臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(099:惑・吾の闇にやさしきリルケの手紙)

2012年04月30日 | 題詠blog短歌
(紫苑)
〇  未だ視えぬ「詠ふこころ」に惑う吾の闇にやさしきリルケの手紙

 何方にだって「詠ふこころ」が「視え」て来ることはありません。
 ごくたまに「近頃の私には、詠ふこころが視えて来た!」などと嘯いている歌人が居たりしますが、彼こそは稀代の詐欺師と言うべき存在でありましょう。
 作中の「リルケ」、即ちライナー・マリア・リルケ(1875年~1926年)は、オーストリアの詩人及び作家であり、シュテファン・ゲオルゲやフーゴ・フォン・ホーフマンスタールなどと共に二十世紀前半を代表するドイツ語詩人として知られる。
 また、彼はよく手紙を書いたことでも知られ、知人や文学者仲間や出版業者や資金援助者などに宛てた膨大な数の手紙が刊行されている。
 リルケが書いた手紙の中でも、セザンヌの絵画への感銘を綴った妻クララへの一連の手紙、即ち『セザンヌ書簡』や、詩人志望の青年フランツ・カプスからの手紙に答えての文通書簡『若き詩人への手紙』、我が子との貧しい生活を支える為に働きながらリルケの詩を読んでいた女性リーザ・ハイゼとの文通書簡『若き女性への手紙』は、リルケの誠実な人柄や芸術についての鋭い考察などを知る資料としてよく読まれ、多くの人々に深い感銘と影響を与えた。
 本作の作者・紫苑さんも亦、「リルケの手紙」に支えられながら、短歌道に勤しむ若き女性でありましょうか?
 〔返〕  未だ視えぬゴール地点を目指しつつ紫苑さんは今年も歌詠む   鳥羽省三
      若き女性とはけして言えませんけど紫苑さんは佳き歌を詠む


(船坂圭之介)
〇  春昏るる茜あざやか浮かび来る詩片ひとひら惑ひつつ詠む

 此処にも一人の迷える人間が居て、「春」の暮れ方を象徴するような「茜」色をした「あざやか」な夕焼け雲の彼方に「浮かび来る」「ひとひら」の「詩片」を夢想しながら、一心に短歌を詠んでいるのである。
 しかしながら、彼の詠む短歌は、やや技巧に走る嫌いがあり、私・鳥羽省三を初めとした(必ずしも、鳥羽省三を初めにしなければならない、というものではありませんが)多くの方々の支持を得る所とはなっておりません。
 〔返〕  春真昼降り来る黄砂に悩みつつ短歌一首をどうにか詠んだ   鳥羽省三


(南葦太)
〇  われという惑星があり鉄塔を中心として回る ぐるぐる

 本作の作者・南葦太さんは、今でも大阪にお住まいなのかしら?
 だとしたら、本作中の「鉄塔」とは、あの浪花のシンボルの「通天閣」であり、彼・南葦太さんは、ナナハンのヤマハ「YZF750SP」に乗って、まるで、太陽の周りを回る「惑星」にでもなったような気分で、通天閣の周りを「ぐるぐる」回っているのでありましょう。
 〔返〕  彼の塔の高さはわずか百メートル通天閣と聞いて呆れる   鳥羽省三


(飯田和馬)
〇  ブルーベリージャムの色した困惑がうすくひろがる夜間飛行は

 「ブルーベリージャムの色した困惑」などと言うと、何かよほど高級な「困惑」感情のように思われますが、要するに伊丹空港を離陸したばかりの全日空機「YS-11A-CARGO」の前方に揺曳し、その航行を妨げる雨雲を指して言うのである。
 また、「YS-11A-CARGO」は、文字通りの貨物専用機なので、仮に墜落しても乗組員以外の死者はありませんから、一般の方々が心配するほどのことはありません。
 このような作風の短歌を「虚仮脅かし的な短歌」と謂うのであり、本作の作者・飯田和馬さんはその方面の短歌の熟練者として“知る人ぞ知る”存在である。
 また、作者の方に好意的な視点に立って本作を評すると、「ブルーベリージャムの色」から「困惑」という言葉に発展させる詠み方も、蕉風俳諧で謂う「匂ひ付け」の一種でありましょうか?
 〔返〕  無花果ジャム色した疑惑に囲まれて身動き出来ぬ飯田和馬氏   鳥羽省三


(奈良絵里子)
〇  誘惑に勝つのではなく欲望がもともと無いなら淋しいことね

 それは全く「淋しいこと」ですね。
 それでは、治療不可能なインポではありませんか?
 〔返〕  奈良絵本『寝覚物語』の姫御寮の陰穂男に悩める時節   鳥羽省三


(藤田美香)
〇  戸惑いが落ちているのはいつだってはじめて渡る橋の前だね

 さりげない語り口ながら人生の真実を言い当てている傑作である。
 「戸惑い」こそはまさしく、「はじめて渡る橋の前」に「落ちている」ものである。
 〔返〕  ためらいが揺れているのはいつだって祖谷の葛橋を渡る前だね   鳥羽省三


(鮎美)
〇  甘やかな困惑を思慕に変へながら淡きすみれの花ひらきゆく

 本作に於いて、作者の鮎美さんは、ご自身自らを「淡きすみれの花」に擬えているのでありましょうか?
 そうです。
 仰る通りです。
 異性に対する「思慕」の情というものは、いつだって「甘やかな困惑」を土壌として芽を出すものです。
 〔返〕  暴力への恐怖の情を種として花を咲かする女もあらむ   鳥羽省三

一首を切り裂く(098:味・いつまでも薄荷の味が消えなくて)

2012年04月30日 | 題詠blog短歌
(五十嵐きよみ)
〇  いつまでも薄荷の味が消えなくて言いたいことが口に出せない

 連句の付合手法の一つとして「匂ひ付け」というものがある。
 主として蕉風俳諧で用いられたもので、前句と付句との間に気分・情趣の照応や調和をはかる付け方。
 「いつまでも薄荷の味が消えなくて」という語句と「言いたいことが口に出せない」という語句とを結び付ける遣り方こそは、まさしく蕉風俳諧で謂うところの「匂ひ付け」でありましょう。
 本作の作者・五十嵐きよみさんの作品の中には、このような俳諧の「匂ひ付け」をご意識なさった作品が多く見られるが、「題詠blog2011」の参加者の中には、五十嵐きよみさん以外にも、伊倉ほたるさんや西中眞二郎さんなど、「匂ひ付け」をご意識なさった作品をお詠みになられる方が居られる。
 〔返〕  うまい棒百本付きの弾帯を腰に巻いてベトナムに往く   鳥羽省三

(伊倉ほたる)
〇  銀紙をうっかり噛んだ後味の悪さのように叱ってしまう

 「銀紙をうっかり噛んだ」時のあの舌触りや歯触りの悪さは、さしたる理由も無く、我が子を「叱って」しまった時の「後味の悪さ」と通い合うものが在る、という感覚的なものに基づいて詠んだ作品、言わば「匂ひ付け」の作品でありましょうが、「銀紙をうっかり噛んだ後味の悪さのように叱ってしまう」と、一文に纏めてしまったのは、宜しくなかったのかも知れません。
 〔返〕  銀紙をうっかり噛んだ腹いせに隣りの旦那を殴ってしまう   鳥羽省三


(浅草大将)
〇  味酒をみわの山よりかぐ山に飲むなと言へど耳なしの山 ※味酒=うまさけ

 畝傍山を詠み込めなかったことが惜しまれる。
 〔返〕  畝傍山天香久山三輪素麺を召せと言っても耳なしの山   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  意味もなく我を張る友の一人あり古希過ぎてよりの同期の集い

 参加者の方、一人一人が、それぞれ、ご自身が従事してきたお仕事に満足感を覚え、それなりに名を成し遂げたという思いがあっての「古希過ぎてよりの同期の集い」ではありましょうが、数多い参加者の中には、「意味もなく我を張る友」も在り得ましょうか?
 〔返〕  仮面舞踏会にもよく似たり<古希過ぎてよりの同期の集い>   鳥羽省三


(東 徹也)
〇  アルデンテもちろん意味を知ってるさ人と心の距離のことだろ?

 アルデンテ、俺だって食べたことがアルデンテ、入れ歯が少しガタガタしてた。
 〔返〕  アルデンテ「スパゲッティやパスタなどの歯ごたえのある状態だろう」   鳥羽省三


(只野ハル)
〇  味覚など無かった如く生存のための食物摂取をしている

 長く人間稼業をしていれば、ごくたまには、「生存のための食物摂取をしている」場面も在り得ましょう。
 生田緑地への散歩の帰りに「今日は五キロも歩いたから!」という理由で、ついうっかり入ってしまったのが失敗の基でした。
 〔返〕  ネタが悪くしゃりの味もイマイチで昨夜の寿司は美味しくなかった   鳥羽省三


(ひじり純子)
〇  清見柚子檸檬金柑夏蜜柑果汁飛び散る柑橘の味

 柑橘類の名称を五個並べ立てているのである。
 昨年、「清見」も食べてみましたが、なかなかさっぱりした味わいでした。
 〔返〕  慶長八年、藩主・忠恒公が将軍様に献上した桜島小蜜柑   鳥羽省三


(月原真幸)
〇  何にでもしょうゆではなく味ぽんをかける習慣だけが残った

 原因は、愛知県での独身生活が長かったからでありましょうか?
 作中の「味ぽん」とは、 愛知県半田市中村町2-6に本社を置く「ミツカングループ」の主力商品である。
 特定企業の商品ばかりを消費すること無く、国内企業各社の商品をまんべんなく消費することに拠って、内需拡大に協力しましょう。
 〔返〕  納豆に砂糖を掛ける習慣は子供の頃から軽蔑してた   鳥羽省三

 
(今泉洋子)
〇  鯖・秋刀魚・片口鰯に美酒(うまざけ)で味覚から秋を浪費してゆく

 「味覚」と称して、「鯖・秋刀魚・片口鰯」と三種類の魚類を挙げて居られますが、いずれも安価な青魚である。
 本作に接して、私は、作者・今泉洋子さんのお宅の台所事情及び、作者ご本人の健康状態などを垣間見させていただきました。
 かくなる上は「美酒」も程々にしましょう。
 〔返〕  梅・桜・藤に躑躅に花水木、団子などより花が大好き   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  うまい棒の味に厭きたということも理由の一つに上げときました

 私の従弟の次男が、結婚話に乗り気になった理由を父親から問われた時に上げた理由をそのまま一首の歌に纏めてみました。
 〔返〕  3DKを広く感じた事なども理由の一つに上げときました   鳥羽省三

一首を切り裂く(097:毎・毎月抄を開いてみたき)

2012年04月29日 | 題詠blog短歌
(行方祐美)
〇  毎月抄を開いてみたきおそ春のうすばかげろふほんに細らか

 作中の「毎月抄」とは、承久元年(1219))に、歌人・藤原定家が著した歌論書である。
 その内容について説明すると、「毎月一度、定家の弟子筋に当たる歌人が、師の定家に和歌の添削を請い求めるのであるが、それに対して定家が、和歌の作法についての十種類の有り様、即ち「有心体・幽玄な様・事の然るべき様・麗しい様・長高な様・見様・面白い様・一節ある様・濃い様・鬼拉体」について説きながら、ある人の要請に応え、指導する」という内容で、父・俊成の和歌道の後継者としての定家が、和歌の十種類の有り様の中から、特に「有心体」を重要視して表した著として知られている。
 和歌の作法上、定家が最も重要視した「有心体」について説明すると、「深い情趣の中に風雅な余情をたたえ、妖艶な美しさを追求する優美な歌体」と言うことでありましょうか。
 この「有心体」は、父・俊成が提唱して、後継者としての定家が発展させ完成したとされる「幽玄体」と並び、中世和歌の中核を為す理念と言われているが、両者共に「言葉として表さないが余情を漂わせ、微かで奥深い情趣美を追及する歌体」を指して言う言葉として理解するのが適当かと思われる。
 「幽玄体」と「有心体」との微妙な違いは、「妖艶さ」を追及する立場と、「かすかさ」を追及する立場との違いである、との説明が為されることが多いのであるが、ならば、本作に於いて作者の行方祐美さんが、「おそ春のうすばかげろふほんに細らか」とお詠みになって居られるのは、藤原定家の重視した「有心体」に通うものでありましょうか?
 嫉妬心半分で、本作の表現について一言申し上げますと、末尾の七音「ほんに細らか」にやや粗さを感じます。
 〔返〕  堕落論を開いてみたきこの春の人はさながらうすばかげろふ   鳥羽省三


(紫苑)
〇  生と死の合はせ鏡か姥捨(おばすて)の夜に照り映ゆる田毎(たごと)の月は

 既視感は感じられますが、なかなかの傑作だけに、無用な振り仮名を施した点が極めて惜しまれます。
 横書きを宿命づけられているネット媒介の短歌に於いての振り仮名は、一首の見た目を極端に悪くする懼れがある。
 「姨捨」にしろ、「田毎の月」にしろ、ごく一般的な言葉といっても過言ではありませんから、見た目を犠牲にして振り仮名を施す理由はありません。
 〔返〕  彼岸より観ればなおさら明からむ姨捨照らす田毎の月よ   鳥羽省三
      彼岸より覗けば千個の鏡ならん今夜を照らす田毎の月は

 上記の返歌は二首とも、ある著名な女流歌人の方がお詠みになられた名歌を私が記憶していて、その名歌を真似て詠ませていただいた亜流である。
 この度、返歌の典拠となった名歌を示して、その事を証したいと思ったのですが、残念ながら、その名歌もその作者の方のお名前も失念してしまいました。
 心ある方がいらっしゃいましたら、それらの事柄について、本ブログのコメント欄にご教示賜りたくお願い申し上げます。


(砂乃)
〇  そういえばあれはどこだという父に母は毎回眼鏡を渡す

 本作の作者・砂乃さんのお宅に於ける「あれ」とは「眼鏡」であったのであるが、砂乃さんご自身にとっての「あれ」とは、何を指しての「あれ」でありましょうか?
 〔返〕  「今月もあれが無いの?」と妻が言う私は妻の腹に目を遣る   鳥羽省三


(佐藤紀子)
〇  題詠の100首毎年詠みあげてよくも悪くも九年目を終ふ

 百首完詠、真におめでとうございます。
 わずか百首の歌とは言え、「九年目」ともなれば、それなりの苦労もあったこととお察し致します。
 十年目の今年も、素晴らしい歌を百首お詠み下さい。
 それにしても「よくも悪くも九年目を終ふ」とは、佐藤紀子さんらしからぬご謙遜をなさったものである。
 〔返〕  題詠の百首歌から秀作を選ばんとして四年目になる   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  習慣はひとつのカタチ気が付けば毎朝卵の数をかぞえる

 本作の作者・伊倉ほたるさんの得意料理は卵料理でありましょうか?
 近頃の伊倉ほたるさんは、短歌作者であることを止めて、一家の主婦業及びグルメ探訪者の位置に居座ってしまったような感じであるが、この事は、題詠短歌のみならず、我が国の短歌界全体の損失である。
 主婦としての伊倉ほたるさんの存在はともかくとして、グルメ探訪者として伊倉ほたるさんに代わるような人物は腐るほど存在すると思われます。
 つきましては、何卒、「題詠blog2012」に優れた短歌をお寄せになられるようにお願い申し上げます。
 〔返〕  冷蔵庫の卵入れには十個しか入らないので困っちゃうな   鳥羽省三


(詩月めぐ)
〇  君がいるただそれだけで毎日が花まるだった頃もあったね

 今の詩月めぐさんにとっては、お財布に一万円札が五枚も入っていれば、「毎日が花まる」の日になるのでありましょうか?
 〔返〕  妻と息子が健やかである日々こそは私にとっての花まるの日々   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  毎日が日曜日なる身にあれど正月終わるは少し淋しき

 「正月」が「終わる」のは、何方にとっても、何歳になっても「少し淋しき」ものである。
 「少し淋しき」の「少し」が、作者の昨今のご心境を表し、併せて一首全体の雰囲気を醸し出している。
 〔返〕  「毎日が日曜日」というタイトルの小説の著者は城山三郎   鳥羽省三
      毎日が日曜日だと嘯いて選歌に余念無き西中眞二郎氏
      毎日が日曜日みたいに暇なので欠伸している毎日新聞


(鳥羽省三)
〇  毎日が夕刊発行やめてから折り込みチラシがめっきり減った(北海道支社)

 毎日新聞が三大新聞の位置から脱落したのは遠い昔のことである。
 その「毎日新聞」の北海道支局が「夕刊」の「発行」を「やめて」からでも数年経ち、それ以来、毎日新聞に入る「折り込みチラシ」の枚数は激減した、ということである。
 私の甥は、北東北の某市で新聞販売店を経営しておりますが、その甥の話に拠ると、「ある地域の新聞購読者のパーセンテージが六十パーセントを越えると、その新聞がその地域の折り込みチラシを独占的に支配することが出来るのであり、それ以外の新聞に入る折り込みチラシは、言わば、残り物のようなものである」とのことであった。
 私の甥が新聞販売店を経営している県に於いては、甥の店が配っている新聞が、新聞購読者数の六十パーセントを遙かに越えているということである。
 したがって、その地域の住民は、スーパーなどの特売を知らせる折り込みチラシを読みたいということを唯一の理由として、その新聞を定期購読せざるを得ないことにもなるのである。
 ところで、甥の住む県の折り込みチラシを支配していた某地方紙が、昨年辺りから夕刊の発行を断念したということである。
 いわゆる「地方紙」の中で、未だに夕刊を発行している新聞は、何社ぐらい在るのでしょうか?
 〔返〕  新聞の購読者数を水増しし去勢を張ってる毎日新聞    鳥羽省三
      いい記事を書いたという実感が私の今日を花まるの日にする

一首を切り裂く(096:取・関取が「ごっつあんです」と言うところ)

2012年04月28日 | 題詠blog短歌
(松木秀)
〇  関取が「ごっつあんです」と言うところわたし一度も見たことがなし

 世間様から「関取」と呼ばれている以上、「ごっつあんです」と言ってみたいはずである。
 しかし、近頃の相撲界では“タニマチ”が居なくなってしまったから、なかなか言う機会が無いのでありましょう。
 それに、“北海道場所”というのもありませんし。
 〔返〕  吉野家で大盛り牛丼平らげて「ごっつあんです」と言ったらどうだ!   鳥羽省三


(飯田和馬)
〇  手に取れば香り重みが嬉しくて林檎をみがく眠れない夜

 甘さと瑞々しさがどっさりと詰まっているような、あの捥ぎたての「林檎」の「重み」と「香り」には、一種独特な情趣が感じられ、一個一個手に取って磨きたくなるような気がするものである。
 〔返〕  噛んでみれば果汁が前歯に滲み込んでとても美味しい捥ぎたての林檎   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  幼な日の虫取撫子咲く畦を記憶の中に祖母と歩めり

 作中に「虫取撫子」とあるので、“食虫植物”と思ったのですが、件の植物は、葉っぱが出ている節の下辺りから粘着性の分泌物を分泌する性質を備えている。
 そこで、蜜を求めて飛んで来て止まった虻などの虫がくっ付いて離れられなくなる。
 これが、あの美しくて可愛らしい植物が「虫取撫子」と呼ばれている所以である。
よくよく考えてみると、「祖母」という、孫が虫歯になることも知らないで、甘いお菓子なんか呉れたりして、べたべたくっ付かせることが大好きな人間は、「虫取撫子」のような存在なのかも知れません。
 彼女らに魅せられてしまったら、独特の分泌物で以ってべったりと縛り付けられ、一生涯、その記憶から離れられなくなってしまうのである。
 本作の作者も、その口ではありませんか?
 「お婆ちゃん子は三文安い」とは、よく言ったものである。
 〔返〕  婆ちゃんの記憶に縛られ母親を冷たい女と恨む子も居る   鳥羽省三
      往昔の虫取撫子が咲く頃は海にも山にも海豚が飛んでた


(酒井景二朗)
〇  用水の取水口よりやや離れ落つる水見つ立ち去りがてに

 「~~がてに」とは、「~~することが出来ないで」という意味である。
 したがって、本作の意は、「私は、『用水の取水口』から少し『離れ』た所に立って、田圃の用水溝に落ちて行く『水』を見ている。その場から立ち去ることが出来なくて」、或いは、「私は、『用水の取水口』から少し『離れ』た所から落ちて行く『水』を見ている。その場から立ち去ることが出来なくて」ということである。
 私・鳥羽省三が、こんな事細かな解説をすると、“通りすがりの者”と称して、「知ったかぶりをする奴だ!そんな事ぐらいは誰だって知っているだろう!馬鹿野郎め!」などという文面のコメントを寄せる者がいる。
 しかしながら、昨今の歌壇で最も必要とされているのは、こうした細かい点に目の行き届く評者であろうと思われる。
 「歌人・某の変節は、結社誌『アララギ』の消長と軌を一にしている」などという、どうでもよくて訳の解らないような文章は、何方にでも書けましょう。
 昨今の歌人ちゃんたち(=題詠2011の参加者の大半)に対して発揮して遣るべき親切心は、「文法的な誤りを訂正し、言葉の働きや死語と化してしまった語句などを丁寧に解説してやるような親切心である」と思われる。
 〔返〕  唐茄子の腐れたところに虻が付く立ち去りがてに我は見つむる


(鳥羽省三)
〇  往昔の取水堰の一つにて円筒分水久地に遺れり

 「久地」の「円筒分水」と言えば、知る人ぞ知る、江戸時代からの利水施設である。
 農業用水などを一定の割合で正確に分配するために、円筒状の設備の中心部に用水を湧き出させ、円筒外周部から越流させる。
 水が円筒状の施設から落下する際に一定の割合に分割される仕組みとなっている。
 私はドン百姓の末裔の分際で、不勉強にも「円筒分水」というものを知らなかったのであるが、今から七年前、私たちの長男が、東急田園都市線・溝の口駅の近くにマンションを買い求めたので、新居訪問をしたところ、その近くで「久地円筒分水」の案内板を目にして、その存在や役割りを知るに至ったのである。
 〔返〕  往昔の水争ひの凄まじさ毎年数人の死者が出たとふ   鳥羽省三

一首を切り裂く(095:遠慮・案外うまくいくものなのさ)

2012年04月28日 | 題詠blog短歌
(夏実麦太朗)
〇  遠慮なくいただきますって言っちゃえば案外うまくいくものなのさ

 なんちゃっていますが、それはいただく物(或いは、者)次第でございませんか?
 〔返〕 「遠慮なくいただきます」なんちゃったりして頂いてしまったのかしら?   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  遠慮がちにマイクを取りし若き娘(こ)がスターのごとき一礼をせり

 その「若き娘」は、「マイク」が回って来るのを手薬煉引いて待っていたのでありましょう。
 〔返〕  遠慮がちに取ったわりには歌が上手く顔もスタイルもなかなか宜しい  鳥羽省三


(原田 町)
〇  遠慮なく皇帝ダリア薙ぎ倒し迷走台風やっと去りたり

 「『迷走台風』の分際で『遠慮なく皇帝ダリアを薙ぎ倒』すとは不届き千万、無礼討ちにするぞー」とばかり応戦しようとしたのであるが、さしもの「迷走台風」も吹き去ってしまいました。
 〔返〕  姫百合と姫沙羅の樹を吹き飛ばしMASAKO台風荒れに荒れたる   鳥羽省三  


(穂ノ木芽央)
〇  無遠慮が占領してゐる路地裏で子猫一匹 鳴けもせず居り

 「無遠慮が占領してゐる路地裏」というフレーズが宜しい。
 〔返〕  不作法に占拠されたる教室で時間潰しの講義を受ける   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  遠慮なく酷評をする友のブログの更新止まり秋深みゆく

 「秋深みゆく」いう月並みな七音を置いて治まりを付けようとするような魂胆では、「遠慮なく酷評をする友のブログ」が天罰を下しますよ。
 〔返〕  遠慮なく酷評したいと思います毎度毎度で申し訳ない   鳥羽省三

一首を切り裂く(094:裂・タンポポの茎を引き裂き)

2012年04月27日 | 題詠blog短歌
(tafots)
〇  タンポポの茎を引き裂き指先を嗅がせあってた長いあぜ道

 ブログタイトルを拝借させて頂きます。
 〔返〕  タンポポの花を引き抜き怒ってた許せないなら許さなくていい


(オリーブ)
〇  指絡め視線を交わす雨の下 いまひっそりと柘榴が裂ける

 「雨の下」で「指」を「絡め」て「視線を交わす」だけで「裂ける」「柘榴」とは、過敏症気味の「柘榴」である。
 〔返〕  指絡め流し目をするオリーブに過敏なポパイは怒張しそうだ   鳥羽省三


(原田 町)
〇  あちこちに罅や裂け目の見えかくれ四十年経し家もわれらも

 「われら」はともかくとして、「四十年」も経てば、「家」の「あちこちに罅や裂け目」が「見えかくれ」するのは当然のことでありましょう。
 「見えかくれ」程度の段階で治まっているのは、むしろ「良し」としなければなりません。
 〔返〕  あちこちに傷や裂け目が見え見えでそれでも潰れぬ連立政権   鳥羽省三


(久哲)
〇  壁にある亀裂に鳩が出入りする 痛いところを突いてきますね

 あまりにもまともな作品を目にすると、「あの久哲さんも耄碌してしまったのかな?」などと思ったりして心配してしまいます。
 〔返〕  胸に空く穴に桜が吹き込んで久哲さんも今や満開   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  クレバスは氷河の裂け目!分け入らば命凍て付く紀香のクレバス!

 連作「藤原紀香 讃」の一首として詠みましたが、初案は「クレバスは氷河の裂け目!たおやかな白き峰なる紀香の裂け目!」でした。
 〔返〕  クレバスよ!紀香の裂け目よ!分け入りて命尽きたき紀香のクレバス!   鳥羽省三 

一首を切り裂く(093:迫・まるで強迫神経症のやう)

2012年04月27日 | 題詠blog短歌
(桑原憂太郎)
〇  まるで強迫神経症のやう校門前のあいさつ運動

 「校門前のあいさつ運動」は、無能な校長とその取り巻き連中が牛耳っている学校が行う、極めて非教育的な年中行事の一つである、と断言するのが適当な言い方でありましょうか?
 挨拶は「あいさつ運動」といった形式で、形式的かつ強制的な遣り方で身につくものではなく、生徒と教職員との間にある程度の信頼関係が成り立っていれば、お互いにごく自然に頭を下げて「おはよう」とか「さようなら」と言い交すようになり、やがては生徒一人一人が心掛けるべき社会的なマナーとして身につくものでありましょうか?
 本作の作者・桑原憂太郎さんは公立学校の教師として、いささかならぬ疑問を感じながらも「校門前のあいさつ運動」に参画しなければならなかったはずであり、その時に感じたジレンマを「まるで強迫神経症のやう」と言っているのでありましょう。
 〔返〕  形式的かつ強制的に言い交す挨拶運動での「おはよう」「さようなら」  鳥羽省三


(コバライチ*キコ)
〇  刻々と夕闇迫る立秋の霞が関のビルは熱持つ

 本作の作者は、「刻々と夕闇迫る立秋の霞が関のビルは熱持つ」とお詠みになって居られるが、「霞が関」と言えば、各省庁など政府機関の「ビル」が林立しているビル街である。
 ところで、今どき、「霞が関」のビル街で働いている人々、即ち官僚や役人たちの中に、「刻々と夕闇迫る立秋」の時候の「ビル」の外壁を熱くするような情熱を持って働いている人がどれくらい居るのでしょうか?
 彼らの大半は、自らの地位保全の為に、安逸な生活の為に、上司の命ずるままに、只ひたすら諾諾として働いているだけの事ではないでしょうか?
 そうした観点に立って本作を鑑賞すれば、本作の趣旨は、「世界平和及び国民生活の安定を実現する為に公僕として働く、という本来的な役割りを忘れている“霞が関族”への痛烈な皮肉と現代社会への風刺」ということになりましょうか?
 〔返〕  昏々と夕闇包む立冬の霞が関に蠢く貉   鳥羽省三  


(豆田 麦)
〇  迫り出したおなかに耳をあて息をひそめ感じた ぼくのおとうと

 「妊婦の膨れたお腹に『息をひそめ』『耳をあて』て、胎児の心臓の鼓動を聴く」というパターンは、今や短歌創作の黄金パターンの一つとして定着し、類想歌が山積されている、と言っても過言ではありません。
 したがって、本作は、五句目の七音「ぼくのおとうと」で以って、辛うじて佳作としての位置を保っている、と言わなければなりません。
 〔返〕  惚れ抜いた男に去られ迫り出したお腹抱える僕の叔母さん   鳥羽省三  


(砂乃)
〇  迫りくる夕闇にふたりくるまれて秋に体温奪われていく

 「ふたりで居れば苦しみもなんのその」式の安易な発想から成り立っている作品であるが、「秋に体温奪われていく」という七七句が宜しい。
 〔返〕  迫り来る宵闇に独り包まれて燐寸売りしたアンの少女期   鳥羽省三


(佐藤紀子)
〇  迫力が桁違ひなるウオー・クライ 「カマテ、カマテ!」のニュージーランド

 「ラグビーのワールドカップ」に取材したことを説明する詞書がある。
 作中の「カマテ、カマテ」は、“HAKA”と呼ばれるNZの先住民が戦争前などに行った相手を威嚇する為の儀式であり、ラグビーのNZ代表が試合前にやる「ウオー・クライ」の一つ、ということである。 
 〔返〕  妹が腹違いなるアンの母 十五で嫁入り二十五で死す   鳥羽省三


(うたのはこ)
〇  ボージョレーの酔いのせいにはしたくない夕闇迫る階段のキス

 「ボージョレー・ヌーボーがあまり美味しかったから、二人で五本も飲んでしまいました。すっかり酔ってしまい、つい、うっかり、あの階段の暗がりで彼にキスしてしまいました。ほんの出来心だったんですよ。その気は全然ありませんでした」という訳には行かなくなってしまったのでありましょうか?
 〔返〕  階段が急なせいにもしたくないボージョレー飲んだ挙句のキスを   鳥羽省三


(螢子)
〇  君とふたり迫るショッカーと歌うとき同じ時代を生きたと思う

   ① 迫る~ショッカー、地獄の軍団、われらを狙う黒い影。
     世界の平和を守るため、GO! GO! レッツゴー、輝くマシン。
     ライダー、ジャンプ。
     ライダー、キック。
     仮面ライダー、仮面ライダー、ライダー、ライダー。
   ② 迫る~ショッカー、悪魔の軍団、我が友狙う黒い影。
     世界の平和を守るため、GO! GO! レッツゴー、深紅のマフラー。
     ライダー、ジャンプ。
     ライダー、キック。
     仮面ライダー、仮面ライダー、ライダー、ライダー。
   ③ 迫る~ショッカー、恐怖の軍団、我が町狙う黒い影。
     世界の平和を守るため、GO! GO! レッツゴー、緑の仮面。
     ライダー、ジャンプ。
     ライダー、キック。
     仮面ライダー、仮面ライダー、ライダー、ライダー。

 とは、昭和四十六年三月に発表された、お馴染みの『仮面ライダー』ソング『レッツゴー!! ライダーキック』である。
 これを、あまり冷房の効かないマンションの一室で彼と声を合わせて歌う時、本作の作者・螢子さんは、「私と彼とは『同じ時代を生きた』者同士である!」としみじみと感じたのでありましょうか?
 ≪影の声≫ 「本当は彼より彼女の方が一回りも年上なのにね!」
 〔返〕  
    ④ 迫る~ショッカー、笑いの軍団、我が臍狙うエロい影。
      世界の平和を守るため、GO! GO! レッツゴー、ピンクの仮面。
      ライダー、ジャンプ。
      ライダー、キック。
      仮面ライダー、仮面ライダー、ライダー、ライダー。


(伊倉ほたる)
〇  選択を迫られているデミカップのエスプレッソはあと一口で

 それらしい道具立てを整えて読者の心を惑わせ、ささやかな疑問を感じさせたまま一首を閉じるのが、本作の作者・伊倉ほたるさんの常套手段であり、本作も、その例外ではありません。
 「選択を迫られている」などと大袈裟なことを仰っておりますが、どうせ、目の前に置かれたカフェの支払伝票に手を出すべきか否か、といった程度の問題でありましょう。
 〔返〕  選択を迫られているワイシャツをクリーニングに出すべきか否か   鳥羽省三


(飯田和馬)
〇  クリスマスソング流れて冴える赤 みな迫真の演技に見える

 街中がクリスマスカラーに彩られ、クリスマスソングが流れる頃ともなると、何方でも「みな」、「迫真の演技」をすることを強いられているような気分になるのでありましょう。
 そうした中にあって、人々に醒めた目を注ぎ、一個の傍観者然として居られるのは、本作の作者・飯田和馬だけでありましょう。
 〔返〕  ジングルベルに浮かれて踊る風見鶏 神戸坂道異人館通り   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  白秋に迫るまなざし思ひつつどくだみ茶をゴクリと飲みぬ

 「白秋に迫るまなざし思ひつつどくだみ茶をゴクリと飲みぬ」とは、いかにも熟女・今泉洋子さんらしいご発想であり、語り口でもある。
 しかしながら、あの「白秋」に熱い「まなざし」を注ぐのは、松下俊子と言い、江口章子と言い、佐藤菊子と言い、いずれ劣らぬ古強者ですから、今更「どくだみ茶」なんか飲んでも到底敵いません。
 〔返〕  江口章子に迫る白秋を想ひつつ腰にサロンパスAを二枚も貼りつ   鳥羽省三


(ひぐらしひなつ)
〇  迫害の果ての死いくつ展示して冷えたり切支丹記念館

 作中の「切支丹記念館」とは、大分県臼杵市宮原に在る「野津キリシタン記念館」を指して言うのでありましょうか?
 だとすれば、同記念館の年間有料入館者数はわずかに四百人とか?
 「冷えた」のは、記念館の建物と言うよりも経営内容でありましょうか?
 〔返〕  踏絵踏まざりし人幾人(いくたり)か臼杵市の野津キリシタン記念館   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  差し迫り金子拝借致したくモデルガン持て押し入り候

 要するに、サラ金強盗である。
 〔返〕  差し迫り娘御貰ひ受け申したく結納金持て参りたく候   鳥羽省三 

一首を切り裂く(092:念・アンタレス緋色空しき情念の)

2012年04月26日 | 題詠blog短歌
(アンタレス)
〇  アンタレス緋色空しき情念の宿りし星よ吾が星とせむ

 「アンタレス」とは、さそり座のα星であり、夏の南の空に赤く輝く1等星である。
 作中に「緋色空しき情念の宿りし星よ」とあるが、この点については、本作の作者が「アンタレス」をご自身のペンネームとするに当たって、ご自身が療養生活を強いられている立場であることなどを考慮した上で、感情移入しての表現と思われる。
 間然隙の無い作品と申せましょうか、作者の日頃の研鑽の結果と実力が遺憾無く発揮された一首である。
 〔返〕  アンタレス真夏の夜空に輝きつ病身われは澪標とせむ   鳥羽省三
      アンタレス汝が輝きの増さるとき我が情念の赫赫と燃ゆ

(tafots)
〇  ブラジャーの既成概念くつがえす脱がされ方を思い出す夜

 この場面に於いては、本作の作者・tafotsさんに、是非、「ブラジャーの既成概念」について、また「ブラジャーの既成概念」を「くつがえす脱がされ方」について、とっくりとお伺い致したく存じ上げます。
 〔返〕  ブラジャーの既成概念くつがえし外しもせずに入浴したい   鳥羽省三
      ブラジャーの既成概念くつがえし装着せずにブラウスを着る


(西中眞二郎)
〇  とりどりの記念切手を貼り合わせ昨日の礼の手紙を出しぬ

 本作の作者・西中眞二郎さんは「昨日の礼の手紙」を出すに際して、受取人の方に最大限の感謝の意を込め、在職当時蒐集していた「とりどりの記念切手」シートから切り離した切手を封筒の切手貼り付け箇所に「貼り合わせ」たうえで投函したのでありましょう。
 〔返〕  5円のが1個と7円のが5個残りの分は10円切手   鳥羽省三


(野州)
〇  寄る猫の姿まばらに宵の寒念じて生える頭髪もなく

 「寄る猫の姿」も「まばら」な「宵の寒」に、自分だけが禿げ頭で居るのも侘しくて寒くて辛いのであるが、禿げ頭を叩いてみて「念じて生える頭髪もなく」と、諦めてしまったのでありましょうか?
 〔返〕  禿頭を叩いてみても詮無きに一、二度ならず五度も叩ける   鳥羽省三


(行方祐美)
〇  念珠藻の酢の物つつく箸さきのしづかにありき昨夜の夢には

 フリー百科事典『ウィキペディア』の解説するところに拠ると、作中の「念珠藻」とは「ネンジュモ属(念珠藻属)Nostoc は藍藻の属の一つ。一列の細胞からなる分岐しない糸状体が共通の寒天質基質内で多数絡み合って藻塊(コロニー)を形成する」とある。
 また、同事典の別の項目を参照したところ、「イシクラゲ」なる「ネンジュモ属に属する陸棲藍藻の一種」についての解説が為されており、それに拠ると、その利用法として、「日本で古来から食用にもされ、付着した土や枯れ葉などを丁寧に除去して湯通しし、酢の物などにして食べる。別名はイワキクラゲ(岩キクラゲ)や姉川クラゲ(滋賀県姉川に因む)。沖縄県ではモーアーサ(毛アオサ・毛は芝生の意)、ハタカサ(畑アオサ)などと呼ばれる」とある。
 推してみるに、本作中の「念珠藻の酢の物」とは、「イシクラゲの酢の物」の謂いでありましょうか?
 だとすれば、本作の作者は「行方」姓なるも、イシクラゲを酢の物にして食する食習慣を持つ地方の出身者であり、なるが故に、彼女の「昨夜の夢」に、「念珠藻の酢の物」を「箸さき」も「しずかに」「つつく」場面が登場したのでありましょうか?
 ふるさとを離れて暮らす者にとって、ふるさと独自の食べ物は、すごく懐かしいものであると思われ、なるが故に、あの斎藤茂吉の著名な連作『死にたまふ母』にも、「ふるさとのわぎへの里にかへり來て白ふぢの花ひでて食ひけり」、「湯どころに二夜ねぶりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけれ」、「山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ」という、山形県独自の食べ物を愛でた傑作が在り、未だに人々の口の端にも上るのでありましょう。
 本作を鑑賞させていただいたお蔭で、私は「念珠藻の酢の物」なる、未だ口にしたことの無い食べ物についての知識を得ることが出来ました。
 これも、短歌鑑賞者の役得の一つと存じ上げ、作者の行方祐美さんには、篤く篤く御礼申し上げます。
 〔返〕  山菜はワラビ・ゼンマイ・ミズ・コゴミ・シドケ・タケノコ・タラノメ・アイコ   鳥羽省三


(鮎美)
〇  恒例の一族記念写真より一抜け従姉二に抜け従兄

 ご両親共に、兄弟姉妹の少ないご家庭の出身者であればこそ、「恒例の一族記念写真」に、従兄弟や従姉妹の方までお写りになるのでありましょうか?
 本作の趣旨は、「そうした少ない人数の中から『一抜け従姉』『二に抜け従兄』と、次々に親族たちがお亡くなりになられ、今年の『一族記念写真』はますます寂しくなって行くばかりである」といったものでありましょう。
 因みに申し上げますと、私は「一族記念写真」なるものが大嫌いで、可能な限り、そうした場面には顔を出さないように心掛けております。
 〔返〕 姉二人の葬儀にさえ行きませんでした血族同士の集まりは嫌い   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  「八十吉は念珠の玉の一つ」とぞ『念珠集』の巻頭に在り

 『念珠集』とは斎藤茂吉の随筆集であり、「1 八十吉」から「10 念珠集跋」まで、茂吉自身のウィーン留学中(大正十二年七月)に亡くなった実父についての思い出話である。
 因みに、「1 八十吉」の全文は次の通りである。

 僕は維也納の教室を引上げ、笈を負うて二たび目差すバヴアリアの首府民顕に行つた。そこで何や彼や未だ苦労の多かつたときに、故郷の山形県金瓶村で僕の父が歿した。真夏の暑い日ざかりに畑の雑草を取つてゐて、それから発熱してつひに歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。
 僕は父の歿したことを知つてひどく寂しくおもつた。そして昼のうちも床のうへに仰向に寝たりすると、僕の少年のころの父の想出が一種の哀調を帯びて幾つも意識のうへに浮上つてくるのを常とした。或る時はそれを書きとどめておきたいなどと思つたこともあつて、ここに記入する『八十吉』の話も父に関するその想出の一つである。かういふ想出は、例へば念珠の珠の一つ一つのやうにはならぬものであらうか。
 八十吉は父の『お師匠様』の孫で、僕よりも一つ年上の童であつたが、八十吉が僕のところに遊びに来ると父はひどく八十吉を大切にしたものである。読書がよく出来て、遊びでは根木を能く打つた。その八十吉は明治廿五年旧暦六月二十六日の午すぎに、村の西方をながれてゐる川の深淵で溺死した。
 そのときのことを僕はいまだに想浮べることが出来る。その日は村人の謂ふ『酢川落ち』の日で、水嵩が大分ふえてゐた。川上の方から瀬をなしてながれて来る水が一たび岩石と粘土からなる地層に衝当つてそこに一つの淵をなしてゐたのを『葦谷地』と村人が称へて、それは幾代も幾代も前からの呼名になつてゐた。目をつぶつておもふと、日本の東北の山村であつても、徳川の世を超え、豊臣、織田、足利から遠く鎌倉の世までも溯ることが出来るであらう。『葦谷地』といふから、そのあたり一面に蘆荻の類が繁つてゐて、そこをいろいろの獣類が恣に子を連れたりなんかして歩いてゐる有様をも想像することが出来た。明治廿五年ごろには山川の鋭い水の為めにその葦原が侵蝕されて、もとの面影がなくなつてゐたのであらうが、それでもその片隅の方には高い葦が未だに繁つてゐて、そこに葦切がかしましく啼いてゐるこゑが今僕の心に蘇つて来ることも出来た。その広々とした淵はいつも黝ずんだ青い水を湛へて幾何深いか分からぬやうな面持をして居つた。
 瞳を定めてよく見るとその奥の方にはゆつくりまはる渦があつて、そのうへを不断の白い水泡が流れてゐる。その渦の奥の奥が竜宮まで届いて居るといつて童どもの話し合ふのは、彼等の親たちからさう聞かされてゐるためであつて、それであるから縦ひ大人であつてもそこから余程川下の橋を渡るときに、信心ふかい者はいつもこの淵に向つて掌を合せたものである。その淵も瀬に移るところは浅くなつてその底は透き徹るやうな砂であるから、水遊する童幼は白い小石などを投げ入れて水中で目を明いてそれの拾競をしたりするのであつた。
 旧暦の六月廿六日は『酢川落ち』の日であつたけれども、もう午過ぎであるから多くの人は散じてしまつて、恰も祭礼のあとの様な静かさが川の一帯を領して居た。弱くて小さい魚は死骸となつて川の底に沈み、なかには浮いて流れてゐるのもある。割合に身が大きく命を取留めた魚は川下に下れる限り下つたのもあり、あるものは真水の出づるところにかたまつて喘いでゐるのもある。さういふ午過ぎに十四ぐらゐを頭に十又は九つ八つぐらゐまでの童が淵の隅の割合浅いところに水遊をしてゐた。水遊と云つてもふだんの日の水遊とは違つて、一方には底に潜つて行つて死んだ小魚を拾ふのもその楽みの一つなのである。間が好くば弱つて喘いでゐる大きな魚をつかまへることが出来たりするので、童らは何時までも陸に上らうとはしない。
 泳げるものは最も気味の悪い深いところまで泳いで行つて、渦のところを二まはり三まはりぐらゐ廻つて来るのが自慢の一番と謂つてよかつた。すると淵の向う岸に八十吉がたつたひとり浅瀬のところで何かしてゐるのが見えた。向う岸と云ふと童らの居るところからは平らな光つてゐる水面を中に置いて可なりの距りがある。八十吉は唯一人で小魚でも見つけて居るのかも知れんと思つてから五分間位も経つた頃であらうか。岸から少し淵に入つた鏡のやうな水面に人の両方の手が五寸ぐらゐひよいと出たのが見えた。童らの驚く間もなく、人の両方の手が二たび水面から五寸ばかり出た。ほんの刹那である。
 そのとき十四になる童が水中に飛込んで泳ぎ出した。稍しばらく泳いでゐたが人の両手が水面から出たあたりに行著くと、頭の方を下にして水中ふかく潜つて行つた。その童の両の足の活溌な運動も見えなくなつて、いよいよ水中ふかく潜つて行つたことを観念すると、こんどはみんな息を屏めて、小さい心臓の鼓動をせはしくしてそこの水面を見てゐた。水面は全く水の動揺を収めてこの事件を毫しも暗指してゐる様な気色がない。やや暫くすると、童はつひに空しく水面に浮上つて来て、しきりに手掌で顔を撫でた。その時である、はじめて事の軽々しくないといふ一種の不安が僕らの心を圧して来て、そこに居たたまらないやうな気がした。童は二たび身を逆まにして水中に潜つて行つた。けれども暫くののちまた手を空しうして水面に浮上つたとき、水面にあつて、人を呼べとこゑを立てた。それから童らはひた走りに走つて田畑に働いてゐる大人を呼びに行つた。
 村の人々が数十人集つて、かはるがはる淵の中に飛込んだのは、人の両手が見えてから三十分ぐらゐも経つてゐたであらうか。大人が息こんで水中に潜るのであるが、八十吉はなかなか見つからない。入りかはり立かはり水中にもぐつて、また三十分間ぐらゐも経つた頃であつたらうか。一人の若者がたうとう八十吉を肩にかついで水面に浮上つて来た。若者は何か鋭く叫んで、その肩には生白い人の体がぶらさがつて、首の方がだらりとして腕などは日にからびた葱の白いところを見るやうな、さういふ光景が電光のごとくに僕に見えた。
『お関の婿だ。あれあ』
『お関の婿あ八十吉を見つけた』
 かういふこゑが聞こえた。お関は村はづれに小さい店を開いてそこで揚物だの蒟蒻煮などを売つてゐた。八十吉を引上げたお関の婿といふのはそこへ他村から入婿に来た若者のことであつた。この若者は其の数年後隣村の火事に消防に行つて身を挺んじて働いたとき倉の鉢巻が落ちてつひに死んだ。八十吉が水の中からやうやく上つてから暫くは、人間の重苦しい鋭い一種の叫びごゑがそのあたり一帯にきこえて居たが、間もなく元の静寂に帰つた。
 蔵王山の麓に湧出る硫黄泉の湯尻が、一つの大きい滝瀬をなして流れてゐる。それが西に向つて里へ里へと流れ下つて、金瓶村の東境に出るとそこから急に折れて北へ向つて流れる。此の川の川原の石はいつも白い様な色合を帯びてゐて水苔一つ生えない。清く澄んだ流であるが味が酸いので魚も住まず虫のたぐひも卵一つ生むことをしない。又この水を田に引くと稲作に害があるので、百姓にとつて此の川は一つの毒川だと謂つてよい。これを酢川と何時の頃からか名づけて来た。それから、金瓶村の西方を流れる川は米沢境の分水嶺から出てくるもので、山形の平野に出てから遂に最上川に入るのであるが、これは淡水であつて多くの魚類を住まはせてゐる。然るに昔、雨降の後に洪水が出た時、村の東境まで西へ向つて流れて来た酢川が、北へ折れる処で北へ折れずにそこを突破したから、村の西方を北へ流れてゐる淡水の川に、酢川の水が混つてしまつた。いはば西洋文字のHの様な恰好になつたのである。すると其の川に住んでゐる魚族が一度にむらがり死ぬといふ現象が起つた。さういふ害のある水が淡水の川に混つては困るから、村では破れたところに堤防を築いてその混入を防いだのである。然るにいつの頃からであらうか。時代はずつとずつと溯るであらう。深夜人無きに乗じてその堤防を破つて、故意に酸い水を淡水の川に灑いだものがあつた。その酸い水が混じると、魚の族は真黒になるほど群がつて川下へ川下へとくだる。それを梁で取れるだけ取つて、暁にならぬうちに家に帰つて知らんふりしてゐるのである。これを『酢川落ち』と唱へる。
 暁に先立つて草刈に行く農夫の一人二人がそれを見つけて、村役場へ届ける。村役場では人足を出して堤防の修理をする。然るに一方では村の老若男女童男童女が我先にと川へ出かけて行つて、弱り切つてゐる魚を捕まへるので、つまり余得にありつくのである。この『酢川落ち』はさうたびたびは無い。また村人も一種の楽みとおもふので、役場がそれを大目に見て、罪人を発見しようと努めるやうなことはない。『酢川おとし』の行為は法に触れるべきものであるが、『酢川おち』の現象は村民にとつては無くてはならぬ、謂はば一つの年中行事の如き観を呈するに至つた。それがずつとずつと古い代から続いて来たのである。泳(およぎ)を知らない、常には川遊などをしない八十吉が、この『酢川おち』の日に、ただのひとりで川に遊びに来てゐたのである。
 八十吉は終に蘇らなかつたことを下男が来て話して呉れた。八十吉のこの事があつた時父は他村に用足しに行つて、日暮時に入つてやうやく帰つて来た。父の顔を見るや否や、あわてて僕は父の側に行き、八十吉の溺れる有様、それから八十吉を水から揚げてから、藁火をどんどん焚いて、身の皮のあぶれる程八十吉を温めたこと、八十吉の肛門から煙管を入れて煙草のけむりを骨折つて吹き込んだこと、さういふことを息をはずませながら話をした。
『八十吉の尻の穴さ煙管が五本も六本もずぼずぼ這入つたどつす。ほして、煙草の煙が口からもうもう出るまで吹いたどつす』
 かういふ僕の話を聞いてゐた父は、どうしたのか一ことも云はずにいきなりと僕をにらめつけるやうな顔をして、僕は予期しない父の此の行為に驚愕するいとまもなく、父はあたふたと著物を著換へて出て行つてしまつた。祖母も母もみんな八十吉の家につめ切つてゐた時である。
 僕は父の歿した時、民顕の仮寓にあつてこのことを想出して、その時の父の顔容を出来るだけおもひ浮べて見ようと努めたことがあつた。帰国以来僕は心に創痍を得て、いまだ父の墓参をも果さずにゐる。家兄の書信に拠ると八十吉は十二で死んでゐるから僕の十一のときであつた。八十吉は金瓶村宝泉寺に葬られてあつて、円阿香彩童子といふ戒名をもつてゐる。(大正十四年九月記)
 〔返〕 「お関の婿あ八十吉を見つけた!」かういふこゑが僕に聞こえた   鳥羽省三

『NHK短歌』鑑賞(坂井修一選・4月22日分・良寛の心の地獄うたに残れり)

2012年04月25日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

〇  子どもらと手毬遊びの良寛の心の地獄うたに残れり  (世田谷区)  野上 卓

 「良寛の心の地獄うたに残れり」というフレーズに着目し、彼の歌聖・良寛の「心の地獄」を示唆するような歌を探そうとしましたが、残念ながら見つけることが出来ませんでした。
 評者の私としては、「聖僧・良寛の童女拐帯疑惑」乃至は「童女視姦」を意味するような歌の存在を期待していたのでありましたが、貞心尼との間で交わされた相聞歌の中に、やや艶っぽい歌がちらほらしていた程度であり、それらしい気配は全く見られませんでした。
 つきましては、何卒、ご教示賜りたくお願い申し上げます。
 〔返〕  童べと手毬突きつつ後家さんの柔肌思ふ性僧であれ   鳥羽省三


[同二席]

〇  エジプトの路上でビーズを売りし子よアラブの春に砂嵐吹く  (世田谷区) 芹澤弘子

 好みの問題でもありましょうが、上の句に於いて「エジプト」観光と「アラブの春」とを強引に結び付けた挙句、下の二句を「アラブの春に砂嵐吹く」という常套的な表現で纏めただけの作品のように思われ、評者の私としては、あまり高く評価出来ません。
 〔返〕  エジプトの砂漠で眺めた蠍座も目前の蠍座も同じ蠍座   鳥羽省三


[同三席]
〇  では最後に「遺伝子組み換え人間でない」のところの「はい」にチェックを  (大阪市) 牛 隆佑

 鬼才・牛隆佑さんの面目躍如たる傑作である。
 特に末尾の七音「『はい』にチェックを」が、毎日を無為に過ごしている若者らしい趣きが感じられて宜しい。
 〔返〕  お終いに「今の会社でのお仕事に満足している」の「no」にチェックを   鳥羽省三 


[入選]

〇  おさな子をさらい育てて妻にする光源氏もマントヒヒらも  (真庭市) 岡田耕平

 特選一席の野上卓さんの御作に関連して申せば、歌僧・良寛にも「おさな子をさらい育てて妻にする」くらいの甲斐性と元気さが有って欲しかったところである。
 〔返〕  鶴の子を犬君が食べてしまひけり伏せ籠に入れて育てしものを   鳥羽省三


〇  蒲公英に止まりて何を思いをり蝶となりたる荘子の裔か  (高槻市) 奥本健一

 季節柄「蒲公英に止ま」っている「蝶」を目にして、「荘子」の故事を思い出したのでありましょうが、「荘子の裔か」と疑問を呈しただけでは、単なる衒学趣味の発揮に終わってしまいます。
 〔返〕  頬杖を突いたりしてはいけません蝶々のように遊べや遊べ   鳥羽省三


〇  ひまわりが覗こうとする通知表胸に隠して少女は駈ける  (京都市) 麻倉 遙

 一学期末の「通知表」を手にして背丈の高い「ひまわり」の花の下を「駈けて」行く「少女」を目にした時、本作の作者は、「少女」が「胸に隠して」いる「通知表」を「ひまわりが覗こう」としているように、ふと感じたのでありましょう。
 学期末を迎えて一段と背丈が伸びた「少女」と、真夏を前にして草丈が一段と増した「ひまわり」との対比は、若々しい季節感と情感に溢れた新鮮な一首を形作っている。
 〔返〕  通知表はあひるの行列気にもせず元気いっぱい遊べや遊べ   鳥羽省三


〇  あの子への想い沈める春とする桜舞い散る京都を歩く  (富山市) 畠山拓郎

 「桜舞い散る京都を歩く」のは、「あの子への想い」を断念し、激しい情念を沈めようとしてのことでありましょう。
 失恋の思いに打ち拉がれている作者の目前で「舞い散る」「桜」は、青春の終りを象徴するものである。
 〔返〕  円山の枝垂れ桜か醍醐寺の花見の宴か桜舞い散る   鳥羽省三


〇  蝶よ蝶よいまこそ遊べオルガンの吹子の風にはるかふかれて  (川崎市) 川辺一穂

 「オルガンの吹子の風」に吹かれて舞い遊ぶ「蝶」という見立てが宜しい。
 〔返〕  オルガンの鞴の風に煽られてひらひらと舞う山吹の花   鳥羽省三


〇  母はわが子どもとなりて目を閉じぬ真昼あかるき湯に浸かりつつ  (東村山市) 岡本和子

 本作の魅力の全ては「真昼あかるき湯に浸かりつつ」という、下の句の七七音に係っているのである。
 〔返〕  吾もまた子供になって目を瞑る妻に剃られる白髪の頭   鳥羽省三 

一首を切り裂く(091:債・赤字国債の是非などが議論されたる時なつかしき)

2012年04月25日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  今となれば赤字国債の是非などが議論されたる時なつかしき

 一国の浮沈が係っている経済問題を論じるに当たって、卑近な例を引き合いに出して申すのは、真に気の引けることではある。
 しかしながら、鳥羽省三的に申せば、本作の趣旨は、「不見転と言うか、阿婆擦れ娘と言うか、今となっては丸裸同然、なりふり構わずに何もかも許し、失くしてしまった我が国にも、“手ぐらいは握らせるか?”“接吻ぐらいはさせても宜しいか?”“ペッティングまでは許しても宜しいだろう?”などと悩んでいた、処女的な段階が在り、『今となれば』そんなどうでもいいことについて真剣に『議論』していたあの頃が懐かしい」といったところでありましょうか?
 本作の作者・西中眞二郎さんは通産官僚OBとして、未だに我が国経済の振興について苦慮なさって居られるのでありましょう。
 ならば、ややもすれば、私・鳥羽省三如き者から揶揄の対象にされてしまいかねない、このような作品をお詠みになられるに当たっても、万感の思いを込めて居られるのでありましよう。
 大変失礼申し上げました。
 〔返〕  何事も過ぎてしまえば懐かしく捨てた女が夢に出て来る   鳥羽省三  


(小林ちい)
〇  不良債権であろう俺を両親は姉と同じに愛してくれる

 「不良債権であろう俺を両親は姉と同じに愛してくれる」と、他人に言えないような切実なことを、歌に詠んで打ち明ける作者・小林ちいさんが居て、それを良しとして採り上げ、拙いブログで論じる鳥羽省三が居る。
 こうした現実こそ、まさしく「題詠2011ワールド」そのものではありませんか!
 題詠短歌は、このように在らねばなりません!
 〔返〕  自己破産に追い込まれたこの俺を兄弟姉妹は振り向きもせぬ   鳥羽省三


(Yosh)
〇  日本人、債なら債ならバイバイと震災直後に逃げたガイジン

 「債なら債ならバイバイと」というふざけ方がそれなりに宜しい。
 今になって思えば、確かにそんな薄情な「ガイジン」さんも居りましたね。
 あの薄情な「ガイジン」さんたちは、超円高に苦しんで居る今の我が国の経済事情を、どんな目をして観ているのでありましょうか?
 〔返〕 「ニホンジン、ケシテメゲズニガンバルネ!」褒めてくれるか?ガイジンさんは   鳥羽省三


(津野)
〇  世の債務を果たしたものから老いてゆく午睡の後で沸かす湯を呑む

 真に津野さんの仰る通りです。
 私の周囲を見渡しても、「私などからすると、羨ましくて羨ましくてならなく、首を締め上げて殺してしまいたくなるような方、即ち、職業生活を通じて多大なる業績を残し、お子様をご立派に育て上げ、老妻との御仲もご円満、親戚やご近所の方々のご評判も頗る宜しい、言うこと無し」といった方から順序よく「老いて」行かれ、黄泉への道をお辿りになられるようにお見受けします。
 本作の表現について申し上げますと、「午睡の後で沸かす湯を呑む」という下の句のフレーズは、「邯鄲の夢枕」の故事に習った表現でありましょうか?
 〔返〕 過ぎ去ってみれば邯鄲夢枕粟粒一炊たまゆらに過ぐ   鳥羽省三


(松木秀)
〇  日本債券信用銀行のことなども金丸信と共に忘れた...

 「割引金融債・ワリシン」や「利付金融債・リッシン」を発行して一般的にも知られていた「日本債券信用銀行」が、疑惑を伴った諸問題や大量の不良債権を抱えて経営破綻に追い込まれ一時的に国有化されたのは1988年12月のことである。
 この「日本債券信用銀行」と共に、鬼才・松木秀さんによって「忘れた...」と一蹴されている「金丸信」とは、政府自民党の総裁以外のありとあらゆる役職に就き、「キングメーカー」や「政界のドン」というダーティーな尊号を奉られながらも、1992年に発覚した東京佐川急便の経済事件に絡む闇献金問題で起訴されて失脚し、病状悪化に伴う裁判中止後の1996年3月に疑惑に包まれて失意のうちに死亡した人物である。
 彼が疑惑の人とされた理由の一つに、彼の妻が死亡した時に彼が受け取った遺産の脱税問題が在るが、この遺産が作中の「日本債券信用銀行」が発行していた「割引金融債・ワリシン」という形で遺産相続され、その一部が所得申告されていないと言う噂がある。
 歴史的に有名無名な出来事や人物を列挙して、「(あの事やあの人の事などは)忘れた!」或いは「(あの事やあの人の事などは)私と関係ありません!」「(あの事やあの人の事などは)記憶の彼方に飛んで行ってしまった事である!」などという形で放り投げてしまうような形の作品が、一つのパターンとして歌壇に定着しているが、本作に登場する「日本債券信用銀行」と「金丸信」とは、「引金融債・ワリシン」の脱税問題で繋がっているのであり、其処の辺りが本作の微妙な味わいである。
 
〔返〕  日債銀のマスコット貯金箱「サイちゃん」を鳥羽省三は三個も持ってる   鳥羽省三
 日債銀のマスコット貯金箱「サイちゃん」は、硬質ビニール製の犀の形の貯金箱であり、灰色と緑と白で彩色された斬新なデザインの貯金箱である。
 銀行の貯金箱の蒐集を趣味の一つとしていた私が、これを求めて日債銀の本店の在った九段下まで出掛けて行ったのは、私が未だ三十代半ばの夏の事である。
 

(牛隆佑)
〇  ローソンが故郷になる/肉体の全てが負債でも抱きしめる

 「ローソンが故郷になる」と仰り、重ねて「肉体の全てが負債でも抱きしめる」とまで仰る、本作の作者・牛隆佑さんは、俗に謂う「引き篭もり」でありましょうか?
 「ニート」でありましょうか?
 今週の「NHK短歌」に、彼が「では最後に『遺伝子組み換え人間でない』のところの『はい』にチェックを」という斬新な作品を投稿し、坂井修一選の特選三席という栄誉を得ていたことは、私たち短歌ファンにとってのビックニュースの一つとして永遠に記憶されなければならない。
 〔返〕  では次に「この作品は傑作だ」の「yes」のところをチェックしましょう   鳥羽省三


(理阿弥)
〇  雲ひとつなくて淋しい土曜日に債務のような読書はじめる

 理阿弥さんの場合と同様に、私にとっての「読書」も「債務のような」ものである。
 〔返〕  花水木白く侘しき水曜日債鬼に追はれて『阿古父』を読み居り   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
〇  重み増す債を背負ひて水底を覗けば招くあをき手のひら

 作中の「あをき手のひら」は、作者ご自身の「手のひら」が「水底」の鏡に映っているのでありましょうか?
 だとすれば、その奇しき「手のひら」は、「あっちの水は苦いぞ!こっちの水は甘いぞ!」と、「重み増す債を背負ひて水底」を覗いている作者を「水底」に招こうとしているのでありましょう。
 〔返〕  父親の借財代わりに身を沈め怨み重なるお女郎勤め   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  国債を勧むる電話ながながと応対の間に歌ひとつ出づ

 今泉洋子さんは、本作を通じて、ご自身の歌才の豊かさをご自慢なさって居られるのでありましょうか?
 でも、一首の歌が出来上がらなかったら、「国債を勧むる電話」をどこまでもどこまでも「ながながと」引き延ばせばいいのだから、巧拙を別にすれば「国債を勧むる電話」を「ながながと」引き延ばして「応対」している「間」に「歌」を「ひとつ」捻り出すのは、極めて簡単なことである。
 〔返〕  下手糞な歌を一首読みながら返歌を一首詠まねばならぬ   鳥羽省三


(月原真幸)
〇  うすべにの薬を飲んで明日への負債をひとつ抱えて眠る

 催眠導入剤と言わずに「うすべにの薬」と言ったところが手柄である。
 「うすべにの薬」の服用に依存して眠らなければならない生活そのものが、作者の月原真幸さんにとっては、「負債」を抱えた生活でありましょうか?
 〔返〕  薄紅のコスモスの花の咲く庭も負債のかたに取られてしまう   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  債鬼待つ店子の如く静もれり桜田門より見上ぐる皇居

 あの高貴な方々がお住いの辺りの異様な鎮まりを題材にして、いつか歌を詠んでみたいと思っていたのですが、この度、「桜田門」即ち警視庁の庁舎と組み合わせるとそれなりの歌になることに気付いて、長年の宿願を果たすことが出来ました。
 それにしても、あの高貴な方々のお住いを「債鬼待つ店子」などに例えたのは、あまりにも極端過ぎるとも思います。
 〔返〕  妻子持つ男の責任果たすため必死で頑張らなければならぬ   鳥羽省三

一首を切り裂く(090:そもそも・其のⅠ・そもそもが平和利用の能はざる)

2012年04月24日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
○  そもそもの発端からは離れたる議論が続き我も酔いたり

 町内会の寄り合いや友人同士の飲み会などに取材した作品でありましょうか?
 〔返〕  そもそもの発端などとは無関係なにが何でも審議拒否する   鳥羽省三


(髭彦)
○  そもそもが平和利用の能はざる魔物なりけりNUKEといふは

 つい先年までの福島県は保守党政治家の金城湯池であり、利権がらみの彼らを福島県民の大半が支持し、国会壇上に送って来た歴史を忘れてはいけません。 
 しかしながら、彼らの間から原発誘致の話が持ち上がった当初、設置予定地の漁民を中心とした少数の県民の間から原発誘致反対の声が上がったことは確かな事実であり、その反対派の人々を「福島の東北経済圏からの離脱に反対するような気違いども」呼ばわりして誘致話を強引に押し進めようとする、強欲で無定見な保守党政治家どもやその取り巻きどもを県民の大半が支持し、原発誘致話に同調したことも事実である。
 私は東北出身者として、極めて素朴な感想を述べさせていただきますが、私たちの周囲に居る東北出身者の中で、最も威張って居て、最も厭らしいことを口にしていた輩は福島県出身者であった。
 かつての彼らの口癖は、「福島県民はもはや東北地方の人間ではない。これからの輝かしい発展が予約された首都圏経済圏の人間である」ということであった。
 したがって、「そもそもが平和利用の能はざる魔物なりけりNUKEといふは」という発想は、やや遅きに失したような感じが否めません。
 〔返〕  そもそもが県民総意と言うべきか福島原発誘致したのは  鳥羽省三


(不動哲平)
○  大根の葉っぱの音が聞きたいと言いだしたのはそもそも君だ

 作中の「君」は、同じ「そもそも」でも随分とくだらないことを「そもそも」「言いだした」ものである。
 でも、よくよく考えてみると、「大根の葉っぱの音が聞きたいと言い」出すことは、「福島県の経済発展の為に原発を誘致せよ!」などと言い出すことよりは、よほど罪の無いことなのかも知れません。
 〔返〕  「大根の足より太い君が好き!」と言ったのはあんたなんだぞ!  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
○  そもそもは何日だったか海の日はできてほどなく移動を始める

 アーネスト・ヘミングウェイに『移動祝祭日』という傑作がある。
 私は、作中の「海の日」などが設定された当初、これらの祝日は、いわゆる「移動祝祭日」として設定されたものと理解していた。
 しかしながら、俗に謂う「移動祝日」には、下記の如く三通りのパターンがあり、我が国の「海の日」や「成人の日・敬老の日・体育の日」は、“ハッピーマンデー制度”に基づくものであり、下記の①に相当するものである。
     ①  曜日を祝日にしているため移動祝日となるもの。
     ②  国で採用する暦法以外の暦法で決定するため移動祝日となるもの。
     ③  天文事象に基づいて決定するため移動祝日となるもの。
 〔返〕  そもそもはあの日だけの慣わしが年がら年中チョコレートを貰う   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  そもそもはおべべ召されて宮参り今はの果の白足袋黒足袋

 本作は、お七夜の「宮参り」から始まって葬儀まで続く、人としての通過儀礼を題材にした作品である。 
 作中の「黒足袋白足袋」とは、葬式や通夜などでお焼香をする際に呟く言葉である。
 喪家の方々を前にして、「黒足袋白足袋、黒足袋白足袋……」と、口をあまり大きく開けないで言うと、「このたびはご愁傷様で云々」と聞こえるのだとか?
 〔返〕  そもそもは消しゴム貸してやったのがそれから切れぬ梅ちゃんとの仲   鳥羽省三

一首を切り裂く(089:成・其のⅠ・鶴首を一気呵成に引き上げし)

2012年04月23日 | 題詠blog短歌
(紫苑)
○  鶴首を一気呵成に引き上げし織部のあをはあたりをはらふ

 織部焼の中で、器物の表面全体、またはその一部に青緑色釉(銅緑釉)を掛けたものを「青織部」と言う。
 本作中の「織部のあを」とは、「青織部」を指して言うのであり、本作の作者・紫苑さんは、「青織部」の「鶴首」の花差しなどが、名人上手を以って謳われている陶工の巧みな轆轤捌きによって完成する瞬間を目にして、本作を詠んだのでありましょう。
 〔返〕  俗塵を払ふかのごと鶴首の立ち上がりゆく青織部の瓶   鳥羽省三


(髭彦)
○  列島をレイプのごとに犯しゆく核なりなりて成り余るもの

 「列島をレイプのごとに犯しゆく」という表現は、被災地・福島を父祖の地とする髭彦さんにとっては、決して大袈裟とは言えない表現でありましょう。
 〔返〕  途上国をレイプの如く犯し行く経済大国金権大国   鳥羽省三
 一昨日の朝日新聞に夜の森公園の桜の満開風景を告げるカラー写真入りのニュースが掲載されておりましたが、私は、本作の作者・髭彦さんと夜の森公園との深い関わりなどを思い浮かべながら、興味深く読ませていただきました。


(矢野理々座)
○  九分九厘成るのが得な敵陣で成らぬ香車のように生きたい...

 将棋で、成れる状況下に在っても、敢えて成らぬまま駒を指し進めることを指して「不成(ならず)」と言う。
 「不成」は、「香車」ならずとも「王将」以外の駒であったならば、それぞれ指す場面が在り得るのであるが、本作の作者・矢野理々座さんにとっては、直線的かつ特攻隊的に前進する以外に使いようの無い「香車」が「不成」のままであることに対して男性的かつ直情的な格好の良さ、乃至は潔さを感じて、「九分九厘成るのが得な敵陣で成らぬ香車のように生きたい」と詠んだのでありましょう。
 〔返〕  100%貰うのが得な袖の下を貰わないで居る目明しが好き   鳥羽省三


(久哲)
○  「まあ君は成功でした」と聞かされて手頃な箱に梱包される

 本作の作者・久哲さんは、何を以って「『まあ君は成功でした』と聞かされ」たのでありましょうか?
 また、「手頃な箱に梱包され」て、何処の港から北の王国に船出して行ったのでありましょうか?
 「題詠2011」に参加している歌人の中の何方かが、久哲さんの作品に見られる「意味離れ」「ストーリー離れ」を絶賛しておりましたが、私としては、そうした点は「久哲短歌」の欠陥のように思われる。
 何事も程度問題であり、本作の如く、読者に程々の疑問を抱かせ、作品世界に誘うような作風は歓迎される。
 〔返〕  「本作は成功でした」と鳥羽は言う手頃な評を加えて褒める   鳥羽省三


(いちこ)
○  哀れ君ヘルマンヘッセを読みながら遊ぶことなく成長したのか

 作者の極めて素朴な人間観や人生観が窺われて、それなりに興味深い内容の一首である。
 本作の作者・いちこさんは、ドイツの文学者「ヘルマン・ヘッセ」に対して、一種独特な固定観念、即ち、彼を聖人視しているように思われる。
 ノーベル文学賞やゲーテ賞を受賞し、二十世紀前半のドイツ文学の最高峰を以って謳われる「ヘルマン・ヘッセ」には二度に亘る離婚歴が在り、彼とて、一生涯苦悩し思索に耽っていたわけではありません。
 かく申す私も、彼の代表作『車輪の下』や『ガラス玉演戯』ぐらいは読みましたが、その私とて、決して「遊ぶことなく成長した」わけではありません。
 〔返〕  「いいちこ」は大分方言で「良し」の意味「いちこ」の短歌もなかなか宜しい   鳥羽省三


(砂乃)
○  瓶詰のザワークラウト割高の成城石井に山と積まるる

 私はドイツワインが大好きですが、ドイツ料理のレストランに出掛けるとワインのつまみとして必ず出される「ザワークラウト」は口に入れる気もしません。
 あの酸っぱいだけが取り柄の食べ物の何処に魅力を感じて、世間の人々は「瓶詰のザワークラウト」を買うのでありましょうか?
 その「瓶詰のザワークラウト」が「成城石井に山と積まるる」風景こそは、まさしく一見に値する珍風景でありましょう。
 したがって、本作の作者の着眼点は真に卓越したものである、と言わざるを得ません。
 ところで、「成城石井」と言えば、もう一つ決して忘れてならないのは、駐車場に並んでいる車がほとんどがベンツなどの高級外車であることであり、その運転者の中には、足の爪先まで厚化粧した醜悪な女性が多いことである。
 彼女らは、一体どんな理由で、田園都市線青葉台駅前の狭い道路でベンツのタイヤを廻して、わざわざ「割高の成城石井」まで遣って来るのでありましょうか?
 〔返〕  正常な価格の店とは思えぬが成城石井で買うやつも居る   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
○  ひらがなで成り立っているあこがれをどうか漢字に置き換えないで

 一つの言葉のイメージが、「ひらがなで成り立っている」か漢字やカタカナで「成り立っている」かは、人さまざまの思い入れがありましょう。
 本作の作者・五十嵐きよみさんにとっての「あこがれ」という言葉のイメージは、「ひらがなで成り立っている」のである。
 それにも関わらず、五十嵐きよみさんの短歌作品中の「あこがれ」という語を、作者の五十嵐きよみさんご自身の深い思い入れをも斟酌しないで、勝手に漢字で「憧れ」と書き替えて発表する不見識な編集者が居るので、五十嵐きよみさんは、本作を通じて激しく抗議をしているのである。
 〔返〕  漱石が『こころ』に寄せた思い入れその奥底の心は知れず      鳥羽省三
      啄木が『あこがれ』に寄せた憧れを想いもせずに『あこがれ』を読む


(鳥羽省三 )
○  成田山大阪別院明王院大願成就のお不動尊よ

 寝屋川市内の観光案内のパンフレットのコピーみたいなものである。
 〔返〕  東京別院東京本願寺の大谷派からの分離独立騒動   鳥羽省三

一首を切り裂く(088:湧・其のⅠ・わが町のはけより出づる湧水を)

2012年04月22日 | 題詠blog短歌
(梅田啓子)
○  わが町のはけより出づる湧水を飲みておりけむ志賀直哉氏は

 「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」という書き出しで始まる、故・大岡昇平氏の小説『武蔵野夫人』は、評論家・福田恒存氏に拠って「失敗作」と評価され、今でこそ読もうとする者が殆ど居なくなった古めかしい恋愛小説である。
 しかし、昭和二十五年にこの作品が文芸誌『群像』に連載され、講談社から単行本として刊行された当時は、日本全国の青年男女が競い合うようにして読んだベストセラーであった。
 本作中に、「はけ」という語が用いられているが、その語は、恐らくは、未だ住宅地として開発される前の東京西部郊外に在る、清らかな地下水が湧き出している段丘崖を指して言う、特殊な“方言”であったように思われ、手元に在る辞書『大辞林』もこの語については何ら解説していない。
 本作の作者・梅田啓子さんは、千葉県我孫子市にお住いの方である。
 作者ご自身が、本作中に「わが町のはけ」という語句を用いている以上は、作者の居住地の安孫子市内にも「はけ」と言うべき湧水が湧き出している箇所が存在すると思われますが、その湧水を以って「はけ」と称するのは、本作の作者・梅田啓子さんの人並み以上の知性と読書歴の然らしむる所であり、千葉県我孫子地方の地付きの人々が、件の湧水を「はけ」と呼んでいるのではなかろうと思われる。
 短編小説の神様と謳われた志賀直哉が、大正時代に手賀沼の畔(今の我孫子市内)に居住していたことは、文学ファンなら何方でも知っていることである。
 「その『志賀直哉氏』が、手賀沼の畔に居住していた当時、梅田啓子さんの仰る『わが町のはけより出づる湧水』を飲んでいただろう」と推測するのが、本作の内容である。
 熱狂的な文学ファン、志賀直哉ファンの彼女であってみれば、時代こそ異なれ、同じ「はけ」から湧き出る水を、ご自身もご自身の尊敬してやまない志賀直哉氏も飲んでいただろうと思うと、一首の短歌に仕立て上げて満天下の人々に誇示したいような気持になったのも、人情として当然のことでありましょう。
 ところで、この傑作に突然水を射すようではありますが、作中の四句目「飲みておりけむ」は、「飲みてをりけむ」とするのが適当でありましょう。

 〔返〕  我が家の前の石段をハーモニカを吹きて往きけむ庄野潤三氏   鳥羽省三
 私の尊敬してやまない小説家・庄野潤三氏は、老境に達してからも、一日一万歩以上の散歩を欠かさなかったということであり、また、氏のご趣味の一つとしてハーモニカ演奏が上げられる。
 本返歌は、そうした戦後文学史的な事実に、作者自身の想像を加味して詠んだ作品である。


(原田 町)
○  「清正の井戸」と伝わる湧き水も飲用禁止になりて久しく

 作中の「清正の井戸」は、明治神宮の御苑内に湧いている「井戸」であるが、数年前から、件の「井戸」を巡る黒い噂が在り、今では管理者の手を拠って「飲用禁止」の措置が採られているのでありましょうか?
 〔返〕  弘法水といふ名の湧水の日本全国八十八箇所に在り   鳥羽省三


(小夜こなた)
○  復興を謳えば正義となるうねり熱波のごとく列島に湧く

 作中の二、三句目の語句「謳えば正義となるうねり」の「謳えば」に要注意。
 即ち「謳えば」とは、「謡えば・詠えば・唄えば・歌えば」などとは異なり、「讃美すれば」ということであり、作中に件の語句を用いている事を根拠として、私たち読者は、東日本大震災からの復興を主題とした短歌が雨後の竹の子のように盛んに詠まれているといった、昨今の歌壇の在り方に対する、本作の作者・小夜こなたさんの姿勢を窺がい知ることが可能なのである。
 〔返〕  震災を詠えば歌人と看做される熱波の如き風潮が湧く   鳥羽省三


(芳立)     〈温泉旅情〉 
○  来ぬひとをまつ浦亜弥の柔肌に湧くや熱海の湯もけぶりつつ

 格好付けて詞書を置き、掛詞や序詞を使ってはいるが、意味するところは、要するに「待ち人来たらずで、彼女の柔肌に恋い焦がれながら、ひとり淋しく熱海の湯に入って居る」、つまりは「振られた男の未練心を吐露している」というだけのことである。
 はっきり言って、「くだらん!勝手に得意になっていろ!」。
 〔返〕  来ぬ人と松浦あややと較べたら肌の柔らかさがかなり違うぞ   鳥羽省三 


(伊倉ほたる)
○  ふつふつと疑心暗鬼が湧き上がる貝のピアスをひとつ外せば

 江の島土産の「貝のピアスをひとつ」耳から外した瞬間、作者の胸中に「ふつふつと」昨今の彼の行状に対する「疑心暗鬼が湧き上が」ったのである。
 婚約時代の彼からプレゼントされた江の島土産の「貝のピアス」を、後生大事に耳に付けているような慎ましやかな妻でも、人生のとある瞬間、夫への激しい「疑心暗鬼」に駆られることがあるのである。
 〔返〕  をみなごは蛇千匹を飼ふといふ炎の如き舌持つ蛇を   鳥羽省三


(今泉洋子)
○  木洩れ日の濃淡君とわけ合ひて湧き出る水のかがやきを汲む

 「木洩れ日の濃淡」を「君とわけ合ひて」、「君」を「木洩れ日」があまり射さない所に押し遣り、われ自身は「木洩れ日」がかなり射す所に居て、「水のかがやきを汲む」と言うのでありましょうか?
 だとしたら、本作の作者は短歌創作や買い物や寺社詣でに感ける余り、演歌歌手・三船和子のヒット曲『だんな様』の歌詞さえ知らないものと判断される。
 三船和子は切なくも「わたしの大事なだんな様/あなたはいつでも/陽のあたる/表通りを歩いて欲しい」と、いつも歌っているではありませんか。
 〔返〕  あれこそは貞婦の鑑ばかにせず三船和子を見習いなさい   鳥羽省三
      そばかすの濃淡にさえ目を瞑り彼は貴女を愛してくれる


(鳥羽省三)
○  湧出量日本一の玉川の岩盤浴でも20ミリシーベルト/年

 作中の「20ミリシーベルト/年」の読みが問題である。
 〔返〕  ひと夏を春日井建の通ひにし玉川温泉の岩盤浴よ   鳥羽省三

一首を切り裂く(087:閉・其のⅠ・妻たる我よ盲目であれ)

2012年04月22日 | 題詠blog短歌
(紫苑)
○  厨辺のましろき湯気に閉ざされて妻たる我よ盲目であれ

 自分自身の美貌を鼻にかけているような女性なら誰しも、“盲目願望”に囚われる瞬間があるものだと言う。
 本作の作者・紫苑さんは、あるジゴロ風の男性の内縁の「妻」として夕餉の煮炊きをする為に「厨辺」に立っている時、琺瑯鍋から立ち込める「湯気に閉ざされて」いる自分の眼を擦りながら、ふと盲目願望に囚われたのでありましょうか?
 〔返〕  キッチンにましろき湯気の立ちこめて美しき妻女の姿見えずも


(西中眞二郎)
○  ペットショップと名を変えていし金魚屋もいつしか閉ざされ風の冷たき

 「金魚屋」が熱帯魚ショップに商売替えをし、熱帯魚ショップが「ペットショップ」に商売替えをして行った、我が日本国の愛玩動物小売店史の大きな流れ(少々大袈裟な言い方かしら?)は、私たちの年代の者の多くが直接的に接して知るところである。
 本作の作者・西中眞二郎さんは、私・鳥羽省三とほぼ同年代のご仁であり、加えるに、元・通産官僚として、我が国の産業振興の為に直接的に働いて来たご仁でありますから、「ペットショップと名を変えていし金魚屋」が「いつしか閉ざされ」た時に吹く「風の冷た」さを、人一倍強く感じたのでありましょうか?
 〔返〕  逆さクラゲがラブホテルと名を替えてからは一度も入ったことがない   鳥羽省三


(アンタレス)
○  格子無き牢獄なりやわが日々はドア閉ざされぬ歩けず籠る

 「格子無き牢獄なりや」などと、殊更なる大袈裟なポーズで考え込む必要はありません。
 人間なら誰しも、自分自身が現在置かれている状況をそのまま受け入れ、尚かつ希望を捨てずに生きて行くしか手段を持たない存在ではありませんか?
 それとも、それを解っている上で、往年の著名な閨秀歌人・柳原白蓮を気取ってみたかったんですか?
 〔返〕  娘らと笑へる日々の又もあらむ今の命を懸命に生く   鳥羽省三


(行方祐美)
○  反閉の踏み方さへもしらぬまま五月の約束象りてをり

 短歌総合誌や結社誌などに投稿し作品を発表する場合は、難しくそれらしい言葉を並べ立てて選者や読者を幻惑させるような作品、言い方を変えれば、“虚仮脅かし的な作品を寄せるに如かず”と、結社歴半世紀余りの著名な歌人から聴いたことがあります。
 本作が、それに類する作品であるとは思われませんが、殊更に「反閉の踏み方さへもしらぬまま」と言い、それに続けて「五月の約束象りてをり」と言うような言い方は、必ずしも参加者各位の解釈可能な表現であるとは思われません。
 〔返〕  反閉の足踏みさへも知らぬまま三番叟の直面を舞ふ   鳥羽省三


(廣田)
○  夕立が過ぎゆく空を仰ぎ見て傘を閉じればふたりに戻る

 「夕立」に降られている最中には、相合傘をしていたのでありましょうが、「夕立」が過ぎてしまえば、お互いに後ろ髪を引かれるような思いをしながらも、一本こっきりの「傘」を閉じて、元の「ふたりに戻る」しかありません。
 〔返〕  夕立よ遣らずの雨よまたも降れ二人で一つの傘を差したい   鳥羽省三


(新田瑛)
○  二年間閉まったままであるはずのドアが全く錆びついていない

 新田ワールドと申しましょうか?
 苦役列車風ミステリーと申しましょうか?
 何とも奇想天外な出来事と思われます。
 〔返〕  二年間閉まったままの扉でもトステム社製は錆び付きません   鳥羽省三


(矢野理々座)
○  「目を閉じて何も見えず」のフレーズをボヤいていたか人生幸朗...

 作中の「人生幸朗」は十八歳年下の女性「生恵幸子」との夫婦コンビで「ボヤキ漫才」を演じて、一世を風靡した漫才師であった。
 彼らの得意芸の一つとして、著名な流行歌の歌詞のワンフレーズを槍玉に挙げて、それをボヤキ茶化すというワンパターンの語り口が挙げられる。
 例えば、人生幸朗が「リンゴは何にも言わないけれどリンゴの気持ちはよく分かる」と呟くようにして歌い、かつ「リンゴが物言うか!リンゴが物言うたら果物屋のおっさんがうるそうてかなわんやないか」とボヤく。
 同じく「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」と歌い、「当たり前やないか!そんなら昼寝すな!」
 同じく「若葉が街に急に萌えだした」と歌い、「若葉が燃えるか!あんなもン燃えてみィ。消防署のオッサン忙しいてどもならん!」とボヤく。
 同じく「祭りも近いと汽笛は呼ぶが」と歌い、「汽笛が物言いまっか。汽笛が物言うてみ、駅の近くの人らやかまして夜ねられへんがな」とボヤく。
 同じく「君のひとみは10000ボルト」と歌い、「人間の目ン玉電気か!私この歳なるまで目の玉に電気代払うたことないわ」とボヤく。
 同じく「小さい部屋の窓から見える 空の青さはわかるけど 空を広さがわからない」と歌い、「当たり前やがな!お前何考えて生きてんねん!長生きせえよ!お前やろ、デパートのエスカレーターの階段の数かぞえて一日日暮らしてるんは」とボヤく。
 「涙なんているもんか、バカヤロー!」と歌い、「さよならなんて、言えないよ。バカヤロー!!」と歌った後、続いて「わてが言いたい台詞やないかい、バカヤローー!」とボヤくといった、ワンパターンのボヤキ芸である。
 谷村新司のヒット曲『昴』の中の「目を閉じて何も見えず」を歌ったら、彼はどんなボヤキ言葉を呟いたのでありましょうか?
 〔返〕  「目を閉じたら何も見えんのが当たり前じゃ!目をしっかり開けて見とけ!このどアホめ!」 鳥羽省三


(今泉洋子)
○  一日のあらすぢの良き事のみを膨らませつつけふを閉ぢゆく

 若い頃は、その若さ故に一日・二十四時間が「あらすぢ」もストーリーも無く、瞬く間に過ぎてしまうものである。
 本作に於いて作者の今泉洋子さんは、私たち読者に、凡そ次のような二つの事項を報告しようとしている。
 <報告事項・その1>  私の一日・二十四時間はそれなりに長く、かつそれなりに変化に富んだものである、ということ。
 <報告事項・その2>  一日の日課を「閉ぢ」るに当たって、私は私自身のそれなりに長く、それなりに変化に富んだ一日・二十四時間の「あらすぢ」の中から「良き事のみを膨らませ」ることを習慣としている、ということ。
 以上、二項目の報告事項から判断するに、本作の作者・今泉洋子さんは、既に還暦を過ぎた女性であり、それでも尚且つ、明日への希望を抱くことを忘れないような乙女チックな女性でありましょう。
 就寝前の彼女は、昨夜から今までの出来事を振り返ってみて、「自作について、鳥羽省三から難癖をつけられたことは“無し”にしよう。今日の午後の“コスモス短歌会佐賀支部”の例会を於いて、自作作品が予想外の高点を得たことは“有り”にしよう。また、今日の例会会場に着て行った着物の柄の斬新さについて、友人の方々から絶賛されたことについては“有り”にしよう」などと、いろいろさまざまに今日一日のストーリーを回顧しながら安らかな眠りに就くのでありましょう。
 〔返〕  デパ地下で目にしたおかずを二、三品買おうとしたがお金が無かった   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
○  猫が目を閉じている間にゆっくりと小春日和の午後が過ぎゆく

 「猫が目を閉じている間」とは、例えば、季節が晩秋の場合であったら、空気が澄んでからりと晴れ上がった午後一時頃から三時過ぎ辺りまでを指すのでありましょう。
 したがって、「猫が目を閉じている間にゆっくりと小春日和の午後が過ぎゆく」とは、真に以って、理屈に合った表現と申せましょう。
 〔返〕  像の目の動きの如く日が暮れて桜曇りの一日が過ぐ   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  岩手県下閉伊郡田野畑村吉村昭の取材せし羅賀

 今は亡き、作家の吉村昭氏は、代表作の一つに数えられている『三陸海岸大津波』を執筆するに当たって、「岩手県下閉伊郡田野畑村」の「羅賀」地区に於いて、件の大津波を経験した村の古老たちから聞き取り取材をしたと言う。
 〔返〕  岩手県下閉伊郡田野畑村机漁港も廃墟と化しつ   鳥羽省三

一首を切り裂く(086:貴・其のⅠ・アメジストセージ触れがたくゐる)

2012年04月22日 | 題詠blog短歌
(今泉洋子)
○  貴人(あてびと)の衣の彩なるむらさきのアメジストセージ触れがたくゐる

 文語のワ行上一段活用の動詞「居る」は、通常、「座る・しゃがむ・腰掛ける・(小鳥などが木の枝などに)止まる」といった意味で用いられ、口語の「居る」つまり「存在する」という意味で使われることは誤用から端を発した例外的な用法であり、口語の「居る」という意で用いる場合は、原則的に「居り(ラ行変格活用)」を用いる。
 本作の場合は、一首の意が、「高貴な方の着衣である紫色のアメジストセージはあまりにも気高い感じがして、作中の“われ”は、そのアメジストセージに触れ難い思いを抱いている」ということでありますから、五句目の七音を「触れがたく居り」とする方が適当な措置と申せましょう。
 また、いつもの事ながら、「貴人」を「きじん」と読むか「あてびと」と読むかの判断は、鑑賞者の常識や判断に任せるべきではありませんか?
 更に申せば、作者の今泉洋子さんは、二句目の冒頭の語「衣」を、字余りを構わずに「ころも」と読ませたいのでしょうか?
 それとも、七音に拘って「きぬ」と読ませたいのでしょうか?
 もしも、「きぬ」と読ませたいのであったならば、「貴人」に「あてびと」という振り仮名を施し、「衣」に「きぬ」という振り仮名を施さないのは、片手落ちと言うべきでありましょう。

 〔返〕  メキシカンセージの花が咲きました 炎のような情熱のむらさき   鳥羽省三
 「メキシカンセージ」即ち「アメジストセージ」の花言葉は「炎のような情熱」である。 


(飯田彩乃)
○  やんごとなき貴婦人の目をもつ犬が排泄を終え坂下りゆく

 作者の感じた期待感の反動としての意外感を詠んだのでありましょう。
 だが、人や犬の価値を見掛けで判断してはなりません。
 作者の主観的な判断に基づく「やんごとなき貴婦人の目をもつ犬」であろうが、貧乏たらしい「目をもつ犬」であろうが、「排泄」をするのは当然のことであり、犬自身が「坂」の上に居たなら、「坂」を「下りゆく」のも当然のことでありましょう。
 〔返〕  彩乃とふ呼ぶも妙なるをみなごが放屁をするわおねしょをするわ   鳥羽省三


(船坂圭之介)
○  貴種流離譚とも言へず流離譚とも言へず飛騨の山出でて瀬戸内海の陽を浴びつ

 「飛騨の山」を「出でて瀬戸内海の陽を浴び」ているご自身の行状を、「貴種流離譚とも言へず」とは仰って居られますが、本作の作者の胸中には、「もしかしたら、自分は『貴種』というべき人種なのかも知れない?」といった思いが有ってのことでありましょう。
 〔返〕  実を取りて胸に当つれば新たなる流離の想ひ浮かびては哭く   鳥羽省三


(原田 町)
○  貴重なる緑だったが相続で物納という名主の森は

  作中の「名主の森」は、山手線沿線の「(旧)名主」の所有地でありましょうか?
 私の学生時代の居住地・東京都大田区山王にも、私たちが勝手に「スズカさんの森」と呼んでいた広大なお屋敷がありましたが、あの「スズカさんの森」も、当時の世帯主が亡くなった後の相続人が相続税を払えないままに、東京都に「物納」されて、今頃は高層マンションでも建っているのでありましょうか?
 〔返〕  梟が夜毎鳴いてたスズカさんの森の当主の行方知れずも   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  貴乃花 親方としては痩せ過ぎでぶつかり稽古すると壊れる

 「貴乃花親方」にとっては、部屋付き親方候補の「貴ノ浪関(本名・浪岡貞博氏/現・音羽山親方)」が健康を損ねたことは、計算外の出来事であったのかも知れません。
 〔返〕  貴乃花 いつの間にやら協会で押しも押されぬ勢力を張る   鳥羽省三