気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ…遅れてきた私
著作権は近藤に帰属します
白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ケ畑まで

短歌人1月号 同人のうた その3

2017-01-11 11:40:26 | 短歌人同人のうた
「じさつした嫁とそつくりのべつぴんさん」京都駅前広場でいはれる
(西橋美保)

人の死はすべて孤独死今日も船消ゆるバミューダトライアングル
(八木博信)

三万日超ゆるあゆみか脹脛揉みほぐしをり冬至の柚子湯
(小川潤治)

晩年に入りしよろしさ足一本ふやして初冬の街に出でゆく
(古川アヤ子)

灯油の匂ひふいに過ぎりぬ夕べの道あなしづやかに冬が来てゐる
(小島熱子)

箱根蔵王湯布院別府 袋より取り出だしては湯の花さかす
(榊原敦子)

ねむるのが下手な母の血だんだんとわれに濃くなる木犀にほふ
(佐々木通代)

隣人は鈴好むらし鍵束の鈴は鳴りつつドアを開けいる
(村山千栄子)

いづこからいづこへ渡る鳥ならむ小さき形が群れなし過ぐる
(三井ゆき)

スーパーに買いてつましき秋刀魚二尾家近づけば銀とがりゆく
(川田由布子)

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短歌人1月号。同人1欄より。
西橋さんの一連、面白く読んだ。同人は七首掲載なので、何首かは載らなかったのだろうか。この人の歌にある毒に惹かれる。八木さんも毒のある歌を詠む人で、注目している。

右手より左手冷ゆる不可思議に文(ふみ)を書かむと便箋ひらく
(近藤かすみ)

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短歌人1月号 同人のうた その2

2017-01-08 00:32:54 | 短歌人同人のうた
文法の間違ひ指摘するときに薄皮ほどの恥ぢらひのあり
(宇田川寛之)

上州の熟るる麦畑を旅せしも人に告げねばおぼろになりゆく
(斎藤典子)

いろいろのことはあるかとおもへども山寺修象歌なきは淋し
(小池光)

「おことば」といふ不思議なる日本語に耳慣れてゆく日本の秋
(高田流子)

ひと夏を励みくれたる無花果の枝剪り払ふ来る年のため
(武下奈々子)

真闇なす冬の杜よりひとつづつ言葉取り出す人に逢ふため
(大谷雅彦)

秋風の気配に触れてベビーカー押しゆく先に海が見えたり
(倉益敬)

副作用抑うる薬に副作用ありてまた来しこのファーマシー
(宮田長洋)

アールグレイの缶をあければいつの秋 子らとあつめし銀杏の出づ
(和田沙都子)

父のしるす候文などまねたるは前髪いまだあげ初めし頃
(宮本田鶴子)

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短歌人1月号、同人1欄より。

1月号に載るのは、11月12日〆切の歌。季節がずれるのは仕方がない。3月号の詠草を原稿用紙に清書して、投函した。また、来月に向けて作りはじめる。


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短歌人1月号 同人のうた

2017-01-04 11:54:53 | 短歌人同人のうた
モノレールは意外と揺れて空想をまた取り落とす秋晴れの日に
(猪幸絵)

蛾のねむり知らざりし四十年、ながき絵巻の空のそこここに飛ぶ
(内山晶太)

身支度の鏡のなかに降る雪は着地をなさずのらりくらりと
(阿部久美)

水流が馬の筋肉に見えるとき力が力を征す気配す
(生沼義朗)

ごきげんな秋のわたしをタバコとかくちぶえな気分に巻き込むな
(斉藤斎藤)

顔のなき茹で玉子のから剝きゆけば顔のなきゆで玉子あらはる
(真木勉)

コスモスの庭にたたずみ見わたせば風の抜け道あの世への道
(杉山春代)

朝のゆかより拾ふごきぶりの肢(あし)二本ほか何もなしこの死をよみす
(酒井佑子)

一つずつ終わらせてゆく些事・大事 冬空晴れる東京の街に
(西勝洋一)

渡り来て冬のいそぎに鳴きかはす水鳥のこゑは枯葦のなか
(渡英子)

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短歌人1月号、同人1欄より。

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短歌人1月号 1月の扉

2016-12-29 01:05:20 | 短歌人同人のうた
ドイツ語の詩集を閉じてやわらかな頬袋もつリスになりたし

はつふゆの歩道橋から夕雲の内ポケットのふくらみが見ゆ

(有朋さやか)

叩くたびビスケットの増えるポケットの歌をうたえば哀しきものを

ポケットのなき服不安と思いつつ出でて帰りて何事もなし

(古本史子)

もんぺ姿の母のポケットは何処やらと探りさぐりにし我が幼少時

内ポケットに饅頭隠して昼寝せり ほのぼの熱り饅頭もねむらむ

(和嶋忠治)

ポケットに蟬のなきがらつめこんで子のポケットは生死のにほひ

はたきたるみぎてを逸れてたはやすくポケットの渕を発ちし冬の蚊

(柘植周子)

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短歌人1月号。1月の扉。今月のお題はポケット。

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いとしきもの 田村よしてる 

2016-12-12 18:42:47 | つれづれ
きはまりて針箱投げし母の子の、投げつけられし父の子のわれ

「教師なんて糞食らへ」吐き捨て去りし少年あれは俺かも知れぬ

日溜りに爪切りをればすでに亡きちちははのこと思ひ出でたり

通勤の電車にゆられ唐突に職場放棄を空想したり

一人娘(ご)を嫁がせてのち妻も吾も猫の名を呼ぶことの増えたり

半世紀の歳月経(ふ)りし地図帳にいまはなき国、いまはなき町

卒業式前夜の床(とこ)でくりかへし生徒らの名を諳んじゐたり

軍隊の日々を多くは語らざりし父の形見の水筒ひとつ

枇杷の木の葉蔭に鳩の鳴くこゑがはつかくぐもる七月正午(まひる)

自転車を必死に漕げどつぎつぎと追ひぬかれゆく長き坂道

  2016年新年歌会の歌
贈られし秋田犬に「ゆめ」と名付けたるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン

(田村よしてる いとしきもの 六花書林)

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短歌人同人で、昨年12月28日に急逝された田村よしてる(善昭)氏の遺歌集を読む。

田村さんは、小池光氏と同じ高校の教師をしておられ、その縁で短歌を始めたられた。同じく同僚の野村裕心氏と共に、小池さんと親しくしておられて、われわれは「のむらたむら」とお笑いコンビのように呼んでいた。小池さんが水戸黄門ならば、支える助さん格さん的な存在だった。

一首目、両親のけんかの場面だろう。緊迫感がある。その場にいるしかない幼い作者の目。短歌定型に場面がうまく収まっている。読点を置いて読みやすい。四首目。昭和のころ、「蒸発」という言葉があった。平成になってから「プチ家出」という言葉もあったことを思い出す。誰もそういう気持ちになることがある。六首目は発見のうた。下句のリフレインが利いている。七首目。ああ、いい先生だったんだなあ、と思う。それだけで充分だ。十首目は、本人も出るつもりで出られなかった新年歌会の詠草。詠草の〆切の12月20日には元気だったのに・・・。自分の人生や生活と離れて、見たものから取材している、これからはこういう方向に進むつもりだったのかと読んだ。可能性はいっぱいあったのに。

歌は、人柄のままに温かく善良である。わかりやすい。このところ、細かいところを見てはあれこれ言う歌会に参加して疲れている頭には、この素朴さにほっとする。佳い歌である。歌会で、「これは教師あるあるだね」とか「既視感がある」などとわかったようなことを言ってしまいそうな自分を恥ずかしく思った。

夏の全国集会で一緒に司会をしたこと、何かの会の途中でお土産を買ったことなど、思い出す。いつも笑顔でやさしい田村さんだった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


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舟はゆりかご 小黒世茂 

2016-12-01 21:52:37 | つれづれ
国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国

いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ

ふきげんな炎(ひ)をなだめつつ焼芋の内はほらほら外はぶすぶす

人間をちよつと休んで泥のなか雨乞虫とならび夕星をみる

いくたびも月は盈(み)ち欠けふたり子のお馬のわれに老いきざすなり

実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご

笑ふこと怒ることなく夜の沖を見てゐし小さき父を忘れず

いつの間にかわれの首よりずり落ちるマフラーのごとちちはは逝きし

別珍の赤靴みやげに母さんはきつと戻るよ賢くならうね

吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり

(小黒世茂 舟はゆりかご 本阿弥書店)

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「玲瓏」編集委員の小黒世茂の第五歌集『舟はゆりかご』を読む。
小黒さんとは、関西である歌集批評会などでご一緒することが重なり、親しくさせていただいている。思えば、いつからのおつき合いなのだろう。しっかりと思い出せない。最近では神楽岡歌会でお会いする。

略歴を読むと、1999年に歌壇賞を受賞し、第一歌集『隠国』を上梓されている。ずっとずっと先輩だ。なのにとても腰の低い方である。歌集を読みたいと思っていたところ、手渡していただきありがたかった。そのときも「読んでもらえますか?」とおっしゃる。どこまでも低姿勢でやさしい方である。

和歌山に生まれ、大阪に住む作者。旅によく行かれるようだ。記紀にくわしく、土地の歌に特徴がある。おおらかな言葉にユーモアがあり、エッセー集も二冊出しておられる。

三首目の下句にあるような、調子のよいオノマトペが楽しい。五首目では自らを「子のお馬」と言っている。身を低くして、軽く見てほしいという謙遜を感じる。だれもが敬愛する人なのに、低い位置に自分を置くことで安心するという「損なタイプ」なのだろうか。それは、六首目にあるような、幼い日の苦労から来るものかと想像した。実の母と別れ、継母に育てられた経緯などを詠んだと思われる歌があり、涙を誘われた。九首目の結句「賢くならうね」も泣かせる。別珍の赤靴という当時の貴重なものを詠み込んで、心に訴える。
ほかに高齢の姑、姉、息子さんの歌があり、「六十歳代が詰まった」歌集だ。

最近の短歌の傾向として、自分の来歴を消している歌によく出合う。歌は短いから、そこに多くのことを盛り込むことはできないが、その場だけの感覚を詠うことばかりでは、やはり物足りない。自分と近い年齢のひとの来し方を感じることで、自らをふり返ることは、やはり心に沁みることである。わたしよりすこしお姉さんの小黒さんの歌集を読み、そんなことを考えた。



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窓に寄る 中野昭子 

2016-11-10 14:31:20 | つれづれ
両の手をまつすぐあげてバンザイをくり返すとき運動となる

羽音して見上げたるとき鳥の足が胴のなかへと引き寄せられる

やや暮れてきたるしづけき水面の花を真鯉が吸い込みたりき

この椅子は古くなりしかば日向にて猫が眠りにくるときをまつ

犬用の紙おむつゆゑあいてゐる小さき穴に尻尾を入れる

あらあらと言ひつつわれの転びたるをわれは笑ひて娘わらはず

酸欠の鯉のくるしき顔思ふ夜(よ)のまだあけずまだ夜(よる)あけず

同じもの喰はせ育てし娘ふたりチンパンジーとオランウータン

明け方を父と思へば母もまたあけがた逝きし朝顔のあさ

上下させ見むとしみたる天眼鏡やつぱり見えぬ父の戦争

(中野昭子 窓に寄る 角川書店)

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中野昭子の第六歌集『窓に寄る』を読む。

中野さんとは「鱧と水仙」でご一緒している。先日もある会で会ったとき、目の悪くなった私に寄り添ってくださり、本当にやさしい方だと思った。こういう接し方をしてくれる人は身のまわりにいない。

さて、歌はとぼけた感じである。二首目のバンザイの歌に特徴がよく出ている。中野さんならではの「味」がある。こういう歌をつくる人は貴重だ。六首目、七首目もそうだろう。六首目は、作者が転んだことについて、自分の感覚と娘さんの感覚のちがいを表している。本人にとっては、「あらあら」であっても、娘さんにとっては介護の入口かもしれない。
この歌集では、十八年間を一緒に暮らした犬のゲンちゃんの死が、丁寧に描かれている。猫もよく登場する。ペットを飼ったことのないわたしには、犬用のおむつに尻尾用の穴のあることなど知らなかった。これに目をつけて歌にするところが面白い。
二首目。鳥の足、動いている鳥の細かいところが本当に見えたのだろうか。三首目の真鯉は、花を吸い込んだのだろうか。そこは問題でなく、そう言ってしまえば歌になる。心の目で見たのかもしれない。読者は信じるしかない。
また、七首目の下句の表現の繰り返しに注目した。夜中に目が覚めて眠れなくなった感じがよく伝わる。他にも繰り返しのコトバがよく使われていた。作者の意図があるのだろう。
十首目には、「父の戦争」という言葉がでてくる。以前の歌集で、お父さまの、戦争とそのための足の障がいの歌があった。永遠に「詠わずにいられない」テーマなのだ。



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心と舞 角谷喜代子 

2016-11-09 00:46:54 | つれづれ
無意識に数えて歩く公園の柵の杭今日は一本足りない

駅五つ向こうに決まりし子の新居かかる距離もて暮らさんとする

賞味期限とうに過ぎたる卓上の七味唐辛子やっぱり辛い

ここからは本音の話コーヒーに落とすミルクの描く渦巻き

胎内に巴の形にありし子ら一対の光となり現るる

些細なる束縛のひとつ髪留めを外しゆっくり横たわるなり

証明できる何も持たねば私でない私がいる郵貯窓口

クロスワードの枡目埋まらずそれはそれ夕餉の秋刀魚を焼く時間なり

自然死と言える義父母のよき死なり街川ゆるりと花筏ゆく

バス、こだま、地下鉄、南海電車経て降り立つ雨の羽衣の駅

七人家族の時経て減りたり秋鮭の二切れパック買いて戻りぬ

(角谷喜代子 心と舞 本阿弥書店)

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好日所属の角谷喜代子の第二歌集『心と舞』を読む。角の字は、クの下に用だが、「角」の字しか出ない。すみません。

角谷さんとは、数年前に香川ヒサ氏のカルチャー教室で一緒だった。歌はわかりやすく、歩んできた人生そのものが載っている。歌から実人生を推測して間違いはないだろう。「長男の嫁」として七人家族を支えた。集題の『心と舞』は、双子のお孫さんの名前から取られている。三人のお子さんの結婚、百歳近い義父母の看取り、遍路の旅・・・とずっと専業主婦として生きてこられた。短歌が唯一、はみ出したことだったのだろう。こんな立派な昭和的な生き方もあるのだと、大変だっただろうなあ、と感心した。
しかし歌のなかでは、一首目の「一本足りない」や六首目の「束縛のひとつ髪留め」と、本音が垣間見られる。ここに安堵すると共に、歌に託すテクニックを持った歌人だと思った。三首目の七味唐辛子の歌はモノの真理を言って鋭い。
四首目は、初句二句でズバリと言っておいて、コーヒーにあとを託す。渦巻きが、後は流れに任せる気持ちを上手く暗示している。八首目では「それはそれ」として、主婦として食事の支度にかかる。とてもよくわかる。十首目は、結句の羽衣の固有名詞が効いている。

いままで角谷さんとそんなにゆっくり話をしたこともなかったが、歌集を読んで彼女の人生がわかった気がした。そして、歌のうまい人なんだと改めて思った。これからは、優等生はやめて、もっともっと踏み外して生きてもいいんじゃないだろうか。いつの間にか、主婦であることから外れてしまった私の素直な感想である。

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うたがたり 小谷博泰 

2016-11-02 13:00:53 | つれづれ
ゆで卵の殻をむきつつ一人なり旅の朝はやき駅前のカフェ

いちめんに広がる海と思いしが眼鏡して見ればただのすりガラス

日が暮れて二つの月が浮かびおりうしろの月にありしふるさと

天国の花屋ならねど棚ごとに冬のビオラが咲きあふれおり

川底を這うている蟹を見下ろせばわれを見上げて笑う顔あり

縄とびの波のしだいに速くなりころがって出たわれは白髪

大橋の六間通りの夜鳴きソバ屋ときどき狐のしっぽが見える

仏壇の奥に金色(こんじき)の都あり役(えん)の小角(おづぬ)が空を過ぎゆく

こなごなに鏡が砕け散ったとき何百となく僕の飛び散る

夜深く覚めれば雨が降っている耳鳴りのなき静かさのなか

(小谷博泰 うたがたり いりの舎)

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結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人の小谷博泰の第九歌集『うたがたり』を読む。

一年ほど前に歌集を出したところだが、歌が溜まったので次の歌集を出すとのこと、羨ましい限りである。歌そのものはすんなり読めて、わかりやすい。それぞれの連作にストーリーがあり、作者の顔がほの見える。
たとえば、五首目。蟹と目が合ったと読んでまちがいないだろう。結句に「笑う顔」とあるのが面白く、作者の自意識が出ている。九首目の下句にも、作者があらわれる。割れて砕けた鏡の欠片に自分の姿が何百もあるとは、恐ろしい。作者自身が崩壊する感覚。十首目では、耳鳴りに悩まされている姿が想像できる。
七首目の「狐のしっぽ」、九首目の「仏壇の奥」など、作者自らの想像、妄想?の世界がひろがる。あるときはユーモアを醸しだし、また土着的な不思議な世界を展開している。

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遺伝子の舟 森垣岳 

2016-10-09 12:40:49 | つれづれ
画家となる夢を今更あきらめてウツボカズラに虫を喰わせる

パンジーの幾万本も廃棄されて週末明るい死で満ちている

見上げれば空一面に銀色の魚の群れが過ぎ行くところ

一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水

農業に明日はあるかという問いに芋虫はただ黙秘で返す

アナログは終わりましたと表示され画面は青き空の広がり

わらび餅売る声遠く響きいる出荷間際に鳴く牛のごと

動物の本をめくれば猛獣の餌となるべき小鹿群れ飛ぶ

遺伝子の舟と呼ばれし肉体を今日も日暮れて湯船に浸す

鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる

(森垣岳 遺伝子の舟 現代短歌社)

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第2回現代短歌社賞を受賞した森垣岳の第一歌集を読む。

森垣さんは兵庫県で農業高校の先生をしている30歳代の方。人生がそのまま歌になり、歌集になったと読んでまちがいないだろう。
目次を見ると、栽培実習、生物工学、ビジネス基礎、発達と保育、などと学校の教科のなまえになっていて面白いと思った。

パンジー→明るい死、芋虫→黙秘、と言った発想の飛ぶ歌に魅力がある。遺伝子の舟の歌は、集題になり、彼の代表歌になるだろう。遺伝子の舟という観念が、下句の日常の叙情に繋がって心に残る。

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