臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

鳥羽省三歌集(其の2~独り狂言<或いは、去にし世に>~)

2014年08月29日 | 鳥羽省三歌集
     『去にし日に<或いは、藤原紀香讃>』


〇  六十二吋のテレビ画面で出逢ひたる紀香愛しく身も世もあらず

〇  お笑ひのあんな野郎の何処が佳い早く別れよ藤原紀香

〇  ぐいと抱き「紀香」と呼べば「今は駄目、主人が寝たら」と紀香言ふ夢

〇  まぐはへる紀香の極みの声により夢の覚めたり紀香憎しも

〇  遅かりし紀香とばかりに抱きたれば「今日は止して」と紀香は云ひき

〇  鬱を病む夫を「つれ」と呼ぶ役の藤原紀香を吾は許さじ

〇  笑む時のえくぼが少し通ひゐて紀香かはゆし妻もかはゆし

〇  蝶を追ふ紀香の仕草を夢に見て覚めてみたればゴキブリ追ふ妻

〇  ゴキブリを叩く音にて目覚めつる紀香とまぐはふ夢の覚めたり

〇  往にし世にソ満国境越ゆるとき紀香は我にしがみ付きなむ

〇  往にし世のソ満国境越えて行き紀香と吾の夢に彷徨ふ

〇  縊られしアナスタシアに似たるかな紀香目覚めよウィーンは遠し

〇  二子玉川(にこたま)は隈無く電飾されてゐて背徳紀香を拒める如し

〇  街はみなジングルベルに包まれつ紀香も吾も背中窄めぬ

〇  アウトレットのミンクのコートは何のその肩寄せ合へば寒くはないさ

〇  お笑ひと外人好きの紀香なれ我は好いちょる紀香を好いちょる

〇  宵ごとも夢に顕ち来る紀香なれ我老いたれば毫も起たざる

〇  身の丈があまり高くて荒妙の藤原紀香は我に不似合ひ

〇  「先に逝く不幸許せ」と云ひたれば紀香はただに首振るばかり

〇  世は無常つね無きものと知りたれば紀香の不倫を我は恨まじ

〇  黒革の手帖に我が名記されり「鳥羽省三=狂言廻し」と

  

今週の朝日歌壇から(8月25日掲載・其のⅣ・金曜夕刊・超早刷版)

2014年08月29日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(舞鶴市・吉富憲治)
〇  崩壊のガザの瓦礫の道路を行く負傷者積みし小型TOYOTO車

 作者の吉富憲治さんは、ご自身が長い間海外生活をしていただけにテレビなども海外のニュース番組を視る機会が多いのでありましょうか?
 だとしたら、本作は、過日たまたま目にしたNHKテレビのニュースの中で件の「小型TOYOTO車」を目にして、深く考えるところがあったのでありましょう。
 選者の永田和宏氏は、本作に就いて「砲弾の止むことにないガザの街、活躍する日本車に複雑な思いも」という、如何にも朝日歌壇の選者らしい寸評を加えて居られる。
 〔返〕  パレスチナは神が与へし約束の地 聖典タナハは説くのであるが


(東根市・庄司天明)
〇  法の字を「灋」と正字で書きてみし解釈改憲なりし夕べに

 本作に登場する「灋」の字は、「さんずい」に十八画をプラスした文字であり、私の手元に在る『新版・漢語林』には、「法の古字」とのみ記されている。
 本作で以って、作者の庄司天明さんが云わんとするところは「解釈改憲に反対」という意志でありましょうか?それとも「解釈改憲に賛成」という意志でありましょうか?
 その点に就いては、評者の私としては大いに気になる場面ではある。
 例えば、「愚息・金之助と中根重一・豁子様ご夫妻のご長女・鏡子さんとの婚約が成りし朝に詠める一首」との詞書を持った短歌が在ったとするならば、その内容は必然的に「愚息・金之助の婚約成立を慶ぶ」という内容で無ければならないのであるが、それと同様に、本作の四、五句目の表現、「解釈改憲なりし夕べに」という文言は、明らかに「解釈改憲が成就しておめでたい」とか「解釈改憲が上手く行って気持ちが爽やかになった」という気分に拠る文言であると、判断せざるを得ないからである。
 選者の永田和宏氏の寸評には、「こんな難しい字で書かれるべき法が蔑ろにされてはという思いもあろう」と在るのではあるが?
 私の思うところを忌憚なく述べさせていただきますと、「本作の作者の庄司天明さんは単なるディレッタントに過ぎない」と、私は思っているのである。
 〔返〕  「さんずい」に十八画の「灋」の字は老眼我にはとても書けない!


(東京都府中市・日高詩織)
〇  成人し私はこれより責めを負う此の国の負う血の責めまでも

 本作の作者の日高詩織さんは、「成人し私はこれより責めを負う此の国の負う血の責めまでも」などと、神がかり的な事を仰っているのであるが、「血の責め」という言葉の何たるかを知った上で、斯くの如き悲愴な覚悟を示して居られるのでありましょうか?
 アメリカ軍の戦闘機「B29」から投下される爆弾から逃げようとして、終戦前夜に、故郷の山中の闇の中を逃げ回った経験を持つ私としては、大いに気になる場面ではあるが?
 〔返〕  戦争は詩でも夢でもありません血で血を洗う現実である
 昭和20年8月14日の夜に、私の故郷の町にもアメリカ軍の戦闘機「B29」が飛来して、隣町・横手の旅館に爆弾数発を投下した後、その当時、我が国唯一の石油精製施設の在る土崎港を目指して飛んで行った。
 闇の中にサイレンが鳴り響き、我が家の上空を行く「B29」の爆音とサイレンの音に怖れ慄いた我が家の家族は、自宅から徒歩10数分の距離に在る、防空壕代わりの山中の小屋に退避しようとしたのである。
 その折、私より2歳年下の双子の弟たち(当時、数えで3歳)は、それぞれ年上の姉たちに背負われて退避して行ったのであるが、私は、それに遅れること10数分後に、家中の戸締りをした父親の背中に背負われて退避しようとしたのであるが、その途上の山坂で、私の父親は木の切株に足を取られて崖の下に転落してしまったのである。
 これは、爾後に姉から聴いた話であるが、その折、当時5歳の私は、健気にも崖の中まで降りて行って、肋骨を三本も骨折して苦しんでいる父親を、何とかして崖の上まで引っ張り上げようとして草の根に摑まって懸命に手を伸ばしていた、ということである。
 ところで、私たちの母親は、終戦の日に先立つこと1ケ月前に病死していたのである。
 

(金沢市・前川久宣)
〇  我が祖父は色が黒くて酒飲みで玉音放送に肩震はせき

 「我が祖父は色が黒くて酒飲みで玉音放送に肩震はせき」とは、第二次世界大戦当時の大多数の国民感情を把握し、偽りなく述べた表現かと思われ、件の「祖父」は、日本全国孰れの村にも見られる、平均的な高齢者なのであり、それだけに、戦争というものの恐ろしさが強調されるのである。
 〔返〕  戦争は人のこころを闇にする何が何でも戦争反対!
 そう!
 施行された当時の憲法9条の精神は、「何が何でも戦争反対!」という点に在ったのであり、自衛権云々は、戦争というものの悲惨さを知らない者の、後世の付け足しに過ぎないのである。


(熊本市・近藤史紀)
〇  語るより語らぬことの豊かさを知った十八祭りの夜に

 熊本市にお住いの青二才、近藤史紀さんはいつもの調子でいつものような戯言を言ってるのである。
 「十八」の「祭りの夜」に「知った」という「語るより語らぬことの豊かさ」とは、どうせ、惚れた腫れたというぐらいのレベルの些事でありましょう!
 〔返〕  語るより語らぬことの豊かさは惚れた腫れたのレベルの些事だ


(名古屋市・杉大輔)
〇  君の頬紅く染まってホームから車内の僕を負けじと見ていた

 今週の永田和宏選は、一席から四席までが「解釈改憲」関連であったが、五席、六席、七席と連続して、それまでとは趣きを異にして、若者の色恋沙汰から取材した作品を入選作としているのである。
 こうした点は、選者の永田和宏氏なりの見識に基づいての事でありましょうが、これらの三首の作品を前にしている私・鳥羽省三の偽らざる気持ちとしては、「馬鹿馬鹿しくて遣ってらんない!」といった投げ遣りな気持にもなってしまうのである。
 残り少ない人生を安心立命の気持ちで生きようとしている私にとっては、昨今の若者たちの勝手気儘な色恋沙汰は目の毒なのかも知れません。  
 〔返〕  ホームにて君は小さな肩震わせて去りゆく僕に手を振ってたね
 伊勢省三作詞・作曲の『なごり雪』は、そんな想い出を抱えた私にとっては、永遠の記念碑のような歌なのであり、必ずしも美女とは言えない「イルカ」が、大きなギターを爪弾きつつ、「汽車を待つ君の横で/ぼくは時計を気にしている」と囁くようにして歌った時の記憶を、七十四才になった私は未だに忘れられないのである。
 『なごり雪』は、作詞・作曲者の伊勢省三の歌唱で聴くのも宜しいが、伊勢省三と較べれば、孰れが女性か判らないようなイルカの歌唱で聴くのも、また一段と趣きを異にしたものがあり、私はどちらかと言うと、イルカの歌唱で聴きたいと思うのである。
                          
 汽車を待つ君の横で ぼくは時計を気にしている
 季節はずれの雪が降っている
 東京で見る雪はこれが最後ね と
 淋しそうに君がつぶやく
 なごり雪も降る時を知り
 ふざけすぎた季節のあとで
 今 春が来て
 君はきれいになった
 去年よりずっときれいになった

 動き始めた汽車の窓に顔をつけて
 君は何か言おうとしている
 君の唇が「さようなら」と動くことが怖くて
 下を向いていた
 時が行けば
 幼い君も大人になると気付かないまま
 今 春が来て 君はきれいになった
 去年よりずっときれいになった

 君が去ったホームに残り
 落ちては溶ける雪を見ていた
 今 春が来て 君はきれいになった
 去年よりずっときれいになった


(岡山市・深井克彦)
〇  学生の街を夏日が照らすとき君は日傘を少し傾げる

 「学生の街」と言えば、私にとっては、即「御茶ノ水」から「神田神保町」に至る、あの坂道かと思ってしまうのであるが、岡山にも「学生の街」らしき地が存在するのでありましょうか?
 それにしても、「学生の街を夏日が照らすとき」「君は日傘を少し傾げる」などと仰るとは、岡山市にお住いの深井克彦さんは、田舎者のくせして、何とセンスが宜しいのでしょうか!
 同性ながら、今の私は、岡山市にお住いの深井克彦さんに、激しい嫉妬の情を覚えているのであり、殊更に「岡山市にお住いの」という修飾語をお名前の前に置いたり、「田舎者のくせして」などと言ったりするのは、その所為かも知れません。
 〔返〕  青春が今であるとも気付かずにチャペルの鐘に耳傾けてた


(横浜市・森秀人)
〇  冥界に出入りしたとう篁の井戸覗き見る盂蘭盆会近し

 作中の「篁の井戸」は、「京都嵯峨の福生寺(生の六道、明治期に廃寺)と京都東山の六道珍皇寺(死の六道)に在った」とされていて、「小野篁は、夜毎、件の井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていた」という伝承が在る。
 表現に就いて、一言申し添えますと、一首全体が文語調であるから、「冥界に出入りしたとう」は「冥界に出入りしたとふ」とした方が宜しいかも知れません。
 〔返〕  冥界に出入りしたとふ篁の井戸見に往かむ来年の夏 


(熊谷市・内野修)
〇  蜥蜴の尾青くきらきら光りけり巻機山の橅の根元に

 「巻機山の橅の根元」に棲息して居ようが、越後国一宮・弥彦神社の拝殿の床下に棲息して居ようが、私は「蜥蜴」や「イモリ」や「守宮」の類が大嫌いであり、あれを目にした瞬間,身の毛がよだってしまいます。
 したがって、大変失礼ではありますが、本作の鑑賞はパスさせていただきます。


(摂津市・内山豊子)
〇  命日を書きおくせめて夫と父母かかねば忘れる歳とはなりて

 此れも亦、「終活」の類でありましょうか?
 〔返〕  ケータイに自宅の電話番号を登録せむとす忘れないうちに