[馬場あき子選]
(長野県・根橋京子)
〇 ミヤマシロチョウはや戻り来よ植えて待つ奇なる名の木のヘビノボラズの木
「ヘビノボラズの木」とは、「我が国に於いては愛知県田原市の黒河湿地や同じく豊田市の矢並湿地など限られた場所でしか見られない落葉小低木であり、葉の付け根に長く鋭い棘が二個~四個ずつ生え、蛇さえも登れそうもない樹木であるところから命名された」とか。
また「ミヤマシロチョウの幼虫が好んで食べる餌はヒロハノヘビノボラズの葉である」とか?
本作の作者、即ち長野県にお住いの根橋京子さんは、この奇妙な名前の木、即ち「ヘビノボラズの木」を自宅の裏庭か何処かの湿地に植え、「(絶滅が危惧されている)ミヤマシロチョウよ早くこの庭に戻って来なさいよ!」と、ひたすらに待っているのでありましょうか?
ところで、平安時代の短編小説集『堤中納言物語』中の白眉『虫めづる姫君』は次のような文言から始まる。
即ち、「蝶めづる姫君のすみたまふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふことかぎりなし。この姫君ののたまふこと、『人びとの、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり。本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ』とて、よろづの虫のおそろしげなるをとりあつめて、『これが成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。『中にも、かは虫の心ふかきさましたるこそ心にくけれ』とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせてまぼりたまふ。若き人びとはおぢまどひければ、男の童のものおぢせずいふかひなきを召し寄せては、この虫どもをとらせ、名を問ひ聞き、いまあたらしきには名をつけて興じたまふ。『人はすべて、つくろふところあるはわろし』とて、眉さらにぬきたまはず。歯黒めさらに、『うるさし、きたなし』とてつけたまはず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕に愛したまふ。人びとおぢわびて逃ぐれば、その御方はいとあやしくなむののしりける。かくおづる人をば『けしからず、ばうぞくなり』とて、いと眉黒にてなむにらみたまひけるに、いとど心地なむまどひける」と。
本作の作者も亦、「蝶愛づる姫君」の如く、眉毛を抜いてお歯黒にした「ばうぞく」なる女性でありましょうか?
〔返〕 殊更に湿地に我が家を建て増して絶滅危惧種の蝶待つ女
(摂津市・内山豊子)
〇 葉にひとつひすいの色のたまごうみ揚羽の親は子を見ず死ぬる
一席の根橋京子作品と同様に、本作も亦、女性歌人に拠る蝶の生態に取材した作品である。
したがって、この場面での選者・馬場あき子氏の選出方針は、席順や作品の巧拙にはそれほど拘泥すること無く、第一席に蝶の生態に取材した根橋京子作品を選出した序でに、それに続く第二席にも、同じく蝶の生態に取材した内山豊子作品を選出したものと推測される。
投稿作品の選出に当たって、選者諸氏がこうした遊び心を無闇矢鱈にご発揮なさることは必ずしも歓迎される事ではありません。
だが、時にはこうした遣り方も是としなければなりません。
何故ならば、短歌とは所詮「言葉の遊び」に過ぎず、「私の作品は、三席にされたから二席よりは下手と格付けされた!私は世間様に顔向けがならない!」といった代物ではありませんから!
〔返〕 わたくしも秀歌一首を世に残し子らに愛でられ死にたいものだ
(茨木市・瀬川幸子)
〇 ミャンマーの僧らが記念撮影す露座の大仏夏木立かな
詠い出しの「ミャンマー」を「ヤンマ」と読み間違えて、私は、つい、うっかり、「今週の馬場あき子選は、一席、二席、三席と続いて昆虫シリーズなのか?いくら何でもこれでは遣り過ぎだよ!」などと思ってしまいました。
「露座の大仏」と言えば、与謝野晶子がかって「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と詠んで天下の笑い者となった、通称「鎌倉の大仏」即ち「鎌倉の高徳院の阿弥陀如来像」があまりにも有名であるが、関西地方に於けるそれは、「兵庫大仏」の名で以って知られる「宝積山能福寺」の「毘廬舎那仏像」は、その高さ十八メートルにも及ぶ巨大な「露座の大仏」であるとのこと。
しかしながら、本作に登場する「露座の大仏」は、作中の「夏木立かな」という七音をも合わせて推測すると、やはり「鎌倉の大仏」がそれに該当するかと思われる?
〔返〕 釈迦牟尼は美男なれども無関係≪長谷の大仏・阿弥陀如来像≫
(水戸市・塙由夫)
〇 時計草の咲く兆しあり蟻たちの蕾を巡る足速まりて
「それ!時計草の花が咲くぞ!それ!大急ぎで蜜を集めなければ女王蟻様の怒りを買うぞ!それ!蜜蜂なんかに負けては居られないぞ!」とばかりに、わずか六本に過ぎない足の働きを速めている蟻の姿が彷彿とされる作品である。
ところで、今更、負け惜しみみたいなことを言いますが、三席の瀬川幸子作品が、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品では無くて、「ヤンマの生態」に取材した作品であったならば、一席、二席、三席に加えて四席の入選作品も、身の回りに生息する昆虫の生態に取材した作品になるところでありました。
と言うことになると、三席入選者の瀬川幸子さんが「ヤンマの生態」に取材した歌を投稿せずに、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品を投稿したことがあまりにも惜しまれるのである。
事の序でに申し上げますと、選者の馬場あき子先生はご年齢の所為かも知れませんが、この頃は、身の周りの小動物の生態や草花などに関心をお持ちになって居られるようである。
私の手元に在る、結社誌「かりん」の五月号には、馬場あき子先生の御作として、次の七首が掲載されている。
〇 ちゆうりつぷぎらひさりとて理由なしただ模様なす群生あはれ
〇 ふふみゆく杏の花のほのけさを目守りゐてひとひ幸ひふかし
〇 をんなのかほ濃くもうすくもおほひゆくおしろいといふあやしきものは
〇 化粧水乳液などを吸ふといふあやしき膚をもてるいきもの
〇 清少納言紫式部の化粧術いかなりし桜見る昼の日は
〇 老いぬれば眉引き乱れむつかしき面妖のこと知る齢となる
〇 人身事故つまりは鉄道自殺者に驚かぬ日々ただ春の風
〔返〕 老いぬれど眉引き乱れぬ美しさ馬場あき子師のいのち永久なれ 鳥羽省三
(大和郡山市・四方護)
〇 ただ生きんと金魚犇きあぎといぬ生餌と書かれし袋の中で
一首の意は、「ただひたすらに生きようとしているのか、金魚たちが生餌と書かれたポリ袋の中で互いに蠢き合い、口をぱくぱくさせ合って泳いでいる」といったところでありましょう。
ところで、本作の要を為す語の一つは、「魚が水面近くに浮いて来て口をぱくぱくする」という意の動詞「あぎとふ」であるから、三句目の五音は「歴史的仮名遣ひ」を用いて「あぎとひぬ」としなければなりません。
本作では、「生きん」の「ん」及び「あぎといぬ」の「ぬ」、そして「書かれし」の「れ」及び「し」と、助動詞を四語用いているが、それらの助動詞は全て文語の助動詞であり、これら四語の文語助動詞を除いては本作は短歌として成立しません。
という事は、本作はそもそもの発想からして「文語短歌」であり、であるからには、「歴史的仮名遣ひ」を用いて表記しなければなりません。
いつまでも「文語のいいとこ取り」をしているようでは、「歌人ちゃん」のレベルを脱し切れません。
「表記は現代仮名遣いであるが必要に応じて古語も用いる」といった、ご都合主義的な遣り方をしていたら埒が開きません。
〔返〕 ひたすらに生きむとしてか山出しの官房長官一所懸命
(熊谷市・内野修)
〇 失言と頭を下げてゐる背より変はらぬ本音立ち上がりくる
石原環境相の例の「金目発言」を皮肉っているのでありましょうか?
〔返〕 放言を撤回もせず慎ちゃんの子息伸晃絶体絶命
(富山市・土谷清)
〇 解釈が自由に出来る憲法は英訳不能理解も不能
仰る通りかも知れませんが、作者の狙わんとする所が僅かばかり気にはなります。
〔返〕 解釈が自由に出来る憲法は頭痛腹痛特効薬だ
(富山市・松田梨子)
〇 土曜日は衣装合わせで盛り上がるコンサート近づくコーラス部
先週の土曜日はパート別に練習して盛り上がったのでありましょうか?
そして、コンサートの翌日の来週の月曜日は、反省会の席上で「意外にも客席がガラガラであった?」などと口に出す部員が居たりして、盛り上がらないままに散会してしまったりもするのでしょうか?
〔返〕 コンサートの衣装を手作りミシン掛けトーカイで買ったサテンの生地で
(横浜市・飯島幹也)
〇 吾が父の下着に大きく名前書く老人ホームに入る準備に
是も亦、広義の意味の「終活」でありましょうか?
〔返〕 父の履く靴にも小さく名前書く老人ホームで混乱せぬよう
(東金市・山本寒苦)
〇 山寺へ芭蕉も渡る川の澄み大き鯎の群れも動かず
俳聖・松尾芭蕉弟子の河合曽良と共に、「奥の細道」の途次の元禄二年(旧暦)5月27日(新暦7月13日)に、紅花を扱う尾花沢の豪商・鈴木清風の薦めに従って、清風の仕立てた馬に跨って山寺参詣に出掛けたのであったが、その途中、山寺の麓を流れる立谷川に架かる宝珠橋を渡ったに違いない。
本作の歌い出しに見られる「山寺へ芭蕉も渡る川の澄み」とは、その「宝珠橋の上から眺めた立谷川の清流」の謂いかと思われるのであるが、山形県天童市にお住いで、山岳信仰の山・山寺に就いても詳しい今野幸生さんのお考えは如何でありましょうか?
〔返〕 姦しく耳に轟くヘリの音 原潜アッシュビル横須賀入りか?
(長野県・根橋京子)
〇 ミヤマシロチョウはや戻り来よ植えて待つ奇なる名の木のヘビノボラズの木
「ヘビノボラズの木」とは、「我が国に於いては愛知県田原市の黒河湿地や同じく豊田市の矢並湿地など限られた場所でしか見られない落葉小低木であり、葉の付け根に長く鋭い棘が二個~四個ずつ生え、蛇さえも登れそうもない樹木であるところから命名された」とか。
また「ミヤマシロチョウの幼虫が好んで食べる餌はヒロハノヘビノボラズの葉である」とか?
本作の作者、即ち長野県にお住いの根橋京子さんは、この奇妙な名前の木、即ち「ヘビノボラズの木」を自宅の裏庭か何処かの湿地に植え、「(絶滅が危惧されている)ミヤマシロチョウよ早くこの庭に戻って来なさいよ!」と、ひたすらに待っているのでありましょうか?
ところで、平安時代の短編小説集『堤中納言物語』中の白眉『虫めづる姫君』は次のような文言から始まる。
即ち、「蝶めづる姫君のすみたまふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふことかぎりなし。この姫君ののたまふこと、『人びとの、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり。本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ』とて、よろづの虫のおそろしげなるをとりあつめて、『これが成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。『中にも、かは虫の心ふかきさましたるこそ心にくけれ』とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせてまぼりたまふ。若き人びとはおぢまどひければ、男の童のものおぢせずいふかひなきを召し寄せては、この虫どもをとらせ、名を問ひ聞き、いまあたらしきには名をつけて興じたまふ。『人はすべて、つくろふところあるはわろし』とて、眉さらにぬきたまはず。歯黒めさらに、『うるさし、きたなし』とてつけたまはず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕に愛したまふ。人びとおぢわびて逃ぐれば、その御方はいとあやしくなむののしりける。かくおづる人をば『けしからず、ばうぞくなり』とて、いと眉黒にてなむにらみたまひけるに、いとど心地なむまどひける」と。
本作の作者も亦、「蝶愛づる姫君」の如く、眉毛を抜いてお歯黒にした「ばうぞく」なる女性でありましょうか?
〔返〕 殊更に湿地に我が家を建て増して絶滅危惧種の蝶待つ女
(摂津市・内山豊子)
〇 葉にひとつひすいの色のたまごうみ揚羽の親は子を見ず死ぬる
一席の根橋京子作品と同様に、本作も亦、女性歌人に拠る蝶の生態に取材した作品である。
したがって、この場面での選者・馬場あき子氏の選出方針は、席順や作品の巧拙にはそれほど拘泥すること無く、第一席に蝶の生態に取材した根橋京子作品を選出した序でに、それに続く第二席にも、同じく蝶の生態に取材した内山豊子作品を選出したものと推測される。
投稿作品の選出に当たって、選者諸氏がこうした遊び心を無闇矢鱈にご発揮なさることは必ずしも歓迎される事ではありません。
だが、時にはこうした遣り方も是としなければなりません。
何故ならば、短歌とは所詮「言葉の遊び」に過ぎず、「私の作品は、三席にされたから二席よりは下手と格付けされた!私は世間様に顔向けがならない!」といった代物ではありませんから!
〔返〕 わたくしも秀歌一首を世に残し子らに愛でられ死にたいものだ
(茨木市・瀬川幸子)
〇 ミャンマーの僧らが記念撮影す露座の大仏夏木立かな
詠い出しの「ミャンマー」を「ヤンマ」と読み間違えて、私は、つい、うっかり、「今週の馬場あき子選は、一席、二席、三席と続いて昆虫シリーズなのか?いくら何でもこれでは遣り過ぎだよ!」などと思ってしまいました。
「露座の大仏」と言えば、与謝野晶子がかって「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と詠んで天下の笑い者となった、通称「鎌倉の大仏」即ち「鎌倉の高徳院の阿弥陀如来像」があまりにも有名であるが、関西地方に於けるそれは、「兵庫大仏」の名で以って知られる「宝積山能福寺」の「毘廬舎那仏像」は、その高さ十八メートルにも及ぶ巨大な「露座の大仏」であるとのこと。
しかしながら、本作に登場する「露座の大仏」は、作中の「夏木立かな」という七音をも合わせて推測すると、やはり「鎌倉の大仏」がそれに該当するかと思われる?
〔返〕 釈迦牟尼は美男なれども無関係≪長谷の大仏・阿弥陀如来像≫
(水戸市・塙由夫)
〇 時計草の咲く兆しあり蟻たちの蕾を巡る足速まりて
「それ!時計草の花が咲くぞ!それ!大急ぎで蜜を集めなければ女王蟻様の怒りを買うぞ!それ!蜜蜂なんかに負けては居られないぞ!」とばかりに、わずか六本に過ぎない足の働きを速めている蟻の姿が彷彿とされる作品である。
ところで、今更、負け惜しみみたいなことを言いますが、三席の瀬川幸子作品が、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品では無くて、「ヤンマの生態」に取材した作品であったならば、一席、二席、三席に加えて四席の入選作品も、身の回りに生息する昆虫の生態に取材した作品になるところでありました。
と言うことになると、三席入選者の瀬川幸子さんが「ヤンマの生態」に取材した歌を投稿せずに、「ミャンマーの僧ら」の「記念撮影」風景に取材した作品を投稿したことがあまりにも惜しまれるのである。
事の序でに申し上げますと、選者の馬場あき子先生はご年齢の所為かも知れませんが、この頃は、身の周りの小動物の生態や草花などに関心をお持ちになって居られるようである。
私の手元に在る、結社誌「かりん」の五月号には、馬場あき子先生の御作として、次の七首が掲載されている。
〇 ちゆうりつぷぎらひさりとて理由なしただ模様なす群生あはれ
〇 ふふみゆく杏の花のほのけさを目守りゐてひとひ幸ひふかし
〇 をんなのかほ濃くもうすくもおほひゆくおしろいといふあやしきものは
〇 化粧水乳液などを吸ふといふあやしき膚をもてるいきもの
〇 清少納言紫式部の化粧術いかなりし桜見る昼の日は
〇 老いぬれば眉引き乱れむつかしき面妖のこと知る齢となる
〇 人身事故つまりは鉄道自殺者に驚かぬ日々ただ春の風
〔返〕 老いぬれど眉引き乱れぬ美しさ馬場あき子師のいのち永久なれ 鳥羽省三
(大和郡山市・四方護)
〇 ただ生きんと金魚犇きあぎといぬ生餌と書かれし袋の中で
一首の意は、「ただひたすらに生きようとしているのか、金魚たちが生餌と書かれたポリ袋の中で互いに蠢き合い、口をぱくぱくさせ合って泳いでいる」といったところでありましょう。
ところで、本作の要を為す語の一つは、「魚が水面近くに浮いて来て口をぱくぱくする」という意の動詞「あぎとふ」であるから、三句目の五音は「歴史的仮名遣ひ」を用いて「あぎとひぬ」としなければなりません。
本作では、「生きん」の「ん」及び「あぎといぬ」の「ぬ」、そして「書かれし」の「れ」及び「し」と、助動詞を四語用いているが、それらの助動詞は全て文語の助動詞であり、これら四語の文語助動詞を除いては本作は短歌として成立しません。
という事は、本作はそもそもの発想からして「文語短歌」であり、であるからには、「歴史的仮名遣ひ」を用いて表記しなければなりません。
いつまでも「文語のいいとこ取り」をしているようでは、「歌人ちゃん」のレベルを脱し切れません。
「表記は現代仮名遣いであるが必要に応じて古語も用いる」といった、ご都合主義的な遣り方をしていたら埒が開きません。
〔返〕 ひたすらに生きむとしてか山出しの官房長官一所懸命
(熊谷市・内野修)
〇 失言と頭を下げてゐる背より変はらぬ本音立ち上がりくる
石原環境相の例の「金目発言」を皮肉っているのでありましょうか?
〔返〕 放言を撤回もせず慎ちゃんの子息伸晃絶体絶命
(富山市・土谷清)
〇 解釈が自由に出来る憲法は英訳不能理解も不能
仰る通りかも知れませんが、作者の狙わんとする所が僅かばかり気にはなります。
〔返〕 解釈が自由に出来る憲法は頭痛腹痛特効薬だ
(富山市・松田梨子)
〇 土曜日は衣装合わせで盛り上がるコンサート近づくコーラス部
先週の土曜日はパート別に練習して盛り上がったのでありましょうか?
そして、コンサートの翌日の来週の月曜日は、反省会の席上で「意外にも客席がガラガラであった?」などと口に出す部員が居たりして、盛り上がらないままに散会してしまったりもするのでしょうか?
〔返〕 コンサートの衣装を手作りミシン掛けトーカイで買ったサテンの生地で
(横浜市・飯島幹也)
〇 吾が父の下着に大きく名前書く老人ホームに入る準備に
是も亦、広義の意味の「終活」でありましょうか?
〔返〕 父の履く靴にも小さく名前書く老人ホームで混乱せぬよう
(東金市・山本寒苦)
〇 山寺へ芭蕉も渡る川の澄み大き鯎の群れも動かず
俳聖・松尾芭蕉弟子の河合曽良と共に、「奥の細道」の途次の元禄二年(旧暦)5月27日(新暦7月13日)に、紅花を扱う尾花沢の豪商・鈴木清風の薦めに従って、清風の仕立てた馬に跨って山寺参詣に出掛けたのであったが、その途中、山寺の麓を流れる立谷川に架かる宝珠橋を渡ったに違いない。
本作の歌い出しに見られる「山寺へ芭蕉も渡る川の澄み」とは、その「宝珠橋の上から眺めた立谷川の清流」の謂いかと思われるのであるが、山形県天童市にお住いで、山岳信仰の山・山寺に就いても詳しい今野幸生さんのお考えは如何でありましょうか?
〔返〕 姦しく耳に轟くヘリの音 原潜アッシュビル横須賀入りか?