臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(5月26日掲載・其のⅠ・週末特報版)

2014年05月30日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(たつの市・藤原明朗)
〇  胸熱く発布記念のポスターを幼なら描きし憲法破るか

 かつて「障子破り」として名を馳せた老耄が、昨日は大阪の若い悪友と袂を分かつべく「分党の為の記者会見」など遣らかして、またぞろ、「憲法破り」「原発再稼働」与党の補完勢力下に馳せ参じるとか?
 それはそれとして、「憲法破るか」という五句目の表現の何と言うお粗末さよ!
 〔返〕  胸熱く発布記念のポスターを描きし君を無視する安倍か?


(香南市・中山昇喜)
〇  貧乏に慣れてゐますと言ひくれし君に決めた日憲法記念日

 安倍内閣の国会審議を経ない憲法解釈変更策にちゃっかり便乗して、過ぎし日の自らの求婚の次第を披歴しようとするとは、あまりにも身勝手過ぎましょう。
 〔返〕  戦争の稽古はするが本物の戦争反対自衛隊員
      誰よりも憲法九条大好きな自衛隊員参戦反対


(ホームレス・坪内政夫)
〇  遠くには班雪かがよう飯場にて庭に干されし地下タビ凍る

 そもそも住所を記すべきスペースに「ホームレス」という住所とも職業ともつかないカタカナ語を記すとは不届き千万、全く宜しくありませんが、詠い出しの五音を「遠くには」としているのは益々宜しくありません。
 このままでは、本作の意が「ホームレスを居住地とした作者が、寒さとは遠く隔絶した安全圏の『飯場』暮らしをしていて、ご酔狂にも『庭』に『地下タビ』を干したところ、何の因果かその『地下タビ』が凍みてしまった」ということにもなりかねません。
 朝日歌壇の「ホームレス贔屓」も、こと此処に至れば問題無しとせず。
 〔返〕  朝なさな氷柱輝く飯場にて地下タビ干せど凍ったままだ


(東京都・大村森美)
〇  陽炎の中から遍路あらはれてまた陽炎に白衣溶けゆく

 本作を仮に「陽炎の中からひょっこり現れてまた陽炎に溶け行く妻が」としたら、朝日歌壇の入選作というレベルの短歌作品と言い得ましょうか?
 ことほど然様に、作中の「遍路」という語の持つ働きは重大なのである。
 「短歌表見に於いては一語の使用も忽せに出来ず」なんちゃったりしたら、選者の永田和宏氏に笑われましょうか?
 〔返〕  夕焼けの最中ポストと出会ひしもまた夕焼けに染まりし昭和  


(大和郡山市・四方護)
〇  夢の中に傘を忘れて来たけれど傘はやっぱり玄関にある

 浄土宗鎮西派の総本山「知恩院(正式名称は華頂山知恩教院大谷寺)」の御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘が見えます。
 この傘の由来に就いては、「当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていった」という説と「知恩院第三十二世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、この辺りに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説」とが並立して伝えられていますが、いずれにしても、雨天の際に用いられるはずの傘が、雨漏りの心配の無い豪壮な建物の天井裏に見え隠れしていることは真に不可思議なことであり、恐らくは国宝級の木造建築物が不慮の火災に因って焼失することを危惧しての御まじないのようにも思われるのである。
 大和郡山市ご在住の四方護さんの御作を鑑賞せんと欲して、突如として私の胸中にこのような話が去来したのは、他でもなく、京都東山の知恩院の御影堂の軒裏に見え隠れしているこの傘の名称が「忘れ傘」とされていることに由来するのでありましょうか?
 そこで、本作の作者・四方護さんに私から申し上げますが、「傘というものは、飲んだくれた挙句にブラック企業との噂の高い飲み屋のカウンターの下に忘れて来たり、夢の中に忘れて来たりするものではなく、雨天の際に用いる為にご自宅の玄関に置くものだ」ということである。
 ということになりますと、この度の四方護さんの見た忘れ傘の夢は吉祥疑い無しであり、四方さんの御作は、来週も亦、朝日歌壇の入選作とは相成ること必定でありましょうか。
 〔返〕  床中にふんどし忘れて来た夢を見たのもはつか僧正遁世


(南相馬市・池田実)
〇  はらはらと浪江の土手に舞う桜しばし忘れる胸の線量計

 「はらはらと浪江の土手に舞う桜」という上の句の表現は近代短歌以前の月並み調である。
 その月並み調に少しぐらいは変化を与え、気弱で優しい性格の朝日歌壇の選者諸氏を騙くらかそうとして持ち出したのが「しばし忘れる胸の線量計」という、大幅な字余り句を伴った下の句であるが、果たしてその出来栄えや如何に?
 〔返〕  はらはらと浪江の土手で舞ふ奴と同じ桜か的屋の桜


(八王子市・坂本ひろ子)
〇  窓際の差額ベッドで見えたのは汚れたビルの裏窓ばかり

 わざわざ高額の「差額ベッド」代を支払ったのにも関わらず、「見えた」景色は「汚れたビルの裏窓ばかり」とは、全く以ってお気の毒様でした。
 でも、往年の名画「裏窓」みたいな素敵な出会いがこれからの貴女様の前に待ち構えているかも知れませんから、どうか失望なさらずに気楽に生き続けて下さいませ。
 〔返〕  望遠のレンズの奥に映るのはやーさん紛いの中年男


(坂戸市・山崎波浪)
〇  噴水の穂先が空に弾かれて弾かれて落ち街ははや夏

 「噴水の穂先」と言い、その「穂先が空に弾かれて弾かれて落ち」と言う。
 こうした新鮮な観察眼をお持ちであるが故に、掲歌の作者・山崎波浪さんは朝日歌壇入選者の常連中の常連としての、現在の輝かしき位置を勝ち得ることが出来たのでありましょうと、評者の私・鳥羽省三は、密かに埼玉県坂戸市の方角に憧れの眼差しを向けようとするのである。
 ところで、作者の山崎波浪さんは埼玉県の坂戸市内にお住いの方であるが、本作の題材となったのは、東京都内の噴水のある公園でご自身が実見なさった光景とした方が宜しいのかも知れません。
 つきましては、真に以って手前勝手ながら、作中の「街」を、埼玉県の坂戸市とは遠く隔たった東京のど真ん中、日比谷公園界隈とさせていただきます。
 色淡き銀杏並木と色濃き葉桜の中に藤の花と躑躅の花とが僅かに彩りを添えている晩春の午後の日比谷公園。
 公園内の「かもめの広場」の噴水の水は、日頃から射し貫こうとしても射し貫き得ない天空を、今日こそは是が非でも射し貫こうと意志して一斉に噴出するのであるが、敵は其の僻陬に幾片かの入道雲を浮かべたさすがの天空である。
 彼ら、「噴水の穂先」たちは、背伸びして背伸びして、一斉に天空を射し貫こうとするのであるが、その度ごとに「空に弾かれて弾かれて」脆くも地上に落下してしまうのである。
 そうした風景、即ち、噴水の水と上空の青空とが織り成す都会情緒たっぷりの風景を見上げるのは、今朝の始発の東武東上線で手弁当を引っ提げて上京し、池袋駅から幾本かの地下鉄電車を乗り継ぎ、名にし負う「東京スカイツリー」の展望台に昇った後、事の序でにと、都心まで足を延ばして皇居界隈及び日比谷公園を見ようと欲張った、本作の作者・山崎波浪さんである。
 日比谷公園の「かもめの広場」の噴水の水は、埼玉県民が東京を志すが如く、日頃から果てし無き天空を志していて、今日こそはあの憧れの天空を刺そうと意志して、何度も何度も噴出するのであるが、その度ごとに、神の意思に阻まれるのでありましょうか、脆くも地上に落下して、水蒸気となって初めて初志を貫徹するのである。
 かくして、天空を志す噴水の水の意志と、それを阻もうとする天空との爽やかな格闘劇が展開される中で、日比谷の街にも夏という季節が訪れるのである。
 〔返〕 あな不思議?坂戸市内に千代田在り!千枚田でも在ったのかしら?


(横浜市・森秀人)
〇  「方丈記」「徒然草」を読み直したやっぱり著者には会いたくないな
 
 まこと然り。
 かつて「徒然草」の注釈書を上梓した経験を持つ私でさえも、あの鹿爪らしい顔をして講釈を垂れるような輩とは金輪際「会いたく」はありません。
 〔返〕  佳き歌は少しく鈍き者の詠む少しく鈍き変な歌なり


(東京都・上田結香)
〇  菖蒲園に行ったのですが「亀!亀!]と連れは大はしゃぎ風情どころでは

 「連れは」としたところが最大のウリの俗っ気たっぷりの作品として鑑賞させていただきました。
 でも、一見すると、大幅な字余り作品のように思われるのですが、音読してみると、それなりのリズム感(内在律)が感じられ、さすがに上田結香さんの御作と思われます。
 〔返〕  競馬場に行ったのですが連れ合いが「当てる!当てる!」と言ってたわりには当てれなかった

 何方か、御奇特な方が居られましたら、上掲返歌中の「当てれなかった」というところを誉めてやって下さい。

今週の朝日歌壇から(5月19日掲載・其のⅢ・最終必読版)

2014年05月30日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(福島市・美原凍子)
〇  全村避難の村の桜はさみしかろしいんと咲いてしいんと散って

 「全村避難の/村の桜は/さみしかろ/しいんと咲いて/しいんと散って」と、詠い出しの一句を字余りも恐れずに七音としたうえに一首全体韻律が整い、独特のリズム感を生み出した作品の出来栄えは、美原凍子さんの御作ならではの名人芸と申せましょうか。
 恐山のイタコや奄美や琉球の島々のノロの語り口を想わせる土俗的な内容も宜しい。
 然し乍ら、それだけに、評者としての私・鳥羽省三にとっては、美原凍子さんがいつまでも被害者意識に凝り固まり、原発題材の作品に拘っている事があまりにも惜しまれるのである。
 〔返〕  夜の森の桜吹雪に吹かれつつ憾み忘るる時やいつ来む


(石川県・瀧上裕幸)
〇  変わりゆく海を見つめし眼を開きダイオウイカは横たわりおり

 二句目に「海を見つめし」とあるが、この場面での、過去回想の助動詞「し」の使用は如何なものかと思われます?
 選者の馬場あき子先生に於かれましても、いかに時節柄とは言え、殊更に「文法音痴」を決め込んだりしてばかり居てはいけません。
 〔返〕  変わりゆく内灘の浜に横たわりダイオウイカは何を夢見る


(東京都・大村森美)
〇  被災地の廃業ホテルの濁り池モリアオガエルの卵が白い

 「被災地の廃業ホテルの濁り池」に棲息していようがいまいが、「モリアオガエルの卵が白い」のは、極めて当たり前のことではありませんか?
 旅行詠ではありましょうが、「被災地・廃業ホテル・濁り池・モリアオガエル・卵が白い」と、「それらしき言葉ばかりを散りばめて、被災地・福島を題材にした歌を詠めば朝日歌壇の選者の目に留まるだろう」との、作者の魂胆が丸見えの作品である(笑)。
 〔返〕  蕨市の産業道路の道端でトノサマガエルが往生してた
      草加市の産業道路の道端でトノサマガエルが煎餅みたい
      鳩ヶ谷のコジマ電気の店先で犬のウンチを踏んづけちゃった
 「ダ埼玉県民」は「これでもか!これでもか!」とばかりに、世間様から痛み付けられ、傷付けられ、これからも益々僻み根性一辺倒で成長して行かなければなりません。
 これからの我が国の成長は、だ埼玉県民の成長無しには考えられません。


(長岡京市・寺嶋三郎)
〇  蜜蜂は我が家の巣箱入らずに隣の梅の木に固まりぬ

 「我が家の巣箱入らずに」とせずに「我が家の巣箱に入らずに」としなければなりません。
 作者・寺嶋三郎さんの気持ちとしては、二句目が字余り句になることを危惧したのではありましょうが、この場面での格助詞「に」の省略は、読者諸氏によって、作者の寺嶋三郎さんが「無教養で短歌呆けした田舎のおっさん」みたいに思われる虞れがありましょう。
 事の序でにもう一言申し添えますと、五句目の末尾に完了の助動詞「ぬ」を置いたのも如何かと思われる。
 〔返〕  カナリヤは吾の腕には留まらずに隣の娘の掌中に入る


(東京都・野上卓)
〇  日本人の顔は変わりぬ喜多院の五百羅漢に仲間はおらず

 詠い出しの二句が「日本人の顔は変わりぬ」となっているが、さすが野上卓さんの御作である。
 この場面での「ぬ」の使用例こそは、同じ完了の助動詞ではあるが「つ」とは異なる「ぬ」の使用のサンプルのようなものである。
 「つ」が、「人為的、意志的動作の完了を表す助動詞」であるのに対して、「ぬ」は、「自然的、無意志的な動作の完了を表す助動詞」なのである。
 この点に就いて、前掲作品の作者・寺嶋三郎さんを肇とした文法音痴の方々の為に、もう少し丁寧に解説しておきましょう。
 例えば、掲歌が「日本人の顔は変はりつ喜多院の五百羅漢に仲間はをらず」となっていたとするならば、彼の悪名高い「岸・安倍一族」或いは「本作の作者・野上卓さん」の廻らした、悪辣にしてかつ意志的なる策謀の結果として、「日本人の顔が近年頓に変わってしまった」ということになり、名にし負う川越の「喜多院」の「五百羅漢」の前に佇んで、安倍晋三氏(或いは、野上卓さん)が、その事を深く認識し、己の犯した前非を悔いている(野上氏の場合は前非を悔いるのでは無くて、“最近の日本人男性の顔がソース顔になってしまったのは、私が日本全国を歩き回ってせっせせっせと種付けに励んだからでありましょうか?”などと悦に入っているのかも知れませんが)という図柄にもなりましょう。
 だが、残念ながら、掲歌は「日本人の顔は変わりぬ喜多院の五百羅漢に仲間はおらず」となっているのであるから、最近の日本人男性の顔が羅漢顔や醤油顔からソース顔に変わってしまった一件には、馬鹿面の安倍晋三氏は勿論のこと、西欧男性風の美顔がウリの野上卓さんさえも「一切与り知らぬ」という事とは相成るのである。
 長岡京市の寺嶋三郎さん及び文法音痴の方々よ、この点に就いてお解りになりましたか?

 閑話休題、徒しごとは扨て措きつ、そろそろ掲歌の鑑賞に入らせていただきましょう。
 作中の「喜多院」とは、私如き若輩が殊更に解説を加えるまでもなく、埼玉県川越市(川越市小仙波町1-20-1)に在る天台宗の名刹(山号は星野山。淳和天皇の命に由り慈覚大師・円仁が天長七年(830年)に開基。開基当初の寺号は無量寿寺であった)であり、同じく「五百羅漢」とは、彼の名刹の境内に鎮座まします五百三十八体の羅漢像(石仏)を指して云うのである。
 その石仏のスタイルは、立像・坐像・臥像と様々であり、一体一体全てが異なる表情を浮かべ、変化に富んだポーズを取っているのであるが、共通して言えることは、古色を帯びた素朴さや厳めしさの中に、どの像も表情豊かでユーモラスなしぐさを示して居り、高齢者や昔気質の参詣者たちにとっては、極めて親しみが感じれらることである。
 したがって、掲歌の作者・野上卓さんにしてみれば、「それらの羅漢像の前に佇む度ごとにご自身の胸中に去来するのは、ご自身の父祖親戚や縁戚の方々、或いはご自身に好意を示して居られる知人や職場の同僚や町内会の方々の前に佇んでいるような思い」であったことでありましょう。
 然るに、この度、ご自身の劇作品が劇団『櫂』に拠って小江戸・川越市で公演されるのに伴って、久方ぶりに「喜多院の五百羅漢」の前に佇んでみたところ、「件の石仏の全ての表情や面貌が、最近の自分自身の交際範囲内の人々のそれとは少しも似ていない」という一事に気が付いたのである。
 それもそのはず、野上卓さんが栄えある詠進歌「あをあをとしたたる光三輪山に満ちて世界は夏とよばれる」が朗唱される「皇居新宮殿・松の間」に於いて、天皇皇后両陛下の御前にお立ちになられたのは、平成二十二年正月のことであり、その年の彼の年齢は五十九歳ということでありますから、あれから四年余りの月日を閲した今年の彼は、還暦を疾うに過ぎ、私のような不調法者が彼を指して「高齢者!」と呼んでも決して叱られることのない年齢に到達して居られるはずである。
 ということになれば、昨今の彼は、職業生活から疾うに足を洗われ、有り余る才能の極く一部を発揮して創作なさった劇作を生活の中心に据えられ、ご自身の作になる劇作に出演したさに群がり寄って来る、ソース顔した多くの青年男女に囲まれての生活を余儀なくされて居られるのでありましょう。
 そういった次第で、私・鳥羽省三は、本作に接して、最近の作者・野上卓さんの生活時間が、ある種の違和感と喪失感と居心地の良くない思いに捉われての無駄な生活時間であるように思われてならないのである。
 数年ぶりに小江戸・川越を訪れ、昔懐かしき「喜多院」の境内に佇み、「五百体余りの羅漢像の顔のどれ一つとして、自分の周辺に群がり侍る青年男女とそれとは似ていない!」という重大事を認識せざるを得なかった時、彼の胸中は、突如として、一抹の寂しさと共に、「自分ともあろう高齢者が、こんなソース顔した奴ら(若者ならぬ馬鹿者)と一緒に居ていいのだろうか?」といった思いに領せられたことでありましょう。
 ところで、この際、失礼も顧みずに敢えて申し上げますと、この度、野上卓さんが掲歌の題材となさった「喜多院の五百羅漢」像は、他ならぬ野上卓さんご自身が、今から四年前の正月に栄えある詠進歌を奉った今上天皇の御尊顔に通い合うように感じられるのでありますが、この点に就いては、掲歌の作者・野上卓さんに於かれましては如何お思いでありましょうか?
 〔返〕  ことさらに笑まひ顔などなさらねどいつも優しき今上陛下
      何気なくご夫君気遣ふ優しさよ嫁女見習へ美智子皇后
 上掲返歌の二首目中の「嫁女(よめじょ)」とは、あくまでも「我が家の嫁女、即ち、不届き千万のS子」を指して謂うのであり、けして、けして、雅子妃殿下や紀子妃殿下などの尊きあたりを指して謂うのではありませんから悪しからず。


(富山市・松田梨子)
〇  新しい私に会ってみたくなり入部を決めた自然科学部

 「新しい私に会ってみたくなり」「自然科学部」に「入部」を決める程度のことは佳しとしても、あまりに調子に乗り過ぎて、新入学早々に「規律委員(風紀委員)」に立候補したりしたら、クラスメイトに妬まれたりして、取り返しのつかないことになってしまいますから、よくよくご注意なさって下さい。
 お妹さんにも宜しくご伝言なさって下さい。
 〔返〕  新しい私はやっぱ蓮っ葉で合羽からげて三度笠かも


(福島市・武藤恒雄)
〇  人生を二度生きてると留学の教え子の文字跳び跳ねている

 「教え子の文字跳び跳ねている」とあるが、この七七句から読み取れるのは、海外留学をしている「教え子」の方への、元の担任教師としての深い愛情と、ともすれば羽目を外しがちな「教え子」の方の行動への果てし無い危惧の情でありましょう。
 〔返〕  人生は一度きりしか在りません今の自分を大切にせよ


(帯広市・小矢みゆき)
〇  球根のごろりと土にころがりて寒そうに春目覚めておりぬ

 本作に接して、私が真っ先に思ったことは、北海道に関わることでは無くて、今から七年前に訪れた長野県下伊那郡阿智村の菊芋畑の風景であった。
 私の郷里の秋田県南地方の住民は、この作物のことを「菊芋」などと上品な名称では呼ばずに「ごど(ゴミ)芋」と呼んでおり、「ごど芋」と言えば、「荒廃した民家の庭の片隅に生えている、食用にもならない有害植物」として蔑視されておりました。
 然るに、彼の地・阿智村に於いては、この有害帰化植物を村の特産物にしようとしている奇特な方が居られるということでありました。
 北海道の方の作品を鑑賞すると称して、長野県の話を突然持ち出したりしてご免なさい。
 金子みすず調で、「菊芋の土塗れなる球根は、寝ているようにしていても、既に目覚めているんだよ。寝たふりしてはいるけれど、疾うに目覚めて春を待ってる。」なんちゃったりして?
 〔返〕  土室にごろりと身体横たえて寒さ凌ぐか阿智の菊芋


(舞鶴市・吉富憲治)
〇  昆虫のごとコンビニの灯に集い来て車座をなすこれも青春

 「(若者たちが)昆虫のごとコンビニの灯に集い来て車座をなす」とは、如何せん発想が月並みであり、吉富さんの御作としては、採るべき点が全く見当たりません。
 〔返〕  今週も朝日歌壇に集い来て斬った張ったの歌詠みどもよ


(佐世保市・近藤福代)
〇  百一歳の母が生きてる不思議さを一緒にいる時だけは思わず

 「一緒にいる時だけは思わず」とは、何と優しい心根の娘さんであることよ!
 〔返〕  白寿超え二年余りの母親が生きてる事は素晴らしいこと

今週の朝日俳壇から(5月26日掲載・其のⅣ)

2014年05月28日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(福岡市・松尾康乃)
〇  黒揚羽麟の耳に囁ける

(香美市・甲藤卓雄)
〇  母が仕舞ふ泳ぎ疲れし鯉のぼり

(合志市・坂田美代子)
〇  一瀑の音一山をゆるがしぬ

(京都市・山田南京豆)
〇  花衣麻痺の半身屹立す

(鹿児島市・青野迦葉)
〇  春泥の靴に始まるサスペンス

(多摩市・吉野佳一)
〇  初鰹速達のごと来たりけり

(秋田市・松井憲一)
〇  万緑の中や原子炉発電所

(東京都・田中隆)
〇  春銀河魚は遡上始めけり

(東京都・望月喜久代)
〇  パンジーに風のさざなみ切れ目なし

(東京都・大木瞳)
〇  万緑に日日吞まれゆく村一つ

今週の朝日俳壇から(5月26日掲載・其のⅡ)

2014年05月28日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(洲本市・高田菲路)
〇  金婚と言ふ移ろひや花は葉に

(養父市・足立威宏)
〇  竹秋の丁寧に拭き孫の尻

(群馬県東吾妻町・酒井大岳)
〇  押し寄せて来る一族や蕨摘む

(北海道別海町)
〇  酪農に生きる頑固や雲の峰

(熊本市・寺崎久美子)
〇  夏の月海のこぼれぬ不思議かな

(みよし市・稲垣長)
〇  さびしらの血をひくわれや走り梅雨

(石川県能登町・瀧上裕幸)
〇  虎杖を噛みて廃校後にせり

(京都市・山口秋野)
〇  流行語嫌いな私亀鳴けり

(さいたま市・大木紺青)
〇  生きている八十八夜の水飲み干す

(秦野市・熊坂淑)
〇  風体は選者のごとし五月闇

今週の朝日俳壇から(5月26日掲載・其のⅠ・)

2014年05月28日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(岩倉市・村瀬みさを)
〇  牡丹の咲く待つ長さ散る早さ

(芦屋市・酒井湧水)
〇  母の日や母に会はざる年重ね

(北見市・藤瀬正美)
〇  紫と白と同じ香ライラック

(小樽市・伊藤玉枝)
〇  まだ風の尖る北海道五月

(横浜市・松永朔風)
〇  新緑を森林浴として愉し

(鹿児島市・青野迦葉)
〇  毎日が弾ける五月来たりけり

(柳川市・木下万沙羅)
〇  開け放つ二階は桟敷舟芝居

(神戸市・涌羅由美)
〇  青麦や風まで青くしてをりぬ

(島根県邑南町・服部康人)
〇  城山をさらに高めし樟若葉

(坂出市・緒方こずえ)
〇  青空となりて際立ち桐の花

今週の朝日歌壇から(5月26日掲載・其のⅣ)

2014年05月28日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(西条市・村上敏之)
〇  九、十一、十三、十四、二十一と二十五条は暗誦できます

(奈良市・直木孝次郎)
〇  わが伯母は戦死の公報さしおきてわが子孤島に住まうと思いき

(福岡市・宮原ますみ)
〇  秋月の風にたゆたひ藤の花二尺三尺音なきしらべ

(南相馬市・池田実)
〇  除染終え飯場へ帰る車窓にはガレキ踏みしめ睨む猪見ゆ

(生駒市・島田征二)
〇  飲み帰り妻と子眠る真夜中の窓に映りし我とまた飲む

(鎌倉市・小島陽子)
〇  植物のふた葉がそっと開くようなまだ朝早い静かさが好き

(名古屋市・諏訪兼位)
〇  河馬と鯨体毛つるり 水に棲み子育てもまた水中なれば

(長野県・沓掛喜久男)
〇  祖父母、父母同じ座敷に死に給ふ吾は所をいづこに得むや

(松阪市・こやまはつみ)
〇  山ひとつ切り拓かれて太陽光発電所建つ木は逃げられぬ

(山形県・佐藤幹夫)
〇  まだあると辛夷ひろぐるわかみどり計りしれざるこの樹液圧

今週の朝日歌壇から(5月26日掲載・其のⅢ)

2014年05月28日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(厚木市・藤本信雄)
〇  物言へば弾き出さるがの雰囲気に集団的自衛権に拍車のかかる

(網走市・寺澤和彦)
〇  湯気の立つホタテの殻が積み込まれ朝のダンプにカモメ群がる

(下野市・石田信二)
〇  田植え待つ水田にガマの声高く筑波の峰は緑きらめく  

(札幌市・藤林正則)
〇  流氷の漂う根室海峡の上空を渡る真雁の群れは

(さくら市・大場公史)
〇  燕飛ぶ隠密・幽霊・蜃気楼は現れません秘密保護法

(前橋市・荻原葉月)
〇  「限定」は「拡大」へ続く恐ろしき道子孫の世想ふ秘密保護法

(奈良市・直木孝二郎)
〇  四人の子つぎつぎ戦死せしという無惨なるかないくさというもの

(八尾市・水野一也)
〇  地元でのコンサートにてとびきりの小節をきかす天童よしみ

(横浜市・飯島幹也)
〇  認知症の母蒲公英の絮を吹く静かなる身に朝日浴びつつ

(東金市・山本寒苦)
〇  原発が点で描かるる地図上に念のためなる同心の円

今週の朝日俳壇から(5月19日掲載・其のⅠ)

2014年05月22日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(別府市・梅木兜士彌)
〇  島国に風の名あまた五月来し

 インターネット上の『風の名称辞典』なるホームページにあたったところ、我が国には、「春風・夏風・秋風・冬風・東風・西風・南風・北風・朝風・昼風・夕風・夜風・暴風・突風・軟風・豪風・陸風・海風・浜風・浦風・谷風・台風・竜巻・山風・川風・河原風・追い風・向い風・旋風・逆風・順風・空っ風・季節風・軽風・木枯し・帆風・松風・神風・そよ風・涼風・微風・温風・冷風・烈風・強風・通り風・隙間風・ビル風・横風・葉風・爆風」などという極く一般的・日常的なものの他に、「あいの風・あゆのかぜ・青嵐(あおあらし)・せいらん(青嵐)・乾の風・あおぎた(青北風)・こち(東風)・あさごち(朝東風)・星の入東風(ほしのいりこち)・盆東風(ぼんごち)・梅東風(うめごち)・桜東風(さくらごち)・雲雀東風(ひばりごち)・ならい(西風)・おげたならい・はえ(南風)・くろはえ(黒南風)・しらはえ(白南風)・朝嵐・朝戸風・明日香風・仇の風・あつかぜ(温風)・あなじ(乾風)・あぶらかぜ(油風)・天つ風・家風(いえかぜ)・韋駄天台風・いなさ・辰巳の風・いぶき・色風・岩おこし・海軟風・うわかぜ(上風)・永祚の風・煙嵐・荻風・沖つ風・おぼせ・おろし(颪)・筑波おろし・赤城おろし・六甲おろし・オロマップ・海軟風・凱風・花信風・火風・神風・かりわたし(雁渡)・暁風・金風・葛の裏風・薫風・勁風・恵風・黄雀風・恒信風(貿易風)・光風・好風・恒風・黒風・だし・木の下風・木の芽風・佐保風・朔風・砂塵嵐・小夜嵐・小夜風・浚いの風・地嵐・潮追風・潮風・鹿の角落とし・疾風(はやて)・科戸(しなと)の風・しまき(風巻)・霜風・秋嵐・しゆたらべ・松籟・松韻・信風・晨風・陣風・塵風・裾風・清風・凄風・腥風・晴嵐・関風・袖の羽風・高西風(たかにし)・卓越風・だし・出し風・太刀風・矢風・束風・玉風・筑波東北風(つくばならい)・手風・天狗風・天風・木の芽流し・茅花流し・鳰の浦風・野分き・野分の南風・初秋風・初嵐・初風・初瀬風・花嵐・葉風・花風・春嵐・春一番・春疾風(はるはやて)・ひかた・飄風・平野風(ひらのかぜ)・舞台風・へつかぜ(辺つ風)・恋風・魔風・まじ(真風)・まつぼり風・八重の潮風・山颪(やまおろし)・山下風・山背・夕嵐・雄風・夕下風・夕山風・雪嵐・雪風・夜嵐・横しま風・四方の嵐・夜半の嵐・陸軟風」といった、それだけで俳句や短歌の題材となるような名称の風まで、数えきれない程多くの風の名称が列挙されていた。
 となると、「島国に風の名あまた五月来し」とは、真に以って我が国の気候風土を捉え得た認識である。
 本作の作者・梅木兜士彌さんは、鯉幟をはためかせて吹くそよ風を肌で感じながら、「粽喰ふ吾もをとこや五月晴れ」といった気分になっているのでありましょうか?
 〔返〕  時折は真鯉緋恋が縺れ合ひ五月五日は端午の節句


(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇  菜の花や古城の牢は深き穴

 ベルギー南部の「ラヴォー・サンタンヌ城」などの西欧の「古城」の奥に秘められた「深き穴」こそは、その昔、国王の暗殺を企てた政治犯や敵国の使者などの罪人たちを幽閉していた牢獄の痕跡なのである。
 で、それらの牢獄に幽閉されていた人々の中には、女性の色香に迷って政治をかまけていた国王や大臣たちの魔手から逃れて、国外に逃亡を図ろうとしていた若い男女なども多くいたので、それから数百年を経た今になっても、それらの「深い穴」の底からは、夜な夜な若い男女の悲鳴が聴こえて来るのである。
 〔返〕  煉獄に喘ぐ囚徒の苦しみをモーレンカンプふゆこは知らず


(前橋市・荻原葉月)
〇  億万の蚕を連れて母逝けり

 明治大正期の群馬県は我が国きっての蚕業地であった。
 群馬県内各地の名も無い女性たちの手に拠って生産されたの繭の生産量は全国のそれの約4割を占め、その多くは富岡製糸場などの大手の生糸生産業者の工場に涙の出るような安い値段で買い取られて行って生糸に加工され、その大多数は横浜港から荷積みされ、欧米の先進国に見習って軍国主義国家を標榜せんとしていた我が国が、外貨を稼ぐ手立てとされていたのである。
 掲歌の作者・荻原葉月の「母」も亦、群馬県内の他の多くの女性たちと同様に、その全生涯を通して繭生産に従事し、繭に生き繭に死んだ名も無い女性の一人であったに違いありません。

(名古屋市・中野ひろみ)
〇  城に過去あり新緑に未来あり  

(合志市・坂田美代子)
〇  はるかより人呼んでゐる桐の花

(八王子市・大串若竹)
〇  馬柵越えて夏蝶馬に逢ひにゆく

(米子市・中村襄介)
〇  村廃れ人恋しさに亀の鳴く

(秋田市・松井憲一)
〇  夏隣り除染の山の影長し

(東京都・おがわまなぶ)
〇  衣更昭和の皺の現るる

(静岡市・松村史基)
〇  拡声器よりメーデーの動き出す

今週の朝日歌壇から(5月5日掲載・其のⅡ・必読決定版)

2014年05月19日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(東京都・土屋喜郎)
〇  伊豆の「づ」と不来方の「ず」とを聴き分くるいにしへ人に会ひたきものを

 初めに述べておきますが、掲歌は一首全体が一文から成り立っているものであり、上の句と下の句との区別が無い、一本の延べ棒のものでありますが、論旨展開の都合上、甚だ勝手ながら、以下、作品中の「伊豆の『づ』と不来方の『ず』とを聴き分くる」という十七音を「上の句」とし、「いにしへ人に会ひたきものを」という十四音を「下の句」として、述べさせていただきます。
 私見に拠ると、この一首の重量は、「伊豆の『づ』と不来方の『ず』とを聴き分くる」という上の句よりも「いにしへ人に会ひたきものを」という下の句の方により重く圧し掛かっているように思われる。
 つまり、本作の作者・土屋喜郎さんは、本作を通じて「いにしへ人、即ち今となっては会おうと思っても会うことが叶わぬ昔人に会ってみたいものだ」という、自らの願望を述べているのである、と私には思われるのである。
 然し乍ら、「いにしへ人」と言ってもその種類は多種多様であり、本作の作者である土屋喜郎さんや、本作を朝日歌壇の首席入選作品として私たち読者に提示し顕彰して居られる選者の佐佐木幸綱氏や、朝日歌壇の読者の一人である私にとっては、佐佐木幸綱氏の今は亡き御祖父・佐佐木信綱翁も、大阪城の御金蔵を破った天下の大泥棒・石川五右衛門も、歌聖・柿本人麻呂も、「いにしへ人」である事には変わりがない。
 然るに、本作の作者・土屋喜郎さんは、斯く多種多様に存在する「いにしへ人」の中から、殊更に佐佐木信綱翁や石川五右衛門や柿本人麻呂を選ばずに、「伊豆の『づ』と不来方の『ず』とを聴き分くるいにしへ人」を特定して選び、そうした種類の「いにしへ人に会ひたきものを」と述べているのである。
 という事になると、「本作の重量は上の句よりも下の句により重く圧し掛かっている」とした、先刻の私の主張も拙速的な判断として取り消さなければならないことになり、それと同時に、本作の作者・土屋喜郎さんは、多種多様に存在する日本人の中でも、取り分け音韻学に興味をお持ちの日本人なのかも知れないとも判断されるのである。
 私がたった一人の連れ合いや数多くの知友たちから指摘される性格的な欠点の一つは事を急ぎ過ぎることである。
 となると、私は彼らの御恩に報いる為にも、私自身の性格上の欠陥を糺す為にも、拙速を厳に慎まなければならないし、掲歌に就いてもう少し冷静に考えてみなければなりません。
 こうした反省点に立って、掲歌に就いて冷静に考えてみると、私が提示した先程の判断、即ち「本作の重量は上の句よりもより重く下の句を圧し掛かっている」いう判断ばかりではなく、それを斥けた時点で下した私の判断、即ち「本作の作者・土屋喜郎さんは多種多様に存在する日本人の中でも、取り分け音韻学に興味をお持ちの日本人なのかも知れないと判断される」という判断も亦、拙速的なものとして斥けなければならないことになりましょう。
 何故ならば、作者・土屋喜郎さんは、本作に於いて、単に「平仮名の『つ』に濁点を振った音韻の『づ』と平仮名の『す』に濁点を振った『ず』との違いを聴き分くるいにしへ人に会ひたきものを」と述べているのではなく、「伊豆の『づ』と不来方の『ず』とを聴き分くるいにしへ人に会ひたきものを」と述べているのであり、この作品の中で音韻の聞き分けの事例として挙げられた地名、即ち「伊豆」と「不来方」とは、私たち短歌を事とする人種にとっては取り分け馴染みの深い地名、即ち「歌枕」とも言うべき地名だからである。
 今更、取り立てて説明するまでもなく、「箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」とは、彼の『金槐和歌集』にも入集している右大臣・源実朝の名作であり、「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」とは、人口に遍く膾炙した石川啄木の遺した名作であるから、本作の作者・土屋喜郎さんはこの作品を通じて、ご自身が我が国の音韻史に通じた人間であることをひけらかすと同時に、ご自身が底の浅い短歌通である事をも、朝日歌壇の選者諸氏や私たち読者にひけらかそうとしているのかも知れなくて、その事は何よりも、土屋喜郎さんご自身が知ったかぶりをしたい種類の人間であることを証明し、選者の佐佐木幸綱氏は、まんまとその底の浅い罠に嵌ってしまうような種類の好人物である事を証明している、のかも知れません。
 よくよく考えてみると、東京都にご在住の土屋喜郎さんという歌詠みは、場所柄も弁えずに、かなり七面倒臭いことを言い出したものであり、本作を通じて自らの知ったかぶりのご性格を暴露し、萬天下に恥を曝したのではあるが、その恥多き作品の出来栄えに就いては、いわゆる「認識の歌・気づきの短歌」として、それなりの評価を与えても宜しいのかも知れません。
 私見に拠ると、選者の佐佐木幸綱氏は、歌学の家・佐佐木家の父祖の方々と比較的に、ご自身の教養の程度がいささか浅いことを必要以上に強く認識し、そのことを深く恥じて居られる方のように思われ、彼が投稿者・土屋喜郎さんの底の浅い陥穽に嵌ってしまった原因の一つは、氏ご自身のそうした生真面目なご性格にあるのかも知れません。
 ということになると、佐佐木幸綱氏のようなお家柄に生まれ育ち、将来、歌人として立つことを運命づけられた者は、下手なラグビーなどに興じたりせずに、弱年の頃から刻苦して勉学に励み、家学に就いての本格的な知識を身に付けておかなければならなかった、ということになり、只のどん百姓の三男に生まれた私の半生は、身に就いた教養の度合はともかくとして、碌々勉強もしないくせして、遣りたい事を遣りたい放題に遣り、言いたいことを言いたい放題に言っている分だけ、佐佐木幸綱氏と比較しては幸せだったのかも知れません。
 これまた、拙速的な判断でありましょうか?
 〔返〕  「絆」とは「つな」にはあらで「すな」ならむ故に「きづな」否「きずな」とは訓む
      「すな」なれば波に浚はれ崩れなむ脆きはずなり「絆」とふ語は


(東京都・西出和代)
〇  コピペ批判してるデレビが新聞と雑誌で作るワイド番組

 「小保方さんブーム」に乗っかろうとの目論見の下に詠まれた作品ではありましょうが、如何せん文意が極めて不明瞭である。
 それにしても、語順や言い方があまりにもたどたどしくはありませんか?
 まるで、赤ちゃんが口にする喃語みたいである。
 世相を批判したり皮肉ったりしようとする者は、もう少し確かな表現技術を身に付けなければなりません。
 〔返〕  新聞や雑誌の記事をコピペしてでっち上げたるテレビ特報


(熊本市・近藤史紀)
〇  君といた頃の自分とすれ違う「次、はいぬづか」羽犬塚駅

 本作もまた、意味不分明なる作品である。
 本作を通じて作者の言わんとするところは如何なるところでありましょうか?
 「羽犬塚駅」という珍名の駅は単なる装飾に過ぎなくて、作者・近藤史紀さんの意図するところは、「失恋の痛手の告白と懐旧の思い」に在るのか?
 それとも、「羽犬塚駅」という珍しい名称の駅は、本作の内容に見掛け以上に大きな役割りを果たしているのか?
 「永田和宏選」十席の作品と言い、本作と言い、今週の近藤史紀さんはどうかしている?
 人間は、特に若い男性は、恋をしてしまうとこんなにも頭脳の回転が狂ってしまうものなのか?
 私(鳥羽省三)も未だ若年にして、多分に恋に憧れるような傾向を持っているから、世間様からいろいろ取沙汰されたり、辱めを受けたりしないようによくよく注意しなければなりません。
 〔返〕  「羽犬塚」珍な駅名 君と逢ひ君に振られし想ひ出の駅


(東京都・津和野次郎)
〇  定年の友を横目にキリギリス我は日銭で不良続ける

 「花の東京住まいの津和野次郎さんよ!一口に『不良』ったって、あんた、いろんな段階が在りますよ!」
 「額に汗してやっとこさ稼いだ日銭で以って続けられる不良なんて、どうせ高が知れていますよ!」 
 「還暦を過ぎたのに未だにパチンコ屋通いを止められない、とか。週に二日は平和島競艇場のスタンドの椅子に腰掛けずには居られない、とか。あんたなら、どうせ、その程度の不良を遣っているに過ぎないのでしょうが!」
 「それくらいのことで、不良なんて上等な言葉を口にしたら、賭博狂い、妾狂いで身上を潰してしまった男の三男として生まれてしまったばっかりに、さんざっ腹、浮世の風の冷たさを味わっているこちとらとしては、ちゃんちゃら可笑しくで笑いたくもなりますよ!」
 「なに、キリギリスだと!聴いて呆れるわい!あんたみたいな低レベルの不良のことを、世間では『着たきりスズメ』ってんですよ!笑わせなさんな!キリギリスが聴いて呆れますよ!キリギリスの対面にいる蟻からだって笑われますよ!日当たりの悪い畑の隅に棄てられているちびた胡瓜みたいな面相をして気取るなってんだ!カッコ付けるなってんだ!」
 なんちゃったりして、今日の鳥羽省三は、御機嫌がかなり斜めである。
 隣近所の噂に拠ると、昨晩の十一時過ぎに、鳥羽邸の門前に警察車両が三台停まっていたとか?いなかったとか?
 例のASUKA(著名なASKAとは別人)逮捕騒動に、彼も一枚絡んでいるとか?いないとか?
 そういう訳ですから、東京都にお住いの津和野次郎さん、今回の彼の悪口雑言は、私に免じて赦してやって下さい。
 〔返〕  年金で口に糊して暮らしてる!不良やってる余裕など無し!


(坂戸市・納谷香代子)
〇  抽象画のやうな桜が沼の面に映りて吾こそ本物と言ふ

  一首の意は、「『抽象画のやうな桜』が『沼の面』に影を映して咲いているが、その有り様は、『吾こそ本物(の桜である)』と威張っているような感じである」といったところでありましょうか?
 本作を通じて、作者の言わんとするところは私にも解らないではありません。
 だが、それにしても、「抽象画のやうな桜」とは、あまりにも乱暴でお粗末な言い方ではありませんか?
 〔返〕  靖国の社の杜の奥つかた桜咲くてふ血染めの桜


(熱海市・山口智恵子)
〇  退院後のばあちゃんことこと蕗を煮るまにあった春に感謝するよう

 私見ではありますが、「まにあった春に感謝するよう」という下の二句は、あまりにも幼稚でたどたどしい感じのする表現と思われる。
 更に付け加えて言えば、冒頭に置かれた「退院後の」という六音の効果には、大きな疑問が感じられてなりません。
 作者の山口智恵子さんは、冒頭に置いた「退院後の」という字余り句で以って、「作中の『ばあちゃん』が本復してすっかり元気になった」と述べたかったのでありましょうか?
 それとも、「退院して間も無いのにも関わらず」と述べたかったのでありましょうか?
 本作をお詠みになられるに当たっての山口智恵子さんの気持ちの中に、仮初にも「ばあちゃんが蕗を煮ている光景を描くと、それが即ち短歌になる」といった考えが在ったとしたならば、それはあまりにも安易な考え方でありましょう。
 〔返〕  昨夜(よべ)までは病の床に臥したるも今朝は置き出で蕗など煮をり
 

(柏市・青木真理)
〇  定年の萎んで見える花束を抱えて帰る人波の中

 定年退職当日を迎えた者の、長年に亘って勤め上げてきた職場や仕事仲間たちに対する思いは、人さまざまでありましょう。
 察するに、本作の作者・青木真理さんの当日の気持ちの中には、「明日からはこの職場に通わなくてもいい。明日からは彼らと一緒に仕事をしなくてもいい」といった類の、職場や仕事仲間に対する密やかで微かな嫌悪感を伴った安堵感といったような思いが在ったのかも知れません。
 だとすれば、その時の彼女の気持ちの中には、大きな徒労感と共に単なる徒労に過ぎなかった仕事に長年従事して来なければならなかったご自身に対する憐憫の思いも在ったはずである。
 本作は、勤め先や職場の仲間から贈られた貧弱な花束を抱えて「人波の中」を家路へと急ぐ時の作者の万感の思いが託された一首でありましょう。
 〔返〕  一束の薔薇の淡さに込められし吾とふ者の存在感よ


(いわき市・馬目弘平)
〇  放射能塗れになりて肌出して戯れて笑ふて羅漢は御在す

 「件の『羅漢』が『放射能塗れになりて戯れて笑ふて』いる」という作者の捉え方は、被災地・福島の住民としての作者の思い入れが、多分に手伝っての事と私には思われる。
 〔返〕  諸肌を雨に曝して洗はれて笑ひて御在す東堂山の羅漢


(田辺市・石垣多鶴子)
〇  大間にて反原発の遺志を継ぐ厚子さん待つ草餅作りて

 本作が入選した理由の一端は、「反原発を主題にした」という点にもありましょうが、それが理由の全てとは思われません。
 だとすれば、残るところは「厚子さん待つ草餅作りて」という個人名入りの下二句に在るのかも知れません。
 〔返〕  冷凍の大間鮪を携えて厚子さんが来る草餅作ろう


(富山市・松田梨子)
〇  走るたび私のどこかでリンリンと鈴が鳴る入学式の朝

 あまりにも育ちが良過ぎてなのか、人生経験が浅過ぎてなのかは定かではないが、「走るたび私のどこかでリンリンと鈴が鳴る入学式の朝」とは!
 「入学式の朝」は同じ年頃の少女の誰にとっても「リンリンと鈴が鳴る」朝であるとは限りません。
 松田梨子さんのこれからの朝は、いつもいつも「リンリンと鈴が鳴る」朝であるとは限りません。
 〔返〕  リンリンと鈴が鳴る朝 再びは巡り返らぬ入学式の朝 

今週の朝日俳壇から(5月19日掲載・其のⅣ)

2014年05月19日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(東京都・池田合志)
〇  灼熱の大地に眠る友の墓

(うきは市・江藤哲男)
〇  弟となる兄となる双幟

(調布市・滝澤達郎)
〇  江戸つ子ぢやございませんが初鰹

(八王子市・中野公一)
〇  日向にも日陰にも咲き著莪の花

(渋川市・山本素竹)
〇  花の下なにを注ぐのも紙コップ  

(東京都・矢野美与子)
〇  全句集春よ春よとめくるかな

(塩尻市・古厩林生)
〇  風船の探してをりぬ風の道

(岡山市・三好泥子)
〇  文楽座出て法善寺春惜しむ

(愛西市・小川弘)
〇  図書館を出て藤の道帰りけり

(東京都・徳竹邦夫)
〇  いろいろな厨の音や春惜しむ

今週の朝日俳壇から(5月19日掲載・其のⅢ)

2014年05月19日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(三郷市・岡崎正宏)
〇  大統領花冷のごと去りにけり

(熊谷市・時田幻椏)
〇  囀りの必死を聴けり吾もまた

(神戸市・森木道典)
〇  日は日なり我は我なり花は葉に

(東京都・宮野隆一郎)
〇  職辞して手ぶらで蝶を追ひゆけり

(川越市・渡邉隆)
〇  切絵師は紙を動かし鳥雲に

(三重県南伊勢町・西村栄夫)
〇  燈涼し茶粥を啜りひびかする

(塩釜市・佐藤龍二)
〇  夏だから私も走る能登半島

(埼玉県宮代町・酒井忠正)
〇  島の子に蛇は友垣戯れあへり

(長岡京市・寺嶋三郎)
〇  福島に帰る帰れぬ櫻かな

(山梨県市川三郷町・笠井彰)
〇  強権の突走る憲法記念の日

今週の朝日俳壇から(5月19日掲載・其のⅡ)

2014年05月19日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(東京都・田治紫)
〇  葉桜に絹の雨散る目黒川

(大阪市・山田天)
〇  霞とは富士を隠してしまふほど

(長野市・縣展子)
〇  一切を尽して花の散りにけり

(寝屋川市・岡西恵美子)
〇  渡り石勿忘草の中にあり

(相模原市・石田わたる)
〇  気がつけば湖の色まで万緑に

(豊中市・堀江信彦)
〇  藤浪の少し遅れて香りけり

(神戸市・池田雅一)
〇  満開の桜に月の静心

(高松市・桑内繭)
〇  落花てふ音なき音を積む大地

(富津市・三枝かずを)
〇  春愁をまとひし影を草に置く

(宝塚市・松井由紀子)
〇  落選の俳句供養や木下闇

今週の朝日歌壇から(5月19日掲載・其のⅣ)

2014年05月19日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(南相馬市・池田実)
〇  どれくらい除染すれば人は帰るだろう自問を胸に刈る浪江の草花

(大和郡山市・四方護)
〇  人間の数より若干少なめの鹿渡りゆくスクランブル信号

(西条市・村上敏之)
〇  徴兵のなき世を憶ひ感謝せよと次男の父は次男の吾に言ふ

(東京都・豊英二)
〇  百体の木彫りの仏像一体ずつ横に寝かせて閉館の五時

(富山市・松田梨子)
〇  新しい私に会ってみたくなり入部を決めた自然科学部

(東金市・山元寒苦)
〇  ひんがしに朝日のぼれば田の二枚かけて水面に電柱の影

(御所市・内田正俊)
〇  ビルのクレーンアーム振る下春闘の雨に気勢を上げいるらしも

(横須賀市・梅田悦子)
〇  キビタキの胃に筋肉に放射能のシミ映し出す写真哀しき

(名古屋市・中村桃子)
〇  こんな時ばあちゃんがいてくれたなら思い出せない野の花の名まえ

(弘前市・神滋子)
〇  「ノンアルにして」と勧める娘等に「あるアルがいい」と愚かなる母

今週の朝日歌壇から(5月19日掲載・其のⅡ)

2014年05月19日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(さいたま市・田中ひさし)
〇  「しょうがない」は日本人の悪いくせ九条原発秘密保護法

(新発田市・和田桃)
〇  言葉替えどんどん浸食されるのか誇りに思いいし平和憲法

(千葉県・野村桂子)
〇  知り合いについ話しちゃう弱いんだ夫の意識もどらないこと

(京田辺市・藤田佳予子)
〇  すっきりと片付いた部屋の味気無さ散らかすあなたがいないさみしさ

(水戸市・檜山佳与子)
〇  棒になど振つてゐないよお父さんあなたに一日付き添つた日は

(川越市・小野長辰)
〇  池の辺は冬眠をする土がない成田山の亀早春泳ぐ

(東かがわ市・桑島正樹)
〇  思ひ出し笑ひの如く風車風行き過ぎてより廻り初む

(福島市・美原凍子)
〇  麦飯にとろろをかけてふるさとはあたたかかったかい 弟よ

(呉市・天野弘士)
〇  「鬱」という濃霧の中に紛れ込む妻よ出口を共に探そう

(東京都・宮野隆一郎)
〇  車椅子のきみの春愁晴れるまでけふは行きたきところまで行く

今週の朝日歌壇から(5月19日掲載・其のⅠ)

2014年05月19日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

(南相馬市・池田実)
〇  除染する熊手の上に降る花弁愛でられず散る浪江の桜

(さいたま市・箱石敏子)
〇  白つつじふふふふふうふ溢れ出で見知らぬまちを訪ねたくなる  

(東京都・上田結香)
〇  半分このサンドイッチがおいしくて今年最初のアイスコーヒー

(東かがわ市・桑島正樹)
〇  思ひ出し笑ひの如く風車風行き過ぎてより廻り初む

(松山市・二神貴美恵)
〇  咲き誇りはげしく舞ひて散りしのちゆるぎなき妊婦のごとき葉桜

(群馬県・新井正治)
〇  風月もグローバル化し北米の月出帯食テレビに映る

(熊本市・横手まゆみ)
〇  ゴツゴツといかにも育ち損ないの菊芋素揚げて塩振れば「乙」

(福生市・斉藤千秋)
〇  幸せは小さきが良い夫婦なり散歩の途中芋のコロッケ

(富山市・松田梨子)
〇  新しい私に会ってみたくなり入部を決めた自然科学部

(富山市・松田わこ)
〇  名前順背の高さ順に並ぶたび友達ができるうれしい4月