(なまにく)
いつの間にテーブルマークなんていうおしゃれな名前になったの 加ト吉
一昨夜の「ラジオ深夜便」を聴いていて知ったことであるが、詩人のサトウハチロー氏は類い稀れなヘビースモーカーならぬチェーンスモーカーであったそうだ。
彼が亡くなってから既に四十年の歳月が経つが、それかあらぬか、昨今ではチェーンスモーカーはおろか喫煙者そのものさえも滅多に目にすることが出来なくなり、以前に比べれば微々たる存在とも云うべき彼らの喫煙姿は圧倒的多数の国民大衆の間では「社会悪の一つとして認識されている」とも言えましょうか?
また、かつての国営企業・日本専売公社が「日本たばこ産業株式会社(JT)」と呼ばれるようになってから四半世紀余りの歳月が経つのであるが、この間に同社は親方日の丸としての国家的財政的な後ろ盾を失ったばかりか、国民大衆の多くから肺癌の元凶視され、憎悪の対象として白眼視されているのが現状であり、その為、同社は、煙草の生産及び販売以外の分野に活路を見出そうとして懸命になっているのである。
ところで、「加ト吉」と言えば、田舎臭く野暮ったい商号ながらも冷凍食品業界に於いては一廉の実績を示すと同時に、「加トきっちゃん、加トきっちゃん、食べて美味しい、加ト吉の海老フライ」という、あのテレビCMでもお馴染みの食品生産販売会社であった。
その「加ト吉」が「テーブルマーク株式会社(英文社名:TableMark Co.,Ltd.)」という、旧社名とは打って変わって「おしゃれな」商号に改めたのは、去る2010年1月1日のことであったが、その蔭には、資本提携していたJTと一体となっての過去六年間に亘っての組織ぐるみの架空売り上げ疑惑及び、煙草の生産販売以外の分野への進出を企てていたJTの飽く無き商業的な野望が見え隠れしているのである。
以上、興味の赴くままに記して来たが、本作の解釈及び鑑賞に当たっては、これらの知識の大半は必要としない。
私たち本作の読者は、本作の作者のなまにくさんと共に、要は「どんな理由があってなのかは知らないが、あの加トきっちゃんがいつの間にかテーブルマークというおしゃれな名前になっていた」と喜び囃し立てればいいだけのことである。
〔返〕 知らぬ間に日本たばこの子会社にされてしまった元の加ト吉 鳥羽省三
売れぬのに売れたふりした加ト吉が日本たばこの煙に巻かれた 鳥羽省三
(五十嵐きよみ)
テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア
作中の「スカルピア」とは、イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニ(1858・12・22~1924・11・29)作曲のオペラ『トスカ』の悪役であり、共和制が崩壊していた18世紀末のローマに於いて、王政側の警視総監としてさまざまの悪巧みを廻らせ、このオペラのヒロインのトスカとその恋人のカヴァラドッシとの恋路の邪魔立てをする肥大漢である。
彼・スカルピアは、オペラ『トスカ』の二幕目の幕開けに、当時の彼が公邸として使っていたファルネーゼ宮殿で、宮殿の外から聞こえて来る戦勝祝賀会の歌声を聴きながら夕食を取るのであるが、本作の作者は、その場面を以って、「テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア」とお詠みになったのでありましょう。
だが、本作の鑑賞に当たって、私たち本作の読者は、この意味深な詠い出し「テーブルに必ずナイフがあるように」という叙述の意味するところを熟慮しなければならないのである。
「テーブルに必ずナイフがあるように」とは「極めて当然の如くに」という意味であるが、女性ながらも極めて観察眼の鋭い本作の作者・五十嵐きよみさんにとっては、時の権力者(その実は、裸の権力者)・スカルピアが、このオペラの二幕目という極めて重大な時点に於いて、極めて当然の如くに「食事を取る」ということは、遣ってはならない行為なのである。
何故ならば、このオペラの第一幕目の終末に、彼・スカルピアの元に、「王制側の軍が共和制を掲げるナポレオン軍を破った」という知らせが齎されたのではあるが、それは全くの誤報であり、彼・スカルピアはその誤報を誤報と知らなかったが故に、いつもの通りに、極めて当然の如くに、自分の権勢を周囲の者に誇示するが如き態度で夕食を取っていたのである。
本作の作者は、誤報を誤報と知らずに、いつも通りに極めて当然の如くに夕食を取っているスカルピアの態度を皮肉って「テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア」と、お詠みになったのでありましょう。
〔返〕 白鵬の相撲の如く危なげの無き五十嵐きよみさんの作 鳥羽省三
(桃子)
テーブルの花も時計の秒針も 君の帰りをひたすら待ってる
つい先日、目にしたばかりの朝日新聞の記事に拠ると、「我が国の昨今の一般家庭に於いては、数年前に何かの事情(身勝手な事情)があって家出した父親(或いは母親)が、数年間の行方不明状態の別居生活を経て帰宅した場合、その間の家庭生活を維持していた人々(留守家族の人々)が、何一つ問題が無かったような態度で受け入れる傾向が見られる」とのこと。
菊池寛に『父帰る』という戯曲が在るが、我が国はアベノミクスの余慶に縁って、第二の「父帰る」時代に突入したのでありましょうか?
〔返〕 靖国の桜の花も英霊も君の失脚ひたすらに待つ 鳥羽省三
(夏樹かのこ)
テーブルの上のカレーを食べながらラジオのように過ぎゆく安寧
「カレーライス」と言えば、今や不動にして人気抜群の国民食である。
本作の意は、「その人気抜群の国民食たるカレーライスを食べながら過ごす一時こそ、まさしく〈NHK第一放送〉の第一、第三、第五火曜日の〈ラジオ深夜便〉を聴きながら安らかに眠るが如き『安寧』の時間である」ということでありましょうか?
因みに申し添えれば、「ラジオ深夜便」の第一、第三、第五火曜日の担当者(アンカー)は
あの国民栄誉賞受賞者的人気の須磨佳津江アナである。
〔返〕 レトルトのカレーライスは食べませんラジオも今は聴いていません 鳥羽省三
(椋)
向かい合いカップを見つめる今はまだ テーブル分の貴方との距離
「ベッタリコンとくっ付いて居たい」などと思っていてはいけません。
「テーブル分」の「距離」と言えば、お互いにテーブルの下から手を伸ばせば、ガッチリと握り合えるような距離ではありませんか。
付かず離れず、これが恋人同士の節度というものでありましょう。
〔返〕 お互いに支払い伝票気にしてる割り勘以上の仲にはなれず 鳥羽省三
(コバライチ*キコ)
抽斗にライトテーブル仕舞われて律儀な顔で出番待ちおり
本作に接して、作中の「ライトテーブル」について、その詳細を調べようとしたら、最初に当たったのが、「1.天板がガラスなどで出来ていて、下から明かりが灯るインテリアテーブル。」、「2.絵や図面のトレースのために、下から光を当てる台。ライトボックス、トレース台とも。」という解説記事であり、次に当たったのが、「病院の診察室に、X線写真を見るための白く光る装置がありますよね。あんな大がかりなヤツじゃなくて、あれをもっとコンパクトにしたのがライトテーブルです。タブレットで直接スクリーンに絵を描くようになってからはめっきり出番が減りましたが、紙に描いていた頃は、よく使っていました。で、絵を描く目的では使わなくなりましたが、これがあると何かと便利なんです。電子工作しかり、プラモ制作しかり(スモーク貼る時とか)。撮影台としても使えます。私が持っているライトテーブルは結構古く、小さなものです。照明媒体は冷陰極管でしたが、いつしか故障して点灯しなくなりました。――実は、これがきっかけで何年も前にLED化していたのですが、4000cdの白色LEDが9灯だけだったので暗く、下の写真のように、まだらに光っていたので、非常に使いにくかったのです。」という、極めて具体的かつ懇切丁寧な解説記事でありました。
しかしながら、作中の「ライトテーブル」即ち「抽斗に」「仕舞われて」いて、「律儀な顔をして出番」を待っているような「ライトテーブル」は、上掲の二つの解説記事に示されている「ライトテーブル」とは、その形体も用途も異なっているように思われます。
つきましては、お伺い致しますが、作中の「ライトテーブル」とは、如何なる形体の如何なる用途の「ライトテーブル」でありましょうか?
〔返〕 手鞄に近藤さんが潜み居て律儀な顔で出番待ち居り 鳥羽省三
(湯山昌樹)
三人の家には広いテーブルで家族の増えるをひたすら待てり
父と母と、それに「彼女居ない歴三十五年」の僕を加えての三人家族である。
〔返〕 独り身の我にはあまり広すぎてダブルベッドは廃棄しました 鳥羽省三
(海)
テぇいぼぅ!と発音するのは照れ臭くあえてテーブルと読む六限
「テぇいぼぅ」とは、なかなかに本格的な発音ではありませんか。
〔返〕 「テぇいぼぅ」と発音していたつもりだがテーブルと発音したのか?笑われました 鳥羽省三