお色直しも二度三度最後の相手が善くて幸せ


(富山市・松田梨子)
〇  思ってた以上に大人思ってもみないほど純夏の高一

 このようなケースでは、一字空きとして「思ってた以上に大人思ってもみないほど純 夏の高一」とした方が宜しいかも知れません。
 坊主に法を説いているような感じになっちゃったけど?
 〔返〕  思ってた以上に上手い時もあり時折りすごく下手な時もある

今週の朝日俳壇から(7月21日掲載・其のⅡ)

2014年07月23日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(さぬき市・野憲子)
〇  白南風や裏木戸を開けて日輪

(倉敷市・森川忠信)
〇  暗黒の一歩手前の五月闇

(東京都・井原三郎)
〇  朝顔市入谷捨てしも戦災で

(川越市・渡邉隆)
〇  先づ以つて男の咽せるところてん

(北海道鹿追町・高橋とも子)
〇  夕焼けて一と日まるごと美しく

(新庄市・三浦大三)
〇  戦前を知る人速し蚊を打つ手

(東京都・岸田季生)
〇  空蝉やわれも脱ぎたき衣あり

(藤沢市・安田明子)
〇  憲法九条読みて昼寝す真剣に

(東京都・石川昇)
〇  沖縄の戦後終らず花ゴーヤ

(吹田市・笠行信子)
〇  そら豆のやうな顔して名優で

今週の朝日俳壇から(7月21日掲載・其のⅠ)

2014年07月23日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(北海道鹿追町・高橋とも子)
〇  夕焼けて一と日まるごと美しく

(名張市・山崎美代子)
〇  苛立ちも金魚掬ひの一過程

(横浜市・山本幸子)
〇  夫呼べば渡りて来よと虹の橋

(東京都・藤森荘吉)
〇  梅雨籠り丸一日を使ひ切る

(奈良市・田村英一)
〇  板の間に座して涼しき木曽の宿

(西宮市・黒田國義)
〇  夏富士に集ふや入社五十年

(堺市・吉田敦子)
〇  白南風や身辺軽きこと大事

(堺市・奥村英忠)
〇  黴の香に慣れ親しんで古書の市

(高松市・白根純子)
〇  同じ汗かきてほぐるる初対面

(芦屋市・田中節夫)
〇  湧き上がる草の匂ひや梅雨晴間

今週の朝日俳壇から(7月14日掲載・其のⅢ・出た出た梅雨明け宣言遂に出た)

2014年07月23日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(福岡市・伊佐利子)
〇  防人の通ひ路潮騒青葉騒

 群馬県桐生市出身の女性ボーカリスト・夏川陽子(レイズイン所属)が歌う『万葉歌/防人恋歌』が静かなブームを呼んでいるとか?
 本句はそれにあやかって、我が国古代の九州沿岸警備隊員・防人たちが東国から任地へ赴く時の経路を「防人の通ひ路」と名付け、「海を渡り山の中を通る彼らの旅路が、潮騒の音に心騒がせ、青葉の戦ぎにも心を騒がせるような、苦難ばかりの多い旅路では無かったか」と、ロマンチックに推測している一句である。
 そこで私はこの度、本句の作者・伊佐利子さんの心を騒がせ、本句創作のきっかけを成した、夏川陽子さんの歌う『万葉歌/防人恋歌』の歌詞を、下記の通り無断転載させていただき、本句の作者・伊佐利子さん及び『万葉歌/防人恋歌』を歌う夏川陽子さんのお二人に限り無き讃辞を贈らせていただきます。

   闇に放り込んだ想い 届いていますか?

   浅い夢の覚め際に毎日
   伝う涙の理由はどこから

   きっと戻ってくるよと
   頬を撫でる手は冷たくて
   ぎゅっと広い背中を抱きしめた

   謳え謳え 通い路恋歌
   たとえ声はしなくとも
   届け届け 通い路恋歌
   愛する人の為 ずっと笑顔で居るから

   ずっと待っているよと
   しがみつく手は震えてて
   もっと強く深く深く抱きしめた

   謳え謳え 通い路恋歌 たとえ声が枯れても
   笑え笑え 通い路恋歌 暖かい陽はまだか!

   ずっとずっと 謳えるのは
   君の声がするから
   届け届け 防人恋歌
   愛する人の為 ずっと笑顔で居るから

   闇に放り込んだ想い 届いていますか?

   浅い夢の覚め際に毎日
   伝う涙の理由はどこから

   きっと戻ってくるよと頬を撫でる手は冷たくて
   ぎゅっと広い背中を抱きしめた

   謳え謳え 通い路恋歌 たとえ声はしなくとも
   届け届け 通い路恋歌 愛する人の為 ずっと笑顔で居るから

   淡い日々の思い出に毎日
   すがる二人の姿は儚げ

   ぐっと押さえ続けた 瞳の奥のやさしさが
   ふっと返り咲く刹那に 溢れる心

   止まれ止まれ 防人恋歌 たとえ声はしなくとも
   届け届け 通い路恋歌 愛する人の為 ずっと笑顔で居るから

   貴方の為 君の為 また出会う日までの約束
   どんな思いが馳せようと 笑顔で居よう
   遠く遠く分たれても 辛い時は歌に乗せて・・・

   ずっと待っているよと しがみつく手は震えてて
   もっと強く深く深く抱きしめた

   謳え謳え 通い路恋歌 たとえ声が枯れても
   笑え笑え 通い路恋歌 暖かい陽はまだか!

   ずっとずっと 謳えるのは 君の声がするから
   届け届け 防人恋歌 愛する人の為 ずっと笑顔で居るから

 〔返〕  防人に往くは誰が児と問ふ人よ汝が愛し児は往かせもせずに
      私らに子供無いから与らぬ機雷除去には誰かが行って
                         <注>  「私ら=ヤベー総理ご夫妻」


(いわき市・中田昇)
〇  廃炉まで怯えながらの端居かな

 むしろ「廃炉」後のことが心配なのです。
 廃棄処分すると言ったって、廃校になった小学校や中学校の処分材のように東京都衛生局に依頼して、即、焼却処分にする訳には行きませんからね!
 そういう訳で、被災地・福島を肇とした日本各地の原発所在地は、ヤベー総理を筆頭とした私たち日本国民にとっては、今や、末代までの「金食い虫」と成り果ててしまったんですよ。
 それなのに腹黒いヤベーらは、自分の弱みを隠すべき一時凌ぎの手段として、原発の再稼働などというとんでも無い事を口にしているんですよ。
 〔返〕  児子孫孫てんでこ離散故郷棄つ


(茨城県阿見町・鬼形のふゆき)
〇  紫陽花のゴールキーパー隙だらけ

 今を盛りに咲く、鎌倉のあじさい寺・明月院の「紫陽花」を、ワールドカップ・ブラジル代表チームの「ゴールキーパー」ジュリオ・セーザル選手に見立てて詠んだ句である。
 彼・ジュリオ・セーザル選手の「隙だらけ」の守備力を以ってすれば、対ドイツ戦で7失点するという、歴史的かつ屈辱的な敗北を喫したのも当然の事と言えましょうか?
 〔返〕  我が国のゴールキーパーも隙だらけ


(横浜市・本多豊明)
〇  衣更ふと戦中の菜っ葉服

 毎年の6月1日は「衣更」であり、「この日を境として、私たち日本国民の服装は冬向きのそれから夏向きのそれへと一斉に変るのである」などと言ったって、我が国はお隣りの将軍様の御国などとは異なり、言論も自由、服装も自由の国ですから、そんなに都合良くは行きませんけど!
 本作の作者・本多豊明さんは、その6月1日の「衣更」に当たって、「ふと戦中の菜っ葉服」を着ていた、ご自身のみすぼらしい姿を思い出して切ない気持ちになってしまったのでありましょうか?
 〔返〕  衣更 焼いてしまったボロパジャマ


(長岡京市・寺嶋三郎)
〇  浮浪者がおねだりしない夏日本

 どんな思いで言ってるのかは知りませんが、「浮浪者がおねだりしない夏日本」とは、自分の国を誉めているのか?
 貶して言ってるのか?
 随分と勝手な事を言うもんだ!
 〔返〕  県知事がおねだりしての原発か?


(清瀬市・峠谷清広)
〇  野次のような会話あちこちビヤガーデン

 「野次」と言えば、東京都議会や衆議院での、あの野次騒ぎに就いては、もはや何方も口にしなくなってしまいましたが?
 関東甲信越地方に於いては、今日・7月22日を以って、画然として「梅雨明け宣言むが為されました。
 今晩あたりは、東京や横浜などのビルの屋上の「ビヤガーデンむが、さぞかり賑わうことでありましょうが、元・鹿児島県代表の砲丸投げの国体選手みたいに主治医からドクターストップを喰らっているこちとらとしては、そんな浮世の出来事には一切関係がありません。
 〔返〕  野次のよな俳句ちらほら当歌壇


(焼津市・下村直行)
〇  さう言へばをんなも老ける泥鰌鍋

 「さう言へばをんなも老ける←→泥鰌鍋」と、いわゆる「二物衝撃」に拠る作品ではあるが、「老けることを嫌うがあまりに食べる泥鰌鍋」と「『さう言へばをんなも老ける』という気付き(認識)とがあまりにもくっ付き過ぎているために、「二物衝撃」本来の衝撃的な効果が十分に発揮されていない、という嫌いがある。
 〔返〕  そう言えばお芋も栗も蒸けるのだ  


(向日市・松重幹雄)
〇  信長は比叡われは毛虫を焼きにけり

 かく申す私・鳥羽省三は、昨晩、金鳥渦巻(蚊取り線香)に着火しようとして、パジャマの上着の袖を焼いてしまいました。
 〔返〕  林某は金閣を我はハジャマを焼きにけり


(久慈市・和城弘志)
〇  闘牛やピアスの勢子のいさましき

 「闘牛」と言えば、その本場はスペインであるが、我が国に於いても「闘牛」紛いの「牛の角突き合戦」が随所で行われていて、その代表的な例が、本作の作者・和城弘志さんがお住いの岩手県久慈市に於いて「つつじ場所」、「しらかば場所」、「もみじ場所」と、毎年、春・夏・秋の三回行われる「いわて平庭闘牛大会」である。
 これらの大会の主役はもちろん牛であるが、脇役としての「勢子」の存在も忘れてはいけません。
 中七以下が「ピアスの勢子のいさましき」となっているが、件の「闘牛」で「勢子」を務める若者たちの中には、頭髪をキンキラ金に染めたり、両耳に「ピアス」をぶら下げたりして、出来るだけ目立とうとする若者が居たりする事は、時節柄、当然の事である。
 ところで、岩手県久慈市と言えば、過日の東日本大震災の被災地の一つであり、都会生活に憧れる、昨今の若者たちの腰が落ち着かないのも道理である。
 そうした現状にあって、件の「闘牛大会」を開催する為には、必然的に、その「勢子」役を務める若者たちの定住を必要とするのである。
 仮に、件の「勢子」役を務める事に魅力を感じて、若者たちの幾人かが、故郷・久慈に定住していたり、都会からUターンしたりする事があったりすると、それはそれで、件の「闘牛大会」が存在する積極的な意義でありましょう。
 〔返〕  勢子役で見事嫁さん射止めたり

 
(埼玉県宮代町・酒井忠正)
〇  曝書して大西巨人追慕せり

 「曝書」とは、「書籍の虫干し」即ち「蔵書を縁側などのひなたに広げて紙魚が付かないような予防措置を施すこと」とか。
 私も、蔵書数二万冊以上の頃は年一度の通過儀礼みたいにして「曝書」を行っていたものであるが、蔵書らしきものの大半を処分してしまった現在は行っていない。
 ところで、「曝書」している日の楽しみ事の一つに、「買ってはみたものの、それまでに広げもせず、読みもしなかった書物を、この機会にと広げてみたり読んでみたりする事」がある。
 偉大なる小説家・大西巨人が1978年から1980年に掛けて光文社から刊行した長編小説『神聖喜劇』(カッパブックス版三冊/ハードカバー版五冊)などは、私にとっては「買ってはみたものの、それまでに広げもせず、読みもしなかった書物」の代表的な例であり、「曝書」の際に広げてみたりする事はあったかも知れません。
 ところで、私は未だ大学生であった頃、国電・東中野駅付近に在った「日本文学学校」に一年間だけ在籍していたのであったが、その折に数回、大西巨人の講義を受講したような気がするのであるが、それから半世紀以上の歳月が経過した今となっては、彼・大西巨人の印象も講義内容もすっかり失念してしまいました。
 〔返〕  曝書するほどの書籍は持ってません

今週の朝日俳壇から(7月14日掲載・其のⅡ・雷様が怖い特集)

2014年07月21日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(八代市・山下しげ人)
〇  驚いてより尺蠖の速さかな

 「尺蠖の屈めるは伸びんがため」とは中国古代の経書『易経』に見られる俚諺で、「将来の成功の為に一時の不遇に耐える事」の喩えである。
 今更解説を要しないとは思われるが、「尺蠖」とは「尺取虫」の事であり、本句は、「尺取虫は人間の目に留まった瞬間、あの独特な動きで素早く逃げようとするが、その速さと言ったら他に比較するものが無いくらいの速さである」といった意でありましょう。
 ところで、「虫も殺さぬいい男」の私・鳥羽省三の場合は、これとは真逆に、尺取虫のような得体の知れない怪物に出会った瞬間、まるで我が国の陸上・100m競技の期待の星・桐生祥秀選手(18歳)のように素早く逃げてしまう始末である。
 それはそれとして、本句は、単に尺取虫という個性的な生物の生態に就いて述べたというよりも、人生上の何事かに就いて示唆した寓話的な命題を持った俳句である。
 この寓話的な一句からどんな命題を感じるかは、それぞれの読者によって異なりましょうが、例えば、私の場合などは「自分の知識不足に気が付いた時に勉強しても遅い」という内容なのかも知れません。
 〔返〕  気が付いて抵抗してももう遅い解釈改憲既定の出来事
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(神戸市・岸田健)
〇  蟻地獄脱して甘き余生かな

 前掲・山下しげ人さんの御作とは真逆の命題を示唆する警喩句である。
 〔返〕  蟻地獄脱して甘き憲法の九条解釈変更反対
 思うに、我が日本国憲法が「平和憲法」と言われる所以は九条の存在にある。
 私たち日本国民は、憲法九条に拠って守られているが為に、敗戦後六十数年の月日を、誰一人として戦場で血を流すこと無く生き続けて来ることが出来たのかも知れません。
 「だが、そうした認識は極めて甘い認識だ!」とするのが彼らの意見なのであり、その甘い認識を根底から揺さぶり、私たち日本国民を戦場に駆り出そうとするのが、この度、彼らが行った蛮行なのかも知れません。
 〔返〕  今更に辛き余生は送られぬ未来の事は宜しく頼む
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(豊中市・堀江信彦)
〇  傘持たぬこの身軽さよ梅雨晴間

 「傘持たぬこの身軽さよ」とは、是も亦、ものすんごく甘い認識なのかも知れません。
 「『梅雨晴間』は、たった一日だけの事であり、明日からは亦、土砂降りが続きますから、海外派兵も可能なように憲法九条の解釈を変更しなければならない」とするのが、彼らを蛮行に駆り立てた所以なのかも知れません。
 〔返〕  豊中のだんじり屋台で舞うように上手く行くなら舞いもしようが
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(小樽市・辻井卜童)
〇  朝からの孵化する蝶の日和かな

 「この時節を、一体全体なんと心得居る!時節柄も弁えずに性行為に及ぶとは非国民もいい所である!かくなる上は、虫ピンで刺して標本にして人前に曝してやるぞ!」といった恐ろしい声が永田町方面から飛んで来そうな日和である。
 〔返〕  標本にされてからでは遅過ぎる蝶は孵化せず蛹のままで
 私も人波の親であれば、二人の息子たちが未だ幼い時には、「勉強をたんまりとして一日も早く立派な大人になって欲しい」などと思ったりしたものであるが、今になって思うと、私は子育てをあまりにも急ぎ過ぎたようだ。
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(札幌市・岩本京子)
〇  早朝と決めしリハビリ露涼し

 「『リハビリ』をするのは『露』の『涼し』い『早朝と決め』た」という認識をお持ちになって居られるとしたならば、それも亦、ものすんごく甘い認識なのかも知れません。
 私たち人間の全てはキリスト教で謂う原罪を背負っている存在であり、現世の全ては、それを購い償い粛々として「リハビリ」をし続けなければならないような存在なのかも知れません。
 朝な夕なに、生きて息している限り、私たち人間は「リハビリ」をし続けなければならないような存在なのかも知れません。
 〔返〕  菩提樹下黙想せむとして朝露に濡る忽然として悟りを開く
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(東かがわ市・桑島正樹)
〇  白鷺を吹き残したる青田風

 作中の「白鷺」のみならず、私たち日本人も亦、「青田風」が「吹き残したる」が如き存在なのかも知れません。
 〔返〕  二〇一四年夏白鷺一羽青田風に吹き残されつ
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(柏原市・早川水鳥)
〇  翡翠の飛ぶ一瞬を見逃さず

 何しろカメラの性能が抜群に良くなりましたからね!
 〔返〕  翡翠の翼広げて交むとき俺のカメラは動顚しちやう 
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(大阪市・友井正明)
〇  今夜また風蘭の香の誘ひ出す

 本作の作者・友井正明さんは、「今夜」も「亦」、「風蘭の香」に誘い出されて飛田新地界隈を彷徨するのでありましょうか?
 〔返〕  風蘭の花の如くに風に揺れ香の芳しくあれ風俗嬢は
 それにしても、雷様とは怖いものである!


(大阪市・山田天)
〇  刻々と暮るる高原月見草
(東京都・長谷川弥生)
〇  河鹿鳴く薄暮の迫る急流に

  「刻々と暮るる高原月見草」だって?
 それに「河鹿鳴く薄暮の迫る急流に」だって?
 よくも変わり映えのしない風景ばっかり詠んだものである。
 両作品共に発想も着眼点も表現も凡であり、斯くの如き先蹤作家の手垢に塗れたような月並み句を入選させたとなれば、それは選者の責任であるとしなければなりません。
 それにしても、この程度のレベルの作品を朝日俳壇に投稿する者が居て、入選させる選者が居たとすれば、「俳壇の底辺は限り無く深くて広くて暗い」としなければなりません。
 因って、返歌は割愛させていただきます。
 詠むだけ時間の無駄である。
 それにしても、雷様とは怖いものである!

今週の朝日俳壇から(7月14日掲載・其のⅠ・日曜特集版)

2014年07月20日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(高槻市・山岡猛)
〇  雲中に白き都や雲の峰

 「白き都」とは、「雲の峰」を一望しての幻視ならんか?
 〔返〕  お天守に巨象馳せ來る雲の峰


(大村市・小谷一也)
〇  道をしへ行方不明となりにけり

 それは亦とんまなことよ!
 そんなことでは、到底、街歩きは適いません。
 〔返〕  道教へ白き車に誘はれし


(龍ヶ崎市・浅山伊佐見)
〇  昼寝覚駈け回りしは夢と知る

 どっしりと寝汗を掻いたりして。
 〔返〕  昼寝覚め引っ掻き廻せし背(せな)の疵


(青梅市・青柳富也)
〇  能面のやうな色なき風の来る

 デーモン閣下の顔の如き無表情の「風」が吹いて来るのでありましょうか?
 〔返〕  デーモンの面貌暑し名古屋場所


(霧島市・久野茂樹)
〇  草刈りの人も砥石も痩せてをり

 夏山の「草刈り」は汗だくだくで疲れるものですから、「草刈りの人も砥石も痩せて」いるのは当然の事でありましょう。
 草刈り鎌で草刈りをする場合、所要時間の三分の一は「砥石」で鎌を砥いでいる時間だとか?
 〔返〕  夏越しや草刈り鎌の錆びもせず


(鶴岡市・野村茂樹)
〇  麦秋の黄をあふれしむ狂気かな

 「麦秋の黄」と言えば、あのフィンセント・ファン・ゴッホ描く「収穫(麦秋のクローの野)」の黄の色彩の、何と狂気じみていることよ!
 〔返〕  麦秋のクローの野辺の黄に狂ひ


(松戸市・大井東一路)
〇  天守より忍びのごとく黒揚羽

 天守閣の矢狭間よりヒラリと身をかわして舞い降りてきた「黒揚羽」を、「しのび」即ち「忍者」に見立てたのである。
 〔返〕  信長の首を獲らんと岐阜城の天守に忍び入りたる揚羽


(東京都・長谷川茂子)
〇  狙撃弾逸れて今日ある終戦日

 「1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝の継承者、フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年、ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件」がいわゆる「サラエボ事件」であり、この事件がきっかけとなって第一次世界大戦が開戦の運びとなったのである。
 今年の6月28日は、「サラエボ事件」の100周年に当たっていたのであるが、サラエボの在る東ヨーロッパに於いては、ウクライナ共和国政府とロシアに後押しされた親ロシア派国民との交戦が続き、中東のパレスチナに於いては、イスラエルとパレスチナ自治政府とが激しい火花を散らすなど、第一次世界大戦の開戦前夜と似たような様相を呈しているのである。
 こうした時期を敢えて選び、自公連立政権は、同盟国アメリカの為なら海外派兵も辞さないとする暴挙を、圧倒的な国民の意志を無視し、国会決議に拠らないで企てたのであり、本作はそうした国際情勢や国内情勢をも頭の中に入れて、作者自らの被狙撃体験を一句に託したのでありましょう。
 ところで、本作の作者の長谷川茂子さんよ、「狙撃弾逸れて今日ある終戦日」とのことですが、我が国に於ける「終戦日」とは8月15日である。
 だとしたら、「終戦日」には未だかなり早いのではありませんか?
 〔返〕  入選を果たす為ならなんのその一箇月前でも其れが終戦日

 
(富士宮市・渡邉春生)
〇  文学の夢捨てきれず桜桃忌

 今どき「文学の夢捨てきれず」なんて馬っ鹿じゃ無かろうかしらん?
 その上、「文学の夢」と「桜桃忌」の組み合わせはあまりにも月並みで、作者の頭の程度が知れるような一句である。
 詠む方も馬鹿だが、それを敢えて選ぶ方も馬鹿である!
 〔返〕  馬鹿が詠み馬鹿が選んだ月並み句


(四街道市・深澤川舟)
〇  炎天を鬼の顔して帰りけり

 この炎天下を日傘も差さないで歩き回っていたら、誰だって「鬼」みたいな顔になりますよ!
 〔返〕  炎天を仏の顔して二度三度歩ける奴は色素不足だ

今週の朝日歌壇から(7月14日掲載・其のⅠ・梅雨明け宣言待望Ⅱ版)

2014年07月19日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(嘉麻市・野見山弘子)
〇  武力には武力をの道猛省し得た九条の平和危うし

 「目には目を」の戦いを日夜繰り返している、イスラエルとハーマス。
 〔返〕  自民との選挙協力道猛省し次の選挙に立つな公明
      維新との無理な糾合猛省し次の選挙に立つな石原


(熊本市・加藤知子)
〇  着々とヤマモモの実の煮ゆる鍋銃後といえる語感近づく

 「ヤマモモ」の実を煮てジャムにするのでありましょうか?
 〔返〕  ヤマモモの煮えているのも知らないで亭主面して居られるもんか?


(西条市・村上敏之)
〇  餃子よしキムチもうましわれわれの食にヘイトも排外もなし

 私はどちらかと言うと、唐辛子の入った辛い物が苦手です。
 〔返〕  フレンチ佳しスペイン料理は更に佳し中華料理は食べる気がせぬ


(飯能市・佐久間敬喜)
〇  政治家の密議のやうだ三人が独りに寄り添ふ囁くの文字

 禿頭の司会者の桂歌丸を甚振ろうとしての、笑点のメンバー、圓楽と昇太とたい平との三人の密議のようでもある。
 〔返〕  政治家が三人寄って囁くは利権漁りの汚い談合  


(福島市・美原凍子)
〇  しあわせは小さきがよし青梅のころころころんもひとつころん

 「青梅のころころころんもひとつころん」が聴かせ所であり、利かせ所でもありましょうが、なかなかに?
 〔返〕  幸せを一所不住で求めんと美原さんは夕張福島


(仙台市・高橋のり子)
〇  買えばなんて、指輪は買って欲しいもの、女心も知らず夫逝く

 欲しかったら働いて買えばいいのに? 
 〔返〕  「欲しければ買ってみたら?」と言われても金が無くては買えないダイヤ


(アメリカ・郷隼人)
〇  萵苣もみが食いたい夕ハンバーガーとフレンチ・フライの食器を見つむ

 「ハンバーガーとフレンチ・フライ」が米国の刑務所の夕食とは驚きました。
 〔返〕  萵苣もみが食いたいなんて贅沢な今の境遇何と心得!


(加古川市・田中喜久子)
〇  高僧をひとりじめして坐禅する半眼にみる青葉の光

 「高僧」とは、「徳の高いお坊さん」の謂いである。
 したがって、現在の我が国のお寺には、「高僧」と言えるようなお坊さんは、一人として存在しません。
 「お寺の住職の全てが、算盤上手で好色な生臭坊主だ!」と言ったら、誰に叱られましょうか?
 〔返〕  香草を独り占めして食う牛の肉を食っちゃ寝食っちゃ寝してる高僧


(熊本市・星ひかり)
〇  生きものの三分の一が絶滅し人間だけが七十億超ゆ

 しかも、その「五分の一弱」があの某経済大国の人口である。
 〔返〕  人間の五分の一弱が某国の人間と知って驚嘆してる


(長崎市・田中正和)
〇  担い手が年々減っていく棚田老いが支える三次元の美

 「担い手」とは、「政府自民党の農業政策に加担する農村の若者」の謂いである。
 でも、その担い手になるべき若者たちが都会へと憧れて行ってしまうから、我が国の農業は壊滅の危機に陥っているのである。
 特に、私の郷里の秋田県の年代別人口の偏りが著しい。
 皮肉を言ってるつもりはありませんが、これからの日本の稲作は、都会からの派遣労働者が「担い手」にならなければなりません。
 〔返〕  担い手の全てが都会に行っちゃって都会の人が支える棚田