臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月18日掲載・其のⅠ・日曜夕刊早刷版)

2014年08月24日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(群馬県・小倉太郎)
〇  殺すこと殺されること抜きにして国益守るただにそう言う

 「殺戮を抜きにしては『国益守る』は不可能である」という理屈なのでありましょうか?
 だとしたら、「外交という手段に訴えて国益を守るべし」などという、朝日新聞社を初めとしたマスコミ各社の主張などは、「児戯にも等しい」という事になってしまいましょう。
 〔返〕  安倍ちゃんが可愛い孫を持ってたら解釈改憲遣ったか否か?


(前橋市・荻原葉月)
〇  妻も子も親もうからも憂ふらむ自衛隊員本音語らず

 私が秘密裏に接した情報に拠ると、現在の「自衛隊員」の7割以上は現行憲法の改正に反対しているとか?
 〔返〕  誰よりも自衛隊員本人が海外派兵を恐れているぞ


(名古屋市・諏訪兼位)
〇  パレスチナのガザはガーゼの語源の地人間の業深しいまも血塗られて

 「高野公彦選」の首席として既出。
 「パレスチナのガザ」地区に於いては、互いに対立する民族間の利害が因を為して古代から血みどろの戦闘が繰り返されて来たが故に、血を拭い、血を止める為の「ガーゼ」が大量に消費されていたものと思われる。
 「パレスチナのガザはガーゼの語源」という説は、そうした事情に因って成立した流説でありましょうか?
 〔返〕  血塗られてガーゼ壱枚風に舞ふ逝きにし子らは何も語らず

 
(八王子市・坂本ひろ子)
〇  手術より乳房に生れし片笑窪かかえてわれにほほえみのあり

 「片笑窪」と仰り、「われにほほえみのあり」とまで仰っているのであるが、その真実は、夜な夜な疼くような痛みを抱えて生きているのでありましょう。
 〔返〕  彼の日より胸に抱へし空洞が夜風に吹かれすすり泣きせむ


(清瀬市・石井孝)
〇  全英の八番ホールに雉出でて松山英樹の前を横切る
 
 どうせ、テレビ画面で視ただけの事でありましょう!
 ところで、大英帝国の国鳥は「ヨーロッパコマドリ」であるが、本作の作者の石井孝さんは、まさか其れと「雉」とを間違えているのではないでしょうね!
 〔返〕  全英の8番ホールに雉出でて松山英樹のボール転がす
      全英の8番ホールに雉が居てボールみたいな卵を産んだ


(東京都・上田結香)
〇  「お母さん」が私の天職なんだけど期間限定の仕事だからね

 「期間限定の仕事」を「天職」と言い張ってはいけません。
 「お母さん」業が上田結香さんの「期間限定の仕事」だとしたら、それは、昨今のマスコミの話題となっている「代理母」みたいなものではありませんか?
 〔返〕  「お母さん」は死んだ後でも「お母さん」掛け替への無き天職なるぞ
      「お母さん」は離婚した後も「お母さん」掛け替への無き天職ならむ


(廿日市市・上谷美智代)
〇  どんなにか辛き時でも空腹を知る悲しさよ飯をほおばる

 生き物としての人間の生理の哀しさを述べた作品でありましょうが、何しろ食べなきゃ死んでしまいますから、どんなに辛い時でも我慢して食べなきゃなりません。
 ところで、本作の詠い出しの「どんなにか辛き時でも」という言い方は、日本語の表現として、極めて変則的な言い方である。
 作者の意図としては、「どんなに辛き時でも」と言たかったのでありましょうが、それでは初句が字足らずになってしまうので、仕方が無くて「どんなにか辛き時でも」と言ってしまったのではありませんか?
 〔返〕  死ぬほどに辛き時でも空腹を覚ゆる吾はやはり生き物


(横浜市・折津侑)
〇  「おいちょっと寄ってくか」なんてお気軽にも誘(おび)けんね 柩を担ぐ

 死んでしまったらお酒を飲む事が出来ませんから、「『おいちょっと寄ってくか』なんてお気軽にも誘けんね」という事にもなりましょうか?
 〔返〕  「おい、ちょっと」寄ってくつもりが深酒に挙句の果ては脳卒中死
      「わい、ちよっと遣ってみたい」が深い仲挙句の果ては腹上死する


(日南市・宮田隆雄)
〇  もう二度と会うことのないあなたゆえもう一度だけさよならと言う

 宮崎県日南市と言えば、かつては新婚旅行のメッカとして知られた町である。
 その日南市にお住いの宮田隆雄さんは、彼女に振られたのでありましょうか?
 それとも振ったのでありましょうか?
 仮に「振られた」のであるとしたら、「もう二度と会うことのないあなた」に「もう一度だけさよならと言う」のは、あまりにも未練がましくはありませんか?
 そういう所が宮田隆雄さんの性格上の欠点であり、彼を袖にした彼女は、彼のそういう性格を嫌っているのでありましょう。
 〔返〕  もう二度と会うこと無いと決めたなら後振り向かず帰宅しなさい


(横浜市・敷田千尋)
〇  夏休み全部で三十八日なのにおなかをこわして一日ムダに

 選者の永田和宏先生の寸評に拠ると、本作の作者の敷田千尋さんは、「夏休みの自由研究」として、「毎日一首」短歌を詠むとのこと。
 短歌というものは足で詠むものではありませんから、「おなかをこわして」寝ていたって一日に一首くらいは楽に詠めますよ!
 私、鳥羽省三などは一日に百首くらい詠むのは、屁とも思いません。
 〔返〕  定年後来る日も来る日も夏休み一日百首も短歌詠んでる

今週の朝日歌壇から(8月18日掲載・其のⅡ・日曜朝刊早刷版)

2014年08月24日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(北広島市・軽部進)
〇  シシウドの花の白さよ熊も来る昆布干しおる知床番屋
 
 「シシウド」ぐらいならば、知床半島に限らず、日本全国あらゆる所の野山に自生していますから、格別に珍しくもありません。
 でも、「熊も来る」土地は、そんなに多くはありませんな?
 〔返〕  シシウドの花の白さに似ているな!儂の頭は白髪だらけだ!


(福島市・澤正宏)
〇  枝に似た鰓を頭の後に立て深山の山椒魚(ハンザキ)鰐のごと育つ
(狭山市・小塩慎介)
〇  かぶと虫孫から預かる二十匹夜闇に背を割り荒ぶるいのち

 福島市にお住いの澤正宏さんの作品は「『山椒魚』通称<ハンザキ>の生態的特徴をよく捉え得た一首である」が、狭山市にお住いの小塩慎介さんの作品は「かぶと虫の生態をよく捉え得た作品である」と評する以外に、評者の私としては何も言いたい事がありません。
 〔返〕  お祭りの夜店で買える甲虫 山椒魚は何処でも買えぬ


(横浜市・飯島幹也)
〇  遊園地コーヒーカップに一人乗る初老の男に夕立が降る
 
 「件の『初老の男』の正体は、もしかしたら<幼女誘拐犯>かも知れませんよ?」と、言いたいばかりの内容の一首である。
 〔返〕  浅草の雷門の下に立ち初老の男が思案気な顔


(西宮市・室文子)
〇  お母さんと新潟に帰省した夜に田舎の味の豆ごはん食う

 「お母さんと新潟に帰省した夜に田舎の味の豆ごはん食う」、以上報告終り、といった内容ではありませんか!
 いくら何でも、これでは酷過ぎますよ!
 〔返〕  新潟に母と一緒に行った夜父は会社で夜勤をしてた


(富山市・松田わこ)
〇  パパ似ともねえちゃん似ともママ似とも言われる私どれもうれしい

 此処まで手放しで言われると、唖然として聴いている他ありません。
 〔返〕  パパ似でもねえちゃん似でもママ似でも松田わこちゃん松田家の子だ


(館林市・阿部芳夫)
〇  さわやかな風をこの身にまき起こす自販機で買うふるさとの水

 いわゆる「水」とは、本来的には「H2O」という化学式で表現出来るものの全てを指して言うのであり、その実質的内容が固体のそれ(氷)であろうが、気体のそれ(水蒸気)であろうが「H2O」即ち「水」なのである。
 したがって、その採集地が富士山麓であろうが多摩川水系であろうが、「水」は水以外の何者でも無いのである。
 然るに、本作の作者・阿部芳夫さんは、「自販機で買うふるさとの水」をして「さわやかな風をこの身にまき起こす」などと、革命的な事を仰るのである。
 阿部芳夫さんの「ふるさと」なる土地が「孰れの土地であるか?」を私は存じ上げません。
 とは言えど、その「ふるさと」から採集して来たと称し、百円玉一個を入れるとゴロリと音を立てて飛び出す「自販機で買う」「水」が、「さわやかな風をこの身にまき起こす」事は絶対に有り得ません。
 私の知るところに拠ると、本作の作者の阿部芳夫さんは教育に携わる人物とか?
 だとしたら、教育者たる人物が、前述の如き非科学的かつ反社会的に言質を弄してはいけません。
 〔返〕  百円玉一個で買える故郷の水は冷えててとても美味しい 


(安中市・入沢正夫)
〇  行き先はカムチャッカなり百名山踏破の後の妻の旅立ち

 年金生活をも顧みずに、無謀にも、名にし負う「カムチャッカ火山群」の踏破を企てようとしているご婦人は、作中に「後の妻」とあるところから推して知るに、恐らくは、本作の作者・入沢正夫さんの「後妻」さんでありましょうか?
 〔返〕  後の妻後の月見てクシャミせむ


(豊橋市・鈴木昌宏)
〇  まほろばに照る月白くしんしんと風力計を回してをりぬ

 「まほろば」とは、「素晴らしい場所・住みやすい場所」という意味の古語であり、この語を用いた具体例として、私たち日本人は「倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭しうるはし」という古歌を記憶しているのである。
 ところで、『古事記』(中巻)の「景行天皇帝紀」は、件の古歌の作者として倭健命の名を挙げているのであるが、『日本書紀』には景行天皇の望郷歌として記録されているのである。
 その事はともかくとして、この耳触りの良い言葉は、今となっては日本全国あらゆる土地の美称として用いられているのであり、北は北海道から南は沖縄の島々まで、日本全国到る所「まほろば」に非ざる所は無し、という頻度で用いられているのである。
 その具体例の一つを挙げるならば、私は私自身の親友の<北さん>の流謫地、即ち「香川県三豊市詫間町粟島」を挙げたいと思う。
 彼の地は、世帯数が二百世帯足らず、人口総数が三百人足らずの離島であり、しかもその大半は高齢者であるが、私の親友の北さんを初めとしたこの島の住民たちは、「この地上に我が故郷・粟島よりも住み良い土地は無かろう。この地上に咲く花の中で最も美しい花は、我が粟島の住民の信頼の花であろう」との幻想に燃えているのであり、隣家が空家となれば、破れた垣根を乗り越えて行って、凡そ一尺余りの身の丈にも及ぼうとする蠍や藪蚊などをものともせずに草刈りをして遣り、その亦隣りの家の寡婦の婆様が足腰立たなくなれば、三度三度の食事の世話や雨漏りのする屋根の修繕に至るまで、ありとあらゆる家事手伝いを住民全員が競い合うにして遣っているのである。
 したがって、この島・即ち讃州讃岐の粟島こそは、真実の意味での「まほろばの島」であろうと、不肖・鳥羽省三さえも秘かに思っている次第なのである。
 思うに、本作の作者・鈴木昌宏さんの故地も亦、「まほろば」たらんとしているのでありましょうが、件の地は、前述の粟島と比較すると月と鼈ほどの隔たりが在るので、一日も早く「まほろば」の金看板を下されたら如何でありましょうか?
 〔返〕  まほろばの島の魚は美味しそうそのうち俺も出掛けようかな!


(八王子市・相原法則)
〇  四千名四段に刻む戦死者名パゴダに在りて忘れられゆく

 ミャンマー連邦共和国のマンダレー管区のザガインヒルに在る日本パゴダに取材した作品と思われる。
 〔返〕  援蒋ルート断たむとせしに空しくも此処に眠れる兵士四千