臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「勺禰子さんの短歌」鑑賞

2017年05月14日 | ブログ逍遥
短歌人 2010年5月号卓上噴水 
  暗越(くらがりごえ)奈良街道  勺 禰子(しゃく・ねこ)
                             
猥雑にくりかへしては生れ消ゆる町に街道あまた交差す

鶴橋は焼肉のみがにほふではあらで鮮魚のあかき身にほふ

行き先は「鮮魚」と示されエプロンの伊勢湾の人ら乗る鮮魚列車

生きてゐたもののにほひがきはまりて鶴橋人情市場は充ちる

両岸に茶屋ありしといふ二軒茶屋跡から暗峠を目指す

旧道を辿り暗峠まで今日のふたりとして今日をゆく

すひかけのつつじがいきをふきかへしすひかへすやうなくちづけをする

きちんと育てられたんやねと君は言ふ私の闇に触れてゐるのに

夜が白みはじめるころにふくらみを増しくる咎を抱きつつ眠る

誰一人包むことなくひつそりと山に抱かれ眠る廃村

この雨と湿気を吸ひし十津川の黒き森育つやうに止まらぬ

野良猫は飼へぬわたしもそのやうなもので互ひの視線を逸らす

思ひ出せぬことだとしても前世をつぐなへと奈良はしづかに告げぬ

吉野葛白いダイヤをやはらかくふふめばやはらかに溶けてゆく

足早にゆく君の朝思ひつつ私も歩幅を整へてゆく

吉野では「鬼も内」だと君がいふ今年の桜はひとかたならず

残された後のひとりを思はせて乗り換へる山のホームは寒い

はつきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり

相聞のかぎりと思ふ峠からみえる道行きみえぬ道行き

君を待つ峠の茶屋でひとり待つ夢の中では森はやさしい


短歌人 2017年5月号  南都八景
リヤカーで押して担いで根のついた竹を運びぬ二月堂まで

南円堂前の燈籠らくがきも墨ゆゑ残ると君が指さす

プラスチックの芝生保護材あらはなり猿沢池の柳の下に

今はなき轟橋の敷石をいまだ観光気分で踏みぬ

越えずにはどこにもゆけぬ佐保川に日ごとふくらむ桜のつぼみ

しかせんべい知らぬ個体もありぬべし聖武天皇陵に住む鹿

鹿の毛並みも若草山も写真とは違ふ景色があるあたりまへ

少しづつ日常になる奈良のまち自転車にのり雲居坂のぼる


短歌人 2017年4月号  宇和奈辺小奈辺
佐紀の地に前妻後妻もろともに仁徳なる人いまだ眠れず

陵墓参考地ふたつを割つて南端に瓦屋根つけて奈良基地はあり

稚拙な愛にあふれて「空が好き!」といふ戦闘機かがやく青きポスター

偽物の大極殿の上空にブルーインパルス描くハート型の雲

朝靄の大極殿の鮮やかな朱塗りはぶざま 荒野が恋し

短歌人 2017年3月号  追鶏祭(とりおひさい)
見えぬ鶏を追ふ所作三度繰り返す午前三時の妖しき境内
 
さまざまな罪を塗りつけられながら生きてきた鶏はそれも知らずに
 
禁忌とは渇望をさす行為ゆゑ追ひ払はれることのすがしさ
 
息長帯比売命の怒りに流されし鶏がひそかに今を息衝く
 
養鶏を奨励したといふ宮司大正デモクラシーの曙光浴びつつ
 
「たつた揚げプロジェクト」の幟はためいて竜田川に放たれし鶏をおもほゆ


短歌人 2016年11月号  新しき世界
並びゆけば肩も触れ合ふ細き細きジャンジャン横丁をかの日あゆめり

   発祥と言はれしも

千成屋珈琲店のミックスジュース飲んだかどうかの記憶おぼろに

奥の席で話し込みしをいつしかに店のおばちやんが相槌ち打てり

   ひそと閉店

意外にも珈琲は洗練されて千成屋珈琲店は雑味なき店

ニュー・ワールドへたどり着くため冬の寒い雨の新世界をきみとあゆめり

見下ろせば瓦屋根多きこの街の初代通天閣の絢爛

恵美須東といふ町名はありながら常にひらけてゆく新世界



「本田瑞穂歌集『すばらしい日々』」鑑賞

2017年05月12日 | 諸歌集鑑賞
○  まひるまにすべてのあかりこうとつけたったひとりの海の記念日

○  髪の毛のかかる視界でこの町を見ていたのびていくあいだじゅう

○  双子座をわたる惑星心臓の音が聴こえてきそうなくらい

○  誰も知らないことなのに両腕に鳩をあつめるあのおじさんは

○  はじめからゆうがたみたいな日のおわり近づきたくてココアをいれる

○  コーヒーをむらすたまゆら香りたちひとり暮らしで覚えたことは

○  バスタブに水を満たして一日の確かに冷えてゆくまでを見る

○  そういえば、友の便りに先の夫父になったと知る春炬燵

○  ソメイヨシノの泡いっぱいの窓ガラス 父はチューブで生かされ眠る

○  ひとは行くさくらの下をほほえんでひとりにならないように探して

○  晴れの日も自分の好きな色ひとつうしなっているこのごろの母

○  まっしろなさくらのかげがひらひらと落ちてくる橋母と渡りぬ

○  おまえは、おとうさん似と母が言うわたしの顔を見もせずに言う

○  稲の穂がさわぐわたしは母の手をひいていかねばならないだろう

○  からからとマーブルチョコはちらばって風邪ひきの日の夢のあかるさ

○  なかゆびのゆびわがひかる急に日が落ちたとおもう鏡の中で

○  手づかみで落したケーキひろいおりきのうの夢の瑞々しくて

○  夏ごとに黒くなる腕過ぎてきたひかり確かに刻まれてゆく

○  からからとマーブルチョコはちらばって風邪ひきの日の夢のあかるさ

○  すなどけいおちていくのをさいごまでみていたご飯の支度しなくちゃ

○  一日はすぐ四時になる食べかけたチーズケーキの思わぬ甘さ

○  なかゆびのゆびわがひかる急に日が落ちたとおもう鏡の中で

○  きょうまでのことをひとつのお茶碗ですませるような夜をつくろう

○  思い出の指輪をバケた歯ブラシでみがく あしたの天気予報は

○  三人だけの家族を照らす店灯りぜったい変わることのないもの

○  眠る前顔を洗っている母の音まだなのかもう終わるのか

○  病院の庭といるのはさみしくてきょう一日はなんの一日

○  この家の鍵を上手にあけるのは弟だけのわたしの家族

○  弟はわたしにつかめない空のなかを飛びおり生業として

○  友はいま舞台の上で琴を弾く海のむこうで生まれたひとと

○  ひとは行くさくらの下をほほえんでひとりにならないように探して

○  冬の陽は平等に射す街路樹も人も車も色を失う

○  八階の窓から見える艶のない街にコップの水をかけたい

○  地下鉄で卒園式の子を連れた人の現実感と行き会う

○  引越しの荷物見送り泣いていた友を今夜はわが家に泊める

○  忘れ物とりに戻った玄関のおぼえていたい靴の大きさ

○  どうしたら枯れるのだろう君といた五月の緑のような記憶は
 
○  踏切でひとの叫びに似た音がしたわたしいまここにいたのに

○  すばらしい日々を半音ずつ上がり下がりしながらやがて忘れる

○  澄んでいく町に味方はいらなくて帽子を深く被って歩く

○  言い訳も美談も恋も謙遜もなくて田んぼのなかの鉄塔

○  ぬけだしたみどりほうれん草よりもみどりの水となって流れる

○  受け止めることのできないあたたかい言葉残らずこの身を通れ

○  そろばんの背で線を引く母の引く境界線の今日はうちがわ

○  ひざこぞううつくしいのはつくりものきみはひとりで見つけなさいね

○  おかえりなさい海の色したブルドーザー町をひたひたくずしていく

○  すばらしい日々を半音ずつ上がり下がりしながらやがて忘れる

○  稲の穂がさわぐわたしは母の手をひいていかねばならないだろう

○  じゅんばんに遠いところへ近づいていく信号は青にかわって
 

「虫武一俊歌集『羽虫群』」鑑賞

2017年05月10日 | 諸歌集鑑賞
○  舞う虫が織り成す闇と光との秀逸な対比のレトリック

○  目の前に黒揚羽舞う朝がありあなたのなにを知ってるだろう

○  羽虫どもぶぶぶぶぶぶと集まって希望とはその明るさのこと

○  よれよれのシャツを着てきてその日じゅうよれよれのシャツのひとと言われる

○  鴨川に一番近い自販機のキリンレモンのきれいな背筋

○  この夏も一度しかなく空き瓶は発見次第まっすぐ立てる

○  立ち直る必要はない 蝋燭のろうへし折れていくのを見てる

○  あすはきょうの続きではなく太陽がアメリカザリガニ色して落ちる

○  ゆるしあうことに焦がれて読みだした本を自分の胸に伏せ置く

○  殴ることができずにおれは手の甲にただ山脈を作りつづける   

○  くれないの京阪特急過ぎてゆきて なんにもしたいことがないんだ

○  草と風のもつれる秋の底にきて抱き起こすこれは自転車なのか   

○  口笛を吹いて歩けばここに野の来る心地する 果てまで草の    

○  ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす

○  ああここも袋小路だ爪のなかに入った土のようにしめって

○  マネキンの首から上を棒につけ田んぼに挿している老母たち

○  いつも行くハローワークの職員の笑顔のなかに〈みほん〉の印字

○  雨という命令形に濡れていく桜通りの待ち人として

○  思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向かいにすわる

○  ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段

○  目撃者を募集している看板の凹凸に沿い流れる光

○  ゆきのひかりもみずのひかりであることの、きさらぎに目をほそめみている

○  県道を越えてみどりのコンビニへ行く無保険のからだがひとつ

○  「生きろ」より「死ぬな」のほうがおれらしくすこし厚着をして冬へ行く

○  あかぎれにアロンアルファを塗っている 国道だけが明るい町だ

○  この夏も一度しかなく空き瓶は発見次第まっすぐ立てる

○  他人から遅れるおれが春先のひかりを受ける着膨れたまま

○  目撃者を募集している看板の凹凸に沿い流れる光

○  おれだけが裸眼であれば他人事に眼鏡交換パーティー終わる

○  この海にぴったりとした蓋がないように繋いだ手からさびしい

○  献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後

○  一語一語をちゃんと区切って話されてなにが大事なことだったのか

○  電柱のやっぱり硬いことをただ荒れっぱなしの手に触れさせる

○  満開のなかを歩いて抜けてきたなにも持たない手にも春風

○  リニューアルセールがずっとつづく町 夕日に影をつぎ足しながら

○  しあわせは夜の電車でうたた寝の誰かにもたれかかられること

○  螺旋階段ひとりだけ逆方向に駆け下りていくあやまりながら

○  少しずつ月を喰らって逃げている獣のように生きるしかない

○  生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている

○  走りながら飲み干す水ののみにくさ いつまでおれはおれなんだろう

○  情けないほうがおれだよ迷ったら強い言葉を投げてごらんよ

○  弟がおれをみるとき(何だろう)黒目の黒のそのねばっこさ

○  丁寧に電話を終えて親指は蜜柑の尻に穴をひろげる

○  電柱のやっぱり硬いことをただ荒れっぱなしの手に触れさせる

○  へろへろと焼きそばを食う地下二階男五人の二十三時に

○  職歴に空白はあり空白を縮めて書けばいなくなるひと

○  三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息

○  もうおれはこのひざを手に入れたから猫よあそこの日だまりはやる

○  行き止まるたびになにかが咲いていてだんだん楽しくなるいきどまり

○  異性はおろか人に不慣れなおれのため開かれる指相撲大会

○  いま高くはじいたコインのことをもう忘れてとびっきりのサムアップ

○  なんとしてもこの世にとどまろうとしてつぱつぱ喘いでいる蛍光灯

○  胸を張って出来ると言えることもなくシャツに缶コーヒーまたこぼす

○  のど飴をのどがきれいなのに舐めて二十代最後の二月を終える

○  恋人はおらず、たぶん童貞。そのことでまたくよくよしたり。

○  思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向かいにすわる

○  ラブホテルの名前が雑で内装はこのまま知らず死ぬことだろう

○  唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている

○  相聞歌からほど遠い人里のわけのわからん踊りを見ろよ

○  三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息

○  たぶんこの数分だけの関係で終わるのにおれの長所とか訊くな

○  関西にドクターペッパーがないということを話して終わる面接

○  なで肩がこっちを責めていかり肩が空ろに笑う面接だった

○  この先はお金の話しかないと気づいて口を急いでなめる

○  さくらでんぶのでんぶは尻じゃないということを覚えて初日が終わる

○  敵国の王子のようにほほ笑んで歓迎会をやり過ごす

○  終業はだれにでも来てあかぎれはおれだけにあるインク工場

○  吐きそうが口癖になる 吐きそうが同僚たちに広がっていく

○  呼べば応えてくれる仕組みを当然と思うなよ頬に照る街明かり

○  もう堪えきれなくなって駆け込んだ電車のつり革の赤いこと

○  水を飲むことが憩いになっていて仕事は旅のひとつと思う

○  二十一の小娘に頭を下げて謝りかたを教えてもらう

○  あかぎれにアロンアルファを塗っている 国道だけが明るい町だ

○  生命を宿すあなたの手を引いて左京区百万遍交差点

○  行き止まるたびになにかが咲いていてだんだん楽しくなるいきどまり

○  春の雨 器用さのない一例にカレー屋でナンちぎりきれない

○  傘袋、傘より脱げてはるざむの街の路面に溶かされてゆく

○  「正社員登用あり」と記された求人広告も花まみれ

○  ウォシュレットを取り付けているさびしさは便器に顔を寄せていること

○  商売と生活をつなぐ道に沿いビル立ち並び、その窓の空

○  ジャム売りや飴売りが来てひきこもる家にもそれなりの春っぽさ

○  パッチワークシティに暮らす人からの手紙や、ばらばらのチェスピース

○  水際に立ちつくすとき名を呼ばれ振り向くまでがたったひとりだ
 



「高山邦男歌集『インソムニア』」鑑賞

2017年05月09日 | 諸歌集鑑賞
○  満月の滴る巨きな雲の下地虫のやうに群れるタクシー

○  縁ありて品川駅まで客とゆく第一京浜の夜景となりて

○  温かい気持ち未来より感じたり今際のわれが過去思ひしか

○  わが仕事この酔ひし人を安全に送り届けて忘れられること

○  タクシーの運転手としてつね語る景気の話題を師走から変へる

○  赤や青繰り返し点る夜の街のどこにもゐない点燈夫たち

○  赤信号ふと見れば泣いてゐる隣 同じ放送聞いてゐたのか

○  誰一人渡らぬ深夜の交差点ラジオに流れる「からたち日記」

○  冬近し客呼びをする街角の娘たち上着一枚羽織る

○  観客のゐない未明を蛇行してバイク煙らす新聞配達人

○  霊廟のやうな時間を漂はせ赤色燈を点す交番

○  交差点の巨き海星の歩道橋一夜をかけて巡る空あり

○  違和感を感じつつ貼る「がんばろう!東北」もつとおれが頑張れ

○  昨夜猫を轢き殺したるわれにして人の規則に許され働く

○  二番目となりて夜景に柔らかく東京タワーが灯せる心

○  ひとり帰る家路にわれは宥されて西日隈なくわが裡照らす

○  ワイパーが払ふ冷たき雨の夜の今日一日をゆく他はなく

○  四方を窓に閉ざされてゐる車内にて兵士の狂気思ふ夜あり

○  友達はラジオしかゐない運転手の耳殻に夜の潮が寄せる

○  気が沈む時浮かび来る 車中にて罵倒されたる記憶幾つか

○  工事中の赤いポールが並ぶ道 われも並びぬ物の如くに

○  湾岸の開発いきいき語りたる土建屋の夢の跡のお台場

○  深夜番コンビニの李さんは いつも含羞みながらレジを打つ

○  四方を窓に閉ざされてゐる車内にて 兵士の狂気思ふ夜あり
 
○  もう帰る?今日も母から言はれつつ仕事に出掛ける夜の街へと

○  冬の街ふと覗き見るブックオフ『幸福論』が吾を待ちゐたり

東京のタクシー運転手としての仕事の歌を中心に、斬新な着想、自在な用語で、東京という都市の現在をうたい、そこに生きる私たちの心の起伏をていねいにうたう。叙情詩としての短歌の可能性を果敢に追い求める作者の渾身の第一歌集。佐佐木幸綱・帯文より

「三輪良子歌集『木綿の時間』」鑑賞

2017年05月09日 | 諸歌集鑑賞
○  子を三人みたり生みて育てし歳月はたとへば木綿のやうなる時間

○  白雲に〈まゐりました〉といふやうな消え方をさせ満月が出る

○  要介護5の<5>は鍵のやうな文字 春のとびらをこじ開けてくる

○  向きあひて菜豆のすぢ母とひく つういつういと日のあるうちに

○  虹のまた向かうに虹の立つ夕べ過ぎし人らの影を照らせり

○  崇福寺 正覚寺下 思案橋 サ行の音おんの響きあふ町

○  花筏あまた浮かべてたゆたひぬ海にとけ合ふ室見の川は

○  五十五歳の日に飾りたるむらさきの石冷えびえと首を温む

○  ジャンプ傘ザバッと開き帰りゆく相づちを打ちすぎたる夕べ

○  はい、恋に捨ててもいいと思ふ命すてずに今も持つてをります

○  鳴く蝉の一心不乱を「婚活」といふ友のゐてひと日かがやく

○  育児書の<余白>が大事 子育ては抱きしむること笑まふことから

○  一粒づつ梅を返せばその度に塩の濃くなる私のこころ

○  ねこじやらし揺らす三歳 全身で笑ふ一歳 椎の木かげに

○  攻撃は苦手なる子のポジションはいつもディフェンス風ばかり見て

○  息子とは楡のやうなり風すうと立たせて片手上げてゆくなり

○  ぎらぎらを過ぎてしらじらその後をしらしらと月照り渡りたり

○  「胡瓜断ち」「博多手一本」「鼻取り」や「鉄砲」山笠の言葉も奔る

○  二百歳、三百歳の樹が若者のやうな貌せりロンドンに生き

○  継ぐ者の絶えし故郷の墓を洗ふ段々無口になりゆく母と

○  緩びつつふはり惚けてゆく母を見ることもなし四十歳のままで

○  踏ん張つて夕焼け空を仰ぐ母さびしいともう言うてもええよ

○  おかあさんあなたの笑顔は世界一娘の名前忘れてゐても

○  われに倦み人に倦みたる秋ひと日カラスことばで話をしよう

○  どつさりと野菜買ひきて煮炊きする明日の鬱につまづかぬやう

○  「水瓶座」なる星なれば折々に泣きたいときを少し傾く


 家族をテーマにした一冊と言っていい。三人の子を育てた時間を「木綿のやうなる時間」と歌っている。木綿といえば、肌ざわりがよく、じょうぶ。通気性がよく涼しい、また
厚手にすれば温かい。三輪さんはきっと「木綿のやうな」母親だったのだろう。(伊藤一彦・跋より)

「石本隆一歌集『赦免の渚』」鑑賞

2017年05月07日 | 諸歌集鑑賞
○  わが裡の逸り昂り解す黄の錠剤なればまず掌に遊ぶ

○  砂時計砂の軋みを巻きながらこの世の三分何事もなし

○  揺らぎつつ坂を行く人抱えたる紙の袋のおおよそは水

○  ファックスに頭蓋の裏を搔かれたり地球の廻り遅き暁(あかとき) 

○  定まらぬ冬の在りどの夕まぐれ消防署の車庫ひらかれて雨

○  石挟間矢挟間はるか町の辻見せ過りゆく犬こちら向く

○  畝なりに苗木育む村を過ぐ稚きものには稚き香あり

○  渋滞の尾の解れゆく涼しさや岩魚さながら行く車あり

○  神経の交差点をば食い荒らすウイルスの菌に夜半を目覚めつ

○  絨毯に杖なじまずと嘆きあう人おり華燭の宴のはずれに

○  やどかりの尾の尖収めゆくまでの心細さに蒲団ひきあぐ

<訃報>石本隆一さん79歳=歌人(毎日新聞)
2010-04-03 00:36:17
 石本隆一さん79歳(歌人)2010年3月31日、肺炎のため死去。葬儀は4月5日午前11時、東京都目黒区碑文谷4の21の10の碑文谷会館。喪主は妻晴代さん。
 [経歴]1930年・東京市芝区白金志田町の鉄工場の家に生まれる。戦時中は茨城県樺穂村に疎開した。茨城県立真壁高等学校を卒業後、中学校助教諭を経て早稲田大学第一文学部英文科卒。専攻はイギリス演劇。在学中に香川進主宰の歌誌『地中海』に参加する。大学院進学後、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった小野茂樹を『地中海』に導いた。大学院を中退後、東京商業高等学校教諭を経て1964年に角川書店に入社。「短歌」編集部に勤務する。同年、第一歌集『木馬騎士』を刊行し、第9回現代歌人協会賞候補となる。1971年、第二歌集『星気流』で第18回日本歌人クラブ推薦歌集(後の日本歌人クラブ賞)に選ばれる。1972年、歌誌『氷原』を創刊、主宰となる。1976年に『蓖麻(ひま)の記憶』で第12回短歌研究賞受賞[1]。1984年に角川書店を退職し、文筆専業となる。『週刊サンケイ』・『高三コース』・『学文ライフ』・『月刊自由民主』・『自由新報』・『公明新聞日曜版』・『禅の友』などの短歌欄選者を担当した[2]。 
 [著書]
『木馬騎士』地中海叢書 1964
『星気流』新星書房 地中海叢書 1970
『石本隆一評論集 2 (白日の軌跡)』短歌新聞社 氷原叢書 1983
『鼓笛 石本隆一歌集』短歌新聞社 昭和歌人集成 1985
『短歌実作セミナー』牧羊社 1986
『石本隆一評論集・1/前田夕暮・香川進』短歌新聞社、1988
『石本隆一評論集 3 (律の流域)』短歌新聞社 氷原叢書 1990
『水馬 歌集』短歌研究社 氷原叢書 1991
『つばさの香水瓶 歌集』短歌研究社 氷原叢書 1993
『石本隆一評論集 8 (碑文谷雑記)』短歌新聞社 氷原叢書 1994
『現代短歌集成 石本隆一』沖積舎 1996
『流灯 石本隆一歌集』短歌新聞社 氷原叢書 1997
『石本隆一評論集 7 (歌の山河・歌の隣邦)』短歌新聞社 氷原叢書 1999
『やじろべえ 歌集』角川書店 氷原叢書 2002
『石本隆一評論集 9 短歌随感』短歌新聞社 氷原叢書 2003
『石本隆一評論集 6 (近現代歌人偶景 続)』短歌新聞社 2004
『木馬情景集 石本隆一歌集』短歌新聞社 新現代歌人叢書 2005
『いのち宥めて 石本隆一歌集』角川書店 2006
『赦免の渚 歌集』短歌研究社 2007
『石本隆一評論集 10 (短歌随感 続)』短歌新聞社 氷原叢書 2010
『花ひらきゆく季(とき) 石本隆一歌集』短歌研究社 2010
『わが命ちさく限りて 歌集』文芸社 2012
『石本隆一全歌集』短歌研究社 2016
『石本隆一評論集成』現代短歌社 2017
 [共編]
『現代歌人250人 現代短歌のすべて』岩田正、大滝貞一、大西民子共編集 牧羊社 1983
『日本文芸鑑賞事典 近代名作1017選への招待』全20巻 巌谷大四、大久保典夫、岡保生、小川和佑、尾崎秀樹、河竹登志夫、北小路健、紀田順一郎、中村明、松尾靖秋、村松定孝、吉田豊共編纂 ぎょうせい 1987-88

「山本登志枝歌集『水の音する』」鑑賞

2017年05月06日 | 諸歌集鑑賞
○  翡翠はぬるめる水に零しゆく色といふものはなやかなものを

○  吹く風はさびしかれども幾つかづつ寄りあひながら柚子みのりゆく

○  書きながら見知らぬ人に書くごとく水に書きゐるごとく思へり

○  青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど

○  かなかなの声をきかむとだれもみな風見るやうな遠きまなざし

○  花芽大の胎児の写真示しつつ「心臓ばくばく動いてゐたの

○  地震つよく揺れゐるときもみどりごはいのちの泉深く眠れり

○  上目づかひに確かめながら眠りたり腕のなかのいとしきものが

○  夕道を帰りゆくなりあゆみが丘の子の家に点る窓の灯胸に

○  お腹の子がしやつくりしてゐるわかるのと愛しげに手を当てながら言ふ

○  新しき命と出会ひかけがへなき人を失ふ夏のふかみに

○  この秋の句点のやうなひとときか何おもふなく砂浜に立つ

○  をのこごはわが草傷に唱へたりイタイノイタイノトンデイケ

○  月光に照らされゐたる線路ありきどこへ行かうとしたのだらうか

○  死は〈かねてうしろに迫れり〉何ひとつ分からぬことを知るのみなのに

○  生まれたるばかりのみどりご何ゆゑにまぶしがりゐる眉しかめつつ

○  みなどこに行つたのだらう本の背にこの世の名前のこしたるまま

○  幼子をあやしゐたりしがほどもなく撃たれき戦場ジャーナリストの女性

○  羊水のぬくとさならむ池のなかにうつらうつらと蛙の卵   

○  目覚むればあとかたもなしかたはらの天使も天使の羽のにほひも   

○  こすれあひ火と火は痛きことなきやわれのどこかがくろずみきたり   

○  咲いたとか散つたとか夕空がとてもきれいと言ひつつ過ごさう   

○  白梟は目覚めつつをりまつさをな空にかかれる昼月のごと   

○  みどりごのためペットボトルの水お一人様一本といふを購ふ   

○  地下鉄の車窓に霊のごとゐるはわれが離れたかつたわれか   

○  月のミルクを飲みて育つと歌はれし葡萄かスペイン産の一房   

○  幼子をあやしゐたりしがほどもなく撃たれき戦場ジャーナリストの女性   

○  林のなかの落葉どんぐりつかみゐる小さなる手は光もつかむ    

○  オリオン座のきれいな季節めぐり来ぬ吸ひ込まれさう夜更けの空に

○  飛んでしまつた風船を追ひ泣きゐし子腕たくましく四人子の母