臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

あなたの一首(浦部昭二さんの作品)

2010年01月29日 | あなたの一首
○  夜となりて家にふき入る田の風は咲きかかる稲の花の香のする     浦部昭二

 浦部昭二さんが、この一首で以って毎日歌壇賞を受賞されてから、いったい幾年経ったのだろうか。
 選者は、佐藤佐太郎氏だと言う。
 この度、第二歌集「清陰」を上梓なさるに当って、浦部昭二さんは、その著の扉に流麗なる変体仮名でこの作品をお書きになられた
 その筆文字の見事さもさること乍ら、私などが逆立ちしても敵わないと思われてならないのは、「歩道」など、写実系の伝統ある結社で、長年に亘ってご研鑽を積まれた、先輩歌人たちの<悠裕迫らぬ>といった詠風の作品なのである。 
 本作なども、そうした作品のひとつでありましょう。
 もう一度、読誦してみよう。
 「よとなりて/いへにふきいる/たのかぜは/さきかかるいねの/はなのかのする」と、四句目が一字の字余りであるが、その字余りさえも、この悠々たる一首に、魅力を添える役割りを果たしているとも思われるのである。
 上の句に「夜となりて家にふき入る田の風は」とあるが、「田の風」、つまり家の周囲の田圃の稲株の間から湧き起こる風は、昼間も吹いてはいるのだが、特に夜に入ってからは、一層涼しさを増して家の中にまで吹き入り、本作の作者をして、「ああ、我が家の周りの田圃に湧いた風が、この家の中にまで吹き入って来て、今夜はなんと涼しいことよ」と実感せしめるのである。
 その夜風に運ばれて、作者の家の中には、夜風の匂いとは異なる何かの香りが吹き入って来る。
 それは、「咲きかかる稲の花の香」である。
 その「咲きかかる稲の花の香」とは、一体どんな「香」でありましょうか?
 それは、生き生きとして<生>の香りであり、青々とした<命>の香りであるが、もっと端的に言うならば、それは、年若い男性の体内から排出される、あの<精液>の生々しい香りなのである。
 夜風と共に家の中に吹き入って来る、その生々しい香りを嗅ぎながら、本作の作者は、今日一日の労苦を思い、今年の稲作を思い、そして、もう既に盛りを過ぎた、ご自身の命をも思うのである。
 「咲きかかる稲の花」の全てが、結実して<お米>となる訳ではない。
 平年でもその何割かは結実しないままで終るが、年によっては、そのほとんどが未成熟のままの<お米>、いわゆる<粃(しいな)>になってしまうこともあるのである。
 本作制作時の作者の職業は、農業共済組合の職員であった。
 そのことを考慮すると、本作は豊作祈願の祈念の歌とも解されましょう。
 視覚、聴覚、嗅覚に加えて、味覚さえも駆使してお創りになられた、浦部昭二先生の御作に、この私は、十分に堪能させて頂きました。
     〔返〕 夜に入りて吹き入る稲の花の香に良き秋なれよと祈る浦部氏     鳥羽省三

あなたの一首(伊倉ほたるさんの作品)

2010年01月28日 | あなたの一首
○  百葉箱の白いペンキのささくれが六年生の夏連れ戻す     伊倉ほたる

 本作の作者・伊倉ほたるさんは、「題詠2009」に参加されていた三百名余りの歌人の中で、私の<イチオシ歌人>の一人であった。
 その<ほたるさん>が、この度、NHK全国短歌大会の今野寿美選で<秀作>に選ばれ、
河野裕子選の<佳作>にも選ばれたと言う。
 伊倉ほたるさん、真におめでとうございます。
 <ほたる>という、テレビドラマのヒロインめいたお名前が、ハンドルネームでは無くて本名だということや、姓が<伊倉>だと言うことも今回初めて知りました。
 私はこれまで、伊倉ほたるさんに関する情報を「題詠2009」に投稿されている作品以外に何ひとつ持たない状態で、その作品から受けた感想などを、時には戯作風にポイントを故意に外して、時には本音を少しちらつかせて、その時々の感情や気持ちの赴くままに書き散らして参りました。
 そうした私の気儘な試みは、伊倉ほたるさんにとっては、ご迷惑以外の何物でも無かったでありましょう。
 しかし、私のそうした試みの根源に在るのは、一見<歌人ちゃん>や<かんたん短歌>のお仲間みたいに見える<ほたる>という存在が、他の参加者たちとは、ひと味もふた味も違うという気持ちであり、伊倉ほたるさんのセンスの素晴らしさをこの上なく愛する気持ちなのです。
 これが私の短歌観であり選歌眼であるとしたら、今回のNHK全国短歌大会の受賞で以って、私のそうした短歌観なり選歌眼が、評者・鳥羽省三の独り善がりのものでは無かった、ということが証明されたことにもなりましょう。
 重ね重ね「おめどとう」と申し上げたい気持ちです。
 さて、本論に入りましょう。
 本作の眼目は、三句目の「ささくれが」の「ささくれ」でありましょう。
 その「百葉箱の白いペンキの」「ささくれ」が、今は、彼のハイカラ紳士・ウクレレ氏をして、「誰だこの素敵で上品な女性は?」と思わしめた伊倉ほたるさんを「六年生の夏」に連れ戻し、「六年生の夏」を伊倉ほたるさんの心の中に「連れ戻す」のである。
 最終句中の複合他動詞「連れ戻す」については、「その主語や目的語が曖昧だ」などと、選者の間で多少の議論が交わされたかとも思われ、或いはその曖昧さ故に、本作が<特選>では無く、<秀作>に終わったかとも思われるのですが、そのような論争は、短歌知らず、文法知らずの馬鹿者どもに言わせておけばいいことでありましょう。
 それよりも、何よりも、この一首について、もっともっと深く詮索し、もっともっと強く拘泥しなければならないのは、やはり「ささくれ」の一語でありましょう。
 私は、高校の教壇歴三十五年の教員の成れの果てであり、その間に六つの高校を歴任しましたが、どこの高校に赴任しても、玄関前の芝生や中庭などに、あくまでも白く、あくまでもお上品に、瀟洒に鎮座しているのが「百葉箱」でありました。
 「百葉箱」は高校に限らず、小学校や中学校にも必ず備え付けられており、この校倉造り風な白い箱こそ、まさしく学校教育のシンボルのような存在であったかのようにも感じられます。
 明治政府は、私たちの想像している以上に学校教育を重視しておりました。
 なかんずく、従来の日本人に欠けていた科学的な思考の涵養を重視しておりました。
 私見ですが、現在、小、中、高を問わず、凡そ学校と名の付く施設には必ず備えられている「百葉箱」とは、そうした明治以来の我が国の、科学教育を重視した教育方針の亡霊のような存在ではないでしょうか。
 其処にこそ、その内部を蜂や蜘蛛や雀の棲家とする以外には、それ程の必要性が無いにも関わらず、民主党の<事業仕分け>の対象にもされずに、あの「百葉箱」が、純白のドレスで装った貴婦人のようにして、学校施設のいちばん目立つ所に鎮座しておられる理由が存在するのではないでしょうか。
 話題が再三わき道にそれてしまうのであるが、そろそろ肝心要の「ささくれ」の話を致しましょう。
 「ささくれ」は、「百葉箱」に付き物である。
 それは、「百葉箱」がその場所に設置されてからの時間の長さから来るものでもあるが、国際的に規格の定められた<百葉箱>の材質から来るものでもある。
 全国各地、いや、地球上の各地に於いて一定の条件の下に気象観測を行うに当っては、その道具である百葉箱と言えども、一定の材質の木材で造られ、一定の品質の白いペンキで塗装された物でなければなりません。
 私たちがごくたまに学校を訪れ、白い百葉箱に触れた時に感じる「ささくれ」感は、その学校の歴史の長短に応じて多少の違いはあるが、本質的には、百葉箱の材料となっている木材やペンキに備わっている触感なのである。
 懐かしい母校の小学校を会場とした同窓会かクラス会にでも出席されたのでしょうか?
 せっかくの再会の場であり、せっかくの歓談の場であるにも関わらず、<感性の人・伊倉ほたるさん>は、その会合の賑わいの中には入り込めなかった。
 そこで、在学中に気象観測部に所属していた彼女は、その賑わいからこっそり逃れて、校庭の片隅にある、あの懐かしい、白い百葉箱にもたれて往時の記憶に耽った。
 思い返せど永遠に帰らない少女時代の記憶に耽る<ほたる>さんの指が、何気なく百葉箱の白い扉に触れた。
 その白い扉に触れた一瞬、伊倉ほたるさんのか細い指と心とは、その白い扉の材質の「ささくれ」を感受した。
 その「ささくれ」から受ける感覚は、微かで切ない痛みを伴ったものであった。
 この百葉箱の白い扉の「ささくれ」から感じる微かで切ない痛みは、つい先日、指輪を外したばかりの、伊倉ほたるさんの左手の薬指の「ささくれ」にも似て、なんと身に滲みることだろうか。
     〔返〕 ささやかな痛み抱きて校庭の百葉箱にもたれて咽ぶ     鳥羽省三

 と、以上の通り書いて、早速<公開>を及んだところ、ご案内も差し上げていないのに、作者のほたるさんから、「ありがとうございます」とのメールを頂いた。
 こちらこそ「ありがとうございます」。
 何方かの仰ったように、「読んでもらって<なんぼ>」のブログですから、お礼を申し上げなければならないのは、本当は私なんですから。
 御蔭様で、このブログの閲覧数が、昨日一挙に六百台まで上りました。
 「見沼田圃」時代はともかく、「臆病なビース刺繍」に移ってからは、いくら多い日でも、せいぜい三百台だったのですが、それが倍増するとは、<驚き桃の木ほたるの木>です。どこかの国に、<ほたるの木>というのが本当にあるんですよ。
 ところで、ほたるさんからのメールの文面に、「それから、まだ指輪は外しておりませんし、ほたるも残念ながら本名ではありません。本名は『ら』行の名前です」とありました。
 昨日の記事に、私はつい戯れに、「この百葉箱の白い扉の『ささくれ』から感じる微かで切ない痛みは、つい先日、指輪を外したばかりの、伊倉ほたるさんの左手の薬指の『ささくれ』」にも似て、なんと身に滲みることだろうか」と書いてしまったのであるが、これはこれは、冗談とは言え、大変失礼致しました。
 以後気をつけます。
 それともう一点、テレビドラマのヒロインを思わせる<伊倉ほたる>というお名前は「残念ながら本名ではありません。本名は『ら』行の名前です」とのこと。
 「ほたる」はペンネームでも、いくら何でも「伊倉」は本物でしょう。
 ごく狭い私の知識によると、「伊倉」とは、新潟県南魚沼地方によく在る苗字です。
 あの日本有数の豪雪地帯として有名、かつ「南魚沼産こしひかり」で有名、かつ「水清きほたるの里」として有名な、「日本人のふるさと」みたいな所です。
 南魚沼地方のお方で、姓は「伊倉」、名は「ら行」と言えば、私がかつて同地方に、鈴木牧之著の「北越雪譜」の現地調査に行った時、伊倉さんというお宅に宿泊させていただきましたが、そのお宅に理恵ちゃんという可愛いお孫さんがいらっしゃいました。
 本作の作者・伊倉ほたるさんは、まさかその女の子の二十年後ではありませんでしょうね、まさかね。
 それともう一点、本作に関して、大変重要なことを言い忘れておりましたが、「百葉箱の白いペンキのささくれが六年生の夏連れ戻す」という作品中の「百葉箱」とは、作者の<ほたるさん>ご自身を指すものではないでしょうか?
 「白いペンキ」で彩られていて、表面は優しく清楚で、ウクレレ氏ならずとも、「誰だこの素敵で上品な女性は?」などと思ってしまうが、少し調子づいて触れてみると、「ささくれ」立った所が感じられないでもない女性は。
 でも、表面は優しく清楚で上品な女性の心の中に、少し「ささくれ」立ったところがあるのは、その女性の魅力を倍増、三倍増させるものです。
 そして、短歌とは、そうした女性のささくれ立った部分が詠ませるものだと、私は思います。
 白いペンキが塗られているだけで、ささくれ立ったところの無い女性は、ただの白痴でしょう。
     〔返〕 ささくれも時と所と量しだい失くさぬように目立たぬように     鳥羽省三

我が歌ども

2010年01月28日 | 我が歌ども
○  ゾーリンゲン持ちて4B削るときA3画用紙はたはたと泣く     鳥羽省三

 家内が押入れの天袋をかき回している。
 Y市時代の家と違って現在の寓居は何かと手狭なので、押入れと言わず、クローゼットと言わず、あちこちにいろんな物が詰め込まれているのだ。
 そうした物たちの中には、他人には触らせたくない私の秘密の品が在ったりもする。
 例えば、今の家内と結婚する前に、抜き差しならぬ所まで入れ込んでいたある女性と交わした起請文だとか? (きさか?)
 そこで私は、創作に懸命な家内に声を掛けた。
 「そんな所で何を探しているのだ。下手にがさごそすると、血染めの小刀なんか出て来て、手痛い目に遭うかも知れないぞ。やめろ、やめろ」と。
 すると家内は、「血染めじゃないけど、私が探しているのは、その小刀よ。ほら、確か在ったでしょう。いとこのK雄がドイツから買って来たゾーリンゲンのナイフが。それに大きな画用紙も在ったでしよう。画道具一式、引越しの時、確か捨てて来なかったはずだから」と言うのだ。
 そう言われてみて私は、Y市の家を引き払って来る時、引越し荷物の中に、妻の言う画道具一式を紛れ込ませたことを思い出した。
 そうだ、あれは当分の間、或いは一生使わないと思われたので、クローゼットの天井板の上に隠して置いたのだった。
 そこで私は、「どうしても欲しいのか。今すぐにか」と家内に尋ねた。
 すると家内は、「そう、どうしても欲しいのよ。今すぐによ」と、間髪を入れずに応えたので、私は渋々、一昨年の秋、さいたま市立南図書館の前での自転車事故で傷めた肩を庇いながら、クローゼットの天井板をこじ開けて、画道具一式とやらを探し出してやった。
 それからしばらくして、ベランダに出た家内は、道路を隔てた向かい側の公園の周りに立つ、今はまだ冬樹のままの欅のスケッチを始めた。
 パソコンのキーを打ちながら、何気なく家内のいるベランダに目を遣ると、家内は今、スケッチの手を休めて鉛筆削りをしているのだ。
 右手にはいとこのドイツ土産のゾーリンゲン製のナイフを、左手には三菱の4B鉛筆を持って。
 鉛筆の削り屑がベランダのタイルの上にちらちらと散る。
 すると、それと呼応するかのようにして、タイルの上に敷いているA3の画用紙が風に煽られて、はたはたとはためくのだ。
 その音は、過ぎ去りし日の、とある女性の泣き声を私に思い出させた。

今週の朝日歌壇から(3)

2010年01月25日 | 今週の朝日歌壇から
○ 「生きてるよ」そのことだけを知らせんとて出口をわずか雪踏みにけり   (山形市) 大沼武久
○ 人の来ぬ道を律儀に雪掻きて老いのふたりがひっそり暮らす   (群馬県) 眞庭義夫

 二首共に、雪国での降雪期の老人所帯の暮らし振りを詠んでいる。
 仕事から解放されたと言うべきか、仕事が無いと言うべきかは判らないが、雪国での降雪期の高年齢者たちの数少ない仕事の一つは、毎朝、毎朝の雪掻きである。
 しかし、初雪や比較的降雪の少ない日には、家の出入り口は勿論、通学路や隣家との境を越えてまでも律儀に雪掻きをするが、来る日も来る日も大雪だったりすると、雪掻き仕事は、とても高年齢者たちの手には負えないものとなる。
 そこで、「『生きてるよ』そのことだけを知らせんとて出口をわずか雪踏みにけり」といった仕儀とは相成るのである。
 上掲の二首は、つい一昨年まで、私と連れ合いとが経験していたようなことを題材としているので、共感を覚えたのである。
 それあるが故に、私と連れ合いとは都会から雪国に舞い戻り、それあるが故に、私と連れ合いとは雪国から都会に再び舞い戻ったのである。
   〔返〕「辛うじて生きてます」との雪掻きも出来なくなって再び転居   鳥羽省三


○ 歳晩の午前一時に気が早い霧あらはれて道に降り立つ   (川越市) 小野長辰

 夜間の自動車道路の行く手を塞ぐ「霧」でありましょうか?
 「歳晩の」という語句の働きを無視してはいけない。
     〔返〕 歳晩も午前一時にブルが来て玄関先に雪を山積み   鳥羽省三
 
 自動車社会と言われて久しい現代日本の雪国に於いては、雪掻きを口実にして地方公共団体が購入したブルトーザーの役割りは、<雪掻き>ならぬ<除雪>である。
 大型ブルトーザーによってのこの除雪作業は、ひとえに大型トラックなどを通すためにのみ行われているのである。 
 そして、その<除雪>された雪は、夜間に溶解する訳も無く、それぞれの民家の出入り口に山と積まれるのである。
 したがって、昨今の<雪掻き>は、<雪掻き>ならぬ<雪除け>に他ならなく、ブルトーザーが玄関先に積んで行った雪を、また何処かの空き地に運んで行って捨てるのである。
 高齢者にとって、この作業は、体力の限界を超えた重労働である。
 単なる<雪掻き>だったなら、よほどの大雪でない限り、むしろ楽しみでさえある。


○ いいスズキわるいスズキの友がゐてわるいスズキと居酒屋へゆく   (東京都) 近藤しげお

 一口に「スズキ」と言っても、必ずしも<鈴木>だけとは限らない。
 不勉強の私が知っている範囲でさえ、「鈴木・田中は馬の糞」の「鈴木」の他に、「寿松木、寿々木、鐸木、錫木、鱸、鈴樹、進来」などが在り、また「雪」と書いて<スズキ>と読ませている風流な姓の方もいらっしゃるのである。
 ことの序でに述べると、「鈴木」とあっても、必ずしも「スズキ」と読ませるとは限らなく、「ススギ、ススキ、スズギ、ズズキ、ズスキ、スズ、スス、スズシ、ススリキ、ススヘキ」などと読ませている苗字も在るそうだ。
 ところで、本作の上の句は、「いいスズキわるいスズキの友がゐて」となっているが、私の経験からすると、「鈴木」と書いて「スズキ」と読ませている男性は、どちらかと言うと、「わるい」部類に分類したい「スズキ」ばかりで、唯一例外、「いい」部類の「スズキ」は、プロ野球選手の「鈴木一朗」だけであったが、その彼でさえ「鈴木」の姓を捨てて、今は「イチロー」というカタカナ名前を名乗っているのである。
   〔返〕 いい時とよくない時の妻が居てよくない時の妻は寡黙だ   鳥羽省三


○ 忽然と雨に見舞はるビル街に男は走る女は歩く   (東京都) 近藤しげお

 これも近藤しげおさん作であるが、私の記憶の中には、<近藤しげお>という氏名の男性が二人居て、そのうちの一人は、借金をしては踏み倒し、借金をしては踏み倒ししている男で、何方から見ても「わるい」方の部類に属する人物であったが、その人物とある女性との間に生まれた女性が、現在、某政党所属の国会議員であることを知って驚いている。
 かと申しても、私は、その女性国会議員を「わるい」部類の政治家と思っている訳ではありませんので、あしからず。
 「ビル街」を「忽然と」見舞った「雨」の為に「男は走る」「女は歩く」とあるが、「その逆もまた真なり」とも思わないでも無い。
 だが、「ビル街」に棲息する「女」は、ハイヒールを履いているために走れないのかも知れません。
   〔返〕 忽然と小学校に熊が来て子供は騒ぐ先生慌てる   鳥羽省三

 
○ 百キロの麹の「天地返し」してかさかさの手に艶もどり来る   (長岡市) 唐沢美也子

 新潟県長岡市と言えば日本酒の本場。
 作者の唐沢美也子さんは、女性杜氏でありましょうか?
 「天地返し」とは、裏返しをすること。
 日本酒を醸造するための麹を、下の麹と上の麹が逆になるまで両手で掻き回すことを、蔵元の専門用語として「天地返し」と言うのでありましょうか?
 「百キロの麹」を「天地返し」すれば、「かさかさの手に艶」が「もどり来る」のでありましょうか?
 幾分か不潔な話ではありますが。
   〔返〕 百キロの麹を天地返しして磨き上げたる女の細腕   鳥羽省三
 

○ 方代さんの恋を知ってる南天の朱艶やかに年あらたまる   (川越市) 橋本 峯

 人口に膾炙した、山崎方代作「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」に取材した作品である。
 本作での「南天の実」は、正月飾りとして用いられているものでありましょう。
 その「南天の実」が、元旦の日に照らされて「艶やかに」輝いて見えるのである。
 作者は、その「南天の実」の輝きと共に、「年」が改まったことを意識し、それと同時に、その「南天の実」と関わる、放浪の歌人・山崎方代の儚い恋に想像を馳せたのである。
   〔返〕 一度だけ南天の実を食べたことありましたけど美味くなかった   鳥羽省三


○ メリットがあるかないかを考えてするものだったかしら結婚   (大津市) 纓坂佳子

 本作を「今週の朝日歌壇から」の観賞対象作品にするかどうかについての私の考えは、二転、三転した。
 最初は、ごく安易に、本作の作者の発想に<なんちゃって短歌>的なものを感じ取り、「面白そうだな。これをネタにして、若者たちの生態に少し茶々を入れてみよう」といった程度のことを思っただけでしか無かった。
 しかし、少し考えてみると、「結婚する時は、誰ひとりとして、そのメリットを考えない者は居ない。『格別な理由は無いけど、お袋がやいのやいのと言うからさ』などと言って、一見すると、その<メリット>も<デメリット>も考えていないかのように見受けられるような若者の結婚の場合でも、それなりの計算が働いている訳だから」などと思うようになって、この作品の主旨自体、馬鹿馬鹿しいものに思えて来たのであった。
 しかし、更に考えてみると、現代社会に於いては、両親などから結婚することを勧められた時、「結婚したからと言って、何のメリットがあると言うのさ。まかり間違って子供でも産んでしまったら、自分の自由を束縛され、経済的にも大きな負担だし、メリットどころか、デメリットだらけではないか。止めた止めた結婚なんて。セックスするだけなら、格別、結婚などという面倒臭い手続きを踏まなくても出来るしさ」などと言って済ませる若者が多いことに気付き、結局は、この作品を鑑賞対象にすることにしたのである。
 それはともかく、現代社会に於いては、前段で私が述べたような理由で、結婚することを躊躇する若者が多いことは事実である。
 本作の作者は、そうした若者に対して、<なんちゃって短歌>を創る<歌人ちゃん>めかした軽口で以って、疑問を投げ掛けたのである。
 「メリットがあるかないかを考えてするものだったかしら」「結婚」。
 そう、「結婚」とは、「メリットがあるかないか」の計算の枠内に収まるものでは無く、「結婚」して子供を作り、その子供を育てることもまた、「メリットがあるかないか」の計算以外のところに在るのだ、と本作の作者は、やんわりと言おうとしているのである。
   〔返〕 自転車はバス賃惜しんで乗るものでないと言うのは次男坊の弁   鳥羽省三    

今週の朝日歌壇から(2)

2010年01月19日 | 今週の朝日歌壇から
○ 青首も三浦も肌の艶やかに背伸びするがに冬の日浴びる   (千葉市) 田口英三

 「青首」とは青首大根のことで、「三浦」とは三浦大根のことだとは承知している。
 だが、私はこの作品を見た瞬間、その昔、我が家のブラウン管テレビの狭い画面に映っていた、一人の少女を思い出した。
 その少女の首は蒼白く長く、その肌は抱き寄せて直に触れてみたくなるような艶やかさであった。
 その少女の名は山口百恵。
 その頃、そろそろ人気が出始めていたアイドル系歌手であった。
 その後の彼女は、数々のヒット曲を飛ばして、たちまちのうちに国民的人気の歌手となってしまったが、人気絶頂の最中に突然引退宣言をして、かつて、ある映画で共演した俳優・三浦友和さんと結婚してその名を三浦百恵と改め、家庭の人となった。
 私が芸能界なるものに興味を持ち始めて以来、幾多の女性タレントが、「ごく普通の女性として生きたいのです」などという、何処かで聞いたことのあるような、小生意気なセリフを口にして芸能界を退いて行った。
 だが、その大半はそれを全うすることが出来ずに、芸能界に復活したり、復活しようともがいたりして、心ある人々の失笑を買っている。
 そうした中に在って、ひとり彼女だけは厳然として他と異なっていた。
 あれから何年になるだろうかは忘れたが、彼女・三浦百恵さんの名は、引く手数多の芸能界で囁かれもしない。
 私が1月18日付けの朝日新聞・朝刊で本作を目にしたのは、同日の朝、七時ごろ。
 それから十数時間前の日曜日の午後、私は、我が家の五十二吋テレビ・アクオスの大型画面に映る、彼女・三浦百恵に関わるある物を目にし、彼女の最近の生活の一端に触れたのであった。
 我が連れ合いは人も知る(訳は無い)手芸好き(と言っても、それは決してあちら方面の手芸ではありませんよ)。
 丁度、その時、我が連れ合いは、ある国営系テレビ局が放映していた、「東京国際キルトフェステバル」なる番組を視ていたのだが、その中で、東京ドームの特設壁面に掛けられていた三浦百恵さんのキルト作品が、彼女の先生に当たる方の口を通じて紹介されたのだ。
 その先生の説明によると、「あの時、普通の女性になった三浦百恵さんは、それから間も無く、私が開いているキルト教室に通うことになった。そして、それ以来ずっと、キルト作品製作の勉強を続けられ、今では、こうした展示会の壁面を飾るような大きな作品も手掛けられるようになったのだ」とのこと。
 その一部始終を私と一緒に見聞きしていた我が連れ合いに、私は、「三浦百恵さんの作品の出来はどうかね。百点満点で採点すれば、何点ぐらいかね」と尋ねてみた。
 すると、我が連れ合いは、すかさず、「百点満点で何点という答え方はしたくないけど、まあまあという所かな。結局はお金よ。お金が三浦百恵さんぐらい有ったら、私だって」と答え、それから後はだんまりを決めたままであった。
 そこで私は、この頃すっかり艶を失ってガサガサになってしまった、我が連れ合いの肌に目をそむけるしか仕方が無かったのだ。
 そう、結局はお金なのかも知れません。
 お金が腐る程有ったなら、「三浦百恵さんだって、鳩山マダムだって、私だって」かも知れません。
 それはともかくとして、三浦百恵さんは、あれからずっと、これからもずっと、ごく普通の女性としての生活を貫き通すおつもりなのでしょう。
 何を以って普通の女性とし、何を以って普通以上、或いは、普通以下の女性とするかは存じ上げませんが、それはそれで素晴らしい生き方でありましょう。
 お話はようやく本題に入る。
 本作の作者は、「青首も三浦も肌の艶やかに」とした上の句に於いて、私たち読者を、「あれあれ、肌の艶やかな<青首>とは何か、<三浦>とは何か」と、一種の困惑状態に陥らせよう、との計算をしているのかも知れません。
 そして、その種証しをするが如くに、「背伸びするがに冬の日浴びる」と、下の句で言うのだが、それでも、読者の中の幾人かは、上の句を読んだ時に抱いた困惑や疑問からは、しばらくの間、解放されないでしょう。
 その<しばらくの間>は、ほんの一瞬でしか無いのだが、その<ほんの一瞬>が、本作観賞の要諦なのである。
 ここで再び三浦百恵さんの登場となる。
 あの三浦百恵さんが、芸能界を袖にして、ごく普通の女性の生活に入ろうとしたのは、本作の「青首」や「三浦」と同じように、「背伸びするがに」取った姿勢なのかも知れない。
 「結局はお金よ」という世の中に於いては、お金に顔を向けるのも背伸び、お金に顔をそむけるのも背伸びなのである。
 <背伸び>とは、<見栄>の一首であることは説明を要しない。
   〔返〕 ベランダのコンテナに蒔きし小松菜の陽射しに背き未だ芽生へず   鳥羽省三

 
○ アパートの三階という浮き島に居て仮の世の鐘を聴く除夜   (福島市) 美原凍子
 
 本作は、佐佐木幸綱選であるが、同じ作者の作品、「私のりんかくぼやけゆくがまま風に抱かれていようふるさと」が、高野公彦選のトップを飾っていた。
 「アパートの三階という浮き島」という捉え方には共感を覚える。
 なけなしのお金を叩いて建て、わずか八年足らずしか居住しなかった故郷の豪邸を、一身上の都合によって、叩き売りをして首都圏に舞い戻った私たちは、本作の作者に似て、「マンションの五階という浮き島」に住む身の上なのである。
 現世を「仮の世」とする、作者の人生観にも共感を覚える。
 そう、現世は「仮の世」だからこそ、いかなる境遇にも耐えられるのである。
 その仮の世の「浮き島」の住人である私たちの元に、連れ合いの実姉から、「母の病状極度に悪化」の報が入ったのは、「除夜」の「鐘」が鳴り響く最中であった。
   〔返〕 現世は仮の世ながらさりながら心に響く除夜の鐘の音   鳥羽省三 
                             

○ 行った跡そのまま残る雪道を帰りもなぞる左右逆にて   (新潟市) 高橋祥子
 
 雪国育ちでなければ実感出来ないとは思いますが、雪国での暮らしはそうしたものです。
 作者・高橋祥子さんのお住まいの辺りでは、当日の当時刻のつい直前まで、雪が降っていたのだが、作中の人物が「行った」後には、雪が降らなかったのでしょう。
 「行った跡そのまま残る」が、そのことを証明しています。
   〔返〕 去った跡そのまま残る雪道を未練たらしく踏み固めてる   鳥羽省三 


○ 年輪を一つ重ねて散り果てし欅冬木に流星あまた   (西条市) 亀井克礼
 
 枝々を埋めていた葉っぱが、黄葉し、落葉し、<最後の一葉>も止めずに、すっかり「冬木」となってしまった時、あの「欅」たちは、「ああ、これでまた馬齢を一つ重ねてしまったな」と慨嘆するのでしょうか?
   〔返〕 冬衣装まとひて晴るる樹下を行く馬齢重ねしこと思ひつつ   鳥羽省三


○ 鞦韆の下ひとつづつ凹みあり人が履歴を抱くごとくに   (横浜市) 滝 妙子
 
 「昭和○○年三月・○○大学○○学部○○学科を卒業す。」
 「昭和○○年四月・㈱○○商事に入社して、第一営業部に配属せらる。」 
 「平成○○年三月・㈱○○商事の第一営業部次長の職を解かれ、定年退職す。」
 といった、私たちの履歴の一つ一つが重なって、あのお砂場の横のブランコの下の穴が出来たのだ、という認識は宜しい。
 それが好き履歴にしろ、悪しき履歴にしろ、私たち人間の履歴は、ブランコの下に遺された凹みに過ぎないのである。
     〔返〕 鞦韆の下の凹みの水溜り今朝は空往くヘリを映せる   鳥羽省三 


○ 整形外科内科小児科耳鼻科外科マスクが並ぶ待合い廊下   (京都市) 横下正子

 いろいろと並べ立てましたね。
 でも、その病院の診療部門は、作品中に出て来る五つだけですか?
 診療部門が上記の五つだけなら、少し不安ではありませんか?
 つい最近、私が通院した某病院には、「血液内科・内分泌代謝科内分泌部門・内分泌代謝科代謝部門・呼吸器センター内科・肝臓内科・消化器内科(肝・胆・膵)・消化器内科胃腸・神経内科・循環器センター内科・腎センター・リウマチ膠原病科・精神科・臨床腫瘍科・循環器センター外科・呼吸器センター外科・消化器外科(上部消化管)・消化器外科(肝・胆・膵)・消化器外科(下部消化管)・乳腺内分泌外科・脳神経外科・間脳下垂体外科・脳神経血管内治療科・小児科・皮膚科・放射線科・放射線診断科・整形外科・形成外科・産婦人科・泌尿器科・眼科・耳鼻咽喉科・麻酔科・歯科・救急科」などの部門が在り、万全の医療体制が布かれていると思われました。
 でも、細部分類されている病院が、必ずしも良い病院とは限りませんからね。
 それはありますね、確かに。
   〔返〕 病院の喫煙室に群がれる中にも一人ナースキャップが   鳥羽省三

「歌会始の儀」の御歌を読む(其の二)

2010年01月18日 | ビーズのつぶやき
〔召人〕
  武川忠一さんの詠進歌
     ○ 夕空に赤き光をたもちつつ雲ゆつくりと廣がりてゆく

 「赤雲」は瑞兆とか。
 詠進歌が講師たちによって朗詠される時、その作者は、起立し一礼した後、直立不動の姿勢を保たれたままで、自作の朗詠を聞いていらっしゃるのだが、召人の武川忠一さんの場合は、ご高齢の為なのか、起立や一礼もままならず、介添えの方に支えられてやっと起立する有様で、起立後もふらふら震えていらっしゃるようなご様子であった。
 見ている側の私としては、直立不動の姿勢を保たれるのに必死な、武川忠一さんがあまりにもお気の毒で、その時ばかりは詠進歌の披露時間の長さがとても気になりました。
 伝統ある「歌会始の儀」の召人に選ばれることは、歌人にとっては最も名誉あることでありましょう。
 そうであるからこそ、召人には今後も歌壇の最長老クラスのご高齢者の方が選出されることになりましょう。
 「立ち居もままならない歌人は召人に選ばない」という訳にも行かないと思われるます。
 そこで、今後は、車椅子の使用を認めるなど、儀式の運営に一考を要しましょう。


〔選者〕
  岡井隆さんの詠進歌
     ○ 光あればかならず影の寄りそふを肯ひながら老いゆくわれは

 本作の作者の岡井隆さんこそ正しく、「光あればかならず影の寄りそふ」ことを、身を以って体験なさった歌人でありましょう。
 かつての前衛短歌の旗手もまた、「光あればかならず影の寄りそふ」ことを「肯ひながら老いゆく」という訳でありましょうか?
 この一首から私は、高齢化社会の住人であることの悲哀をしみじみと感じました。
 歌壇は、日本の現代社会に先駆けて<高齢化社会>に傾斜して行った。
 かと言って、岡井隆氏が主宰される結社誌『未来』の「彗星集」の群がる人々などを初めとした、若い歌人たちに多くを期待することは出来ません。
 我が国<日本>の未来及び、結社誌『未来』の未来は、一体、どうなるのでありましょうか?


  篠弘さんの詠進歌
     ○ 金箔の光る背文字に声掛けて朝の書斎にはひりきたりつ

 「金箔の光る背文字に声掛けて」という上の句が実にすばらしい。
 「金箔の」⇒「光る」と、詠進歌を彩るに相応しい語句を並べ連ねた後、それらを「背文字に」が受けてささやかな変化を見せ、それが更に「声掛けて」という三句目の五音に収束されて行って、「金箔の光る背文字に声掛けて」という洒脱な一句を成しているのである。
 <祝賀>の意有り、<肩透かし>有りで、実に気の利いた上の句と成り得ているのである。
 読書人・篠弘氏は、この日の為に、ご自宅に厳しい書斎を構え、その書斎に、この日の為に、万巻の書物を積み上げて来られたのだと申しても過言では無いでしょう。
 歌人・篠弘邸の書斎に積み上げられている万巻の書物は、この日の為に、「金箔の背文字」を背負わせられているのだと言っても、決して過言ではないでしょう。
 新年の<初笑い>宜しく、どうけふざけた挙句、歌人としてのご自身の日課のスタートを詠い上げて見せたのは、篠弘さんならではの離れ業でしょう。


  三枝昂之さんの詠進歌
     ○ あたらしき一歩をわれに促して山河は春へ光をふくむ

 本作の作者は、山が在っても山梨県のご出身。
 山梨県出身者の口から発せられる「山河」という語には、また格別な含蓄がありましょう。
 三枝昂之さんは、昨年、歌人仲間の山本かね子氏の懇願を容れて、ご自身の手足とも頼む、ご実弟・三枝浩樹氏を<沃野短歌会>に送り出さねばならなかった。
 そうした三枝昂之さんにとっては、今年は、正しく「あたらしき一歩をわれに」促す年に
なりましょう。
 昨今の歌壇では珍しく、頭脳明晰な三枝昂之さんは、「歌会始の儀」の場を借りて、ご自身の故郷の山河と対話し、併せて、今年の自己の抱負をも述べられたのである。 


  河野裕子さんの詠進歌
     ○ 白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅

 我が連れ合いは、<歌詠み>ならぬ<歌読み>である。
 その連れ合いの弁によると、今年の「歌会始の儀」の場面での河野裕子さんの「面差しはまた一段とか細くおなりになった」のだそうだ。
 ご病気のせいでありましょうか、近頃また一段と面差しの細くなった、河野裕子さんの「すぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅」は、どんなに淡淡とした「白梅」でありましょうか。
 目前に咲いている白梅の印象と、作者の「すぎゆきし歳月の中」に「咲ける白梅」の印象とが相重なって、すばらしい白妙の世界が展開されている。
 「すぎゆきし」の置かれた位置も微妙。
 作者は、先ず「白梅に光さし添ひすぎゆきし」と詠うことによって、初春の光を浴びながら散って行く「白梅」に目を止め、次に「すぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅」と、ご自身の記憶の中に咲いている「白梅」にも想いを馳せているのである。


  永田和宏さんの詠進歌
     ○ ゆつくりと風に光をまぜながら岬の端に風車はまはる

 「ゆつくりと風に光をまぜながら」では無く、<いちはやく味噌と何かとをまぜながら>歌壇をかき回そうとしている輩が多いから、歌壇の要・永田和宏さんのご苦労と悩みは絶えなく、その責任はあまりにも重い。


<入選者(年齢順)>
 (東京都) 古川信行さん(94)の詠進歌
    燈台の光見ゆとの報告に一際高し了解の聲

 作者・古川信行さんについては、「歌会始の儀」の歴代の入選者中の最高齢者ともお聴きしている。
 重ね重ねおめでとうございます。
 本作は、「第二次世界大戦中、海軍軍人として乗船していた輸送船が魚雷攻撃を受けて損傷し、 帰投した特務艦から、下田の灯台の光が見えた時の安堵感」をお詠みになったのだそうだ。
 度重なる海難事故やソマリア沖の海賊のことなどが、何かと話題となっている今日、この一首は、真に時宜にかなった作品かと思われる。
 「一際高し了解の聲」という下の句が、現実感と臨場感を感じさせ、極めて印象的である。


 (静岡県) 小川健二さん(84)の詠進歌
    選果機のベルトに乗りし我がみかん光センサーが糖度を示す

 作者の小川健二さんは、「自身が丹精込めて栽培した果物を慈しむ気持ちを、お題<光>から着想を得た情景に託した」と語り。
 「今夏の天候を伝える新聞記事を読んだり、農作業をしているうちにふと感じた気持ちを表現した」とも語る。
 余談ながら、農協などが経営する選果場への選果機導入に常に付き纏うのは、納入業者から幹部職員などへの賄賂の噂である。
 そうした噂話を他所に、「選果機」は今日も調子良く回り、その「ベルトに乗りし我がみかん」の「糖度を」「光センサーが示す」のである。
 ご自身が丹精込めて育て、収穫した「みかん」が、選果機のベルトの上に載せられた時の嬉しさと不安は、また格別なものでありましょう。
 この一首は、そうした蜜柑栽培者の素朴な感情を余すところ無く伝えている。


 (群馬県) 笛木力三郎さん(82)の詠進歌
    冬晴れの谷川岳の耳二つ虚空に白き光を放つ

 谷川岳は群馬・新潟の県境に跨る三国山脈の山である。
 頂部は二峰に分かれており、それぞれ「トマの耳」(標高1,977m)、「オキの耳」(標高1,963m)と呼ばれる。日本百名山の一つ。
              「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より」
 朝日新聞の群馬県版の記事に拠ると、本作の作者の笛木力三郎さんは、この一首を、「若いころに登った谷川岳の冬景色を詠った」と話されているそうだ。
 笛木さんは短歌結社「歩道」に参加しておられ、「『歩道』は、見たものをそのまま詠う写実主義。教えを忠実に守ってきたのが今回の受賞につながった。『歩道』のおかげです」と、入選の喜びを語っておられたそうだ。
 冬の谷川岳の雄姿をお詠みになった本作は、「歌会始の儀」の入選作に相応しい堂々たる作品ではある。
 だが、これを若い時の経験に基づいて詠った、と話されるところや、これと『歩道』の写実とを結び付けて語られるところなどは、小学校三校の校長をお務めになった後、群馬県の人権擁護委員などを歴任された作者の、真摯なるご性格を思わせて興味深い。
 アララギ系結社の歌人たちは、未だに口癖のようにして、「短歌は写実に基づかなければならない」などと主張して居られるが、笛木さんの入選作は、先刻、私が引用し掲出した、谷川岳に関する『ウィキペディア』の記事を見ただけでも、十分に創作可能と思われるのだが、図書やインターネットの記事などに取材して創った作品と、高齢者が青年時代の経験に取材して創った作品とでは、何か決定的な違いが在るのだろうか?


 (北海道) 西出欣司さん(74)の詠進歌
    前照灯の光のなかに雪の降り始発列車は我が合図待つ

 本作の作者は、元国鉄職員。
 本作は、「国鉄勤務時代に見た、始発列車の前照灯で雪がきらめく様子」を詠んだのだそうだ。
 大幅の字余りを気にすること無く、初句を「前照灯の」としたのが良かった。
 駅の構内で発車の合図を待っている機関車の大きさが、この字余りの初句によく表わされている。


 (兵庫県) 玉川朱美さん(73)の詠進歌
    梅雨晴れの光くまなくそそぐ田に五指深く入れ地温はかれり

 本作の作者が、初めて歌を詠んだのは二十七年前とのこと。
 その頃、洋裁の仕事をしていた玉川さんは、結婚を控えた長女に「ドレスがほしい」と頼まれた。 
 心を込めて縫いながらふと浮かんだ、「我よりも幸せあれと願いつつ佳き日待ちいる娘のドレス縫う」という歌が町の広報誌に載ったのだそうだ。
 入選歌は、「7月、梅雨の晴れ間に地元で見かけた田植え後の情景を詠んだ」のだそうだ。
 「五指深く入れ地温はかれり」と、具体的に詠んだのが功を奏した。
 

 (長野県) 久保田幸枝さん(72)の詠進歌
    焼きつくす光の記憶の消ゆる日のあれよとおもひあるなと思ふ

 「幼少時にサハリンで体験した空襲」について、お詠みになられたのだそうだ。
 久保田さんは30年ぶり2回目の入選ですが、「きっと最高齢だろうと思って参ったら、まだ20いくつも上の方がおられて、これはまだ1回位可能性があるかな」と3度目の入選に意欲を見せて居られたそうです。
 「この意欲だけは見習わなければ」とは、評者の弁である。
 「あれよとおもひあるなと思ふ」という四、五句目は、飯田市で短歌教室を主催しているという作者らしい、巧みな表現である。


 (大阪府) 森脇洲子さん(69)の詠進歌
    我が面は光に向きてゐるらしき近づきて息子(こ)はシャッターを押す

 本作の作者の森脇洲子さんは、「四十年ほど前に、両目とも次第に視力を失う網膜色素変性症と診断され、次第に両目の視力が失われて行くような状態であったが、夫の靖さんが病死した1102年頃、明るさだけがかすかに分かる程度の全盲の状態になった」方だと言う。
 「近づきて」「シャッターを押す」「息子(こ)」とは、ご長男の尚志さん(39)のことであり、森脇さんは、このご長男からの「『光』はお母さんのためのお題や。見えない光を歌にしたら」という激励の言葉に勧められて、「頑張って私の光を歌おう」と思って、応募したのだそうだ。
 「宮内庁からの知らせに、うれしさと緊張で足がガクガクと震えました」とは、森脇洲子さんの喜びの言葉である。
 「我が面は光に向きてゐるらしき」という表現は、森脇さんの目の現在の状態を物語っているのであろう。


 (東京都) 野上卓さん(59)の詠進歌
    あをあをとしたたる光三輪山に満ちて世界は夏とよばれる

 「三輪山」は、奈良県桜井市に在る、海抜467mの山。
 全山が大神神社の御神体とされ、山一帯が松の古木に蔽われている。
 大和三山と呼ばれる、畝傍山・耳成山・天香久山と共に歌枕の地として名高い。
 その「三輪山」に、「あをあをとしたたる光」が「満ちて」、その時初めて「世界は夏とよばれる」という捉え方は、スケールが大きい。
 そして、「あをあをとしたたる光」という上の句の表現の背後には、活玉依姫のもとに三輪山の神が通ったという三輪山伝説のストーリーなどが感じられ、時間と空間との大きくて深い広がりも感じられる。
 本作の作者・野上卓さんが、本作を創るに当たって、『小倉百人一首』で有名な、持統天皇の歌、「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」を意識されたのならば、この歌の広がりは更に大きくもなり、「歌会始の儀」の入選歌としての輝きも更に増して来るのである。


 (福岡県) 松枝哲哉さん(54)の詠進歌
    藍甕に浸して絞るわたの糸光にかざすとき匂ひ立つ

 作者の松枝哲哉さんは、国重要無形文化財久留米絣の技術保持者として著名な方。
 本作は、藍染めの製作過程で得られた感興をお詠みになったのであろう。
 「光にかざすとき匂ひ立つ」という下の句が、大きな広がりと明るさを感じさせ、「歌会始の儀」の入選作に相応しい輝きを感じさせる。


 (京都府) 後藤正樹さん(48)の詠進歌    
    雲間より光射しくる中空へ百畳大凧揚がり鎮まる

 「滋賀県東近江市で昨年5月に行われた八日市大凧祭で<百畳敷大凧>を引いた時の情景を詠んだ」とのこと。
 <凧揚げ>は、正月に相応しい勇壮な行事であり、しかも、その空に揚がる凧は<百畳敷大凧>であるから、めでためでた尽くしの一首である。
 「雲間より光射しくる中空」が、何かと苦難が予想される中にあって、一筋の希望を持って決して諦めない、私たち日本人の象徴のようにも思われるが、作者の後藤さんもまた、「世の中が明るくなってほしい」との思いを込めて、この一首をお詠みになったのだそうだ。

「歌会始の儀」の御歌を読む(其の一)

2010年01月14日 | ビーズのつぶやき
 新春恒例の「歌会始の儀」が正月十四日午前、皇居宮殿の「松の間」で行われた。
 今年のお題は「光」。
 厳粛なる皇室行事について、一介のフリーライターでしかない私ごときが云々することは厳に慎むべきことではありましょう。
 しかし、それが皇室の新春恒例の行事である事と同様に、ものに触れて感興を起こし、それをブログに記す事が、昨今の私の習慣であり職務でもあるので、私たち日本国民の統合の象徴たる天皇陛下及び皇室の方々に失礼の無いように十二分に注意しながら、慎重に筆を運ばせていただきます。
 なお、本文に於ける敬語表現については、朝日新聞などの全国紙のそれに準じた扱いをさせていただきます。

 天皇陛下の御歌
    ○ 木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり

 「宮内庁によると、天皇陛下は昨年の新緑の季節に、吹き上げ御苑内の小道を散策していた時に見た情景を詠んだ」(1月14日付け・朝日新聞夕刊)のだそうだ。
 私が、ここで、殊更に、この記事を引用したのは、私の知り得ない情報を知り得たので、それを読者の方々にご披露すると共に、これ以降の記事の中で、私が規範とすべき敬語表現の程度を確認するためでもある。
 この記事には、「天皇陛下は昨年の新緑の季節に、吹き上げ御苑内の小道を散策していた時に見た情景を詠んだ」とある。
 この記事の文頭に「宮内庁によると」とあるから、天皇陛下から直接お聴きして書かれたものでは無く、その情報源は、あくまでも「宮内庁」の公式発表であろうかと思われるが、「天皇陛下は昨年の新緑の季節に、吹き上げ御苑内の小道を散策していた時に見た情景を詠んだ」という叙述中の「詠んだ」の主語は、文頭の「天皇陛下」である。
 したがって、私が今後、この文章を書き進めるに当たって、その内容が、天皇陛下の直接行為について説明しなければならないような場合には、「天皇陛下はお詠みになられた」とか「天皇陛下はお詠みになった」というような書き方では無く、「天皇陛下は(中略)詠んだ」といったような書き方をしても良さそうである。
 この点は、朝日新聞以外の各紙に於いても、同様な扱いをしているので、要するに、現代の日本社会に於いては、天皇陛下の直接行為を描写したり、説明したりする場合でも、格別な敬語表現で以って行う必要は無いものと理解される。
 このことが確認されたので、私の筆の重い運びもかなり軽くなったので、そろそろ本題に入ろうかと思う。
 天皇陛下を初めとした皇室の方々の「歌会始の儀」の<御歌>及び<詠進歌>は、短歌と申すよりは和歌と申した方がより正確でありましょう。
 いや、文芸作品と申すよりは、今年一年の我が国及び世界の平和を祈念し、我々日本国民の生活の平穏を祈念されての、厳粛なるお言葉であると申した方がより適切でございましょうか。
 それを敢えて、何かに例えて申すならば、「家屋新築の為の上棟式に際して、斎戒沐浴し、威儀を正した神主が、上天に向かって高らかに申す祝詞や寿詞」に類する、「尊くかつ有り難いお言葉」であるとも申せましょう。
 それは、短歌誌や新聞などに掲載された歌人の作品などとは明らかに目的を異にして詠まれ、性格を異にして存在するものでありましょう。
 従って、ここでは、その巧拙について論評することは止め、この一首に込められた、天皇陛下の広く温かい御心を拝受しておくことに致しましょう。


 皇后さまの詠進歌
    ○ 君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし

 この詠進歌もまた、前述の天皇陛下の<御歌>と同じように、通常の短歌などとは目的も性格も異にしてお詠みになられたものであると思われ、その点については、この後の、皇室の方々の詠進歌についても全く同様ではありますが、その点についての注釈は、これ以降省略させていただきます。
 この一首は、ご夫君の天皇陛下の御歌にご唱和してお詠みになられたものであり、天皇陛下とご一緒に皇居内をご散策されたことから取材なさったものと思われる。
 初句に「君とゆく」とあるが、この場合の「君」とは、申すまでも無く<一天万乗の君>即ち、天皇陛下を指すところの「君」でありましょう。
 しかし、最近の皇室のご事情や、マスコミで伝えられている、天皇陛下と皇后陛下との睦ましく温かい御仲などを拝察するとき、評者はふと、本作中の「君」を「あなた」の意として解釈したくなる。
 そして、そうした異例の解釈の余地を残したところに、この作品の素晴らしさが在るとも思うのである。
 初句に続いての「道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし」という語句の運びは、ご観察眼の行き届いた素晴らしい表現であり、淀むことを知らない調べでもある。
 写生に徹しながら写生のレベルを超え、<象徴>の域にまで達している。
 「夕暮れてなほ光あるらし」などと、超絶不況下の生活に苦しんでいる、私たち国民に対する、温かく優しいお気持ちを示されたお歌でありながらも、御仲睦ましきご夫君に対する敬愛の情をも示され、かつ、ご自身の理想境を象徴的にお詠みになっても居られるのである。
 失礼を省みずに申すならば、「皇室の方々の作品、召人や選者の方々の作品、一般入選者の方々の作品をも含めて、当日ご披露に及んだ全詠進歌の中で最も優れた作品が、この皇后様の御作である」とは、我が連れ合いの弁である。
 「あなたの弁舌は、大相撲解説者の元・北の富士さんと同じように、どんな場面でも、否定することから説き起こす」とは、私の弁舌に対する、我が連れ合いの評価ではあるが、この場面に於いては、我が連れ合いの弁に対して、私は格別な異論を称えるつもりは無い。


 皇太子さまの詠進歌
    ○ 雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり

 日嗣の皇子の御作に相応しく、日本の象徴たる富士山のご来光をお詠みになられたお歌である。
 「歌会始の儀」の詠進歌に相応しく、日本一の「富士山」での<初日の出>を題材とされながら、その作中に「雲」の一字をお添えになられたのは、未だ本復でいらっしゃらない、お妃殿下のお気持ちや、不況下の生活に苦しむ私たち国民の気持ちを慮ってのことでありましょうか?
 新年に臨まれてのご自身のご抱負を述べられ、併せて、私たち国民の進むべき方向をお示しになられた、めでたくありがたいお言葉として受け取らせて頂きます。 
 ところで、このような温かくおめでたい詠進歌を、「歌会始の儀」の当日の講師の方が、「雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く染めたり」と朗詠されたのは、如何なる理由が在ってのことでありましょうか?


 皇太子妃雅子さまの詠進歌
    ○ 池の面に立つさざ波は冬の日の光をうけて明かくきらめく

 日嗣の皇子のお妃様の御作に相応しく、明るい中にも、慎ましやかなお心を込めてお詠みになられた詠進歌として拝読させていただきました。
 しかし、「池の面に立つさざ波は」という、一、二句の表現に、必ずしもご本復でいらっしゃらないようなご気分と心理とを感じ取らせていただきましたが、それは失礼というものでありましょうか?
 ご夫君の皇太子様が、富士山上に輝く日の光をお詠みになっていらっしゃるから、お妃様は、東宮御所内の池の面にきらめく日の光をお詠みになられたのであろう。
 ご夫妻のご連携が見事である。


 秋篠宮さまの詠進歌
    ○ イグアスの蛍は数多光りつつ散り交ふ影は星の如くに

 皇室外交の一翼を担われ、南米をご旅行なさった時の<お歌>でありましょうか。 
 ご壮健で、ご活発で、御仲宜しくて、なによりと存じ上げます。
 一首の内容についても、調べについても、格別申し上げるべきことはありません。


 秋篠宮妃紀子さまの詠進歌
    ○ 早春の光さやけく木々の間に咲きそめにけるかたかごの花

 ご健康でご聡明な三人のお子様にも恵まれ、殿下との御仲も人も羨む睦ましさで、何よりもお目出度く存じます。
 ご夫君の秋篠宮様が、外つ国の、<星>の如くに光る<蛍>をお詠みになられたことから、お妃様は、我が国の<花>をお詠みになられたのでありましょう。
 これまた、チームワークの佳さ。
 「歌会始の儀」の当日、講師の方々が本作を高々と朗詠された折、作者の紀子さまが、いつもの如く、細い御目を更に細められ、極度な緊張を示されて居られた。
 そのご様子をテレビで視ていた我が愚妻が、「プレッシャーを感じられていらっしゃるのか、お妃様はやはり緊張していらっしゃる。このプレッシャーと緊張とは、この場限りのものでは無く、これまでもこれからも、一生続くものでありましょう。もしそうならば、私にもあの時、『どうか』との有り難いお話がございましたが、堅くご辞退申し上げました。私のあの時のとっさの判断は、やはり正解でした」などとの戯け言を口にしていた。
 そこで私は、「彼方と此方の身分の違いも弁えずに、かかる厳粛な日に、かかる戯け言を口にするとは、失礼千万なヤツだ」と、即座に叱り飛ばしてやりました。
 新春から愚痴を溢すようではあるが、愚か者をパートナーにしていると、人に言えないような苦労もいろいろと多いのである。


 常陸宮さまの詠進歌
    ○ 父君に夜露の中をみ供してみ園生を行けば蛍光りぬ

 これまでの六名の方々の御作とは、その内容が明らかに異なる。
 新年の喜びを詠い、我々日本国民を激励し、その進むべき方向を指し示すといった内容のお歌ではないのである。
 皇室の方々と申しても、現帝の弟君というお立場ともなると、こうした内容のお歌を、「歌会始の儀」に際しての詠進歌として出詠されるのでありましょうか。
 私は、この方が未だご幼名の<義宮>としてお呼ばれになり、<火星ちゃん>という愛すべきニックネームを奉られていらっしゃた頃から、新聞やラジオなどの報道を通じて存じ上げているつもりである。
 しかし、この方のその後の足取りは必ずしも順調では無いようにも漏れ承っている。
 江戸末期までの皇室には、皇太子以外の男児の中の何方かが、僧門の人となって、ご両親などの皇室の祖先の方々の成仏と平穏とを祈願するという習慣が在ったかのように聞いている。
 本作の作者・常陸宮様は僧門の人ではありませんが、私が本作を拝見した瞬間に思ったことは、過去の皇室でのそうした習慣のことであった。
 他の方々が、<めでた尽くし>の御作をお詠みになっていらっしゃる中にあって、ひとり常陸宮様だけが、今は亡き父君・昭和天皇との思い出、しかも暗闇の中での<思い出>をお詠みになった居られることに、私は一抹の寂しさを感じた。
 
 
 常陸宮妃華子さまの詠進歌
    ○ 大記録なししイチローのその知らせ希望の光を子らにあたへむ

 題材が変わっていて、興味深い<お歌>であるとは申せましょう。
 型破りの詠進歌として、高く評価される向きもございましょう。
 米国のメジャーリーグでの「イチロー」選手の「大記録」達成は、確かに、「希望の光を子らにあたへむ」とも思われましょう。
 しかし今、「歌会始の儀」という場で、それについてお詠みになられるご理由は、一体、何処にお在りなのでしょうか?
 しかも、本作と本作の作者のご夫君の常陸宮様の詠進歌とは、何一つの関わりも感じられないのである。
 ご夫君が「山」と言えば、ご妻女が「川」と応えてご唱和しなければならない、という時代でも無いでしょうが、しかし、場面が場面である。
 私は、常陸宮妃殿下の御作について、格別非難しようなどという不遜なことを考えている訳ではない。
 あまりにも異例な詠進歌を目前にして、ただただ驚嘆し、愕然としているだけである。


 三笠宮妃百合子さまの詠進歌
    ○ 雪はれし富良野の宿の朝の窓ダイヤモンドダストのきらめき光る

 四句目の「ダイヤモンドダストの」は大幅な字余り句である。
 「歌会始の儀」は、昔ながらの朗詠という方法で作品を披露し、観賞する場であるから、この作品のように大幅な字余り句を抱えた作品は、その場に相応しからぬ作品とも言えましょうか。
 それにも関わらず、この作品をこのままの形で「歌会始の儀」の詠進歌となさったのは、作者の三笠宮妃百合子様の、格別なご見識と、格別なご自信に基づかれてのことであろうかと拝察される。
 私見ではあるが、「ダイヤモンドダスト」という語は、この作品の核心を成す語であり、かつ、第四句が大幅な字余りの句であっても、朗詠や音読の支障にはならないであろうと判断される。
 ではあるが、この一首を詠進歌として出詠される時には、かなりのご覚悟を必要とされたものと拝察される。
 そして、その思い切ったご詠進に、私は大いなる意義を感じる者である。
 
  
 高円宮妃久子さまの詠進歌
    ○ 北極の空に色づくオーロラの光の舞ふを背の宮と見し

 「歌会始の儀」の詠進歌として、現在の皇室の鎮めにもなろうとも思われるお二人の女性が、共にカタカナ語を含んだ作品をお詠みになられたことは、少なからぬ意味のあることである。
 先にも説明したように、皇族の方々の「歌会始の儀」の詠進歌は、通常の短歌とは異なった性格の作品であり、通常の短歌とは異なった目的に基づいてお詠みになられた作品ではある。
 とは申せ、通常の短歌と同様に、語句の選択や表現には、それなりの創意工夫が為されなければならない。
 私は、本作の作者の高円宮妃久子様や、前作の作者の三笠宮妃百合子様は、こうしたカタカナ語を含んだ作品を詠進歌とすることによって、創意工夫への第一歩を踏み出そうとなさって居られるのであろうと拝察している。
 同じカタカナ語を使用する場合であっても、「ダイヤモンドダスト」や「オーロラ」というカタカナ語を使用するのと、「イチロー」というカタカナ語を使用するのとでは、大きな違いが在ると思われるのである、とまで申したら、それは言い過ぎでありましょうか?

 
 高円宮家長女承子さまの詠進歌
    ○ 黄金に光り輝く並木道笑顔の友の吐く息白く

 歌い出しの語、「黄金」に<わうごん>という<振り仮名>が施されている。
 この<振り仮名>在るを以って、本作が文語短歌であることが証明されましょう。


 高円宮家次女典子さまの詠進歌
    ○ 葉の上にぽつりと残る雨粒に雲間より差す光ひとすぢ

 作品中の語「ひとすぢ」にご注意を。
 本作が口語短歌ならば、この「ひとすぢ」は「ひとすじ」となっていなければならないからである。
 ことほど然様に、「歌会始の儀」の詠進歌として、皇族の方々がお詠みになられる御作は、全て文語作品なのである。
 ご都合に応じて、文語表現の良さをちゃっかり拝借するなどという下品な事は、どなたもやって居られない。

今週の朝日歌壇から(1)

2010年01月13日 | 今週の朝日歌壇から
○ 社員三人鬱病となしし社に勤め十六年をくたびれ果てぬ   (仙台市) 坂本捷子

 「今日の世相そのものを体験に持った歌。作者も鬱情をまぬかれながら『くたびれ果てぬ』とうたう」と、選者の馬場あき子氏は評す。
 「社員三人鬱病となしし社に勤め」と言う上の句中で留意すべき語句は「なしし」である。
 「なしし」とは<過去に於いて為した>ということ。
 この「なしし」に拘ってこの一首を大袈裟に解釈すれば、作者は自分自身が十六年の長きに亘って勤務した会社の内情を暴露し糾弾しているのである。
 そのような会社に長く勤めていれば、自分とて無事で居られるはずはない。
 「自分は鬱病に罹りこそはしなかったが、この会社での十六年ですっかりくたびれてしまった」と作者は言っているのである。
 「十六年をくたびれ果てぬ」という下の句から読み取れるものは、「この十六年間、我慢に我慢を重ねて私は働いて来たが、今となっては、精も魂も尽き果ててしまった」という、作者の憤懣と諦念であろう。
 会社の実名こそ出してはいないが、評者がこの一首から、作者の内部告発的姿勢を読み取ったとしても、それは決して深読みとは言えないであろう。  
   〔答〕 鬱を病む社員三人首斬られ我が社はいよよ経営安泰   鳥羽省三 


○ 二羽の鳩三日つづけて訪ね来て四日目からは巣を作りおり   (町田市) 高梨 守道

 「二・三・四と上ってゆく数詞の遊びが、鳩への親しみを楽しく伝える」とは、選者の佐佐木幸綱氏の評。
 単なる数字遊びに終らせず、「たった二羽でやって来て、しかもわずか三日通っただけで、四日目には、もう巣作りを始めてしまった。あの鳩たちの命の営みのなんと浅はかなことよ」といった、我が家の軒に巣を掛けた鳩たちに対する、話者のの驚きと憐憫の気持ちが表現されているのである。
 「四日目」から始まった巣作りの作業が終わると、やがてその巣の中には、五つの新しい命が誕生するはず。
 佐佐木幸綱氏の言う「数詞の遊び」は、<二・三・四>で終らず、そこに新たな<五>を加え、<六>を跳ばして、<七>にまで発展することが予測される。
   〔答〕 二羽で来て七羽群れ居る鳩たちの糞のこぼるる軒下を往く   鳥羽省三 


○ 渋滞の我が渋面を後続の運転席の顔で悟れり   (東京都) 佐藤利栄

 「渋滞」と「渋面」。
 <じゅう・じゅう>の渋くて重い音声の重なりが、交通渋滞への苛立ちの気持ちを表わしているのである。
 だが、ふと、バックミラーに視線をやったら、そこには「後続の運転席の顔」が映り、それは「渋面」であった。
 そこで作者は、自分もまた後続車のハンドルを握っている人と同じように、渋面を浮かべながら運転しているに違いない、と気が付いたのである。
 末尾の「悟れり」から、はっと気が付き、気を持ち直して「渋面」を止めようとした作者の気持ちの変化が読み取れる。
   〔答〕 後続の運転席の渋面をバックミラーに見つつ走れり   鳥羽省三


○ 冬空に池の金魚らじっとしてゼリーの中の蜜柑のように   (東京都) 古川 桃

 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩が宜しい。
 「ゼリーの中」だから、ぎゅうぎゅうに縛られ、閉じ込められているわけではない。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩は、単に、「冬空に」「じっとして」耐えている「金魚ら」の様子だけを表わすだけでは無く、その「金魚ら」を包む「池の水」の柔らかく白濁した様子と、晴れやらぬ「冬空」の様子をも表わしているのである。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」は、視覚と触覚から発想された比喩なのである。
   〔答〕 冬空を映して鎮む池水の底に潜むる金魚の四つ尾   鳥羽省三         

○ 開けたなら閉めて出てゆけわが猫よこごと言いつつ年暮れ果つる   (豊中市) 玉城和子

  「こごと言いつつ年暮れ果つる」という下の句は、老境に達した作者の暮らし振りと心境とを覗かせていて、それだけで十分に面白いのだが、その「こごと」を「わが猫」に言う所が更に面白い。
 因みに、「開けたなら閉めて」とは、還暦を幾つか過ぎた私の連れ合いが、古希に達した私に向かってよく言う言葉である。
 私は、玉城和子さん宅のニャンコ並みなのか?
   〔答〕 「開けたなら閉めて行って」とまた言われ猫の尻尾を踏んで仕返し   鳥羽省三


○ 東洋の粟散辺地にわれはいてモーツァルトの楽を楽しむ   (八尾市) 水野一也

 この<世界三位の経済大国>日本を言い表わすのに、事もあろうに「東洋の粟散辺地」とは、何たる言い様。
 さすが、八尾の<あほんたれ>の言うことは、他の人のそれとは違う。
 その口して、あの楽聖<ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト>様の「楽を楽しむ」とは、とんでもない。
 それでもどうしても音を聴きたいのなら、村田英雄の歌声か、勝新太郎のダミ声の科白を聴いたらいかが。         
   〔答〕 大阪の粟散辺地の八尾に居てモーツァルト聴くとは嘘のよな話   鳥羽省三 


○ うっすらと埃のようにつもるだろうみんなで笑った今日の記憶は   (佐倉市) 船岡みさ
 
 「楽しかった一日、それすらも埃のような記憶として『つもるだろう』と言う。時間の生理と言えばそうだが、どこか将来の儚い影を暗示するような歌だ」とは、選者・永田和宏氏の弁である。
 だが、その一面、永田氏の言う「将来の儚い影」を意識するあまり、<楽しかった一日>をそれほどにも楽しめず、「みんなで笑った」その笑いの中にも、十分には溶け込めなかった話者の心情が覗き見られるのではないだろうか。 
   〔答〕 塵埃の底に沈める面影のふと甦る今朝の初雪   鳥羽省三