[佐佐木幸綱選]
(西条市・亀井克礼)
〇 ふるさとは鄙にてあれど湿地には世界最小のハッチョウトンボいる
文脈に添って解釈すると、「作中主体(=作者)の<ふるさと>に生息する<ハッチョウトンボ>が<世界最小>である」という事になるのであるが、もしかしたら、「<ハッチョウトンボ>がトンボの仲間の中で<世界最小>のトンボである」という意味なのかも知れません?
ところで、『万葉集』(巻一)に「近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本人朝臣麻呂の作る歌」という詞書を持つ長歌が見られるが、その全貌は次のようなものである。
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離かる 鄙にはあれど 石走る 近江の國の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の茂く生ひたる 霞立つ 日の霧れる ももしきの 大宮所 見れば悲しも
〔返〕 西条は鄙にはあれど名水の「うちぬき」がありいと澄みてあり
(福生市・斉藤千秋)
〇 走高跳バーの下潜り抜け戦争を許す国となりたり
自公連立政権に拠る「解釈改憲」を陸上競技の「走高跳」に喩え、「自公連立政権に拠る解釈改憲」は、「走高跳の選手がバーの下を潜り抜けて跳んだと言い張っているが如きものである」と結論付けているのである。
ところで、同じ陸上競技でも、棒高跳びの場合は、稀に競技者が「バーの下」を「潜り抜け」て行くケースが見られるのであるが、走り高跳びの場合はそういうケースを見たことがありません。
という事になれば、本作は比喩表現としても極めて粗雑なものであるという事になり、駄作としか言いようがない事にもなるのである。
私たちの国には、かつて春日井建という天才少年が居て、彼は未成年者ながらも「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」という、印象鮮やかな名歌を棒高跳びに取材して詠んだのである。
今は亡き春日井建氏と選者の佐佐木幸綱氏とは共に昭和十三年生まれであり、お互いに切磋琢磨し合った同士であり、お互いに手のうちを明かし合った友人でもあったはずである。
それにも関わらず佐佐木幸綱氏がこうした駄作を敢えて入選作としたのは、どういう事情があってのことでありましょうか?
〔返〕 歌壇バーのドアを潜りて幸綱が「おこんばんは」とママに挨拶
「おこんばんは」と挨拶したのは、佐佐木幸綱氏では無くて、トニー谷氏では無かったかしら?
それに、「文壇バー」という言葉を耳にした事はありますが、「歌壇バー」という言葉を耳にした事は絶えてありません。
(大和郡山市・四方護)
〇 とこしえに飛び立つことのなき鶴をガラスに隔つ酢谷呉服店
作中の「酢谷呉服店」とは、奈良県大和郡山市の、JR郡山駅と近鉄郡山駅とを結ぶ矢田町通りに大正時代から店舗を構えている老舗である。
本作の作者の四方護さんがお住いになられ、酢谷呉服店が店舗を構えている大和郡山市と言えば、昔から金魚養殖を主産業とした静かな町であり、「酢谷呉服店はそうした静かで古風な町並の中に一種独特なたたずまいを見せているのであり、店舗正面に設えられている小さな硝子戸棚の中には、数羽の鶴が地上に下り立った姿を象ったスケールモデルがディスプレイされている」とか?
だとすれば、作中の「とこしえに飛び立つことのなき鶴」とは、件のスケールモデルを指して言うのでありましょう。
インターネットを繙いてみると、其の奥処には、酢谷呉服店のささやかなホームページが設えられているのであり、そのPR文には「<着物に興味があるけど、詳しいことは何も知らない>、<着てみたいけど、扱い方が解らない>、<汚れ落としなど、手入れもきちんとしたい>。そんな方は、気軽にご相談下さい。当店はこの大和郡山市で大正時代より着物を扱ってまいりました。取扱商品も、着物はもとより巾着・紋付風呂敷・バック・草履・のれんに至るまで、多様な品揃えをご用意。あなたの<きもの生活>をサポートさせていただきます」とあり、呉服商いの老舗としての奥床しさが窺われるのである。
ところで、彼の天才歌人・塚本邦雄に「いくほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ」(『詩歌變』所収)、「山川呉服店破産してあかねさす昼や縹の帯の投げ売り」(『不変律』所収)、「あさもよし紀州新報第五面山川呉服店店主密葬」(『波瀾』所収)、「山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室」(『魔王』所収)という名歌群があり、選者の佐佐木幸綱氏は、これらの名歌の名歌たる所以を充分にご承知のはずである。
にも関わらず、その佐佐木幸綱氏が敢えて本作を入選作三席の座に据えたのは、本作は二番煎じの模倣作ではあるが、それなりの雰囲気を漂わせていて、しかも、それ相当の完成度を示しているとの判断に因るものでありましょう。
〔返〕 魚町・茶町・綿町・豆腐町・車一台通らぬ車町
雑穀町・北と南の大工町・洞泉寺町の源九郎稲荷神社
「洗ひ張り致し舛」との立て看の雨に濡れたる浄照寺裏
(茨木市・瀬川幸子)
〇 捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ
作者としては、「本来的には虫を捕まえる役割りを担った<捕虫網>で以って、その捕まえられるべき虫たる<蜂>を<追い出す>という、<蕎麦屋>の<店主>の矛盾した行為を笑い皮肉り、かつ、その笑われるべき<店主>がいる<夏の蕎麦屋>で一人静かに蕎麦を食べている」と述べたいのでありましょうが、それでは幾ら何でも欲張りであり、焦点ぼけした作品になってしまいましょう。
また、表記上の留意点に就いて申し上げますと、「ゐて」が「ゐて」のままならば「追い出す」を「追ひ出す」としなければなりません。
もう一言付け加えますと、「捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて」という上の句と「夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ」という下の句とが、接続助詞「て」に拠って結ばれていますから、「捕虫網で蜂を追い出す店主が居て、彼が夏の蕎麦屋でしんとして一人蕎麦を食べている光景」を詠んだと誤読される懼れもありましょう。
〔返〕 捕虫網で蜂を追ひ出す男ゐき彼の夏の日蕎麦屋の店先
(札幌市・藤林正則)
〇 いつどこを飛来するのか知らされず札幌に札幌に来て去るオスプレイ
「いつどこを飛来するのか]という言い方は、日本語として正しい言い方ではありません。
藤林正則先生ともあろう方が、何という言葉遣いをするのでありましょうか?
〔返〕 何時何処の空を飛ぶのか知らないで札幌の空飛びたるオスプレイ
(小平市・萩原慎一郎)
〇 どっかーんと爆発をしたそのあとじゃ遅いのだけど再稼働する
「どっかーん」という爆発音を立てたかどうかは判りませんが、とにもかくにも、彼の日に「爆発」したのは福島原発の一号機であって、この度、「再稼働」するか否かで世間を騒がせている、鹿児島県の川内原発とは異なります。
私も世間様並に「原発再稼働」に反対していますが、これでは幾ら何でもあんまりではありませんか!
事が事ですから、この種の問題に取材して短歌を詠む場合には、再稼働賛成論者に揚げ足を取られないように、よくよく注意して詠まなければなりません。
「詠むも詠んだり、採るも採ったり」とは、この事を指して言うのでありましょう。
〔返〕 どっかーんと花火一発揚げたけど不発に終わった萩原慎ちゃん
(仙台市・小室寿子)
〇 さかあがりできないわが子がひそひそと「でもね、トックリバチの巣みつけた」
人生は何が幸いするのか分りません。
「さかあがり」が「できない」で母親たる自分を心配させている「わが子」が、今回の事がきっかけとなって、小保方晴子さんみたいにご立派な「リケジョ」になって、大成功の人生を送るかも知れませんよ!
〔返〕 跳び箱も跳べず過ごせし少年期リケジョになれず間男もせず
(アメリカ・郷隼人)
〇 見ることはできぬがドンドン聞こえくる独立祭の打ち上げ花火
さすがはUSAである!
でも、どうせなら、刑務所の真ん前でどっかーんと揚げて、何かと不自由を託って居られる方々を喜ばせてあげたら如何でありましょうか?
〔返〕 見る事は出来ぬがさすが音に聞くUSAの打ち上げ花火
(富山市・松田わこ)
〇 今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート
「今日からは」と、二度も三度も「夏服」姿をひけらかすことはありませんよ!
たかが中学生の夏服姿ではありませんか!
世間の男たちは、わこさんがいくら「プリーツスカート」を揺らしてみたってわこさん自身が期待しているほどには珍しがったり喜んだりはしないと思いますよ!
なんでしたら、ご自宅の縁側かベランダでチラチラ揺らしてパパとママに魅せたら如何ですか?
〔返〕 今日からは夏服雨が降るたびにクリーニング屋に出さなきゃならん
岡山市・高尾晃世)
〇 「世の中に計算ミスのなかりせば・・・」受験仲間と会話のひととき
「計算ミス」と言えば、今春の都立高校入試に於ける採点ミスのテイタラク!
あれは真に酷い!
採点ミスに点検ミスが重なってのテイタラクなのかも知れませんが?
〔返〕 先生が採点ミスをしなければ都立高校に入れたはずだ!
(西条市・亀井克礼)
〇 ふるさとは鄙にてあれど湿地には世界最小のハッチョウトンボいる
文脈に添って解釈すると、「作中主体(=作者)の<ふるさと>に生息する<ハッチョウトンボ>が<世界最小>である」という事になるのであるが、もしかしたら、「<ハッチョウトンボ>がトンボの仲間の中で<世界最小>のトンボである」という意味なのかも知れません?
ところで、『万葉集』(巻一)に「近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本人朝臣麻呂の作る歌」という詞書を持つ長歌が見られるが、その全貌は次のようなものである。
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離かる 鄙にはあれど 石走る 近江の國の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の茂く生ひたる 霞立つ 日の霧れる ももしきの 大宮所 見れば悲しも
〔返〕 西条は鄙にはあれど名水の「うちぬき」がありいと澄みてあり
(福生市・斉藤千秋)
〇 走高跳バーの下潜り抜け戦争を許す国となりたり
自公連立政権に拠る「解釈改憲」を陸上競技の「走高跳」に喩え、「自公連立政権に拠る解釈改憲」は、「走高跳の選手がバーの下を潜り抜けて跳んだと言い張っているが如きものである」と結論付けているのである。
ところで、同じ陸上競技でも、棒高跳びの場合は、稀に競技者が「バーの下」を「潜り抜け」て行くケースが見られるのであるが、走り高跳びの場合はそういうケースを見たことがありません。
という事になれば、本作は比喩表現としても極めて粗雑なものであるという事になり、駄作としか言いようがない事にもなるのである。
私たちの国には、かつて春日井建という天才少年が居て、彼は未成年者ながらも「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」という、印象鮮やかな名歌を棒高跳びに取材して詠んだのである。
今は亡き春日井建氏と選者の佐佐木幸綱氏とは共に昭和十三年生まれであり、お互いに切磋琢磨し合った同士であり、お互いに手のうちを明かし合った友人でもあったはずである。
それにも関わらず佐佐木幸綱氏がこうした駄作を敢えて入選作としたのは、どういう事情があってのことでありましょうか?
〔返〕 歌壇バーのドアを潜りて幸綱が「おこんばんは」とママに挨拶
「おこんばんは」と挨拶したのは、佐佐木幸綱氏では無くて、トニー谷氏では無かったかしら?
それに、「文壇バー」という言葉を耳にした事はありますが、「歌壇バー」という言葉を耳にした事は絶えてありません。
(大和郡山市・四方護)
〇 とこしえに飛び立つことのなき鶴をガラスに隔つ酢谷呉服店
作中の「酢谷呉服店」とは、奈良県大和郡山市の、JR郡山駅と近鉄郡山駅とを結ぶ矢田町通りに大正時代から店舗を構えている老舗である。
本作の作者の四方護さんがお住いになられ、酢谷呉服店が店舗を構えている大和郡山市と言えば、昔から金魚養殖を主産業とした静かな町であり、「酢谷呉服店はそうした静かで古風な町並の中に一種独特なたたずまいを見せているのであり、店舗正面に設えられている小さな硝子戸棚の中には、数羽の鶴が地上に下り立った姿を象ったスケールモデルがディスプレイされている」とか?
だとすれば、作中の「とこしえに飛び立つことのなき鶴」とは、件のスケールモデルを指して言うのでありましょう。
インターネットを繙いてみると、其の奥処には、酢谷呉服店のささやかなホームページが設えられているのであり、そのPR文には「<着物に興味があるけど、詳しいことは何も知らない>、<着てみたいけど、扱い方が解らない>、<汚れ落としなど、手入れもきちんとしたい>。そんな方は、気軽にご相談下さい。当店はこの大和郡山市で大正時代より着物を扱ってまいりました。取扱商品も、着物はもとより巾着・紋付風呂敷・バック・草履・のれんに至るまで、多様な品揃えをご用意。あなたの<きもの生活>をサポートさせていただきます」とあり、呉服商いの老舗としての奥床しさが窺われるのである。
ところで、彼の天才歌人・塚本邦雄に「いくほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ」(『詩歌變』所収)、「山川呉服店破産してあかねさす昼や縹の帯の投げ売り」(『不変律』所収)、「あさもよし紀州新報第五面山川呉服店店主密葬」(『波瀾』所収)、「山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室」(『魔王』所収)という名歌群があり、選者の佐佐木幸綱氏は、これらの名歌の名歌たる所以を充分にご承知のはずである。
にも関わらず、その佐佐木幸綱氏が敢えて本作を入選作三席の座に据えたのは、本作は二番煎じの模倣作ではあるが、それなりの雰囲気を漂わせていて、しかも、それ相当の完成度を示しているとの判断に因るものでありましょう。
〔返〕 魚町・茶町・綿町・豆腐町・車一台通らぬ車町
雑穀町・北と南の大工町・洞泉寺町の源九郎稲荷神社
「洗ひ張り致し舛」との立て看の雨に濡れたる浄照寺裏
(茨木市・瀬川幸子)
〇 捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ
作者としては、「本来的には虫を捕まえる役割りを担った<捕虫網>で以って、その捕まえられるべき虫たる<蜂>を<追い出す>という、<蕎麦屋>の<店主>の矛盾した行為を笑い皮肉り、かつ、その笑われるべき<店主>がいる<夏の蕎麦屋>で一人静かに蕎麦を食べている」と述べたいのでありましょうが、それでは幾ら何でも欲張りであり、焦点ぼけした作品になってしまいましょう。
また、表記上の留意点に就いて申し上げますと、「ゐて」が「ゐて」のままならば「追い出す」を「追ひ出す」としなければなりません。
もう一言付け加えますと、「捕虫網で蜂を追い出す店主ゐて」という上の句と「夏の蕎麦屋にしんと蕎麦食ぶ」という下の句とが、接続助詞「て」に拠って結ばれていますから、「捕虫網で蜂を追い出す店主が居て、彼が夏の蕎麦屋でしんとして一人蕎麦を食べている光景」を詠んだと誤読される懼れもありましょう。
〔返〕 捕虫網で蜂を追ひ出す男ゐき彼の夏の日蕎麦屋の店先
(札幌市・藤林正則)
〇 いつどこを飛来するのか知らされず札幌に札幌に来て去るオスプレイ
「いつどこを飛来するのか]という言い方は、日本語として正しい言い方ではありません。
藤林正則先生ともあろう方が、何という言葉遣いをするのでありましょうか?
〔返〕 何時何処の空を飛ぶのか知らないで札幌の空飛びたるオスプレイ
(小平市・萩原慎一郎)
〇 どっかーんと爆発をしたそのあとじゃ遅いのだけど再稼働する
「どっかーん」という爆発音を立てたかどうかは判りませんが、とにもかくにも、彼の日に「爆発」したのは福島原発の一号機であって、この度、「再稼働」するか否かで世間を騒がせている、鹿児島県の川内原発とは異なります。
私も世間様並に「原発再稼働」に反対していますが、これでは幾ら何でもあんまりではありませんか!
事が事ですから、この種の問題に取材して短歌を詠む場合には、再稼働賛成論者に揚げ足を取られないように、よくよく注意して詠まなければなりません。
「詠むも詠んだり、採るも採ったり」とは、この事を指して言うのでありましょう。
〔返〕 どっかーんと花火一発揚げたけど不発に終わった萩原慎ちゃん
(仙台市・小室寿子)
〇 さかあがりできないわが子がひそひそと「でもね、トックリバチの巣みつけた」
人生は何が幸いするのか分りません。
「さかあがり」が「できない」で母親たる自分を心配させている「わが子」が、今回の事がきっかけとなって、小保方晴子さんみたいにご立派な「リケジョ」になって、大成功の人生を送るかも知れませんよ!
〔返〕 跳び箱も跳べず過ごせし少年期リケジョになれず間男もせず
(アメリカ・郷隼人)
〇 見ることはできぬがドンドン聞こえくる独立祭の打ち上げ花火
さすがはUSAである!
でも、どうせなら、刑務所の真ん前でどっかーんと揚げて、何かと不自由を託って居られる方々を喜ばせてあげたら如何でありましょうか?
〔返〕 見る事は出来ぬがさすが音に聞くUSAの打ち上げ花火
(富山市・松田わこ)
〇 今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート
「今日からは」と、二度も三度も「夏服」姿をひけらかすことはありませんよ!
たかが中学生の夏服姿ではありませんか!
世間の男たちは、わこさんがいくら「プリーツスカート」を揺らしてみたってわこさん自身が期待しているほどには珍しがったり喜んだりはしないと思いますよ!
なんでしたら、ご自宅の縁側かベランダでチラチラ揺らしてパパとママに魅せたら如何ですか?
〔返〕 今日からは夏服雨が降るたびにクリーニング屋に出さなきゃならん
岡山市・高尾晃世)
〇 「世の中に計算ミスのなかりせば・・・」受験仲間と会話のひととき
「計算ミス」と言えば、今春の都立高校入試に於ける採点ミスのテイタラク!
あれは真に酷い!
採点ミスに点検ミスが重なってのテイタラクなのかも知れませんが?
〔返〕 先生が採点ミスをしなければ都立高校に入れたはずだ!