気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ…遅れてきた私
著作権は近藤に帰属します
白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ケ畑まで

舟はゆりかご 小黒世茂 

2016-12-01 21:52:37 | つれづれ
国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国

いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ

ふきげんな炎(ひ)をなだめつつ焼芋の内はほらほら外はぶすぶす

人間をちよつと休んで泥のなか雨乞虫とならび夕星をみる

いくたびも月は盈(み)ち欠けふたり子のお馬のわれに老いきざすなり

実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご

笑ふこと怒ることなく夜の沖を見てゐし小さき父を忘れず

いつの間にかわれの首よりずり落ちるマフラーのごとちちはは逝きし

別珍の赤靴みやげに母さんはきつと戻るよ賢くならうね

吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり

(小黒世茂 舟はゆりかご 本阿弥書店)

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「玲瓏」編集委員の小黒世茂の第五歌集『舟はゆりかご』を読む。
小黒さんとは、関西である歌集批評会などでご一緒することが重なり、親しくさせていただいている。思えば、いつからのおつき合いなのだろう。しっかりと思い出せない。最近では神楽岡歌会でお会いする。

略歴を読むと、1999年に歌壇賞を受賞し、第一歌集『隠国』を上梓されている。ずっとずっと先輩だ。なのにとても腰の低い方である。歌集を読みたいと思っていたところ、手渡していただきありがたかった。そのときも「読んでもらえますか?」とおっしゃる。どこまでも低姿勢でやさしい方である。

和歌山に生まれ、大阪に住む作者。旅によく行かれるようだ。記紀にくわしく、土地の歌に特徴がある。おおらかな言葉にユーモアがあり、エッセー集も二冊出しておられる。

三首目の下句にあるような、調子のよいオノマトペが楽しい。五首目では自らを「子のお馬」と言っている。身を低くして、軽く見てほしいという謙遜を感じる。だれもが敬愛する人なのに、低い位置に自分を置くことで安心するという「損なタイプ」なのだろうか。それは、六首目にあるような、幼い日の苦労から来るものかと想像した。実の母と別れ、継母に育てられた経緯などを詠んだと思われる歌があり、涙を誘われた。九首目の結句「賢くならうね」も泣かせる。別珍の赤靴という当時の貴重なものを詠み込んで、心に訴える。
ほかに高齢の姑、姉、息子さんの歌があり、「六十歳代が詰まった」歌集だ。

最近の短歌の傾向として、自分の来歴を消している歌によく出合う。歌は短いから、そこに多くのことを盛り込むことはできないが、その場だけの感覚を詠うことばかりでは、やはり物足りない。自分と近い年齢のひとの来し方を感じることで、自らをふり返ることは、やはり心に沁みることである。わたしよりすこしお姉さんの小黒さんの歌集を読み、そんなことを考えた。



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窓に寄る 中野昭子 

2016-11-10 14:31:20 | つれづれ
両の手をまつすぐあげてバンザイをくり返すとき運動となる

羽音して見上げたるとき鳥の足が胴のなかへと引き寄せられる

やや暮れてきたるしづけき水面の花を真鯉が吸い込みたりき

この椅子は古くなりしかば日向にて猫が眠りにくるときをまつ

犬用の紙おむつゆゑあいてゐる小さき穴に尻尾を入れる

あらあらと言ひつつわれの転びたるをわれは笑ひて娘わらはず

酸欠の鯉のくるしき顔思ふ夜(よ)のまだあけずまだ夜(よる)あけず

同じもの喰はせ育てし娘ふたりチンパンジーとオランウータン

明け方を父と思へば母もまたあけがた逝きし朝顔のあさ

上下させ見むとしみたる天眼鏡やつぱり見えぬ父の戦争

(中野昭子 窓に寄る 角川書店)

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中野昭子の第六歌集『窓に寄る』を読む。

中野さんとは「鱧と水仙」でご一緒している。先日もある会で会ったとき、目の悪くなった私に寄り添ってくださり、本当にやさしい方だと思った。こういう接し方をしてくれる人は身のまわりにいない。

さて、歌はとぼけた感じである。二首目のバンザイの歌に特徴がよく出ている。中野さんならではの「味」がある。こういう歌をつくる人は貴重だ。六首目、七首目もそうだろう。六首目は、作者が転んだことについて、自分の感覚と娘さんの感覚のちがいを表している。本人にとっては、「あらあら」であっても、娘さんにとっては介護の入口かもしれない。
この歌集では、十八年間を一緒に暮らした犬のゲンちゃんの死が、丁寧に描かれている。猫もよく登場する。ペットを飼ったことのないわたしには、犬用のおむつに尻尾用の穴のあることなど知らなかった。これに目をつけて歌にするところが面白い。
二首目。鳥の足、動いている鳥の細かいところが本当に見えたのだろうか。三首目の真鯉は、花を吸い込んだのだろうか。そこは問題でなく、そう言ってしまえば歌になる。心の目で見たのかもしれない。読者は信じるしかない。
また、七首目の下句の表現の繰り返しに注目した。夜中に目が覚めて眠れなくなった感じがよく伝わる。他にも繰り返しのコトバがよく使われていた。作者の意図があるのだろう。
十首目には、「父の戦争」という言葉がでてくる。以前の歌集で、お父さまの、戦争とそのための足の障がいの歌があった。永遠に「詠わずにいられない」テーマなのだ。



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心と舞 角谷喜代子 

2016-11-09 00:46:54 | つれづれ
無意識に数えて歩く公園の柵の杭今日は一本足りない

駅五つ向こうに決まりし子の新居かかる距離もて暮らさんとする

賞味期限とうに過ぎたる卓上の七味唐辛子やっぱり辛い

ここからは本音の話コーヒーに落とすミルクの描く渦巻き

胎内に巴の形にありし子ら一対の光となり現るる

些細なる束縛のひとつ髪留めを外しゆっくり横たわるなり

証明できる何も持たねば私でない私がいる郵貯窓口

クロスワードの枡目埋まらずそれはそれ夕餉の秋刀魚を焼く時間なり

自然死と言える義父母のよき死なり街川ゆるりと花筏ゆく

バス、こだま、地下鉄、南海電車経て降り立つ雨の羽衣の駅

七人家族の時経て減りたり秋鮭の二切れパック買いて戻りぬ

(角谷喜代子 心と舞 本阿弥書店)

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好日所属の角谷喜代子の第二歌集『心と舞』を読む。角の字は、クの下に用だが、「角」の字しか出ない。すみません。

角谷さんとは、数年前に香川ヒサ氏のカルチャー教室で一緒だった。歌はわかりやすく、歩んできた人生そのものが載っている。歌から実人生を推測して間違いはないだろう。「長男の嫁」として七人家族を支えた。集題の『心と舞』は、双子のお孫さんの名前から取られている。三人のお子さんの結婚、百歳近い義父母の看取り、遍路の旅・・・とずっと専業主婦として生きてこられた。短歌が唯一、はみ出したことだったのだろう。こんな立派な昭和的な生き方もあるのだと、大変だっただろうなあ、と感心した。
しかし歌のなかでは、一首目の「一本足りない」や六首目の「束縛のひとつ髪留め」と、本音が垣間見られる。ここに安堵すると共に、歌に託すテクニックを持った歌人だと思った。三首目の七味唐辛子の歌はモノの真理を言って鋭い。
四首目は、初句二句でズバリと言っておいて、コーヒーにあとを託す。渦巻きが、後は流れに任せる気持ちを上手く暗示している。八首目では「それはそれ」として、主婦として食事の支度にかかる。とてもよくわかる。十首目は、結句の羽衣の固有名詞が効いている。

いままで角谷さんとそんなにゆっくり話をしたこともなかったが、歌集を読んで彼女の人生がわかった気がした。そして、歌のうまい人なんだと改めて思った。これからは、優等生はやめて、もっともっと踏み外して生きてもいいんじゃないだろうか。いつの間にか、主婦であることから外れてしまった私の素直な感想である。

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うたがたり 小谷博泰 

2016-11-02 13:00:53 | つれづれ
ゆで卵の殻をむきつつ一人なり旅の朝はやき駅前のカフェ

いちめんに広がる海と思いしが眼鏡して見ればただのすりガラス

日が暮れて二つの月が浮かびおりうしろの月にありしふるさと

天国の花屋ならねど棚ごとに冬のビオラが咲きあふれおり

川底を這うている蟹を見下ろせばわれを見上げて笑う顔あり

縄とびの波のしだいに速くなりころがって出たわれは白髪

大橋の六間通りの夜鳴きソバ屋ときどき狐のしっぽが見える

仏壇の奥に金色(こんじき)の都あり役(えん)の小角(おづぬ)が空を過ぎゆく

こなごなに鏡が砕け散ったとき何百となく僕の飛び散る

夜深く覚めれば雨が降っている耳鳴りのなき静かさのなか

(小谷博泰 うたがたり いりの舎)

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結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人の小谷博泰の第九歌集『うたがたり』を読む。

一年ほど前に歌集を出したところだが、歌が溜まったので次の歌集を出すとのこと、羨ましい限りである。歌そのものはすんなり読めて、わかりやすい。それぞれの連作にストーリーがあり、作者の顔がほの見える。
たとえば、五首目。蟹と目が合ったと読んでまちがいないだろう。結句に「笑う顔」とあるのが面白く、作者の自意識が出ている。九首目の下句にも、作者があらわれる。割れて砕けた鏡の欠片に自分の姿が何百もあるとは、恐ろしい。作者自身が崩壊する感覚。十首目では、耳鳴りに悩まされている姿が想像できる。
七首目の「狐のしっぽ」、九首目の「仏壇の奥」など、作者自らの想像、妄想?の世界がひろがる。あるときはユーモアを醸しだし、また土着的な不思議な世界を展開している。

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遺伝子の舟 森垣岳 

2016-10-09 12:40:49 | つれづれ
画家となる夢を今更あきらめてウツボカズラに虫を喰わせる

パンジーの幾万本も廃棄されて週末明るい死で満ちている

見上げれば空一面に銀色の魚の群れが過ぎ行くところ

一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水

農業に明日はあるかという問いに芋虫はただ黙秘で返す

アナログは終わりましたと表示され画面は青き空の広がり

わらび餅売る声遠く響きいる出荷間際に鳴く牛のごと

動物の本をめくれば猛獣の餌となるべき小鹿群れ飛ぶ

遺伝子の舟と呼ばれし肉体を今日も日暮れて湯船に浸す

鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる

(森垣岳 遺伝子の舟 現代短歌社)

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第2回現代短歌社賞を受賞した森垣岳の第一歌集を読む。

森垣さんは兵庫県で農業高校の先生をしている30歳代の方。人生がそのまま歌になり、歌集になったと読んでまちがいないだろう。
目次を見ると、栽培実習、生物工学、ビジネス基礎、発達と保育、などと学校の教科のなまえになっていて面白いと思った。

パンジー→明るい死、芋虫→黙秘、と言った発想の飛ぶ歌に魅力がある。遺伝子の舟の歌は、集題になり、彼の代表歌になるだろう。遺伝子の舟という観念が、下句の日常の叙情に繋がって心に残る。

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青を泳ぐ。 杉谷麻衣 

2016-09-19 13:43:22 | つれづれ
爪に残る木炭ばかり気になって完成しない風の横顔

少しずつ色を失う街角の胸に息づく信号の赤

運転を終わらせ君が折りたたむ眼鏡の銀が西陽をはじく

あの遮断機まで走るんだ群青が空のすがたで追いかけてくる

ワイパーがぬぐい残した雨つよく光るね駅へ近づくほどに

流星のような一瞬 送信を終えて止まった画面見ている

花の名を封じ込めたるアドレスの@のみずたまり越ゆ

  北へは上がる 南へは下がる
道なりに北へ上がれば北にしかゆけぬかしこき京に暮らせり

  送り火を見た松尾橋
背の高きひとから秋になることをふいに言われぬ晩暉の橋に

同志社今出川キャンパス
絵のなかに閉じ込められに行くように赤い煉瓦の風景に入る

(杉谷麻衣 青を泳ぐ。 書肆侃侃房)

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杉谷麻衣の第一歌集『青を泳ぐ。』を読む。

杉谷さんとは面識がないが、京都市出身の方なので、縁を感じて歌集を送っていただいたと思う。爽やかな相聞、若々しい感性の歌がならぶ。作者の職業や年齢、家族などの情報は消されていて、わからない。歌として切り取られた瞬間が、スナップ写真のように差し出されている。
わたしが一番気にいった歌は、七首目。@がみずたまりに見えるという把握がとてもいい。
八首目からは京都の歌で詞書がある。「かしこき京」という言葉に注目した。「賢」か「畏」だろうか。京都人の他人との距離の取り方には、水くさい感じがある。あまり立ち入らない。「お宅さんはちゃんとしたはりますやろし・・・」と言った無言の圧力を感じることが、間々ある。言われなくともかしこくしていなければならない。京都もいろいろあって、地域によって違うことはよく聞くことではあるが、肯うしかないのだ。
杉谷麻衣さんのますますのご活躍を祈っている。





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ぐい飲みの罅 藤村学 

2016-09-14 12:17:31 | つれづれ
疲れ目に効くとしきけばしののめの瞼をあおき檸檬にて圧す

背中からふかい眠りに沈みゆく軟い触りの籐の揺り椅子

三十年使い馴れたるぐい飲みの罅にかぐろき酒焼けの渋

フセインの絞首刑の日わが窓にクレーンの腕がどんどん伸びる

学(まなぶ)という名でよくあそびおもしろうてやがてさびしき還暦がくる

「門灯が切れているね」って言いながら替えようとせぬ三人家族

むらさきの藤村信子は四十年以来(このかた)われの若草の妻

蟻ほどの雄螺子(おねじ)が卓に落ちていてわれの世界のどこかが狂う

せせらぎに架かる木橋のたそがれを美しくするむぎわらとんぼ

十缶の(金鳥渦巻)ことごとく使い切ってもまだこない秋

(藤村学 ぐい飲みの罅 六花書林)

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コスモス短歌会の藤村学の第一歌集『ぐい飲みの罅』を読む。

藤村さんとはお会いした記憶がない。歌は素直で、歌の内容と現実とがリンクしていると読んでまちがいないだろう。六十七歳で、とても家族思いの方。特に奥さまに対する愛情に感心した。いろいろな夫婦があるものだ。六首目の門灯のうたに家族の様子が窺える。
五首目では還暦になった感慨を詠っている。わたしも還暦を過ぎているが、こういう感慨は持たなかった。無事に迎えたことに感謝はしたものの、あ、そうか、というだけだった。
四首目のような取り合わせの面白い歌を、期待している。

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ビビッと動く 奥村晃作 

2016-09-08 12:47:57 | つれづれ
二百台以上の自転車現われつ井の頭池の水抜きをして

ジョーンズの一枚の絵のどこ見ても現わし方がカンペキである

妻<すえ>に因む名付けの<スエコグサ>富太郎の碑の巡りを埋む

十万人に二人か三人<本態性血小板血症>を病む身となりぬ

一匹の死魚を貰いて一芸を見せるバンドウイルカを目守(まも)る

「本読んでナニになるんだ、晃作は」ホントに父はそう思ってた

俊敏の佐藤慶子の鳥のごとビビッと動く脳を思えり

レオナルド・ダ・ヴィンチの場合一点の絵画があれば動員できる

大小の筍二本<四本>を知人二人にお裾分けせり

石橋の荒神橋の名称が「荒神橋」と深く彫られて

(奥村晃作 ビビッと動く 六花書林)

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奥村晃作の15冊目の歌集『ビビッと動く』を読む。

著者77歳から79歳までの作品をおさめてある。奥村さんは満80歳になられた。表紙を見ていただきたい。帯の言葉の「独自の歌境」「真面目に邁進するオクムラ短歌」にすべてが込められている。

一首目は、現実にあったことを提示して驚きをそのまま差し出す。二首目は、定型にきっちり収まり、思いがカンペキに表現されている。「カンペキ」のカタカナ表記がオクムラ独自のスタイルだ。三首目。植物の研究で有名な牧野富太郎を詠む連作の一首。四首目、長い名前の病名を入れるために字余りになっている。字余りの重さに意味がある。五首目。バンドウイルカの芸を見たときの歌。「死魚」という言葉が強烈だが、実際にそうなのでそのまま詠んで、言葉が活きた。下句の句跨りのリズムが良い。
六首目。「反面教師」と題された一連から。実家の様子がわかる。辞めた勤め先、親の職業、所得の歌があり、いまでは珍しい題材の歌だと思った。
七首目。佐藤慶子さんとオクムラさんは夫婦。この一連に「メダカ愛強き吾妻は餌をやり過ぎ水が濁って次々死んだ」という歌がある。似た者夫婦という言葉を思ってしまった。
八首目は、その通りだろう。展覧会をめぐる、という題で美術作品に触れる歌も面白く読んだ。九首目は筍の歌。こういう題材は説明したいことが多くなり、定型に収まりにくいものだが、ピシリと決まっていて過不足ない。十首目は、京都観光の一連の歌。わたしも荒神橋を渡ることがよくあり、親しみがあった。蛇足ですが、近藤のうたは「川を越え西へ東へゆく人をたひらに渡す荒神橋は」。
歌集末尾のうたは、「八十の誕生日今日つつしみて御先祖様の霊(みたま)に告げる」。
歌集を出して一区切りついたが、奥村さんはますます邁進される。信じて疑わない。

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ゆき、泥の舟にふる  阿部久美 

2016-08-17 19:31:22 | つれづれ
晴夜から晴夜へ渡る泥の舟ふたり漕ぎつつ歌唄いつつ

わがうなじそびらいさらいひかがみにわが向き合えぬただ一生(ひとよ)なり

灯のともる薄闇の街抱き寄せて海が最後に暮れてゆきたり

人を待ち季節を待ちてわが住むは昼なお寂し駅舎ある町

つよい雨聞こえる夜のくるしみは人を壊すか<壊す>と思う

等身を映すか夜の窓ガラス 緋(ひ)も朱(しゅ)も紅(こう)もわれに似合わず

笹舟はつつましきもの運ぶふね 氷菓の箆や死にたるほたる

飛ぶときのカモメの脚の行儀良ささらにさびしく敬語用いる

百の川あれば百回濡れる脚 探しに来よと声によばれて

行先に背を向けて漕ぐ小舟なりきしむ声とは悲鳴/歌/息

(阿部久美 ゆき、泥の舟にふる 六花書林)

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短歌人同人、阿部久美の第二歌集『ゆき、泥の舟にふる』を読んだ。

阿部久美さんは、北海道留萌市在住。歌集を読んで作者のこころは見えるが、職業や家族構成などは巧みに隠されていて、よくわからない。わかる必要もない。言葉が丁寧に選ばれていて、読むのに時間がかかった。その時間が濃密でありがたいものに思われた。
ブログに載せるとき、ルビが上手く載らず、カッコで表記することになって申し訳ない。

最近の歌集を読みながら思うことだが、作者の個性、短歌観がさまざまでどこに焦点あてるのがいいのかわからない。最近読んだユリイカ8月号の特集で紹介されている短歌、新聞歌壇、結社誌に載る短歌、それぞれが目指すものが異なる。また、その場のなかでも個性が異なる。しかも、思ったことをツイートする人と、ブログにアップする人とではスピードが違う。言葉がどんどん読み飛ばされる感じがする。
しかし、わたしは阿部久美さんとは同じ場で短歌を作っていて、そのことを光栄に嬉しく思った。いまは批評のようなことを書いても、虚しく感じられて、細かく書くことを躊躇してしまう。この場の読者の方に任せて、わたしは余計なことを言わない方がいい気がする。歌集から、ここに転載するとき、間違いがないことを祈りつつ、阿部久美さんに感謝したい。

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うはの空 西橋美保 

2016-07-26 11:15:10 | つれづれ
をさな日の恐怖のひとつ姿見のうらに塗られて剝がれし朱色

散らばりやすきわれをやうやく取りあつめ首飾りてふ鎖で縛る

子と声をあはせて読めばたのしくてよき歌ばかり茂吉も晶子も

袖で拭く窓に映りし少年の面輪に透けてあは雪の降る

つばくろの雛ふと黙(もだ)しぬさるびあの蒼ふかぶかと咲けるま昼を

午さがりの霊安室で生きてゐる人間だけがしんそこ怖い

幅ひろき昭和のネクタイ足首にまつはりまつはり行く手をはばむ

ぬばたまの夜はふかまるあぢさゐの青くおほきな花のうつはに

芳一を隠してあまる耳ふたつ「観」からはじまる般若心経

いつかわたしはわたしを手放す せせらぎに笹船ひとつうかべるやうに

(西橋美保 うはの空 六花書林)

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短歌人同人の西橋美保の第二歌集『うはの空』を読む。

西橋さんは兵庫県姫路の人。短歌人関西歌会でご一緒していたが、兵庫歌会が始まってからは余りお会いすることがなかった。17年間の作品がまとめられていて、読みごたえがある。西橋さんには西橋さんの美学があり、短歌にそれがよく現れていてぶれない。

彼女の持つ美意識と、周りの期待する嫁のいう立場との齟齬に苦しむように見受けられる。短歌がどこまで現実と重なるかという問題に突き当たるのではあるが、フィクションとして読むと救われる。

一首目の姿見、七首目の昭和のネクタイに、時代が表れていて視点の鋭さを思う。わたしより五歳くらいお若いとは思うけれど。
二首目は自意識の歌で、散らばる我を首飾りに託したところが彼女らしい。鎖で縛るとまで言ってしまう。三首目は、幼かった子との楽しいひとときを詠みながら、なんとなく茂吉や晶子は好みではないように読んでしまった。白秋や寺山修司が好きなのではないだろうか。四首目は美しい歌。初句の「袖で拭く」の動作にリアリティがある。
五首目のつばくろ、さるびあ、九首目のあぢさゐは、ひらがな表記を生かして、文句なく綺麗でよくできた歌。堂々としている。
六首目は看取りを詠んだ連作「鬼の道」から。亡くなったのは姑なのか実母なのか。死者とあり、わたしにはどちらかわからないし、わからなくていい。「生きてゐるときから死者のやうだつた死んでも生きてゐるやうなひと」も強く印象に残る。怖い歌は良い歌という言葉を思う。八首目は発見の歌だろう。こういう発想の歌をもっと読みたい。
十首目は、歌集最後の一首。この一首に読者は救われる気がする。笹船の具体がいい。

歌集一冊を読んで、かな使いのことを思った。集題は『うはの空』。「われの住むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む」から取られている。旧かなが西橋さんの世界には合っているし、新かなとは違う世界感を出すことが出来る。
今年の短歌人会全国集会は姫路で開催。お会いするのが、楽しみだ。



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