「黒田英雄の安輝素日記」(№2477)に、「『塔』八月号・陽の当たらない名歌選1」と銘打って、結社誌「塔」の会員の方々の傑作25首が掲載されていた。
黒田英雄さんと言えば、「短歌というものは、如何に詠むかという事よりも、何を詠むかという事が大事である」という、独自の短歌観に基づいて偏向的な選定をしている方であるが、彼の選定になる、結社誌「塔」及び「短歌人」からの選出作品には、私にとっては少なからぬ魅力を感じるのであり、就きましてはこの機会を利用して拙い寸評などを述べさせていただきます。
○ 誰にでもさみしいと言ふ癖のあるこの娘は存外満たされてゐる 毛利さち子
「誰にでもさみしいと言ふ癖のあるこの娘は存外満たされてゐる」という、本作の作者の認識は、人間心理の一側面に就いて述べたものとしても、ある程度、妥当と言える認識なのかも知れません。
とは言えど、それは当該者たる「娘」の生い立ちや現在の境遇などに応じて様々なるケースがありますから、一方的にそうとばかり決め付けていてはいけません。
その事を具体的かつ卑近的な例を上げて説明しますと、「誰にでもさみしいと言ふ癖のある」件の「娘」は、本作の作者・毛利さち子さんの娘さんでありましょうか、それとも、行き付けの酒場の莫連女でありましょうか?
私の少ない経験から述べさせて頂きますと、昨今の場末の酒場などには、この種の言葉を口にして男たちの関心をそそり、しこたま飲ませ、有り金全部をふんだくろうとする莫連女が居るのであり、今から五年前のある秋の一夜の事であるが、私もその当時滞留していた埼玉県川口市青木町の飲み屋で此の手の莫連女の口車にまんまと乗せられ、財布の中身・十数万円を残らずふんだくられたことがありますから、世の男性諸君はよくよく注意して事に当たらなければなりません。(事に当たるとはどんな意味ですか?蔭の声)
仮に、件の「娘」さんが作者の娘さんであった場合に於いても、母親としての毛利さち子さんは、「この娘」の普段からの行状によくよく注意しておく必要があり、「此れもかねてよりの母親としての私の愛情の賜物でありましょう」などと安心して居てはいけません。
この手の娘さんの帰宅時間が午後10時を回っていたりすると、彼女が援交に走っている可能性が大であり、更に想像を逞しくして申せば、彼女の援交の相手が毛利さち子さんよりもずっとずっと高齢の独身男性であったりして、その裡に娘さんから「お母さん、私はあのお爺さんと結婚する事に決めましたから、来月から高校を中退して、この家から出て行きたいと思ってます」などと打ち明けられたりする可能性だって無きにしもあらずなのである。
〔返〕 母の愛に満たされているはずなるが耄碌爺の魔羅に満たされ
○ この子はもう帰って来ない 仕送りをすればメールで礼を言いくる 宮地しもん
「メール」でも何でも「礼を言いくる」だけでも「善し」としなければなりません。
〔返〕 「金送れ!心配無用!」とメールあり心配せずに居られるもんか
○ 父の日も母の日も無いあの頃は父の座があり母の座があり 坂上民江
生きている事を、今の暮らしがある事を、誰に感謝されないまでも、あの頃の狭い家の中には、確かに「父の座があり母の座」が在ったのである。
それなのに、今は行政主導の「父の日も母の日」も在るが、肝心要の「父」や「母」を老人福祉施設のベッドの中に閉じ込めておくのである。
〔返〕 母の日は確かに在るが父の日は在ること在るが贈り物無し
○ 関西の男は使はぬ「俺たち」を応援歌なら声合はせをり 朝井さとる
関東の男たちならば「俺たち」と言って意気がって見せる場面を、「関西の男」たちは「おいら」と言うそうですが、そもそも「おいら」では男性の自称の単数を指す言葉であり、意気がるも意気がらぬも無い事ではありませんか?
〔返〕 おまいらに八尾の男の意気の好さ知らしたらんか掛かって来いよ
○ 窓伝ふ雨に景色は歪みをり汁のわかめを箸におよがす 筑井悦子
「汁のわかめを箸におよがす」という、下の二句に生活の匂いを感じて、黒田英雄さんは、この一首を選んだのでありましょうか?
この下の句から察するに、作者の筑井悦子さんは病気療養中かとも思われる。
〔返〕 窓伝う蠅の歩みのおろおろと我が療養も二年目の冬
○ 眠りいるあいだに癒えるかなしみのひとつと思いまた眠るなり 永田 愛
仰る通り、「眠りいるあいだに癒えるかなしみ」というもの確かに在るように思います。
でも、そのように感じた場合は、私ならば却って眠れなくなってしまいますが、永田愛さんともなれば、「また眠るなり」となってしまうのであるから、長年の短歌修行も決して無駄ではなかったという事にもなりましょう。
〔返〕 湯治場の二泊三日の素泊まりで恋の病も既に癒えたり
○ 一瞬を不安よぎれり卓の上の息子の名前に社長とあれば 福政ますみ
「今どきの社長と来たら、碌な事をしない筈だ」と、母親としての福政ますみさんは、直感的に思ったのでありましょうか?
〔返〕 我が腹を痛めて生んだ子であれば真面な社長になれるはず無し
○ 借り部屋の更新の春うつぶせに六畳を抱くかたちに眠る 沼尻つた子
掲載歌中、第一番の出来栄えの作品として、感動を覚えながら読ませていただきました。
それにしても今どき、わずか「六畳」一間のアパートに寝起きしているとは、本作の作者の沼尻つた子さんの哀しい境遇を思って、私は不覚にも涙を流してしまいました。
「うつぶせに六畳を抱くかたちに眠る」という下の句の表現に拠ると、作者の沼尻つた子さんは、件のアパートの家主さんから「間代の値上げに応じなければ退去せよ」との恐喝めいた言葉を押し付けられたのでありましょうか?
〔返〕 一夜のみ今宵限りのアパートで涙で濡れた枕抱き寝る
○ カーテンが「し」の字になつたと子の言へり南風吹く春は来にけり 杉本潤子
「カーテンが『し』の字になつた」程度では、まだまだ庭の梅が綻ぶ程度の微風でありましょう。
その裡に、カーテンが吹き飛ばされてしまう春一番の風が遣って来ますから、窓を開けっぱなしにしていてはいけません。
〔返〕 カーテンが濡れてしまってぐじゃぐじゃになってしまった二百十日の夜
○ 娘を守ることが一番 よそ者はよそ者でもいいよその土地では 片山楓子
「他所者は可愛くない子もお出迎え」との一句もありますから、知らない土地での母子の二人暮らしは、「娘を守ることが一番」です。
「よその土地」に馴染み、その土地の人々から愛され、可能ならばしよう、などと思ったりしてはいけません。
住み厭きたり、何かのトラブルに巻き込まれそうになったら、母子ともども、また別の土地に行って住めばいいだけのことでありますから(なんちゃったりして。笑)
それにしても「よそ者はよそ者でもいいよその土地では」とまで開き直るとは、本作の作者の片山楓子さんは、只の母親ではありません。
〔返〕 他所者は他所者なりのお賽銭旅路の神は頼むに足らず
○ 「オルガドロン」核ミサイルのやうな名の目薬がいつもポケットにあり 苅谷君代
本作の作者は苅谷君代さんである。
苅谷君代さんと言えば、かつては神奈川県立橋本高校の国語科の教師として、新米教師の俵万智教諭と妍を競った女性歌人でありますが、その後、お身体のお加減は如何でありましょうか?
「塔21世紀叢書」の一冊としてご刊行なさった、歌集『初めての<青>』所収の次のような作品に拠ると、ご在職中に強度の「眼疾」にお悩みのご様子ですが、件の歌集のタイトルから察するとご全快なさってご様子。
先ずはご全快おめでとうございます。
○ 執刀の医師の握れるメスの先ほのかに見えて切り開かるる目
○ 水晶体の濁りを砕きしのちの眸に映る空あり初めての<青>
○ 答案用紙に目を擦りつけて採点すかかる姿勢は人には見せず
○ 白杖の先をゆつくり辷らせてわが掌に伝はる舗道の窪み
○ 少女は見えぬ目を光の方にむけて「春の匂ひ」とよろこびてをり
○ 夢の中に本を読みたるときめきよ目覚めてなほも動悸はやまず
○ 指先に「読む」六点の凹凸が無機質の塊の如くに並ぶ
○ 活字なき日々はつらかりこの夏を本一冊も読まず逝かしむ
○ 他人(ひと)の表情(かお)わからぬゆゑに丁寧に物言へばつけこむ人もありたり
○ 手探りに廊下を伝ひくる少女、魚の跳ねる動作に似たり
〔返〕 初めての青の匂ひに泣きをらむ眼疾全快先づはめでたし
○ 人生のある一点などといふものの我にはなくて土手の蒲公英 松木乃り
「『蒲公英』の花は、『土手』の道沿いに点々として生えているのであるが、『人生のある一点などといふ』曖昧で気休め的な『もの』は『我にはなくて』」という意でありましょうか?
〔返〕 気休めであるも亦佳し土手沿いに蒲公英のはな点々と咲く
○ 病棟のエレベーターは一階の茶房の香りつれて来たりぬ 園田昭夫
入院中の患者が「一階の茶房」まで足を運んで、熱いコーヒーの香りをさせて「エレベーター」に乗って戻って来るとは、この女性は近々退院をするのでありましょうか?
〔返〕 ぷんぷんと死臭浸み入る病院のエレベーターに乗りたくはなし
○ 眼鏡かけうつむくひとよ光りつつ滴る痛み耐へてゐるのか 新井 蜜
「光りつつ滴る痛み」という三、四句目の十二音は、仮に実景としても、その意味が分りません。
或いは、「眼鏡かけうつむくひと」の独特の目配せに、作者の新井蜜さんが、殺意にも通じる痛みを感じたのでありましょうか?
〔返〕 眼鏡掛け俯く時の汝が顔の父親殺しの犯人に似る
○ 脇役のようにたたずむ 地下鉄のホームの隅で咳をしながら 工藤吉生
「地下鉄のホームの隅で咳をしながら」佇んで居れば、誰でも芝居の「脇役」に見られる訳はありませんよ!
要は容貌次第。
苦み走ったいい男でなければ、せいぜいのところ「お笑い」ぐらいにしか見られませんよ!
〔返〕 風邪ひいて咳をするにもポーズ取る劇団「雲」の大根役者
○ 今がもう思い出だから痛くない 噛みしめて踏みしめて働く 吉岡昌俊
本作の作者・吉岡昌俊さんは、いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる職場で不当労働行為を強いられている労働者と思われるのであるが、「乞食も三日やれば止められない」という俚諺どおりに、今となっては、全てが「思い出だから痛くも痒くもない」という心境に達しているものと思われる。
三ヶ月休み無しの不当労働をも「噛みしめて踏みしめて働く」という訳なのである。
〔返〕 すき屋にて二十四時間眠らずに働いたことさえ今は思い出
○ 猫の足がそつと近づくやうなあめ春にはそんな雨をこぼして 加藤 紀
「猫の足がそつと近づくやうな」という語句は、「春雨」の直喩として用いられているのであるが、その観察眼の細やかさと発想の目新しさが買われての黒田英雄選への入選でありましょう。
〔返〕 春雨が我が家の屋根を濡らすごと二匹の猫が忍び足にて寄る
○ 絶対に焼いてないよな3分を過ぎさせカップ焼きそばを食う 相原かろ
「カップ焼きそば」も、その名が「焼きそば」であるからには、カップの中に熱湯を注いでから「3分」を過ぎると焼いたことになる、という理屈なのかしら?
だとしても、この屁理屈だけの作品は面白くも可笑しくも無いから、選者の黒田英雄さんの選出ミスと言うべきである。
〔返〕 絶対に焼いてないよな振りをして人の恋路に邪魔立てするな!
○ うみがめのような子らなり這い上がる夜明けの部屋を布団の上へ 矢澤麻子
「布団」を積み上げた上に乗って遊ぶ事は、旅行先の旅館や帰省先の母の実家に於いて、子供たちがよく遣らかす遊びである。
それを以って、生れた砂浜から海へと夜明け前に巣立って行く「うみがめ」の子に見立てたのは、なかなか新鮮なる見立てではある。
〔返〕 猫の仔が炬燵に潜り込む如く母親我を慕える子らよ
○ 結婚はまだですかなんて聞かないで息子より私が傷ついてます 石井久美子
三十代も半ば過ぎになるのにも関わらず未だ独り身の「息子」を持てば、他人様から「結婚はまだですか?」なんて訊ねられれば、息子本人よりも母親である私の方が「傷ついてます」から、そんな事は訊ねないで欲しい、という訳なのである。
〔返〕 初孫を抱いてみたいと思えどもその前提の結婚もまだ
○ 学校ではとても元気で良い子ですと言ふ担任の揺れるピアス見る 花 凜
お子様の学級担任の若い女教師から「学校ではとても元気で良い子です」と言われた花凜さんご自身は、残念ながら、耳たぶに「揺れる」ような「ピアス」を付けるような年限を過ぎている母親なのかも知れません。
最近の母親はさんざん独身生活を楽しんだ後、四十才近くになってから結婚し、出産したりする例が多いから、本作の作者の花凜さんもお名前には似合わず、その一例なのかも知れません。
〔返〕 名は「花凜」、何と読むかは知らねども五十路半ばで小二の母だ
○ 母親の前にてわれは泣きはらすことあらざりき この娘のように 黒沢 梓
近頃の娘たちは、さんざんぱら親不孝をしているくせして、これぞという場面になったら、恥も外聞も気にせずに、大袈裟のポーズで泣きたい放題に泣きますからね!
「私もその半分くらいは母親の前で泣いてみたかった!」というのが、我が儘娘の母親たる黒沢梓さんの本音なのかも知れません。
〔返〕 泣きたくば泣きたい放題泣くがいい泣いたからとて小遣い遣らぬ
○ 住みにくさつらつらこぼす女将ありそを聞きたくて訪なふ京都 竹井佐知子
首席入選の毛利さち子さん作に登場する娘さん同様に、本作に登場する「京都」の老舗旅館の「女将」も亦、「存外満たされてゐる」のかも知れません。
〔返〕 住みにくさつらつらこぼす女将にて板に付きたる色里言葉
○ 手術着はこんなに冷たきものか暖房効きし部屋に着替へる 藁科山女
本作の作者・藁科山女さんは女医さんならぬ患者さん、即ち「俎板に載せられた山女」なのである。
「手術着」が藁科山女さんにとって予想外に冷たいのは、これから手術台に載せられて執刀されるからという気持ちの現れなのでありましょう。
〔返〕 手術着が死出の旅路の衣装にはなる訳ないから安心しなさい
○ 病む夫に怒る力のあることに安堵しており 爪切りてやる 相馬好子
未だ「怒る力のある」「夫」に引っ掻かれたりすると痛い思いをするから、「病む夫」の妻たる相馬好子さんは「爪」を切ってやるのであるが、「病む夫」にすれば、妻が自分の「爪」を切って呉れるのは、愛情の表れだろうなどと思っているのでありましょう。
〔返〕 病む夫に怒る力のあることは目出度くも在り目出度くも無し
保険金たんまり掛けているからに死んでしまうも困らぬ夫
黒田英雄さんと言えば、「短歌というものは、如何に詠むかという事よりも、何を詠むかという事が大事である」という、独自の短歌観に基づいて偏向的な選定をしている方であるが、彼の選定になる、結社誌「塔」及び「短歌人」からの選出作品には、私にとっては少なからぬ魅力を感じるのであり、就きましてはこの機会を利用して拙い寸評などを述べさせていただきます。
○ 誰にでもさみしいと言ふ癖のあるこの娘は存外満たされてゐる 毛利さち子
「誰にでもさみしいと言ふ癖のあるこの娘は存外満たされてゐる」という、本作の作者の認識は、人間心理の一側面に就いて述べたものとしても、ある程度、妥当と言える認識なのかも知れません。
とは言えど、それは当該者たる「娘」の生い立ちや現在の境遇などに応じて様々なるケースがありますから、一方的にそうとばかり決め付けていてはいけません。
その事を具体的かつ卑近的な例を上げて説明しますと、「誰にでもさみしいと言ふ癖のある」件の「娘」は、本作の作者・毛利さち子さんの娘さんでありましょうか、それとも、行き付けの酒場の莫連女でありましょうか?
私の少ない経験から述べさせて頂きますと、昨今の場末の酒場などには、この種の言葉を口にして男たちの関心をそそり、しこたま飲ませ、有り金全部をふんだくろうとする莫連女が居るのであり、今から五年前のある秋の一夜の事であるが、私もその当時滞留していた埼玉県川口市青木町の飲み屋で此の手の莫連女の口車にまんまと乗せられ、財布の中身・十数万円を残らずふんだくられたことがありますから、世の男性諸君はよくよく注意して事に当たらなければなりません。(事に当たるとはどんな意味ですか?蔭の声)
仮に、件の「娘」さんが作者の娘さんであった場合に於いても、母親としての毛利さち子さんは、「この娘」の普段からの行状によくよく注意しておく必要があり、「此れもかねてよりの母親としての私の愛情の賜物でありましょう」などと安心して居てはいけません。
この手の娘さんの帰宅時間が午後10時を回っていたりすると、彼女が援交に走っている可能性が大であり、更に想像を逞しくして申せば、彼女の援交の相手が毛利さち子さんよりもずっとずっと高齢の独身男性であったりして、その裡に娘さんから「お母さん、私はあのお爺さんと結婚する事に決めましたから、来月から高校を中退して、この家から出て行きたいと思ってます」などと打ち明けられたりする可能性だって無きにしもあらずなのである。
〔返〕 母の愛に満たされているはずなるが耄碌爺の魔羅に満たされ
○ この子はもう帰って来ない 仕送りをすればメールで礼を言いくる 宮地しもん
「メール」でも何でも「礼を言いくる」だけでも「善し」としなければなりません。
〔返〕 「金送れ!心配無用!」とメールあり心配せずに居られるもんか
○ 父の日も母の日も無いあの頃は父の座があり母の座があり 坂上民江
生きている事を、今の暮らしがある事を、誰に感謝されないまでも、あの頃の狭い家の中には、確かに「父の座があり母の座」が在ったのである。
それなのに、今は行政主導の「父の日も母の日」も在るが、肝心要の「父」や「母」を老人福祉施設のベッドの中に閉じ込めておくのである。
〔返〕 母の日は確かに在るが父の日は在ること在るが贈り物無し
○ 関西の男は使はぬ「俺たち」を応援歌なら声合はせをり 朝井さとる
関東の男たちならば「俺たち」と言って意気がって見せる場面を、「関西の男」たちは「おいら」と言うそうですが、そもそも「おいら」では男性の自称の単数を指す言葉であり、意気がるも意気がらぬも無い事ではありませんか?
〔返〕 おまいらに八尾の男の意気の好さ知らしたらんか掛かって来いよ
○ 窓伝ふ雨に景色は歪みをり汁のわかめを箸におよがす 筑井悦子
「汁のわかめを箸におよがす」という、下の二句に生活の匂いを感じて、黒田英雄さんは、この一首を選んだのでありましょうか?
この下の句から察するに、作者の筑井悦子さんは病気療養中かとも思われる。
〔返〕 窓伝う蠅の歩みのおろおろと我が療養も二年目の冬
○ 眠りいるあいだに癒えるかなしみのひとつと思いまた眠るなり 永田 愛
仰る通り、「眠りいるあいだに癒えるかなしみ」というもの確かに在るように思います。
でも、そのように感じた場合は、私ならば却って眠れなくなってしまいますが、永田愛さんともなれば、「また眠るなり」となってしまうのであるから、長年の短歌修行も決して無駄ではなかったという事にもなりましょう。
〔返〕 湯治場の二泊三日の素泊まりで恋の病も既に癒えたり
○ 一瞬を不安よぎれり卓の上の息子の名前に社長とあれば 福政ますみ
「今どきの社長と来たら、碌な事をしない筈だ」と、母親としての福政ますみさんは、直感的に思ったのでありましょうか?
〔返〕 我が腹を痛めて生んだ子であれば真面な社長になれるはず無し
○ 借り部屋の更新の春うつぶせに六畳を抱くかたちに眠る 沼尻つた子
掲載歌中、第一番の出来栄えの作品として、感動を覚えながら読ませていただきました。
それにしても今どき、わずか「六畳」一間のアパートに寝起きしているとは、本作の作者の沼尻つた子さんの哀しい境遇を思って、私は不覚にも涙を流してしまいました。
「うつぶせに六畳を抱くかたちに眠る」という下の句の表現に拠ると、作者の沼尻つた子さんは、件のアパートの家主さんから「間代の値上げに応じなければ退去せよ」との恐喝めいた言葉を押し付けられたのでありましょうか?
〔返〕 一夜のみ今宵限りのアパートで涙で濡れた枕抱き寝る
○ カーテンが「し」の字になつたと子の言へり南風吹く春は来にけり 杉本潤子
「カーテンが『し』の字になつた」程度では、まだまだ庭の梅が綻ぶ程度の微風でありましょう。
その裡に、カーテンが吹き飛ばされてしまう春一番の風が遣って来ますから、窓を開けっぱなしにしていてはいけません。
〔返〕 カーテンが濡れてしまってぐじゃぐじゃになってしまった二百十日の夜
○ 娘を守ることが一番 よそ者はよそ者でもいいよその土地では 片山楓子
「他所者は可愛くない子もお出迎え」との一句もありますから、知らない土地での母子の二人暮らしは、「娘を守ることが一番」です。
「よその土地」に馴染み、その土地の人々から愛され、可能ならばしよう、などと思ったりしてはいけません。
住み厭きたり、何かのトラブルに巻き込まれそうになったら、母子ともども、また別の土地に行って住めばいいだけのことでありますから(なんちゃったりして。笑)
それにしても「よそ者はよそ者でもいいよその土地では」とまで開き直るとは、本作の作者の片山楓子さんは、只の母親ではありません。
〔返〕 他所者は他所者なりのお賽銭旅路の神は頼むに足らず
○ 「オルガドロン」核ミサイルのやうな名の目薬がいつもポケットにあり 苅谷君代
本作の作者は苅谷君代さんである。
苅谷君代さんと言えば、かつては神奈川県立橋本高校の国語科の教師として、新米教師の俵万智教諭と妍を競った女性歌人でありますが、その後、お身体のお加減は如何でありましょうか?
「塔21世紀叢書」の一冊としてご刊行なさった、歌集『初めての<青>』所収の次のような作品に拠ると、ご在職中に強度の「眼疾」にお悩みのご様子ですが、件の歌集のタイトルから察するとご全快なさってご様子。
先ずはご全快おめでとうございます。
○ 執刀の医師の握れるメスの先ほのかに見えて切り開かるる目
○ 水晶体の濁りを砕きしのちの眸に映る空あり初めての<青>
○ 答案用紙に目を擦りつけて採点すかかる姿勢は人には見せず
○ 白杖の先をゆつくり辷らせてわが掌に伝はる舗道の窪み
○ 少女は見えぬ目を光の方にむけて「春の匂ひ」とよろこびてをり
○ 夢の中に本を読みたるときめきよ目覚めてなほも動悸はやまず
○ 指先に「読む」六点の凹凸が無機質の塊の如くに並ぶ
○ 活字なき日々はつらかりこの夏を本一冊も読まず逝かしむ
○ 他人(ひと)の表情(かお)わからぬゆゑに丁寧に物言へばつけこむ人もありたり
○ 手探りに廊下を伝ひくる少女、魚の跳ねる動作に似たり
〔返〕 初めての青の匂ひに泣きをらむ眼疾全快先づはめでたし
○ 人生のある一点などといふものの我にはなくて土手の蒲公英 松木乃り
「『蒲公英』の花は、『土手』の道沿いに点々として生えているのであるが、『人生のある一点などといふ』曖昧で気休め的な『もの』は『我にはなくて』」という意でありましょうか?
〔返〕 気休めであるも亦佳し土手沿いに蒲公英のはな点々と咲く
○ 病棟のエレベーターは一階の茶房の香りつれて来たりぬ 園田昭夫
入院中の患者が「一階の茶房」まで足を運んで、熱いコーヒーの香りをさせて「エレベーター」に乗って戻って来るとは、この女性は近々退院をするのでありましょうか?
〔返〕 ぷんぷんと死臭浸み入る病院のエレベーターに乗りたくはなし
○ 眼鏡かけうつむくひとよ光りつつ滴る痛み耐へてゐるのか 新井 蜜
「光りつつ滴る痛み」という三、四句目の十二音は、仮に実景としても、その意味が分りません。
或いは、「眼鏡かけうつむくひと」の独特の目配せに、作者の新井蜜さんが、殺意にも通じる痛みを感じたのでありましょうか?
〔返〕 眼鏡掛け俯く時の汝が顔の父親殺しの犯人に似る
○ 脇役のようにたたずむ 地下鉄のホームの隅で咳をしながら 工藤吉生
「地下鉄のホームの隅で咳をしながら」佇んで居れば、誰でも芝居の「脇役」に見られる訳はありませんよ!
要は容貌次第。
苦み走ったいい男でなければ、せいぜいのところ「お笑い」ぐらいにしか見られませんよ!
〔返〕 風邪ひいて咳をするにもポーズ取る劇団「雲」の大根役者
○ 今がもう思い出だから痛くない 噛みしめて踏みしめて働く 吉岡昌俊
本作の作者・吉岡昌俊さんは、いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる職場で不当労働行為を強いられている労働者と思われるのであるが、「乞食も三日やれば止められない」という俚諺どおりに、今となっては、全てが「思い出だから痛くも痒くもない」という心境に達しているものと思われる。
三ヶ月休み無しの不当労働をも「噛みしめて踏みしめて働く」という訳なのである。
〔返〕 すき屋にて二十四時間眠らずに働いたことさえ今は思い出
○ 猫の足がそつと近づくやうなあめ春にはそんな雨をこぼして 加藤 紀
「猫の足がそつと近づくやうな」という語句は、「春雨」の直喩として用いられているのであるが、その観察眼の細やかさと発想の目新しさが買われての黒田英雄選への入選でありましょう。
〔返〕 春雨が我が家の屋根を濡らすごと二匹の猫が忍び足にて寄る
○ 絶対に焼いてないよな3分を過ぎさせカップ焼きそばを食う 相原かろ
「カップ焼きそば」も、その名が「焼きそば」であるからには、カップの中に熱湯を注いでから「3分」を過ぎると焼いたことになる、という理屈なのかしら?
だとしても、この屁理屈だけの作品は面白くも可笑しくも無いから、選者の黒田英雄さんの選出ミスと言うべきである。
〔返〕 絶対に焼いてないよな振りをして人の恋路に邪魔立てするな!
○ うみがめのような子らなり這い上がる夜明けの部屋を布団の上へ 矢澤麻子
「布団」を積み上げた上に乗って遊ぶ事は、旅行先の旅館や帰省先の母の実家に於いて、子供たちがよく遣らかす遊びである。
それを以って、生れた砂浜から海へと夜明け前に巣立って行く「うみがめ」の子に見立てたのは、なかなか新鮮なる見立てではある。
〔返〕 猫の仔が炬燵に潜り込む如く母親我を慕える子らよ
○ 結婚はまだですかなんて聞かないで息子より私が傷ついてます 石井久美子
三十代も半ば過ぎになるのにも関わらず未だ独り身の「息子」を持てば、他人様から「結婚はまだですか?」なんて訊ねられれば、息子本人よりも母親である私の方が「傷ついてます」から、そんな事は訊ねないで欲しい、という訳なのである。
〔返〕 初孫を抱いてみたいと思えどもその前提の結婚もまだ
○ 学校ではとても元気で良い子ですと言ふ担任の揺れるピアス見る 花 凜
お子様の学級担任の若い女教師から「学校ではとても元気で良い子です」と言われた花凜さんご自身は、残念ながら、耳たぶに「揺れる」ような「ピアス」を付けるような年限を過ぎている母親なのかも知れません。
最近の母親はさんざん独身生活を楽しんだ後、四十才近くになってから結婚し、出産したりする例が多いから、本作の作者の花凜さんもお名前には似合わず、その一例なのかも知れません。
〔返〕 名は「花凜」、何と読むかは知らねども五十路半ばで小二の母だ
○ 母親の前にてわれは泣きはらすことあらざりき この娘のように 黒沢 梓
近頃の娘たちは、さんざんぱら親不孝をしているくせして、これぞという場面になったら、恥も外聞も気にせずに、大袈裟のポーズで泣きたい放題に泣きますからね!
「私もその半分くらいは母親の前で泣いてみたかった!」というのが、我が儘娘の母親たる黒沢梓さんの本音なのかも知れません。
〔返〕 泣きたくば泣きたい放題泣くがいい泣いたからとて小遣い遣らぬ
○ 住みにくさつらつらこぼす女将ありそを聞きたくて訪なふ京都 竹井佐知子
首席入選の毛利さち子さん作に登場する娘さん同様に、本作に登場する「京都」の老舗旅館の「女将」も亦、「存外満たされてゐる」のかも知れません。
〔返〕 住みにくさつらつらこぼす女将にて板に付きたる色里言葉
○ 手術着はこんなに冷たきものか暖房効きし部屋に着替へる 藁科山女
本作の作者・藁科山女さんは女医さんならぬ患者さん、即ち「俎板に載せられた山女」なのである。
「手術着」が藁科山女さんにとって予想外に冷たいのは、これから手術台に載せられて執刀されるからという気持ちの現れなのでありましょう。
〔返〕 手術着が死出の旅路の衣装にはなる訳ないから安心しなさい
○ 病む夫に怒る力のあることに安堵しており 爪切りてやる 相馬好子
未だ「怒る力のある」「夫」に引っ掻かれたりすると痛い思いをするから、「病む夫」の妻たる相馬好子さんは「爪」を切ってやるのであるが、「病む夫」にすれば、妻が自分の「爪」を切って呉れるのは、愛情の表れだろうなどと思っているのでありましょう。
〔返〕 病む夫に怒る力のあることは目出度くも在り目出度くも無し
保険金たんまり掛けているからに死んでしまうも困らぬ夫