臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(7月25日掲載分)

2016年07月30日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]
○ 祖母と寝る今日が最後の夜なのにドライアイスが冷たく隔てる  (奈良市)山添聖子

 高野選の首席。
 真夏の葬式は亡骸の日持ちがしないが故に、その予防措置としての「ドライアイス」は必需品なのである。 
 だが、本作の作者は、その「ドライアイス」の「冷たさ」が亡骸の孫に当たる自分と亡骸たる「祖母」との距離と体温の通い合いを「隔てる」のであるなどと、大凡理屈外れのことを言っているのである。
 「ドライアイス」こそはまさしく死者と生者との心の交感を妨げる永遠なる障害物に他なりません。
 (反歌) ドライアイスが冷たくて大阪のマダムシンコはガリガリ君だ  鳥羽省三


○ 上京せし吾子は調理師三十年「鯖の味噌煮」で母の味売る  (三沢市)遠藤知夫

 一句目の「上京せし」は、単なる音数合せに終っている感じであるが、東北の辺境・青森県三沢市にお住まいの作者からすれば、「吾子」は何年経っても「上京せし吾子」なのかも知れませんから、本作に於いての「上京せし」は必須条件なのかも知れません。
 それにしても、「鯖の味噌煮」を「母の味」として「売る」程度の「調理師」では、ご尊父殿にとってもあまり自慢できる「吾子」とは言えませんな!
 察するに、作中の「吾子」は、社会福祉施設か中小企業の社員食堂で働いている「調理師」なのかも知れません。
 (反歌) 吾子いまだタニタ食堂歴未満鯖の味噌煮は塩辛すぎる  鳥羽省三


○ 相方の頭を叩く漫才に客が笑えば話芸というらし  (神戸市)康 哲虎

 健康の「康」さんの仰るとおり、昨今の寄席芸と言ったら、確かにそんなのばっかりですね!
 (反歌) 相方の髪の毛吹いて飛ばしたら客席から湧く拍手喝采  鳥羽省三


○ コネあらず贈物せずひたすらに清く貧しく応募し候  (ホームレス)坪内政夫

 「ホームレス」必ずしも「清く貧しく」暮らしているとは限りません。
 それにしても、こんなにまで面白くもおかしくもない作品を入選作にするとは、さては、高野公彦先生は朝日歌壇の入選作を、「贈物」の多寡に拠って決めているのでありましょうか?



[永田和宏選]
○ 退却を転進と言った過去に似る増税延期は新しき判断  (羽島市)大野日出治

 〈反歌〉 贈賄を寄進と看做して起訴猶予 検察審査会の判断  鳥羽省三


○ 日本の真ん中踏んで行ったんだ琵琶湖は巨人の右の足形  (大和郡山市)四方 護

 「琵琶湖」は超超どでかい「だいだらぼっち」の「足形」なのかしらん?


○ 八十と七十六が生きてます一戦交えてきょうも元気  (京都市)若林香代子

 それにしても「八十と七十六」が「一戦交えてきょうも元気」とは、京都市の若林香代子さんは、よくぞ言ったり!
 当方は、未だ七十六歳と六十九歳の若輩夫婦であるにも関わらず、「一戦交えてきょうも元気」どころか、ここ三年間は同衾さえもしていませんよ!


○ 「目的地附近です」とのカーナビの音声やさし葬儀会場  (中野市)小野昭男

 本作の作者の小野昭男市やかく申す私が逝かん時も「カーナビ」は「目的地附近です」と「音声やさし」く道案内をして下さるのでありましょうか?


○ コンビニのなかった頃を思い出しどうしていたのか思い出せない  (守口市)小杉なんぎん

 「頃」までは思い出すけれども、「どうしていたのか」になると「思い出せない」のは、よくある事ですから、あまりご心配なさらぬように。


○ 君ときた君のふるさと君のまちあの日の君はふたつとしうへ  (倉敷市)高谷信一

 「あの日の君は」という四句目の叙述が、それとなく「君」の死を示唆しているのでありましょうか?
 〈反歌〉 生きて居れば僕より二つ年上の君だったけど死んでしまった  鳥羽省三


○ 山椒は柑橘類であると知る両親はかつて恋人同士  (神奈川県)九螺ささら

 「山椒」に限らず、「柑橘類」の樹木は総じて鋭どい棘を持っている。
 本作の作者は、その「山椒」が「柑橘類であると知る」に至ったとき恰も、昨今は鋭い棘を突っつき合わせて喧嘩ばっかりしている「両親はかつて恋人同士」であったことを思い出したのでありましょうが、それも故無しとは言えません。
 〈反歌〉 山椒と夏蜜柑とが棘と棘突っつき合わせて生まれたささら  鳥羽省三



[馬場あき子選]
○ 粒太るぶだうの房に真つ白の袋を掛くる産着のごとく  (埼玉県)酒井忠正

 我が家の葡萄棚にもたつた五房だけに過ぎませんが「粒太るぶだうの房」が垂れ下がっていますが、我が家では「産着」の如き「真つ白の袋を掛」けるような野暮なことはしませんでした。
 何故ならば、この葡萄は植えた当初から小鳥寄せの罠としての葡萄だったからです。
 えっ、寄せた小鳥はどうするんですって?
 小鳥は、焼き鳥にして食べるに決まっ鳥ましょう!


○ 愛犬を丸洗いして木につなぐ二人ぼつちの夏の夕暮れ  (笠間市)北沢 錨

 〈反歌〉  海に入る錨でさえも棘四つなのに二人ぼつちの夕暮れ


○ 朝にまたテロの記事あり夕べにはガリレオ衛星瞬くを見る  (横浜市)須藤徹郎

 ローマ教皇庁を中心とした十七世紀のヨーロッパ社会に於いては、ガリレオ・カリレイの科学的思考とその主張こそは、一種のテロ行為にも似た暴虐無類の暴挙であったのかも知れません。
 とまで心を致せば、「朝にまたテロの記事あり夕べにはガリレオ衛星瞬くを見る」という、この一首に託した作者の意図や叙情の謎もすらすらと解明されて行くような気がします。

 
○ 最近は先生よりも親よりも胸に響く先輩のことば  (芦屋市)室 文子

 中学の悪「先輩」どもは、室文子さんに何するが判りませんから、ゆめゆめ油断なさいませんように!
 それに比べると、室文子さんの前住地・宝塚市の小母ちゃんは親切なものです。
 何しろ、斯く申す私・鳥羽省三が室文子さんの作品に少しばかり茶々を入れたら、彼女は血相変えて怒鳴り込んで来ましたからね!


○ 母親に添ひし十二の赤ちゃんガモ今日は十一羽誰が数えても  (郡山市)渡辺良子

 竜安寺の枯山水の十五個の庭石は、見る角度に拠っては、必ずしも十五個には見えないということでありますから、念には念を入れてもう一度数えましょう。


○ 白珠の卵曝して大き蛾は朝の舗石に果ててゐたりき  (名古屋市)木村久子

 「白珠の→卵曝して→大き蛾は→朝の舗石に→果ててゐたりき」と、一句目から五句目まで、ぐいっぐいっと迫って来るようなリズミカルな一首であるだけに、「朝の舗石に」という四句目の字余りがあまりにも惜しまれます。
 四句目の「舗石」を「舗道」として、「白珠の卵曝して大き蛾は朝の舗道に果ててゐたりき」となさったら如何でありましょうか?



[佐佐木幸綱選]
○ テスト中部活は休み眠ってる音楽室を起こさず帰る  (富山市)松田わこ

 いつもなら、ショパンのエチュードでも弾いてから帰宅するのでありましょうが、「テスト中」で「部活は休み」であるから、「眠ってる音楽室を起こ」す訳には行かず、そのまま弾かずに帰るのでありましょう。
 「眠ってる音楽室を起こさず帰る」という優しい気遣いと表現が抜群に宜しい。  


○ 伊豆行きの普通電車がゆっくりと窓いっぱいの海と空見す  (東京都)豊 万里

 伊豆観光は「リゾート21・アドちゃんトレイン」も宜しいが、何と行っても「普通電車」が空いていて安価なので宜しい。


○ 那智黒の飴と梛の葉お土産に熊野十二里古道を歩く  (東京都)平原洋子

 「那智黒の飴」も「梛の葉」も簡単には買えませんから、「熊野十二里古道」散策のお土産としては最適なのかも知れません。


○ おつきさまみたいにママがやせたのはおばあちゃんがもういないから  (奈良市)山ぞえあおい

 「山ぞえあおい」さんが目にした「おつきさま」は、月齢二十六日頃の「有明月」であったのでありましょうか?
 それにしても不思議なのは、通常、「おばあちゃん」が亡くなると「ママ」は太つてしまうのであるが、本作の場合はその真逆なのである。
 思うに、「山ぞえあおい」さんの家では、「ママ」が「おばあちゃん」の実の娘で、パパが入婿であったのかも知れません。


○ 知らぬ間に誰か消え去る日常に慣らされて行く老人ホーム  (築紫野市)二宮正博

 「知らぬ間に誰か消え去る日常に慣らされて行く」のは、「老人ホーム」に限らず、この現代社会の実態なのでありましょう。
 (反歌) 短か世を釈迦力に生き過ぎちょびれ大橋巨泉の生き様凄し  鳥羽省三   

今週の「朝日歌壇」から

2016年07月18日 | 今週の朝日歌壇から
○  ヲカトラノヲ白き垂れ穂の咲き揃ひ梅雨の林は勢ひを増す     (東京都)  上田国博

 「白き垂れ穂の咲き揃ひ」という、二、三句目の表現が一首の眼目か。
 [反歌] オカトラノオの垂れ穂、その白きが故に愛されるだけの花なのだ  鳥羽省三


○  カープ勝ち広島県民たるわれは夕べの酒を心地よく飲む      (三原市)  岡田独甫

 坊主の飲む酒ならば、さしずめ「般若湯」というところなのか?
 それにしても、死者に引導を渡し、生者の生き様を導くべき役割の宗教人たる坊さんが、「カープ勝ち」だの「夕べの酒を心地よく飲む」だなのと云っていたら、檀家制度が崩壊するのは「理の当然」ということには相成りませんか?
 [反歌] セ・リーグの広島カープ独走も今の吾には関わりが無し  鳥羽省三


○  夏が来る寝間着かついで孫が来る冷凍庫埋めよう「ガリガリ君」で (横浜市)  毛涯明子

 「がりガリ君」など、私にとってはちっとも美味しくも辛くもありませんけど。
 作者としては「冷凍庫埋めよう『ガリガリ君』で」と、「寝間着かついで」とに、表現上の格別なる趣向を凝らしたつもりなのでありましょうが、それもイマイチといったところである。
 [反歌] ガリガリ君、なんであんたはそんなにも冷たいくせにもてるのかしら?  鳥羽省三


○  プレッツェルの店の男の刺青の鯉鮮やかに夏を呼びいる      (アメリカ) 西岡徳江

 悪くない作品とは思われるのであるが、カタカナ表記のスイーツの名称「プレッツェル」と「刺青の鯉」が得をしておりますな? それと、作者がアメリカ在住の女性である点なども。
 [反歌] 「プレッツェル」、あんたはただの小麦粉を捏ねって作っただけに過ぎない  鳥羽省三


○  前髪をあげてまあるいおでこ出す夏が来る前キリッとイメチェン  (芦屋市)  室 文子

 作者の居住地がまた一転し「芦屋市」となっている点に興味を覚えただけのことである。 
 [反歌] 引越しはクロネコ大和であったのか?それともアート引越しセンターなのか?


○  棄権するならゆずってほしいのどから手が出るほどほしい重きその票(大阪府) 金 亀忠

 欲しけりゃ上げましょう「重きその票」といったところであるが、なにせ、作者の国籍が問題なのかも知れません。
 [反歌] 昨今は買収すらも無くなって魅力全くゼロの選挙  鳥羽省三


○  先輩のポニーテールがゆれているアハハと笑う瞬間が好き     (芦屋市) 室 文子

 今は宝塚市から芦屋市へとご転住なさった室文子氏の興味といったら、せいぜい「髪型」程度のことでありましょうか?
 そうした興味の在り方を「若者の特質」と捉えて是とする選者側にも「問題無し」とせず。
 やたらに「先輩」という言葉を遣う点にも問題がありますよ。
 そもそも、下級生が上級生を指して「先輩、先輩」と崇め奉るのは、軽蔑を裏返しにしての「ゴマすり精神」の発露以外の何者でもありませんから。
 [反歌] アハハハと笑う人間好きならば吾も笑わん入れ歯外して  鳥羽省三


○  引き出しの右に眠れるリラ、マルク、フランのコイン蠢きはじむ  (東京都) 吉竹 純

 「蠢きはじむ」なんちゃってますが、「蠢き」始めて始末におえないのは、むしろ「円」ではあまりせんか?
 [反歌]  人民元 昨今全く魅力無し 爆買いすらも止めたとか聞く  鳥羽省三


○  そこはきっと複数形で言うところあいまいなのは君の優しさ    (横浜市) 中西紀子

 なにもかもが曖昧な点に魅力が感じられる一首。


○  結終へて早苗饗となる一村に越中富山の紙風船来る        (霧島市) 秋野三歩

 「越中富山」のなんとやら、は、未だに「結終へて早苗饗となる一村」を、抜け目なく見抜いて置き薬を置きに来るのでありましょうか?
 それにしても、あの「建場帳」とやらの高価格は、未だに健在なのでありましょうか?
 [反歌] 口で吹き膨らますだけの紙風船 あの霧島に飛んで来るのか?


○  金魚には金魚の憂いあるらしく泡一つ吹き向きを返え行く     (垂水市) 岩元秀人

 宜しい。
 さすがに朝日歌壇の常連中の常連の切れ味である。


○  めまといの群れ抜けてまためまといの群れ沼べりの道のめまとい  (館林市) 阿部芳夫

 是れも亦よろしい。
 さすがにベテランである。
 [反歌] めまといのめまといながらさりながらやっぱり目惑うめまといである  鳥羽省三


○  故里の無人駅舎の軒下に使われぬまま台秤あり          (岡山市) 奥西健次郎

 着眼点の宜しさが評価されたのでありましょう。
 それにしても、米穀価格が最盛期には、一台数万円の「台秤」が「故里の無人駅舎の軒下に使われぬまま」に不法投棄されているなんて!


○  若冲の鸚鵡と同じポーズとる家の鸚哥は平成生れ         (千葉市) 西山 咲

 「鸚鵡」と「鸚哥」とを漢字書きにした点に、優しい気持ちの選者は騙されたのでありましょう。
 [反歌] 無関係、全く関係ありません。鸚鵡はオウム、鸚哥はインコ  鳥羽省三


○  眠いのは十八歳の特徴かそれとも雲を見ていたせいか       (富山市) 松田梨子
○  誕生日南房総から届くびわをほおばり優しい気持ち        (富山市) 松田わこ

 松田姉妹よ、反省しなさい!
 今から三年ばかり前のあなた方松田姉妹が、どんなに切れのいい作品を作っていたことか!
 [反歌] 本来は反歌を詠むのも無駄な事、松田姉妹の落ちぶれ果てつ  鳥羽省三


○  料金を支払うごとく予めお布施の額を聞く人がおり        (三原市) 岡田独甫

 「檀家制度崩壊必至!」を証すが如きの迷作である。
 「お布施」などと宣っておられますが、それは貴方方坊主が、「お坊さん」と呼ばれていた時のことでありまして、今となっては、生臭坊主への「お布施」は暴力団の「めかじめ料」と、何ら変わりがありませんよ!
 思い上がりも甚だしい!


○  わが心モーツアルトにゆだねおり母の葬りを終えたるあした    (八尾市) 水野一也

 「モーツアルト」=「癒し」という発想の貧困がヨロシクりません!
 [反歌] わが心お布施一つに委ねたり生臭坊主の末裔なれば  鳥羽省三


○  病院の待ち合い席で意気投合アジサイ寺の石段昇る     (山陽小野田市) 木洩便五郎 

 率直に申し上げますと、作者名の「木洩便五郎」に魅されました。
 日本全国、何処にも「アジサイ寺」と称するものが存在するのでありましょうか?
 かく申す私は、初代「アジサイ寺」の鎌倉のあの寺・明月院に、今から三週間くらい前に見物(決して、決して参詣ではありません)に行って来ましたが、その俗化の度合いたるや、この俗人の私でさえも反吐を吐くような思いでありましたよ!
 [反歌] 梅雨時は全国各地に紫陽花寺 穂を切り挿して置けば殖えるぞ  鳥羽省三 

 おおよそ二年ぶりかの「今週の『朝日歌壇』から」である。  
 気の赴くままに抜粋してみたのであるが、「これは」といった気持ちになったのは、永田和宏選六席の岩元作と同選七席の阿部選、及び同選末席の奥西作だけである。
 そういう次第で、反歌も粗製濫造の謗りを受けることも有り得ましょうか?

2014年8月10日 掲載の「今週の朝日歌壇から」を再掲載させていただきます。

2016年07月09日 | ビーズのつぶやき
 去る6月16日の「朝日歌壇」の「永田和宏選」の第一席として、「民主主義冒さるるとき民として何人にも抗へとドイツ憲法」という、朝日新聞の「解釈改憲反対キャンペン」に迎合するが如き作品としてはやや趣向が変り、従来のその種の作品よりは少し手の込んだ佳作が掲載されていて、作者欄には「フランス・松浦のぶこ」とあった。 
 作品そのものの出来、不出来は別として、昨今の朝日歌壇にはその種の作品が毎週のように束を為して掲載されているので、私は、件の作品の着想の良さにかなりの魅力を感じながらも、「これも亦どうせ選者諸氏の立場と気持ちを見通した上での入選狙いの作品では無いか?」などという気持ちにもなり、その場では、「いわゆる『戦う民主主義』に取材した一首であるが、ドイツ連邦共和国は『戦う民主主義』を標榜している国の代表的な例とされる」などと、どうでも宜しいと言った感じの評文を記し、返歌として「民主主義侵さるる今国民よ挙りて安倍を引き摺り落せ」と、是も亦どうでも宜しいといった感じの腰折れを〈反歌〉として記し添えて当ブログに掲載させて頂いた次第でありました。
 然るに、それから数日経った、去る6月28日の未明、遥々遠くの泰西は仏蘭西共和国から、掲歌の作者・松浦のぶこさんが、当ブログ宛てに次のようなコメントをお寄せになりましたので、先ずはそれをそのままに下記の通り転載させていただきます。
 即ち、「6月16日/拙歌/(松浦のぶこ)/2014-06-28 01:11:04/松浦のぶこです。/6月16日朝日歌壇に永田和宏選で掲載された拙歌は許諾なしに改変されています。/原作は『民主主義冒さるるとき民として国に抗へとドイツ憲法』ですが、『国に抗へ』を『何人にも抗へ』に改変してあります。/問い合わせたところ、『ドイツ憲法条文ではそうなっているから添削した』とのことでした。/短歌は作品であって報道記事ではなく、字句の指す精神を詠うものであること、作者の許諾なしに字句を改変するのは納得できないこと、歌壇の年鑑には原作どおりに載せてほしいことを要請しました。/詳しくはブログ『松浦のぶこの家』をご覧いただければ幸いです。」と。
 上掲のコメントを一読して直ぐさま、私は、掲歌の作者・松浦のぶこさんのご指示通りに、ブログ「松浦のぶこの家」を拝読させていただきましたところ、次のような興味深い記事が掲載されておりましたので、それをもそのまま、当ブログに無断転載させていただきました上で、この件に関する、私・鳥羽省三の感想や見解なども後述させていただきます。
 曰く「2014-06-25/短歌が改作されてしまった/現『民主主義冒さるるとき民として何人(なんぴと)にも抗へとドイツ憲法』/元『民主主義冒さるるとき民として国に抗へとドイツ憲法』/6月16日の朝日歌壇に拙歌が永田和宏の選で掲載された。あれっと思った。投稿した元の歌とちょっと違うのである。『国に抗へ』が『何人にも抗へ』に変えられている。歌の大意はお分かりと思う。どちらが歌として優れていると思いますか、皆さまのご意見をぜひ聞かせて下さい。/自分の作品を知らないうちに変えて公表され、ショックを受けた。10年以上朝日歌壇に投稿してこんなことは初めてだ。最近少しぼけてきたので、万が一推敲しているうちに自分の思わないことをうっかり書いてしまったのかとも疑い、念のため朝日歌壇の係に問い合わせてみた。すると次のような返事が来た。/もともとお送りいただいた歌は『民主主義冒さるるとき民として国に抗へとドイツ憲法』となっています。ただ、『国に抗へ』が事実かどうかドイツ大使館に憲法の条文を確認したところ、正確には『この秩序を排除することを企てる何人に対しても、すべてのドイツ人は、他の救済手段が可能でない場合には、抵抗する権利を有する』となっているとのこと。これを踏まえて、永田先生は『何人にも抗へ』と添削なさったわけです(後略)。/つまり朝日歌壇は『国に』という言葉の『事実性』に疑問をもって憲法条文を調べ、その文言どおりに書き換えたのだ。え?憲法条文の文言をそのまま書き写さなければいけないの?短歌は報道記事ではないのに?/ドイツ憲法は、ナチス政権がドイツを破滅に追いやった過去を反省して、再び同じことが起こらないために、厳格に強固に作り上げられたものだという。市民的不服従権を憲法に明記しない国もある中で、ドイツ憲法がそれを抵抗権として(憲法20条に)明記したのは、憲法を冒すものを許さないという国民の断固とした精神のあらわれだろう(実際は連合国の各々が草稿を書いて突合せ、ドイツの当時の首相アデナウアーもドイツの考えを反映するべく奮闘した。経緯そのものは日本憲法の場合と似ている)。抵抗権を発揮する主たる相手は――抽象的に『何人』と言い表したとしても――政府であることは誰が読んでもわかるだろう。/この抵抗権の精神を短歌として短く表現しようとして、私は日本の『国と民』『お上と下々』という誰でも知っている対句を想起した。伝統的に上下関係で社会や政治を捉え、上には従うしかないと諦める国民的風潮への批判を、対句を使うことによって効果的に表現できると思った。字数の制約から『国と民』のほうを選んだ。これが『何人と民』じゃ全く対句の効果はない。/それに『国に抗へと』は8音だが、『何人にも抗へと』は11音だ。5・7・5・7・7の7が11になって、大幅な字余り。作品として落第だ。/新聞や雑誌はいわゆる編集権が著作権より強いと言われる。私も朝日の『声』に投稿した記事を修正されたことが何度かある。ただそれは、紙面の都合で最後の1行を削るとか、2行に分けてある文章を1行に合体するのに伴い助詞を取りかえる、というようなテクニカルな修正で、いずれも事前に電話で承諾を求められた。キーワードを改変されたことはない。/選者の永田和宏氏は拙歌に対して『ナチズムの台頭による第二次世界大戦の苦い歴史的教訓から、自由と民主主義を防衛する義務を課したのがドイツ憲法の精神。政府が憲法と国民に背いた場合、抵抗権を発揮できる。松浦さんは今の日本にその精神をと訴える』と異例に長い評を書いてくれた。こんなによく解説していただき感激している。だから言うのは憚られるが、この評の中で『国に』は憲法原文では『何人にも』となっている、と短く付言することはできたと思う。添削はテレビの短歌教室では本来の役目だが、歌壇にも適用されるのだろうか。/しろうとの投稿者が文句を言うのは生意気だ、今後は選ばれなくなくなるよ、と歌仲間に冷やかされた。朝日歌壇にかぎってそんなことはないと信じている。/補足・①ドイツでは公衆の面前でナチの歌を歌ったり、ハーゲンクロイツの旗を掲げたりすることは許されない。言論結社の自由は、憲法に背くことをする個人や団体には保証されない(アメリカやフランスはこれほど厳しくないが)。つまり『政府』だけではなく『個人』『団体』も抵抗権の対象になる。『何人にも抵抗する』と表記されているのはこういう場合にも対応しうるためだろう。/②『政府』と『国』とは同じとは言えない、『国』にまで抵抗権を認めれば革命肯定ではないか、という意見もある。難しい。だがそれは政治論、法律論であって、短歌という文学作品の表現にまで関わることかどうか。/③今まで考えたことのない問題を呈示され、ショックではあったが考えるきっかけにはなった。花の名が間違っていても修正されないだろう。社会詠は剣呑だ。」と。
 松浦のぶこさんがお寄せになられた、当ブログ宛てのコメント(以下、コメントと謂う)及び、ブログ「松浦のぶこの家」に掲載されている、件の記事を一読ならぬ二読、三読、熟読させていただきましたので、真に僭越ながら、それに対する、私・鳥羽省三の感想及び見解を述べさせていただきます。

 コメントの冒頭の「朝日歌壇に永田和宏選で掲載された拙歌は許諾なしに改変されています」という一文に接し、更に「歌は作品であって報道記事ではなく、字句の指す精神を詠うものであること、作者の許諾なしに字句を改変するのは納得できないこと、歌壇の年鑑には原作どおりに載せてほしいことを要請しました」という記事に接した瞬間、私は、これらの文の、かつて類例を見ない程の激烈なる文体に幽かなる危惧の念を抱くと共に、朝日歌壇に<添削>という極めて親切かつ有り難い(或いは、有り難くない)習慣が残っていた事を知り、八代集以来の伝統的慣習が残存していた事を知り、大いなる感動を覚えました。
 何故ならば、「事の是非はともかくとして、和歌(短歌)を肇とした我が国の伝統文芸の世界に於いては、斯道の権威者たる選者(=宗匠)に拠る<添削>という伝統的かつ独占的な作業が厳密に施された後、当該作品が原作者の作品として紙誌上に掲載され、世間一般に公表されて来た事は紛れも無い歴史的事実であり、永田和宏氏を肇とした朝日歌壇の選者諸氏とても、その道の専門家として仰ぎ奉られる権威者(昔風に言うならば<宗匠様>)でありましょうから、投稿作品に訂正するべき字句や文法的な間違い、或いは社会通念上非常識的と思われる表現などが認められた場合、それを訂正した上で紙面に掲載するのが、選者として為すべき当然の任務であり、義務でもある」と、私は認識していたからである。
 私が8年間に亘って田舎暮らしをしていた頃、私の歌詠み仲間の某氏(故人)は、父祖譲りの左官業に従事しながら、結社誌「アララギ」の「土屋文明選」に長年に亘って投稿して来た、という来歴を持つベテラン歌人であった。
 彼の作品が「土屋文明選」に初めて採られた時、件の掲載作品は、彼を作者としながらも原作の面影を止めない程にも無惨に改作されていた、との事である。
 彼と彼の歌友たちは、それでも尚且つ、彼の作品が初めて「土屋文明選」に採られた事を祝し、彼が居住する横手市内のとある縄暖簾で入選記念の宴会を開き、一晩中どんちゃん騒ぎを繰り広げ、飲めや歌えの大騒ぎを展開した、との事である。
 然るに、〈愛と自由の国・仏蘭西共和国〉にお住まいの松浦のぶこさんと仰る女性は、「畏れ多くも歌壇の権威者にして<歌会始の儀>の選者たる永田和宏宗匠の手に拠り、朝日歌壇に投稿した自作に添削の筆を加えられた」からと言って、「短歌が改作されてしまった。/短歌は作品であって報道記事ではなく、字句の指す精神を詠うものであること、作者の許諾なしに字句を改変するのは納得できないこと、歌壇の年鑑には原作どおりに載せてほしいことを要請しました」などと騒ぎ出し、あまつさえ、ご自身の管理するブログ上に〈何だ神田〉と、文句たらたら記してしまう始末なのである。
 件の「松浦のぶこの家」の記事に拠ると、永田和宏宗匠の斧鉞を得て朝日歌壇に掲載された短歌は、当初「民主主義冒さるるとき民として国に抗へとドイツ憲法」として投稿したにも関わらず、掲載時は「民主主義冒さるるとき民として何人にも抗へとドイツ憲法」と改作されていたという事であり、それに対して作者の松浦のぶこさんは、「あれっと思った。投稿した元の歌とちょっと違うのである。『国に抗へ』が『何人にも抗へ』に変えられている。歌の大意はお分かりと思う。どちらが歌として優れていると思いますか、皆さまのご意見をぜひ聞かせて下さい」と、自信たっぷりに仰り、更には「自分の作品を知らないうちに変えて公表され、ショックを受けた。10年以上朝日歌壇に投稿してこんなことは初めてだ。最近少しぼけてきたので、万が一推敲しているうちに自分の思わないことをうっかり書いてしまったのかとも疑い、念のため朝日歌壇の係に問い合わせてみた。すると次のような返事が来た。/もともとお送りいただいた歌は『民主主義冒さるるとき民として国に抗へとドイツ憲法』となっています。ただ、『国に抗へ』が事実かどうかドイツ大使館に憲法の条文を確認したところ、正確には『この秩序を排除することを企てる何人に対しても、すべてのドイツ人は、他の救済手段が可能でない場合には、抵抗する権利を有する』となっているとのこと。これを踏まえて、永田先生は『何人にも抗へ』と添削なさったわけです(後略)。/つまり朝日歌壇は『国に』という言葉の『事実性』に疑問をもって憲法条文を調べ、その文言どおりに書き換えたのだ。え?憲法条文の文言をそのまま書き写さなければいけないの?短歌は報道記事ではないのに?/ドイツ憲法は、ナチス政権がドイツを破滅に追いやった過去を反省して、再び同じことが起こらないために、厳格に強固に作り上げられたものだという。市民的不服従権を憲法に明記しない国もある中で、ドイツ憲法がそれを抵抗権として明記したのは、憲法を冒すものを許さないという国民の断固とした精神のあらわれだろう」、「抵抗権を発揮する主たる相手は――抽象的に『何人』と言い表したとしても――政府であることは誰が読んでもわかるだろう。/この抵抗権の精神を短歌として短く表現しようとして、私は日本の『国と民』『お上と下々』という誰でも知っている対句を想起した。伝統的に上下関係で社会や政治を捉え、上には従うしかないと諦める国民的風潮への批判を、対句を使うことによって効果的に表現できると思った。字数の制約から『国と民』のほうを選んだ。これが『何人と民』じゃ全く対句の効果はない。/それに『国に抗へと』は8音だが、『何人にも抗へと』は11音だ。5・7・5・7・7の7が11になって、大幅な字余り。作品として落第だ。/新聞や雑誌はいわゆる編集権が著作権より強いと言われる。私も朝日の『声』に投稿した記事を修正されたことが何度かある。ただそれは、紙面の都合で最後の1行を削るとか、2行に分けてある文章を1行に合体するのに伴い助詞を取りかえる、というようなテクニカルな修正で、いずれも事前に電話で承諾を求められた。キーワードを改変されたことはない。/選者の永田和宏氏は拙歌に対して『ナチズムの台頭による第二次世界大戦の苦い歴史的教訓から、自由と民主主義を防衛する義務を課したのがドイツ憲法の精神。政府が憲法と国民に背いた場合、抵抗権を発揮できる。松浦さんは今の日本にその精神をと訴える』と異例に長い評を書いてくれた。こんなによく解説していただき感激している。だから言うのは憚られるが、この評の中で『国に』は憲法原文では『何人にも』となっている、と短く付言することはできたと思う。添削はテレビの短歌教室では本来の役目だが、歌壇にも適用されるのだろうか。/しろうとの投稿者が文句を言うのは生意気だ、今後は選ばれなくなくなるよ、と歌仲間に冷やかされた。朝日歌壇にかぎってそんなことはないと信じている。/ドイツでは公衆の面前でナチの歌を歌ったり、ハーゲンクロイツの旗を掲げたりすることは許されない。言論結社の自由は、憲法に背くことをする個人や団体には保証されない(アメリカやフランスはこれほど厳しくないが)。つまり『政府』だけではなく『個人』『団体』も抵抗権の対象になる。『何人にも抵抗する』と表記されているのはこういう場合にも対応しうるためだろう。/『政府』と『国』とは同じとは言えない、『国』にまで抵抗権を認めれば革命肯定ではないか、という意見もある。難しい。だがそれは政治論、法律論であって、短歌という文学作品の表現にまで関わることかどうか。/今まで考えたことのない問題を呈示され、ショックではあったが考えるきっかけにはなった。花の名が間違っていても修正されないだろう。社会詠は剣呑だ」などと、事の次第をこと細やかにかつ具体的に説明され、それに対するご自身のご意見をも、極めて攻撃的な姿勢で書き加えて居られるのである。

 原作の「国に抗へ」を「何人にも抗へ」と、永田和宏氏が斧鉞を加えた事の是非に就いて言えば、「国に抗へ」よりも「何人にも抗へ」の方がドイツ憲法の実態に即した表現であるので、例え原作者と雖も、これを以って「え?憲法条文の文言をそのまま書き写さなければいけないの?短歌は報道記事ではないのに?ドイツ憲法は、ナチス政権がドイツを破滅に追いやった過去を反省して、再び同じことが起こらないために、厳格に強固に作り上げられたものだという。市民的不服従権を憲法に明記しない国もある中で、ドイツ憲法がそれを抵抗権として明記したのは、憲法を冒すものを許さないという国民の断固とした精神のあらわれだろう」「抵抗権を発揮する主たる相手は――抽象的に『何人』と言い表したとしても――政府であることは誰が読んでもわかるだろう」などと即断して嘯き、大騒ぎをする必要はさらさらに認められません。
 何故ならば、記紀万葉や八代集以来の斯道の在り方もさる事ながら、こと他国の憲法の条文に取材した短歌作品である場合は、事に因ると国家間紛争を引き起こしかねませんから、選者の永田和宏氏が、この件に就いて「在日ドイツ連邦共和国大使館」に問い質した上で、原作の「国に抗へ」を「何人にも抗へ」と斧鉞を加えた事は、当然過ぎるくらい当然なご措置であり、作者の松浦のぶこさんに感謝されこそすれ、決して恨まれるような筋合いのものとは思われないからであり、加えて言えば、「松浦のぶこの家」の記述中の「つまり朝日歌壇は『国に』という言葉の『事実性』に疑問をもって憲法条文を調べ、その文言どおりに書き換えたのだ。え?憲法条文の文言をそのまま書き写さなければいけないの?短歌は報道記事ではないのに?」という件が、何よりも雄弁に永田和宏氏のこの度のご措置の適切さと、松浦のぶこさんご本人の<認識不足>及び<非常識さ>を物語っているからでもある。
 また、松浦のぶこさんは、投稿作と掲載作とを比較して、「この抵抗権の精神を短歌として短く表現しようとして、私は日本の『国と民』『お上と下々』という誰でも知っている対句を想起した。伝統的に上下関係で社会や政治を捉え、上には従うしかないと諦める国民的風潮への批判を、対句を使うことによって効果的に表現できると思った。字数の制約から『国と民』のほうを選んだ。これが『何人と民』じゃ全く対句の効果はない。/それに『国に抗へと』は8音だが、『何人にも抗へと』は11音だ。5・7・5・7・7の7が11になって、大幅な字余り。作品として落第だ」とまで、激烈な口調で述べて居られるのであるが、「短歌表現に対句を用いると効果的である」とする松浦のぶこさんのご認識は、もはや「迷信」とでもいうべき時代遅れのご認識であり、仮にそれを良しとしても、短歌のリズムというものには、「外在律(ことばのリズム)」と共に「内在律(こころのリズム)というものが在るのであるから、「民主主義冒さるるとき民として何人にも抗へとドイツ憲法」という掲載作は、音読するに際しても格別なる支障は生じません。
 更に言えば、松浦のぶこさんは、「選者の永田和宏氏は拙歌に対して『ナチズムの台頭による第二次世界大戦の苦い歴史的教訓から、自由と民主主義を防衛する義務を課したのがドイツ憲法の精神。政府が憲法と国民に背いた場合、抵抗権を発揮できる。松浦さんは今の日本にその精神をと訴える』と異例に長い評を書いてくれた。こんなによく解説していただき感激している。だから言うのは憚られるが、この評の中で『国に』は憲法原文では『何人にも』となっている、と短く付言することはできたと思う」と述べて居られるのであるが、掲歌の寸評として永田和宏氏が記された言葉、即ち「ナチズムの台頭による第二次世界大戦の苦い歴史的教訓から、自由と民主主義を防衛する義務を課したのがドイツ憲法の精神。政府が憲法と国民に背いた場合、抵抗権を発揮できる。松浦さんは今の日本にその精神をと訴える」は、永田和宏氏に与えられた寸評スペースの全てを用いての善意溢れる寸評であるので、松浦のぶこさんの仰る、「この評の中で『国に』は憲法原文では『何人にも』となっている、と短く付言することはできたと思う」という苦言は、「鹿を追って山を見ざる者」の駄弁、或いは「鯨を追って海を見ざる者」の駄弁、更に言えば「経済効果ばかり考えて働く者の心情を一顧だにしない政治家や経営者の姿勢」と同一である、と断じざるを得ません。
 ところで、掲歌の作者の松浦のぶこさんは、「我が国の出版界に於いては、短歌に限らず小説など文芸作品の全てに、選者乃至は編集者の斧鉞が加えられた上で誌面掲載されるという良き習慣が在る」という事実に就いてご存じでありましょうか?
 その事実に就いては、芥川賞受賞作家の南木佳士氏を肇とした多くの作家の方々が、ご自身の著になる随筆などで語って居られるので、松浦のぶこさんは、少しく勉強する必要があるのかも知れません。
 ましてや、事柄が千数百年の歴史と伝統を有する和歌(=短歌)に関する事に及ぶや、例え新聞歌壇に投稿した作品とは言え、時には選者の善意ある斧鉞が加えられた上で紙面掲載の運びになるという事は、常識中の常識であり、その常識を非常識として非難し、抗議せんとする者の常識が問われる場面でありましょう。
 話が本題から少しく逸れてしまうのであるが、「昨今の結社誌に於いては、掲載作品の全てが選者の斧鉞を得ないままに掲載されている事が多い」とのこと。
 それは、当該する結社誌が投稿作品に斧鉞を加えることが出来るような選者を得ないが為の、極めて無責任な措置であり、「短歌の垂れ流し」とは、そうした現象を指して謂うのでありましょう。
 新聞歌壇にしろ、結社誌にしろ、選出作品を掲載する場(誌紙面)は、投稿作品の単なる発表の場では無く、作者と選者及び読者が一帯となっての、八代集時代から今に変らぬ交遊交感の場として捉えなければならない側面もあるのであり、一に創造の場であり、そして何よりも短歌創作を志す者の学習研鑽の場であることを、私たち短歌を愛する者は強く認識しておくべきであり、掲歌の作者の松浦のぶこさんも亦、その例外ではありません。

 以上、長々と駄弁を弄するばかりで、本ブログの読者並びに掲歌の作者の松浦のぶこさんには、真に申し訳がありません。
 末筆ながら、未だ残暑厳しき折柄、皆様方には、何卒、健康専一にお過ごし下さるようにお願い申し上げます。                   平成二十四年八月八日夕刻   鳥羽省三拝
 〔返〕  故郷は残り七夕の宵ならむ思ふどち相寄り酒飲むならむ

 追記。
 上掲の文章は、ともすれば「昨今の歌壇の現状が、八代集以来の旧態依然とした状態、即ちヒエラルキー構造を成しているのであり、永田和宏氏などの結社誌の主宰諸氏が、茶の湯や生け花の世界の宗匠的存在の人物と同様に、結社の最上階に鎮座していて、下層に位置する会員や新聞歌壇への投稿者などに君臨し、統率していると私・鳥羽省三が解説し、主張しているものであり、筆者の鳥羽自身も歌壇のそうした在り方を肯定し、かつ、宗匠然として威張り散らしている主宰諸氏や新聞歌壇の選者諸氏を尊崇している事を表しているが如き内容」と解釈されがちであり、現に私が是を記してからの数時間の間にも、「通りすがり」と称する方からの「歌壇の現状及びそれを尊崇する鳥羽省三を糾弾し、その責任を問う」といった、恫喝的内容のコメントが立て続けに数通寄せられているのである。
 しかしながら、「それが全くの誤解であり、筆者の私の意図するところはその辺りには無い」という事は、上掲の文章を熟読玩味されれば、必ずやご理解なされる事と思われますので、何卒、宜しくお願い致します。(八月十日暁闇に是を記す。鳥羽)

(貞包雅文さんの作品・其のⅡ)リバイバル版

2016年07月05日 | あなたの一首
      あなたの一首(貞包雅文さんの作品・其のⅡ)
                        2010年04月16日に掲載した記事の再録
 「あなたの一首(貞包雅文さんの作品・其のⅡ)」として、短歌誌「百合の木(2008・第9号)」に掲載されていた、連作「鳴らぬ一音」の十五首を観賞させていただきました。


○  遥かなる馬頭青雲その青きたてがみのごときらめけ言葉

 作中の「馬頭青雲」は、正確には「馬頭星雲」と記すべきところでありましょうが、作者の貞包雅文さんは、それにある意志を込めて、敢えて「馬頭青雲」と記したものでありましょう。
 左様、「馬頭青雲」の「青雲」とは、<青雲の志を抱いて>などと言う時の、あの「青雲」なのであり、そこから「その青きたてがみのごときらめけ言葉」と言う壮大な下の句の措辞も導き出されるのである。
 それはさて置いて、「馬頭星雲」とは、オリオン座にある暗黒星雲の名称であり、地球から約1500光年の距離に在るこの星雲は、馬の頭の形に似ていることからそのように名付けられたのであると聞くが、仏教者としての本作の作者は、ご自身の関係する<馬頭観世音>との関わりからこの星雲に着目し、この星雲の青く輝いている部分を「たてがみ」に見立て、「その青きたてがみのごときらめけ言葉」と、僧職とは別に自分が携わっている言葉の世界、即ち、短歌という文学形式の益々盛んならんことを祈願したものでありましょう。
 だとすれば、この一首は、連作「鳴らぬ一音」の冒頭に相応しい傑作である。
  〔返〕 遥かなる罵倒青雲その禍き意志そのままに燃え行け老残   鳥羽省三


○  ことだまの在す暗き水底に降りゆかんいざ真裸となりて

 連作冒頭の作品と比較してみる時、それと対照を為す内容や表現が素晴らしい。
 本作の作者は、連作の冒頭で「遥かなる」宇宙の煌きに思いを馳せ、自己の携わる短歌表現の成就を祈願したのであったが、それに続いてこの二首目に於いては、それとは逆に、裸一貫となって「ことだまの在す暗き水底に降りゆかん」と述べ、歌人としての、「ことだま」の漁師としての、ご自身の志と覚悟の程を語って居られるのである。
 この一首に接して、私は、『古事記』の<海幸彦伝説>を思い出したが、さて、「ことだま」の漁師・貞包雅文さんの水底探訪の収穫や如何に?
 [反歌]  真裸になりて魔羅だし水底の豊玉媛を訪ねて行かむ   鳥羽省三
      釣り針を失くして終はる水行の豊玉媛と交はひもせず   


○  夏爛けていよよ煩悩熾盛なりはるか虚空を巡る冥王

 2006年8月に行われた<国際天文学連合>の総会で、「冥王星」は1930年以来維持してきた惑星の座から滑り落ち、惑星でない<矮惑星>という位置に退けられてしまった。
 著名な天文学者・野尻抱影氏によって日本語で「冥王星」と名付けられたこの天体は、ローマ神話で冥府の王とされる<プルート>に由来するものであって、太陽系の最深部の暗闇に存在することから、いかにも「冥王星」と呼ぶに相応しく、怪しく謎の多い星である。
 「冥王星」の見かけ上の等級は14等級以下であるから、これの観測には、口径30cm程度の望遠鏡が必要となると言う。
 また、この天体の軌道は、太陽系の他の惑星とは異なって、真円では無く、歪んでいるが故に離心率が大きく、その軌道の一部が海王星よりも太陽の近くに入り込んでいることなどもあって、太陽からの距離を巡って海王星と比較されたり、その大きさを巡って学者の間で論争が交わされるなど、「冥王星」は、惑星の位置に在った頃からいろいろと取り沙汰された、不思議な天体であった。
 本作は、その不思議な落第星「冥王星」と、「夏」が「爛け」るにつれて「いよよ」「熾盛」となる作者ご自身の「煩悩」とを取り合わせ、冥府を総べる邪神<プルート>に魅入られたように「煩悩」の多いご自身の精神状態を慨嘆したものでありましょう。
 作者・貞包雅文さんは、連作「鳴らぬ一音」の冒頭に於いて、遠い天体への憧れと共に、<ことだま>としての短歌に賭けるご自身の昂揚した気分を歌ったのであったが、冥王星が惑星の座から滑り落ちた今となっては、そうした昂揚した気分も消え失せ、「煩悩」の塊と成り果ててしまったのでありましょう。
 [反歌]  冥界を総べゐる禍きプルートよ汝が剣もて吾を突き刺せ   鳥羽省三


○  絶望と歓喜の間で鳴く鳥よ化粧うがごとく夕陽に染まれ

 実景としては、夕陽を浴びて身体全体を真っ赤に染めて大空を翔けて行く鳥を詠んだものであろう。
 しかし、本作の「鳥」はあくまでも「鳥」であって、雀だとか鴉だとか鳩だとか鷹だとかといった特定の鳥に還元出来るものではない。
 その幻の「鳥」に向かって、坊主頭の作中主体は、「絶望と歓喜の間で鳴く鳥よ」と呼び掛け、更には「化粧うがごとく夕陽に染まれ」と、この天地を総べる王者の如く指令するのは、何よりも、作者ご自身の絶望と歓喜の余りに昂揚した気持ちの表れであり、それは同時に、昨今とみに減退しつつある性欲が齎すコンプレックスの告白なのかも知れません。
 しかしながら、如何に幻の「鳥」と言えども、あの鳥たちが「絶望」したり「歓喜」したりする訳など無いではありませんか?
 下の句「化粧うがごとく夕陽に染まれ」という表現に接して、私は、往年の春日井建の作品の世界とこの作品の世界とを重ね合わせて、しばし〈薔薇族の世界〉に遊ばせていただきました。 
  〔返〕 装ひて天地のはざま翔け行けば歓喜の如き夕陽射し来る   鳥羽省三 
 その「装ひ」たるや、何と驚いたことに、あの坊さんお馴染みの〈法衣袈裟姿〉ならぬ、膝上二十センチのスカートを穿いた女子高生紛いの女装なのであった。


○  「この星の血の色は青」口角を歪めて叫ぶアストロノーツ

  ごく普通のアメリカ人に「血の色は?」と問い掛けると、即座に「青」という答が返って来る確率はかなり高い、という話を耳にしたことがある。
 また、今年の時点でアメリカ人の宇宙飛行士の数は既に三百数十名に達し、その後にも、宇宙に旅立とうとして訓練を受けている宇宙飛行士候補生たちが目白押し状態なのだそうだ。
 だとすれば、現代のアメリカ社会に於いては、宇宙遊泳中に「地球の色は?」ならぬ「血の色は?」と問われて、「口角を歪めて」「青」と「叫ぶアストロノーツ」が居たとしても、それほど不思議なことでは無いという結論に達する。
 本作の趣旨は、「旧ソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは『地球は青かった』と言ったが、それに対してアメリカの宇宙飛行士なら、口角を歪めて『この星の血の色は青』と叫ぶだろう」という内容のギャグであり、そのギャグは、単なるギャグのままで終わらず、早晩起こり得ることが充分に予想される終末戦争への危惧を含めた内容の、恐ろしいギャグなのである。
 本作の作者・貞包雅文さんは、十五首連作「鳴らぬ一音」の創作に当たって、その一首目から四首目まで、比較的に中身が濃く、メッセージ性の強い作品を並べて来たが、五首目に至って、その緊張を解いて一休息する必要を感じ、このような軽い味の作品を詠んだのでありましょうが、前述の私の解釈に従えば、この一首の内容も決して決して軽いものではありません。
 「この星の血の色は青」というセリフの軽さやくだらなさに比べると、そのセリフを口にしたアストロノーツの「口角を歪めて叫ぶ」様子が余りにも大袈裟で滑稽であるが、その滑稽さと軽さこそ、作者が狙いとしたものでありましょう。
 「軽さ」の中に込められた「重さ」を、私たち本作の読者は、この作品の鑑賞を通じて、十分に感得すべきでありましょう。 
  〔返〕 体内を流れる血潮は日捲りの土曜の如き<青>なのである   鳥羽省三 


○  早馬が着きしにあらず弛緩したメールで届くいくさのしらせ

 「早馬」は、近世までの重要な通信手段の一つであり、戦国時代などに於いては、その早馬で以って、遠くで行われている「いくさのしらせ」が届けられたことも実際に在ったに違いない。
 本作は、そうした「早馬」と、その「早馬」に替わる現代の「早馬」たる「メール」を題材にし、それに、近頃アメリカ人などがその主役となって頻繁に起している戦争の話題なども付け加えて、現代の世相を皮肉ったものである。
 「早馬」に較べれば、「メール」という通信手段は遥かに進歩していて、その通信可能な範囲は比較にならないほど広くなり、その担い手も大衆化している。
 したがって、戦争好きな現代社会のあちこちで起きている「いくさのしらせ」が、「早馬」ならぬ現代の早馬「メール」で届くことも充分に考えられるし、現に、国家機密として厳重に報道管制が布かれている某国の辺境で頻発している「いくさのしらせ」などは、その「メール」で以って、国家首脳より先に、民間人が入手している事態となっているのである。
 そのように考えると、この一首の趣旨は単なるギャグの範囲を越えたものになり、その意味も、直前の作「アストロノーツ」とは、比較にならないほど重くて深いものとして観賞しなければならないものとなる。
 作者の貞包雅文さんは、連作中の遊びのため(或いは、繋ぎのため)の作品をたった一首で止めたのである。
 連作も五十首や三十首などの大作の場合は、気分転換のための遊び(或いは、繋ぎ)の作品が二首も三首も続くことがあり、中には、連作全体が<遊びに続く遊び>、<繋ぎに続く繋ぎ>といった弛緩した状態で終わってしまう駄作だらけの連作も在る。
 だが、本作は、連作と言ってもたった十五首の連作であり、また、本作の作者は、見せ掛けとは裏腹に、本質的には、一首で以って現代社会の世相を鋭く抉るといった内容の作品を得意としている歌人であるので、この作品は、直前の作品に続いてギャグ風の作品に見せ掛けながら、その本質は、非常に重くて深い内容を含んだ作品なのである。
 この地球上のあちこちから、「メール」で以って「いくさのしらせ」が行き交いする事態になることが充分に予測される現代である。
 某国からのグーグルの撤退は、「メール」という通信手段の敗北を示すものでは無い。
 むしろその逆で、現代の早馬「メール」で以って「いくさのしらせ」が異国に届けられたならば、国家転覆の危機をも招きかねないことを警戒した、某国為政者の短慮から起こった緊急的かつ本末転倒的事態を示すものなのである。
  〔返〕 情報の重さに耐えぬツイーターは現代社会の痩馬早馬   鳥羽省三 


○  いとけなき乙女子わたりゆく橋のかなたにおぼろ菊の紋章

 あのお嬢ちゃんの御祖父に当たるお方を国家の象徴として仰がなければならない立場の一人としては、本来は「愛子様」と敬称付きでお呼びしなければならないのでありましょう。
 でも、過ぎし年の彼女の通学校での運動会に於けるリレー選手としての彼女のご奮闘振りが余りにも健気で可愛らしいものであったから、私は、彼女のことを「様」付きで呼ぶことは止めにしようと思う。
 そして、愛子ちゃん、いや、事の序でに「子」も取って、単に「愛ちゃん」と呼ぶことにしようと思う。
 私は、この一首を目にした瞬間、在ろうことか、あの健気な<愛ちゃん>が、通学校での手痛い虐めに遭遇し、一人だけ教室を逃げ出し、守衛さんの手を振り切って校門を潜り抜け、校外に出て、涙を堪えながらとぼとぼと自宅の門前の二重橋を渡って行く様を想像してしまった。
 その門には、あの御一家の象徴である「菊の紋章」が刻されているのだが、涙で曇った<愛ちゃん>の目には、それが「おぼろ」にしか見えないのである。
 この鈍感な私に、そういった非現実的な想像を許すのは、本作の持っている緊迫した現実感である。
 人によっては、本作のテーマを、たちの良くないブラークユーモアと捉える向きもありましょう。
 しかし、その<ブラックユーモア>のブラックの度合いが余りにも大きい時には、それを<ブラックユーモア>を越えた、ヒューモア劇の傑作として捉える人も居りましょう。
 私は、そうした人の一人なのかも知れないが、作者の向けた鉾の先に在るのは皇室制度なのかどうかは私にも判らない。
  〔返〕 卓球とテニスとモーグル我が姉と 君ら「愛ちゃん」いずこにも居て   鳥羽省三


○  観覧車まわれよまわれモノクロのハリー・ライムが笑ってやがる

 詠い出しの「観覧車まわれよまわれ」は、本作の作者ご自身も所属する「塔短歌会」の幹部同人である栗木京子さんの初期の代表作「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」から剽窃したものである。
 だが、本作の内容のほぼ全体は、1950年度の<アカデミー賞>及び19490年度の<カンヌ国際映画祭大賞>を受賞した往年の名画『第三の男』に取材している。
 作中の「ハリー・ライム」とは、名優オーソン・ウェルズが出演して話題となったこの映画の登場人物であり、映画の題名となった「第三の男」とは、この人物を指すのである。
 この人物は、主役・脇役という区別からすると脇役の一人に過ぎないが、この映画の中では、ジョセフ・コットン扮する主役のホリー・マーチンス以上の存在感を示し、映画の題名にもなった主要人物である。
 下の句に「モノクロのハリー・ライムが笑ってやがる」とあるが、彼<ハリー・ライム>は、この映画の中で主人公の<ホリー・マーチンス>に向かって、「スイスの同胞愛、そして五百年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」という名セリフを吐くのであるが、このセリフと「モノクロのハリー・ライムが笑ってやがる」とを考え合わせる時、その表現の深みが明らかになり、短歌作者としての貞包雅文さんのレベルに驚嘆せざるを得なくなる。
 この映画の舞台は、第二次世界大戦後、米英仏ソの四ヶ国による四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーン。
 そのウィーンの名物の大観覧車の中で、主人公のホリー・マーチンスは、死んだはずの親友・ハリー・ライムの姿を見かける。
 そこで、追いかけるホリーと逃げるハリー。
 やがて逃げるハリーは、大戦後のウィーンの貧しさを象徴する地下下水道の中に逃げ込んで行く。
 そこで、追いかけるホリーもまた、その地下下水道に入って行く。
 地下下水道の中に、逃げる者と追いかける者との靴音が響く。
 追いかける者と追いかけられる者は旧友である。
 その靴音にかぶさるようにして、アントン・カラスの演奏するツィターの音が物悲しく鳴り響く。
 再度言うが、下の句の「モノクロのハリー・ライムが笑ってやがる」が宜しい。
 「モノクロの」は、単に、この映画が「モノクロ」映画であったことを説明しているのではない。
 主人公のホリー・マーチンスにとっては、親友だったはずのハリー・ライムという存在そのものが「モノクロ」なのである。
  〔返〕 株の値よあがれよあがれユニクロの柳井正が笑ってやがる   鳥羽省三


○  クラスター爆弾(ボム)が炸裂する朝ぼくらは蝶のはばたきを聞く

 主題は「戦争と平和」である。
 深読みすれば、その「朝」に「ぼくら」が聞いた「蝶のはばたき」は、「クラスター爆弾が炸裂する」予兆なのかも知れないし、余韻なのかも知れない。
 この一首に接して、どこかの国の総理大臣の弟の趣味が「蝶」の蒐集で、その趣味を通じて知り合った「友だちの友だちがアルカイダである」という旧聞を思い出した。
  〔返〕 長崎にピカドンが落ちたその刹那 蝉はいつものように鳴いてた   鳥羽省三
      広島にピカを落とした飛行士がいつも着ていた擦れた革ジャン      々     


○  赤錆びし物見櫓の鉄塔にのぼれば見ゆるわれを焼く火が

 「赤錆びし物見櫓の鉄塔にのぼれ」た者とは、生きている者である。
 その生きている者の目に「われを焼く火」が見えるはずが無いから、この一首は、「赤錆びし物見櫓の鉄塔」という、前時代の象徴のような物を目にした瞬間、その余りの荒涼とした感じに驚いて、「あの赤錆びた物見櫓の鉄塔にのぼれば、この自分を焼く業火が見えるはずだ」と、直感的に感じたのであろう。
  〔返〕 赤錆びた火の見櫓に登ったら不知火海の漁り火が見ゆ   鳥羽省三

 
○  反戦歌とうに忘れてかき鳴らすギターのついに鳴らぬ一音

 「反戦歌」の流行が終末を遂げようとしていた頃の巷には、<カレッジフォーク>と称する、人参や玉葱が腐れて行く時に発する音のような、匂いのような、生ぬるく臭い歌が流行していた。
 あの生ぬるく臭い歌どもの伴奏をする時に「かき鳴らすギター」には、「ついに鳴らぬ一音」が在ったのであろうと、今にして私はつくづく思う。
 本作の作者もまた、この私と同じ思いなのでありましょう。
  〔返〕 マイク真木・ガロに森山・フォークルにカレッジフォークの聴くに耐えなさ   鳥羽省三
 

○  向日葵の種がひとつぶあれば良い握り拳の中の荒野に

 人も知る、寺山修司の「一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき」を典拠とした作品である。
 <本歌取りの歌>と呼ぶには、余りにも寺山に付き過ぎているし、かと言って、模倣歌とも言えないし、歌詠み上手の貞包雅文さんの作品としては、何ともかんとも評言に困る、実に始末の悪い作品である。
 いっその事、<無くもがな>の作品とでも述べておきましょうか?
 著名な歌に寄り掛かった、こうした作品を自分の作品として作る場合の最低の条件としては、典拠となった作品に無い独自な要素を、一点だけでも良いから自分の作中に盛り込むことである。
 本作には、寺山の作品に在って本作に無い魅力は沢山在るが、本作に在って寺山の作品に無い魅力は、ただの一点も無い。
 それでも尚かつ、作者としては、「ひとつぶあれば良い」や「握り拳の中の荒野に」辺りを寺山作に無い要素として、自信を持って創り、自信を持って発表されたのでありましょうが、一読者としての私の立場で言わせていただければ、それは作者ご自身の自己満足、自己欺瞞に過ぎないと思われるのである。
  〔返〕 無くもがな在らずもがなの歌も在りそれのみ惜しむ「鳴らぬ一音」   鳥羽省三


○  ありあけの月まなうらにとどめつつついに空席のまま父の椅子

 本作に関しては、短歌誌「百合の木」の<代表>たる塘健氏が、同誌に卓越した評言を著していらっしゃるので、無断ながらその全文を転載させていただき、私の観賞文に代えさせていただきたい。

 シッダールタ、後のシャカは十六才で結婚する。妻の名はヤソーダラ。二十九才の時に第一子が誕生し、彼はその子にラーフラ(悪魔)の名を与へ、そして妻子を捨てて家出する。妻子を捨てたシャカは生老病死からの自己解放、すなはち悟りを目指す。捨てられたラーフラ(悪魔)にとって、父は永遠の不在であり、空席であった。         (転載終り)

 作者が僧籍に在られることを考慮して、仏教の祖・釈迦の事績を作中の表現と関係付けるなど、極めて示唆に富む論評ではありますが、敢えて、一言を添えさせていただきますと、「父」の不在(空席)の背景として、「ありあけの月」を配したのは、実に見事な表現と言う他は無い。
  〔返〕 父は月 母は日にして その月の無きを照らせる有明の月   鳥羽省三 


○  踵から海になりゆく水際の君に打ち寄す無限の叫び

 「水際」に佇む「君」の「踵」を打ち寄せる波が濡らすことを、「踵から海になりゆく」と言い、打ち寄せる波の音と、「君」に寄せる作者ご自身の思慕の情を、「無言の叫び」としたのである。
 「踵から海になりゆく」という表現の、言うに言われない表現の見事さよ。
  〔返〕 眼窩から暮れ行く渚に佇みて歌はぬ君の歌を聴いてる   鳥羽省三


○  無果汁のジュースの甘さ嘘っぱちだらけのまるでぼくらのように

 「無果汁のジュースの甘さ」とは、ただ単に売らんがための「甘さ」であり、ただ単に飾らんがための「甘さ」である。
 僧侶であり、教師であり、歌人であり、人間である本作の作者・貞包雅文氏と言えども、時に無意識に、時に意識しつつ、「無果汁のジュースの甘さ」のような笑みを顔面に湛えることがあるに違いない。
 「嘘っぱちだらけのまるでぼくらのように」という下の句の措辞が目に耳に胸に痛い。
  〔返〕 戦時下の八紘一宇を思はせて亜細亜に広がる味の素かも   鳥羽省三  

日暦(11月20日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
○  夕闇の濃くなる方に消えなむと携帯電話をOFFにして出づ   鳥羽省三



○  省三とは「一日三度反省す」といふ謂ひかや我が事ならず   鳥羽省三

〇  居住まひを正して居たり歌どもが我が訪れをひたすらに待ち  鳥羽省三

〇  居住まひを正して居たり歌どもが十首揃ひて吾を待ち居たり

○  喪の家の門を出づれば月のみち逝きにし人を偲びて往かむ   鳥羽省三

○  喪の家を出づれば明かき月のみち逝きにし人を偲びて往かむ


〇  阿寒湖の水の緊張解けざれば丹頂五百羽飛び立つを得ず

〇  十二月八日佐渡山豊の誕生日『ドゥーチュイムニイ』を聴きて祝ひぬ

〇  時折りは晴るる日もあり山頭火あすは時雨れて何処を彷徨ふ

〇  折節は炉火に面向け思索しけむ我のまぼろし少年ケニヤ

〇  駅前に赤青二個のポストあり二個とも口を閉ぢて黙れり  鳥羽省三

〇  駅前の赤いポストはもの言はず手紙を書かぬ吾を蔑む

〇  駅前の青いポストは速達用料金高くて速達出さぬ

〇  駅前の赤青二個のポスト見て「鬼みたいね」と孫は言ひたり

〇  メール打ち誰も手紙を書かざれば二個のポストは道の妨げ

○ 光背を背負へる吾にあらなくもともかく生きて古希の座に在り   鳥羽省三

○ 格別に目出度きことにあらねども養殖鯛の頭など喰ふ          

○ 幾たびの大患を経し命なれ鯛の骨までせせりてぞ居る

○ 思へれば去年の今日は引越しのどさくさ中で祝ひも得せず

○ 先生は何歳になりましたかと電話くれたる教へ子の在り

○ 我が歳を問ひたる彼は四十五で問はれし我は七十になる

○ 過ぎ去りし七十年のあらかたは無為に生き来しこれからもなほ

○ 生年は紀元二千六百年没年おそらく二十一世紀

○ 逢ふ前の二十八年逢ひし後の四十二年そしてこの後

○ あはれ この梅雨空のした十キロの米を抱へて妻は帰りぬ

○  吾はいま自(し)の晩年を生き居るや三日月の影しみじみと見つ

〇  「記憶には御座いません」と口を割る鉄板焼きのマテ貝いくつ   鳥羽省三

〇  放生の鰻惜しむや赤口忌ヨメの分まで食べちゃったとさ  鳥羽省三

〇  意地張って降りますランプは点さぬが区役所前で私降ります

〇  東方の三賢人も訪れて厩に額づき祝詞を述べぬ

〇  秋三夜昨日満月明日立待今日の十六夜誰と過ごさむ

〇  生き延びてその先怖し秋の蚊は此の家の女房目の仇にす

〇  露の身の露の身ながら蕎麦召されつゆのみ残し蕎麦湯にぞする

〇  身を正し徘徊すれば影もまた自ずと正す白露なるかも 



   

  

日暦(5月17日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
     北さんへの早朝便    鳥羽省三


哀しいね!定期船は来やしねぇ!瀬戸内の孤島・粟島で君こそは俊寛僧都!

粟島に暗雲漂う皐月朝!婆様は泣き叫び!爺様は小走り!

オンボロのバイク飛ばしたくも燃料切れ!島一軒の給油所閉鎖!

キス・ギザメ・鰈・黒鯛・スズキなど、よく釣れますが魚は食えぬ!

岩壁に釣り糸垂れる爺さんの後ろ姿に隠せぬ涙!

アンテナを修理したとて映りません!ヨコスカ住まいの愛孫の顔!

在る物は千切れた縄と錆び鉄と!島の波止場に便船は来ず!


    北さんへの深夜便   鳥羽省三

粟島でさくらんぼとは驚いた?山形衆に叱られちゃうぞ!

甘いのは佐藤錦という品種!他の品種はジャム向きである!

酸っぱくて甘くて丸くて柔らかく何処か似ている君の生き方!

酸っぱくて少し甘くて虫食いで何処か似ている我が人生と!

粗食だね!菜食主義だね!不味そうだ!ばっちり見たぞ!お宅の夕餉!

島に居てなにゆえ魚を食わぬのか?蛋白不足は命取りだぞ!

日暦(11月29日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
    『植田正治のつくりかた』展を詠む十首    鳥羽省三


〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」僕はチャリンコ魚屋さんだ

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」君のチャリンコ恰好悪い

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」私のママは着物でおめかし

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」私のパパはハイカラ紳士

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」末のおとうと高い高いしてる

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」僕のいもうとかなり可愛い

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」中のおとうと本が大好き

〇  砂丘には「パパとママとコドモたち」パパとママとはいつも仲良し

〇  僕のパパ田舎のカメラマン腕は良しモデルになるのはいつも家族だ

〇  ママのこと自慢したくもなるのかな?パパにとっては美人のママだ!

                      (於・東京ステーションギャラリー)

日暦(10月8日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
〇  放生の鰻惜しむや赤口忌ヨメの分まで食べちゃったとさ  鳥羽省三

〇  意地張って降りますランプは点さぬが区役所前で私降ります

〇  東方の三賢人も訪れて厩に額づき祝詞を述べぬ

〇  秋三夜昨日満月明日立待今日の十六夜誰と過ごさむ

〇  生き延びてその先怖し秋の蚊は此の家の女房目の仇にす

〇  露の身の露の身ながら蕎麦召されつゆのみ残し蕎麦湯にぞする

〇  身を正し徘徊すれば影もまた自ずと正す白露なるかも     

日暦(10月14日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
〇  栗のとこも少し多く入れてよね! 栗きんとん屋の店番おばちゃん
                             鳥羽省三

〇  ヤクルトを明日から配達しないでね!ミルミル飲んでる児は育つから

〇  前身頃後ろ身頃が豹柄で伊太利屋ルックはすごく野暮くさ

〇  妻に遭う外出先で妻に遭う!妻も浮気をしてるのかしら?

〇  驚いて逃げる鼬は走りつつ必ず臭い屁を放つんだ

〇  赤線が廃止されたと友云ひきあの日の僕らは童貞なりにき

〇  「放哉全集を我が柩に納めよ」と言ひにし汝の若き日あはれ

〇  真しやかな嘘であらむと禱るのみ北のお国の核開発計画 

日暦(10月16日)

2016年07月02日 | 我が歌ども
〇  「愛蘭に行きたし」といふ詠ひ出し柔な短歌と思つて詠まぬ  鳥羽省三

〇  「愛蘭に行きたし」といふ詠ひ出しHな歌だと思はるるかも

〇  蘭印のH作戦とは謂ふが爪哇の男ら遣り込めただけ

〇  波蘭生まれの力士はまだ居らず居らば把瑠都のライバルなりき

〇  そのかみの印度林檎の香の如く柔らかき紙三枚欲しも

〇  「河・内」と書いても訓み方二通り「河内でハノイ音頭の河内」

「題詠2012」出詠歌(鳥羽省三)

2016年07月02日 | 題詠blog短歌
001:今
〇  金色にキタキツネの尾の黄昏て今日一日の道北の旅   ※金色(こんじき)
002:隣
〇  隣人と言へど微笑交はすのみメガロポリスに暮らす羞しさ   ※羞しさ(やさしさ)
003:散
〇  葉桜の村一軒の散髪屋 五人目の胎児を孕めると言ふ   ※胎児(こ)
004:果
〇  「努力した結果が出せて嬉しい!」とアスリートらは一様に言う
005:点
〇  燭点し夜陰の奥に分け入れば桜降り敷く吉野象谷   ※象谷(きさだに)
006:時代
〇  雄ごころを熱く燃やせし時代過ぎ石川五右衛門釜茹での刑   ※時代(ときよ)
007:驚
〇  老いぬれば驚くこともなかりけり男狂ひの妻女の死さへ
008:深
〇  深間には嵌るまい!とは思ひつつ「紀香いのち」と二の腕に彫る
009:程
〇  程々に通ひ慣れたる須磨明石澪標も無き蓬生の宿
010:カード
〇  カードなら馬鹿っ花歴二十年後ろ姿に五光射してる


011:揃
〇  揃へ置く『謡曲大観・全七巻』菊判上製天金美装
012:眉
〇  原沙知絵明眸皓歯眉毛濃し細腰流麗才色兼備
013:逆
〇  いにしへの逆さクラゲを今風に言へばラブホと言ふのでせうか?
014:偉
〇  政界のラスプーチンとしての名を益々上げよおらが義偉   ※義偉(よしひで-神奈川二区選出衆議院議員・菅義偉氏)
015:図書
〇  萬巻の図書を収むる蔵に居て糊食む紙魚の幽き生よ
016:力
はらからは年齢順にあの世行き「次はわたし!」と姉は力みぬ
017:従
〇  あらたしき因幡の守は従五位上大伴家持いやしけ吉事
018:希
〇  希土類の某国依存体質は克服すべき重大事なり
019:そっくり
〇  木久扇のそっくりさんになれるなら木久蔵ラーメン主食にもせむ
020:劇
〇  日劇の幕間で算盤弾いてゐたメガネ男はトニー谷だぞ

021:示
〇  指示方向は北天である!大熊座のミザール目掛けて草矢を発射!
022:突然
〇  突然に藪から棒に言われても藪から棒は出せないわよね!
023:必
〇  必然的かつ偶発的事故に因る恒久的措置としての停電
024:玩
〇  究極の玩具としての歌なれば『哀しき玩具』と名付けしならむ
025:触
〇  鎧袖一触長六尺の薙刀で武蔵坊弁慶は奮戦す!
026:シャワー
〇  シャワーの音が忽然と途絶えたの!それから後のことは知らない!
027:損
〇  「損料はお前の身体で払へよ!」と、にたにた笑ひ備前屋は云ふ
028:脂
〇  「そちのこの凝脂がわしにはたまらんわ!」志津を抱きつつ代官は謂ふ
029:座
〇  公園のジャングルジムの赤錆びて座布団持った子らのちらほら
030:敗
〇  敗け知らず一人横綱白鵬がたまに負けると座布団が飛ぶ

031:大人
〇  本居宣長大人の『古事記傳・現代語譯』近日刊行   ※本居宣長大人(もとをりののりながうし)
032:詰
〇  詰みなるを既に知りにし故なるか羽生善治の羽織揺れたり
033:滝
〇  滝口の斉藤時頼横笛に恋せし故に嵯峨にて入道
034:聞
〇  仄聞にしてあの結末は知りません!あれから<花は何処へ行った>か?
035:むしろ
〇  その実はむしろ旗立てダム工事反対運動するような人
036:右
〇  「右は京、左は名古屋」と書いてあり木曽街道は和田の三俣
037:牙
〇  「亡き後は結社誌『牙』を廃刊す!」石田比呂志の遺言哀れ
038:的
〇  北の国より眺めたら格好の的となるべしスカイツリーは
039:蹴
〇  蹴るならば馬の金的詠むならば塚本邦雄の身魂冷やせ
040:勉強
〇  そのかみの勉強嫌いの少年が「勉強します!」と西瓜売ってる

041:喫
〇  喫緊に迫れる御用の無き者は当トイレへの出入りを禁ず
042:稲
〇  『稲妻』はセンチメントが過剰気味成瀬巳喜男の失敗作だ!
043:輝
〇  岸輝子、千田是也を夫とし肝っ玉母さんと慕われました
044:ドライ
〇  「氷よりドライアイスって型なのね!すごく冷たく胸が焼けそう!」
045:罰
〇  罰盃は「日本一のこの槍」と歌に残れる酒豪の太兵衛
046:犀
〇  犀ヶ窪、戦国時代の古戦場、徳川勢が武田を夜襲
047:ふるさと
〇  ふるさとの小野の算盤音も絶え電卓だけが売れてると云う
048:謎
〇  「何ぞや」が短縮されて「謎」になり、「謎かけ遊び」も始まりました。
049:敷
〇  下敷を当てた一瞬 隣席の下村梅子の髪が逆立ち
050:活
〇  活動着とは今で謂うジャージとかジーンズ姿を指して云うのか?

051:囲
〇  「囲い者、はっきり言えばお妾さん!僕の母さんそんな境涯!」
052:世話
〇  世話焼きはたった一つの道楽で長屋の奴らに迷惑がられ
053:渋
〇  去年の秋ママンが値切りし麦藁帽渋谷で被り笑はれにけり    ※去年(こそ)
054:武
〇  武蔵野館 映画ファンの僕の城 三本立てで一日過ごす
055:きっと
〇  この僕をきっと見つめて君は言う「あほんだら!」とはあまりの言葉!
056:晩
〇  晩餐ののち鉄瓶の湯の冷めて好きな昆布茶飲まず転寝
057:紐
〇  組紐を編むを習へる者の居て教へる者も居るのが日本
058:涙
〇  春愁は緋桃の色か花筏浮かべてそぞろ涙を誘ふ
059:貝
〇  貝印は軽便剃刀に釦だけ?シェル石油のマークも貝だ!
060:プレゼント
〇  男性はプレゼントの品を手に持ってタイプの女性の前に整列!

61:企
〇  すでにしてお手当ちっともくれないの!かりがねせねばと企つ こころ   ※すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる(塚本邦雄『青き菊の主題』より)
062:軸
〇  鉛筆も今では〈Made in China〉軸の具合がイマイチである
063:久しぶり
〇  剣菱を冷で飲むのは久しぶり!お酒はやはり冷に限るわ!
064:志
〇  志とは虚しくて吐息にも似たはかな事 こころざし棄つ
065:酢
〇  泡立ちて花火の如し酢の中にラムネを入れて一人の夕餉   ※花のごとく開くいくひら酢の中に牡蠣死なしめて一人の夕餉(富小路禎子『白暁』より)
066:息
〇  吐息吐き小皿叩いて歌ってた過ぎし昭和は懐かしきかな
067:鎖
〇  連鎖店<カタカナ語ではチェーンストア>ロバのパン屋も連鎖店とか?
068:巨
〇  ヴェルサイユ宮にて巨頭らが談合せしパリ会議のテーマは講和
069:カレー
〇  ギター弾き『カレーライス』を歌うとき遠藤賢司の目に湧く涙
070:芸
〇  「芸の肥やしにならむ!」との言ひ草は莫連女に騙されてのこと!

071:籠
〇  金冠を残して欠けし太陽の籠の渡しの葉漏れ日に見ゆ
072:狭
〇  JR西日本の厚狭駅 石見神楽の大蛇が轢死   ※大蛇(おろち)
073:庫
〇  庫山窯青華緑彩煎茶揃只今特価販売中
074:無精
〇  「無精〈不精とも〉(名・形動ナリ)。精を出さずに怠けること。」
075:溶
〇  「失礼な!あたい〈ヨウコ〉の〈ヨウ〉は溶けるの〈溶〉とちゃいまんねん!」
076:桃
〇  白桃は淡き産毛に身を包み我が訪れを今か待つらむ
077:転
〇  山川草木転た荒涼戦場に風吹きて我が二児はや逝きぬ
078:査
〇  梅ちゃんは期末考査で落っこちて再試を受けてようやく及第
079:帯
〇  二重巻く塩瀬の帯を三重に巻き咽びし夕べの思ひ出もはや
080:たわむれ
〇  たわむれにただ一人乗る観覧車我が一日の思い出として

081:秋
〇  母胎より彼岸に急ぐ道のりの途次に出逢ひし秋景色かも   ※母胎より彼岸に到るここの道いましばらくの緋なる夕映(富小路禎子『柘榴の宿』より)
082:苔
〇  室生路は苔の細みち杣のみち市女笠往く虫垂れ衣の
083:邪
〇  邪なことを謀れるロシア人の着るTシャツはいつも縦縞
084:西洋
〇  幕末に西洋絵画を学び得し高橋由一の雅号は藍川
085:甲
〇  荒れ果てて蔦の絡まる甲子園虎も兄貴も今は吠えない
086:片
〇  夕まづめ片口鰯の大群が鯨に追われ磯に激突
087:チャンス
〇  「チャンスなら後ろ髪引き掴め」とは石原伸晃氏のことかしら?
088:訂
〇  『三訂版・〈日暦〉研究』発売中。鳥羽省三著・百部限定。
089:喪
〇  喪の家の仏間より観る三日月の寒けくあれば直に泣かるる
090:舌
〇  舌の根も乾かぬうちの立候補安倍晋三よ恥を知れアホ

091:締
〇  締まり屋でお金にシビアな姑の七回忌には法事などせぬ!
092:童
〇  政界のアンパンマンとは彼のこと!童顔崩れの顔でお馴染み!
093:条件
〇  条件は財産全てを譲る事!お金は出すが口出さぬ事!
094:担
〇  「担任は鳥羽先生!」と告げられて溜息漏らす女生徒は嫌!
095:樹
〇  樹木医になりたいなどと孫は云う!人間を診る医者にお成りよ!
096:拭
〇  清拭は嫁の私が致します!どうぞお尻をお出し下さい!
097:尾
〇  尾を振りて妻に寄り来る犬なれば時折りクロを妬ましくなる
098:激
〇  激流をカヌーで下る子持つゆへ母の百恵は夜も眠れず
099:趣
〇  趣味は金!せっせせっせと金を貯め!馬鹿息子らに盗られてしまう!
100:先
〇  黄葉の先に在るのは寒い冬!公孫樹よ君は散るを急ぐな! 

販売品見本(販売価格、消費税とも千円也)

2016年07月02日 | ビーズのつぶやき
早稲田勉強一 様 へ   
私の大事な旦那様 へ  

 拝啓、私の大事な大事な旦那様。
 本日は、定年退職のご祝宴の座にお着きになられまして、満面に笑みを浮かべられているものと拝察申し上げ、大変失礼ながら、貴方様の糟糠の妻たる私からも書面にてお祝い申し上げます。
 私はなにぶん田舎者にて、職業と言えば、自分が二十年余り従事して来た小学校の教師生活しか知らず、また、男性と言えば、私自身の勤務先の男性教師たち、即ち、紳士服のアオヤマで購入した安物の背広を着た切り雀の小学校の男性教師しか知りませんでした。
 したがって、結婚前の私は、当代もてもてのコンピューター輸入商社のエリート社員である貴方様のことを、東京・銀座の英国屋御謹製のばりばりのスーツをとっ替えひっ替えご着用になさって居られる紳士の方か?とばかり思って参りました。
 また、私が、そうした紳士の貴方様と結婚すれば、貴方様と私が営む家庭は、結婚直後は致し方が無いとしても、いずれは、トステム社製の玄関扉の開け閉めや、荘重で瀟洒な外国製家具ばかりを並べたリビングルームと、一面に西洋芝を敷き詰めた百坪以上の庭園とを隔てる雨戸や、リムジン・カーを含めて三台の外車を格納するガレージの扉なども、いずれはコンピューター機能を駆使した、超電動式のものに替わるはずだ?とばかり思って参りました。
 更に申せば、近頃、益々世話が焼けるようになった二人の息子や、一日に一回程度は粗相をしてしまい勝ちな、お母様のおしものお世話なども、全て、御社販売の大型コンピューターが始末をして下さるはずだ?とばかり思って参りました。
 そんな愚かで必ずしも美人過ぎるとは思われない私を、気が遠くなるほど長い歳月お支えになられ、お仕事専一に務め上げられ、今日、目出度く、満六十歳、定年の日をお迎えになられた、私の大事な大事な旦那様、早稲田勉強一様、本日は真におめでとうございます。
 本来ならば、面と向かって、三つ指を突いて申し上げるところではございますが、お母様はともかくとして、二人の息子たちの手前もありますから、そういう訳にも行きませんので、その段は、曲げてお許し下さいませ。
 さて、先刻は貴方様のご職業と関連させて、あのような愚かなことを申し上げてしまいましたが、結婚以来二十数年、貴方様の定年退職の日を迎えた今日、当然の事ながら、貴方様との結婚前の私の、愚かな予測は見事に外れ、国産車一台を格納するがやっとのガレージは雨漏り状態、安物の家具類で壁面一杯を塞がれているリビングルームと、パンジーの赤と法蓮草の緑だけがやたらに目立っている狭い庭とを隔てている、電動式のシャッターはガタガタ状態になってしまい、開け閉めにも不自由を感じるような状態になって居ります。
 また、お洗濯、お掃除、お炊事などは、一応は世間様並みに電化製品を使わせていただいては居りますが、依然として手間のかかる二人の息子の世話、及びお母様のおしものお世話などは、まだまだ電化されそうにはありません。
 かと言って、私は何も、貴方様との結婚生活に対しての不満をたらたら申し上げようとしているのではありません。
 それどころか、結婚以来の私は、日本史上に類を見ないくらいの果報者でございました。
 いや、それはかなりオーバーな表現ではありますが、これまでの私たちは、一応は、世間並程度の幸福な生活を営んで参りました。
 車で十分程度の時間を費やせば往復できる距離の家に居住している私の姉は、近頃、私に、「貴女のご亭主の早稲田勉強一さんは、私の偏屈亭主の鳥羽省三とは違って、学習効果が覿面に上がる男性とお見受けするから、貴女は、どんなことでも、彼に言葉にして言いなさい。そうすれば、貴女の優しいご亭主様は、貴女の希望を何でも叶えて下さるでしょう」などと適当なことを言って居りますが、そのせいかどうかは存じませんが、近頃の貴方は、パチンコ屋さんや煙草屋さんへも足を運ばなくなり、その代わり、お母さんのお部屋からの呼び鈴が聞えて来ると、逸早く駆け付けるようにもなって下さいました。
 お終いに、もう一言、日頃から私が気になっていたことを申し上げますが、演歌歌手・三船和子さんが歌っている『旦那様』という演歌の一番の歌詞に、「♪♪私の大事な旦那様/あなたはいつでも/陽の当たる/表通りを歩いて欲しい」とあり、その部分になると、歌い手の三船和子さんの美声は、私にとっては、特に切なく響いて来るようで、聴くに堪えないような思いをしているのでありますが、貴方様の職場生活は、少しは「陽の当たる表通りを歩いて」いたのでありましょうか?
 その点はともかくとして、我が家も、昨年、貴方様のお給金のお蔭でリフォームを済ませ、以前よりはかなり明るくなりました。
 つきましては、御退職後の貴方様は、リフォームを済ませた我が家でも特に明るいお二階のお部屋で、大好きな海外ミステリー小説でも読みながらお過ごし下さいませ。
 また、時々は、東京の青山通りのレストランなどにも、私とご同行下さいませ。
 そして、何よりも健康保持の為、一日に一遍、雨の日も風の日も、必ず、愛犬・クロとのお散歩を欠かさないようにお励み下さいませ。
 長々と愚痴めいたことばかりを書き連ねて参りましたが、これも貴方様の定年退職をお祝い申し上げたく、貴方様を初めとした早稲田家・家族一同の健康と多幸を祈念しての一存で御座いますから、失礼の段、何卒、お許し下さいませ。
                                                              かしこ

題詠2011・百首歌(鳥羽省三)

2016年07月02日 | 題詠blog短歌
001:初
○  初七日の御斎召しつつ涙せし彼の日思ひぬ二十五回忌
002:幸
○  幸薄き少女なりにき死の床で問はれし応へもせずに逝かしむ
003:細
○  細腰の乙女娶りしはずなるに今は体重六十五キロ
004:まさか
○  まさかりを担いで行こう遠足に足柄山にはやまんばも居る
005:姿
○  八度目の恋の相手は姿美千子 倉田誠に娶られ泣きつ
006:困
○  困惑の挙句に添ひし我らなる出逢ひし土地は新宿二丁目
007:耕
○  公田とふ姓にありしか耕一は家売り田売り村を出でにき
008:下手
○  下手投げ杉浦忠の快球速捕手の野村のふぐり揺曳
009:寒
○  咎池にさざなみ騒ぐ昏刻をぶるると震ふ寒天の皺
010:駆
○  駆け出せば止まること無き松野さん福岡市会議員さんです
011:ゲーム
○  ゲーム感覚で詠みましょう一日に百首投稿十分可能
012:堅
○  堅き意志固き頭の公彦の時に笑まふか少女の前で
013:故
○  故宮にて宦官勤め半世紀その後台湾そして美国へ
014:残
○  残響は未だに耳朶にこびり付き時折り胸を刺すこともある
015:とりあえず
○  とりあえず身体を交わしその後で割れたグラスの始末をしよう
016:絹
○  マヌカンの絹のブラジャー剥がされて売り場の隅に転がされてた
017:失
○  左足を急に持ち上げオシッコし失敗顔でクロは照れてた
018:準備
○  いつ来ても「準備中」との札下がり浅草大将ラーメン怠業
019:層
○  百層倍越中富山の萬金丹 丹下キヨ子の天狗懐かし
020:幻
○  幻想のたまゆら醒めしマニフェスト粉砕しませシュレッダーもて
021:洗
○  「洗ひ張りいたし舛」との看板の軒に旧りたり飛騨の高山
022:でたらめ
○  でたらめと言へば言はむか抑止力方便と言ひ撤回もせず
023:蜂
○  ご先祖は蜂須賀小六の従者にて替への鬘を担いでました
024:謝
○  謝謝で満漢全席食べてからパシフィコ横浜で昇天したの
                    [注]      謝謝=シェイシェイ
025:ミステリー
○  「ミステリーみたい」と妻は言う「たかが100カラットのダイヤじゃないか」
026:震
○  震災を予言したよなお題だね五十嵐さんはモーゼみたいね
027:水
○  レシートに水野澄男と名を印しひねもすのたりレジ番をせり
028:説
○  「防犯に犬がいちばん犬を飼え」説教強盗・妻木松吉
       ↓
   「犬飼へ」と勧めて侘し夜な夜なの説教強盗・妻木松吉
       ↓
   「犬飼へ」と勧めてわびし丑三つの説教強盗・妻木松吉
029:公式
○  硬式が公式であり軟式は我が国だけの貧乏テニス
       ↓
   硬式が公式競技 軟式は中高生のお遊びテニス
       ↓
   公式を用いて解くのは易しいがつるかめ算で解くのは難儀
       ↓
   公式を使って解くのは楽だけど鶴亀算で解くのは難儀
030:遅
○  遅咲きは鞍馬関山義経の顔のごと朱にぞ笑まふ
           [注] 鞍馬関山=くらまかんざん 顔=かんばせ 朱=あけ
031:電
○  ケータイは電話かカメラかゲーム機か神を持たざる我の十字架
032:町
○  黒毛和牛一頭曳きて首を垂れ孟夏の町を戮されに行く
033:奇跡
○  奇跡的美味しさ抹茶カプチーノ驚きの一杯十九円也
034:掃
○  「トイレ掃除させて下さい」との触れ声の一燈園の今は何処に
035:罪
○  罪無くて配所の月を見まほしと顕基中納言の言の葉ゆかし
036:暑
○  八つ当たり暑気中りなど在る中のどんな辺りを生きてるのかな
037:ポーズ
○  「斬られた」のポーズがとても大袈裟で伊丹十三巧い吉良役 
038:抱
○  お互いに傷の付かない嘘を吐きメルヘンのように抱き合いましょう
039:庭
○  為すべきは為す父でして正月の鎮守の庭で獅子の後脚
040:伝
○  伝単は私の知らぬ言葉です謀略用のビラを言うとか
041:さっぱり
○  茹で蛸を乾いた布で拭きながら「さっぱりした?」とママは言ったの!
042:至
○  至仏山標高二千二百余のその藪蔭の裏白瓔珞
043:寿
○  「生きているそのことだけで意味がある」亡き伯母寿美はいつも言ってた
044:護
○  そのかみの少年倶楽部の憧れの國緒護よ今はいづこに  國緒護=くにをまもる045:幼稚
○  幼稚なる諂ひなるかと思ひつつ「結構なお手前です」と一礼したり
046:奏
○  奏鳴は寂として果つ午後八時サントリーホールしはぶきの満つ
047:態
○  ご祭主はお陀仏の態(てい)直会のさなか袴被りて爆睡
048:束
○  送り火に歌稿一束投げ込んで成さぬ虚名の身の始末せむ
049:方法
○  逆さ吊り食絶ち水責め石抱かせ白状迫る方法(てだて)さまざま
050:酒
○  「酒絶ちをしてますから」とメール打つ酔余の極み黄昏時に
051:漕
○  屈強な八人の男を扱き使い自分は漕がぬ小男が居る
052:芯
○  赤々と燃え輝ける中に在り冷静沈着蝋燭の芯
053:なう
○  真っ黒なうなぎが一尾穴に居て泥鰌の後釜ひそかに狙う
054:丼
○  牛丼はオージービーフを使います被爆の恐れありませんこと
055:虚
○  虚々と秋風の吹く頃となり向日葵の花咲かなくなった
056:摘
○  純情な看護士さんに毛を剃られ睾丸摘出手術を受ける
057:ライバル
○  マー君がライバルと言う日ハムの豚こまエースは斎藤佑樹
058:帆
○  出帆の時は今かと風を待つビルの屋上赤錆びた船
059:騒
○  「騒擾罪」と言ってた頃に逮捕され「騒乱罪」で立件された
060:直
○  直情と言えば言えるか「死の町」と言ってしまった大臣も居た
061:有無
○  かくなれば有無を言わせず引退だ二百本安打絶望イチロー
062:墓
○  「森林太郎墓」トノミ刻セラレ下連雀ノ禅林寺ニ在リ
063:丈
○  女丈夫と言える女じゃありません三浦知壽子は可愛い女
064:おやつ
○  「おやつにはコアラのマーチを食べたいわ!」不動裕理さん意外に寝んね
065:羽
○  羽根布団羽毛枕のハネムーンと羽生名人が羽ばたく羽田
066:豚
○  豚さんは風評被害と無縁かも?値下げ情報トンと聴かない
067:励
○  日本を励ましに来たジャイアントパンダの名前リーリー・シンシン
068:コットン
○  コットンもシルクも全て印度産中国産など使ってません!
069:箸
○  「箸墓は卑弥呼の墓か?」論争の邪馬台国は畿内で決まり!
070:介
○  「仲介料礼金無しで即入居!」UR住宅それでも空き家?
071:謡
○  地謡は能のコーラスグループで舞台右手に二列に並ぶ
072:汚
○  汚らしい!ぬるぬるしたのはわたし嫌!泥鰌は嫌い!鮎が大好き!
073:自然
○  自然薯は精がつくから召し上がれ麦とろ天麩羅やま掛けも好し
074:刃
○  元朝に刃渡り尺二の刀砥ぎ峯に映れる貌に見惚れつ
075:朱
○  朱里エイコ『北国行きで』『めぐり逢い』『イエイエ』ルックでダンスしました
076:ツリー
○ カダフィーの人民裁判受くる夜もスカイツリーは輝くならむ
077:狂
○  狂態の限り尽くして逝く朝(あした)おねえ言葉で謝辞を述べたり
078:卵
○  啓蟄は卵立つあさ市も立つ蛇蝎ぞろぞろ連れて歩かむ
079:雑
○  大豆・胡麻・小豆・鳩麦・裸麦・稗・粟・蕎麦は雑穀の類
080:結婚
○  祖母ハナが結婚七回した訳を父は語らず母も問はざる
081:配
○  心配はしておりません日本はメルトダウンを克服します
082:万
○  桂瓜・聖護院蕪・万願寺唐辛子・賀茂茄子・九条葱
083:溝
○  溝の口過ぎれば二子玉川で田園都市線三茶でお下車
084:総
○  亀戸で総武緩行お下車して天神様とかくれんぼしましょ
085:フルーツ
○  トロピカルフルーツと言えば爽やかだアップルマンゴー30%は種
086:貴
○  貴乃花親方としては痩せ過ぎでぶつかり稽古すると壊れる
087:閉
○  岩手県下閉伊郡田野畑村吉村昭の取材せし羅賀
088:湧
○  湧出量日本一の玉川の岩盤浴でも20ミリシーベルト/年
089:成
○  成田山大阪別院明王院大願成就のお不動尊よ
090:そもそも
○  そもそもはおべべ召されて宮参り今はの果の白足袋黒足袋
091:債
○  債鬼待つ店子の如く静もれり桜田門より見上ぐる皇居
092:念
○  「八十吉は念珠の玉の一つ」とぞ『念珠集』の巻頭に在り
093:迫
○  差し迫り金子拝借致したくモデルガン持て押し入り候 
094:裂
○  クレバスは氷河の裂け目!分け入らば命凍て付く紀香のクレバス!
095:遠慮
○  「遠慮なく貰っとくぜ」と声掛けて舞茸松茸背負って下山
096:取
○  往昔の取水堰の一つにて円筒分水久地に遺れり
097:毎
○  毎日が夕刊発行やめてから折り込みチラシがめっきり減った(北海道支社)
098:味
○  うまい棒の味に厭きたということも理由の一つに上げときました
099:惑
○  迷惑を掛けたくないから辞すなんて僕に対する腹いせみたい
100:完
○  風間完絵筆を執りし生涯の挿絵の数は二万数千
〔完走報告〕
○  遅々として大変迷惑掛けましたお蔭様にて只今完走
〔番外〕
○  歌はぬは歌ふにまさる哀しみに大震災のうた我は歌はず  

黒田某氏選「『短歌人』六月号会員欄秀歌選その133」の鑑賞

2016年07月01日 | 読詩ノート
○  早熟なひかりに濡れて春の日のコートは皺になりやすきもの 大平千賀

 「ひかり」の修飾語としての「早熟な」、そして「濡れて」という結果を齎す原因としての「早熟なひかり」が、本作の表現上の仕掛けの全てである。
 「早熟なひかり」とは、〈春まだ浅き日の淡い陽の光〉を指して言うのであり、その「春まだ浅き日の淡い陽の光」に拠って、作者が身に纏う「コート」が、たとえ「濡れ」(濡れる筈はないのだが)たとしても、その被害たるや、たかだか「皺になりやす」いだけのことであり、「作者を含めた外出好きの人々が、それを理由にして外出を止めてしまう、という結果を齎すことがないだろう」というのが、本作の含意であり、言わば、本作は、「春浅き日の外出の快感」を述べた一首でありましょう。
 「快さ」を、直接的に「快い」と言わずに、「春の日のコートは皺になりやすきもの」と述べることに拠って、我が身と心とが味わっている「快感」を述べたところにこの一首の妙味があり、作者・大平千賀さんの言葉の斡旋の冴えが覗われるのでありましょう。 


○  ことごとく傘にはほそき帯垂れて心細さは駅に寄りあう 大平千賀

 「傘にはほそき帯垂れて」とは言っているが、「駅に寄りあう」人々の「ことごとく」が手にしているのは、柄の細い傘、どちらかと言うと実用向きでは無く、お洒落でアクセサリー的な雨傘でありましょう。
 霧雨のそぼ降る宵には、そうしたお洒落な雨傘を手にした若い男女が身体を「寄せあう」ようにして、私鉄駅前に幾組も佇んでいるのである。
 [反歌] ことごとく全てが腕を組み合はせ何をするとも無くて佇む  鳥羽省三


○  役員を断る理由にそれぞれの「生きて負ふ苦」をしゆくしゆくと聞く 桐江襟子

 「私は見てくれ通りの貧乏人でありまして・・・・」とか、「私はご覧の通りのしがない高齢者でありますから・・・」などとの、「役員を断る理由」が「生きて負ふ苦」なのでありましょう。
 [反歌]  生きて負ふ苦を身体に漲らせ友は出でたり秋田縣(あがた)を   鳥羽省三


○  あの「、」藤岡弘、の後の間のコンマ数秒流れる残像 伊庭日出樹

 音読し難いし、その分だけ、一首の短歌に仕立て上げるのは難しかったのでありましょう。
 [反歌] 画面には「藤岡弘、」と記したり「弘」の後の「、」は不要  鳥羽省三


○  恥ずかしさに悶えつつ落ちる一枚もあるだろうこの花見日和を 大平千賀

 「この花見日和を」、「恥ずかしさに悶えつつ落ちる一枚」と言ったら、さしずめ、彼の日に筆者のポケットから上野公園の路上に落下して行った、使い古しの安物のハンカチーフぐらいのものでありましょう。
 [反歌]  使ひ古せしハンカチ一葉舞ひ散りぬ弥生三十日の上野恩賜公園  鳥羽省三


○  カーテンをひといきに開けるこの指のかんかくも朝日もゆめかもしれぬ 

 この一首の鑑賞者諸氏に告ぐ!
 本作を音読しようとする場合は、「カーテンを→ひといきに開け」という二句までを一気読みして一息ついた後、「この指のかんかくも→朝日も→ゆめかもしれぬ」と、息もつかずに一気読みしなければならないのである。
 一見すると、年若い歌人ちゃんが戯れに詠んだ〈たんたん短歌みたいであるが、その実は、かなりの腕前の歌詠みが仕立て上げた傑作なのである。
 平仮名の多さに幻惑されてはなりません。
 [反歌]  ジッパーをひと息に下げてぐいと掴む その感触は夢かも知れぬ  鳥羽省三
 真似をして一首作ってはみましたが、その出来栄えの程は如何かしらん? 
 [反歌] 一見すると歌人ちゃん作の歌みたい?鈴木杏龍、やるなお主は!  鳥羽省三   


○  られりるれろら行のように雨は降る今日の私は怒りが止まらぬ 榊原トシ子

 「今日の私は怒りが止まらぬ」と下の句にあるが、その要因は〈ら行〉5文字を、「ra・ri・ru・re・ro」とローマ字表記した場合の子音の「R」音にある。 
 即ち,子音「R」の響きは、固くて激しいのである。
 [反歌] さしすせそそぼ降る雨にふたり濡れ歩きまはりしあの夜忘れず  鳥羽省三


○  れださんとやわらかい握手したあとの右手に残る確かな熱よ 黒崎聡美

 作中の「れださん」とは、察するに、三重県出身の著名なギタリストの「Leda」さんかと思われる。
 仮に、筆者のそうした推測が正しいとすると、「Leda(レダ、1987年6月9日 - )は日本のギタリスト、ベーシスト、ソングライター。三重県出身。本名、血液型は非公表」と、インターネット辞書・ウイキペディアに記されている。
 右利きのギタリストにとっての「右手」は、ギターの弦を刻む大切なものであり、楽器の一部分のようなものでもありましょう。
 その彼の「右手」が、意外や意外にも「やわらかい」感触を残したことへの感激を一首に仕立てたのでありましょう。
 [反歌]  れだ氏とは握手をしたことあるけれどそれから先へは進めなかつた  鳥羽省三


○  踏み出した一歩目はすぐに過去になる すぎゆく今日もそんな物だろう 上村駿介

 「すぎゆく今日もそんな物だろう」という下の句は不要である。
 [反歌] 踏み出した一歩が既に過去なれば悔やむに足らず宵の過ち  鳥羽省三


○  ああいつもなくしてしまう消しゴムに名前を書いてみたがひとりだ 笹川 諒

 末尾の「ひとりだ」が、真に宜しい。
 たった「一人」の侘しさを堪えながらも、なお且つ、笹川諒さんは、「ああいつもなくしてしまう消しゴム君よ!」と慨嘆しながら、「この消しゴムは消しゴム君の所持する消しゴム」などと「書いてみた」りするのでありましょうか?
 [反歌] 生きて負ふ苦しみばかり味はひて消しゴム君は身体を削る  鳥羽省三


○  詩人とはまことを語る嘘つきとコクトー言ひきまことしやかに 鈴木秋馬

 ほんとにほんとに、彼のコクトー氏が「詩人とはまことを語る嘘つき」などと、まことしやかな嘘を吐いたのかしらん?
 [反歌]  天童の好事家今野なにがしは斯かる一首を好いとると言ふ  鳥羽省三


○  誰からも愛されようとするあまり面の皮だけ薄くなってる 山田多雨

 この一首の趣を以てして、評者は「反語的な短歌の生誕」を感得させていただきました。
 [反歌] 誰からも愛されようとするあまり面の皮だけ厚くなつてく 山田パンダ 


○  職業は四半世紀も主婦にして不意に笑いが込み上げてくる 馬淵のり子

 「四半世紀」とは言えども、たかだか二十五年の「主婦」生活ではありませんか。
 そもそも、その三十年にも充たない主婦稼業を以てして、「職業は四半世紀も主婦」などとの大口を叩いていたら、筆者の方こそ「不意に笑いが込み上げてくる」という精神状態になりますよ!
 馬鹿言うのも、休み休みにしなさいよ!
 [反歌] 減らず口叩く場合も程がある馬淵のり子はお馬鹿さんかな!  鳥羽省三


○  まへうしろ前まへうしろ終はりなき意思持つてゐる小鳩のくびは 浅野月世

 新百合ケ丘駅に巣食っている、糞転がしの「小鳩」が、老婆の与えたパン屑を啄む姿に取材した作品かと思われる。
 [反歌] 小鳩また生きて負ふ苦を満身に示し啄むパン屑ならむ  鳥羽省三


○  肩書きで焼香順が決まっている古稀は今時若いと声あり 竹内 博
 
 盛唐の詩人杜甫の詩・『曲江』に曰く、「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」と。 
 斯く申す、筆者すら、年齢的には既に「古稀」を遥かに超えた歳月を生きているのである。
 しかも、「生きて負ふ苦」を満身に示しながらの余生である。
 [反歌]  肩書きで焼香順が決まるなら官房長官菅氏が一番  鳥羽省三
 安倍某の通夜を想定して詠ませていただきました。


○  一人暮しを思う時あり一人居は寂しきものと知ってはいても 宮島祐子

 人間誰しも、取り分けて男性ならば特に、「一人暮らし」をしてみたい、と思ったりするものでありましょう。
 [返歌] 一人居の侘しさ堪へて掻くマスに快感覚える僕ならなくに  鳥羽省三
 こんなにもスラスラスラと返歌を詠める僕を「朝日歌壇」の選者の椅子に座らせたら如何でありましょうか?


○  我慢とは「出来る」ではなく「する」ものと言ひ聞かせつつ玉葱を切る 桃生苑子

 納得、納得です。
 でも、「玉葱」を切りながら流す涙を堪る程度の「我慢」ならば、決して「する」「我慢」とは、言うことが出来ません。
 [反歌] 誰にでも出来る程度の我慢では決して「我慢」ということできぬ  鳥羽省三


○  丁寧で真面目な生徒が得をする評価をしている 文句があるか 夏男・G

 斯かる一首の作者名としての「夏男・G」に対しては、呆れ果てて笑い転げるしか術を知らない筆者なのである。
 斯かる不真面目な一首を秀歌として推奨する黒田氏も黒田氏であるが、これを詠んで結社誌「短歌人」に投稿した作者も亦、作者なのである。
 欲を言えば、「冒頭の一語、即ち『丁寧で』という表現には具体性が欠けている」と申し上げなければなりません。
 [反歌]  強欲で権力寄りの男には投票せずに唾ひつかけろ  鳥羽省三



    以上、「『短歌人』六月号会員欄秀歌選その133」より抜粋。
    選者・黒田氏の選歌眼の素晴らしさには脱帽!禿丸出し!