臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅡ・敗戦記念日特集)

2014年08月15日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(岡山市・岩崎正子)
〇  蝉時雨やんで一村軽くなる

 私は、定年退職後、8年間に亘って田舎暮らしをしていたのでありますが、その経験に基づいて言えば、「蝉時雨」に包まれている真夏の集落の空気には、言うに言われない程の厳粛感が漂っているものであり、それを煎じ詰めて言えば、己が肉体が巨大な力で圧迫され、押し潰される程の重量感なのである。
 私は、JR奥羽本線のとある駅の駅前と言いながらも、「みちのくの片田舎」としか言えない集落で8年間に亘って蝉時雨が耳朶を打つ夏を過ごして居たのでありますが、取り分け8月15日、即ち「敗戦記念日」の正午を告げる古い柱時計の音を聴きつつ、自分が蝉時雨に包まれながら、息息の呼吸をしている事に気付いた時などは、まるで我が身が煉獄の底に沈んで行くような孤独感を伴ったスピード感と重量感とを感じたものでありました。
 今日はその8月15日であり、終戦記念日ならぬ敗戦記念日でもあり、只今、午前6時29分であるが、現在、我が家の周りは一面の蝉時雨に包まれ、しーんと静まり返っているのである。
 あの日から69年目の今日の12時の我が家の周りの空気からは、私の痩せこけた肉体が押し潰される程の重量感が感じられる事でありましょうか?
 〔返〕  村中の噂気になる蝉時雨
      蝉時雨止めば繰り出す村神輿
      村芝居忠治ふんどし外したり


(熊本県菊陽町・井芹眞一郎)
〇  夕菅の花の配置のはじまりぬ

 本句は、「夕菅」の黄色い「花」が咲き始める頃の美しくて厳粛な時間感覚を形容して述べたものと思われるが、「夕菅の花」があちらこちらに一塊になって咲いている有り様こそは、正しく「天の神様の恩寵に拠る見事な配置」とでも形容して言うべきような光景なのである。
 〔返〕  夕菅の花の配置の偏りぬ
      夕菅や寡婦の庭には咲かざりき


(香川県琴平町・三宅久美子)
〇  喰はれたる葉も喰はれざる葉も毛虫

 この夏は、我が家の狭い庭にも時折り黄揚羽や紫しじみなどの蝶の類が飛んで来るので、目の保養にはなるのであるが、彼女たちが舞い遊んで行った数日後の我が家の庭では、私が大切にしている、実生の蜜柑の葉っぱや冷奴を食べるにはどうしても必要な木の芽などが跡形も無く食い散らかされているので、全く油断がなりません。
 私が子供の頃、私の父親は、大根や白菜などを植えている畑に飛んで来る蝶のことを「蝶魔」と呼んでいましたが、蝶こそは正しく「蝶魔」即ち「魔物」なのかも知れません。
 〔返〕  蓼食へば毛虫遁世避けられず
      芋植えて北さん放屁を避けられず
      裏庭の桃の葉蝶魔に喰はれたり


(姫路市・中西あい)
〇  星に濡れ星と語りて露涼し

 旧暦7月7日の七夕祭りの夜こそは、兵庫県姫路市にお住いの中西あいさんが、「星に濡れ星と語りて露涼し」などと洒落て決め込む、絶好の機会なのかも知れません。
 〔返〕  星に濡れ一夜の逢瀬哀しめり
 「逢」という行為の動作主体は、架空の作中主体であり、牽牛星と織姫星でもあるが、「作中主体=作者」ではありません。


(奈良市・名和佑介)
〇  十薬のはびこる庭も受け継ぎし

 開花期のドクダミの地上部を乾燥させたものは、生薬として使われるが、それを生薬の種類名として言う時には「十薬(じゅうやく)」と言うのであるが、本句の作者は、植物名としての「ドクダミ」を漢字書きする場合は「重薬」と書く、と認識しているように思われる。
 「はびこる」とは、「(雑草などが)茂り広がる」という意味で使われるが、それと共に「悪い者の勢力が強くなって、手が付けられなくなる」という意味でも使われるので、本句の作者が「十薬のはびこる庭も受け継ぎし」と詠む時の「はびこる」という語の意味及び「十薬」に対する気持ちの在り方が今一つはっきりしません。
 それにしても、「十薬のはびこる庭」と言ったら、それ相当の広さの「庭」でありましょう。
 その広い「庭」をそっくりそのままご先祖様から受け継ぐのであったら、何方でも喜ぶ事ではありませんか?。
 〔返〕  十薬の蔓延る庭を見て臥しぬ
      十薬の蔓延る庭の相続税
      十薬の蔓延る庭の金目かな


(大阪市・行者婉)
〇  えぞにうの花の向こうは海に落つ

 作中の「えぞにう」は「蝦夷丹生」と書き、寒く厳しい環境下の北国の大地に生えるセリ科植物である。
 その「ふぞにうの花の向こうは海に落つ」と言うのでありますから、本句の作者・行者婉さんは、この句を北海道旅行した折に見た風景に取材して詠んだのでありましょう。
 「周りの下草よりは一段と背の高い蝦夷丹生の花が咲き乱れている原野の向こうに海が見える景色」、これは何と荒涼としていて雄大な風景でありましょう。
 〔返〕  蝦夷丹生と行者大蒜野に生へぬ
      蝦夷丹生や有象無象の知事選挙


(名古屋市・山内尾舟)
〇  戦争を語らぬ母や水を打つ

 自宅の前の通りに水打ちしていて、母は戦争の何たるかを黙して語らず。
 折しも本日は8月15日、すなわち、朝日新聞の謂う「敗戦日」である。
 名古屋市にお住いの山内尾舟さんのご母堂様よ、敗戦日の今日こそは、お孫さん方に戦争の悲惨さを語ってやって下さいませ!
 〔返〕  水を打つ母の浴衣や敗戦日
      水を打つ母の背丈や敗戦日
      母の打つ水涼しくて敗戦日
      ジャイアンツ今日は負けるぞ敗戦日


(横浜市・橋本青草)
〇  炎天下乗り遅れたるバス見えて

 私が田舎暮らしをしていた頃のある夏の日、当日は8月15日、即ち「敗戦記念日」に当たる日であったとは記憶しておりますが、それが今から何年前の敗戦記念日であったかとの記憶は定かではありません。
 当日の三、四日前、私は民放テレビの地方局のニュースで、「秋田県と岩手県の県境に位置する、秋田県側のとある集落のとある民家が、ほぼ半世紀振りで、集落揚げての<結講方式>に拠る、大屋根の茅葺作業をする」という耳寄りな情報に接したのでありました。
 何事に付けても物見高い私の事でありますから、「この際、何が何でも、そのほぼ半世紀振りとやらの結講方式に拠る民家の大屋根の茅葺作業を見物しない訳には行かない!」と思い立ったのでありました。
 たまたまその当日、岩手県盛岡市の病院に入院している祖母の病気見舞いに行かなければならない、という知人が居たので、彼の運転する軽トラの助手席に便乗させていただき、その日、私は、脳天気な事にも当集落まで出掛けたのでありました。
 その帰路は、当集落の橋の袂のバス停から横手駅まで出ているバス便で帰るつもりで居たのでありましたが、何と驚いた事に、そのバス便とやらは一日に二本、しかも午後の便は午後一時半発という事でありました。
 いっぱしの民俗学徒のつもりで居た、その当時の私の気持ちとしては、自分はせっかく茅葺作業を見物する事を目的として、この集落まで出掛けて来たのであるから、出来得るならば一日いっぱい、茅葺作業の有り様を見物させていただいた上、その日私が手土産代わりにぶら下げて来た銘酒・爛漫三升を、茅葺作業が完成した当民家の神棚にお供えした後、施主や茅葺職人の方々や結講の方々と共にそれを飲み交わしてから帰宅したかったのでありましたが、如何せん、午後のバス便の発車予定の午後一時半と言えば、私がその集落に到着してからわずか一時間足らずの事でありました。
 そこで私は、「所期の目的を達成してから帰宅しようかしら、それとも到着そこそこに午後のバス便で帰宅しなければならないのかしら」などと、さんざんっぱら迷い抜いた揚句に、その場に居合わせた、当集落の住人と思しき中年の女性にお訊ねしたところ、「この集落の西方、約一里半程の距離に在る、隣りの集落には、JR北上線の大松川駅が在るから、何でしたら、一山越えて夕涼みかたがた大松川駅まで歩いて行って、北上線の最終電車でお帰りになられたら如何ですか?」との、真に懇切丁寧なるご教授を賜りましたので、私もそうするつもりで、此処はどっかりと腰を構えて茅葺作業の見物をしようとの仕儀とは相成ったのでありました。
 さて、事は予定通りに着々と進行し、大屋根の茅葺作業の大概が完成したのは午後三時頃であり、神主さんの御払いが始まったのはそれから間も無くの事でありました。
 神主さんの御払いが終った後、施主を肇とした当民家のご家族の方々やご親戚の方々、そして茅葺大工さんを肇とした作業に従事した方々、最後には私を含めた見物客までが神棚の前に額づいての御祈祷は、いつ果てるとも無く長々と続きましたが、それらの全てが終了したのも束の間、当民家の一階の茣蓙敷きの間には、何時の間にやら大量のお酒と食べ物が準備されていて、参加者一同が揃っての大宴会が始まりました。
 当初、私はお神酒を二三杯いただいた後、施主の方に見物のお礼とご挨拶をして、大松川駅へ向かおうとしたのでありましたが、私のそうした様子を看取ってなのか、当集落の頭立った高齢者が、「東京づらした男よ!お前は俺の盞を受けもしねえで、東京さけえるつもりのなのか!、そんな根性では、東京さけえっても碌な仕事もでぎねえだろう」などと、私に向かって声を張り上げたので、私は少々面倒臭い事になってしまったと思いながらも、彼の差し出す丼一杯のドブロクに口を付けて飲み干したところ、此処を先途とばかりに、当民家のご家族を肇とした、宴会参加者の殆ど全てから大小様々の盞が差し出され、それを私が飲んだふりして返杯に及ぼうとするものなら、忽ち、「東京づらしてるからどて、この俺をやすめで、俺の差し出した盞を飲んだふりして澄まして居やがるとは、こいづはけずなやずだ」などと怒り出す始末であったので、とうとう私も覚悟を決めて、茣蓙敷しの間にどっかりと腰を据えて大酒を飲んでしまったのでありました。
 気が付いたのは、翌、8月16日の明け方であり、前夜、すっかり大虎になってしまって、自分の股倉に一升壜を突っ込んでの裸踊りまで演じてしまった私が、自宅に辿り着いたのは、その日の午後一時半のバス便に揺られての事でありました。
 あの日から10年以上の月日が経ちましたが、あれ以来、私はお酒の類は一切口にしなくなってしまいました、と言えば、それは少し嘘の話になりましょうか?
 〔返〕  炎天下一日二本のバスを待つ
      屋根葺や大酒飲んで虎になり


(伊勢原市・伊東法子)
〇  崩れないやうに崩してかき氷

 ガラスの器から零れる程にも盛り上がっている、あの「かき氷」を一匙残らず食べ尽す為には、「崩れないやうに崩して」紅いシロップに染めなければならないのである。
 〔返〕  崩さねば赤く染まらぬかき氷
      崩さねば黄にも染まらぬかき氷
      崩さねば宇治金時も旨くなし


(柳川市・木下万沙羅)
〇  梅雨明と思ふ今宵の月まろし

 一句の意は、「<今宵>の<月>の円やかさから推してみれば、もう<梅雨明>なのかも知れません」といったところでありましょうか?
 〔返〕  梅雨明や梅雨明ながらさりながらへばちゃん女性操縦士なり
      ながらへば股この頃は痒くなる今宵は円し憂しと見し月
<注>  「へばちゃん」とは、往年のNHKテレビの朝ドラ「雲のじゅうたん」のヒロイン・真琴の愛称であり、浅茅陽子が演じて大人気を博した。