(さとうはな)
○ 空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり
本作の作者の姓は「佐藤」でも「左藤」でもなく、「さとう」であり、名は「花」でも「華」でもなく、「はな」なのである。
つまり、本作は「佐藤花」さんや「左藤華」さんの作品ではなく、「さとうはな」さんの作品なのである。
いきなしにこんなくだらないことを言い出したので、数多くの読者諸氏の中には、「鳥羽省三もとうとうネタ切れになってしまったようだ!二、三ヶ月前までは毎日更新していたのに、この頃はそれも止めてしまったみたいだから、もしかしたら、持病が悪化してしてしまったのかも知れない。だとしたら、少し可哀想なことだ!」などと仰り、心配して下さる方が、三人程度は居られるかも知れない。
それらの方々が心配して下さるのも尤もであり、最近の私の健康状態は確かに良くなく、今夜も眠れないままに、午前三時前にベッドからもそもそと這い出し、する事なしにこんなどうでも宜しいみたいな事を書いているのである。
とは申せ、本作の鑑賞にこと寄せて、作者のお名前が「さとうはな」さんであることについて言い出したのは、筆者の私としてはそれなりに意味のあることであり、決してネタ切れになった訳でも、持病の悪化が理由でもありませんから、ご心配なく。
只今、六月二十七日の午前三時四十分、ラジオからは今は亡き石原裕次郎の『俺の小樽』という忘れかけていたムード歌謡が流れて来る。
弟の裕次郎ならともかくとして、その兄の東京都知事閣下が、少年時代にあの港町・小樽に住んでいたことを知らされて、私は少しく愕然として居ります。
小樽に住むに相応しい人間と言えば、小林多喜二とか、伊藤整とか、格別に繊細な心を持っている人かとばかり思っていたのに、およそ繊細さとは無縁な石原慎太郎が、例え一時期とは言え、小樽の住人であったことを知って、私は何故か、あの小樽が穢された街のように思われてならなかったのである。
「穢された」と言えば、かつての私の縁辺に、「佐藤花」なる女性が二人居て、二人とも「穢された」と言うに相応しい境涯を辿った人物なのである。
一人は、私の父の遠縁に当たる女性の「佐藤花」さん。
明治末年生まれの彼女は、父の言葉で言えば、いわゆる「売られて行った女」の一人で、後年、彼女は、真っ赤な衣装を纏って帰郷し、かつての自分と同じように貧しい少女二人を「買って」、意気揚々と東京に引き上げて行ったということである。
もう一人の「佐藤花」さんは、かつての私と同じ町内の住人で、彼女のご亭主の職業はいわゆる「高利貸し」であり、この男は、その当時の町内で名うての強欲爺として知られていたのであるが、その連れ合いの彼女は、夫以上の強欲婆として名を馳せ、昭和三十七年、古稀を迎える前に彼女があの世に旅立った日の夕方には、町内の有志が花火を上げた、とまで噂されていた女性なのである。
そんな「佐藤花」さんたちと同じ音の「さとうはな」さんという女性が、「空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり」と言う、おセンチな作品をお詠みになられたのである。
「名は体を表す」とは、「いとこのよっちゃん」が私の連れ合いの翔子の友人・野田祥子さんに当てて書いた今年の年賀状の中の言葉であるが、「『空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり』という作品は、何と“佐藤花”さんならぬ“さとうはな”さんに相応しい作品であろう」と、今朝の私は思っているのである。
只今、午前四時三十一分。
ラジオからは、癈人ならぬ俳人の黒田杏子さんが、「名残の花」について喋くり回っている声が聴こえて来る。
〔返〕 さとうはな、ポストカードの片隅に子犬の名さえ書き加えたり 鳥羽省三
只今、午前四時四十四分。
私の背後に在るラジオの中で、黒田杏子さんは、杖を突いて歩む人生の素晴らしさや俳句を詠んで生きる人生の素晴らしさについて、喋くり回っている。
(矢野理々座)
○ しずかちゃんとデート専用スーパーカードラえもんなら持っているかも
「しずかちゃんとデート専用スーパーカードラえもんなら持っているかも」という言い方が複雑である。
即ち、本作の作者は、「『ドラエもんなら』『しずかちゃん』と『デート』する時『専用』の『スーパーカー』を『持っているかも』?」と言いたいのか?
それとも、「『ドラえもんなら』『しずかちゃんとデート』するとき『専用』の『スーパーカード』を『持っているかも』?」と言いたいのか?
〔返〕 ランボルギーニ・カウンタックをぶっ飛ばせ しずかちゃんと共に地獄へのデート 鳥羽省三
(松木秀)
○ 年収百三十万の私にも発行されたりセゾンカードは
先方様、つまり「セゾン」側も商売ですから、「年収百三十万」だろうが九十六億だろうが関係無しに「カード」ぐらいは発行しますよ。
但し、実際に融資するかどうかについては別次元の話である。
〔返〕 恐らくは融資額ゼロに違いない!松木さんには金など貸せぬ! 鳥羽省三
(希屋の浦)
○ 人生がシャッフルされたカードには選択肢など書かれていない
「人生がシャッフルされた」という意識が宜しくない。
自分の「人生」は他人の手に拠って「シャッフル」されたものではなく、自分の意志によって選んだものなのである。
数多くの「選択肢」から自分の意志に拠って選んだものなのである。
〔返〕 万策も希望も尽きし希屋の浦裏も表も真っ暗である 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ カードなら馬鹿っ花歴二十年後ろ姿に五光射してる
柄にもなく、「馬鹿っ花」などというバサラな言葉を使ってみたかっただけのことである。
「後ろ姿に五光射してる」とは、全く恥ずかしい限りの表現である。
〔返〕 カードならイオンカード専用で貯めたポイント六万余点 鳥羽省三
○ 空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり
本作の作者の姓は「佐藤」でも「左藤」でもなく、「さとう」であり、名は「花」でも「華」でもなく、「はな」なのである。
つまり、本作は「佐藤花」さんや「左藤華」さんの作品ではなく、「さとうはな」さんの作品なのである。
いきなしにこんなくだらないことを言い出したので、数多くの読者諸氏の中には、「鳥羽省三もとうとうネタ切れになってしまったようだ!二、三ヶ月前までは毎日更新していたのに、この頃はそれも止めてしまったみたいだから、もしかしたら、持病が悪化してしてしまったのかも知れない。だとしたら、少し可哀想なことだ!」などと仰り、心配して下さる方が、三人程度は居られるかも知れない。
それらの方々が心配して下さるのも尤もであり、最近の私の健康状態は確かに良くなく、今夜も眠れないままに、午前三時前にベッドからもそもそと這い出し、する事なしにこんなどうでも宜しいみたいな事を書いているのである。
とは申せ、本作の鑑賞にこと寄せて、作者のお名前が「さとうはな」さんであることについて言い出したのは、筆者の私としてはそれなりに意味のあることであり、決してネタ切れになった訳でも、持病の悪化が理由でもありませんから、ご心配なく。
只今、六月二十七日の午前三時四十分、ラジオからは今は亡き石原裕次郎の『俺の小樽』という忘れかけていたムード歌謡が流れて来る。
弟の裕次郎ならともかくとして、その兄の東京都知事閣下が、少年時代にあの港町・小樽に住んでいたことを知らされて、私は少しく愕然として居ります。
小樽に住むに相応しい人間と言えば、小林多喜二とか、伊藤整とか、格別に繊細な心を持っている人かとばかり思っていたのに、およそ繊細さとは無縁な石原慎太郎が、例え一時期とは言え、小樽の住人であったことを知って、私は何故か、あの小樽が穢された街のように思われてならなかったのである。
「穢された」と言えば、かつての私の縁辺に、「佐藤花」なる女性が二人居て、二人とも「穢された」と言うに相応しい境涯を辿った人物なのである。
一人は、私の父の遠縁に当たる女性の「佐藤花」さん。
明治末年生まれの彼女は、父の言葉で言えば、いわゆる「売られて行った女」の一人で、後年、彼女は、真っ赤な衣装を纏って帰郷し、かつての自分と同じように貧しい少女二人を「買って」、意気揚々と東京に引き上げて行ったということである。
もう一人の「佐藤花」さんは、かつての私と同じ町内の住人で、彼女のご亭主の職業はいわゆる「高利貸し」であり、この男は、その当時の町内で名うての強欲爺として知られていたのであるが、その連れ合いの彼女は、夫以上の強欲婆として名を馳せ、昭和三十七年、古稀を迎える前に彼女があの世に旅立った日の夕方には、町内の有志が花火を上げた、とまで噂されていた女性なのである。
そんな「佐藤花」さんたちと同じ音の「さとうはな」さんという女性が、「空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり」と言う、おセンチな作品をお詠みになられたのである。
「名は体を表す」とは、「いとこのよっちゃん」が私の連れ合いの翔子の友人・野田祥子さんに当てて書いた今年の年賀状の中の言葉であるが、「『空色のポストカードの片隅の子犬にきみの名を名付けたり』という作品は、何と“佐藤花”さんならぬ“さとうはな”さんに相応しい作品であろう」と、今朝の私は思っているのである。
只今、午前四時三十一分。
ラジオからは、癈人ならぬ俳人の黒田杏子さんが、「名残の花」について喋くり回っている声が聴こえて来る。
〔返〕 さとうはな、ポストカードの片隅に子犬の名さえ書き加えたり 鳥羽省三
只今、午前四時四十四分。
私の背後に在るラジオの中で、黒田杏子さんは、杖を突いて歩む人生の素晴らしさや俳句を詠んで生きる人生の素晴らしさについて、喋くり回っている。
(矢野理々座)
○ しずかちゃんとデート専用スーパーカードラえもんなら持っているかも
「しずかちゃんとデート専用スーパーカードラえもんなら持っているかも」という言い方が複雑である。
即ち、本作の作者は、「『ドラエもんなら』『しずかちゃん』と『デート』する時『専用』の『スーパーカー』を『持っているかも』?」と言いたいのか?
それとも、「『ドラえもんなら』『しずかちゃんとデート』するとき『専用』の『スーパーカード』を『持っているかも』?」と言いたいのか?
〔返〕 ランボルギーニ・カウンタックをぶっ飛ばせ しずかちゃんと共に地獄へのデート 鳥羽省三
(松木秀)
○ 年収百三十万の私にも発行されたりセゾンカードは
先方様、つまり「セゾン」側も商売ですから、「年収百三十万」だろうが九十六億だろうが関係無しに「カード」ぐらいは発行しますよ。
但し、実際に融資するかどうかについては別次元の話である。
〔返〕 恐らくは融資額ゼロに違いない!松木さんには金など貸せぬ! 鳥羽省三
(希屋の浦)
○ 人生がシャッフルされたカードには選択肢など書かれていない
「人生がシャッフルされた」という意識が宜しくない。
自分の「人生」は他人の手に拠って「シャッフル」されたものではなく、自分の意志によって選んだものなのである。
数多くの「選択肢」から自分の意志に拠って選んだものなのである。
〔返〕 万策も希望も尽きし希屋の浦裏も表も真っ暗である 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ カードなら馬鹿っ花歴二十年後ろ姿に五光射してる
柄にもなく、「馬鹿っ花」などというバサラな言葉を使ってみたかっただけのことである。
「後ろ姿に五光射してる」とは、全く恥ずかしい限りの表現である。
〔返〕 カードならイオンカード専用で貯めたポイント六万余点 鳥羽省三