気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

あるはなく 千葉優作 青磁社

2023-10-21 11:14:52 | つれづれ
かなしみの予兆のやうにしづかなりティッシュの箱を充たすティッシュは

失くしたと気付かなければえいゑんに失くしたものになれないはさみ

ほんたうは僕が変はつたせゐなのに度が合つてないと言はれるめがね

労働の合間はひとり死んだものばかりを詰めた弁当を食ふ 

知り合ひがひとりもゐない空間で「おてもと」の箸だけがやさしい

ワイシャツを脱げばわたしがワイシャツのたましひだつたひとひが終はる

たんぽぽのやうに暮らしちやだめですか三万人が自死する国で

鯖缶のぶつ切りの鯖 この鯖の身体が別の鯖缶にもある

鶏卵をこつりと割ればこの世でもあの世でもない時間がひらく

花の下にて死んでたまるかきさらぎの銀月アパートメントのさくら

(千葉優作 あるはなく 青磁社)

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塔短歌会所属。歌集には略歴がなく、作者の実像は隠されている。もしかしたらペンネームなのかもしれない。「謎」の作り方が現代的。「こんなわたしだから、こんな歌を作りました」という報告的な歌集ではないところに注目する。発見の歌、ものの見方の歌、食べ物の歌にとくに魅力を感じた。

漆伝説 萩岡良博 本阿弥書店

2023-05-17 10:16:22 | つれづれ
米に換ふるため着物縫ふ母わかく糸切り歯にて糸嚙み切りぬ

なにはなくともかぎろひの宇陀夕映えの天(あめ)のふたかみ冬の大和は

父遺しし碁石を盤に置きをれば割れたる石がふたつみつある

ひとがたにわが身の穢れうつしをり夏越の空を研ぐほととぎす

毟り取り零余子を食めばあをくさき九月の空が口にひろがる

韻律の山野に手折りしわが歌をしたたる漆の木汁(しる)に染めゆく

湧きあがる思ひまつすぐ詠はむかいつさんに木をかけのぼる栗鼠

飛火野に見とも飽かめや置く霜を息でとかして草食む鹿は

右隣は寡婦、空き家、寡婦、空き家、寡夫 顔合はすなく春隣なる

やはらかにあしうらを圧す春草のちからを踏みて丘にのぼらむ

(萩岡良博 漆伝説 本阿弥書店)
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ヤママユの編集人である萩岡良博の第五歌集。奈良県宇陀の地に根を張って詠みつづける歌人。師である前登志夫へのリスペクトが集全体に感じられる。この時期、母を看取り切実な悲しみが伝わる。学生時代をふりかえっての歌もあり、同じ時代を生きた人、とくに男性は共感するだろう。

生きてこの世の木下にあそぶ 山中もとひ 六花書林

2023-04-22 13:19:14 | つれづれ
サイコロに似た家コロコロ建ち並ぶ小さな窓の賽の目つけて

若い人ものを知らぬと叱られてわたしひととき若い人なり

幸運を無駄遣いしてまたバスがわたしばかりに都合よく来る

ヤマト糊の黄色いカップ〈工作〉を見本どおりに作らぬ子供

はじめから一人で歩いていたのだろうわたしのことだけ懐かしいから

缶入りの蚊取り線香ヤニじみた蓋に雄鶏右を向きおり

えいっと本を揺すれば短歌が滑り落ちなにか煩いことを言い出す

戦争はしないはずだが戦争に参加して日本七十五年

良いものは川上から来るどんぶらこ川下のこと知らない知らない

魚屋は数多まなこを商うと思いて清し対の目の玉

(山中もとひ 生きてこの世の木下にあそぶ 六花書林)

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短歌人、鱧と水仙でご一緒している山中もとひの第二歌集。歌数が多いと最初は思ったが、ひと開きに一連を入れるやり方で読みやすい。
カラッと渇いたユーモア、独自のものの見方。どこを開いてもわたし好みの歌がある。
師、山埜井喜美枝はあの世で喜んでられるだろう。

いま二センチ 永田紅 砂子屋書房

2023-03-26 22:51:00 | つれづれ
からんからんすっからかんに音はなし陽射しの中に壜があるだけ

上澄みを生きているのはつまらないアメンボ飛び出すときの脚力

本の背に指かけ斜めに引きだせば子規も斜めに後頭部見す

論文の小舟を乗り継ぎながら往く研究生活十六年目

親指と人差し指のあいだにて「いま二センチ」の空気を挟む

病院に兄持ちくれし無花果の皮剝けば白き粒の乳湧く

いつもいつも仕事している祖父ならむ祖母は空色の着物のままで

柳とは馬繋ぐのに良き木らしそのような訳で出町柳は

川の字の一画目なるわたくしのはらいの脚が布団より出る

海口とよばず河口と名づけたるこころは真水に身体与えき

(いま二センチ 永田紅 砂子屋書房)

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塔短歌会、永田紅の第五歌集。2012年から2015年までの作品を収める。妊娠、出産、育児、研究者としての仕事。京都での暮らしがいきいきと描かれる。歌には発見があり、芯があり、すんなり読ませるための工夫がある。生活の場の重なるわたしはどれも頷きながら、楽しみながら読んだ。
  

空の家族 和田守玖子 現代短歌社

2023-02-09 12:34:18 | つれづれ
耳内に壊れたラジオ一つあり少女の頃より夕ぐれに鳴る

お隣りの改装工事はじまりて怒り出したり聞こえるひとは

唇を読めずにわれは立ちつくす補聴器センターみなマスクなり

うず高く積りし落葉舞い上り空の家族が呼ぶ声がする

亡き母が少女となりて吾(あ)とふたりお遍路に行く春の夜の夢

空にいる笑顔の父母に会いに行く雲にかかった虹を登りて

向かい合う鏡のように知っているアサミのなかの少女のわたし

少しずつ物を減らして春の夜に行方くらます我の退職

大いなる宇宙(そら)とつながり踊る時プルメリアの花闇にゆれおり

もう足は動かないけど指はあるハンドフラでも舞台に立てば

(和田守玖子 空の家族 現代短歌社)
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見知らぬ方から送られてきた歌集。2020年11月作歌開始とのことで驚いた。短期間にたくさんの歌を作った。質も高い。楠誓英さんのアドバイスもあり、立派な一冊となった。表紙の絵も自作。七十七歳でもこんなことができたのかと感心する。内容をみると、難聴があり、病があり、辛い思いをなさってきた。学校に勤務中の、生きづらい生徒への目がやさしい。頑張り屋さんという言葉を思う。境遇に負けない生き方に感心し見習いたいと思う。

三千世界を行く船 小谷博泰 飯塚書店

2023-01-25 10:36:55 | つれづれ
戦災あり震災ありて集められ目鼻の消えた地蔵らの立つ

朝焼けの窓あけて見るベランダに夢の続きのような鬼百合

人はみなマスクしており眼の高さを流れていった黄色い蝶々

海月ふわりふわりと浮かぶ悩まないはずがないのが人生だよと

ありふれたこの退屈が幸せというものだろう窓のそと見る

喫茶店の鏡のなかに道ありて看板の字はみんな逆向き

すれ違った男たしかに死んだはずあるいは死んでいるのは俺か

何本も赤い鳥居が立っていてくぐり抜ければ見知らぬ通り

まわるまわる輪廻の車はるかなる三千世界をわが船は行き

暗き日のにわかに雨ふるバス通りしなかったことが多い人生

(小谷博泰 三千世界を行く船 飯塚書店)

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「鱧と水仙」「白珠」所属の小谷博泰の第十六歌集。2019年2月から2022年7月までの作品を収める。読みやすい。もうこの作者の歌集を何冊も読んでいるからだろう。歌がたまると歌集を出すというスタイルの作者だが、それを出来る歌人は今や小谷博泰だけだ。死や異界を意識しながら、街をさまよう日常は続く。

さようなら酒井佑子さん

2022-12-29 10:48:33 | つれづれ
酒井佑子さんが12月24日に亡くなられた。
わたしのブログの古い記事で、歌を取り上げたことを思い出す。
いつも尊敬をもって見ていた大先輩。その歌のよさを今ふたたび見直している。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

2007年5月の記事より

夜半しづかに猫は寄り来つ生涯の終りの恋のごとき気配に

千疋屋のメロンでなければいやと言ひ美しき顔せりそれより七日

あどけなく寐ねたりしかば死にがほに通へるを見きそれより三日

シルバー券が嬉しい一人と恥づかしい一人観覧車に歳は暮れつつ

床屋さんの兎飴ん棒につながれて麗かやひと日ひくひくしてゐる

(酒井佑子 矩形の空)

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この歌集には、猫と死の匂いがしている。
それより七日、それより三日、の歌を読むと、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。わたしは自分の父や母の最期をこんなに丁寧に見て来なかった。母は急死だったし、父のときはこわくて現実から逃げていた。この歌に出てくる死者はおなじ病棟のひとで他人だから、冷静なのだろうか。ほかにも挙げたい歌はいっぱいあった。床屋さんの兎の歌、なんとも自在な詠いぶり。

こうして、いろんな歌集をつぎつぎ読んで、いいなあと思ってまた次を読んでまったく飽きない。読み飛ばすような読み方をするのは、作者に失礼だし、じっくり読みたいが、また次々読みたいものが出て来る。

そう言えば、五月の第二日曜は母の日。夕方、娘から「母の日やね~」と電話があった。

人生はひと色ならず亡き母のオパールの指輪秋の陽にかざす
(近藤かすみ)

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薔薇の芽いくつ 大地たかこ 本阿弥書店

2022-12-04 09:24:58 | つれづれ
いつ咲いていつまでとなく花八つ手こんな咲き方いいなと思ふ

薔薇の芽はどんな色にもなれる赤 小さきひとに写メールしたり

ひなあられ紙にくるめば色透きぬ白とふ色もはつかに透きて

「魚ん棚市場」に父と入りゆけばでつかい蛸が函より這ひ来

本堂の額の文字(もんじ)はくづし字で愛かと問へば亀といはるる

やはらかき枇杷の芽生(めお)ひのいつつむつありて一つを堀り起こすなり

棒切れの好きな男(を)の子が森をゆく木橋に来たら流すよ、きつと

桜ちる 春の夕べのあかるさに雲梯する子ぶらんこする子

冬の日の傾くなかを黄金蜘蛛おのれの渡した糸の真中に

わたくしが声をかければ小鳥屋の小鳥ははてなと首を傾げる

(大地たかこ 薔薇の芽いくつ 本阿弥書店)

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塔短歌会の大地たかこの第三歌集。大地さんは子供好き、植物、虫好きである。いつもやさしい眼差しで見て、やわらかく歌にする。のびのびとした温もりがある。人の言葉を拾いあげた歌も面白い。旧かなとの取り合わせがちょっと奇妙な味を出すのが彼女流だろう。河野裕子の世界を思わせる。

運河のひかり 時本和子 砂子屋書房

2022-11-17 23:28:16 | つれづれ
鳩一羽とり出しさうな手つきして男性美容師髪さばくなり

弓、矢、剣、手綱のなべて失はれ兵のまるめた手指の空洞

乗り合はす人それぞれに見てゐたり運河のひかり遠くなるまで

自転車にをさなごを乗せ坂道をあへぎ来る人、あれはわたしだ

同じ電車を降りたる人らおのづから距離をとりつつ夜の道帰る

白バイの荷台にしろくひかる箱 大き卵ひとつ容るるならずや

こはばるかさびしげなるか笑ふことすくなき古き写真の人びと

耳をつかみウサギを下げし感覚が春の夕べの手によみがへる

いちごのパイ一つをわれにくれる児の何とうれしげな顔するものか

みどりごはじぶんを抱くちちおやを頭反らせてをりをり見上ぐ

(時本和子 運河のひかり 砂子屋書房)

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短歌人同人の時本和子の第二歌集。時本さんとは短歌人の全国集会や新年歌会でご一緒することが多い。そこで彼女はいつも高得点で賞品をゲットする。控えめなお方なのに、だからこそ、歌で人の心を掴む。家族のうたが多く、その目で捉えた人間描写がうまい。あくまでも主婦というスタンスを崩さない。この支えがあればこそ歌壇は、日本の文化は分厚いのだ。

無言にさせて 高橋ひろ子 砂子屋書房

2022-11-13 00:16:29 | つれづれ
青梅が店に積み上げられてゐて心ざはざはと日本の主婦

羨ましくはないかと亀に聞かれをり首を上げ目を閉ぢ甲羅干しする

まだそんなところですかと縫ひぐるみのクマに聞かれて締め切り近し

階段の手摺りも今夜は冷たくて寝ようねとカエルの湯たんぽに言ふ

歌のみにひと日関はり豊穣か浪費かわからぬ日が暮れてゆく

頭も手足もたちまち仕舞ひみどり亀わたしはここにゐませんと言ふ

冬晴れの畦に出会へばこの草の名前は私が決めると決める

手の先が細く五本に分かれるがあるとき不思議絵本をめくる

それぞれの顔に苦しむ地獄絵図ひとりの男の笑ふやうなる

ボールペンが出なくてこれで終はりますと書かれて花山多佳子の手紙

(高橋ひろ子 無言にさせて 砂子屋書房)

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塔短歌会、鱧と水仙所属の高橋ひろ子の第三歌集。高橋さんとは十年ほど親しくお付き合いしているが、不思議な感覚の持ち主である。亀、縫いぐるみのクマ、雑草と呼ばれるようなその辺にある植物と常に会話しながら暮らしているようにみえる。わたしなどモノはモノと割り切って見るが、彼女はそうでなくて優しい。そして何よりしっかりと主婦である。歌には独特の詩情がある。