プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

山根はるみ著「やさしくわかるユング心理学」読みました

2014-02-23 12:05:10 | 読んだ本
「やらなきゃ、やらなきゃ」
と急く気持ちがあるとき、
なかなか本に没頭するということは難しいなぁと思います。
読みながら
「ああ、こんなことしている場合じゃないのに…」
と思ったりしてしまうものですから。

やっと自分の本が終わったので、
(というか、もう、編集者さんにおんぶに抱っこでした。
ホントに一生懸命、考えてくれて、サポートしてくださいました。
ありがと~、ありがと~!)
積ん読になってた上記本を。


やさしくわかるユング心理学―あなたの深層心理を読み解く一歩

あいかわらず通い続けている
アラモアナショッピングセンターの白木屋
ブックオフで見つけたものです。

日本語の本がとても限られているのですが、
読みたい本が不思議と見つかるところです。
ホノルル近辺に好みの似ている方々が
いらっしゃるのかもしれませんね。

ユング派の方たちがどのようなカウンセリングを
していらっしゃるか、あまりよく知らなかったなぁと
思いながら購入したものです。

内容は著者がどのようにユング派のカウンセリングと出会い、
どのようなトレーニングを受け、どのようなプロセスをたどったか
というご自身の体験と、実際のカウンセリングの中でどのような
かかわりをしているかということ、そして本書の半分近くを占める
後半はさまざまな物語を取り上げて、ユング心理学的にその意味する
ところを読み解くという構成になっています。

日本の家に行くとあるはずの「妖精王」や「奇子」「八月に生まれる子供
がとりあげられていて、「読みなおしたい」衝動にかられています。
(これらのマンガがうちにあるってのも不思議です。
 私のセレクトではありません)

自己分析、教育分析についてのところが
とても興味深く、教育分析的なトレーニングが今、どれくらい
行われているんだろうか…と気になるところでした。
自分自身について知るということは、
カウンセラーとして必要不可欠なことです。

どこでそれをやってきたかを振り返ると、私の場合は
エンカウンターグループだったなぁと。
非構成的なものだったので、そこから何を得たのかを
きちんと振り返らなければ、
そのまま雲散霧消してしまっていたとは思うのですが、
身近にそれを振り返ったりシェアしたりする仲間がいたので、
参加したり企画したりするたびに、
自分のなかでのそれらの意味あいを言語化するチャンスに恵まれました。

今、それに似たことはKids Hurt Too Hawaiiでの
スタッフミーティングやファシリテータを
するときのチェックインのときなどでできるのですが、
体験の言語化と自己分析を英語でってのは、
不完全燃焼状態。

英語力をあげるか、話せる場を探すかする必要がありそうです。
思えば、今はなき都留先生に受けた
教育分析(的)カウンセリングがなつかしいです。

たまたまなってしまった仕事なのですが、
やっぱり、この仕事、好きみたいですね。

「シックスス センス」と見えざるもの

2014-02-20 15:14:48 | あれこれ
息子とiTuneで映画を借りて見るのが週末の
お約束になっています。

ずっとジャッキー・チェンが続いていて、私のほうは
途中でうつらうつらしてしまうことも。
アクションもの、刑事ものが好きな彼は
ブルース・ウィルスの登場する映画も好きです。
それで見つけたのがシックススセンス

予告編をいっしょに見て、
いわゆるホラーでは無い感じに惹かれて、
見始めました。

最後まで見て、息子も
「いやー、これはさすがの俺でもジンとくるわ~」
的な感想。
もう一度、二人で始めからところどころ見直すほどでした。

カウンセリングのなかで、私が見ている世界とは全く違う、
もっとずっと広い世界を見ている方と出会うことがあります。
これまでの私の知っていることや、
「こうじゃないか」と思っていることとは
全然、違う世界だったりもします。

カウンセリングの中ではそういう世界を
「もし、そのように見えているとしたら、周りは
どう見えるだろうか」
と想像力、全開にして必死でその一部を共有することを
試み続けるのです。

そんなふうにして、やっと、その方の抱える
孤独感とか、孤立感とか、恐怖や不安に気づくことがあります。
自分がすでに持っている、ものさしや知識や考え方を
一時棚上げにできるようになっておくことが
役に立ちます。その一方で、自分の芯のようなものが
どこかに行ってしまっては危険です。

「カウンセリングって、
ただ、ふんふん、聞いているだけなんでしょ」
と批判されることがあります。
周りから見るとそう見えるのだろうなぁと思います。
実際にカウンセリングを受けた方から言われたことは無いのですが。

実際の面接のなかでは50分間、ずっと走っている
サッカー選手のような感じがしています。
ですから、きちんとした場所と時間の設定が必要です。
最近、個人カウンセリングから遠のいているので、
「果たして、走れるだろうか?」
のような感じになってますが。

卵は立つ~「思い込み」に気づくこと

2014-02-18 17:17:17 | 考えたこと
ブログへのアクセスが上昇したのに気を良くして連投。

年末ごろだったか、お正月ごろだったか、
ランディさんのブログで、石がにょきっと立っている
不思議な光景を目にしました。
重心を探すと見つかるのだ、というような解説に、
「うう、やってみたい」と。

けれども、石が身近に無いしなぁ、
日本に戻ったときにでも試してみようかなぁと
思っていたところ、
藤田先生のフェイスブックで
卵を立てようとしているシーンを発見。 

そうか、石が立つのだったら、
卵だって立つだろう、と。
卵を立てることにトライ。

ちょうどリビングオハナで卵を染めて
イースターを楽しもうというイベントを企画して
いたところでもあるのです。

練習をしようと冷蔵庫から取り出した卵が、
茶色系だったという笑い話のような状況で、
そうだ、この卵を使ってみようと。



そうしたら、数分で立ちました~!
自分でも思ってもみなかった出来事。
手の中でころころと重心を探して動かしてみる。
すると、あるところで「こっとん」という感じで
揺らぎが止まるスポットがあるのです。

これははまります。
この感覚が面白過ぎて危険です。
ことに、忙しい朝にオムレツを作ろうとしているときなどには。
「コロンブスの卵」のエピソードがあまりにも
くっきり頭の中にあるもので、
「卵はふつうは立てることができない」
と思い込んでいました。
だから、卵を立ててみようなんてこと、思いもよらない。

ランディさんの記事があって、一照さんの写真が無かったら、
まず、こんなことをしようとは思いませんでした。
こういうことって、きっとたくさんあるのだろうなぁと。

だから、いろんな面白そうな人の周りにいて、
「何してんの?」
「どれどれ?」
「え~、やってみたい!」
っていうことがとても楽しいのだと思います。

自分のなかの
「こうあるべき」
とか
「こうなはず」
という枠組みが吹っ飛ぶような。

アサーショントレーニングでやっている
認知についてのアサーションや
NLPや認知行動療法的なものは、
こういったことを言っているのではないかと
勝手に思ってホクホクしました。

まあ、ラッキーでもあったのです。
初めてトライした卵が比較的立ちやすい卵だったのと、
しっかりした水平な台があったという。
ある考え方が変わるためには、
環境的な要素も大きいのです。



卵を買って来ては立てているのですが、
かなりがんばっても立たない卵もあります。
ちょうどバランスのポイントになっているところが
尖りすぎていたりして。
こういう卵に当たってたり、揺れる船の上だったら
卵が立つなんて無理、って思ったかもしれません。

立たない卵を観客に渡し、立ちやすい卵を自分が使って
「私には特殊能力がある」
なんてこともできちゃうかもしれませんね。
卵を立てられるようになるための
特別講習会とか、企画できちゃうかもしれません。

生卵のほうが立てやすいですが、
そう、ゆで卵もまるいまんまで立ちますよ。

「大工と鬼六」とカウンセリング

2014-02-17 08:45:02 | 考えたこと
大工と鬼六」という昔話がある。
氾濫する川に大工さんが橋をかけることになるが、
何回やっても流されてしまう。

困っているところに鬼がやってきて、
「橋を作ってあげる代わりに名前を当てろ。
当てられなかったら目をもらうぞ」
と。

大工は承諾し、鬼は橋を作り上げる。
大工は鬼の名前を当てようとするが、
うまくいかない。

目を渡さなくてはいけない期限が
せまったときに、子どもたちが歌う
はやし歌を聞いて、鬼の名前を知る。
名前を当てられた鬼はどこへともなく消える。

そんな話の流れだった。

どこかで
「いいのか、鬼、それで?
橋を作ったのにだれからもねぎらわれず、
報われず、賞賛もされないで?」
というような思いがする。

「いいのか大工、鬼にお礼しなくて」
とも。
失明を賭したとはいえ、
バランス悪くないか? と。
ずっとどこかにひっかかっている絵本だった。

先頃から「ハワイおはな文庫」という
文庫活動に携わりはじめ、この本に再会した。
絵本や文庫活動についての本を読む機会が増え、
メタの視点から絵本を見るというマインドセットが
どこかにできてきたのかもしれない。

そうしたら、
「大工と鬼六」がカウンセリングのプロセスのように
見えてきた。

鬼はいわゆる「黒感情」だ。
名まえのわからない、
けれどもパワーがあり、
その感情の持ち主も気づいていない
知恵とスキルを持っている。

氾濫する川のように自分を脅かす何かに橋を架けて
なんとか此岸と彼岸とをつなぐ手助けをしてくれる
ものでもある。
トラブルを乗り越えるには
鬼の手助けが必要なのだ。

一方で鬼も自分を脅かす危険なものだ。
この危険なものを無害化するときに
「名づけること」が意味を持つ。

「名づけること」は
コントロール可能にするということだ。
黒感情についても同じことが言える。
もやもやと蠢く黒感情。
この感情に名前を与えることで、
感情にふりまわされることから、
感情は自分の一部分へと転換される。
黒感情は自分の内側と外側とをつなぐ橋を作り、
あとはどこへともなく消えて行く。

カウンセリングのプロセスで、
なぜ、感情の言語化が行われるか。
「大工と鬼六」で答えが見つかった。

鬼への思い入れがあったから、
「黒感情」なるものに入れこんで
しまったのかもしれないなぁ

せっかくハワイにいるのだから…

2014-02-16 17:04:55 | あれこれ
まぐまぐを終わりにしたので、
自分のブログに戻って来ました。

そして、自分のブログを見直してみると、
全くハワイらしさが無い。
ハワイの写真も無い。

せっかくハワイにいるのだから、
もうちょっとハワイっぽい内容を
入れてもいいような気がしました。

とりあえず、背景をハワイっぽい
テンプレートに。
そして、雨ばかりですっかり緑色の
ダイヤモンドヘッドです。
ちょっとハワイっぽいかな?


中島薫著「お金の哲学」サンマーク文庫 読みました

2014-02-12 09:16:08 | 読んだ本
ひょんなことから知り合った
Iyokoさんに黒感情の本を差し上げたら、
お金の哲学」をいただきました。



お金というものと
どんなふうにかかわればいいかについて、
とてもわかりやすく書いてあります。

たとえば、ときどき冗談で
「目指せ、印税生活!」
などとつぶやいているのですが、
それが冗談レベルにとどまるのは、
お金が目的になってしまうことに
大きな躊躇があるからです。

もしかしたら、これは役に立つかも?
と思うようなことをがんばって本に書いたら、
結果としてお金が手元に来た、という
ような形があらまほしいと思うのです。

もてたいと思ってがんばるのではなく、
「こういう生き方、好きなんですよ」
と思って自分なりにやってたら、
なんかまわりからも「いいね」となる。
そんなふうであって欲しいというような。

この本はそんなスタンスです。
お金をもうけるためにどうすればいいか、
という方向性ではなく、
お金とこんなふうにかかわっていると、
結果としてお金が手元に来ますよ、と。

ここにある哲学はそこはかとなく親から
教わったお金とのつきあい方と共通するものが
多く、何か裏書きをもらった気分。

そして、不思議に思っていた
「ちょっとお金が必要だなぁ」
と思うと原稿依頼が来たり、講演依頼が入ったり、
「でも、こっちにいるし動けないなぁ」と思うと
増刷っていう形でご褒美のようにいただけたり。
そういうことって、
いろんなところで起こっているのですね。

そういうことが起こるので、
どこかでお返しをしなくちゃと思うのです。
いただいた方に直接返せないという場合、
その人ではないだれかにお返しするというのが、
いいお返しの仕方のような気がしています。
そういうわけで、ボランティアをしたり、
チャリティに協力したくなったりします。

「それがいいことだから」とか
「それは意義あることだから」とか
ではないので、
「偉いですね」
と言われると
「イエイエ、違うんです」
と。

「いただきもの」と「お返し」との心内バランス、
のようなものなのかもしれませんね。

原稿が書けたり、講演したり、増刷になったり
ということが、自分の才覚や能力だというふうに
あんまり思ってないからかもしれませんね。
たまたま、なのですから。

PHPのびのび子育て3月号いただきました

2014-02-11 14:17:20 | 著書
PHPのびのび子育て3月号 いただきました。



《大特集》
「叱り方」は3、7、10歳で変える!

待ち受ける混乱期に備えよう
子どもの“心の荒れ”の受けとめ方

に、袰岩が登場しておりますのでどうぞよろしくお願いします

2月10日発売です

PHPファミリー/のびのび子育て
facebookアカウントです。

http://www.facebook.com/family.P

男の子の子育て本、書いてます

2014-02-04 22:09:53 | 著書
男の子の子育て本を書きながら、
「そうか、男の子ってこうなんだ」
のように再確認。
「だから仕方ない」とするか
「だからもっとこうしよう」とするか、
「自分のケアも十分にしよう」という感じになるか。
そこが考えどころです。

3歳から5歳ぐらいの男の子を
想定しているので、
昔のことを思い出したり、
発達の参考書を読みなおしてみたり。

書きながら
「もっとこう、育てればよかったなぁ」
とか
「あそこで、こうしなかったから今、こうなってるのかなぁ」
とか思ったりします。
そんだもんで、なかなか進まず、苦労しました。

ただ、過去をふりかえっても仕方ないのですよね。
たまたま、ハワイアンキルトを習った
アン先生がおっしゃっていました。
「過去はふりかえらない。針目が気になっても、
どんどん、刺してください」と。

子育てで、気になることがあるとしても、
今、こうゆう状況になっているんだよなぁ、
というところから始めるしかないですよね。
「この状況をどうしたいか? どう変えたいか?」
と考えてみる。
今後にフォーカスするほうが、
いい答えが見つかったりします。

なので、「あのとき、もっとこうすれば…」
はさておき、
「これから、こうしよう」
に目を向ける。
まあ、なんとかなるさと構えてみる。

そんなことを思いながら書いて、
一応、入稿。
ただ今ゲラ待ちです。

イラストもかわいいですよ~。