プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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お寺のこと

2019-09-25 08:29:11 | お寺
日本ではお寺の中の人と話す、
なんてことはまず、無かった。
まさかハワイでこんなにお坊さんたちの
知り合いが増えるとは。

行くと、だれかに会えるという場所としても、
お寺は面白い。
きっと、檀家さんや門徒さんは、
「私のお寺」として、
自分ちの庭や離れのように、
身近なものだったのだろう。
お祝いごとでそこへ行き、
悲しいことがあってもそこへ行き、
故人を偲びにそこへ行く。
仏法を説くわけだから、
生きる指針の拠り所でもあったろう。

コミュニティの「公共の場」でもあり、
親密さと間合いとが
一般的な人間関係や仕事関係とは
異なる場でもある。

昔々、カトリックの教会に
親に連れられて行っていて、
(なんせ幼児洗礼だから)
思春期にさしかかる頃、
「急にwarm heart 過ぎる人々が現れて
妙にチヤホヤと親切な場」という雰囲気が
とても偽善的に思えて、行かなくなったが、
お寺に見える方たちに今の自分が「いい人」的雰囲気を過剰に
表現していないとは言えない。

日曜日のお参りの後はランチサービスなどが
あって、実質的なサポートにもなっている。
一緒に食べることには、大きな意味がある。

公共の場として、お寺をどうしつらえるか。
これも大事だ。
以前、パロロ本願寺の本堂は、
不要なものが溢れて、倉庫化していたり、
窓の前にダンボール類が山積して、
謎の暗闇ができていたりしたそうだ。
この気持ちいい空間ができたのは、
現住職になってからのことらしい。

お寺をどういう場にするか。
住職やお寺に関わる人々の気持ち次第。
良規さんのように、あれだけ大きなものを
託されてしまう場でもあることを考えると、
「預かる」とか
「自分のものじゃないけど、
自分のもののように扱う」的な不思議な所有の仕方や
責務の負い方をする役割でもある。
目指すは「経済的発展」ではなく、「公共」。
経済的発展以外の意味を探せる、
稀有な場所でもあるのだ。
サステナビリティについて、考えるにも最適。

支えているのはボランティアの
「ここをいい場にしたい」という思いなので、
一体、どういうことが「いい場」なのかについても
考えられる。
お寺って、奥が深いなぁ。